【4話】恐慌
彼は何をした?
わからない。
藤宮さんは?
そこの床に落ちている肉の塊がそうだ。
上層部は今回の編成で十分戦力と言っていたが実際は?
どうあがいても勝てる見込みなんて最初からなかった。
自分の呼吸音がやけにうるさい。
ヒューヒューと浅い呼吸音が聞こえいくら唾を飲み込もうとしても喉が引き攣るだけだ。
心臓や呼吸の音が自分から発せられている実感がない。
手汗がジワジワと滲んでいるとか膝が笑っているだとか、どこか他人行儀な事ばかり考えている。
絶対的な危機に直面して脳がフリーズしている。
「ねぇ、逃げないの?鬼はまだ僕のままだよ。」
その言葉を聞いた瞬間彼と真逆の方向へ転がるようにして走る。
脚はもつれて何度も転び手足を何度も柱や壁にぶつけながらひたすら走る。
逃げる。
どこへ?
とにかく身を隠したい。
見つかった瞬間殺されるのはわかっている。
それでも隠れるという原始的な防衛行動を今すぐとらないと頭がどうにかなってしまいそうだった。
どこをどう走ったかは全く覚えていないが僕は資材置き場のような小部屋を見つけそこへ入り込むとガキをかける。
部屋の一番奥に入り込むと頭を抱えパニックになりながらも先ほど見た光景を考える。
なんでだ!あんなの資料になかった!
藤宮さんが一瞬で肉の塊になった。それに確実に閉じ込めたはずなのに箱の外に出た。
箱は壊れてなかったのに。
あの能力は何だ?
財団は情報を隠していた?
いやそんなはずはない。そもそもそんなことしたって何のメリットにもなりやしない。
じゃあ、彼が力を隠してたのか?
それも意味がない。
じゃあなんだっていうんだ。
あんな滅茶苦茶な力財団の監視中に見つからないわけがない。
「そろそろいいかな?もう、いいよね。」
声にハッとする。
ようやく落ち着いてきた心臓の鼓動がまた激しくなりヒッヒッと引き攣るような呼吸を必死でこらえる。
「おとなしく出てきなよ。隠れたって無駄なんだから。」
彼にバレているのはわかりきっているがそこでノコノコと出て行く勇気もない。
ひたすら沈黙し口を押え扉からなるべく距離を置く。
「出てこないならこちらから行くよ。話をしようよ。」
扉の外から彼の足音が聞こえ扉の前で止まる。
そして、カチャカチャと扉の外で音が聞こえるとかけておいたはずのカギがカチリと回りロックが解除された。
そして、ゆっくりと扉が開き彼が入ってくる。
「どうしたのそんなに怯えて。扉を壊して入ってくると思った?そんな乱暴なことしないよ。
君と話したいだけさ。」
見ると彼の手にはカギが握られている。
わざわざ僕を怯えさせるためにカギを探して更にそれを使って入ってくる。
なんて悪趣味な。どこまで嫌な性格をしているのか。
僕が握られているカギを見て恐怖と驚愕を含んだ視線を向けると彼が口を開く。
「これ?僕の力で創ったんだ。僕が思い描くものは何でも作れるよ。多少制限はあるけどね。
懐かしいなぁ、姫様の私室に逢引に行くときもこうやってカギを開けてこっそり入ったっけ。」
「つ、創った?そんな能力、資料には…」
「なんで全部教えなきゃいけないの?
人のプライバシーを覗くのはマナー違反だと小学校で習わなかったかい?
でも、安心してよ。今まで隠していたのはこの能力だけだ。あとは資料通り。
もう隠しておかなくてもよくなったしね。これまでは色々と能力が足りなかったから自由に動き回ることが出来なかったけど、これから僕は自由だ。」
「そ、そんなはずない。今までだって封じ込めに成功してたじゃないか!
今回だって二種以上の火得が出てくればお前だってただじゃすまない。必ず再収容されるはずだ!」
「うん。今まではそれで良かったかもしれないけどもう無理だよ。
僕が自由を手にするための能力も戻って来たしね。」
そう言って彼が僕の前に一瞬で瞬間移動し、現れる。
先程の藤宮さんの姿がフラッシュバックし反射的に身を竦めるが彼の手は迫ってこない。
「ほら、これ凄いだろ。ついこの間手元に戻ってきたこの力でどこへでも行けるんだ。
さっきもまたもう一つ返してもらったしね。」
まるで新しいおもちゃを自慢する子供のように無邪気に笑いながら僕に話しかける。
「そ、それだってそうだ。瞬間移動が出来るなんて資料には書いてなかったはずだ。
いったいどうして…。」
「君たちは僕にとってただの苗床だってことだよ。
能力を没収されちゃったんだ。だから能力のきっかけを君たちに与えて力が成長しきったら
僕が刈り取る。ギブアンドテイクだ。」
「どういう意味だよ!?訳が分からないこと言うな…!能力が戻ってきたってなんだよ…」
「察しが悪いね。キミ。それとも怖くて頭が回らない?
わかりやすく言うと僕が君たちに能力を与えてそれが育ったら殺して刈り取るって事。
君達みたいな劣った存在に僕の力の片鱗を育てる名誉を与えてあげたんだ。感謝してくれよ?」
こいつは僕たちにたいしてなんの感慨も抱いていない。
精々その辺の雑草や家畜がいいところだ。
自分達と変わらない外見をしながら自分自身は格が違うとでも言いたげな振る舞いに腹が立つ。
先程まで恐怖に支配され霞のかかっていた脳が少しづつ動き始める。
「お前何様なんだよ…!?神にでもなったつもりか…!?」
「神様は別にいるよ。僕じゃない。ただ、君たちと僕との間には
それ程の差があるから覚えておいてね。」
「ふざけるな!僕はお前には利用されない。
面白半分で藤宮さんを殺したお前にも腹が立つしその余裕ぶった態度も気に入らない。」
「面白半分では殺してないよ。育ったから収穫した。それだけ。
それで、どうするの?唯一の抵抗手段の、僕があげた能力も見たところたいして育ってない。
今の君じゃどうにもならないと思うけど。その力僕の中では割とお気に入りだったんだけど。」
恐怖で動けなくし、高みからあざ笑う。人の神経を逆撫でし、向けられる憎悪を楽しんでいる。
なまじ人間に姿が似ているから勘違いしていた。
こいつは異常だ。僕らとは相いれない。
僕をイラつかせ人間に害をなす存在でしかない。
たった今理解した。こいつは僕が思う絶対悪だ。
他の誰が何と言おうと今すぐこいつを目の前から消し去りたい。
自分の中で答えが出た瞬間に脳が沸騰する。既に怒りで恐怖は消えていた。
こいつには何をしてもいい。何も考えなくていい。
頭の中が白く染まってリミッターがなくなっていく。
一度思い込むとどんどんと膨れ上がる感情は昔からだ。
小さな怒りが見る見るうちに増幅されていく。
こいつは何をされても文句は言えない存在なんだ。