2ー9 日常の残滓
剣術の稽古を終えて部屋に戻る。
しかしリビングには誰もいない。ただ、風呂場の方からシャワーの音が聞こえてくる。それに気付いた俺は更衣室へと足を運んだ。
「クラウディア、今日の夕食だけど――」
風呂場の扉を開けた俺は硬直した。
そこでシャワーを浴びているのが金髪の女の子――俺の妹だったからだ。
驚いているのはティリアも同じで目を見張っている。彼女はそれから困ったように視線を彷徨わせると、なにかを察したような顔で俺を見た。
「クラウディアさんなら、ちょっと席を外してるよ?」
俺は無言で扉を閉めた。
俺がリビングで頭を抱えているとクラウディアが戻ってきた。
「ただいま……って、どうしたの?」
「シャワーの音がしたから扉を開けたらティリアがいた」
「あ~その、えっと……ごめんね?」
「いや、謝るのは俺の方だが……どこ行ってたんだ?」
「フォルに、ティリアちゃんの分も夕食をお願いしに行ってたんだよ」
「あぁ……なるほど」
どうやら、完全にタイミングが悪かったらしい。
「ずいぶんと気にしてるようだけど、ティリアちゃん怒ってたの?」
「いや、そういう訳じゃないんだが……」
クラウディアは気付いていないらしい。
なら、わざわざ気付かせる必要もないかと、喉元までで掛かった指摘を飲み込んだ。
だけど――
ほどなくして、風呂上がりのティリアが制服を着て戻ってきたのだが、俺を見るなり「お兄ちゃんのえっちぃ~」とからかってくる。
俺は無言で目を逸らすが、クラウディアがその罠に飛び込んでしまった。
「ごめんね、ティリアちゃん。ノア様は、ティリアちゃんがいることを知らなかったんだよ」
「うん、分かってるよ。だからエッチって、言ってるんだよ?」
「え? あ――っ。~~~っ」
俺が日常的に、シャワーを浴びるクラウディアのもとを尋ねている。それをティリアに気付かれたのだとようやく気付いたクラウディアは真っ赤になって身悶えた。
俺は溜め息をつき、ソファに腰掛けたティリアに視線を向ける。
「んで、ティリア、また遊びに来たのか?」
「またって、遊びに来たのは今日が初めてだよ。あと、遊び相手はノアお兄ちゃんじゃなくて、クラウディアお義姉ちゃんだからね?」
俺はティリアを無視してクラウディアに視線を向けた。
「クラウディア、邪魔だったら追い出していいからな」
「え? あぁ、うん、大丈夫だよ」
「ふふん」
クラウディアを味方に付けたティリアが勝ち誇る。俺の家族とクラウディアの仲が良いのは歓迎すべきことなんだが、なんだろう……無性に、ティリアに対抗したくなる。
「クラウディア、そんなヤツほっといて、俺と――」
「いまから一緒にシャワーを浴びるの?」
「浴びるかっ!」
ティリアのボケに思わず突っ込んでしまった。
でもって、クラウディアがなにやら動揺している。
「あ、あのね、ティリアちゃん。前から思ってたんだけど……その、私とノア様は、そんなに爛れた関係じゃない、よ? シャワー中も、ちょっと話しかけられたりするだけで……」
「お義姉ちゃん、嘘を吐くならせめて部屋の換気はちゃんとした方がいいよ」
「えっ、嘘!?」
「うん、嘘だけどね」
うわぁ……見事に罠にはまったな。
クラウディアは再びローテーブルに突っ伏する。自爆して赤くなった顔を隠しているんだろう。しばらくは起き上がれそうにない。
「ティリア、あんまりクラウディアを虐めるなよ?」
「だって、慌てるお義姉ちゃんが可愛いんだもの」
「気持ちは分かるが自重しろ」
「……気持ち、分かっちゃうんだ?」
ローテーブルに突っ伏しているクラウディアが、拗ねるような目で俺を見上げていた。
こんなに可愛く拗ねておきながら、自覚がないって怖い。
とまぁ、そんな他愛もないやりとりをしているとクリフォード王子の使いがやってきた。中庭で模擬戦をやっているので、俺にも参加して欲しい、とのことだ。
中庭に向かう俺の後を、クラウディアとティリアがついてくる。
そうしてたどり着いた中庭では、騎士達が模擬戦をおこなっていた。
俺に気付いたクリフォード王子が声を上げる。
「急に呼び出して悪かったね。……おや、ティリアもいるんだね」
「お邪魔しております。クリフォード王子」
ティリアが綺麗なカーテシーをする。
二人は同学年だ。クリフォード王子のようすから仲が良いのかと思ったが、ティリアの返しを見るにそう言う訳ではないらしい。
――と、俺の視線に気付いたクリフォード王子が苦笑いを浮かべた。
「実は以前、護衛騎士になってくれないかと誘ったんだが断られたんだ」
「お兄ちゃんと派閥が異なると困るので」
「……それが理由? いまのノアは僕の仲間だけど」
「お誘いいただけるのなら喜んで」
「では誘おう」
「よろしくお願いします」
……かっる。
物凄く軽い調子でティリアが仲間になった。
――で。
クリフォード王子の仲間達に実力を証明するため、俺とティリアが戦うことになった。中庭の真ん中で、殺さずの魔剣を持った俺とティリアが向き合う。
「ノアお兄ちゃんが相手でも容赦はしないよ」
「それはこっちのセリフだ」
正確には、容赦できない――が正解だ。
ティリアをたとえるなら華奢な女の子である。
歳は俺より一つ下。青い瞳には強い意志を秘めているが、金髪ツインテールの艶やかな髪を揺らす姿はごくごく普通のご令嬢で、決して剣を握るような女の子には見えない。
――そう、見えないのだ。
これが本当に厄介だ。見た目は普通の女の子にしか見えないのに――
「お兄ちゃん、行くよ――っ!」
刹那、ティリアは開始位置から動かずに殺さずの魔剣を振りかぶる。
当然、俺の間合いには入っていない――が、俺はとっさにその場を飛び退いた。直後、ティリアの振り下ろした殺さずの魔剣が地面を打つ。
一瞬の静寂。
地面が窪み、衝撃波が襲いかかってきた。
「あいっかわらずの馬鹿力だなっ!」
衝撃波に逆らわずに跳び下がる。そこにティリアが突っ込んできた。
「誰が馬鹿力だよっ!」
衝撃波に身を任せて跳び下がった。そんな俺に追いついてくる。その踏み込み一つ取ってもそうだし、横薙ぎに放ってくる一撃だってとんでもなく重い。
これを馬鹿力と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
とはいえ――ティリアは決して脳筋ではない。
ティリアの一撃を受け流し、反撃を仕掛けようと踏み出す。その出足を払われた。出足の支えを失った俺は軸足で地面を蹴って前回り受け身を取って、そのまま背後に剣を振るう。
膝をついたまま、背後に振るった俺の剣はティリアの首筋に添えられている。
だが同時に――ティリアの剣は俺の首筋に突きつけられていた。