64. 隣にいるために
ハルトとフィオの話し合いは日が落ちるまで続いた。
会議室から出てきた両人は疲労困憊の様子で早々に各々の部屋へ退散してしまったので、マナの件をフィオに確認することはできなかった。
仕方がないので、この日はフレイラさんに念話の心得を、興味を持ったマナに念話を教えて解散した。
マナはさすが金目の魔王種とも言うべきか、念話への適性が高かったのですぐに念話が使えるようになった。よほど念話が楽しかったのか普段の言葉の少なさが嘘のように、念話を使ってたくさん話しかけてきたのが微笑ましかった。
念話講座解散後、私はこっそりフレイラさんに念話を送り、あることをお願いした。マナにフォルニード村の状況を話をしておいて欲しい、と。
嫌な役回りで本当に申し訳ない。けけど、私は私で一刻も早くハルトから話し合いの結果を聞いて人族領側に連絡を入れなければいけない。それを察したのか、フレイラさんは快く引き受けてくれた。
本当にフレイラさん、人がよすぎる。
いつかしっかりお礼をしないとなぁ……。
フレイラさんと別れて部屋に戻ると、ベッドに倒れ込んでいたハルトから話し合いで決まった事項を聞き出した。早速フォルニード村のランサルさんを通して人族領側へ報告する。
フィオが協力してくれるのは基本的に後方支援。
協力できる範囲での物資の支援を基礎に、冒険者ギルドへの護衛依頼の口利きなどもしてくれるそうだ。また、ギルテッド王国国内の宿の割引も約束してくれた。
さらにギルテッド王国を訪れた調査隊の人々から保護を求められた場合は保護の上、折を見て人族領へ移送してくれるとのこと。
破格の対応だ。その破格の支援を取り付けるのにハルトが奮闘してくれたことは言うまでもない。
一体ハルトがどのような交渉をしたのかわからないけれど、ずいぶん粘ったんだろうなぁと思う。その証拠に話し合いは日が暮れるまで続いたし、話し合いが終わったあとのふたりは本当に疲れ切っていた。
「アールグラントには報告しておいたから、しばらく返答待ちだね」
倒れこんでいるハルトに声を掛けると、ハルトからは呻き声が返ってきた。
これは……返事かな?
まともな返事もできないくらい今日はもう限界らしい。早めに休ませた方がよさそうだ。
「じゃあ、また明日ね。おやすみなさい」
「おやすみ……」
答える声が力ない。布団に入らずそのまま眠ってしまいそうな気配。
気候変動がほとんどない魔族領とは言え、今は冬だ。掛け物も掛けずに寝たら風邪をひくに決まってる。
仕方がないので私はハルトをひょいと抱き上げた。
「うわっ!?」
さすがに目が覚めたらしいハルトを片腕と膝で支えつつ掛け物をベッドから剥がし、ハルトをベッドにおろす。その上から剥がした掛け物を掛け直した。
「それじゃあ、おやすみ」
「……ちょっと待った」
改めてハルトの部屋から出ようとすると、引き留められる。
振り返ると、ハルトが半身を起こして掛け物を持ち上げていた。
「今日は一緒に寝よう」
「え……抱き枕にされると寝にくいからご遠慮します」
反射的に関所跡でのことを思い出して断ると、ハルトは一瞬思案して「じゃあ今日は俺が腕枕するから」と第二案を提示してきた。
やっぱり抱き枕にするつもりだったのか。
しかし腕枕はちょっと魅力的だ。未知なる領域である。
ハルトは腕が疲れそうだけどそれを覚悟の上で提案しているのだろう。
これまでの経験上、ハルトは疲れが溜まっていたり精神的に弱ってくるとくっつきたがる傾向にある。今日はほぼ丸一日かけて国レベルのやり取りをしてたからさすがに疲れたんだろうな……。
そう思ってハルトのベッドに潜り込むと、軽くぎゅっと抱き締められ、けれどすぐに解放された。
ハルトは提案通りに私の頭の下に自分の腕を置くと、再び眠気に襲われたのか欠伸をひとつ。
「魔王ゾイ=エンだけど、巨城ゴート=ギャレスにいるって話だっただろ……まさかまた、あそこに行くことになるとは……」
眠気に抗えないのか緩慢な調子でハルトが言葉を紡ぐ。
半分寝言かと思うような声音だ。
「ゴート=ギャレスには、ジルと、バリスが……」
そこまで呟いたところで睡魔に負けたらしく言葉は途切れ、間もなくすぅすぅという安らかな寝息が聞こえてきた。
ハルトの顔を見遣ると、完全に目を閉じて眠ってしまっている。
ジル。バリス。
ハルトにとって特別な人たちだ。
勇者になるのが嫌で神殿に囲い込まれる前に城から出奔したハルトが、その意志を覆えして勇者になることを受け入れるほど影響を受けた人物。それがジルだ。
過去に私たち家族がフォルニード村を訪れた際、遠目に見たハルトの隣にいた背が高くて体格のいい男性がジルだったのだとか。
そしてハルトが日頃愛用している剣。あの剣をハルトに与えたのがバリスなのだそうだ。
バリスはかつてフィオの仲間だった、かなり名前が売れていた冒険者。
私も一度だけ会ったことがあるけど、とても凄腕の戦士とは思えないような、穏やかで気のいい獣人のおじいさんという印象だった。
そのふたりはハルトにとってクレイさんやシタンさんに次ぐ剣の師匠でもあった。
ハルトと彼らは共に旅をして、途中でお父さんも加えて四人で魔王ゼイン=ゼルに挑んだ。そして──ジルとバリスは命を落とした。
バリスはジルを助けようとして。ジルは、ハルトを庇って。
お父さんからちらっと聞いた程度だけど、ハルトはきっとその時の光景が今でも鮮明に思い出せるのだろう。
お母さんが黒い神官服に命を奪われた瞬間を、私が今でも鮮明に思い出せるように。
手を伸ばして、完全に眠ってしまったハルトの頬をそっと撫でた。
前世の記憶があるとは言え、当時まだ十歳だったハルトが受けた衝撃はどれほどだっただろうか。
魔王との戦いは決して楽なものではなかっただろう。そんな中で頼りにしていた、そして尊敬していた人物をふたり同時に失うのはかなりの衝撃だったはずだ。
そしてその衝撃は、年を重ねても忘れられない記憶として刻み込まれているだろう。
そんな記憶がまざまざと蘇るであろう場所を、目指さなければならない。きっとハルトは複雑な気持ちを抱えているんだろうな……。
本当に、今世は王族に生まれたり、勇者になったり、魔王と戦ったり、大事な人を失ったり、国を支えたり、また魔王と戦うことになりそうだったり……と、ハルトの人生は波瀾万丈だなぁ。
まどろみ始めた意識の中でそんなことを考えながら、私はハルトにぴったりくっついて眠りについた。
「ハルトさん、おはよう! ちょっと相談に乗ってくれよ!」
勢いよく扉が開かれる音と同時にセンの声が室内に響き渡った。
全く気配に気付かなかった!
驚きとともに私とハルトはほぼ同時に目を覚まし、向かい合って眠っていたのでバッチリ目が合って思わず沈黙する。ハルトは何で私がここにいるのかわからないような顔をしている。
やっぱりあれは寝ぼけてたんだな……。
「──って、わぁ! ゴメンナサイすみませんっ! お邪魔しました!」
プライバシーも何もかもを無視して入室してきた割に、私がハルトと一緒に寝ていることに気付くなり慌てた様子でセンが退室しようとする。
しかしこのまま部屋から出してあることないこと吹聴されては敵わない。ので、弱体化魔術でセンの手足の感覚を麻痺させた。全く警戒していなかったセンはあっさり魔術にかかり、その場で前のめりに倒れる。
あれは顔面を床に打ち付けたかも。すまぬ、セン。
「……あー、おはよう、セン。ていうかリクは何でここに……いや、たぶん俺が引き止めたんだな」
「大正解〜」
むくりと起き上がったハルトはセンに挨拶を返しながらも、私がここにいるのは自らの所業であろうと思い至って額に手を当てた。
見事正解に思考が辿り着いたハルトに拍手を送りながら私も起き上がると、ベッドから降りてセンにかけた弱体化魔術を浄化魔術で解除。ついでに自分にも浄化魔術をかけつつ、そのままセンの腕を引っ張り上げて立たせた。
「おはよう、セン。顔打たなかった? 大丈夫?」
「だ、大丈夫だけど……あぁ焦った」
ほっと胸を撫で下ろすセン。
「……惜しいことをしたなぁ」
一方でハルトは相変わらず額に手を当てたまま、小さく呟いた……けど、私やセンの聴覚では丸聞こえだ。
センが気まずそうな視線を私とハルトに向けてくる。私も気まずい。
「……ハルト。センはハルトに用事があるみたいだから、私はマナの様子を見にいくね」
「ちょっと待った! リクさんからも意見が欲しいんだけど!」
気まずすぎるのでさっさと部屋を出ようとすると、すかさずセンに手を掴まれ引き止められた。
このタイミングで同性のハルトに相談って言ったらたぶんマナのことだろうなぁとは思うものの、まさか私にも意見を聞こうとは……。
たぶん私じゃ建設的な意見は出せないと思うんだけど、そんなこと会って間もないセンにはわからないか。
「私じゃあまりお役に立てないと思うんだけど」
「え?」
「相談事って、マナのことでしょ?」
役に立たない宣言をするとセンがぽかんとした顔をしたので、相談内容の予測を口にした途端、ボッと火がつくようにセンの顔が赤くなった。
どうやら図星だったらしい。
「えっ、えぇっ!? 何でわかったんだ!?」
「いや、あれはわかりやすかったよ……。マナ本人は気付いてなかったけど」
そんな会話をしているあいだもセンは私の手を掴んだままだった。
するとハルトがやって来てセンの手を私から引きはがし、私の腕をひいて自分の後ろに隠すように移動させる。
「俺に相談だったな。話の流れとセンの様子からするとセンがマナのことを好きになったとか、そんなところか?」
「そうだけど……ハルトさん、見かけに寄らず独占欲強いんだなぁ。でも安心してくれよ。俺、リクさんはいい人だと思うけど、好みじゃないから」
そう言われてしまうとちょっと複雑な気分だけど、まぁ私も自分がモテる部類の人間だとは思ってないので黙り込む。
あ、でも同性にはモテるんですよ。マナにも好かれている自信がある。
ちょっと悔しいから、意趣返しにセンに自慢していいかしら。
「それは結構。正直これ以上リクがちょっかいをかけられるのは避けたいからな」
「そんなにリクさんモテるの?」
センの素朴な疑問に、ハルトはため息ひとつ。
「一番最近だとフィオがちょっかいをかけてきたな。それにアールグラントにいた時は見合いの申し込みが殺到してた」
「「えっ!?」」
前者に関してはフィオにからかわれてるだけだと思うけど、後者に関しては初耳だ。
センと声を揃えて驚愕の表情を向けると、ハルトは困ったような笑みを浮かべる。
「やっぱりイムから聞いてなかったのか。もともとちらほらとリク宛に見合いの申し込みはあったんだけど、リクが守護聖の称号を得た直後から申し込みが殺到したんだ。まぁ、全部イムが握りつぶしてたけど」
何と。
「おかげで横から搔っ攫われることなく、俺の婚約者になってもらえたってわけだ」
「そうなんだよ、そこなんだよ。ふたりの様子を見てると政略的婚約じゃなくて恋愛からの流れで婚約してるっぽいから、ぜひ相談に乗って欲しいんだよ!」
言葉に被せるようにセンが身を乗り出し、ハルトの手を取った。
ちょっとぉ、私の許可なくハルトにお触りするのは禁止ですー!
……というのは冗談だけど、さっきの発言を受けて私の中でセンの株は急落中だ。なのでセンの手をちょっと強めにべしべし叩いて追い払う。
「痛い痛いっ!」
「それで? どういう相談なの?」
痛みでちょっと涙目になっているのを見て溜飲を下げると、私はセンに相談内容を話すよう促した。
一方センは叩かれた手をさすりながらも「どういうって言うか……」と呟きながら項垂れる。
「そもそもどうしたらいいのかわからなくて。今世は生きるのに必死で恋愛してる暇はなかったし、前世も自分から行動したことがなかったから……俺、どうしたらいいんだろう」
困り果てた様子で零すセンの獣耳と尻尾が下向きに垂れ下がる。
かっ、可愛いっ。
「なるほど、身につまされる話だな。でも俺から言えるのは、黙ってても何も変わらないってことと、諦めたくないなら行動するしかないってことだけだ」
ハルトはちらりとこちらを見た。
向けられているハルトの視線が何を意味するのかわからず、私は首を傾げる。
「俺も自分から行動できずに足踏みしてて、見かねた父上に尻を叩かれて行動を起こした口だから。あのまま何も行動しなかったら、リクは俺と婚約しようと思わなかっただろう?」
そう言われてしまうと頷かざるを得ない。何せ私はハルトから告白されるまで、自分の気持ちに全く気付いていなかったのだ。
タツキが言うには私もハルトの姿を目で追っていたらしいけど、完全無自覚だったしね……。
「あの時ハルトが婚約を申し込んでくれなかったら私は自分の気持ちになんて気付かなかったし、妖鬼の伴侶を探したんじゃないかな。妖鬼には『種を繋ぐ』っていう掟があるからね」
それに。
「そもそも私はハルトの婚約者にミラーナを推してたでしょ? 身分や種族の差もあったし、仮に自分の気持ちに気付いたとしても、それこそ私は行動を起こしたりはしなかったと思うよ」
そう正直に話せば、ハルトは肩を落として「やっぱり」と呟いた。
センが同情的な目をハルトに向けている。好きな相手に別の人を婚約者として推挙されていたハルトの心中を慮ったのだろう。
でも私の考え方は何もおかしい考え方ではない。むしろ一般的な感覚とも言える。それくらいこの世界では身分差や、同じ人型でも種族の差による壁が大きいのだ。
誰にそう教えられたわけでもないけど、本能的に踏み込める領域と踏み込めない領域を見分けてしまう。だからそこを踏み越えてくれたハルトはすごいと思うし、同時にハルトにそこを踏み越えさせようと背中を押したアールグラント国王陛下やお妃様たちはやっぱり変わってると思う。
「……まぁそういうことだ、セン。まだ知り合って間もないというか昨日初めて会ったばかりだろうし、今すぐ告白してもマナが困るだけだろうから様子をみる必要はあるけど、どうしても傍にいたかったら傍にいるための努力をしたらいいんじゃないか?」
「傍にいるための努力……」
センはまだピンとこないようだ。
ハルトの言葉を反芻するように口にする。
「そう。何を努力すればいいのかは自分で考えろよ? ただ、マナはまだ本調子じゃない。そのあいだはフィオに保護してもらうことになっている。けれど俺の見立てだと、マナはいずれフォルニード村に戻るはずだ」
「私もそう思う。マナは絶対にフォルニード村に戻ると思うよ」
口には出さないけれど、マナはずっとフォルニード村のことを気にかけている。
帰ったところでもう自分の家族がいなくても、きっとマナはフォルニード村に戻るだろう。
そう考えると、昨日の「フィオがマナを養女にしようとしている」という話に否定的な空気を出していたのも頷ける。マナはギルテッド王国に永住するつもりがないのだ。
だからこそ、国王という立場を持つフィオの養女になりたくないのだろう。
「そういう先々のことを予想して、それでもマナの隣にいたければ自分がすべきことが何なのか考えてみるといい。恩人であるフィオよりもマナの傍にいることを選ぶなら、だけどな」
ハルトの言に、センは眉間に皺を寄せて考え込んでしまった。
恩人と好きになった相手、そのどちらか一方を選ぶなんて、そう簡単にできることじゃないだろう。
けれど、私はセンにマナを選んで欲しいと思ってしまった。
マナはちょっとぼんやりしてるところがあるし、これは私がハルトに言われたことでもあるけれど、自分が希少種だという自覚が希薄な気がするんだよね。だから警戒心が薄いように見えてしまう。
実際は警戒心を全開にしているのだとしても、見た目から隙があるように見えてしまうのは正直なところ不安要素でしかない。
だから赤目の魔王種であり、かつ身体強化した私と身体能力がほぼ互角のセンがマナを守ってくれたら心強い。
打算的だけど、私だってマナが大切だ。でもたぶん、私はマナを守れない。マナのためにアールグラントを離れてフォルニード村についていくことはできない。
何故なら、私はもう誰の隣にいたいのかを選んでしまったからだ。
じっとハルトの背中を見上げる。
気分の問題なのだろうか、その広い背中に飛びつきたい衝動に襲われる。しかし我慢だ。自重しろ、私。
行動するのも大事だけど、TPOを弁えてだな……。
などと耐えているあいだに、センは「わかった、ちゃんと考えてみる!」と言い残して退室していった。
それを見送るなり私はえいっ! とハルトの背中に飛びつく。
「びっ……くりしたぁ。急にどうした?」
「いやぁ、何となく飛びつきたくなっちゃって」
ハルトの背中にぐりぐりと頭を押し付けているとハルトは私の腕を解いて向き直り、正面から抱きしめてきた。
「そんな風に言われると離れ難くなるな」
「ふふ。そうやってちゃんと言葉にしてくれるハルトが好き」
「俺も、リクが愛しくて仕方がないよ」
嬉しくて背中に回した腕に力を込めると、ハルトも少しだけ抱きしめる力を強くする。お互い力加減に気をつけてはいるけれど、苦しいくらいに抱きしめ合えるのが幸せで、幸せ過ぎて、ちょっと涙が出た。
泣きたくなるほどの幸せなんて、前世でも今世でも、ハルトと想いを通じ合わせるまで味わったことがない。本当に、ハルトに出会えてよかった。
だから考える。
ハルトがセンに言った言葉について。傍に──隣にいるための努力について。
ハルトはアールグラント王国にとってなくてはならない存在だ。その隣に立ちたいと願う私には一体何が必要なのだろう。どんな努力をすればいいのだろう。
そういったことをしっかり考えていかなければと、強く胸に刻んだ。




