83. 眷族
どんなに腕力が強かろうが、魔王と戦う力があろうが、そんなものは全く通用しない世界がある。
今回の件で、自分が今身を置いているのはそういう場所なのだと痛感した。
遣る瀬無い気持ちを抱えたまま自室に戻る。
そのまま窓辺に置かれている椅子に腰掛けると、ぼんやり外の景色を眺めた。
いつもなら魔術書を開いて魔術研究が解禁されたらどんな魔術の研究をしようか考えながら過ごすのに、今日は何もやる気になれない。
今は何をしても意味があるように思えなくなっていた。
まるで抜け殻のようにじっとしている私を心配して、メイドさんたちが膝掛けを持って来てくれたり温かい飲み物を持って来てくれたりと世話を焼いてくれる。
その都度お礼を口にするけれど、段々喋るのも億劫になってきてしまった。
あぁ、この感覚。思い出したくない感覚だ。
「ちょっとふたりで話したい事があるから、外して貰っていい?」
不意にタツキの声が聞こえてきた。
声の方へ視線を向ければ、来客に応対すべく扉の前に立ったメイドさんの向こう側に、タツキの姿があった。
応対したメイドさんはタツキの求めを受けて、私の顔とタツキの顔を交互に確認してからしばし黙考する。しかしそう間を空けずに「かしこまりました」と応じるなり、他のメイドさんを引き連れて退室した。
それを見送って、タツキは私の傍までやってくる。
「何か嫌な事でもあった?」
心配そうな顔で問われて、思わず俯く。
「ちょっとね……」
今は言葉を発するのにも気力が要る。なのでその一言しか返せなかった。
けれどタツキはそれ以上何も追求せずに「そっか」とだけ呟いて、沈黙する。
前世の私を知るタツキの事だ。きっと今の私の精神状態がどんな状態なのか、察してくれたのだろう。
そのまましばらく静かな空間で、並んで外の景色を眺めていた。
明るい陽射し。目に優しい緑が溢れる前庭。その中央に伸びる道には時々馬車が走っていく。
馬車を引く馬の規則正しい蹄の音が耳に心地いい。
どれくらいそうしていただろう。
不意に、タツキが声を発した。
「落ち込んでる所にこんな話をするのはどうかと思ったんだけど……でも大事な事だから、リクには一番に伝えておくね」
私はのろのろとタツキへと視線を向けた。
当のタツキは未だ外に視線を向けたままだった。けれど大きく深呼吸をすると、改まった様子で体ごと私に向き直る。
そしてはっきりとした口調で、こう告げてきた。
「僕、イフィラ神の眷族になる事にしたよ。今も半分くらいは眷族みたいなものなんだけど、ティーラが言っていた“真なる眷族”になろうと思う。ただ、ね……」
そこでタツキは言い淀んだ。
ぎゅっと目元に力を込めて、苦悩に耐えるかのように歯を食いしばる。
けれどここでもう一度深呼吸すると、決意の光をその瞳に宿した。
「ただ、僕がイフィラ神のちゃんとした眷族になると、僕の主はイフィラ神になる。それはつまり、リクの守護精霊ではいられなくなるって事なんだ」
あぁ、タツキはその事を気にしていたのか。
力を受け入れるには自分の意志が弱いって言ってたけど、どうやらタツキがイフィラ神の眷族になる事を躊躇っていた理由はもうひとつあったようだ。
私を守ろうと思ってくれている気持ちと、恐らく十分に情が移っているであろうイフィラ神を心配する気持ち。
その狭間で悩み苦しんでいたのだろう。
タツキが守護精霊でなくなるのは、確かに不安だ。
今まで何度も危険な目に遭ってきたけれど、その都度タツキが窮地から救い上げてくれていたからだ。
それに……タツキが守護精霊でなくなるという事は、精霊石でタツキが過ごす時間が無くなるという事だ。必然的に共に過ごせる時間が減る。
その事を寂しいと思う気持ちがある。
けれど。
もう17年一緒にいた。
前世でもタツキは私側から見えていなかっただけで、ずっと一緒にいてくれた。
そろそろ手を放してあげるべき時なのだろう。
タツキの、私のお守りはもうおしまい。十分だ。
いつの間にか私はさっきまでの無気力な状態から解放されて、穏やかな気持ちの中にいた。
そっとタツキの手を取って、微笑みかける。
「私は、タツキが決めたのならそれでいいと思う。今まで沢山助けてくれてありがとう。本当に、心の底から感謝してる。今まで私とタツキを繋いでくれていた精霊石が無くなっちゃうのはちょっと寂しいけど、タツキはもう、自由になるべきだと思う。私は大丈夫だから、タツキはタツキの思うように生きていいんだよ」
そう告げると、タツキも私の手をぎゅっと握り返して来た。
それからちょっと泣きそうな笑顔を浮かべて、けれど明瞭な声音で「ありがとう」と言った。
そして翌朝。
目覚めると私の額にはもう、精霊石はなかった。
あった時はそれが自然で特に意識する事もなかったのに、無くなってしまうと想像以上に喪失感を覚える。
そうして精霊石を失った代わりに私の前に現れたのは、成長した姿になったタツキだった。
見た目には私と同じ年くらいになっただろうか。
私と同じ年くらいと言う事は、それはそのままタツキの今世での実年齢相応って事にもなる。そう考えるとこの姿が本来あるべきタツキの姿なのだろう。
顔つきも昨日までの子供独特の幼い顔つきから、穏やかな性格を反映した、年相応の少し大人びた顔になっている。
身長も私より少し高いくらいまで伸びて、何だか不思議な感じだ。
「これ、イフィラ神からリクにって。……ごめんね、リク。精霊石の中の魔石、回収できなかったんだ。イフィラ神にも相談したんだけど、そうしたらこの箱をリクに渡してくれって言われて」
そう言ってタツキはイフィラ神から預かったという箱を私に差し出した。
うわ、声も低くなったのか。姿以上に声のギャップが大きくてびっくりする。
同一人物だと認識しているはずなのに、まるで別人を相手しているような感覚に陥る。
私は夢の中にいるような、現実味がない感覚のまま箱を受け取った。箱はずしりと重かった。
改めて箱を間近で観察する。
箱は白磁のような質感で出来ており、金で精緻な装飾が施され、蓋の中央には目が醒めるような鮮やかな紅の宝玉が嵌め込まれていた。
綺麗……。
引き寄せられるようにその宝玉にそっと触れた途端、箱が勝手に開き、中から純白と赤の光が溢れ出す。
それは、覚醒時を思い出させる光景だった。
溢れ出た光は周囲に広がったかと思ったら急速に集まり出し、私の中へと消えて行く。
同時に、膨大な知識が脳に注ぎ込まれるような感覚に陥った。
「うぁっ!?」
「リク!?」
私は頭を抱え込んで蹲った。慌てたタツキが駆け寄ってくる。
その間にもとんでもない量の知識が、頭の中に詰め込まれるように流れ込んできた。
この感じ……本当に覚醒時の感覚に似ている。
覚醒すると感覚的に自分がどんな力を得たのかを把握し、恐らくその力を振るうのに必要な知識が自然と身に付く。あの感覚と同じだ。
ただ、覚醒時のあの痛みや不快感はない。けれど流れ込んでくる情報量がまるで違い、そのせいで記憶の混乱が起こる。覚醒時の情報量が1とするならば、10くらいの情報量が脳に焼き付けられて行くような感覚だ。
これはむしろ、私が前世の記憶を思い出した時の感覚に近い気がする。
膨大な知識が流れ込んできて、私の知識や記憶として焼き込まれるような感覚。
やがて流れ込んでくる知識が終息すると、ようやく私はイフィラ神が私に何を贈ってくれたのかを理解した。
「タツキ……魔石は大丈夫。イフィラ神がいつでも取り出せるようにしてくれたから」
「え?」
「はぁ、なるほどねぇ。なるほど、なるほど。イフィラ神はちょっと天然なの?」
「は??」
私は深いため息をつきながら、空中で手を一振りした。
何も持っていなかった私の手のひらには、一粒の魔石が乗っている。
「天然じゃないのなら、私たちが必死に空間魔術を構築してた事を知らなかったのかな。確か理論はわからないって言ってたけど、タツキも亜空間でブライを再構築してたよね?」
「う、うん……?」
状況が把握出来ないタツキは目をぱちくりさせながらも頷いた。
「さっきの箱の中身……イフィラ神はあれで私に亜空間に接続する能力をくれたみたい。そこに精霊石に溜め込んでた魔石を置いて、自由に取り出せるようにしてくれたんだけど……きっちり、亜空間接続の理論と術式知識込みで贈ってくるとは。まぁこの術式を再現しようとすると古代魔術以上に複雑だし、能力で獲得するのと違って魔術で発動させようとすると消耗する魔力も膨大すぎるから、私たちが構築した術式のままで問題はないんだけどさ」
問題はないんだけども…問題はそこではなくて。
私は頭を抱えた。
「でも神様がこんな特殊な知識を私みたいな個人に与えちゃって大丈夫なの? あぁ、もしかして私たちが既に空間魔術を構築してるから補足のつもりで知識を授けてくれたのかな? いや、そうだとしても、これはちょっと……」
ひとりでぶつぶつと呟いていると、どうやらタツキも状況を理解したらしい。
くすくすと笑い出した。
「天然かぁ。そう言われるとそうなのかもね。人の心理を理解しているようで、ちょっとズレた解釈してたりするからね。でも、凄く優しい神様なんだよ」
「それは、わかる気がする」
さっきの光はとても柔らかくて、温かかった。
「あと、ちょっと面白い」
そう言って微笑むタツキは優しい目をしていながらも、どこか誇らし気だった。
今はもう、タツキの主はイフィラ神だ。
タツキにとってどこか人間臭いイフィラ神は、主として誇らしいと思える存在なのだとタツキの様子から感じ取れる。
それが嬉しくて、私はついいつもの癖でタツキをぎゅっと抱きしめた。
「素敵な神様に出会えて良かったね、タツキ」
小さかったタツキに比べて今のタツキは大分体つきが逞しくなったけれど、それでも伝わってくる温もりは変わらない。
これから先、タツキはイフィラ神以外の何ものにも囚われずに生きていく。これまで以上に自由に、自分の意志で生きていく事になる。
だから願わずにはいられなかった。
どうかこの優しい弟が、その自由の先でも幸せでありますように。
タツキがイフィラ神の眷族になった事で、空間魔術の改善はあっさり解決した。
どうやらタツキもイフィラ神から、私と同じく空間魔術に関する知識を与えて貰ったらしい。
「イフィラ神もこの程度なら世界に与える影響に大差はないと判断したんだろうね。僕も、この知識がなくてもリクならいつかこの結論に辿り着けたと思うよ」
何せ魔術研究マニアだからね、とタツキは笑いながら完成した魔法陣を見せてくれた。
「リクが生きている間に世に出すようなものであれば数年の誤差はあるにせよ、世界に与える影響に大差はない。更に言えば、100年、200年と時間が経てば経つほど、その程度の差異は問題なくなるからね」
タツキは今回のイフィラ神の干渉が与える世界への影響について、そう説明した。
随分と壮大な話だなぁ……。
それから改めてタツキは空間魔術で静物と動物を分けて判断する基準を対象の温度で判断する事にしたと、魔法陣の該当箇所を示しながら解説する。
逆に言えば、静物でも動物並の温度を有する物は送れない。
「夏とかでそもそも外気が暑くて、転送する対象の温度も上がってたらどうするの?」
「その点については、魔法陣を置く場所を夏でも涼しい地下にすれば解決するよ。地下に貯蔵庫付きで魔法陣専用の空間を確保するんだ。そうすれば滞りなくアルトンに物資を転送出来る」
そう話すタツキはどうやってその地下空間を確保するか、アルトン側ではどうするかを事細かに説明してくれた。
アールグラント側とアルトン側、どちらの設置作業もタツキがやってくれるらしい。
タツキならアルトンの人々と面識もあるし、転送魔法陣の設置に関する提案も受け入れて貰い易いだろう。
同時に、もしシグリルたちがアルトン守護の依頼を拒否したら、タツキがシグリルたちに代わってアルトンに向かってくれると約束してくれた。
アルトンを戦禍から守る目処が立った事をリッジさんたちに知らせよう! と言う事で、私はメイドさんガードを引き連れながらタツキと共にリッジさんたちがいる客室を訪問した。
メイドさんが扉をノックして、私とタツキが来室した旨を伝える。
すると間もなく扉が開かれた。
扉を開けたのはララミィさん。
部屋の奥からは賑やかな声が聞こえ、そこはかとなくお酒の匂いが漂って来た。
「リクさん。それと……タツキさん、ですか?」
ララミィさんとラセットさんは私の結婚式以降に一度だけ、タツキと挨拶を交わしている。
その時はまだ、タツキは以前の幼い姿をしていた。
だからだろう。目の前に知った顔ながらも全く見た目年齢の異なる人物が現れて、ララミィさんは確信を得られずに私に問いかけるような視線を向けて来た。
私はララミィさんの認識で合っている事を肯定すべく頷く。
わかる、わかるよ。私も今朝、似たような心境になったからね。
「詳しい話は皆にもしたいんだけど……誰か来てるの?」
先程から部屋の奥から聞こえてくる賑やかな声が気になって問いかけると、ララミィさんは視線を泳がせた。
そして言い難そうに言葉を紡いだ。
「あっ……あの、これは、ですね。まだ許可なく歩き回れる状況にない私たちの事を気にかけて下さったハインツさんが、その、気分転換にと……お酒を」
ハインツさーん!
見つけたぞ! ハインツさんが真っ昼間からお酒を飲んでいる現場を!!
ここか! ここでか!!
「ちょっと失礼」
私はメイドさんガードから抜け出してつかつかと室内に入ると、そこで酔っぱらいと化しているハインツさん…と、リッジさん、アーバルさん、そして何故か同席しているお父さんを発見した。
お酒を飲んでいないラセットさんとローシェンくん、お父さんと同じく来室していたサラは部屋の端で呆れた様子で酔っぱらいたちを眺めている。
これは……一体どういう状況なのか。
それを確認する為にも、私は酔っぱらいたちの意識を現実に引き戻す事にした。
「ちょっと、ハインツさん! お父さんも! 仕事はどうしたの!」
一番に怒りたい相手に向かって歩いて行くと、ようやくこちらに気付いたハインツさんがすっかり出来上がった様子でひらひらと手を振って来た。
「おー、リク! 何そんなに怒ってるんだよー」
「そりゃ怒るよ! 昨日、仕事中のハルトにお酒入りのお菓子を食べさせたんだってね?」
ずいっと詰め寄るとハインツさんは一瞬、何を言われたのかわからないと言わんばかりの表情を浮かべた。
しかしすぐに思い当たったようで、ぽんと手を打つ。
「おぉ、食べさせた、食べさせた! だってあいつ、根詰め過ぎてるんだもんよー。もうちょっとこう、肩の力を抜いてだなぁ……」
「そう思うならお酒なんて仕込まずに手伝ってあげてよ」
「無理無理! そもそもあいつの周りには優秀な人間ががっちり固めてるから、俺程度の人間が手伝ったって小蟻程度の力にもなれないって。なのにあいつはさぁ、何でもっと周りを頼らないんだよ。いや、前よりかは頼るようになった気はするけどな? でもなんっか、こう、もうちょっと、なぁ?」
なぁ? って言われても。
言いたい事は何となくわかるし同意したい所だけど、そこで何故お酒入りお菓子を食べさせるという結論に至るのかが全く理解出来ない。
「そうだそうだ! ハルトはもっと僕の事も頼ってくれていいのに、リクと結婚してから何だか前より頼って貰えなくなった気がする! 人族はハルトくらいの年だとまだ親を頼るもんだと思ってたけど、違うの!? それとも僕が頼りないの!?」
酔っぱらい2号、お父さんがくだを巻き始めた。
「いやいや、イムさん、あなたは正しい! 頼れ! 頼ってくれ! 俺は頼ってた! だから頼っていいんだ!! 頼っていいんだからな、ローシェン!」
お父さんに同調して叫び出す酔っぱらい3号、アーバルさん。
その傍らではリッジさんがちびちびとお酒を飲みながら「親がいない俺にはわからんなぁ」と呟いている。
一見酔ってなさそうに見えて、目はすっかり据わっている。間違いなく酔っぱらっている。
だめだ、収拾がつかない。
「サラ。どうして昼間からお酒飲もうなんて話になったのか知ってる?」
「うーん、一応。確か、誰かのお見合いが成立したとかハインツさんが言ってたよ。だからお祝いだーって」
サラは小首を傾げながらそう答えつつ、視線をハインツさんに向けた。
私もサラに釣られてハインツさんに視線を向け直す。
お見合い…?
「おっ、そうだそうだ、リクやサラにも言っとかないとな! なぁ、イム!」
「えっ、何で?」
「はぁっ!? 何でって、お前っ、実の娘に再婚するって伝えないのかよ!」
「再婚?」
何だってーーー!?
と叫ぼうかとも思ったけれど、この辺はやはりもう私は妖鬼という型に嵌ってるんだろうな……。
驚きはしたし、これまでアイラお母さん以外は認められないとか思ってたけど、こうして再婚の話を聞いても思ったよりショックを受けなかった。
むしろ一瞬の驚きの後にやって来たのは「なんだ、そんな事か」と言う気持ち。
サラに至っては驚きもしない。
「おぉ? 何だ、反応が薄いなリク、サラ。お前たちの父親が再婚するんだぞ?」
「うん、そうだね。おめでとう? お父さん」
「おめでとー?」
ハインツさんの言葉に、とりあえずお祝いの言葉をお父さんに送る。
サラもよくわかっていない様子で私に続いた。
お父さんも不思議そうに首を傾げながら「ありがとう?」と返してくる。
人族が端から見たら相当おかしな会話に見える事だろう。
「って、それだけか!? てか何で全員疑問系なんだよ!?」
案の定、すっかり酔いが醒めた様子でハインツさんがツッコミを入れてくる。
同席しているリッジさんたちアルトンの人々も、奇異の視線を向けて来ていた。
まぁ、人族ならそういう反応になるよね。
「いや、だって本当なら私もサラもとっくにお父さんとは一緒に暮らしてない年齢だし、そんな事を言われてもどう反応したらいいのかわからないんだもの。あ、でも一応お相手の種族だけでも聞いておこうかな。お父さん、相手の方は人族? 魔族?」
「同族だよ。僕にはリクやハルトみたいに異種族婚をする勇気はないからねぇ。相手は妖鬼で、名前はミア。ミアヴィスラ。フォルニード村が襲撃された時に辛うじてアールグラントに逃げ延びて港町ティリで保護されてたんだけど、先日国で保護する為にアールレインに移って貰ったんだ」
そう話すお父さんがとても嬉しそうだから、きっとお父さんは相手の──ミアさんの事が好きなのだろう。優しいお父さんが好きになった人なのだから、ミアさんもいい人なんだろうなぁ。
ついつい頬が緩んでしまう。
それに、フォルニード村襲撃の件でマナ以外にも希少種の生き残りがいた事も、嬉しい一報だ。
「ティリでミアが保護された後、同じ妖鬼だからってミアへの対応はイムがやってたんだよな。それがきっかけで見合い……てぇか、ほぼお互いに心を決めた上で見合って、再婚する事にしたんだってさ。いやぁ、いいねぇ、青春だねぇ」
またお酒を飲んで酔い始めたのか、ハインツさんはお父さんの首に腕を回してお父さんの脇腹を小突き始めた。
青春って……お父さん、もうそういう年じゃないと思うけど。
結局この日はまともに会話ができそうにもなかったので、リッジさんたちには翌日、素面の時にアルトンへの支援について話をしに行った。
その際に万が一シグリルたちがアルトンの守護に向かうのを拒んだ場合はタツキがアルトンを守りに向かう予定である事も伝えたのだけど、タツキの実力を知らないリッジさんたちはタツキの事が心配なようで、全力で反対してきた。
私がタツキは高位精霊で実力も魔王や勇者と同等かそれ以上である事を説明しても、納得して貰えず。
最終的にリッジさんとタツキで魔術無しの手合わせをして、納得して貰った。
私はタツキが魔術抜きの接近戦でも十分戦える事を魔王ゾイ=エンとの戦いの際に目にして知っていたからこの結果は予測済みだったけれど、アルトンの面々はそうでもなかったらしい。
体格差を覆してあっさりリッジさんをひっくり返したタツキをリッジさんがひっくり返った格好まま呆然と見つめ、そんなふたりを信じられないものでも見たかのような目で見ていたアーバルさんたちの顔がちょっと面白かった。
ちなみにその日初めて守護精霊ではなくイフィラ神の眷族となったタツキと会ったリッジさんたちは成長したタツキの姿にびっくりしていたけれど、手合わせ後は頼もしそうな目でタツキを見ていた。
どうやらリッジさんたちもタツキがどれだけ頼れる人物なのか、理解してくれたらしい。
リッジさんたちより後になったけれど、成長した姿のタツキと会ったサラやお父さんも、彼らと同じような目をしていた。
やはり見た目から受ける印象が大きいようだ。
お父さんは私とタツキの契約が切れたと聞いて、ちょっとだけほっとした顔になった。
そしてタツキの頭をぐしゃぐしゃと撫でながら「今までリクを守ってくれてありがとう」と言っていた。
もしかしたらお父さんは、タツキを自分たちの願いで縛り付けていた事に罪悪感のようなものを感じていたのかも知れない。
サラはサラで「やっと身長追いついたと思ったのに、また離されちゃった」と言いながら、タツキを見上げて微笑んだ。
「そうだタツキ、私からもお礼を言わせて? これまでずっとお姉ちゃんを守ってくれてありがとうね。これからはハルト様がお姉ちゃんを守ってくれるから、タツキも安心だね」
「うん、そうだね。ハルトがリクを守ってくれるなら安心だよ」
ふふふ、ふふふ、とふたりしてちょっと不気味な笑い声を上げる。
前々から思ってたんだけど、タツキとサラって気が合うみたいなんだよね。何なんだ、あの以心伝心な感じ。
多分「何故ハルトが守ってくれるなら安心なのか」という点に関しては、言葉にせずともふたりの間では通じ合っているのだろう。
うぅ、お姉ちゃんは仲間はずれみたいでちょっと寂しいよ……。
お父さんやサラ、リッジさんたちを含め周囲には、タツキの姿が変わった理由と私との契約が切れた理由に関してイフィラ神の眷族になったからだとは言えないので、「事情があって守護精霊の契約を解除したら姿が変わった」と伝えている。
みんな納得はしていないようだったけれど、特に突っ込んで聞いて来るような事もなかった。
その一方で、ハルトにだけは本当の事を伝えた。
執務に追われていたハルトがイフィラ神の眷族となったタツキと会えたのは、タツキがイフィラ神の眷族になった3日後の事だった。
私もハルトに会うのは3日ぶりになる。
その間、ハルトは私室に戻る時間も惜しんで執務棟の仮眠室に寝泊まりしていたようだ。
ハインツさんじゃないけど、根詰め過ぎだと思う。
そう言えば、ちらっとオルテナ帝国が面倒な事を言って来たとかぼやいていたような……その件への対応に追われていたのかも知れない。
「いやぁ、育ったなぁ、タツキ」
タツキを見たハルトの第一声。
しげしげと頭からつま先まで眺めると、タツキの横に並んで自分の身長とタツキの身長を比べたりしている。
まだまだハルトの方が身長が高いけど、以前に比べて目線が近いせいか「何か変な感じだな〜」と呟いた。
「それで、イフィラ神の眷族になって具体的には何が変わったんだ? 気配的に、精霊じゃなくなってる気はするんだけど」
「あ、それは私も思った。今のタツキって、もう精霊じゃないの?」
リッジさんたちには高位精霊だって説明しちゃったんだけど、今のタツキの気配は精霊って感じでもないんだよね……。
「そうだね……多分、この世界の種族に当てはめる事は出来ないんじゃないかな。でも一番近いのは精霊だと思うよ。一応この世界の理から外れた存在にはなったけど、この世界そのものにかかってる制限は存在するから、僕個人に出来る事は今までと大して変わらないんじゃないかな。それでも僕にとっては、大きすぎる力だと思うけどね……」
そう言って小さく微笑むタツキ。
一見すると柔らい表情なのに、その奥に底知れぬ大きな意思を宿しているように思えて……ちょっとだけ、タツキの存在が遠く感じた。