12.それは、いばらの道なんだ
ノベラギ高校の図書室の品ぞろえは、正直なところ、いい。
本が読みたくなった場合、わたしは大体、学校の図書室から借りてすませている。
マンガだって比較的新しいものが揃えられているし、新刊小説だって、本棚に並ぶのが早い。
図書室は校舎の二階からも、三階からもアクセス可能な、天井の広い吹き抜けの部屋だった。
三階からは二階へ降りる螺旋階段が伸びている。
二階は、中央部分には長机がいくつも並べられており、本棚は壁に直角に並んでいる。
わたしは三階から図書室に入り、螺旋階段を降りていった。
わたしたち一年生の教室は一階にあるのに、いったん三階まで校舎の階段を上っていったのは、そこからなら図書室全体が見渡せるからだった。
わたしは、藤村早紀を見たことがない。
さすがの絵美里も写真までは手に入れることができなかった。
不自然にならない程度に、わたしはゆっくりと三階からの階段を降りた。
すでに中央部分の長机には、何人かの生徒が座っていた。
ただ、一人きりでいる女子生徒は見当たらない。
藤村早紀を見極めるヒントは二つあった。
彼女は髪の長い美人らしい。
わたしのようなショートカットではなく、絵美里みたいになミディアムでもなく、胸とか背中までかかる、はっきりとしたロングヘアーだそうだ。
そしてわかりやすいヒントがもう一つ。
彼女はたった一人きりでいる。
しかし階段を降りている間、そんな女子生徒は見つからなかった。
二階にたどり着き、ひょっとすると藤村早紀はまだ来ていないのかも、と思ったあたりで、入口から一人の女子生徒が現れる。
藤村早紀の身長のことを、わたしは絵美里に聞かなかった。
美人と聞いて、勝手にモデルみたいな高身長をイメージしていた。
実際は、百六十五センチあるわたしよりも、見てわかる程度には小さい。
だけどわたしよりもずっとスタイルがいい。
彼女は、確かに美人だった。
細くつややかな黒髪が肩から胸へと流れるように垂れている。
おそらくあれが藤村早紀だ。
そう、すぐにわかった。
特徴的な黒髪を揺らしながら、周囲にちらりと目も向けずに、図書室に入ってきた。
目の端にそんな彼女の姿をとらえながら、わたしはわざと反応せずにすれ違う。
それから、そっと振り返る。
藤村早紀の後ろ姿は立ち並ぶ本棚の間に消える。
緊張を消すための息をゆっくりと吐きながら、わたしはその背中を追う。
藤村早紀は本棚の前で首をかしげていた。
壁際には二人がけのソファーが置かれている。
間違いないよな、いやわかるわけないな、そう考えながら、わたしはおずおずと声をかける。
「藤村先輩……ですか?」
長い髪をゆらし、彼女はちらりとわたしに目を向ける。
そしてその目は再び本棚に戻る。
そのまま、数秒が過ぎる。
何も返事がない。
どうしていいかわからず、わたしはもう一度声をかけた。
「藤村早紀先輩ですよね?」
「いや違いますけど」
こちらに目も向けず、彼女はそう言った。
わたしは、どうしていいかわからない。
彼女はウソをついている。
そんな確信はあった。
一度無視したのもそうだし、違います、という面倒くさそうな声色でもそれがわかった。
しかしそれ以上、彼女とどう接していいかわからない。
彼女の人となりを何も知らないことに、わたしは気づく。
クラスでも浮いている。
友達があまりいない。
そんな情報を持っていながら、初対面のわたしと平気で話をしてくれる、そう見通しを立ててきたのは、甘かったのかもしれない。
藤村早紀はすでに、こちらがまるで視界に入っていないようだった。
彼女の目は本棚の間でのみ動いている。
そして立っているわたしの背後を、面倒くさそうに体をずらし、すり抜けていく。
話をする気も、気に留める気すらないらしい。
それでわたしは作戦を変えることにする。
ひょっとすると、藤村早紀から嫌われるかもしれない。
その結果、何も教えてもらえなくなるのかも。
そんな危険はあったけれど、それ以外に、藤村早紀と接触する術は思いつかない。
わたしは藤村早紀のいる本棚のそばを後にする。
そして図書室の中央に並ぶ、長机に向かう。
放課後に入って少し時間の経っているそこには、つい先ほどよりも、座る人の人数が増えている。
しんと静まり返っている、というわけではない。
こそこそ話で会話をしている生徒も多い。
しかし静かに本を読んでいる生徒も、グループなのに話もせず勉強をしている生徒もいる。
心の中で彼らに謝りながら、わたしは少し大きめの声で、誰に言うともなく声をかけた。
「藤村早紀さん、いませんか」
その問いかけに、顔を上げたのは一人だけだった。
眼鏡をかけたその女子生徒は、ちらりと周囲を眺め、それからまた、何事もなかったかのように、読んでいた本へと目を戻す。
彼女のいたグループとはまた別の、女子生徒たちの集まりへとわたしは一歩近づき、声をかける。
「藤村早紀さん、知りません?」
三人いた彼女たちは顔を上げたけれど、みんな一緒に、小さく首を横に振るばかり。
わたしはまた、別の方向へと足を踏み出しながら、声を高めに口にする。
「藤村早紀さんを、探してるんですけど」
そのとき、そばに座っていた男子生徒が、きょろきょろと周囲に目を向けながらわたしに言った。
「そのへんにいなかった?」
彼は藤村早紀を知っているらしい。
そう、そのへんにいるのはわかっている。
わたしはおそらく先輩である彼に、頭を下げて小声でいう。
「ありがとうございます」
いざとなれば、彼にはさらなる活躍を願う必要がありそうだ。
そんなことを考えながら、先ほどまで藤村早紀がいた本棚の方向へと目を向ける。
藤村早紀はそこに立っていた。
まっすぐわたしの方へ目を向けながら、開いた手をちょいちょいと動かしている。
どうやら手招きをしているらしい。
作戦勝ちだな、と考えながらわたしは藤村早紀の方へと向かう。
歩いていると、藤村早紀は本棚の影へと姿を消す。
先ほどまでいた本棚の間にわたしが戻ってきたとき、藤村早紀は壁にそって置かれている、二人掛けのソファーへと腰をかけていた。
足を組み、再び手招きをしている。
近寄っていくわたしに、藤村早紀が小声で、鋭く言った。
「うるさい」
まさにおっしゃる通りだったので、わたしは何の返事もできない。
静かな声で藤村早紀が続ける。
「図書室では、静かに。義務教育を終えているのに、そんなのも学ばなかったんだ?」
「いや、あの……すいません」
恐縮しながら、わたしは藤村早紀の顔色をうかがう。
声色も、その表情にも、怒っているような様子はない。
「藤村早紀先輩……で、いいんですよね?」
「何の用?」
うなずきもせず、彼女が答える。
その横柄な様子に、やっぱそうじゃん、とわたしは思う。
うるさいことをする羽目になったのは、あんたのせいだ、怒るなんて理不尽だ、という思いが湧きあがる。
だけどせっかく話をはじめられたのに、その機会をふいにしたくない。
怒りは胸の奥にしまっておく。
「あの、実は……わたし、藤村先輩に、去年の話を聞きたかったんです」
「去年」
表情のないままそう繰り返した後で、不意に眉間にしわがよる。
はあ、とわたしに見せつけるような大きなため息をつく。
「バレンタインデーか」
「ええ、そうです」
軽く髪を撫でつけて、藤村早紀はつぶやくように言った。
「つまんないの」
「え?」
「そんなの、他の人に聞けばいいんだ」
わたしはじっと彼女を見る。
怒っている、という風ではない。
どこか呆れた、という感じ。
「知ってる人は、知ってる。それできみは、その人から聞いた通りのことが起こったのだと思っておけばいい」
すごく持って回ったような言い方。
頭がよさそうな、でもなんだか子どもっぽい、そんな言い草だ。
「あの、でもわたし、当事者から、というか本人から、話を聞きたくて……」
藤村早紀の目が、わたしから離れ、本棚へ向かう。
そして彼女は何も言わない。
絵美里から聞いていた通りの変人かもしれない。
彼女はわたしの名前すらたずねない。
わたしに何かを聞いたのは、わたしの質問にまともに答えようとしなかった、そのときだけ。
なぜ、彼女の話が聞きたいのか。
藤村早紀が問わないその答えを、わたしは自ら口にした。
「実は、わたしも、バレンタインデーにチョコを渡そうと思ってるんです」
そのとき、藤村早紀の目は、再びわたしに戻ってきた。
はじめて、彼女がわたしの存在に興味を示した。
ちょいちょい、と再び彼女は手招きをする。
わたしは藤村早紀のそばによる。
ソファーの空いていたところに腰を下ろそうとするが、藤村早紀は組んでいた足を伸ばしてその邪魔をする。
「誰も座れなんて、言ってないんだ」
わたしは軽く首をすくめ、謝った風を装う。
実際は、なんてへそ曲がりな先輩だと思っている。
そして、すぐ目の前に立ったわたしに向けて、藤村早紀が髪を撫でつけながら言う。
「きみ、その意味がわかってる? それは、いばらの道なんだ。少なくとも、この高校では」
藤村早紀のその問いかけに、わたしはゆっくりとうなずく。
「だけど……わたしには、他に方法がないんです。そうでもしないと、たぶん、わたしの初恋は、うまくいかない」
「でもきみが望むことは、禁止されているんだ。私なんか一度、停学になっている」
「ええ、もちろん知ってます。だから、話を聞きに来たんです」
「大変なことなんだよ」
藤村早紀はじっとわたしを見つめ、そうして言葉を続けた。
「バレンタインデーにチョコを渡すというのは」