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野良人

作者: N(えぬ)

『野良人』という呼び名が出来て久しい。以前は、かなり昔のはなしだがホームレスと呼ばれたのが近い存在だった。けれど、それともやはり少し違うのが野良人だ。正式には『福祉社会制度未登録者』というらしい。すべての人間、ある法律の下、一元的に管理されるようになった。そしてその管理のために10才になると体内に管理用電子チップが埋め込まれた。そのチップには、埋め込まれたその人間のありとあらゆる情報へのアクセス権が内蔵されていて、相手の求めに従って本人自身が許可を出す仕組みになっていた。

 収入も支出も明白。社会保険料をちゃんと支払っているか、そういう数値的な問題は、いつでもすべて当局により把握されていた。もちろん、「今どこにいるか」という位置情報も当局は分かっている。けれど、「位置情報だけは分からない」ということになっていた。暗黙の了解である。

 そんなわけで世の中の犯罪は激減した。恩恵はそれだけではない、人の流れが瞬時に分かるようになったから、経済面でもこのデータは大いに貢献した。

細かいデータが分かれば比べるのも容易い。子供の学業成績であろうが会社の営業成績であろうが、データとしてインプットされたものは、すべて撮りだして見ることができるわけだ。

 人はよく。特に中年の男がよく、

「はぁ。むかしはよかった」と言ったものだが。もうこのシステムが始まって50年近く経つと、今も昔も変わらない当たり前の世界になっていた。

 それでも昔と変わらないのが「自由を求めて止まない人々」である。

「管理社会など、人間の住む場所ではない」

 彼らは、自分の体内への電子チップ埋め込みを拒否し、あるいはあとからチップを取り除いて生活を始め。自由の世界へと飛び込んだ。

 今の世の中では体内にチップがある者しか「人間・住民・市民」などなど、とにかくそういう立場の者として認めないので、持たざる者はサービスを受けるべからずであった。

 公園などにも張り紙があった。

「野良人に食べ物を与えないでください」「公園などで食べ物を振る舞ったり、食べ物を置いて歩くなどの行為は周辺住民に迷惑となります」

 特筆大書でそう書いてある。「野良人には当局がチップの再埋め込み手術を負担しています。またこれ以上、野良人が増えないようボランティアにより去勢手術を施す試みがスタートしています」の説明書きもある。だが、野良だろうが管理下だろうが、人1人を日々養うとなれば、狭い地域では大きな負担になる。それに野良人は不潔で臭い、酒も飲む、喧嘩をするし性行為もする。小さい子供のうちは野良でも可愛がられたが、分別を持つようになると集団で犯罪に手を染めるような者も多く、地域社会の脅威にもなる。

 野良人は捉えられて本人が承諾すれば、分かる範囲で以前のデータが入ったチップを再度埋め込んだりできたし、極小さな子供のうちなら本人の記憶もあいまいなので、中身がまっさらの「ホワイトチップ」を埋め込み、子供が欲しいという人の元へ斡旋なども行われた。

 そんな「正しい・まっとうな」社会に沿った人々のほかに、野良人を安い労働力として雇う裏社会もあった。裏社会と言っても、やばい仕事ばかりやっているわけでも無く、ふつうの会社が当たり前のように野良人を雇っていたし、「一般市民」と混ざって働いている職場も珍しくなかった。

「大人」の野良人運動家は、日々周囲の人々へ啓蒙活動を行っていた。「自由を勝ち取ろう」と説いた。けれどそう多くの賛同は得られなかった。「国のルールにも、地域社会のルールにも、ふつうに生活していれば、そうそう抵触するものでは無い。だったら、チップを体に入れていても大した問題ではないのでは?」という素朴な疑問が、運動を啓蒙している方の話で逆に浮き彫りになってしまうようなところがあった。


「自由への渇望」の火は、すっかり「下火安定」の勢力になっていた。いかに自由が大切であったとしても、人はそのために日々を過ごしているわけではない。一定の束縛があってこその自由なのだから、現状これほどまでに平和になった世の中を捨てなくてもよいのではないかという思いが人々の心中に確固たる場所を築いていた。「少々疑問のある束縛と交換で病気や経済的要因などの生きていく難しさを緩和してくれるシステム」の方が「ありがたい」というわけだ。そう。人に埋め込まれた体内チップは、その人物の行動分析を行い定期的に「やんわり」アドバイスを行う。「お金の使いすぎです」「食べ過ぎです」「睡眠不足です」。それらの警告は、過去のデータのグラフ化などと共に示され、揺るぎなく正しいものであるから、反論のしようがなかったのであるし、逆にソレを示せば仕事先の上司相手に「そろそろ休暇をいただこうと思います」堂々と言えた。

 また、この野良人というのは、人によっては人気があった。「アウトロー、ワイルド」的な感じを醸し出せた。特に、「大学生のころ、野良人で」とか「10代の終わりから20代半ばまで野良で全国歩いて旅しました」なんていうと、ちょっとグッとくるものを感じさせる、ちょっとした冒険談だった。

 だがいつまでも同じく穏便に統制が取れていくのは、やはりどんな社会でも終わりがあるのかもしれない。一見平和でありながら、どこかに少しずつ緩慢なストレスが掛かり続けていて、それによって起こるわずかなひび割れに、水が染みこみ砂が詰まり、内部を脆く腐らせていっているのだ。

 ある日、それがいつからだったか定かで無いけれど、人体内のチップを介して集めたデータを解析して送られてくる、健康などに関するアドバイスに対して、

「コレって、ものすごく鬱陶しくない?」という、実に簡素な感想が民衆の中で膨れ上がった。それは小さかったうねりが次第に重なり集まって大海のど真ん中で数百メートルもの巨大なうねりに集積されたような出来事だった。

「酒飲んで、何が悪いんだ?」と自由飲酒党が結党された。

「世の中で起きた出来事をすべて見て何が悪い?」と全画像解放同盟が設立された。

 その他にも、今まで折に触れてシステムにより抑圧されていたものが、一挙に爆発したのだった。これにより多数の団体が立ち上がっては消え、立ち上がっては消えを繰り返した。

 人体内の埋め込みチップによる民衆の統制は、その恩恵を理解しながらも、最終的に人間自身がそれを否定することでシステム内部から崩壊した。

 こうなっても、人の自由を訴える者はまだいたし、逆に、もう一度、人体内蔵チップのシステムに参加しようという呼びかけを行う団体もあった。



「博士の予想した結果に、ほぼ近い状態になったようですね。さすがです」

 政府の人間が博士に勧められた紅茶を一口飲んだ。

「ううん。いや……」

「博士には何か、不満な点でも?予測したとおりに世間が動けば、我々にとっては好都合なのですが」

 老齢に見える博士は、まだ働き盛りの男に何も答えなかった。博士は、彼に今自分が思ったことを言うのは、酷く悪い気がした。

 牛に焼き印を押していたのと同じ。管理したいものに見分けるためのタグを付けるなんて今に始まったことではない。誰でも思いつくこと。そして、人間がそれを撥ね付けるのも分かっていたこと。むしろ50年もの間、よく持った。結局人間は、宇宙から見れば短い生涯の中で同じこをを繰り返しているに過ぎないようだった。けれど、同じことであっても、それを実行するための技術は向上していくようだと博士は考えていた。

 これらの出来事がこれからも無限に繰り返されるうち、その技術は発達するのだろう。発達し続ければ、それはいつか人がテレパシーを使う切っ掛けになるのかも知れない。博士はそういう未来に思いを馳せて、落ち込んでいた気を少し取り直した。

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