58. 金目魔王種の二次覚醒
その後改めてハルトに確認したところ、私が意識を失ってから目覚めるまで丸一日が経過していた。
私が目を覚ましたことはハルトからルースを通じて同行者全員に伝えられたけれど、みんな気を遣っているのか、もうしやらく休ませるようにと言われたそうだ。
ということで、引き続き私はふかふかの毛布が敷かれた馬車の中で横になっている。
……ハルトの膝枕で。
いや、ほんと、これ、なんで?
「あの……眠れないんですけど」
思わずそう訴えると、書類に目を通していたハルトが視線をこちらに向ける。そして首を傾げた。
いや、だから、なんでそこで不思議そうな顔をするの?
「なにゆえ膝枕なのでしょうか」
仕方なく具体的に眠れない原因について口にすると、いい笑顔が返される。
「俺の自己満足」
おぉ……なんと、まさかの自己満足!
そうとわかればこの状況に甘んじる理由はない。
私はごろごろ転がって移動して膝枕から脱出すると、転がった先にあった麻袋を枕に据える。
しかし。
「俺はくっついていたい気分なんだけどなぁ……」
ちょっと寂しそうに言われてしまうと弱い。
チョロすぎるだろう、自分。
そう思いながらも麻袋を持って移動すると、枕は麻袋のままハルトの横で寝転がる。
するとハルトはくすくす笑いながら髪を撫でてきた。絶対からかわれてる。
「本当、可愛いなぁ」
からかわれてる、からかわれてる。
私はそう自分に言い聞かせながら目を閉じた。
しばらくハルトは私の髪を撫でていたけれど、やがてその手が離れていった。書類に集中し始めたのだろう。
ちょっと寂しい気もするけど、とりあえずこれで安眠できる……。
──なんていう考えは甘かったようで。
隣でなにやら姿勢を変える気配がする。気になって眠れやしない。
そうっと目を開けると、ハルトも私の横に自分の荷物を枕にして寝転がろうとしているところだった。
ぎょっとして目を見開くと、隣に寝転がったハルトと目が合う。
「なんだ、寝たんじゃないのか」
「いや、だって気になって眠れないでしょうよ」
「やっぱり音を立てないようにしてもリクには気配でわかっちゃうのか」
ふむ、と考える仕草をしながらも、腹這いになって書類に目を落とすハルト。
もう寝直すのを諦め、私も腹這いになって「それは何の書類?」と問いかけた。
「関所の状況報告の書類。簡単な状況報告は同行している念話術師経由でモルト砦と王城に連絡済みだけど、これはちゃんとした報告用で──そうだ、リクの意見も聞いてみようかな」
そう言いながら、ハルトは書類を私からも見えるようにしてある箇所を指で示す。
「ここだけど、火災による崩落ってことでいいと思うか?」
「火災……まぁ、間違ってはいないけど」
実際、魔術によって引き起こされた火災だし。
けれど詳しい流れとしては恐らく、魔物の襲撃によって建物の耐久力が落ちたところをさらに炎に晒されたことで限界を迎えて崩れた……といったところだろう。
私はハルトが示す箇所以外にも目を通すと、ひとつ頷いて起き上がった。
「報告書を書いてるなら、やっぱり過去視で見たことをちゃんと話すよ。じゃないとあとから直しを入れることになっちゃう」
「……大丈夫なのか?」
何がとは言わないけれど、倒れるほどの凄惨な光景を見たと知っているからこそ、心配して聞いてくれたのだろう。
けれど今話すもあとから話すも一緒だ。この関所で命を落とした人たちのためにも、真実はしっかり伝えておかないと。
「大丈夫! ちゃんとどうしてこういう状態になったのか伝わらないと、亡くなった人たちも浮かばれないだろうし。それに、レスティが巣を追われた件に絡む情報もあるの。早めに伝えてみんなで考えた方がいいと思う」
そう答えると、ハルトは驚いた表情で体を起こした。
「レスティが巣を追われた件と絡むって……まさか、白神種の話か?」
「そう。とりあえずみんなのところに行こう」
私はハルトを促して馬車から下りた。
気配が密集している方を見れば、そこには大きな天幕があった。みんなあそこに集まっているのだろう。
天幕の外には見張りに立っている騎士がいたので挨拶をして、ハルトを先頭にして天幕に入る。
中にいた面々は私たちの姿を見て驚いた表情を浮かべながら一斉に立ち上がった。
「リク、もう大丈夫なの?」
真っ先に駆け寄ってきたのはマナだ。ちょっと泣きそうな顔で見上げてくる。
うっ、美少女の涙目上目遣い!
私はその麗しさに圧倒されつつ、マナの手を取った。
「心配かけてごめんね、マナ。でももう大丈夫!」
そう伝えればマナはほっと息を吐きながら眩しい笑顔を浮かべた。
普段表情に乏しいせいか本当に眩しい。目が潰れる。心象的に!
そんな内心の叫びをおくびにも出さず笑顔を返すと、改めて天幕内を見回した。
一応テーブルや椅子もあるけど今は天幕の脇に追いやられて、みんなが敷布の上で車座になっていた。その輪に近づけば、下座にいた騎士たちも上座にいた騎士たちも慌てて左右に分かれた。
きっと彼らは動線を確保するために移動してくれたんだろうなぁ……。
本当は今空いた下座に座りたいところだけど立場上気を遣わせてしまうのもわかっているし、お礼を言いながら上座に移動し、ハルトがの隣に立つ。マナは元々フレイラさんの隣だったらしくそこに並んだ。
ハルトは全員を見回し、座るように合図を出す。すると騎士たちは一斉に右手を胸に当て、一糸乱れず素早く座った。うわぁ、壮観だわぁ。
一方騎士以外の面々はその様子にちょっと驚きながらも座った。もちろん私もこちら側ですよ。
全員が座ったのを確認すると、ハルトは改めて見張り以外全員揃っているのを確認して、ちらりと一度こちらに視線を投げてから正面に向き直る。
「会議途中だとは思うが、ここで今後の話し合いをより現実に沿ったものにするために、リクが見た過去視について話を聞きたいと思う」
「えっ、リクさん大丈夫なの?」
ハルトの発言に、すかさずフレイラさんが心配そうな声をあげた。
本当に、みんな優しいなぁ。
「大丈夫。それにあの関所で何が起こったのか正確に把握しないと今後の方針決めにも支障が出るだろうし、関所を再建する時にも起こりうる最悪の状況がわかっていた方がいいでしょう?」
私の言葉に、天幕内にいる一同が真剣な表情で注目してきた。
いつの間にか天幕の隅にタツキも佇んでいる。近場にはいたんだろうけど、大事な話だと思って戻って来たのだろう。
私はハルトに倣って一同の顔を見回すと、ゆっくりと話し始める。
始まりは、一匹の中型黒狼だったこと。そのあと雪崩れるように黒狼、灰狼、赤猪といった魔物が関所に突入してきたこと。
関所自体も赤猪から体当たりを受けて深刻なダメージを受けていたところに、火属性魔術が放り込まれて火災が発生したこと。モルト砦に逃げ延びた兵士は、関所の責任者らしき人物からモルト砦に伝令に走るように言われた兵士であったこと。
関所の騎士や兵士たちが殺到してきた魔物相手に善戦するも、責任者らしき人物が倒れたのをきっかけに魔物の勢いに押され始め、最終的に全滅したこと。そして焼け落ちた関所を、多くの魔物が通り抜けて行ったこと。
それらを、順を追って話していく。
「関所に火を放ったのは白神種っぽい若い男の人だった。炎の精霊と契約を交わしてて、恐らく相当強力な干渉系魔術も扱える。もしかしたら星視術も使えるのかも。過去視している私の存在に気付いてたみたいだし、たぶん、ちょっとだけ私に干渉してきたんだと思う。大分記憶が薄れてるけど眠ってるあいだに夢を見て……夢の中にまでその人が現れて……」
私は断片的に覚えている夢の記憶を引っ張り出す。
と言っても思い出せる情報は少ない。過去視で見た白神種らしき青年と、その青年に手を差し伸べた目つきの鋭い初老の男性の存在。
その初老の男性が、恐らく今回の件の黒幕だろう……ということしか思い出せなかった。
「過去視先の存在に気付かれるなんて……ぞっとしますね。それでリクさんに隙ができてしまったとしても仕方のないことだと思います。ただ、いくら隙があったとは言えリクさんに干渉してくるなんて……その人物は相当な魔力と干渉力を持っているということでしょうか」
レネは寒気を覚えたらしく、小さく身震いした。
身体強化を除く干渉系魔術全体に言えることだけど、干渉する側の魔力量と干渉力が相手の魔力量を下回っていると干渉に失敗しやすい。
それを覆すためには相手に干渉されることを受け入れてもらうか、そもそも抵抗できないよう恐怖心を植え付けてしまうのが有効だ。
今回私が干渉を許してしまったのは凄惨な光景に参っていたことに加え、白神種の青年が持つ異様な存在感に恐怖心を抱いたからだ。
平常心でいられたのなら恐らく干渉など受けなかっただろうし、そのどちらかだけであれば辛うじて抵抗できたと思う。
「しかしその白神種の存在と、初老の男というのが厄介そうだな……。白神種に関してはレスティが巣を追われた時にも現れたそうだし、センザ手前の森の件もあるし」
「それだけじゃないよ。その白神種が本当に強力な干渉系魔術を扱えるなら、ブライを巣から追い出した例の白神竜の件とも繋がってるかもしれない。もし白神竜が操られていた場合、神竜を操っていたのはその白神種である可能性が高い」
ハルトの言葉に、天幕の隅にいるタツキも言葉を重ねる。
タツキの存在に気付いていなかった騎士たちがざわめいたけれど、気にせずタツキは車座の端に加わった。
「そうなると、この先で戦う可能性があるのは魔王ゾイ=エンとその白神種たち、そして白神竜か。とんでもないな」
「全くね……」
もはや会話の内容についてこられない騎士たちは、固唾を飲んでこちらの会話を聞いている。
『飛竜の翼』の面々も青ざめながら口を噤んでいた。
マナは……真剣な顔で話を聞いている。まるで自分も一緒に戦うんだと言わんばかりの、勇ましい顔つきだ。
確かにマナが手伝ってくれるなら有り難いけれど……マナから感じられる気配的に、恐らくマナはまだ二次覚醒に至っていない。一次覚醒レベルでは魔王とは戦いようがないだろう。
ましてや白神竜などという想像を絶するであろう強敵との戦いには連れていけない。
いずれにせよ、まずはフォルニード村にいかなければ。
話し合いは、話題が報告書に関わらない部分に入り始めたので一旦解散することとなった。
同席していた騎士たちからは緊張感が漂っていたけれど、次元の違う話から解放された安堵がうっすら感知できる。
そりゃそうだよね。私も自分が魔王種じゃなかったら多分、彼らと同じ反応をしてたと思う。
解散後、大きな天幕の他に中規模の天幕が四つ程用意された。
どうやら作戦本部があの大きな天幕になり、残りが寝泊まりするための天幕になるようだ。
しかし現時点で馬車七台分の人数がこの場にいる。大きな天幕も使わなければ収容しきれない。
どう割り振ろうかとハルトが悩んでいると、騎士たちから大きな天幕を騎士たちが使って残りの天幕を調査隊で使ってはどうかと提案された。
……って、いやいや。
調査隊って言ったってマナを含めても九人なんだし、中規模テント四つもいらなくない?
とも思ったけれど、やっぱり立場の違いを考えたら仮に男女別でふたつの天幕を借りたとしても、ルースたちがハルトと同じ天幕で寝泊まりするのは厳しいと感じるだろう。
かと言ってハルト一人でひとつの天幕って言うのもハルトが微妙な顔をした。
で、結局。
女子天幕にフレイラさん、マナ、レネ、アレア。男子天幕にタツキ、ルース、ウォル。
もうひとつの天幕にハルトと私、という振り分けになった。
……うん、何となくこうなる気はしてた。
はいアレア、そこでキラキラした目をしない!
各自天幕に入ると、昨夜あまり寝ていないらしいハルトには早めに寝てもらい、私は報告書のチェック作業を肩代わりした。私は十分眠ったし、そもそも通常であれば眠る必要もないんだし。
明かり取りの魔法道具が入ったカンテラを横に置いて、報告書に目を通していく。
手元の報告書には私が話した内容も書き加えられ、明らかに下書き状態ではあるものの特に直すべき箇所は見当たらない。魔術師団に入ってから私も成果に関する報告書を書いたことがあるけど、これは……チェックというよりもむしろ勉強になるわ。
などと感心している内に、外が明るくなり始めた。
報告書に修正すべき点も見当たらなかったので、今度は自分の魔術研究に手をつけ始める。
古代魔術の制御術式、既存の封印術式を改良したら組めそうなんだよね。これなら近日中に制御術式を完成させられるかも知れない。
ふふふ、やっぱり魔術研究は楽しいなぁ!
「ん……おはよう、リク」
一人テンションを上げていると、眠っていたハルトが起き上がった。
寝起きの掠れ声が実にいい。本当、ハルトの声好きだわぁ。
「おはよう、ハルト。よく眠れた?」
「ん。おかげさまで」
私が手元の紙束をまとめながら挨拶を返すと、ハルトはこくりと頷く。
「報告書のチェック結果だけど、特に問題なかったよ。むしろいい勉強になった。報告書ってこうやって書くとわかりやすくなるんだね」
「あぁ、それは三代前の国王が決めた形式に則ってるんだ。報告書が人ごとに違うと煩雑になりがちだけど、形式さえ決まってればどこに何が書かれているかすぐわかるだろ? 形式が定められてから書き手側も楽になったらしくて、その分内容を過不足なくまとめあげる方に力が入るようになったみたいだな」
ほうほう。なぜそれが魔術師団に波及していないのかわからないけど、形式を決めてしまうのはいい手だな。
今度魔術師団でも採用するように意見を上げておこう。
朝食を済ませると、ハルトは同行してきた騎士たちとともに大きな天幕に向かった。
と言っても今話し合うのは関所の状況に関する報告書についてで、関所の建て直しについては私たちがフォルニード村へ出発したあとに計画書が作成されるらしい。
騎士と言っても座り仕事も結構あるんだね。
ちなみに会議のあいだ、私にはやることがない。
フレイラさんやルースたちは武具の手入れがあるけど、私の魔剣は下手に手入れをしない方がいいとアールグラントの鍛治師から言われているので手入れのしようがない。
魔剣は特殊な素材でできてるから、剣自体に自浄作用が備わっているらしい。便利なのね、魔剣さん。
そんなわけで、私は特に何をするわけでもなくぼんやりとしていた。
少し離れた場所では会議に参加していない騎士たちが関所跡から遺体を運び出したり、空き地に墓を作ったりしている。そうだよね、放置できないもんね……。
手伝おうかとも思ったけれど過去視であの凄惨な光景を見てしまったせいか、関所に近寄るのが怖くて足が竦んでしまった。
情けない。
竜を前にしても大丈夫だったのにな。
しばしその光景をぼんやり眺めていたけど、突っ立っていても仕方がないので古代魔術の制御術式の組み立てに時間を費やした。
途中からタツキが加わったことで術式も組み上がってきたし、そろそろ魔法陣を試作する段階だろう。
空を見上げれば太陽が傾き始めている。
こんな状況ではあるけど、つい気が緩んでしまいそうな穏やかな空気に身を浸していると──
突如、もの凄い量の魔力が周囲に膨れ上がるようにして広がった。
まるで嵐のように、蒼い光を帯びた風が吹き荒れる。
見覚えのある光景だった。
これは覚醒時に溢れ出す魔力だ。それも、この魔力量──恐らく魔王種の二次覚醒だろう。
となれば、この魔力が誰の物かなどすぐにわかる。マナだ。
私はタツキと顔を見合わせて頷き合うと、マナの許へと走った。居場所なんて探すまでもない。この魔力の源を辿ればすぐに見つかる。
私たちは天幕の外で叫び声を上げながらうずくまるマナと、その隣でうろたえるフレイラさんに駆け寄った。
私の比ではない量の魔力が周囲に溢れ出ている。マナに近い場所なんて、魔力の帯びる蒼い光によって青一色に塗りつぶされているように見えるほど。
一時的とは言え、人族領側でこれだけの魔力濃度を造り上げてしまっては環境改変の恐れがある。それを察したタツキがこれ以上マナの魔力が拡散しないよう手早く結界を張った。
一方で。
「マナ!」
私はマナに駆け寄ると、うずくまるマナを支えるようにその細い肩に手を置いた。
「あぁ、あぁぁああっ! 頭が、頭が割れそう! 気持ち、悪い……! いやだ、助けて……!」
「マナ、気をしっかり持って。大丈夫。マナならこれくらいの魔力、絶対に制御できるから!」
悲鳴のようなマナの声。私は励ますことしかできない。
しかし気休めなんて口にしない。
翼人は妖鬼と同じく魔術のエキスパートだ。生来、他の種族よりも多くの魔力を有している。
それに加えてマナは金目の魔王種だ。膨大な魔力に耐え得る素質は十二分に持っている。
痛い、気持ち悪い、とマナが叫ぶ。私はただひたすら背中をさすりながら励ました。
マナの感じている痛みも不快感も、この場にいる誰より私が一番理解しているだろう。同時に、それを和らげる術などないことも誰より理解している。
覚醒ばかりは、自分で乗り切るしかない現象なのだから。
フレイラさんは魔王種の二次覚醒を目の当たりにするのは初めてなのだろう。
青ざめて立ち尽くしている。
気付けば周囲にはハルトや『飛竜の翼』の面々、騎士たちが集まっていた。
状況が飲み込めない人たちにはハルトが説明してくれているけれど、あまりにも凄まじい光景に不安気な表情を浮かべる人もいる。恐怖の感情すらうっすらと伝わってくる。
そんな彼らとの間にどうしようもない隔たりを感じてしまって、その視線から隠すようにマナを抱きしめた。マナも縋るように、とても翼人とは思えないような強い握力で私の肩を掴む。
ちょっと痛いけど我慢だ、我慢!
そうしている内に、周囲に広がっていた魔力がマナに向かって収束し始めた。
この小さな体のどこに消えていくのかと思うほど、膨大な量の蒼い光がマナの中へと消えていく。
完全に周囲に広がっていた魔力がマナの中に消えると、それまで叫んでいたマナが糸が切れたように意識を失った。
慌ててマナを支えて抱き上げる。
いまだに周囲から不安と恐怖の入り混じった感情が感じ取れるのは仕方のないことなのだろう。それに対して思うところがないわけでもないけれど、種の差ばかりはどうすることもできない。
今はとにかくマナを休ませないと。
私は周囲の人々を安心させるように笑顔を向け、マナを女子用天幕の中へと運び入れた。




