第六話 医務室
「どうだい、ラルース。彼女の様子は」
俺は昼休憩のタイミングを狙って医務室へとやってきていた。
別に怪我をしているというわけではない。かといってサボリに来ているわけでもない。
目の前の椅子に腰掛けている白衣の女性――シオリ・ハーモナイトに会いに来ているのは、そんな単純な理由では無かった。
「……やはり、パイロットに関して疑問を抱いているようだ。それでも、彼女は自らの役割について最期までやり遂げようとは思っているようだがね」
「そうかい。それは良いことだ。私としては彼女を心配していたのだよ? だって、彼女はパイロットの中で一番の小心者であったと記憶しているからね」
シオリは手に持っていたコーヒー入りマグカップをそのまま口に近づけて一口啜る。
シオリと俺はただの同僚という関係ではない。寧ろ、俺がそんなことを漏らしたらシオリから怒られることは間違いないだろう。或いは、「君がそう思うならそれもそれで構わないけれどね」と流されるかもしれないが。
「まあ、君が忙しいと思っていたから、こう定期的に会うことが出来るのはとても有難いよ。……安心したまえ、仮にプライベートな話題を話したところでここは防音壁で覆われている。だから、話を誰かに聞かれることも無いよ」
「それは別にいいのだが……。まあ、いいか。とにかく、彼女の『耐用回数』はあとどれくらいだと思う?」
「単刀直入に言ってくるものだね。でも、私だってそちらに関してはプロじゃない。確かに私は君をそのために送り込んでいる、ということもある。だがね、あちら側にも教えられない事実があるのだよ。それをどうにかして仕入れるのが私の仕事、と言われてしまえばそこまでだが」
「言ってほしいのか?」
「私は欲しがりな人間では無いんだ。残念ながら」
シオリは首を横に振ると、マグカップを机上に置いた。
「ただ、これだけは言えるよ。マリーディ……彼女は不安な状態を維持する傾向にある。それは彼女自身気付いていることかもしれない。弱点、と言えばそこまでだが、しかしはっきりと言ってしまえばその通りだ。その弱点をいかに克服するか、それが耐用回数の増加に繋がる。だが、それを意固地にしたがらない人間だっている」
「それがマリーディ、ということか」
「本人が気づかなかった、ということも考えられるけれどね」
「……それも、確かに考えられるか」
パイロットになるには色々と必要なことが多い、そう聞いたことがある。曖昧な言葉になっているのは俺がネフィリムについて必要最低限の情報しか仕入れていないため、ということもある。
ネフィリムについては未だ不明な点が多い。何せオーバーテクノロジーの代名詞と言われているからだ。しかし、最初にネフィリムを開発したチームからは『すべて自前で開発した』との発言があり、それを鵜呑みにするならば、オーバーテクノロジーであったとしてもオーパーツは使われていない、といった感じなのだろう。
「まあ、いずれにせよ彼女の耐用回数はそう多くないということ。それだけは理解してもらえると有難いかね。……ところで、どうしてさっきから私の淹れたコーヒーを飲まないんだ?」
「猫舌って言いましたよね」
「ああ、そうだったか。そいつは失敬。でも、少しは口をつけてくれても良かったのではないかね。まあ、ここのコーヒーは聖都のコーヒーに比べれば泥水のような味だが、無いよりかはマシだ。とくに私のようなカフェイン中毒にとってはね」
「自分でカフェイン中毒って言うのか……」
「間違ってはいない。だから否定もしない。そういうものだよ、人間とは。……さて、ここからはカウンセリングといこうか」
シオリが姿勢を正しながら言ったその発言に、俺はわざとらしく首を傾げて訊ねる。
「カウンセリング?」
「惚けていても無駄だよ。君もその様子だと大分克服しつつあるようだけれど。それとも内面的にはまだあの出来事を乗り切れていないのかな? まあ、別にどちらでも構わないけれど。……一応言っておくが、君のことを馬鹿にしているつもりはない。これは仕方がないことなのだよ。身体に負うダメージは自然に治癒する、それもあっという間に。しかしながら、心に負ったダメージというのはなかなか回復しない。時間をかければ回復するだろう、そういう人も居る。けれど、そんな簡単に行くわけがない。それは君が一番理解していることかもしれないけれど。まあ、そんなものだよ。人間というのは。だから気にせず生きていくといい。何か仕事以外で話があれば私のところに来てもいいからね。そう、先ずは私のことをお姉ちゃんと呼んでも」
「お断りする。というか、お前は幾つだよ。少なくとも俺より五つか六つは……」
そこまで言ったところでシオリが人差し指で俺の唇を塞いだ。
「女性に年齢を聞くのはタブーだぜ、ラルース一等兵? 学校で学ばなかったか?」
「学校はそんなものを学ぶ場所じゃないぞ。……分かったよ、確かに軽率だった。とにかく、これからも継続して監視していくよ。それでいいだろう?」
もう話も終わったので椅子から立ち上がり、医務室の扉を開ける。
そうして、外に出ようとしたタイミングでシオリがぽつりと呟いた。
「監視、か」
「どうかしたか?」
「一応言っておくが、君の役割は監視だけではないということを、努々忘れるなよ。ただそれだけを言いたかっただけだ」
「分かっている」
そう言って、俺は医務室の扉を閉めた。