第七話 偶像
医務室を出ると、マリーディに出会った。
「おや、マリーディ。どうした?」
「どうしたも何も、何でもないわよ!」
「理不尽にキレられても困る」
マリーディは右手を左手で抑えていた。まるでその右手を誰にも見られたくない、そう考えているようにもみえる。
「マリーディ……、もしかして怪我をしているのか?」
「いいや、そんなことは――」
「でも、腕を抑えているだろ?」
「とにかく、私は医務室に行きたいのよ。そこをどいてもらえる?」
「はいはい」
ここでマリーディに逆らったところで、何もメリットは無い。寧ろデメリットだらけだ。それを考えるとやっぱりマリーディの言葉に従ったほうがいい。
そう思って俺はそこから横にずれた。
「ありがと。それじゃね」
マリーディは簡単に礼を言うと、そのまま医務室へと入っていった。
パイロットは常識が欠如している――それが一般的な考えとなっていることは多い。ここで言う『一般的』とは兵士の間で考えられていること、ということになる。兵士の中にまことしやかに噂として流れていること――それがパイロットの『調整』であった。
パイロットの調整については、簡単に言ってしまえば、ネフィリムの操縦以外の『無駄』だと判定された機能を徹底的に排除することを指す。兵士たちはそんなことは有り得ないと思いながらも、案外有り得てしまう、面白いことだと思って話のネタにするというわけだ。
「……まあ、それは間違っていないわけだけれど」
俺は独りごちる。知らなくていい真実は、噂として流布されているなら、噂のままにしておいたほうがいい。知らなくていいことは知らないままでいい。そのほうが人生楽しく過ごすことが出来るだろう。
……まあ、どこまでやっていけるか、という話にはなるが。
ポケットをまさぐって、スマートデバイスを取り出す。スマートデバイスは非常に便利だ。情報技術がネフィリムと同時に開発されてから、戦場にアンテナが立つようになった。アンテナは不可侵な部分であるということは共通認識として各国の間に存在しており、移動宿舎にももちろんアンテナは存在する。だからどこでもスマートデバイスから移動宿舎や本国にあるサーバに保管されている情報を確認することが出来る。紙媒体を持ち歩く必要が無くなった分、スマートデバイスを奪われてしまったらそれだけで大量の情報を盗まれるリスクがある。だから常に紛失するリスクを考えなければならないし、それを無くす必要がある。
しかして人間というのは忘れる生物だ。幾ら対策を講じたところで、忘れてしまえばどうしようもないし、どうしても紛失してしまう可能性も有る。それについてはいたちごっこになってしまうのでどうしようもない。
スマートデバイスを起動して、たくさんあるアイコンのうちの一つをタップする。それはSNS――ソーシャルネットワーキングサービスの一つだった。
ソーシャルネットワーキングサービス。簡単に言ってしまえば短文を世界に発信することでそれを登録しているユーザー同士で交流することの出来るサービスだ。
登録しなくてもアプリをダウンロードさえすれば見ることが出来るので、暇つぶし感覚で俺はソーシャルネットワーキングサービスを見ているだけに過ぎない。
俺は見ている立場に居るからあまり何とも言えないところがあるが、どうしてプライベートをソーシャルネットワーキングサービスで全世界に発信する必要があるのだろうか。人は承認欲求、見られたいという欲求があるという。それは誰しも持っているもので、セーブ出来る人もいれば出来ない人も居るのだ。
その欲求をセーブ出来ない人間が――とどのつまりソーシャルネットワーキングサービスでプライベートを発信する人間だと言えるだろう。
まあ、それはそういった研究をしていた学者の言葉の受け売りに過ぎないのだけれど。
「マリー・アルベートがアイドルを引退、か」
ニュースを発信するアカウントの最新投稿を見つめながら、その見出しを反芻する。
マリー・アルベートといえば本国を中心に活動するアイドルだ。引退したのだから、『だった』と言えばいいのかもしれないが、まあ、そこについてはあまり気にすることは無いだろう。
マリー・アルベートもそうだけれど、アイドルは国境を越えて活動することが多い。しかしながら全世界で活動したとしても人気までは伴わないことがあって、活動を開始しても暫くして本国のみの活動に縮小することがやや多いと言われている。
だが、マリー・アルベートはその中でも全世界でも本国でも活動や人気を維持した最初のアイドルだと言われている。好きかどうかと言われるとどちらでも無いのだけれど、テレビで曲はよく流れているから聞いたことはあるし、取材に笑顔で答えている映像も見たことがある。