82. 平穏の裏に潜む不穏
その後、私は1日の大半の時間を王城内にある私室で過ごす事になった。
理由は、体に余分な負担をかけないために安静にしている必要があるから、だそうだ。
結果、仕事をさせて貰えなくなった。
そして魔力を削るわけにもいかないので、魔術研究も禁止されてしまった。
私としては楽しみを根こそぎ奪われたような状況だ。
エルーン聖国から戻る時にタツキが私に空間魔術の改善作業を手伝わせてくれなかったのも、魔力を温存させようと思っての事だろう。
何せあの時、タツキは既に私が妊娠している事に気付いている様子だったしね。さすが、命を司る神の加護を持っているだけある……ということなのだろうか。
とりあえず城内を歩き回る事は許可されているので、前後左右にメイドさんを従える形で私はリッジさんたちの許へ通っていた。
取り囲む人数こそ減ったものの、自分でも一体どこの重鎮だよと思うくらいの鉄壁のメイドさんガードが何だか気恥ずかしい。
けれど彼女たちの厚意を無駄にできず。当初8人体制だった所を説得の末、前後左右1人ずつ、合計4人にまで人数を減らして貰う事に成功したのだ。
そうまでしてリッジさんたちの許へ通っている理由はただひとつだ。
アルトンをどうやって戦禍から守るか、話し合うためである。
この場にいるリッジさん、アーバルさん、ララミィさん、ラセットさん、そしてローシェンくんも、城塞都市アルトンを離れる人は案外少ないだろうと予測している。
故に、古代魔術の結界を使うのが、アルトンとその領民を守る最善の手段だと思われる。
しかし私がしばらく自由に動けなくなってしまった。
理由を話すとアルトンの面々からも祝福して貰えたけれど、結果的にアルトンを守る有力な手段がひとつ消えた形になってしまった。
「私以外で古代魔術が使えそうなのは、魔王フィオ=ギルテッドとか、あとはフォルニード村にいる金目魔王種のマナかなぁ……。でもふたりとも魔族だし、厳しいよね。他に古代魔術を使えるのは竜族くらいしか思い付かないから、竜に助けて貰うしかないか」
私が唸りながらそう告げると、リッジさんたちはがっくりと肩を落とした。
「竜、か……。下手に魔族に手助けして貰うよりかは反発もないだろう……というか竜が相手じゃ恐ろしくて反発のしようがないだろうけど、そもそも竜は他種族どころか同種族同士でも行動を共にしないんだろう? そんな個人主義の生物が力を貸してくれるもんかね。そもそも竜がどこにいるのかもわからないしな」
「んー、その辺は大丈夫だと思うよ。今この国には人族と召喚契約を交わしている竜がいるんだけど、一般的な竜族と比べるべくもなく親しみやすい竜だし、事情を説明すれば力を貸してくれると思う」
ブライを送り出すのも手だけど、どちらかと言えばレスティの方が人族に対して友好的だからうまく街に溶け込めるだろう。
そうなったらレスティの契約主であるシグリルにもオルテナ帝国に行って貰う事になりそうだけど、その辺は陛下を説得したら何とかしてくれそうな気がする。
となると、やっぱり最初の関門は陛下になるのか。
現在陛下の許へはハルトが事情を説明すべく謁見しに行っているけれど、一国の王である陛下が自国の民を危険に晒しかねない判断を下すとは思えない。
しばらく静観すると言われても受け入れるしかないだろう。
その時に備えてか、リッジさんたちはすぐにでも旅立てるように身支度を済ませていた。
と言っても、ララミィさんだけはアールグラントに残るようだ。聞けば人事異動でこの秋からララミィさんはイリエフォードの冒険者ギルドに所属する事になったのだとか。
国を越えた異動は珍しいらしいけど、行き先がアールグラント王国という事もあって、リッジさんと相談した上で引き受けたのだそうだ。
そんなララミィさんの事情を聞いたり、私からレスティの性格などをリッジさんたちに説明したりしていると、4の鐘が鳴る頃にハルトが戻って来た。
その表情からは陛下からの回答の色が良かったのか悪かったのか判断がつかない。
「おまたせ。結論から言うと、アールグラント王国としてアルトンを支援する事は無理だそうだ」
やっぱりか……と、肩を落とすリッジさんとアーバルさん。
しかし、そんな当たり前の返答で終わらないのがアールグラントの王族というものだ。
「ただ陛下個人としては、今回真っ先に我が国を信頼して頼ってきてくれた人たちを簡単に見捨てる事は出来ない……と考えておられる。リクが自由に出られない今、古代魔術が使えて頼れそうなのはモルト砦にいる水竜のレスティだろう。陛下はレスティとその契約主のシグリルへ、秘密裏にアルトン防衛の依頼を出してくれるそうだ。結局最後はシグリルとレスティに引き受けるか否か、判断を委ねる事になるんだけどな」
「さっすが陛下!」
私は手を打ち鳴らしてほぼ予測通りの結果に歓喜の声を上げる。
確かにシグリルたちには厳しい判断を委ねる事になってしまうけれど、現時点で取れる方策としてはこれが最善だ。
シグリルたちには悪いけれど、私としてはどんな手段を取ってでもアルトンを守りたい。
故に、もしシグリルたちが依頼を拒否するようならばタツキ経由でブライに依頼する事も視野に入れている。
それでも最善なのはシグリルたちがアルトンに向かう事だと思っている。
何故なら彼らは、人化出来て人族に興味津々の竜とその契約主たる人族のコンビだ。
人化出来ないブライが人族のサポートもなしに行くよりかはきっと、アルトンの人たちも受け入れやすいはずだ。
そんな打算的な事を考えている私の傍らでは、リッジさんたちがぽかんとした顔をして固まっていた。
どうやら予想外の展開に思考が停止してしまったようだ。
ふふふ、アールグラントの王族を侮るのは危険なんだよ、諸君。
絶対予想外の事をするんだからね……!
陛下の密使がモルト砦に向かって出立した、その翌日。
フレイラさんは神殿から正式にフォルニード村に赴任する為の任命状を受け取ったそうで、約束通りフォルニード村に向かう途中でアールレインに立ち寄ってくれた。
フレイラさんのフォルニード村への正式な赴任が決まると同時に、エルーン聖国が温存していたらしい神位種がひとり、オルテナ帝国に派遣……されるかと思いきや、どういう経緯でか神殿側はオルテナ帝国が魔族領側に戦争を仕掛けようとしている事を察知して、勇者の送り出しを先延ばしにした。
曰く、「勇者は人類の希望であり、特定の国の都合で束縛する事は許されない。まして、不穏な思想に基づいて危険な行為を行おうとしている国家には派遣出来ない」との事だった。
どうやらランスロイドに勇者ジル以降、神位種を派遣しなかった理由もその辺にあるらしい。
ハルトも「俺が神殿に、ランスロイドのジルに対する仕打ちを残さず伝えたからかな」と言っていた。どうやらランスロイドは魔王ゼイン=ゼルと争っていた際、勇者ジルが他の勇者への救援要請をするように依頼したのを突っぱねたのだそうだ。
結果的にジルはランスロイドに頼るのをやめて、独断で魔王フィオに協力を求め、結果的に獣人の老戦士バリスを仲間に加える事になったのだとか。
そういった過去の行いもあって、ランスロイドは神殿側から勇者を大事に扱わない国家と認識されたようだ。
因果応報とはこの事か。
フレイラさんはアールレインに立ち寄ったものの、その翌朝には挨拶もそこそこに「フォルニード村は目と鼻の先だし、私もリクさんとハルトの子供が見たいから、また遊びにくるわね」と清々しい笑顔を残して去って行った。
その背中を見送りながらも道中を心配しているタツキに、「フォルニード村まで送ってあげたら?」と提案したら、散々悩んだ挙げ句にフレイラさんに小型形状のブライを預けていた。
そしてブライに「もし何かあったらすぐに知らせる事。特にオルテナ帝国の手の者と、ルウが来たら即刻知らせて!」と念を押し、真面目なブライは「了解した。安心して我に任せるがいい、主よ。この命に代えてもこの女人を護り、主に知らせを出すと約束しよう」と応じた。
うん、どうやらブライはしっかりタツキの事を理解しているようだ。
いつからだろう、タツキはあからさまにフレイラさんの事を気にかけるようになっていた。
私が把握している範囲だと、フレイラさんが魔王ルウ=アロメスに嫁になれ宣言をされた時にはそれっぽい態度を取るようになっていたと思う。
本人にもその自覚はあるのだろう。
フレイラさんは気付いているのかな。気付いていそうだな。
それでもフレイラさんの態度は変わらない。
変わらないけれど、私が見た感じでは他の人と比べると少しだけ、タツキへの対応には特別感がある。
そこには強い信頼と、安心があるように見える。
これはタツキにも望みがありそうだ……とは思うけど、多分、タツキが行動を起こす事はないんだろうな、とも思う。
心配だからブライを護衛に付けたりはするけれど、一歩引いた距離を詰めようとはしない気がする。
多分その事に、フレイラさんも気付いてる。だからフレイラさんもあの距離感を保っているのかも知れない。
近いようでちょっと離れているくらいの、ギリギリ手が届くか届かないかの距離。
タツキが望まないからフレイラさんも踏み込まないのか、お互いに望まないからその距離感なのかはわからないけれど……見守るしかないというのも、何とももどかしいものなんだなぁ……。
ちなみに、ちらっとだけ。アルトンの件で、万が一シグリルたちが依頼を断って来た場合にブライを頼れなくなってしまったなぁ……と思ったのは内緒だ。
そんなじれったいふたりに思いを馳せていると、不意にある事を思い出した。
そうだ! フォルニード村といえば、ゾイ=エンの村を壊滅させた犯人を探そうと思ってたんだった!
あんな危険人物を野放しにしていたら、いつ第ニのゾイ=エンが現れてもおかしくはない。
容赦なく振り下ろされる大剣。
逃げ惑う獣族たち。
辺りを漂う、血の匂い。
心底楽し気な哄笑が恐怖を呼び起こし、耳にこびりついて離れなくなる。
私はゾイとゾルの記憶を辿り、彼らの記憶に残っている犯人の残忍さと凄惨な光景に寒気を覚えて身震いした。
急がないと! と思い立つなり部屋を出ようとすると、すかさずメイドさんガードが私の四方を固めた。鉄壁すぎる。
「リク様、どちらまで行かれますか?」
先頭に立ったメイドさんが行き先を問いかけて来た。
どこに。
そう言えば、どこに向かえば良かったんだろう?
とりあえず似顔絵を作って貰って探そうかと思っていたんだけど……似顔絵描いてくれる人って、どこにいるんだろうか。彼女たちに聞いたらわかるかな。
「えぇと……人探しをしたいんだけど、似顔絵とか描いてくれる人って城内にいるのかな」
「似顔絵師ですね。それならば、こちらから向かうよりも呼んでしまった方がいいかも知れません」
そう告げるなり、先頭にいたメイドさんが一礼して廊下の向こうへと歩き出し、残った3人のメイドさんたちに促されて私は自室に戻った。
何というか、気を回され過ぎて運動不足になりそうなんですけど……。
それからしばらくしてメイドさんが似顔絵師さんを応接室まで連れて来てくれたので、私は描いて欲しい人物の人相を出来るだけ詳細に伝えた。
絵師さんは描いては私に確認を取り、修正箇所があれば消して描き直し……という作業を繰り返して、鐘1回分くらいの時間をかけて魔王ゾイ=エンの故郷を壊滅させた犯人の似顔絵を描き上げてくれた。
私は絵師さんにお礼を言うと、早速自室を出た。当然のように四方はメイドさんガードがついている。
この似顔絵をどうやって広めて貰おう?
そう考えた結果、私ではどうにもならないのでハルトを頼るべく、ハルトの執務室に向かう事にしたのだ。
ハルトの立場はまだ明確になっていないものの、王太子を引き受けた際のノイス殿下の希望を考慮して現時点では王太子補佐となっている。
ハルトが言うには、陛下は私が無事に子供を産むまで私を王城に引き止めるべく、ハルトをも王城に留め置こうとしているらしい。
まぁ、私の為にサポート体勢を整えてくれた時点でそうなるだろうなという予感はあったけれど。
私としても前世今世合わせても初産なので有り難い。
ただちょっとだけ、今世のお母さんのあのパワフル妊婦っぷりが忘れられない身としては、案外大丈夫なんじゃないかなぁと思う面もあるんだけども。
私の場合は異種族婚だから同じとは呼べないのだろうけど、魔力切れ問題以外にはつわりも何もないから平気な気がしちゃうんだろうなぁ。
そんな事を考えているうちにハルトの執務室に到着する。
メイドさんがノックして私の来訪を告げると、執務室内からざわめきが聞こえて来た。
何だろう?
「リク。いい所に」
扉を開いてくれたクレイさんの向こうで、こちらに気付いたハルトがへらっと気の抜けるような笑顔を向けて来た。
ハルトが職務中にあんな緩い顔をするなんて珍しい。
っていうか、あれ? この匂い……お酒?
「奥様、申し訳ございません。先程ハインツ殿が来室した際に、どうやらハルト様に酒入りの菓子を食べさせたらしく……」
こそっと小声でそう伝えて来るクレイさんを押しのけるようにして執務室から出て来たハルトが、がばっと私に抱きついて来た。
酔っぱらいだ、酔っぱらいがいる……!
ハルトがお酒に弱いとか、聞いた事ないんだけど。
思わず眉根を寄せていると、すかさずクレイさんが「ハインツ殿が持参した菓子に入っていた酒が、どうやら相当強い酒だったようです。」と教えてくれた。
ハインツさーん! 職務中の自分の上司に何してくれちゃってんの!
……いや、わかってる、わかってるよ。どうせハインツさんも酔っぱらってたんでしょ…。
何で昼間からお酒飲んでるのかは知らないけどさ……。
「リクー。聞いてくれよ。オルテナ帝国が面倒な事言って来てさぁ。もうほんと、あの国いい加減にしてくれって……ん? 何持ってるんだ?」
普段なら絶対職務中に愚痴らないハルトが愚痴りかけた時、ふと私が手に持っている物が気になったようだ。手を伸ばして来たので持っていた似顔絵の紙を渡す。
似顔絵を受け取ったハルトは私から離れると、紙に描かれている人物を凝視した。
「それ、魔王ゾイ=エンの故郷を壊滅させた人族の似顔絵なんだけど……。その人、かなり凶悪だから放置してるとまたゾイみたいな魔族が現れないとも限らないし、その似顔絵を広めて貰って探そうかと思って。でも今日は相談するの、ちょっと無理そうだよね」
そう伝える間にもハルトの表情はちょっと抜けているような顔から、険しいものへと変わって行く。
「……この似顔絵の人物がゾイの故郷を滅ぼした犯人で間違いないんだな?」
さっきまでの酔っぱらいはどこへやら。
ハルトの声は明瞭で、芯が通っていた。
反射的に背筋が伸びる。
「間違いないよ。だってゾイとゾル…あの白い豹の記憶、両方で確認したもの。……心当たりがあるの?」
問いかけるとハルトは額に手を当てて天を仰いだ。
そして、私の問いに答えた。
「これは──この人物は恐らく、オルテナ帝国の皇帝の弟だ。ゴルムア=デリズ=オルテナ……狂人と呼ばれている人物だ」
この言葉に、クレイさんを始めとする執務室内の人々が息を呑んだのがわかった。
私でもわかる。
この絵と共に、魔王ゾイ=エンが人族を襲ったのはこの人物がゾイの故郷を滅ぼしたからだと公表したらどうなるか。
他国の王族を糾弾する事になる。当然、オルテナ帝国は反発するだろう。
ただでさえオルテナ帝国は今、魔族領のギニラック帝国と緊張状態にある。
何がどう転ぶか全く予想がつかないし、いい方向に向くとも思えない。
「……リク、悪いけど、これは多分公開できないと思う。陛下には話してみるけど、期待はしないでくれ」
「うん……」
仕方がない。そうとしか言えない。
わかってる。
わかってるけど、あぁ、何て言えばいいんだろう……。
どうして、どうして身分なんて物がこうも邪魔をするんだろうか。
そんなものの為に、また眠れる獅子を起こす事になりかねないというのに…どうする事も出来ないなんて。
「あぁ、無力だなぁ……」
思わず俯いて小さく漏らすと、よしよしと頭を撫でられた。無力感に苛まれながら、緩慢な動きで視線を上げる。
すると視線の先にいたハルトも悔しそうな表情を浮かべ、「本当にな」と呟いた。