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23.チョコを渡すの、やめよう

 放課後になったとき、わたしは途方に暮れていた。

 絵美里に相談したい、と強く思っていた。

 だけど結局その日、彼女とは朝の挨拶を交わしただけで、他には一言も話さなかった。


 悩んでいたのは大したことじゃない。

 矢島くんと合流するタイミングは、いつがいいんだろう。

 授業を終えたわたしは、机の中の授業道具をカバンに入れていた。

 そして横目で矢島くんの様子をうかがった。


 矢島くんは、校門のところで待ち合わせだと言った。

 わたしは先に待っていた方がいいんだろうか?

 それとも待たせた方がいい?

 あるいは教室から一緒に歩いていく?

 一番最後のはナシだな、とは思う。

 だけど残り二つのどちらがいいのかわからない。


 出した結論は、成り行きに任せる、というものだった。

 わたしはいつも通りに帰り支度をするだけ。

 あとは矢島くん次第。

 結局、わたしが教室を出たのは矢島くんよりも先だった。


 校門で待っている間は、すぐに不安になった。

 そんなことないとはわかっていたけれど、矢島くんは約束を忘れてしまっていないかな、なんて思った。

 念のためLINEで連絡をとってみよう、なんて考えてスマートフォンを取り出し、しつこいかもと考え直してやめにする。

 そんなに待つことなく、昇降口を出た矢島くんの姿が見えた。


「ごめん。待った?」


 近くまできた彼がそんな言葉を口にする。

 わたしが男子とそんな会話をする日が来るなんて、三か月前には思いも寄らなかった。

 そして一か月前には、矢島くんとそんな会話をすることを、夢のように考えていた。


「いいや、全然」


 わたしは首を横に振って、口元に力をこめる。

 なんだか照れくさくて、そして嬉しくて、つい笑いだしそうになってしまっている。

 校門の外へ歩き出しながら、矢島くんが言う。


「どこ行こう? 浦下が好きにグチを言えそうな場所って、どこ?」


 少し考えてから、わたしは矢島くんに言った。


「ね、矢島くん。わたし、ああは言ったけど、実はそんなにグチの持ち合わせがないんだ。絵美里自身には文句もないし。問題は、音楽性の違いだけだし」


「……そのさ、音楽性の違い、って何の例えなわけ?」


 意外と突っ込んだことを聞いてくる。

 もちろん言えっこない。

 あなたに告白する方針の違いです、なんて。


「女子同士の玄妙なコミュニケーションにおける見解の相違かな。ともあれ、そんなに、無理にわたしの悩みを聞かなくてもいいよ」


「いいの?」


「うん。その代わりに楽しい話でもして、元気づけて。矢島くんって、帰宅部でしょ? 普段は何をしてるの?」


 そうしてわたしたちは歩きながら話をした。

 並んで歩きながら、わたしは十一月下旬の、あの日のことを思いだしていた。

 やがて不意に矢島くんが言った。


「そうだ、あの住宅地まで歩こうか。女の子を連れてったところ」


「いいね」


 わたしは賛同し、矢島くんの横顔を見つめる。

 胸が高鳴り、なんだか痛みさえ感じられた。

 どうしてこんなに惹かれるのだろう?

 わずか三か月前とは、彼に目を向けたときに生まれる感情が、全然違う。

 これが、恋なんだ。

 わたしは改めてそんなことを思う。


 住宅地へたどり着いても、もちろんやらなくてはならないようなことは、何もない。

 しばらく女の子と別れた辺りをぶらつき、目に付いた公園の中をのぞいてみたりする。

 もしかしたらあの子がいるかもしれない、なんて話をしていたけれど、そんな都合のいい偶然は発生しなかった。

 だいたい、彼女を見つけたところで、わたしたちには何の用事もない。

 そして向こうは、もはや覚えているかどうかもわからない。


 その後でわたしたちは駅の方へと向かった。

 誰か、クラスメイトがいるかもしれないな、なんてわたしは考える。

 クラスメイトは矢島くんとわたしが二人きりでいることをどう思うだろう。


 でも矢島くんにはそんなことを気にする様子は見られない。

 わたしもまあ、そんなものかと思った。

 だいたい、校門のところで待ち合わせをする様子だって、誰かから見られているかもしれなかったし。


 そしてわたしの心配は杞憂だった。

 誰ともすれ違わないまま、駅までたどり着く。

 駅前にあるコーヒーショップの前で、矢島くんが言う。


「何か、甘いものでも食べていく? おごるよ」


 いや、いいよ、とつい答えかけてから、やっぱり少し甘えることにした。


「いいの?」


 うなずいた矢島くんと共に、お店に入る。

 そして不意につぶやいた矢島くんの一言に、どきりとする。


「そうか、もうすぐバレンタインデーか」


 店内の装飾は、すでにバレンタインデー仕様になっていた。

 ポップとしてピンクや赤のハートが持ちられており、それらのハートの中には白文字で『Valentine's Day』と記されている。


「忘れてた?」


 わたしがたずねると、矢島くんはにやりと笑って答える。


「ときどき、思い出してた」


 矢島くんもわたしもコーヒーを頼んだ。

 矢島くんから何か甘いものをすすめられ、わたしはチョコチップの入ったスコーンを選んだ。


 店の奥の席で、二人で向かい合って座った。

 コーヒーを飲み、スコーンをかじる。

 なかなかおいしい。

 藤村早紀なら、もっとおいしいスコーンの作り方を知っているだろうか。


「元気出た?」


 わたしが甘いものを食べる様子を見ながら、矢島くんが言う。

 わたしはうなずいて、彼に素直にお礼を言う。


「今日はありがとう」


「どういたしまして」


 微笑んでから、彼が不意に人差し指を立てて、言う。


「これさ、太宰流なんだ。女の子は、甘いものを食べさせれば元気が出るって、太宰治が『人間失格』で書いてた」


「太宰治。女たらしの言葉だ。好きなの?」


「一度、読んだことがあるぐらい。でもなぜだか、覚えてた」


「それって、矢島くんも女たらしだから?」


「そう見える?」


 わたしが首を横に振ると、矢島くんが真面目くさった声で言う。


「真の女たらしは、そうは見えないものなの」


 そうしてわたしたちは顔を見合わせて笑いあう。

 それから矢島くんも、スコーンを一つ手に取り、かじりはじめた。


 何気ない話を続けるうち、コーヒーの残量が減っていく。

 もうすぐ、午後六時を回ろうとしている。

 普段のわたしが帰宅をはじめる時間だ。

 矢島くんは、きっといつもなら、もっと早く家に帰っている。


 帰りたくないな、とわたしは考えていた。

 それほど、素敵な時間を過ごしていた。

 だけどその時間はもうすぐ、過ぎ去ろうとしている。


 時間を止めることは出来ない。

 矢島くんはすでにコーヒーを飲み終えたらしい。

 もういつ、じゃあそろそろ、なんて言いながら立ち上がるかわからない。


 休日に、どこかに出かけろ。

 藤村早紀の、そんな言葉が頭の中によみがえる。

 そして週末は、あと一度だけ、ある。


「矢島くん。今週末、ヒマ? ……どこかに、出かけてみない?」


 わたしがそうたずねると、矢島くんは少し驚いたような顔をした。

 でもその顔はすぐに微笑みに変わり、そうして、首を横に振った。


「いいや。今週末は、用事がある」


「……そっか」


 残念だった。

 せっかく、勇気を振り絞ったのに。

 矢島くんが、小さく首をかしげながら言う。


「空いてたら、よかったんだけど。それに祝日、土曜日じゃなかったらよかったのにな。そしたら一日、休みが増えてたのに」


 わたしはうなずいてみせる。

 どちらにせよ、同じだ。

 バレンタインデーまでは、矢島くんと休日は、過ごせそうにない。


「その次の週末は?」


 そして不意に矢島くんが言いはじめた言葉を、わたしはつい、聞き逃しそうになる。


「え?」


「だから、今週は無理だから、来週はどう? そこなら、空いてる」


 その日は、すでにバレンタインデーは終わっている。

 どうなっているかわからない。

 だから、そのときのわたしは、こう返事をするのが精いっぱいだった。


「わたしも、たぶん大丈夫だけど……一応確認して、また、連絡する」


「了解。わかったら、連絡くれよな」


 矢島くんはうなずくと、頬杖をつき、視線を店の外へと向ける。

 外はもうすっかり暗くなってきている。

 窓ガラスに店内の様子が反射しており、わたしたち二人が並んで座っているのが見える。


 お店の窓ガラスに張られていた赤いハートは、ちょうど反射したわたしたちの間に浮かんでいた。

 なんだか気恥ずかしくなり、わたしはコーヒーの残りを飲み終えると、矢島くんに言った。


「ごちそうさま。そろそろ、帰ろうか」


 駅のホームで、反対側の電車を使う矢島くんと別れた後、わたしは人知れずガッツポーズをした。

 何より嬉しかったのは、勇気を出して矢島くんを誘えたことだった。

 それはあえなく断られた。

 だけど、矢島くんが嫌がっているわけではないこともわかった。

 いや、それどころか、逆に矢島くんから誘われてしまった。

 なんだかひどく嬉しくて、家に帰るまでずっとそんな感じだった。


 夕食を食べ、自室に戻ってからも、今日の喜びを誰かと分かち合いたい気持ちだった。

 だけど絵美里とは今まさに絶交中だ。

 どんなにわたしが話したいと懇願したところで、彼女は自分の決めたことをやり遂げる。

 それだけの意思がある。


 だからわたしは、藤村早紀にLINEで通話をかけた。

 はじめてのことだった。

 藤村早紀は、何度目かのコールで出た。

 いつもと同じように、あわてず、騒がず、彼女がたずねてくる。


「どうしたの?」


 一方わたしはすでに落ち着いていられなかった。

 今日の一部始終を、かなり混乱しながら藤村早紀に話した。

 そんな話でも、藤村早紀は、あまり口を挟まずに聞いてくれた。


「それはよかった。これまでに少しでも、私の協力が役立ったのなら、何よりだ」


 藤村早紀のその口調に、わたしは少し、違和感を覚えた。

 その言葉はどこか大げさで、そして過去形だ。

 妙だと思いながら、わたしは言う。


「だけど、まだ、です。矢島くんと遊びに行けるのは、バレンタインデーの後なので。告白、失敗したら、たぶんどうにもならない」


「いや、もう十分なんだ。もう、やめよう」


「やめるって、何を?」


「きみのバレンタインデーだ。チョコを渡すの、やめよう」

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