20.抱きしめてあげる
二月に入り、イベントにカウントしておきながら、特に何もしなかった節分を過ぎたばかりのその日、わたしは放課後が来るまで、残りわずかになった日数のことを考えていた。
生チョコの作り方の基本はすでにマスターをしている。
だけど、間に合うかどうか。
ラッピングも、藤村早紀と相談をして、どういう風にするのかもう決めていた。
個包装はやめ、チョコは小さなグラシン紙でできたカップに収めた上で、箱に入れる。
箱の中には細く切った紙で作られた緩衝材を詰める。
箱は、わたしのイメージ通りに、包装紙で包む。
そしてビニール製のリボンシールを張る。
ただ、まだ藤村早紀に教わらなければならないことがあった。
実際にチョコを作り、相談したラッピングを施してみてから、藤村早紀は完成したチョコを見て言った。
「これでも悪くはない。ただ、黒一色が気になる。すこし、地味なんだ」
地味でもいいのでは、とはじめのうち、わたしは思っていた。
味がよければそれでいい。そしてわたしの作る生チョコの味は、自分で言うのもアレだけど、いい。
「変化をつけよう。普通の生チョコだけじゃなく、別の種類も混ぜる。ホワイトとか、ストロベリーとか。抹茶もできる」
「でもそれ、必要ですか? 普通のおいしいチョコで、十分ですよ」
そう言ったのは、少し、面倒臭さを感じたからだった。
バレンタインデーはずいぶん近くに迫ってきていた。
そしてわたしは作り慣れた生チョコに自信を持っていた。
今から新しいチョコの作り方を覚えるよりも、今できるもので準備をしたい。
そう考えていた。
軽く首をかしげて、藤村早紀がわたしに言う。
「ゆりかがそれでいいなら、構わないけど。そう、わたしはきみが、チョコを渡しさえすれば、それでいいんだ」
その言い方が、なんだか少し引っかかった。
普段の彼女にはない、皮肉めいた響きが込められてた。
「渡すだけで、告白はうまくいかない、っていいたいんですか?」
「別に。ただ、ほんのわずかなことでも、印象って変わるんだ。例えば迷子を助けるのを見たとか」
それでもわたしの気は進まなかった。
しかし藤村早紀はにやりと笑った。
「明日を楽しみにしているといい。久しぶりに、お手本というものを見せてあげよう」
翌日、わたしが彼女の家をたずねると、すでに三種類のチョコが作られていた。
白、ピンク、緑と、見た目の色からして鮮やかだった。
すべて生チョコで、それぞれホワイト、ストロベリー、抹茶味だった。
すべて食べ終えてみて、わたしは言った。
「すぐに覚えられますか?」
「今のゆりかになら、そう難しくないんだ。チャレンジするだけ、してみればいい」
今まで一種類だけ作ってきたものが、急にあと三種類増える。
もう、お菓子づくりに慣れてきていたとはいえ、正直、焦りはなくもなかった。
放課後が来るまで、わたしはどうやらその日、上の空だった。
そして放課後になり、絵美里が足早に近づいてきたときも、わたしはあまり注意を払っていなかった。
彼女の動きが視界には入っていたけれど、わたしの頭の中では、四種類のチョコレートが延々とわたしの手によって混ざり合っていた。
そばにやってきた絵美里が、急に耳元へ顔を近づけてきたとき、やっとわたしは我に返った。
「ねえ、ゆりか。大変だよ」
そう口にした絵美里の顔を、じっとわたしは見つめる。
お菓子を『いらない』と断られたあの日以来、彼女とはなんだか微妙な仲になっていた。
普段と同じように、一緒に行動はしている。
話もするし、互いに容赦のない掛け合いをして、笑い合ったりもする。
だけど少し前のような、以心伝心、といった風な親密さはなくなっていた。
それはわたしがそう感じていただけかもしれないけれど。
あるいは、わたしの心に引け目があるせいか。
「大変って……何が」
「例の彼の話」
ちらりと目配せをする絵美里の様子に、わたしはどきりとする。
いたずらを仕掛けているわけではなさそうだった。
そもそも最近は、あんまり絵美里とはそういうノリにはならなかった。
わたしはすぐに立ち上がって言った。
「弓道場、行こう」
カバンを肩にかけ、二人で足早に弓道場へ向かう。
学校の隅にある弓道場には、わたしたちの他に立ち寄る人はほとんどいない。
二人きりで話をするには最適な場所だった。
更衣室の扉を閉めると、そばの棚に絵美里がカバンを投げ出す。
彼女はふう、と肩で息をつくと、わたしへと鋭い目を向けた。
「これからするのは、ぜんぶ終わった話だということを忘れずに聞いてね。何しろ私も、ついさっき知ったんだから」
「すごい大げさな前置きだな。何があったの?」
「矢島貴裕がコクられた」
その言葉を理解するのに、わたしは少しの間を必要とした。
そんな可能性があるなんて、考えもしていなかったからだ。
やっとのことでわたしは言った。
「ウソでしょ」
「マジだよ」
どんな反応をしたらいいのか、わたしにはわからなかった。
何しろこれまで恋をしたことがない。
だから、失恋をしたこともない。
ただ黙って、絵美里の顔を見つめた。
そしてなんだか、胸に詰まる思いと、激しい動悸を感じていた。
別に悲しさは感じない。
ただ、何か、残念だ。
この一か月、わたしは、がんばってきたのに。
「何で……」
口を開いておきながら、自分が何を言いたいか、わからなくなっていた。
混乱しかけたとき、絵美里の手がわたしの二の腕あたりをつかんだ。
「ゆりか、慌てないで。矢島貴裕は、その告白を断った」
わたしはぱちぱちと瞬きをする。
そして思っていたよりも、ずっと大きな安堵のため息をつく。
息を吐き終えた後、わたしは言った。
「なんだ。ただ、矢島くんが告白されたってだけか」
なぜか、もう彼がその告白を受け入れたものだと勘違いしていた。
それはたぶん、絵美里の大げさな前置きのせいだった。
「でもすぐに振ったわけじゃない。いったんは保留した。それから、断った」
「……相手はだれ?」
「矢島貴裕と同じ中学校から来た子。この名前、ゆりかは聞いたことがある?」
絵美里はそう言って、女子生徒の名前をわたしに告げた。
わたしはうなずいた。
名前は聞いたことがある。
顔もわかる。
だけど、話したことはない。
見た目だけでいえば、ほっそりとした美人とか、可愛らしい仕草がウリというタイプではない。
どちらかといえば元気と笑顔が取り柄というタイプ。
わたしに近い。
「私は、少しは話したことがある。結構前だけどね。愛想のいい子だった」
「矢島くんとは、仲良かったのかな」
「たぶんね。あそこの中学校で、ノベ高に来たのは少ないから、みんなそれなりに連絡取り合ってるみたい」
そんな彼女が断られた。
その意味をわたしは考える。
もちろん朗報だ。
もしフラれていなかったら、わたしは今頃この弓道場に崩れ落ちていたかもしれない。
だけどそれなりに親しい相手からの告白だ。
それも、矢島くんは断った。
「矢島くんって、もしかして、いま……彼女とかあまり欲しくないのかな」
「そんなことはあり得ない。男はいつも、彼女が欲しい」
真面目な顔でそんなことを言いきる絵美里に、わたしは戸惑う。
そうして絵美里が大きな笑顔を浮かべるのを見て、ああ、そういう冗談も久しぶりに聞いたな、と思う。
「新町くんが、いつかそんなことを言ってた。でも条件があるんだって。欲しいのは、可愛い彼女。または、好きになった彼女」
「それって、たいていは一致するんじゃない」
「もちろん、私の場合はどちらの条件も満たしてたけどね」
にやにやと笑顔を浮かべる絵美里を、わたしは肘で小突く。
絵美里はさっと体をかわし、それからわたしに言った。
「矢島貴裕には、誰か、好きな相手がいるのかも」
わたしは弓道場の床を見つめた。
その可能性は、もちろんあった。
わたしが恋をしたあの日、矢島くんがすでに誰かに恋をしていたら?
「ねえ、ゆりか。バレンタインデーにチョコをあげるの、やめにしたら?」
「何で?」
すぐにそう答えた自分に、わたしは驚いた。
絵美里もどうやら面食らっていたようだったけれど、やがて気を取り直して、わたしに言った。
「だって、いいことないよ。私は初めから反対していたし。もしバレンタインデーに告白して、失敗したらどうするの。誰にもバレなきゃいいけど、見つかって捕まったら最悪だよ。藤村早紀みたいになっちゃう」
わたしは藤村早紀のことを考える。
彼女は一週間の停学をくらった。
だけど彼女は告白には成功している。
でもわたしには、何も残らないかもしれない。
「もし告白したいなら、……チョコが渡したいなら、学校の外でだって、できるでしょ。何ならバレンタインデー前でもいい。コクった子が、いま矢島貴裕に想いを告げたのも、たぶんそれが理由だよ。バレンタインデーを矢島貴裕と過ごしたかったから。学校じゃチョコをあげられないから、だよ。クリスマス前の私と同じ。ゆりかだって、それでいいじゃないの」
「でも、わたしは……やっぱり、バレンタインデーにチョコをあげる。そのために、藤村早紀と練習してきたし。約束もしたし」
「そんな約束、蹴っ飛ばしちゃえばいいって。バカなことしてる。絶対、ゆりかのためにならない」
「絵美里の言うこともわかるけど。わたしは、矢島くんと青春したいんだって」
「……ふざけてるの? 意味がわからない」
絵美里がそう、鋭い言葉を口にする。
たぶん、いや間違いなく、珍しく彼女は本気で怒っている。
はじめてのことだった。
「真面目に言ってるの。だいたい、バレンタインデーにチョコを渡して、何が悪いの。当たり前のことなんだよ。わたしたち以外の、誰もがそうしている」
「だから、ノベ高では違うんだって。いつからそんな、藤村早紀のようなことを言うようになったの? ゆりかは利用されてるんだよ。ゆりかから聞く限り、あの人は常にだれかを振り回している」
「だとしても、わたしに協力してくれてる」
「矢島貴裕に想いを伝えるな、って言っているわけじゃないんだよ。……それともゆりかは、藤村早紀のために、バレンタインデーにチョコを渡すの? 私がゆりかに、やめてほしいと頼んでいるのに?」
わたしは、すぐには答えられない。
そんなわたしを見上げるように、絵美里がにらむ。
「わからずや。もう、いいよ」
吐き捨てるように絵美里が言う。
そしてカバンをつかみ、更衣室を出て行こうとする。
「どこに行くの?」
「気分が悪いの。原因は、言うまでもなく、ゆりか。だから部活は中止」
肩からカバンを下げて、出入り口の扉へ向かう絵美里の背中をわたしは見つめる。
止める言葉は出てこなかった。
そしてくるりと振り返り、絵美里がわたしに言った。
「わたしはゆりかのこと、親友だと思ってる。もちろん、今でも。だけどバレンタインデーが終わるまでは、たぶん、元通りにはなれない。離れていた方がいい。その方が、お互いのためだよ」
「わかった。……ねえ、終われば、元通りになれる?」
「停学明けに抱きしめてあげる」
それは絵美里らしい言葉ではあったけれど、その言葉を口にした彼女は笑ってはいなかった。
そして、更衣室を出て行った。




