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2.いいの。ついていく

 恋に落ちたのはそれから半年以上先、十一月の下旬、期末テストのころだった。


 その日はテスト一日目で、部活は禁止されていた。

 部活なんかせず、さっさと明日に向けて勉強しろ、というわけだった。


 その日わたしは一人で帰路についていた。

 いつも一緒に帰っている親友の柚木ゆずき絵美里えみりは、新町にいまち大樹だいきという同級生と図書室で勉強していくらしかった。

 絵美里は、家では気が散ることが多い、という。

 図書室にあるかすかなざわめきが勉強に最適なのだとも。


 一方わたしは、これで案外、本が好きだ。

 図書室なんかに行くと、本棚から読みたい本をつい探してしまう。

 かえって気が散る。

 そういうわけで、勉強は家でするものと決めていた。


 校門を出てしばらく歩く。

 そしてわたしは、幼い女の子の手を握り、こちらに背を向けて歩いている矢島くんの姿を発見した。


 彼の背中を少し追い越して振り返る。

 それからわたしはその顔をのぞき込む。

 帰宅部の彼と、帰り道に出会うことすらはじめてだった。


 やっぱり、矢島くんだった。それからわたしは幼い女の子へと目を落とす。

 彼女は、わたしとは目を合わせようとしなかった。

 矢島くんは少し微笑んで言った。


「浦下」


「何してるの、矢島くん。その子、矢島くんの娘さん?」


「そんなわけないだろ」


 もちろん冗談でわたしはそんなことを言った。

 矢島くんもわかっている。

 笑顔を見せると、少し眉毛をハの字にして、困っているという気持ちを表した。


「この子、さっきそこで見つけたんだ。なんか……」


 ちらりと子どもの方へと目を落とす。

 それから、わたしに手招きをする。

 わたしが矢島くんへ顔を近づけると、彼が小さな声でささやく。


「迷子なんだって。……不安がるから、あんまり変なリアクションしないでくれよ」


 付け加えられた言葉は、普段のガサツなわたしの行動を考慮してのことだろう。

 わたしは小さくうなずくと、矢島くんから顔を離した。

 それからわたしは小声で聞いた。


「これからどこへ行くの。学校? 警察?」


「いや。いま、見覚えがあるところを探してもらってるんだ。住宅地の方へ連れて行く」


「大丈夫なの? 先に誰か、大人に引き渡した方がいいんじゃない?」


 迷子に対処した経験は、わたしにはない。

 遊園地とか、デパートなら、迷子センターに連れて行けばいいんじゃないか、と思うぐらい。

 自身で対処しようとは思わない。

 誘拐犯に間違われても嫌だ。

 しかし矢島くんは首を横に振った。


「それはもう提案したの。誰か大人の人と話してみようか、って」


 それからまた、手招き。

 小さな声で、矢島くんが言う。


「だけど、家族に心配かけるのが嫌なんだって。あとは、怒られたら嫌なんだろう。知らない大人に迷惑かけた、ってね」


 わたしは女の子へと目を落とす。

 わたしの存在には気づいているはずなのに、彼女は決して、目を合わせようとはしない。

 よくこの子とそういう話ができたものだなと思う。


「なるほどね」


 わたしがそう言うと、矢島くんは急に普段のトーンで言った。


「浦下は、いま、帰り?」


「そう」


「テスト、どうだった?」


「まあまあかな。難しかったとは、思わない」


「そっか。浦下、結構頭いいもんな。帰ったら、明日の勉強するんだろ。がんばれよ」


 矢島くんはそう言って、わたしに微笑みかけてくる。

 わたしは返事代わりにうなずき、女の子の足に合わせてゆっくりと歩く矢島くんから少し離れかけた後、立ち止まる。


「矢島くん。わたしも一緒に行く」


「どうして?」


 すぐに聞かれて、わたしは答えられなかった。

 代わりに頭を巡らせて、わたしはこう言った。


「そもそもどうして、矢島くんが助けてるわけ?」


「だって、この子を見つけちゃったんだから。放っておくのも、かわいそうだろ」


「じゃ、わたしも同じ。このまま矢島くんひとりに任せるのも、なんだか、悪い」


「そんなことないよ。帰って勉強すれば」


「いいの。ついていく」


 わたしは矢島くんの側に立って歩いた。

 普段、わたしたちは教室ではあまり話さない。

 教室を出てしまえば、顔を合わせることすらまずない。

 そんな関係でも、わたしたちの話は案外、弾んだ。


「浦下もあの頭のおかしい校則のこと、知ってるだろ」


「校則? ああ、バレンタインデーのことね」


 ノベラギ高校のバレンタインデーが禁止されていることは、地元では有名だ。

 もちろん、そこに入ろうと考え、受験をする中学生の間でも。


「あれって、女子的にはどうなの?」


「うーん……別に、かな。だっていまどき、バレンタインデーで告白するなんて、流行らないし。義理チョコ渡したりする面倒がなくて、いいんじゃない。チョコを作るのも面倒だし、買うのはお金かかるし」


「冷めてるぅ」


 からかうように、妙な節をつけて矢島くんがそんな風に言う。


「男子的には?」


「残念だよ」


 意外なことに、即答だった。

 矢島くんは、あんまりそういうのに興味がないタイプだと思っていた。


「だって高校生活なんて、一生に一度だけだし。高校で、バレンタインデーにチョコをもらって告白されるなんて、最高じゃないの」


 わたしにはなんだかピンとこなかった。

 一生に一度なんて、高校生活におけるあらゆることがそうだった。

 その中からバレンタインデーが欠けていても、なんてことのないように思える。


「うーん。……何がどう、最高なの?」


「青春として、最高」


 低い、いい声でそんなことをいう矢島くんがおかしくて、わたしは笑った。

 矢島くんも笑っていた。

 自分で言ったくせに、なんだか奇妙な発言だと感じたらしい。


「最高の青春を送るためにはバレンタインデーが必要、ね。そんなこと言うなら、ノベ高に来なけりゃよかったじゃない」


「仕方がないだろ、親からここに入ってくれって頼まれたんだから」


 矢島くんは肩をすくめてそう言い、それから女の子へ目を落とす。


「見覚えのあるところに、来てる?」


 女の子が首を横に振って答える。


「そっか」


 わたしたちは一番近い、住宅地へ向かっていた。

 女の子は迷子だ。

 どこへ行けば自分のうちにたどり着けるかわかっていない。

 そしてどこをどう歩いて、矢島くんの元にたどり着いたかもわかっていない。


 警察にも行きたくない、学校の先生も嫌だという女の子の話を聞いて、矢島くんはある方針を立てていた。


 わたしたちの通う高校の付近には、あまり人の住む家がない。

 しかし歩いて二十分ほど先のところには、新築の住宅ばかりが固まって作られた、人の多く住む住宅地がある。

 女の子はこの住宅地の、どこかの家から来たに違いない。


 矢島くんは住宅地まで女の子を連れて行くことを目標にしていた。

 その道のりのどこかで、女の子が見知った場所に出れば、あとはもう家までたどり着けるだろう。


「もし、住宅地まで行っても、この子に道がわからなかったら?」


 わたしがたずねると、矢島くんは肩をすくめた。


「そのとき考えるよ」


 住宅地まで、三十分ほども歩いただろうか。

 女の子と一緒のせいで歩みのテンポは遅かったけれど、すぐにたどり着いたように、わたしには思えた。

 矢島くんとの会話は、それまで考えていたものよりも、ずっと楽しかった。


 住宅地のとある曲がり角を曲がったそのとき、女の子が不意に矢島くんの手を離した。

 彼女は数歩進み、そこで立ち止まった。


「見覚えのある場所にきた?」


 矢島くんがそう、声をかける。

 女の子は振り返り、そしてうなずいた。


「なら、よかった。家、ここから近いの?」


 女の子は再びうなずく。


「そこまで送っていこうか?」


 わたしのその問いかけに、女の子ははじめて反応してくれた。

 彼女は首を横に振った。

 どうやら、もう一人で大丈夫らしい。


「そっか。なら、気をつけてな」


「ありがとう、お兄ちゃん。……お姉ちゃんも」


 わたしはそのときはじめて女の子の声を聞いた。

 彼女が去ってから、わたしは矢島くんに言った。


「いいことしたね」


「ああ、よかった」


 わたしと目があった矢島くんは本当に嬉しそうに笑った。

 その笑顔は、わたしの心に焼き付いて、未だに離れない。


 後から親友の絵美里に聞いたところ、普通の人はその瞬間はあまり覚えていないらしい。

 いつの間にかそうなっているらしい。

 だけどわたしはこのときのことをはっきりと覚えているし、間違いなく、この瞬間こそが、そうだった。


 わたしはそのとき、恋に落ちた。

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