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22.矢島くんが聞いてくれる?

 朝の教室で、絵美里とすれ違う。

 彼女はわたしのことを無視しなかった。

 たぶんそうするだろう、とわたしが考えていたように、普通に挨拶をしてくれた。


「おはよう、ゆりか」


「おはよう、絵美里」


 だけど普段とはその後が違う。

 いつもなら席に着くとすぐに絵美里がそばにやってくる。

 そしてわたしたちは不必要な、それでいて互いに大笑いできる会話を交わす。


 だけど今日はそうじゃない。

 絵美里は他のクラスメイトとの会話を続けていた。


 席についたわたしは一人だ。

 正直、さびしい。

 だけど今朝のわたしにはやらなければならないことがあった。

 そのことに集中する。


 今日の矢島くんは、まだ教室にやってきていなかった。

 今日はわたしよりも遅いらしい。

 そう考えたとき、矢島くんが教室へと姿を現す。


 昨日、矢島くんが告白された話をしたとき、やっと泣き終えたばかりのわたしに、藤村早紀は辛らつな言葉を吐いた。


「ほら、いつまでもモタモタしてるから、そうなるんだ」


「誰が、モタモタです?」


「きみがだよ、ゆりか。私は早く、矢島貴裕とプライベートでも遊ぶ仲になれ、って言ったんだ。休日にどこかへ出かけろ、と。でももう、バレンタインデーまで、週末はあと一度しかない。そのあげくに、他の女子にチャンスを与えている」


 そのときわたしは口をつぐんだ。

 反論できない。

 矢島くんにはいまだに、週末に出かけようという話はできていなかった。


「明日はうちに来なくていい。その代わりに、矢島貴裕と放課後の時間を過ごすんだ。幸か不幸か、部活もないから、ちょうどいいタイミングなんだ」


 それは唐突な課題だったけれど、そのときやる気に満ちあふれていたわたしは、そうします、と力強く答えた。

 いまだってもちろん、その気持ちはある。


 口にすべき言葉は簡単だ。

 矢島くん、今日の放課後、ヒマ?

 なんていう、わずか三つの言葉から、話をはじめていけばいい。


 それが実際に彼の姿を見ると、とたんに心がくじけてくる。

 それでも、わたしは席から立ち上がった。

 最近そうしてくれるように、矢島くんは教室に入ってきた直後は、少しの間、クラスメイトの誰にも話しかけない。

 それはたぶん、その時間にわたしがもっとも、矢島くんへ挨拶をしにいくからだ。


「おはよう、矢島くん」


 わたしがそう口にすると、矢島くんは軽く笑みを浮かべて、うなずく。


「おはよう、浦下。今日も元気そうだな」


 実際のところ、そんなことは全然ない。

 だけどわたしは大きくうなずく。

 そしてドキドキしながら、空いていた矢島くんのすぐ前の席に腰をかける。


 そんなことをするのははじめてだった。

 それはしばらく、ここで話をしていく、という意思を表明しているのと同じだ。

 でも矢島くんは、特に驚いた様子もなかった。


「あのさ、矢島くん」


 わたしは椅子に横座りになった。

 そして自分の席に頬杖をついている矢島くんの目を、じっと見る。


「なに?」


 言うんだ。

 簡単だ。

 なんでもないことだ。

 そうしてわたしは口を開いた。

 でも、実際に出てきた言葉は、実に情けなかった。


「……なんでもない」


 矢島くんがさすがに不可解そうな顔をする。

 わたしが肩をすくめ、言い訳をしかけたちょうどそのとき、その席の持ち主であるクラスメイトが近くまでやってきていたことに気が付いた。

 慌てて席を立ち、矢島くんのそばを後にする。


 自分の席へ戻り、わたしはつい、絵美里へと視線を送った。

 彼女は、こちらを見ていなかった。

 たぶんわざとだと思う。


 仕方がない。

 はじめからそういう話だったし。

 もう泣いたりはしない。

 だけどこうして無様な失敗をしたとき、『いや、いいチャレンジだったよ』とからかい混じりにフォローしてくれる絵美里がそばにいないのは、しんどい。


 今のわたしの行動は、クラスメイトたちにどう映っただろう?

 ずいぶん奇妙に思われただろうか。

 それを聞く相手もやはりいない。


 どこへ目を向けても、わたしが注目されているような気がして、やむなく視線を窓の方向へと移した。

 そのままよく晴れた冬の青い空をわたしは見つめた。

 やがて担任がやってきてホームルームが行われる。

 それも終わり、授業がはじまった。


 授業の間、わたしの頭はなんだかさび付いていた。

 考えることが多すぎた。

 バレンタインデーのこと。

 絵美里のこと。

 藤村早紀と滝上楓のこと。

 そして矢島くんのこと。


 とりわけ、藤村早紀に与えられた課題のことが、授業中のわたしの心のほとんどを占めていた。

 朝は失敗した。

 次のチャンスはお昼休み。

 それも失敗した場合、ラストチャンスとして放課後がある。

 でも矢島くんがわたしより先に、誰かと放課後の約束をしてしまったらおしまいだ。

 実質、お昼が最後のチャンスだと考えた方がいい。


 授業の間の短い休みも、絵美里はもう、わたしに近寄ってこない。

 わたしは一人でその時間を過ごす。

 退屈じゃないと言えばウソになる。

 絵美里は他のクラスメイトと笑いあっている。


 午前中の授業の終わりを告げるベルがなり、わたしはふう、と息を吐いた。

 行くんだ、と頭では考えていた。

 クラスメイトの男子の多くが、お昼休みは集まって弁当を食べる。

 矢島くんもそのうちの一人だ。

 そうなると、覚悟が決まったわたしだって、話しかけるのにはなかなか気後れする。


 だからさっさと話しかけてしまった方がいいのに、やっぱりわたしはヘタレてしまう。

 弁当を食べてからにしよう。

 自分に後ろめたさを感じながら、カバンからお弁当を取り出す。

 包みをほどいているとき、わたしは誰かがそばに来た気配に気づかなかった。


「なあ、浦下」


 声がしてわたしはあわてて顔をあげた。

 わたしの机のすぐ前に立っていたのは、矢島くんだった。


「前言、撤回だ。朝の言葉は取り消し」


 矢島くんはそう言うと、空いていたわたしのすぐ前の席に、軽く反動をつけて座り込んだ。


「どうしたんだよ、浦下。元気、なさそうじゃん」


 矢島くんは布で包まれたものを手にしていた。

 わたしはその包みをじっと見る。

 まさかお弁当じゃないよな。

 矢島くんの前で、普段通りご飯を食べる勇気は、わたしにはなかった。


「弁当、ここで食べてもいい?」


 だけど、嫌だとは言えなかった。

 実際、嫌ではなかったし。

 あくまで平気を装って、わたしがうなずいてみせると、矢島くんはお弁当の包みをあけはじめる。

 そうして、何気ない口調でわたしにいう。


「柚木と、ケンカでもしたの?」


 やっぱ男子でもわかるんだな、とわたしは考える。

 もちろん女子ならみんな気づいているはずだ。

 そしてその上で、わたしにも絵美里にも何も聞いてこない。

 当然、わたしたち以外の間では、激しい情報交換と、ウワサ話が行き来していることだろう。


「何でそう思うの?」


「いつもべったり一緒なのに、今日は一緒じゃない。あんまり話してる様子もない」


「鋭いね」


「見てれば、な。どうしてそうなったの?」


「音楽性の違い、かな」


 矢島くんは、箸を動かす手を止め、わたしのことをじっと見る。

 わたしはモノをかむ口の動きを止める。

 そんなに見つめないで欲しい。


「浦下ってさ、そういうとこ、あるよな。飄々ひょうひょうとしてる。淡々としてる。仲のいい友達と、ケンカしてるのに」


 矢島くんにはそう見えているらしい。

 不思議なことだった。

 わたしはいま、妙な顔をしていないかと気を配っており、なるべくおちょぼ口で、品よく食事をしようと精一杯努力しているのに。

 飄々ひょうひょうとか、淡々としていると思われるような、くだらないジョークが出てきたのは、それだけ必死というだけで。


「そうかな。そんなことも、ないけど」


「羨ましいと思うよ。カッコいい、なんて思うことだってある。だけどさ、たまには……辛いときに落ち込んだって、しんどそうな顔してたって、いいんじゃないの」


「でも今日は、グチる相手もいないからなあ」


 そう言ったとき、わたしは柄にもなく、ドキドキしていた。

 こういう感じでもいいんだよね、と自分の心にたずねながらわたしは言った。


「矢島くんが聞いてくれる?」


「浦下が今日の放課後、ヒマならな」


 そうあっさりと、矢島くんは、わたしが言いたかったことを口にした。


「それとも、もしかして、部活はやってくの?」


 矢島くんがちらりと絵美里へ目を向ける。

 そのとき絵美里は本当にこちらには気づいていなかった。

 興味津々で見ているものかと思っていたのに。

 だけど彼女の意思の強さからすれば、そういう対応になるのもうなずけた。


「ううん、部活もお休み。音楽性の問題が過ぎ去り、再結成するまでは、解散中」


「一応、再結成の予定はあるの?」


 矢島くんのその問いかけに、わたしは大きくうなずいた。

 そうだからこそ、わたしは今、そこまで悲嘆にくれていない。

 昨日は大泣きしたけれど。

 でももしその予定がなければ、わたしの悲しみは、たぶん昨日の比ではない。 


「じゃあ、校門のところで、待ち合わせな」


「うん」


 わたしは小さく、それでもはっきりと答えた。

 矢島くんは微笑んで、それから再び弁当を食べはじめた。

 わたしはまたおちょぼ口に戻って、弁当に箸をつける。

 しばらく、そうやって二人で並んでお昼ご飯を食べた。


 やがて先に食べ終えた矢島くんは、わたしに小さく手を上げて、クラスメイトの男子の元へと戻っていった。 

 途端に緊張から解放される。

 わたしはやっとのことで、普通に口を開けてごはんが食べられた。

 食べながらつい、嬉しくてにやにやしてしまい、顎が外れるかと思った。

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