50. マナとの再会
目的の建物に辿り着くなり、開け放たれていた扉を潜って中へと駆け込む。迷わず走った先には、廊下で話し合う医者らしき人物と治癒術師らしき人物。
その二人は私の姿を認めるなり小さく一礼をして、視線ですぐ横にある部屋を示した。
その先に、マナがいる。
私は扉の前の二人に会釈を返すとそのまま部屋へと入る。
そして目にしたのは、体中に包帯が巻かれ、翼を保護するためにうつ伏せに寝かされている青髪の翼人族の少女──マナだった。
「マナっ!」
意識がないらしく、マナの反応は皆無だ。辛うじて息をしているような状態。その呼吸も弱々しい。目に見える範囲以外にも、どこか損傷しているのかもしれない。
私はマナの横に駆け寄ると魔力を全てを注ぎ込み、確実性を得るために普段使わない詠唱を口にして治癒魔術を構築する。
「総ての根源たる力よ、我が声を聴き、応えよ。
其は癒すもの。
望むは健やかなる身。
傷を負いし者を包み、癒したまえ。
回復!」
私の呼びかけに応えるように蒼い光を帯びた風が周囲に広がり、マナへと吸い込まれていく。その光景を見て、部屋の出口にいる治癒術師が息を飲んだのがわかった。
それもそのはず。一度に込められる魔力量だけなら、私の方が圧倒的に上だからだ。
しかし効率という点ではどうしても本職の人には劣る。これだけ魔力を込めても、マナの外傷は半分も消えなかった。けれど、私が治療しようとしたのは外傷じゃない。体内の損傷だ。その点においては十分な効果が出ているはず。
「リク、どう?」
遅れて入室してきたタツキが室内に入りつつ問いかけてくる。
ハルトは遠慮して、部屋の入り口からは入ってこない。
「外傷は大丈夫そうなんだけど、多分体内の方に損傷があるんだと思う。一応、魔力を込められるだけ込めて治癒魔術をかけてみたけど、それもどれだけ効いてるのか……」
思わず俯くと、ふむ、と呟いてタツキは手のひらをマナに向けた。目を閉じ、眉間に皺を寄せながら時々首を傾げる。
そうしてひとつ頷くと、
「治癒魔術が届いてない箇所があるみたい。そこに魔術の干渉を妨害する針みたいなものが幾つか刺さってて、そのせいでマナ自身の魔力も正常に循環できなくなってるね」
そう言いながら力を行使する。恐らく魔術の干渉を妨げている何かを分解しようとしているのだろう。
人の体内への干渉……それも針程度の小さな物質だけを分解するとなると、かなり神経を使うようだ。いつになく真剣な表情で分解の能力を行使している。
ようやく目的を遂げたのか、タツキはマナに思念発動で治癒魔術をかけた。
ふわりと緑色の光が舞う。
タツキが扱う治癒魔術は私が使うような普及している治癒魔術ではなく、何か特殊な治癒魔術なのだろうか。普及している治癒魔術だとこの緑色の光は現れない。
緑の光が収まると、心無しかマナの顔色がよくなった。
タツキは改めて手のひらをマナに向けて、目を閉じる。
あれは、透視のようなことをしているのだろうか。
タツキは小さく頷いて目を開けた。
「もう大丈夫。魔力も正常に巡るようになったし、多分明日には目が覚めるんじゃないかな」
「本当っ!? ありがとう、タツキ!」
マナが助かる!
そう思ったら安堵から気が抜けてへたり込んでしまった。
「ギリギリだったけどね。センザへの到着があと一日遅かったら手遅れだったかもしれない。間に合ってよかった」
にこりと微笑むタツキ。
本当に、タツキがいると心強いし頼もしい。タツキが同行していることで得られる安心感の大きさを、私は改めて実感していた。
* * * * * タツキ * * * * *
《珍しくそちらから念話を送ってきたと思ったら、人助けだったか》
頭の中に、神様──イフィラ神の声が響く。
《私的なことで御力をお借りして、申し訳ありません。おかげさまでリクの友人を助けることができました。ありがとうございます》
礼を言うと、イフィラ神の小さく笑う声が届く。
《構わぬ。そなたは本当に、姉君を中心に世界が回っているのだな》
言われてぐっと黙り込む。
そこまでシスコンじゃないと思うんだけど……。
でも瀕死のマナを前に動揺するリクを見て、何としても助けなければと思ったのも事実だ。せっかく今世では幸せを掴んだのだから、リクにはしっかり幸せになって貰いたい。
そのためにも、僕が手を貸すことで防げる不幸は極力取り除いてしまいたかった。
そう思ったからこそ、イフィラ神の力を借りた。
念話を通じてイフィラ神と意識を繋ぎ、マナの状態を診てもらった。そしてマナの命を救うために何が障害になっていて、どうすればその障害を取り除けるのかを教えてもらったのだ。
その結果、マナの体内に魔力の循環を阻害する異常を見つけ、細心の注意を払って取り除き、神の加護の力を使って治癒を施した。
僕には生命を司るイフィラ神の加護があるから、生命に干渉しようとすると神の加護が働いて効果が増幅される。治癒魔術もそのひとつだ。
イフィラ神の加護は発動するとどうしても緑色の光が出て目立つから使用には躊躇を覚えていたけれど、今回は加護のおかげでマナを助けることができた。もしイフィラ神の助力を得られなければ、僕が何をしようともマナは助からなかっただろう。
《とりあえず、無事問題は解決したようだな。そろそろ念話を切るが、また何か困ったことがあったら必ず相談するように。それと、いつも言っているがあまり無茶はするな。特に先程の話……中央大陸に行くのであれば、単身で乗り込むなど言語道断だ。もしそのようなことをしたら、無理矢理にでも私の眷族にしてしまうからな》
《……はい。 肝に銘じておきます》
眷族になるかどうか、という話はこれまでにも何度も問われてきたことだ。現時点でも十分イフィラ神の眷族のようなものだけど、格としては眷族よりかなり下、仮の眷族のような立ち位置。
もし正式に眷族になったらもっと強い加護が得られて、それに比例して強い力も得られるという話だけど……今以上の力が手に入った時、僕はその力を御せる自信がない。
そんな理由で頑なにご遠慮申し上げ続けていたら、いつの間にか「眷属にするぞ」という一言がイフィラ神の僕に対する脅し文句のようになってしまっていた。
神様とは言え、こういう遣り口は人間臭いと思う。
《では、また連絡する》
《あの……ご心配頂けるのは有り難いのですが、僕ってそんなに信用ないですか?》
《ふっ、信用はしている。だがそなたがあの姉君同様、突発的に無茶を仕出かすことも知っているのでな》
心外!
僕は絶対リクより慎重だし、そんな無茶は……してない、よね?
《忘れているようだが、そなたの考えていることはこちらに筒抜けなのだぞ》
《わかっててやってるので》
《ふふ、そうか。本当にそなたは面白いな》
そう言い残して、イフィラ神との念話は切れた。
面白いって思われてたのか。これも心外だ……。
* * * * * リク * * * * *
結局この日はセンザで一泊することになった。
遅れてやってきたフレイラさんが宿を手配してくれたのでハルトとタツキ、フレイラさんはそちらで休むことに。私は、泊まり込みでマナの様子を見ることにした。
あの後医者と治癒術師が改めてマナの容態を診てくれたけど、どちらも驚くほど状態がいいと太鼓判を押してくれた。命の危機にあったとは思えないくらい持ち直しているらしい。
それを聞いて安心した私はマナの眠るベッドの横に椅子を置き、フレイラさんが持ってきてくれた荷物から紙束を取り出した。
マナに治癒魔術を使うために消耗した魔力も二次覚醒を経ているおかげであっという間に回復したし、特に眠る必要もないのでマナの様子を見がてら召喚魔術に関する自分なりの考えを書き出していく。
召喚魔術……妖鬼の場合は極端に適性が低くて行使できる者がほとんどいない系統の魔術だ。
私には守護精霊がいるけれどこれは特殊例で、私の召喚魔術への適性に関してはほかの妖鬼と変わらない低さ──むしろ皆無だと思う。
そもそも召喚魔術とは、主従契約を交わした精霊や魔獣を術者の任意のタイミングで喚び出すことができる魔術を指す。しかし召喚した精霊や魔獣を顕現させ続けるには相応の魔力を消耗し続けねばならない。
つまり、召喚主の魔力残量を召喚された精霊や魔獣の維持に必要な分量より下回らせれば、召喚魔術そのものを破綻させることが可能なのだ。
その点を踏まえて、もし召喚魔術に対処できる人間がいない時に召喚魔術の使い手が現れた場合、その場にいる人間だけで対処可能する方法はないものか……と考える。
その結論は、すぐに出た。
竜に対処するために作り上げた魔法陣──過剰供給された魔力を集める魔法陣を応用すればいい。
あの魔法陣を改造して精霊使いや魔獣使いの魔力を削り取り、召喚魔術さえ封じてしまえばあとは追い払うなり捕らえるなり対処できるだろう。
そう活路を見出せば、あとはこの町の魔術師団を尋ねて事情を説明し、考案した魔法陣を託すだけだ。
思い立つなり私は手元の紙に魔法陣を描き始めた。
竜に対抗するための魔法陣を基礎に置き、対象を指定する術式を書き換え、全体が破綻しないように修正を加えつつ形を整えていく。
そうこうしているうちに、気付けば二の鐘が鳴っていた。
三の鐘が鳴る頃、ハルトとタツキ、フレイラさんがやってきた。
フレイラさんが気を利かせて開け放った窓から日の光が差し込んできて、その眩しさに私は目を細める。
「マナはまだ眠ってるの?」
タツキに問われて私は頷く。
「でも医者も治癒術師も驚くくらい回復してるって言ってたよ。タツキはあの時どうやって治したの?」
「ああ、それは……まぁ、僕は生命を司る神様から加護を貰ってるからね」
ははぁ、なるほど。
確かにイフィラ神の加護があるなら瀕死の人くらい治せちゃいそうだわ。
相変わらずタツキはどの方面でもチートなのね。
まぁ神様直々に手伝いを頼まれてるんだもの、それくらいの力を与えてくれていなかったら私はイフィラ神を軽蔑しちゃうかも。それくらい危険な仕事をタツキに課してるわけだし。
その神様から与えられた力をもってしてもタツキがボロボロになって帰ってくることがあるのだから、この世界は恐いところなのだと改めて認識する。だからこそ、中央大陸にひとりで行かせるわけにはいかない。
でも果たして、私がついて行ったところで足手纏いになりはしないだろうか、とも思う。悩ましいところだ。
つい悩みの渦に陥っていると、横から小さなうめき声が聞こえた。
反射的にそちらに視線を向けるとマナの翼がふるふると小さく揺れる。
「ん……ここ、は?」
掠れた声。続いてマナの目がうっすらと開く。
何年ぶりかに見る不思議な虹彩を宿した金色の瞳がゆっくりと周囲を見回し、ぴたりと私に向けられた。
私は思わずマナの手を両手で握る。
嬉しさのあまり強く握り込みそうになって、慌てて力を抜く。妖鬼同様、翼人もあまり頑丈ではないことを思い出したのだ。
「マナ! あぁ、よかった……!」
私の声に反応して、マナの目が見開かれる。
「セア……リク……?」
寝起きでまだ混乱しているのだろう。
鈴が転がるような愛らしい声が、私のふたつの名前を呼ぶ。
でもどちらも私の名前だから無問題!
「そうだよ、マナ! 体調は大丈夫? 自分がどうしてここに来たか、思い出せる?」
目覚めたばかりであれこれ問うのはどうかとも思ったけれど、つい前のめりになって訊いてしまう。
マナはしばらく驚きのあまり固まっていたけれど、私の問いに真面目顔になり、ぽつりぽつりと答え始めた。
「体調は、大丈夫。ちょっと体がだるいけど、それくらい。どうしてここに来たかは……思い出せる。思い、出せる!」
マナは勢いよく起き上がると、縋るように私の手を握り返してきた。みるみるうちにその瞳に涙が溜まり始める。
「リク! お願い、助けて! フォルニード村が、フォルニード村が!」
ぼろぼろと涙を流して、以前会った時の印象や手紙でのやり取りで知った静かなマナとは違う、強い感情の籠った声で訴えてくる。
その切実な様子に、後ろに控えているハルトやタツキ、フレイラさんも息を呑む。
私はそっとマナを抱きしめると、ゆっくりとその背を撫でた。
大丈夫、大丈夫。そう言い聞かせるように。
「マナ、落ち着いて。マナが困ってるなら私、絶対に助けるから。だから、ゆっくりでいいから、話してみて」
するとマナもぎゅっと私を抱きしめ返して、こくこくと頷いた。それから小さく深呼吸を繰り返して呼吸を整え、私から離れるなりぐいっと涙を拭う。
そうして顔を上げたマナには、もう動揺は見られなかった。強い意志を宿した金色の瞳に私の姿が映り込む。
「ボクも逃げるのに必死だったから、何日前のことだったかは正確にはわからない。けど、何があったのかははっきりと覚えてる。フォルニード村にあいつらが……黒い神官服を着た人間と魔王ゾイ=エンの配下たちが、急襲してきたんだ」
黒い神官服。
魔王ゾイ=エン。
その単語に一気に室内の緊張感が増した。
マナはそれに気付いた様子ながらも、話を続ける。
「あいつらの目的は、フォルニード村にいた希少種だったんだと思う。あっという間にゾイの配下と黒服が召喚した魔獣と、その魔獣が呼び寄せた魔物が大量に押し寄せてきて、村に暮らす翼人や、たまたま訪れていた妖鬼、竜人、魔人……希少種が真っ先に襲われた」
『研究者』。
否応なしにその単語が脳裏に浮かぶ。
「ボクは村の皆からアールグラントに助けを求めに行くように頼まれて、必死で逃げてきたんだ。けれど関所も魔物に襲われていて、壁を越えるしかなくて……」
背後でハルトが動揺したのがわかる。
しかしぐっと堪えてマナの話を聞く姿勢を貫いた。
「でも壁を越えて砦が見えるくらいのところまできたら、ゾイの配下に追いつかれて……何とか倒したけど、ボクも限界で……必死に歩いていたら、この町に辿り着いたんだ」
砦……恐らく、関所とセンザの中間地点にあるモルト砦のことだろう。
私は横目でハルトを見遣った。視線に気付いたハルトは、眉間に皺を寄せながらも頷く。
マナの話から、アールグラントの関所が危機的状況に陥っていることは明白だ。そしてモルト砦も襲撃を受ける、もしくはすでに受けている可能性がある。早急に状況を確認し、対処しなければならない。
ハルトは「失礼する」と告げて部屋を出た。恐らくセンザの騎士の詰所に向かったのだろう。
その後ろ姿を見送り、私はマナに向き直った。そして改めてその手を握る。
「話はわかった。フォルニード村への救援は必ず送る。ただフォルニード村への道のりが安全かわからないから、実際に助けが到着するには時間がかかると思う」
その場合、フォルニード村が壊滅している恐れもある。マナにはその覚悟をして貰わなければならなかった。
心苦しいけれど、それが現実だ。
しかしその意図を理解したのだろうマナは、若干表情を歪ませながらも頷いた。
「わかってる。ありがとう、リク」
「……うん。って言っても、私に騎士や兵を動かす権限はないから、お礼を言うなら手配しに行ってくれたハルトに言って。とりあえずマナが無事……ではなかったけれど、こうして生きて、助かってくれて……私に会いに来てくれて、すごく嬉しいよ。頼ってくれて、ありがとう」
そう告げると、マナはお礼を言われた意味がわからないと言わんばかりに首を傾げた。
けれど、すぐにその表情を綺麗な微笑みに変える。
そして言った。
「ボクも、リクに会えて嬉しいよ。願いを聞いてくれて、ありがとう」




