勇者の力
嫌な浮遊感、股下から突き抜ける冷たい風と視線の先の真っ暗闇が一層不安を煽ってくる。底まであと何秒で辿り着くのか知らないが、着いたら確実に俺の体は赤い染みと化すだろう。
まあそんな事ありえないんだがな。
「はい、能力」
足元に能力を使い足場とし、それを蹴って穴から脱出する。普通魔法で足場を作ったりしないのは、単純に魔力の効率がとんでもなく悪いからだ。質量60キロ前後の物体を支え続け、かつ移動する際蹴ってもなお耐えれるだけの壁を生み出すのには相当な魔力を必要とする。
だが俺の能力は消費を一切せずに強固な壁を出し続けることができる。壁自体は小さいから立ち続けるのは難しいし、一個しか出せないから移動するのにはかなり集中しないとできないけどそれでも落とし穴なんぞには引っかかることはない。これなら普通に広範囲攻撃をされた方がよほど厄介だったな。
「くっ!」
俺が当たり前のように落とし穴を乗り越えたことでギャンは初めて澄ました顔を崩し、焦った様子で杖を振る。流石に動揺しても魔法は正常に発動させられているようで、待機させていた二つ目のゴーレムが殴り掛かってきた。
だがそもそも操作する本人が体術なんて碌に収めてないんだ、その動きはあまりにも隙だらけだ。殴られる前に懐に飛び込んで軸足を蹴って転ばせると、さっき空いた穴に吸い込まれるように落ちていき数秒後激しい音がそこから鳴り響いてきた。
これであいつを守るものは何もない、如何に魔法の達人だとしても三秒かそこらでまともな魔法を組むのはできるはずがない。今度こそ確実に……。
そう思った直後、視界に杖が迫っていた。
「ぶっ!?」
思いっきり顔面にぶつかったせいでつい目を閉じて勢いを殺されてしまった。威力は子供の拳程度のものでダメージは全くない、ただ苦し紛れに振っただけだ。だが完っ全に想定外の手段を取られたせいでまともに食らってしまった。
正面から魔力の高まりを感じる、ジオやミカ君相手ならともかく魔法専門には大した隙では無いと思うがどうやら奴には絶好のチャンスに見えたらしい。ここで俺を仕留めるために大火力をぶっ放すつもりのようだ。
俺には能力があるし今更ここで多少の痛みに怯んで手を緩める気はない、恐れることはないと言いたいが魔族のみが使える魔法を考えるとそこら辺の物理的な要素だけでは安心はできない。俺も勇者だし対抗策はあるが、相手は魔王に次ぐ魔法の使い手だ。それを貫通してくる可能性は十分考えられる。
しかし仮に一撃入れたとしても素手ではまず倒しきれない。ここはお互いに正念場、集中力は最高潮に達している。たかが一発殴っただけで魔法を中断してくれるような甘い期待は捨てるべきだ、だからこそより一層次の一手が重要になってくる。
くそっ!ここで剣があれば決め手に欠けるなんて心配はしなくて済んだのに、やはりあの時剣を諦めたのは失敗だったか。いやだが、あの時諦めたからこそこの状況に持ってこれたんだ。ないものねだりをしても仕方がない。
落ち着け。大火力を放ってくるってことは相当な時間がかかるはずだ、少なくとも残り数秒で終わるようなものじゃない。なら俺でも簡単な魔法を使う猶予はあるはずだ。
必要なのは威力じゃない、殺傷力だ。皮膚を貫き骨を断ち血を噴出させるだけの鋭いものだ。風の刃じゃ軽すぎて確実性に欠ける、炎も雷も仕留めるための火力を生み出すには時間が足りない。そもそも俺の使える魔法に殺傷力の高いものなんて存在しない。
やはり剣だ。剣さえあれば、この手に鋭い刃があれば勝てるのに……!
……ああ、そっか。もう飽きるほどに見てきたじゃないか、あまりにも当たり前になってて忘れてた。彼の刀は魔法によって創られているものだった。
「『氷器創成』」
足元の水に手をつけて凍らせていく、薄く鋭い刃を作るために細かく魔力を制御し右手に氷の剣を創り出す。ミカ君のに比べると酷い出来だ。初めて作ったとはいえゴツゴツしてるし柄の部分は持ちにくいし若干形も歪んでいる、肝心の刃も綺麗な線ではなく所々トゲトゲしていてまあこれはこれで痛そうではあるが少なくとも斬り易くはないだろう。だが今はこれでいい。
「とったぞ、ギャン!」
剣を振るいギャンの細い体を右肩から斜めに切り裂く。肉が切れた生々しい感触と共に真っ赤な血が飛び散りギャンの魔力が収まっていく。魔法の構築を中断させることができた程度には大きなダメージを与えられたようだ。だが骨を断てた硬い感触がない、今まで使っていた剣とはあまりにも違いすぎて感覚がズレたか。
「ッチ!」
だが問題ない、この場面で相手ができることは何もないはずだ。一手で仕留められなかったのは残念だが、二手三手あれば確実に……。
「喜べ人間ここは私の負けだ、大人しく引いてやる。だが次相まみえるならば、我が憎悪の結末を存分に味わうがいい」
俺の今までの意思が決して軽いものだったとは思わない。仲間との絆や死を恐れない覚悟、国の人々からの希望など様々なものを背負ってここにいる、それは例え人間よりも遥かに長く生きる魔族相手でも決して勝るとも劣らないもののはずだった。
だがその瞬間、その目を見て、その言葉を聞いて俺は、隠しようがなくひるんでしまった。何か表現しがたいおぞましいものをその目の奥底に見て、ほんの僅かとはいえ動きを止めてしまった。
それは一瞬で生死が決まる近接戦闘においては決定的なものだ、本来ならばありえないほどの愚行だ、だがそれを頭では分かっていて尚動くことができなかった。
ギャンは本っ当に基礎的で単純な炎の魔法を足元に打ち込む、術式も適当で込めた魔力も大雑把な効率完全無視のただ素早く出すことだけを考えた魔法だ。本来ならばほとんど意味はないだろうが、今俺達の足元にはフィラ様の魔法によって水が広がっている。そこに炎がぶつかれば当然のように白い蒸気が爆発的に広がる。
「ッ!待て!」
そこまで動かれて初めて弾かれたように動き出すが、手遅れだった。俺にミカ君のような感知能力はない、周囲の水がほとんど蒸発してしまった以上いくらフィラ様でも今から魔法をかけ直して追跡するのは困難を極めるだろう。
これ以上は皆から離れすぎて魔法の支援を受けられなくなってしまう。仮にその状態で追いついたとしても相手のフィールドで戦っても間違いなく不利なのは俺の方だ。
悔しいがここが落としどころだ。意地になって突っ込んで消耗したり大ケガを負うような事態が最悪だ、そう判断して俺はトボトボと歩いて戻っていく。
その後、ミカミカ君がジオと戦っていることを思い出し全力疾走で彼の元に向かった。
勝ったはずだった。本来ならば格上の魔王軍の双璧相手に浅くない手傷を負わせて逃げ帰らせることができた。あの傷ならギャンの年齢も考えると魔王との決戦に参加するのは難しいはずだ。
確かに逃がしてしまったのは残念だし満点とまでは言えないが、それでも九割ぐらいはとれたはずの戦果だ。反省の有無はともかく嘆くことなどない、寧ろ喜び誇るべき結果のはずだった。
だがその残り一割をとることができなかった事が俺の心に深くへばりついていた。
数日後、案の定というか何というか俺はここでギャンを仕留められなかった事を激しく後悔することになる。敢えて幸運なことを挙げるとするならば、露骨に思わせぶりなことを言っていたおかげで多少心の準備ができていたことぐらいか……。




