【12話】骨
算段が付くと希望に縋るように脳がまた動き出す。
この企みはいつ終わるとも知れないこの痛みの牢獄から抜け出す希望だ。
これを逃せば僕はもしかしたら心が折れてしまうかもしれない。
折れるわけにはいかない。それでも、僕の心が折れない保証は無かった。
それほどに苛烈で痛烈で激甚な苦痛だった。
それも当然だ。
普通の人間であれば2、3回体験すれば死んでいる痛みを不自然な形で治癒し無理矢理
何十人分も僕一人の体に押し込めているのだから。
それでも僕は折れるわけにはいかない。
悠は別に恋人や家族っていうわけじゃない。かけがえのない存在かはわからない。
それでも、毎日下らない話をしたり、悠のろくでもない揶揄いに困る事もあるけど
財団で生きるしかない僕にとっては唯一と言っていい心の拠り所だった。
それが目の前で壊されようとしている。
それが僕次第だというのであれば黙って壊されるのは見ていることは出来ない。
僕が諦めたら悠が死ぬ。それは僕が殺した事になってしまう。
理屈で考えたら悪いのは殺した奴だろうが必ずそうそう後悔する日が来る。
その日が来た時僕はきっとその後悔にのみ込まれる。
英雄は救いたいから救う。でも僕はそうじゃない。
人の為に頑張ることが出来ないのは不純かもしれないけど残念ながら
今の僕は人を助けられる程強くない。
だから僕の為に僕は悠を助ける。壊されたくない。後悔したくない。
色々理屈をこね回したけど結局僕は僕の為に縁さんに立ち向かうんだ。
ただ、今はそれで十分だ。
絶対に成功させる。
一度で必ず勝負を決める。
僕は数十回目の致命打から碌に抵抗らしい抵抗もしていなかった。
おかげで縁さんは能力を使う事をせず主に僕の胴体への打撃を繰り返すようになっていた。
僕に対して大きなダメージを与えられるからだ。
彼女に気づかれないように膝の関節を嵌める。
その間も相変わらず僕への攻撃は止まないが、幸い脚部への攻撃はほとんど無い。
せっかく治した足を壊されてしまってはまた初めからやり直しだ。
もうそれほど治癒のための体力も残っていない。
僕は両足が動かせるようになったことを感じ取ると縁さんの打撃の合間を縫ってその場から転がるようにして逃げ出す。
「まだ動けるなんて驚きね。そうやってしぶとく逃げ回ったから今も生きていられるのね。」
「そうですね。僕はあの時みっともなく逃げ回ってました。目の前で藤宮さんが殺されるのを見て
怖くなって逃げました。でも死ぬよりましです。僕は死にたくなかった。
生への執着がここまであったから僕は今日ここに立っていると思うんです。」
「貴方が意地汚く逃げ出していなければ圭吾さんは死んでなかったのよ!
あなたがその力ですぐ治してれば私は今もあの人と一緒に居られたのに!」
「無駄ですよ。あの時藤宮さんは即死でした。人間から一瞬にしてただの肉の塊になったんです。
治そうとするだけ無駄ですよ。だから僕は自分の命を優先した。」
罪悪感がチクリと胸に刺さるが僕はあえて縁さんを煽るような言葉を選ぶ。
僕から攻めて行っても動きを読まれて終わりだ。
狙うならカウンター。
僕の骨を鋭く伸ばして彼女に突き刺す。
絵面から言えばかっこよくはない。でも、これは僕が激痛の中で見つけた唯一の希望だった。
僕の事を格闘しか出来ないと思い込んでいる縁さんに対抗できる唯一と言っていい切り札だ。
この策が気付かれていない今、このチャンスを生かして予想の範囲外から一瞬でリーチを詰める。
僕は縁さんの思考がなるべく単純化するように彼女を煽っていく。
「八つ当たりもいい加減にしてくださいよ。あなたの嘘の感情に振り回されるのはもうごめんだ。
その怒りだって性格だって全部勇者から与えられたものじゃないですか。
藤宮さんが好きだという感情だって勇者に弄り回された二人の人格がたまたま合致しただけなんですよ。藤宮さんはあなたにとって単なる自己嫌悪の受け皿でしかないんですよ!」
そこまで一気に捲し立てると縁さんの雰囲気ががらりと変わった。
先程まで感情を僕にぶつけるだけだったのが急に押し黙り何も言わなくなる。
手に持ったバールに力が入っているのが僕の目からも明らかだ。
「もう終わりにしましょう。僕は悠を助ける。」
「そうね終わりにしましょう。あなたは絶対に殺すわ。それであの子も殺したら私も死ぬわ。
あの人がいない世界なんて意味無いもの。こんな事になったのは私のせい。全部壊したい。
壊す。壊す。私もあなたもあの子もこの世界も全部全部。
----あの日から私は壊すことしか考えられないの。」
………縁さんの発言に違和感を感じた。
勇者に植え付けられた性格は内罰思考じゃなかったのだろうか。
財団の資料に詳しい性格の内容は書かれない。
今の僕にはそこを推し量ることは出来ない。そんな事をゆっくり考えている猶予もなかった。
縁さんがふらりと構えを直す。
そして、力を溜める様に体制を屈めるとそこから一直線に突っ込んでくる。
「壊れろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
僕は叫びながら真っ直ぐこちらに飛び込んでくる縁さんに合わせる形で上半身を右に捻り
右の拳を腰溜めに構える。
これは攻撃の威力を少しでも上げる為と直前までなるべく手の内が曝されないように隠しておく狙いがあった。
縁さんが目の前に到達するまでの短い一瞬の中で僕は強く、鮮明にイメージする。
硬く、長く、太く、鋭く、速く。濃密なイメージを思い描く。
自分の骨芽細胞を爆発的な速さで分裂させるイメージで骨の槍を一瞬の内に生成しなければならない。
大丈夫だ、この前の勇者との戦闘を切っ掛けに僕の能力の発動スピードは格段に伸びている。
今の僕なら出来る!
縁さんが自らの獲物の届かないギリギリの位置に到達する。
僕はこの瞬間の為に強く圧縮したイメージを爆発させた。
「僕は!!!僕の為に悠を助けるんだっ!!!!」
固く握り込んだ右拳を渾身の力で突き出したと同時に
皮膚を突き破って生成された鋭い槍が凄まじい速さで伸びていく。
その鋭利な切先は既に上段に大きく振りかぶっていた縁さんの腹部を深々と貫いた。
「がはっ…!!!何よ…それ…!?」
縁さんの目は痛みと驚愕に大きく見開かれている。
僕はダメ押しで更に槍に鋸刃のような返しを作ると強引に肉ごと引き抜いた。
「がぁあああああ!!!!」
骨伝導で縁さんの骨や肉を刮ぎ取るような不快な音が僕の中に直接伝わってくる。
自分でやった事だがこの音はもう出来れば一生聞きたくない。
槍を引き抜かれたと同時に縁さんはその場に崩れ落ちる。
体には大穴が開いており、地面には瞬く間に血の海が広がる。
「何よ…それ…それがあれば……あの人は…」
縁さんはもう息絶える寸前だ。
数分以内に何らかの処置をしないとこのまま命を落とすだろう。
この人は僕や悠を本気で殺そうとしていた。
僕だけならまだ理解できるが悠は関係なかったはずなのに。
財団職員、それも曝璽者の死亡事故が起これば上層部も良い顔はしないだろう。
このまま縁さんを見殺しにするべきか悩みその場で立ったまま動けない。
ほんの少しの間だけ僕がその場に立ち尽くしたままでいると街の景色が一瞬で消失する。
代わりに出てきたのは無味乾燥なコンクリートの打ちっぱなしの壁とせいぜいが15m程しかない
証明のついた天井。
まるでどこかの倉庫のようだ。
突然の変容に驚き辺りを見回していると唐突にアナウンスが入る。
「本日14:00から開始されている戦闘訓練の実施は中止が可決されました。
直ちに戦闘訓練を中止し、負傷者の手当てを優先してください。
尚、【火特5種認定:香坂幹也職員】には【火特3種認定:綾野縁職員】の救護を要請します。
今回【火特3種認定:綾野縁職員】の生命活動が終了しその因果関係が【火特5種認定:香坂幹也職員】
にあると証明された場合財団から対象者に対して即時、懲戒解雇及び財団の庇護下における一切の権利の剥奪が通達されます。」
アナウンスとほぼ同時に物々しい装備に身を包んだ男数名がサイト内に入ってくる。
その放送内容はほとんど脅迫と言っていいものだった。
僕は半ば強制される形で縁さんの治療をすることとなった。