堅物な少年と奥ゆかしい少女の場合
伏線ばら撒き回です。
「……何故……こんな事に……」
「……」
燃え盛る町の、建物の中。木刀を持った中高生程の少年と少女。
少女は虚ろな顔で現状への疑問を口に出し、少年は気絶しているのか、少女の膝の上で何も言わない。
彼らが何故こんな事になったのか。幾らか時を遡って見ていこう。
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午前三時、夏とは言え、まだまだ陽の昇らない時間。とある道場にて、少年が木刀の素振りを行っており、その様子を、凄まじい覇気の老人が見守っていた。
少年の名は荒霊修司。剣道部所属の中学二年生である。
もっとも、修司の腕前は中学生の領域を完全に超えており、もはや世界レベルである。少なくとも、部員でありながら、入部当初から指導に回る程だと言えばわかるだろうか。
彼がこうなったのは、幼い頃より望んで師に教えを乞うていたからなのもあるだろう。
それが先程の覇気の強い老人、修司の曾祖父にして彼の師匠、荒霊厳十郎(御年百七歳)である。
厳十郎は、かの戦争において無類の強さを発揮し、幾多の戦場を無傷で渡り歩いたという、言わば生ける伝説である。
その強さは“鬼神”などと謳われ、あと二、三人程彼の様な人間がいれば、歴史はより良くなっていたと言われる程である。
終戦後、戦場にて研鑽を重ねたその剣技を伝えるべく、自らの技術に“荒霊流”と名を付け、道場を開いた。
それを聞き付けた政府は、荒霊流道場そのものを特殊警備部隊として、厳十郎の快諾もあり認定した。
それもあってか、門下生は彼の息子、孫の代に至るまで増え続け、今では三百を超えている。
その中でもっとも幼い頃より鍛えられてきた修司は、本人の弛まぬ努力もあり、門下生最強、また最も厳十郎に近いと噂される。
早い時間に修司が素振りしているのは日課であり、厳十郎がいるのはたまたまである。
「……呼吸を乱すでないぞ、修司。如何なる状況にあろうとも、自然体である事を心掛けよ」
「押忍」
細かい部分にも指導を入れる厳十郎。荒霊流の基礎は全て『自然』に集約されている。あらゆる盤面において、ただ自然体であれと教えているのだ。
ここで言う自然とは、呼吸や瞬きの様な、日常の何気ない、無意識に行われる様な動作の事。荒霊流は、呼吸も、動きも、日常と同じ様に剣を振るうことを到達点としている。
この原理によって、厳十郎は自らが傷を負う前に、敵を斬り払ってきた。
ただ、曾孫たる修司すらもその原理をいまいち理解できていない。故にこそ、いつか曾祖父と同じ高みに辿り着く為に、修司は剣を振るうのだ。
木刀を振り続けてしばらく。修司はその手を止めた。
「……」
「満足はいったか」
「はい。師範、御付き合い頂きありがとうございました」
「よい、励む者を見れば、儂もまた励めると言うものよ」
一線を退いてなおも衰えぬ鍛え上げられた肉体、研鑽を重ね続ける故の技の冴え、そして年老いた事による精神力の飛躍的な向上。心・技・体揃って人類最高峰にある厳十郎の元気の源は、若者の努力する姿だという。
そしてそれを糧に更に強くなっていくという、成長の底が見えないハイスペック爺さんである。
そんな彼だが、取っ付き難いと思わせて凄く親しみのある爺さんだ。
快活に笑い、非道を許さず、そして楽しむ事はとことん楽しむ、優しく厳しい師範。
門下生を引き連れてよくキャンプに行くことも知られ、そこでも戦場で培ったサバイバル術なんかを教えている。
普段はニコニコ、稽古では歴戦の達人と、非常にギャップがある爺様である。
そんな曾祖父に育てられてきた修司も、規律を重んじつつ、あらゆる事に手を抜かない性格だ。父親譲りで頭がかなり固いのが難点ではあるが。
そんな二人がいる道場だが、もう一人いる。
「お疲れ様でした、修司さん。早めの朝食におにぎりをお持ちしましたが、お召し上がりになりますか? 師範の分もありますよ?」
そう言って二人におにぎりを差し出したのは、花柄の和服を着た可憐な少女。
「おお、美味そうな握り飯だな。ありがとな、信乃ちゃん」
「助かる、信乃。いつもありがとう」
「いえ、お二人の為ならこの位わけもありません。荒霊に嫁ぐ者として、当たり前の事です」
名を和魂信乃。荒霊家と古くから交流のある和魂家の一人娘にして、荒霊流門下生。修司のいる剣道部の部員。
彼女もまた、門下生の中で修司と並ぶ異常な腕前を持つ少女であり。
修司の許嫁でもある。
何故かは分からないが、三代に一度、両家は婚姻を結ぶという風習があり、今回は修司と信乃だった。
両家の関係が何時からあるのかは書物が消えており不明。口で伝えられている限りでは、少なくとも鎌倉からある縁であり、風習もその時からあるそうだ。
同い年の二人は、最初は何かと競い合う様な間柄だったが、成長するにつれてお互いに恋心を自覚、ある幼なじみの後押しもあり、現在は実際に付き合っている。中学どころか、巷でも有名な亭主関白な夫婦であるという、漫画の様な恋人達である。
「……安泰じゃのう」
仲睦まじい二人を見て、ぽつりと零す厳十郎。それは二人の耳に届いた。恥ずかしがる二人が何かを言う前に、
道場を、白い閃光が包んだ。
爆発が起こったわけでもなく、ただ光ったというあまりの異常事態。三人がそちらに気を取られるのも無理は無い。
「……妙な光だったな」
「はい。修司さん、師範」
「うむ。二人とも、警戒を怠るでないぞ」
「「押忍」」
臨戦態勢へと移行する三人。それぞれ木刀を持ち、道場から飛び出した。
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未だ朝日が昇りきらない街に蠢く人型。ある一点の座標から湧き出ているらしい。それも、優に三桁は超える数である。
「……師範、あれは?」
「……いや、儂には分からぬ。只人より長く生きてきたが、斯様な物は見た事はない」
「人が溶けた様な……ごめんなさい。少し、気分が悪くなってきました」
「無理はない。拙にもあれは堪える……確か、ああいうのをゾンビと言うのだったか」
信乃や修司の感想ももっともである。爛れた肌に合わない焦点、そんな人型を見て、不気味に思わない人がいるだろうか。
「……ここ、集合住宅がありませんでしたか?」
「そうだ、あの人型に気を取られている場合では無かっ──」
何者かが、厳十郎の言葉を遮り猛スピードで突っ込んできた。
飛来する影に対し、木刀を正眼に構える厳十郎。影はどうやら蹴りを繰り出してきたらしい。足裏を木刀で受け止め、勢いを上に逸らす。
そのまま上段から木刀を振り下ろすが、影は木刀を足場にして後ろへ向かって一回転しつつ跳ぶ。
着地した人影は、自らを追いかけてくる修司と信乃に気づく。修司は跳躍し、木刀を振り下ろす。信乃は少し遅れて鳩尾への突きを繰り出す。人影は両方、それぞれ片腕で受け止めようとする。
が、修司の真向の威力は片腕では相殺しきれず、思わず両手を使ってしまう人影。疎かになった鳩尾に信乃の突きをモロに食らい、吹っ飛んで行った。
この間、わずか一秒。
「……下手人の顔は見えたか?」
「申し訳ございません。陽は昇って来ましたが、まだ周りが暗く……気をつけてください、手応えがありませんでした」
「恐らく、後ろへ飛んだのだろうな。信乃の突きの威力を抑えたはずだ」
「実戦に慣れている……動きが彼みたいだな。主に脳筋だと言うところが」
「彼なら受け止められておしまいです。まだ良い方向に転んでいるでしょう」
冷静に分析する三人。やがて、影の飛んで行った方向から声が聞こえてきた。
「父さん、話と違うじゃないか。もう実験体達がここに来てるんだけど…………ん? 木刀持った三人組だけど……いや、それ先に言ってよ。思いっきり蹴りかかっちゃったじゃん……それで? 僕はどうすればいいの? …………了解」
スタスタと歩いてくるのは、修司や信乃と同じくらいの背丈の少年。声からして、歳も近いだろう。
驚くべきは、逸らされたかもしれないとは言え鳩尾に突きを食らったはずなのに、全くピンピンしているということである。
朝日がビルの影から姿を見せる。照らされた少年は銀髪に銀色の目と、この街では随分目立つ容姿だが、同時に、入院患者の様な白い服を着ているのも異質さを感じさせる。
右耳に手を当てて誰かと話しているようだったが、耳から手を離して三人へ、正確には厳十郎へと話しかけた。
「あ〜、えっと、はじめまして、荒霊厳十郎さん。父さんの要請で、お迎えにあがりました」
「……師範、彼とは何処かで?」
「……」
「師範?」
信乃の問いかけに、何も答えない厳十郎。代わりにか、少年の方へ話しかける。
「もう、時がきたのか」
「はい。もうそんな時間です」
「…………そうか。早いものだな…………修司」
「はい」
「すまぬ」
謎の少年を警戒する修司にそう言うや否や、厳十郎は音もなく近寄り、木刀によって気絶させる。何が起きたかも分からないまま、修司は意識を手放し、その場に倒れ込む。
木刀だけは離さないあたり、流石と言わざるを得ないだろう。
「修司さん!? 師範、一体何を──」
「信乃」
少年の方へと歩いていく厳十郎は振り返る。その顔を見て、信乃は言葉に詰まる。
「…………すまない。修司を、よろしく頼む」
「師範! 言っている意味が「あ〜、のさ」
問い詰めようとする信乃に、今度は少年が割り込む。
「色々聞きたいことはあるだろうけど、とりあえず逃げた方がいいよ? ここ、そろそろ爆発させるし、ソイツ連れてとっとと行きなよ。また会えるだろうし」
厳十郎は何も言わない。背中を向けたまま、こちらを見ようともしない。
「…………次に会った時、全て話してくださいよ」
とりあえずは師範と少年の言う事を信じ、修司をおぶって引き返した。最善をとるための行動である。
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そしてしばらくの間修司をおぶって走った。朝日が昇りきった時、聞こえたのは大きな爆発音。振り向きたい気持ちを押さえつけ、道場まで戻っていく。
(……あの少年の言う事を信じて良かったみたいですね……しかし)
信乃には気になる点が大きく三つあった。
(師範が修司さんを気絶させたのは一体……距離的には、私の方が狙いやすいはず……)
そう、位置的に信乃が近いはずだったのに、わざわざ修司を近づいてまで気絶させたのだ。
ただどちらかを背負わせて逃がすだけなら、力のある修司に信乃を運ばせた方がより遠くへ行けるのだから、そういう面でも不思議なのだ。
(そして、あの少年。身体能力が並ではなかった。彼と同等の瞬発力は……そうは出せないはず)
次に少年の事。彼の飛び蹴りの速度は、もしかすると音速に近かったかもしれない。現に、風を切る音が少し遅れていたのだ。厳十郎が知っている風な様子だったのもおかしな話である。
(…………いいえ、何より。何故あの辺りを爆破する必要があったのでしょうか。あの人型が邪魔だった?)
最後に人型ごとあの地帯を吹き飛ばした事。生存者がいる可能性も考慮せずに吹き飛ばした。人型が邪魔だったと考えられはするが、それはそれで人型達の存在が謎となる。
少年が同座標に現れた事、少年に指示を出す誰かがいた事を考えれば、少年と人型は何かしらの関係があってもいいはずである。
仮に、仲間や配下の様なものであるとするならば、あの威力の爆発では人型は流石に木っ端微塵になっているはずであり、あちらにとっても損となる。
(……全て憶測に過ぎません……何も分からない……)
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道場の中。火の手が先程の爆発現場から広がってきたのが見えてきた時、修司はようやく目を覚ました。
「! 修司さん……良かった」
「……心配をかけた。現状は?」
目を覚ました途端、そう声をかける修司。信乃はあの後に起こった事、信乃自身が疑問に思う事を全て粛々と話した。
余談だが、彼らが亭主関白だとからかわれるのはこの様なやり取りが主だからである。他人の入る余地が無いほどに少ない口数で完璧なコミュニケーションがとれるからだろう。
「…………爺様は、意味の無いことはしない」
「……」
「信乃が気づいたことも、何か意味があるだろう。それより今は」
「これからどうするか、ですね」
「うむ。この家には幸い我々しかいない。稽古のためと師範が、修行のため拙と信乃が残り、我々の家族は旅行……」
「そういう意味では、私達は幸運ですね」
「師範が敵に回らなければ、な」
修司も、厳十郎の行動は気がかりだ。尊敬する曾祖父が敵に回るなど考えたくはないが、状況的にありえない想定ではない。
家族だからという面でも、稽古でも未だ一本も取れたことが無いという面でも、最大の脅威となりうる。
「…………とにかく、食糧や水など、必要な物を持って脱出経路をいくつか確保しよう」
「その後に、師範を捜す」
「うむ。さて、早速準備を進めよう」
こうしてまた二人、燃え盛る街に繰り出す者が現れた。
彼らの行く末は……まだ、わからない。
爺さんキャラが強いのは世の常。異論は認める。