6.【リク】五歳 妹誕生と初戦闘
天歴2511年。初夏。
五歳になった私に、妹ができた。
名前はサラフェティナ。愛称はサラ。
どうも妖鬼はちょっと長めの名前を付けて頭文字二文字を愛称としている気がする。
例えば私はセアラフィラ。愛称はセア。
父はイムサフィート。愛称はイム。
あ、でも母はアイラレイナで愛称がアイラだ。ちょっと違ったっぽい。
ともあれ、妹は無事に生まれた。
とても可愛い。お人形さんみたいだ。
けれど彼女が生まれるまでの間には、とてつもない苦労が存在していた。
◆ ◇ ◆
話は少し前に遡る。
母が妊娠してから妹が生まれるまでの日々を、私はしっかりと記憶している。
結論としては、妖鬼の出産も逃亡生活並……いや、それ以上に極限モードだった。その過酷さは、特番が組めそうなくらい。
私とタツキが母の妊娠を聞かされてからしばらくはいつも通りだった。
母も特別つわりとかなくて……というか、気分は悪くないかとか色々気遣ってみたのだけど、逆に不思議そうな顔をされたり、父に「何でそんなことを聞くの?」と、やはりこちらも不思議そうに言われたりして、私は何となく察した。
この世界の住人全部がそうかはわからないけど、恐らく妖鬼につわりはないのだろう。
妖鬼は常に逃亡生活をしている関係で、食事も睡眠も取らなくていいように体質すら変えてしまった種族なのだ。つわりのような、逃亡生活に不利に働く症状が何らかの形で解消されていてもおかしくはない……のかも知れない。
もしくは、つわりはあるけれど、それに抗うだけの気力と言うか……耐性みたいなものが付いているのかも知れない。
などとぐるぐる考えたりもしたけれど、結局は私があれこれ考えても詮無いことなので考えるのをやめた。
そのまま月日は流れ、先月。
母は臨月に突入した。
妊娠から出産までの期間は、前世の人間の妊娠期間と一致する。体の造りが酷似しているからかも知れない。
問題は、お腹がはち切れんばかりに大きくなっていようが何だろうがおかまいなく、これまでと変わらない逃亡生活を続けていたことだろうか。
そんな状況に両親が疑問を抱いている様子はない。やきもきしていたのは私だけだ。恐らく私が母のお腹の中にいた時もこうだったのだろう。
逃走中母は危なげなく走ってたけど、私はハラハラしっぱなしだった。しかし大丈夫なのか不安に思っても口にはできない。私のその感覚がこの世界でも通用するのかわからなかったからだ。
これまでの感じだと少なくとも両親には通用しないような気がして、口には出さなかった。
だから代わりに、私は母に代わって追っ手をやっつける役割を引き受けた。これまでは我慢してたけど、最後の一ヶ月になるともう心配が募りすぎて忍耐力の限界だった。
ならばせめて、少しでも母の負担を減らせないかと考えたのだ。
私の初戦闘は、両親の意向で魔物が相手だった。魔王の手下なんていきなり相手にできるもんじゃないと思ってのことだろう。
私もそう思う。
相手は背丈が1メートルほどの、青い肌を持つ小鬼が三体。
肌色こそ違えどぱっと見は私たちと同じ鬼人族に見える。しかし彼らには話が通じない。知能が低く、話も通じず、敵対行動をとりやすい生物をこの世界では魔物と呼ぶようだ。
私の身長と同じくらいの彼らは、やる気に満ちた顔でずんずんと近づいてくる。その様子を私の後方から両親が見守っている。
私は自分で考えた方法で戦うことにした。何てことはない、身体強化の付与魔術と結界魔術を使った上での近接物理攻撃だ。
追い払ったり意識を反らしたりする分には幻術でもいいけど、今回は私に戦う力があるのかを両親が見ることになっている。攻撃系魔術が使い物にならない私にはこれしかないだろう。
「総ての根源たる力よ、我が声を聴き、応えよ。
其は我が身そのもの。
望むは岩をも砕く強き力。
我が身に宿れ。
剛力!」
自分の体が一瞬熱くなる。付与魔術がかかった合図だ。
直後、詠唱中に距離をつめてきた小鬼たちの攻撃を身軽に回避する。これくらいなら妖鬼特有の素早さで対処できる。
対処しながら、結界魔術の詠唱を始める。
「総ての根源たる力よ、我が声を聴き、応えよ。
其は守護するもの。
望むは我が身を守りし盾。
顕現せよ。
結界!」
ぱっと光を放ちながら私の体を薄い膜が覆って、そのまま消える。
目には見えないけれど、ちゃんと結界は発動している。これで思い切り殴っても腕の骨は折れないだろう。
さぁ、準備万端だ。
私はさっと視線を走らせて一番近くにいた小鬼に走り寄った。さっきまで逃げ回っていた相手が急に迫ってきたからか、小鬼が怯む。
構わず私は小鬼の顎目がけて拳を振り上げた。アッパーだ。
小鬼が吹き飛ぶ。手応えから、小鬼の顎の骨が砕けたのがわかった。
ちょっと気持ち悪い。
顔をしかめつつ自分の拳を見遣る。
正直なところ、前世では殴り合いの喧嘩なんてしたことなかったし、非常識な行為だと思っていた。
しかしこちらの世界では、身を守るために戦わなければ……戦えなければ、命を失いかねない。それが当たり前なのだと、もう十分に思い知っている。
だからこそ思う。
私は前世の意識に引っ張られずに戦えるのだろうかと。
両親だけじゃない。私は自分としても、自分がちゃんと戦えるのか知らなければいけなかったのだ。
でも今ので何となくわかった。
抵抗はある。けれど多分、これまでの逃亡生活で私は自然と理解していた。
この世界では生きるために必要な暴力があり、それを振るうことを躊躇ってはいけないのだと。
前世では決してあり得ない常識を、私は受け入れた。
私はすぐさま自らの拳から視線を移し、次の獲物を探す。すると小鬼が1体、両親の方へと走り出そうとしていた。
すかさずそいつに駆け寄ると、走った勢いのまま膝蹴りをその背中に命中させる。地面に組み伏せ、自分を奮い立たせるために勢いよく息を吸う。
腹に力を込めて、体を少し捻りながら腕を振りかぶり、
「ぁああああっ!!!」
そいつの頭を、思い切り、殴りつけた。
飛び散る脳漿。
一拍遅れて、こみ上げてくる吐き気。
でもここで止まったら死ぬ。
今は両親やタツキがいるから死ぬことはないかも知れないけれど、こんな状態のまま大人になって、誰にも守って貰えなくなったら間違いなく私は死ぬ。
そう思って顔に付いた返り血を拭いながら再度周囲を見回すと、一目散に走り去る二体の小鬼の背中が見えた。
それを見た瞬間、急に、頭が冷えた。
私はタツキに抱き上げられて、我に返った。
長いこと小鬼の骸の上で固まっていたらしい。
「浄化せよ」
詠唱無しでタツキが浄化魔術を使う。地面から真っ白な光の柱が立ち上り、私についていた返り血や泥汚れが溶けるように消えて行く。
光が消える頃には、先ほどまでの戦いでついた汚れが嘘のように消えていた。
浄化魔術。
これは神聖魔術に属する、魔族に馴染みの薄い魔術だ。
主に人族と天族がよく使う魔術で、たまにタツキのように精霊族も使用する。
特に浄化魔術は神経干渉系の付与魔術を解除したり、治癒魔術と同じく身体を侵す毒などの異常をその名の通り浄化するのと同時に、身体や衣服の汚れまで浄化してしまう。
旅をする上でこれがあるとお風呂いらずになるという、便利魔術でもある。
便利な魔術。
そう、便利だ……。
「燃え尽きよ」
続いてこれも詠唱無しでタツキが火属性魔術を放つ。
絶命していた小鬼が一瞬にして灰になった。
母以上の火力だ。
それをぼんやり眺めていると、両親がやってきた。
「セア、大丈夫か?」
父が心配そうに私の顔を覗き込んできた。
反射的に父を見返しながら、何を聞かれたのかちょっとわからなくて首を傾げる。
「……大丈夫だよ?」
そう答えたが、私を見る両親の表情は晴れない。
そう、私は大丈夫だ。
ただ、何だろう、言葉では形容しがたい何かが引っかかっているだけだ。何かはわからないけれど、それが私の頭を冷やした。
逃げて行く小鬼。
絶命した小鬼。
……逃げて行く、小鬼。
あぁ、そうか。
逃げる、ということは、身の危険を感じたのだ。
私は小鬼たちにとって危険な存在だと認識されたのだ。
そうか、そうか。それが引っかかってたのか。
私は、危険な存在なのか。
……うん、何だかショックだ。
ショックを受けたから頭が冷えたのか。
原因がわかると一気にすっきりした。
すっきりはしたけど、ショックは残った。
「ねぇ、お父さん、お母さん、タツキ」
私は地面の黒い塊を見下ろしながら呼びかける。
両親とタツキがこちらに注目する気配を感じる。誰も言葉を発さずに、私の言葉の続きを待っている。
だから、私は何も考えずに言った。
「私、恐いかな」
そんな言葉が口を突いて出てきた。
頭で考えて出た言葉ではない。ただ純粋に聞きたかった。
すると、誰かが優しく頭をなでてくれた。手の主を見上げると、母だった。
慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、ゆっくりと何度も私の頭をなでてくれた。
「セアは恐くなんかないわ。優しい子よ。だって、お母さんのために戦ってくれたんでしょう? この子のために、頑張ってくれたんでしょう?」
母は自分のお腹をさすりながら、優しい声音で問いかけてきた。
「……うん」
ぽろっと、目から涙が零れた。一粒流れたらもう後は止めどなく涙が溢れた。
あぁ、もう。中身はいい大人のはずなのに、身体が幼いせいでやたら涙もろいんだから……。
「じゃあ泣かないで、セア。あなたみたいな優しい子には、まだ辛かったわね? だから、次からはお父さんに戦ってもらいましょうね」
「「え……?」」
母の言葉に、私と父の声が被った。
にこり、と微笑み直した母の笑顔は、どこか恐かった。
「大丈夫よ、イム。あなたならできる!」
何が大丈夫なんでしょうか、お母様。
お父さんは攻撃魔術得意じゃなかったですよね……!?
できないわけじゃないけど、魔王の配下相手にはどうかな!?
突っ込みたいけれどそれを言うと父がショックを受けそうなので口に出せずにいると、成り行きを見守っていたタツキがくすくすと笑い出した。
「どうしてみんな僕を頼ろうとしてくれないんだろうね?」
この言葉に、私と両親は揃ってきょとんとした顔になった。そして父が当たり前のように答える。
「そんなの決まってるだろう? タツキもうちの子なんだから、頼るより頼られたいんだよ」
私を守るために呼び出した守護精霊。
だけどいつの間にか、両親にとってもタツキは家族の一員になっていたのだ。
父の言葉を聞いて、タツキはぽかんと口を開けて固まった。けれどすぐに「あははっ」と声を上げて笑い、ちょっとだけ目の端に涙を浮かべて「ありがとう」と言った。
何だか私まで泣けてきそうだった。
結局、その後魔王の配下とは遭遇しなかったけれど、戦わなければいけない局面では父が頑張った。時々私も「将来のためにも!」と力説して実戦経験を積ませて貰った。
そうこうしているうちに、その日がやってきた。
母が産気づいたのだ。
生まれそう! と母が言うなり、妊婦含め全員が全速力で近くの鬼人族の集落に向かった。
そりゃもう全速力だ。妊婦も全速力だ。意味わかんない。
そして鬼人族の集落に着くなり数時間で出産、出産したら一晩だけその集落でお世話になり、翌日からは再び逃亡生活に戻るという……。
もう、何これ状態。理解不能。
何にせよ、この時ほど生きるって大変だわと思ったことはない。
今世は何かと気の休まらない日々を送ってるけど、心底げっそりした気分になったのはこの時が初めてかもしれない。
そう思うと私、前世に比べて相当タフになったわ。
タフにはなった……けれども。
本当に、切実に。もっと生活にゆとりが欲しい!