84-2-2. シグリルとレスティ(後編)
* * * * * シグリル * * * * *
魔王ゾイ=エンが討伐されて脅威が去り、アールグラントでは王太子殿下とハルト様の結婚式が執り行われた事によって明るい話題一色になった。
ようやく平和で穏やかな日々が戻って来た。
またしばらくは安心して暮らせる。
誰もがそう思い始めていた。私もその例外ではなく。
しかし私の中に訪れたはずの平穏はこの日、呆気なく霧散した。
王都アールレインから早馬がやってきた。伝令兵からは私とレスティが指名され、陛下からの書状が差し出される。戸惑いながらもモルト砦の責任者であるアズレー様に促されて書状を開き、内容を確認した。
内容はこうだ。
水面下でオルテナ帝国と騎士国ランスロイドが魔族領の魔王たちに宣戦布告し、魔王レグルス=ギニラックがこれに応じて緊張状態にある、と。
そんな中、オルテナ帝国で最も魔族領に近い都市である城塞都市アルトンがこの戦争に反対しており、救援を求めて来たとの事。
オルテナ帝国の城塞都市アルトンはリク様がかつて姿を偽りながら生活していた都市だ。
その縁で、アルトンの領主はリク様に助けを求めて来たらしい。
リク様も自ら向かえるものならばと考えていたようだけど立場の問題が立ちはだかり、更に身重である事が判明して身動きが取れず。
異種族婚での妊娠がいかに危険な事かも書き記されており、それでもリク様は何とかしてアルトンを守ろうと考えているそうだ。
そのリク様の憂いを払拭するだけでなく、助けを求めてきたアルトンの領主とその遣いの人たちを国王陛下としても何とか救いたいという思いから、白羽の矢を立てたのが古代魔術を扱える竜族のレスティだったようだ。
当初リク様は古代魔術の結界を使用してアルトンを外界から隔離する方法を考えていたらしい。
それに伴って物資の流通が止まる為、結果的に起こるであろう食糧難を回避すべく、タツキ様と一緒に新たな魔術を構築。
その魔術を用いれば、アールグラントから秘密裏にアルトンに物資を送り込む事が可能になるそうだ。
そこまで準備はできている。
あとは、リク様に代わって古代魔術を扱えるレスティが、ひいてはその契約主たる私がこの役目を引き受ければアルトンの防衛は可能であろうという旨が書かれていた。
しかし陛下はしっかりと、この話は私たちにとっては何の恩恵もない事も明示して下さっていた。
この任務を受けるにあたり、私はこの国での立場や身分、全てを失う事になる。これはそういう特殊な任務なのだと。
同時に、向かった先で何かがあっても助けを出す事は出来ない、と。なので強制はしない。よく考えて決め、決断した際には早急に登城するように、と締めくくられていた。
読み終えた私は言葉を失っていた。頭が真っ白になって何も考えられない。
そうして立ち尽くしていると、ぽん、とレスティに肩を叩かれた。反射的に振り返ると、優しい金色の瞳にぶつかる。
「我はシグリルに従おう。シグリルが決められぬのであれば、我が決めても良い。どうしたい? シグリル」
どこまでも優しいレスティの言葉。そんな風に私を甘やかさないで欲しい。
けれど私の事を心配しての言葉なのだという事もわかっているので、決断以前に何も考えられない…考えたくなくなっていた自分に気がついて、きゅっと口を引き結んだ。
レスティは私の事を何でもわかってくれている。
一緒にいたのは1年にも満たないのに、誰よりも私を理解してくれている。信頼してくれている。
「私が決めていいの?」
竜との契約は、命の契約だ。私が死地に向かえば、レスティも死地に向かわざるを得ない。
それでもその判断を私に委ねてくれている。
「当然だ」
何の気負いも無いレスティの返答。
「私が決められなかったら、レスティが決めてくれるの?」
レスティの最優先の守護対象は私だ。
危険な場所に向かうなら、必ずレスティが守ってくれるという事だ。
「シグリルが、それを望むならば」
ふっと、レスティが笑った。私も笑ってしまった。何故なら私自身が既に、アルトンに向かう事しか想定していないからだ。
その事にレスティも気がついている。だからふたりしてひとしきり笑って互いの意志を確認し合うと、私ははっきりと決断を口にした。
「私、行きます!」
竜の姿になったレスティの背中に乗って、私は遠くまで広がる世界に感動していた。
こうしてレスティの背中に乗せて貰ったのは初めてだけど、不思議と恐さは無かった。
「何故行く事に決めたのか、聞いてもいいか?」
わかっている癖に、レスティが問いかけてくる。
それを理解しながらも、私は地平の先、アルトンがあるであろう方向に視線を向けながら答える。
「私ね、小さい頃からお伽噺が好きなの」
「ほう?」
相手がわかり切っている答えを口にするのは簡単だ。けれど私は敢えてそんな風に話を切り出した。
この年になってまでお伽噺が好きだなんて、子供っぽいと笑われるかも知れない。けれど今回の決断の理由を説明するなら、この話をするのが一番伝えやすいと思ったのだ。
「私が好きなお話は、困難や悲劇に直面したお姫様を王子様が颯爽と助けに来てくれるお話。私はずっと、自分はその物語の中のお姫様に憧れてるんだと思ってた。格好良くて優しくて強い、そんな王子様が助けにきてくれるなんて素敵だなって思ってた。……けどね。リク様と出会って気付いたの。私が憧れているのはお姫様じゃない。王子様なんだって。私は守られる側よりも守る側にいたいんだって」
「ふむ」
リク様は幼い日には妹を、この国に来てからはこの国の人たちを守って来た。私はそんなリク様に強く憧れた。
それは何故だろう?
そう考えた結果、出てきた答えがこれだった。
「ねぇ、レスティ。リク様が守りたくても守れないアルトンを、私が……レスティが守れるって、凄い事だと思うの。だってそれは、この国を守って下さったリク様の心を守るって事でしょう?」
「まぁ、そうなるな」
これも、私が今回決断した理由のひとつだ。
勝手に期待や夢を背負って貰っていた分を、少しでも私が肩代わり出来るなら。これまで沢山守って貰った恩を、少しでも返せるなら……。
そう考えたのだ。
「それにね」
もうひとつ、私が決断した理由がある。
「それに?」
「レスティ、言ってたよね。竜族にとっての宝は、家だって。私もそう思う。私はもう家族も亡くして本当の意味での家はないけれど…最近ね、モルト砦やこの国が私の家みたいなものだって思えるようになったんだ。失くしたくない、凄く大切な居場所だって思えるようになった。
それってさ、きっとアルトンの人たちも同じだと思うの。長年暮らして来た家が、街が、培われてきた人の繋がりが、アルトンの人たちにとっては宝物なんじゃないかって。そんな宝を守りに行くんだよ、レスティ。それって凄く名誉な事だと思わない?」
「ふっ」
私がさも名案だとばかりに訴えると、何故かレスティに笑われてしまった。
「何で笑うの」
「いや……そうだな、シグリル。家は宝だ。我らがそれを守れるなら、我にとっても大変名誉な事だ。素晴らしい発想だ、我が主よ」
笑われた事が不満で、私は頬を膨らませた。けれどレスティが穏やかな気持ちになっている事がわかって、膨らませた頬をそっと戻す。
そのままレスティの背中に腹這いになって寝そべった。
「……ねぇ、レスティ」
「何だ?」
「絶対、守ろうね」
「当然だ」
即答。
「ふふっ」
「何故笑う?」
「レスティが当然だって言うなら、絶対大丈夫って気になるんだぁ」
「……不安か」
言い当てられた。
「当たり前でしょ」
「我が守るから、安心しろ」
「……うん」
「必ず守ってみせるから、不安など忘れてしまえ。そうだな……戦争が起こらずに時が過ぎる可能性もあるが、何かひとつ、無事乗り切った暁に叶える約束をしておこうか」
「約束?」
「そうだ」
約束、約束かぁ……。
苦難の先に叶えるような約束なら、希望が一杯詰まった約束がいいなぁ。何がいいかな。
「思い付かぬのなら、我から提案がある」
「何かいい案があるの?」
「あぁ」
そう答えた瞬間、レスティが空中でくるりと身を翻した。咄嗟の事に反応出来ずに空中に放り出されて、慌てている内に落下が始まった。
あまりの恐怖にぎゅっと目を閉じる。しかしすぐに翼以外人化したレスティに抱き留められた。
ほっとして脱力する。
「急に何するの……」
「ちゃんと顔を見て言いたかったのだ」
顔を見て?
その言葉に視線をレスティに向けると、柔らかい微笑みを浮かべたレスティがじっと私を見ていた。
金色の目と目が合った瞬間、私の心拍数が上がる。
「シグリル。此度の依頼を無事こなした暁には、我らの家を探しに行こう」
「……え?」
「番になろう、と言っているのだ」
「えぇっ!?」
思わぬ言葉に何より先に驚きがやってきた。しかしレスティが冗談を言っているようには見えない。
本気……って事?
「ハルトとリクを見たせいか、異種族婚もいいものだなと思ったのだ。我はシグリルを好ましく思っているし、シグリルも我を好ましく思っているだろう? であるならば、問題ないと思うのだがな」
「いやいやいや、ちょっと待って!?」
「場所はどこが良いかな。我は海や湖の近くが良いと思うが。そこに今回の報酬をアールグラント王国にせびって豪邸を建ててだな……」
「ちょっと、話を聞いて!?」
思いがけず大きな声が出て自分でもびっくりして両手で口許を押さえる。
そんな私をレスティは口を閉じてじっと見つめてきた。それから眉尻を下げて悲しげな表情になる。
「……嫌か?」
その顔は卑怯っ!
なんやかんやでレスティが言う通り、私はレスティの事をいつの間にか好きになっていた。
だから嬉しい。嬉しいけれど……。
「嫌じゃない、嫌じゃないよ。でもね、レスティ。私童顔だから勘違いされ易いけど、もう25歳なの。戦争って長引いたら何年も続くでしょう? もし戦争が長引いて、何年も経ってしまったら……人族はすぐ年を取っちゃうんだよ。それでもレスティは、今の気持ちが変わらないって言える?」
自分で言いながら悲しくなってきた。でもどうしても確認しておきたかった。頑張った末にいざその時がきたら「やっぱりあの約束は無しで」とか言われたら、立ち直れない自信がある。
しかしそんな私の不安など吹き飛ばすような言葉が放たれた。
「何だ、そんな事か。安心するがいい。我は執着するとなかなかしつこいぞ! 10年や20年、それどころか100年や200年で飽きると思ったら後悔するからな? むしろもう逃げられないものと心得ておけ。それと」
と、レスティは唐突に私の服の上から胸元の竜石に口付ける。
途端、竜石が熱を帯びた。
いや、熱くなったのは私自身もだけど……!
「今、竜石に我が命を共有させた。これより、シグリルの時間は我と同じ道に入る。つまりシグリルは竜と命を同じくした、人族とは程遠い存在となったのだ。故に寿命に関しては何の心配もいらぬぞ!」
「えぇーっ!?」
そんな事、こんな簡単に出来ちゃうものなの!?
私はレスティの言葉に全く実感を持てないまま、その金色の瞳を真っ直ぐ見据えた。
「全く信じられないけど、仮に本当に今ので私の寿命が竜族並みになったとして、レスティの命を共有とか、そんな重大な事を簡単に決めちゃっていいの!?」
「だから、初対面の時に良くシグリルを観察してから“合格点だ”と言っただろう」
「えっ……あれは、適性と魔力量の話でしょ?」
「それもあるが、それだけではない。我と命を共にするに相応しいか否かと言う点も含めての“合格点”だ」
ちょっ、ちょっと待って!
って事は何? あの時にはもうレスティは──。
そこまで考えた所で、レスティの目が細められた。
そしてその口許にはニヤリと意地の悪い笑みが浮かぶ。
「つ、つつつ、つまり、えっ? そ、そう言う事??」
「そうだ、出会ったあの時には我が伴侶として既に目をつけていたという事だ。シグリルは我の好みの容姿をしているからな。一目惚れだ」
「うそぉっ!?」
思わぬ事実に最早頭がついてこなかった。
そんな私を楽しそうに眺めていたレスティは、暫くすると改めて私に問いかけてくる。
「それで、我の提案を受け入れてくれるかどうか、返事を聞かせて貰えるか?」
じっと見つめてくる金色の瞳。その瞳を見て、思えば最初からレスティはやたらと私を見ていたな、と気付く。
振り返ればよく目が合ったし、気付けばじっとこちらを見てきていた。まさかそれがそういう意味を持っていたなんて、全く気付きもしなかった。けれど、それを嫌だと思った事はなかった。
私は私の答えを待ってくれているレスティを真っ直ぐ見返して、にこりと微笑んだ。
答えなんて決まり切っている。レスティもわかってて聞いているのだ。それはつまり、直接私の口から返事が欲しいという事。
だからはっきりと返事をする事にした。
「当然、レスティの案に賛成だよ! その代わり、絶対に約束は守ってね」
「無論だ」
こうして、私とレスティの間で未来に向けた約束が成された。
この約束が果たされるかどうかは、これからの頑張り次第だ。私は俄然、やる気が出た。絶対にアルトンを守り切ってみせる。
いや、守るのはレスティがやってくれるんだけど、私は私に出来る事を最大限やるつもりだ。
その意気込みのまま王都へ大急ぎで向かい、出迎えてくれたリク様との挨拶もそこそこに陛下の許へ赴いた。
そしてその場で特別任務を拝命すると同時に、私の身分や役割を解除された。
私にとって今や我が家とも呼べるモルト砦やこの国との繋がりが絶たれてしまうのは寂しいけれど、私には心強い新たな寄る辺がすぐ傍にいてくれるから耐えられる。
アールレインを出発する前にリク様とレスティが念話をする為の魔力認識を互いに行うと、私たちは早々にアルトンに向けて飛び立った。
戦争はいつ始まってしまうかわからない。
なので今すぐ戦争が始まっても対処出来るように、旅路を急いだ。
「そう言えば。過去に竜と契約を結んで結婚した人っているの?」
アルトンに向かう途中、ふと気になってレスティに問いかけた。
「いるぞ。今も生きてるだろう?」
「えっ、そうなの!?」
さも当然のように言うレスティ。
全く思い当たらない私は驚くしかない。
「そうか、人族にはその情報は伝わっていないのか」
「その情報って?」
「……この世界には、ふたりだけいるだろう? 人として生まれながら、人から外れた時間の中で生きている者たちが」
ふたり……?
人として生まれながら、人から外れた時間の中で生きている者?
ふたりという人数にひっかかりはあるものの、なかなか明確な人物像が浮かんでこない。
私が首を捻ったまま考え込むのを見計らっていたのか、レスティは竜の姿のまま喉の奥で笑ったようだ。少し足下が揺れた。
「思い当たらぬか。では答えを教えてやろう。その者たちは、人族からこう呼ばれている。“賢者”と」
「えぇーーーーーっ!?」
私の驚きの声は、北の空へと吸い込まれていった……。