66. 巨城ゴート・ギャレス跡地
目の前に広がっているのは、その半分が瓦礫と化したかつて威容を誇ったであろう巨城跡。
崩れた瓦礫の隙間からは魔草が顔を出し、露出した床材を割って伸びる魔木もちらほらと見受けられる。
「随分と派手に壊れてるのね」
ぽつりとフレイラさんが呟く。
それは私も思った。同時に、それだけ激しい戦いがここで行われたのだと容易に想像もできた。
「魔王ゼイン=ゼルは巨体だったからな。城内だろうが構わず大暴れしてたし」
どこか懐かしむように巨城跡を見つめているハルトの声音は、心ここに在らずといった様子だ。まるでここではないどこかに意識を飛ばしているような──きっと魔王ゼイン=ゼルと戦った時のことを思い出しているのだろう。
「……魔王ゾイ=エンは、あの建物の中にいるみたいだね」
気配を探っていたタツキが、かろうじて原型を留めている塔の上方を視線で示す。つられて見上げてみれば、黒い影が窓際に見え隠れしていた。
しかし魔王ゾイ=エンか……。
あまりにも情報が少ないけれどこれまで集めたものをまとめると、魔王ゾイ=エンは魔王ゼイン=ゼルと同じく獣型の魔族。金目の魔王種であるらしい。以上。
存在は知られているのに、しかも獣型で金目の魔王種であるということまでわかっているのに、それ以外の情報が何もないというのが何とも不気味だ。
とりあえず城を破壊してしまうほどの巨体だったゼインに対して、このサイズの塔の中でも行動できるゾイはそこまで大きな体格ではないのだろうと推察する。
……なんて、ここであれこれ考察してても新たな情報が得られるわけでもないか。
とりあえずギルテッド王国にいるレネとフォルニード村のランサルさんに、目的地に到着したこととこれから戦闘に入るであろうことを念話で伝えた。
どちらからも「ご武運を」と返された。
この場にいない彼らからしたら祈ることしかできないだろう。
でも今この場にいる私にしても、全員が無事に生きて帰れるよう祈ることしかできない。
「行くか」
ハルトの一声で、ようやく場が動き出した。
* * * * * ハルト * * * * *
かつて魔王ゼイン=ゼルが根城にしていた巨城ゴート・ギャレス。
初めて目にした時はあまりにも巨大で厳めしくて、「なるほど、魔王の居そうな城だな」と思った。しかし魔王ゼイン=ゼルとの戦いで半壊し、長らく放置されていた巨城はどことなく物寂しさを漂わせている。
そう思うのは、かつての威容を覚えているからか。
ついしんみりしてしまうのも、ここにジルとバリスが眠っているからだろうか。
瓦礫を避けながら、恐らく魔王ゾイ=エンのものと思われる気配がある塔へと向かって歩く。
その塔はかつて四つあった塔の中で唯一崩壊を免れたものだ。よく崩れずに残ったものだと、あの戦いの激しさを思い出して感心してしまう。
ふと、他の面々は緊張しているだろうかと気になって後ろを振り返る。
するとそこには真剣な表情で俺の後に続くリク、タツキ、フレイラの姿があった。
さすが妖鬼と言うべきか、ただ歩いていているだけのように見えてその実、間断なく周囲を警戒しているリク。
表情こそ真剣そのものだけど、力みのない歩き姿から余裕を感じさせるタツキ。
そんなふたりとは正反対に、緊張した面持ちで忙しなく視線を巡らせているフレイラ。
俺はどちらかと言えば落ち着きのないフレイラに共感を覚える。
それなりに戦うことはできるはずだし自信もある。けど、この異様なまでの緊張感には慣れられそうにない。
生まれ育った環境、そして身を置いていた場所の違い。
それが嫌でも理解できてしまって、改めてその埋めようのない、決定的な違いを突きつけられているようで……。
──今は余計なことを考えるのはよそう。
元々巨城と呼ばれる規模の城だっただけに、塔に辿り着くには少々時間がかかった。歩いているあいだにリクが身体強化魔術と結界魔術をかけてくれる。
かけられた身体強化魔術は以前モルト砦に向かった時のように限界を見極めて最大限までかけたものではなく、人族が魔族並みの身体能力を得られる強度でかけたもののようだ。
これで初動から遅れを取ることはないだろう。
リクが身体強化魔術をかけたことで、俺もフレイラもより一層気が引き締まった。いよいよ魔王と対峙するのだという実感がより鮮明になる。
その証左のように、フレイラも彷徨わせていた視線を正面に定めた。
ようやく塔に辿り着くと、遠目からではわからなかったどっしりとした塔の胴廻りに圧倒される。
見上げれば首が痛くなりそうなほど高くそびえ立つその塔は、かつて魔王ゼイン=ゼルがレーザー砲のような技で一撃で破壊したものと同じ形だ。
思わずしみじみと見上げていると、視界の端に白い影が映りこんだ。
次の瞬間には素早く反応したリクが俺と白い影のあいだに飛び込み、結界を構築。
しかし突進してきた白い影が結界に体当たりすると同時に硬質な破砕音がして、リクごと結界が吹き飛んだ。
一瞬の気の弛み。
直前とは言えその気配を認識していたのに、全く反応できなかった自分を呪いたくなる。しかし今は悔いている場合ではない。
「ハルト! リクさん!」
フレイラの声が聞こえるのと同時に、甲高い音が響いた。リクが素早く立ち上がり、フレイラの方へと視線を向ける。
つられて俺もそちらに視線を向け──そこには、真っ白な体毛の豹に似た獣がいた。
四つ足で立っている状態でもフレイラの身長とそう変わらない白豹。その獣型魔族とフレイラが牙と剣とで激しい攻防を繰り広げている。
白豹から繰り出される爪による攻撃をフレイラが剣で弾き、時には回避しつつ隙を見て刺突を放つ。
それを白豹は最小の動きで躱し、フレイラの背後を取ろうと素早く走り抜ける……が、フレイラはそれをしっかりと視界に収めつつ体勢を整え直し、再度剣を振るって白豹との間合いを調整する。
傍から見ればうまく対処しているように見えるものの、フレイラの体には躱しきれずに受けた傷が少しずつ、着実に増えている。
自力で治癒魔術を使う余裕もないくらいギリギリの戦いを強いられているようだ。
リクもフレイラのサポートに入ろうとするが、あまりにも速い応酬に介入する隙を見出せないようだ。時折タツキが治癒魔術をかけているけど、それ以上の助力は難しい。
それは俺も同じだ。あの速度の中に飛び込んだところで足手纏いになるだけだろう。
となれば、取れる手段は限られてくる。
「リク、思いっきり身体強化魔術をかけてくれ」
俺は剣を引き抜きながらリクに声をかけ、返答を待たずに走り出す。走り出して間もなく全身が熱を帯びた。リクが身体強化魔術をかけてくれたのだ。
今回はかなり強力にかけてくれたらしく、感じた熱が先ほどとは比べ物にならない。
俺はあっという間に白豹とフレイラの許に辿り着き、剣を白豹とフレイラのあいだに滑り込ませた。
同時に、リクから強めに身体強化魔術をかけ直されたフレイラが素早く後方へと飛び退く。
白豹の動きが一瞬止まる。
その隙を逃さず素早く剣を振り下ろしたが、白豹は後方へ飛び退り剣の間合いから逃れた。しかしその左肩を浅く裂くことには成功したようだ。
白豹が殺意に満ちた目で睨んでくる。その瞳の色は──金ではない、青だ。
神々しさすら感じられる姿に反して、眈眈とこちらの様子を窺っている様子からは獰猛さしか感じられない。
身を低くして構える白豹。
こちらも素早く剣を引き戻して構え直す。
じりじりと間合いを測り合いながら膠着状態に陥っていると、じわりと白豹の真っ白な体表に赤い筋が現れた。さっきの一撃で裂いた肩口の傷だ。
一瞬、そちらに気を取られてしまった。その隙に先ほどのお返しとばかりに今度は白豹が突進してくる。
本当に俺は学習しないな!
頭の片隅で反省しながら、ほとんど条件反射で神聖魔術を放つ。
「光よ、走れ!」
真っ直ぐ突進してきた白豹は迫りくる光の筋に対処しきれず、ギリギリのタイミングで側方へ逃れて致命傷を避けた……が、右の後ろ足が光に呑まれて塵と化す。
そしてそのまま転倒。
明らかな隙がそこにあった。
思い切り地を蹴り、走る。走りながら剣を構え、白豹に肉薄する。
白豹もこちらに気づき、何とか体勢を立て直そうと足掻いた。しかし、俺が剣を振る方が僅かに速い。
「はぁっ!」
裂帛の声とともに剣を振り上げ、白豹の胴体を深く切り裂く。
致命の一撃をまともに受けた白豹はカッと目を見開き、ふらりと足をもつれさせた。
そして。
急激に瞳から光を失い、地に倒れ伏す。
わずかな痙攣。真っ白な胴体から、じわりと赤が染み出すようにして広がっていく。
その色はやがて白灰色の地面にも広がり、痙攣していた白豹の体から完全に力が抜け落ちた。
それを見届けて、ようやく構えを解く。
終わっ……てないか。どうやらこの白豹は魔王ゾイ=エンではなさそうだし。
しかし先ほどまで塔内にあったはずの魔王ゾイ=エンのものと思われる気配が、今はもう感じ取れない。
そのことに警戒を強めつつ周囲を見回そうとし──突然、フレイラに腕を掴まれた。
「ハルト、リクさんが……!」
焦燥の表情で訴えてくるフレイラ。
その瞬間、背筋に寒気が走った。
素早く視線を巡らせると、まず最初にリクの後ろ姿が目に入った。
続いてタツキの姿がリクの斜め後方に。
そして。
ふたりと対峙する位置に、それはいた。
先ほどの白豹と同じような体格の、黒豹が。
しかしぞっとするような気配を発しているのはその黒豹ではない。リクだ。
これまで感じたことがないような、強烈な怒気。リクの白銀の髪が逆立っているように錯覚するほどの。
大きな怒りがリクの放つ威圧と一体となり、辺りを支配していた。
思わず足が竦む。するとドンッと背中を強く叩かれた。
振り返ればリクの怒気と威圧に耐えているのだろう、顔を強張らせているフレイラと目が合った。
フレイラはそのまま俺の視線を誘導するように、自らの視線をリクの方へと振り向ける。
「早く行け」と言われた気がした。
勝手にそう解釈するなり、俺は駆け出していた。
恐らく冷静さを失っているであろう、リクの許へ。




