78. 城塞都市アルトンの苦悩
道中は順調に進み、話題はリッジさんがハルトやフレイラさんに話しておきたいと言っていた内容へと移行していた。
その件を振った際の、リッジさんとアーバルさんの固い表情が忘れられない。
経緯が複雑でリッジさんやアーバルさんも半分混乱を来しながら説明していたので要約すると……。
どうやら近々戦争が始まるらしい。
戦端を切るであろう国はオルテナ帝国。同盟国として肩を並べるのは、騎士国ランスロイド。まさかの仮想敵国同士が手を組む形だ。
対するは、魔族領のギニラック帝国。建国100年を越える、割と長く続いている魔族領の国だ。
ギニラック帝国を支配するのは魔王レグルス=ギニラック。
魔王レグルスは鬼人族の剛鬼であり、どちらかと言えば好戦的な魔族。そして赤目の魔王種なのだそうだ。
剛鬼で赤目の魔王種って……もう種族特性と魔王種特性が一致していて、滅茶苦茶強そうなんですけど。
何故戦争が起こるのか。
理由は考えるまでもなく、オルテナ帝国側が魔族嫌いを大爆発させたからのようだ。
当初オルテナ帝国は水面下で魔族そのものの殲滅を掲げ、魔族領の各国へ密かに宣戦布告したらしい。
この密かにってところが厭らしい。もし大々的に発表して相手にされなかったら、ただの独り相撲になる。そんな風に恥をかかない為に、目立たぬよう相手の反応を探ろうとしたのだろう。
私にはそうまでして魔族領国家と戦う事にどんな意味があるのか、さっぱり理解できない。何せ魔族領は不毛の土地だ。仮に勝利して領土を得ても大した収穫にはならないだろうし、魔族を隷属化させても能力差の問題があるから、反抗されたら人族に被害が出る可能性が高い。
それくらいの事、子供でもわかる。オルテナ帝国の上層部には、あまりまともな人間がいないのかも知れない。
結果的には案の定、冷静な魔族領国家は無反応。相手にもしなかった。
唯一反応を示したのがオルテナ帝国に近い場所に国を構えていて、最もオルテナ帝国の魔族嫌いによる悪意を向けられ続けて来た魔王レグルスとその配下たちだったそうだ。
こうして、オルテナ帝国対ギニラック帝国の図式が出来上がった。
そこに、勇者を失って久しいランスロイドが何故か便乗した。
そう、何故か。ランスロイドが便乗した本当の理由はわからない。
一説によると、オルテナ帝国とギニラック帝国の戦火が飛び火してくる事を予測して、後々巻き込まれるくらいなら最初から勇者を擁するオルテナ帝国に協力して魔王を討伐してしまおうと画策した……という話がある。
定説として、勇者不在の国では魔王を相手にするのは不可能だ、というものがある。更に魔王側からしたら友好関係を結んでいない人族の国の国境なんて意味を成さない。特にレグルスは人族領のどの国とも友好関係を結んでいないから、そんな所まで配慮しないだろう。
一方、ランスロイドはランスロイドでこの東大陸ではオルテナ帝国に次いで魔族の脅威に晒されて来た国だ。どちらかと言えば魔族の希少種を保護するアールグラントよりも、魔族を嫌うオルテナ帝国寄りの考えを持っている可能性は高い。
故に、ランスロイドがオルテナ帝国と手を結んだ理由として上げられている説も、あながち的外れではないのだろう。
……けれど。
私はちらりとフレイラさんを横目に見た。フレイラさんの表情は固い。
どんな気持ちを抱えているのかはわからないけれど、祖国の状況に何らかの思いを抱いているのは間違いないだろう。しかしそれを推し量る事は、私には出来なかった。
フレイラさん自身が纏う空気も複雑な気持ちそのものを表しているようで、読み解く事が出来ない。
「ただ、オルテナ帝国の全ての都市が帝都の意志に同調しているわけじゃないんだ。アルトンも戦争には反対だ。何せアルトンはオルテナ帝国で最も魔族領に近く、最前線に立たされる位置にあるからね。それに、領主様も温和な方だから。いくら魔族を嫌っていようと──っと、ごめん、リクちゃん」
「気にしないでいいよ。続けて?」
傷つかないと言えば嘘になるけど、わかっていた事なので衝撃を受ける事もない。
今大事なのは私が魔族嫌い発言に傷つくかどうかではなく、状況を出来るだけ早く、詳しく、正確に認識する事だ。
そう考えて私が言い淀んだアーバルさんに先を促すと、アーバルさんも私の意志を汲んで頷いた。
「……いくら魔族が嫌いだろうとも、領主様は領民の命を優先しようと考えて下さっている。しかし既に水面下で戦端は切られてる状態だ。今はただ膠着状態になっているだけで、いつギニラック帝国から攻め込まれてもおかしくないし、いつオルテナ帝国側から攻め入ってもおかしくない状況なんだ。俺たちに逃げ道はない」
頭を抱えたくなるような状況だった。
最早城塞都市アルトンの領民は逃げられない。
下手にあの鉄壁の都市から逃げようとしてもアルトンの周辺には隠れられる場所が少なく、そうでなくとも魔族領に近いせいもあって、アルトン周辺にはかなり強い魔物が数多く闊歩している状態だ。そんな中を突破してまで、戦う力のない領民を安全に逃がす手段も余力も……そして何より、時間も、あろうはずがない。
更に悲惨なのは、オルテナ帝国と陸で接しているのが魔族領とランスロイドだけだという点だ。
魔族領に逃げればギニラック帝国の手の者がいるだろうし、ランスロイドを通り抜けてアールグラントに亡命しようにも、ランスロイドはオルテナ帝国と手を組んでいるので無事に通過出来ない可能性がある。
そこで領主様は考えたそうだ。外部に救援要請を出そうと。
そうして咄嗟に思い付いた相手が私だったと言う事らしいんだけど……いくら他に思い当たらなかったからと言って、他国の身分ある人と結婚した人間に助けを求めようとするなんて。
領主様、相当切羽詰まってるって事なのかな……。
「全ては水面下で進んでいる事だから、恐らく状況を把握しているのはオルテナ帝国やランスロイドの中枢に属する人たちと各都市の領主くらいだと思う。一般の市民には知らされていないし、アールグラント含む南部の国々にも情報は流れていないだろう。領主様も領民全員を逃がす事は出来ないと考えているようだし、もし戦端が切られたら国に反旗を翻してでもアルトン防衛に全力を注ぐつもりでいるんだと思う。それで乗り切れるならいいんだけど……間違いなく、乗り切れないだろうね」
何て事だ。
私が下手に手を出せばアールグラントにも累が及ぶ。けれどかつてアルトンで暮らしていた私には、彼らを見捨てる事が出来ない。
完全手詰まりで困り果てた領主様が助けを求める為にリッジさんたちを私やハルト、フレイラさんに会わせようとしたのも理解出来る。
理解は出来るんだけど……。
雁字搦めになって身動き出来ないのは、私たちも同じだった。
なまじ国王の子たるハルトが動いたのでは、アールグラントの総意と取られかねないし、フレイラさんは出来ればオルテナ帝国に返したくない。その後どのような扱いをされるかなんて、魔王との戦争が目前に迫っているなら尚更わかろうというものだ。前線に立たされ、旗印として戦わされるに決まっている。
私だってハルトとそう立場は変わらない。
一体、どうしたら……。
「私がオルテナ帝国に行くのが一番よさそうね」
静まり返った馬車内で、静寂を打ち破ったのはフレイラさんだった。
全員がフレイラさんに視線を向ける。
私やハルト、タツキは驚きの視線を。リッジさんとアーバルさんは期待の視線を。
「だ、駄目だよ! もし戻ったら、フレイラさんが前線で戦わされるに決まってる! それに、もしオルテナ帝国に戻っちゃったら、絶対もう逃げられないよ!?」
誰よりも動揺したのは珍しい事に、タツキだった。
けれど、フレイラさんは素直なその性格のままに、真っ直ぐな視線をタツキに向けた。
「オルテナ帝国からは、最終的に逃げられるわよ。だって、今決めたもの。私、魔王ルウ=アロメスの許に行くわ。彼の望み通り嫁にでも何でもなって、アルトンを守って貰えばいいのよ」
この言葉にタツキは絶句する。しかしその目に失望と諦めの色を宿すと、ゆっくりと首を左右に振って黙り込んだ。
再び沈黙が降りる中、私は改めて思案する。もしフレイラさんが宣言通りルウの許へ向かったとしたら、どうなるのかを。
少しだけ考えて、すぐに結論に辿り着いた。
「多分、だけど。魔王ルウ=アロメスは自己犠牲を嫌ってる節があったから、フレイラさんを受け入れない可能性が高いと思うよ。まぁ戦闘狂だから、協力くらいはしてくれるかも知れないけど。ただ仮に協力してくれたとしても、ルウは相手を殺さない事を信念にしているみたいだから、あまり役に立たない可能性もあるよ。一時的に両国の目を反らすのが限界だと思う」
私の言葉にフレイラさんは一瞬目を見開いて、肩の力を落とした。
「そう……じゃあこの方法はあまりよくなさそうね。でも一時的にでも両国の目を反らして貰えたら、アルトンの人たちくらいは逃がせないかしら」
「逃げたいのはアルトンの人たちだけじゃないだろうから、正直それでいいのかわからないけど……出来なくもないんじゃないかな」
認識阻害魔術で姿形を偽れば亡命の手助けをしたのがアールグラントの面々だとバレずに何とかなるかも知れない。
問題は、どこに逃がすかだけど……これも心当たりがない訳じゃない。
「そうか、そうだよな、逃げたいのはアルトンの人たちだけじゃないだろう。それに、アルトンを離れたがらない人間も多数出てくるだろうし……」
ぽつりと、リッジさんが呟いた。
その隣でアーバルさんも頷いている。
きっと彼らは極秘裏に領主様から事情を聞かされてここまで来たのだろう。
しかしアルトンの人々に亡命を望むか否かを問いかけたわけじゃない。全員がアルトンに残りたいと答える可能性だってあるのだ。
「俺も、今の家が大事だしなぁ……」
アーバルさんの言葉で、私の脳裏にはあの無駄に部屋数が多いアーバル邸が思い起こされた。結婚を機に一大決心をしてアーバルさんが購入した家だ。
ラセットさんが大変な思いをしながら掃除をして、文句を言いながらも楽しそうに一家揃って暮らしている家……あれを失うのは、私もちょっと嫌だ。
何かいい方法はないだろうか。戦乱からアルトンを守る方法。あの街を、戦争から切り離すような、何か………。
そう考えた瞬間、方法が閃いた。
「──ある。あった!」
思わず声をあげると、全員が私に注目した。
しかし私はすぐにその方法の欠点に気付いてしまって頭を抱える。
「あぁっ、でも待って、あれだと隔離しすぎて結局籠城するような形になるから、食料不足になるのか……!」
ひとりで苦悩しながらあれこれと考えていると、考えている事が無意識のうちに口から零れていた。
それを聞いて察したタツキががっしりと私の手を取る。
「古代魔術の結界! そうか、その方法があった!」
「でも食料の補給が出来なくなるから……」
「空間魔術、あれを完成させよう!」
「でももしかしたら、イザヨイみたいに古代魔術を破壊する能力を持った敵がいるかも知れないし」
「その時は僕が何とかするから大丈夫!」
タツキの目がこれまで見た事がないくらい真剣だった。
その勢いに気圧されて、ちょっとだけ身を引く。
「ま、間に合うかな、そんなに時間ないよね?」
「間に合わす!」
いつにない強い口調で断言すると、タツキはフレイラさんに向き直った。
「フレイラさんも諦めないで。アルトンの事は僕たちで何とかするから、今は神殿でフレイラさんがすべき事だけに集中して」
「え、えぇ。わかったわ」
フレイラさんもタツキの真剣な目に気圧されて息を呑む。
本当にこんな強気なタツキは珍しい。敵相手にならたまに強気に出る事はあったけれど、身内や仲間に対してこんな態度を取ったのは初めてじゃないだろうか。
「俺に協力出来る事はあるか?」
ハルトがタツキに問いかける。
どうやらアルトン守護作戦をまとめあげるのはタツキの役割になりそうだ。
「神聖魔術の知識を教えて欲しい。多分、他の魔術とは同じ効果のように見えるものでも違いがあるはずなんだ。そういう細かい所も探らないと、魔術の仕組みは見抜けない。仕組みが正しく見えていないと、空間なんて途方もないものを操る術を生み出す事は出来ないと思う」
「わかった」
タツキの言葉に頷くと、ハルトは窓の外を並走している騎士に声をかけた。
後続の物資を乗せた馬車から書くものを持って来るように指示を出す。
そんな私たちのやり取りを呆然と見ていたリッジさんとアーバルさんは、詰めていた息を吐き出すと小さな声で囁くように言った。「ありがとう」と。




