49. 希少種
黒い神官服たちの姿が消え、辺りに静寂が訪れる。
途端に、私の足が震えだした。
黒い神官服。
淡々とした声。
異様な気配。
思い出すなと言うには無理があった。
あの時とは顔ぶれこそ違かったものの、漂っていた空気には寸分の違いもない。
私は立っていられず、ぺたりと地面に座り込んだ。
あの時押し殺した恐怖と悲しみが、ぶり返してくるような感覚……。
「……お母さん」
駆け寄ってきたハルトが私の呟きから察したのか、そっと傍に寄り添うと背中を撫でてくれた。それでも消えない喪失感に、私は俯く。
剣に刺し貫かれたお母さんの姿が鮮明に思い出された。
じわりと視界が滲む。
あぁ、駄目だ。今はサラがいないから、涙を堪えられそうにもない。
「リクさん、どうしたの? 大丈夫?」
フレイラさんも心配そうな様子で寄ってきて、私の顔を覗き込むなり目を見開いた。
堪えてるつもりだったけど、やはり堪え切れていなかったようだ。
「フレイラさん、ちょっと……」
タツキがフレイラさんの手を引いて離れていく。同時に周辺に転がっていた黒狼の亡骸が消えた。タツキが分解してくれたのだろう。
そんな周囲の状況を理解できる程度には冷静な部分も残っていたけれど、それでも体の震えも喪失感も消えてはくれない。
「リク……」
気遣わしげな声がすぐ横からかけられた。ちょっと低くて安心するその声に、どうしようもなく縋りたくなる。
私はハルトに一度視線を向けると、その胸に頭を押し付けた。
「ごめん、ちょっとだけ胸を借りるね」
「好きなだけ使ってくれて構わない。もっと頼ってくれ」
そう言いながら、ハルトは優しく包み込むように受け止めてくれる。そんな存在がいることがこんなにも有り難いなんて、これまで知らなかった。
お母さんのことは思い出せば悲しいし、あの時の恐怖はどうしようもなく根付いてしまっているけれど、こうして縋れる相手がいて、ともすれば暗い感情に呑まれそうになっても引き止めてくれる存在がいて……自分は守られているんだと実感すると、喪失感と恐怖で足下が崩れていく感覚が遠のくような気がする。
「頼りにしてるよ、ハルト。こうしてハルトが支えてくれるから、私は立っていられるんだもの」
心底そう思う。
思えばハルトに「支えて欲しい」と言われたあの時もそうだ。
あの頃の私はお父さんと再会できてサラを守る役割を終え、ほかに打ち込めるものがなかった。だから半ば義務のように魔術研究を生き甲斐にしていて、でもそれは人生の目標には成り得なくて、地に足がついていなかった。
そんな時、ハルトは私の目の前に「ハルトを支える」という目標を提示してくれた。そのおかげで私は明確な標を得ることができたのだ。
「そうか。そう思って貰えてるならよかった」
ハルトがほっと息をついたのがわかる。
ハルトはもっと頼って欲しいとか思ってるのかな。私としては、十分頼ってるつもりなんだけど……。
そう思いつつも、前世の自分を基準に考えれば今世の私は何でも自分で片付けようとする傾向にあることも自覚している。それを自覚するのと同時に、私は自分が、自分で思っている以上に妖鬼らしい妖鬼なのだとも感じている。
妖鬼は十歳で独り立ちするものだ。
親も人族ほど子を甘やかさないし、十歳で独り立ちさせるために何でも自分でこなせるよう育てる。
まぁ私が二次覚醒したあとのお父さんは、何だか急に人族の親みたく子供に甘くなってたけど。
ともあれ私は自分が妖鬼らしい性質を持っていると自覚しているからこそ、妖鬼の掟でもある“種を繋ぐ”ことができる年齢になった時点でアールグラントに留まる理由がなければ、魔族領に戻っていたはずだ。
魔族領に戻って、本来あるべき妖鬼の逃亡生活を送って、そのうち旅先で出会った妖鬼の男性と結婚して、子供を生み育てたりしていたのだろう。
もしかしたら“生き延びる”ために必要に駆られて、魔王への道を歩んでいたかもしれない。
もしそうなっていたらと考えると、嫌だな、と思う。
今となってはもうそんな生活は考えられないし、今自分がいる場所以上に幸せに暮らせる場所があるとは思えない。だからこそその場所を守りたい。その場所を作り上げてくれている人たちにも幸せに暮らしていてほしい。
そこまで考えたところで、だったら黒い神官服を怖がっている場合じゃないでしょ、という気持ちが湧き上がってきた。同時に、どうして黒い神官服たちがセンザを狙っていたのか、それが気になった。
しかしそれは深く考えるまでもなく、即座にひとつの結論に辿り着く。
黒い神官服の者たちは恐らく、『研究者』に連なる者だと思われる。となればその目的は、生死問わず希少種の誘拐にあるはずだ。
つまり彼らが行動を起こしたということは、センザに彼らの標的となり得る希少種がいる可能性が高いのではないか。
私の中で、一気にスイッチが切り替わった。
「ねぇハルト。あの神官服たちの目的は何だと思う? 私はセンザに希少種がいて、その希少種を狙ってたんだと思うんだけど」
ぱっとハルトから身を離すと、即座に意見を求める。唐突な問いにハルトは一瞬きょとんとした顔になったけれど、すぐに苦笑して私の目元を指で拭う。
そう言えばさっきまで泣いてたんだっけ。
「確かにその可能性はあるだろうな。今回は撤退したけど、今後のことを考えるとあいつらが行動を起こした原因を探って、解決しておかないといけない」
応じながらも、ハルトはその視線をセンザの方向へと向ける。その表情は自然と険しくなっていく。
「しかしセンザに希少種か……魔族領も近いし、予測がつかないな」
確かに人族領、それもアールグラントにいそうな希少種となれば、神位種か魔族の希少種だろう。
人族には神位種以外にも希少種がいるけど、確か神位種以外の人族の希少種は生まれてすぐに神殿に保護されるって聞いたことがある。となると、センザにいる可能性は限りなくゼロだ。
「いずれにせよ、センザに行かないことには判断できそうにないな。馬車に戻るか」
「そうだね」
頷いて立ち上がり、周囲を見回す。するとタイミングよく森の奥からタツキとフレイラさんもこちらに戻ってきた。
ふたりは私を見るとほっとしたように微笑む。しかしフレイラさんはすぐに表情を改めて引き締めると私の方へと駆け寄ってきた。そしてぎゅっと手を握られる。
何だ何だ?
* * * * * フレイラ * * * * *
声もあげずに涙を流し始めたリクさんに驚いていた私は、タツキくんに手を引かれてハルトやリクさんから大分離れた場所まで連れてこられた。
そこでタツキくんから転生してから人族領で暮らすようになるまでの、リクさんが送って来た日々の話を聞くこととなる。
私はその余りの過酷さに、衝撃を受けた。
妖鬼が希少種であることは知っていたけれど、希少種であるが故に命の危険と隣り合わせで生活しなければならないなんて知らなかった。
食べず、眠らず、常に周囲を警戒するのが当たり前。
そこまでして生き延びなければならない妖鬼として生まれてしまったリクさん。
タツキくんが言うには、幸いなことに今世のリクさんの両親がそこそこ強かったのと、魔王種として生まれたリクさんの将来を憂いたご両親の願いから守護精霊としてタツキくんが生まれたおかげで、ほかの妖鬼と比べたら安全な方ではあったそうだけど……。
そうは言っても、道中で魔物に怯えながら行商をしていただけの私とは圧倒的に危険度が違う。
しかも常に命の危険に晒されている生活の末、一時期噂になっていた誘拐事件の黒幕と繋がっている可能性がある黒い神官服の男たちが現れ、目の前で母親を殺された。
それを悲しむ暇もなく、妖鬼の掟に従って父親をも見捨ててその場から逃げなければならなかったという話に、とてもじゃないけれど私にはそんな決断や行動を起こすことなどできないと思った。
例え育った環境が違くても、考え方が違うのだとしても。
決してリクさんは気楽な人生を送ってきたわけではなかったのだと思い知る。
あぁ、私は馬鹿だ。
嫉妬に駆られて、浅はかな妬みをリクさんに抱いてしまっていた。
日々を共に過ごすようになってそんな感情はかなり薄れてきているけれど、やはりどこか羨ましい気持ちが消えることはなくて……。
タツキくんがなぜ私にこんな話を聞かせたのかも、少し考えたらわかる。私にそのつもりがなくても、行動の端々に心の奥底にくすぶっている妬ましく思う気持ちが現れていたのだろう。
気付かないうちに、嫉妬心からリクさんを傷つけるようなことをしてしまったのではないだろうか。
……そう思っていたのだけど。
「フレイラさんは人がいいんだね。あんな風にリクを心配してくれるなんて」
ふわりと優しい微笑みを向けられて、私は一瞬何を言われたのか理解できずに目を瞬かせた。
人がいい? 私が?
「確かにちょっとリクに嫉妬してるような面もあったけど、オルテナ帝国の皇太子様の悪意からリクを守ろうとしてくれてたでしょ? リクから話は聞いてるよ」
そう言って笑うタツキくんからはもう、私に対する警戒心は全く感じられなくて。
「本当はね、その話を聞いた時点でフレイラさんは信用できる人なんじゃないかと思ってたんだけど……でももしかしたらぽろっと情報を漏らしちゃうタイプかも知れないでしょう? そういう人柄というか、癖みたいなものもちゃんと把握したかったんだ。でもそんな心配もいらなかったみたい。だから、約束通り話すね」
タツキくんは調査団の選任式の日に言っていた、私たちの前世の死因について話をしてくれた。
あの日、あの時。私は何が起こったのか全くわからなかったけれど、その全容を知って愕然とする。
私たちが暮らしていた町が消滅するほどの事故。それも、今いるこの世界側からの干渉で起こったことだったのだと知って、言葉を失う。
もしタツキくんの話が本当なのだとしたら、あの時、それまで当たり前にあった生活を一瞬にして奪われたのは私だけではなかったのだ。
それこそ、ハルトやリクさんも……。
そしてタツキくんは転生前に神様に会い、神様に頼まれてその事故の原因を探っているのだとか。
一応魔王フィオ=ギルテッドが協力してくれているようだけど行動を共にすることはないそうだから、たったひとりでこの広い世界を調べて回っているということだろう。
「それ、私にも手伝えないかしら」
思わず私はそう口走っていた。
だってそんな途方もない調べものをたったひとりでしているなんて、私だったら心が折れる。
「フレイラさんくらい強ければ魔族領も中部くらいまで踏破出来るだろうし手伝って貰えたら嬉しいけど、フレイラさんはオルテナ帝国の勇者でしょ。軽はずみにそんなことを言っちゃ駄目だよ」
困ったような笑みを浮かべて窘めてくるタツキくん。
でもね、タツキくん。私はオルテナ帝国に未練なんて全くないのよ。
むしろ……。
そう説明しようとして、私はあることに気付いてしまった。
これはチャンスなのかも知れない。
「……ねぇ、タツキくん。私ね、実はオルテナ帝国の皇太子殿下の婚約者なの」
唐突な発言にタツキくんは首を傾げた。
当然の反応よね。急にそんな話を振られても困るだろうし。
だから私は続けた。
「でも私も殿下もこの婚約が嫌で嫌で仕方がないのよ。お互い嫌い合ってるのに、神位種の血を王家に入れたい帝国の思惑やオルテナ帝国に影響力を持ちたい神殿側の思惑があって、どう足掻いても婚約を解消できないの。でもひとつだけ、この婚約を解消する手立てがあるわ」
タツキくんは黙って話を聞いてくれている。
話の流れから私が深刻に悩んでいるのだと受け止めてくれたのかもしれない。
私は真剣な表情を作り、一気に捲し立てた。
「その手立てというのはね、私が魔族領に行って人族領に帰らないことなの。恐らく神殿は私の居場所を特定できるでしょうけど、魔族嫌いのオルテナ帝国人がわざわざ魔族領まで探しにくるとは思えないわ。私、あの皇太子殿下との婚約が解消できるのなら絶対に魔族領に生活基盤を築いてみせる。でもどうせ魔族領で暮らすなら、ぼーっとしてても勿体ないじゃない? だから魔族領で暮らすついでに、タツキくんを手伝うってことでどうかしら」
「えっ?」
そういう話だったの!? と、タツキくんが驚きの表情を浮かべる。
そういう話だったのよ、タツキくん。
私は意地でもあの皇太子殿下の妃になりたくない。けど一方で抜け殻のように生きて来た今世では特にやりたいこともない。ならば、それなりに幸せだった私の前世の人生を奪った元凶を探るのも悪くない。むしろ知りたいとすら思う。
「うん、やっぱりこれしかないわね。もう決めたわ! タツキくんが手伝うなって言っても、私は私で調べるから!」
そう宣言すると、これまで重苦しく靄がかかっていた胸の内がすっと晴れた気がした。
この瞬間にようやく私はこの世界で生きていくことを受け入れ、この世界で何かを成そうと思えた気がする。
対して、タツキくんは目を白黒させながら「いや、でも、それは、えぇっ!?」と混乱している。
顔はリクさんにそっくりだけど、やっぱりどこか違うその顔で百面相している。
それがおかしくて、私はちょっと笑ってしまった。
タツキくんの混乱が治まるのを待って、私とタツキくんはハルトとリクさんの許に戻るべく歩き出した。
道中タツキくんがさっきの発言は本気なのかと問い質してきたけれど、私は本気だ。あの皇太子様との縁を切り、この世界で“フレイラ”として生きていくならもうそれしか道はないと思っているくらい本気だ。
そうして押し問答をした結果、最後はタツキくんが折れた。
「フレイラさんの意思が固いのはよぉっくわかったよ……。でも魔族領は本当に危険なんだ。暮らすなら人族と友好を結んでる国を選んだ方がいい。オルテナ帝国が魔族をよく思ってないように、魔族側にだって人族をよく思っていない魔族はいるからね。お勧めはフォルニード村か、比較的安全圏にあるギルテッド王国かな」
「うんうん。どちらも今回の調査で通るわね。しっかり視察して決めるわ!」
「うん……是非そうして」
説得を諦めたとは言え、どうやらタツキくんは私を心配してくれているようだ。
リクさんが自慢の弟だと豪語する気持ちもわかる。タツキくん、本当にいい子だわ。それに頼りがいもある。
だからつい歩きながらあれこれ相談を持ちかけてしまった。けれどタツキくんは嫌な顔ひとつせず、親身に応じてくれた。本当、いい子だわ。
そんなやりとりをしている内に視界が開け、その先にハルトとリクさんを見つける。
リクさんもすっかり落ち着いたようだ。それを確認してほっとする。
しかし私はリクさんに謝ってすっきりしたい事案がある。自己満足だとはわかっているけれど、どうしても謝罪したかった。
意を決して表情を引き締めると、私はリクさんに駆け寄った。そしてその手を取り、真っ直ぐその綺麗な紫色の瞳を見る。
砕いた宝石を散りばめたような不思議な虹彩を持つ紫色の目が、じっと私を見返してきた。
「リクさん、私、あなたに謝らないといけないことがあるの」
「え? 何か謝られるようなことあったっけ?」
リクさんは思い出すように視線を宙に彷徨わせた。でもそこに答えが転がっているわけがない。
「……私、婚約式の日の夜会の時、リクさんに対して失礼なことを考えていたの。ハルトから大切に想われて、守られて、何も悩みなんてなさそうで羨ましいって。でも違ったのね。リクさんは大変な思いをしながらこれまで生き抜いてきたんだってタツキくんから聞いて……そうじゃないんだってわかったの。勝手に決めつけて、ごめんなさい」
リクさんの手を握ったまま、頭を下げる。
しばし沈黙が流れ、やがて下げた頭の上に何かがのしかかってきた。
「そんなこと、わざわざ言わなければわからなかったのに。フレイラさんは律儀だなぁ」
どうやら私の頭にリクさんが顎を乗せているようだ。頭上から聞こえたどこか抜けた声に、つい笑ってしまう。
「けじめよ」
「ふふふ。そんなフレイラさんは素敵で可愛いと思うのですが、男性陣よ、如何お思いか」
ちょっ、何言ってんの、リクさん!?
慌ててその口を塞ごうと思ったものの、そういえばそうだった、とリクさんの性格を思い出して頭を抱えた。
今日まで一緒にいて薄々気付いてたけど、リクさんは同性や年少者に対する庇護欲が強い。同時に、やたら愛でようとする傾向も強いんだった。
こういうことするから『騎士様』なんて呼ばれるんだからね!
「僕も素直で可愛いと思うよ」
さらりとリクさんに答えたのはタツキくんだ。
途端に、私はリクさんにのしかかられたまま顔が熱くなるのを感じていた。
ほ、本人を前にして、どうして恥ずかしげもなくそんなことが言えちゃうの!?
対してハルトは答えあぐねていたけれど、「素直っていうのには同意だな」とタツキくんに便乗していた。
ハルトには今世ではあまりよく思われていないように感じていたけれど、ちょっとは改善したらしい。
というか。リクさんは男性陣にそんなことを聞いて一体何がしたいんだろう。
「うふふふふふ。だよねぇ、うんうん。よし、それじゃ馬車に戻ろうか!」
特に意味はなかったらしい!
ちょっと私にはリクさんが理解できない。
リクさんがようやくのしかかるのをやめてくれたのでそこから抜け出し、何となくハルトとタツキくんの方を見る。どうやら彼らはリクさんの性格を理解しているようで、ただただ困ったように笑っていた。
……私にリクさんを理解できる日は来るのだろうか。
* * * * * リク * * * * *
私、気付いてしまったのですよ。
いやね、ピーンときたと言うか何と言うか。
森の奥から戻ってきた時、フレイラさんのこれまでどことなく曇っていた表情がすっきり晴れていた。
タツキと楽しげに話している様子から、その表情が曇る原因となっていた悩みか何かをタツキが解決したのではないかと予測する。
フレイラさんの表情を曇らせていた原因にはひとつだけ心当たりがある。オルテナ帝国のマイス皇太子殿下の存在だ。
マイス殿下の姿を見た途端、フレイラさんは普段はっきりしている喜怒哀楽の感情が消え去るくらいの嫌悪感を示していた。同時に、マイス殿下からもフレイラさんに対していい感情は伝わってこなかった。
しかしそんなフレイラさんの表情からは、タツキへの強い信頼感が伝わってきた。
そうだろうとも、そうだろうとも。タツキは頼れる弟だからね!
いやはや、フレイラさんもそのことに気付いてしまいましたか!
そんなこんなで上機嫌で馬車に戻ると、不安げな様子で待っていた面々に怪訝そうな視線を向けられてしまった。
おっと、これは失礼。馬車から飛び出した時はシリアス展開でしたね。
でも自慢の弟が人に認められるっていうのは何とも嬉しいことなのですよ。
私は上がりそうになる口角を、顔の筋肉を総動員して押さえつけた。
「森側の問題は解決してきたけど、根本的な解決にはセンザに行く必要がありそうだ。すぐに出発してくれ」
全員が馬車に乗り込むなり、ハルトが御者に声をかける。
その真剣な様子に気圧されて、すぐさま馬車が出発した。
「例の五人組はどうなりましたか?」
待っている間に休んで少し魔力が回復したらしいレネが心配そうに声をかけてきた。
「逃げられちゃった。でも召喚された魔獣を維持できないくらい魔力を奪い取ったから、すぐには戻ってこないと思うよ」
「魔力を奪い取る……ですか。なるほど、リクさんは魔力操作が上手なのですね」
ええ、今や特技のひとつですよ!
とりあえず『飛竜の翼』ファンの冒険者パーティや御者にも聞かれるかもしれないけれど、状況を簡単に『飛竜の翼』の面々に説明しておいた。
数年前まで世間で噂されていた誘拐事件の犯人に繋がっている可能性がある黒い神官服たちの話には、この場にいる全員が驚いていた。特にレネが目を見開いて驚いていた。
「黒い神官服と言えば、今は存在が確認されてない破壊と再生の神の神殿のものと酷似していますね……」
「破壊と再生の神?」
食いついたのはタツキだ。
その勢いに押されて仰け反りつつも、レネは頷いた。
「かつて中央大陸で崇められていた神が破壊と再生の神、リーセラ=リドフェル神です。しかし天歴254年、中央大陸にあったアルスト国の消滅と共に神殿が衰退し、今では信徒の存在は確認されていません」
「国が消滅……」
「そういえば歴史書にそんな記述があったな」
呆然とつぶやくタツキとは裏腹に、ハルトは思い出したように頷いた。
しかし何かに気付いたらしく、すぐさま顔を上げる。
「そうか! 黒い神官服とその歴史に繋がりがあるとは思い至らなかったけど……これは、もしかしたらもしかするのかもな」
「うん、うん!」
タツキも全力で頷いた。
話が見えない人々の中、ふたりのやり取りの意図を理解できたのは私とフレイラさんだけだろう。
フレイラさんが表情を引き締めて思案顔になる。
しかし中央大陸か……。
今となっては人が住める環境じゃないらしく、前人未到の大陸と呼ばれている場所だ。しかし歴史を紐解けばかつては人が住んでいたということか。
いずれにせよ、中央大陸は魔族領北部に匹敵する危険度だと以前タツキが言っていた。それだけ危険な場所であっても、こんな情報が手に入ってしまったらタツキも中央大陸を意識せずにはいられない。
もしタツキが中央大陸にいくと言いだしたら、私はどうしたらいいのか──。
そんなことをぐるぐると考えているうちに、馬車はセンザに到着した。御者が馬車を下りて町に入る手続きをしにいく。
そのまま待つことしばし。慌てたように衛兵が走ってきた。
「りっ、リク様がこちらにいらっしゃると聞いたのですが!」
衛兵は馬車を覗き込むなりそこに乗り込んでいる面々を見回した。そしてハルトへの礼を欠きながらも私を見つけるなり、身を乗り出すようにして声をあげる。
「リク様! 昨日、全身傷だらけの翼人族の少女がセンザに逃げ込んできたのです! その少女は町に着くなり意識を失ってしまったのですが、所持品を調べたところリク様から送られたらしき手紙を持っておりまして……!」
この言葉に私はさっと青ざめた。私が手紙を送ったことのある相手なんて、ハルト以外にたった一人しかいない。
しかも今、衛兵は翼人族の少女と言った。全身傷だらけで、町に着くなり意識を失ったと……!
「マナ!?」
思わず私は立ち上がり、馬車を下りた。
その名を知っているハルトとタツキも後に続く。
「町の医者や治癒術師ではどうにもならない重傷なのです! いつ命を落としてもおかしくないと、医者も治癒術師も言っています。リク様、どうか彼女と会ってあげて下さい!」
よほどマナと思われるその翼人族の容態は思わしくないのだろう。衛兵は焦りと息切れで抑揚を失った声音で訴えてきた。
私は頷くと、知覚領域を広げてマナの気配を探る。
一度しか会ったことがないけど、魔王種であるマナの気配はすぐに見つけられた。
本当にマナだ。マナがこの町にいる。
どうやら門からほど近い建物の中にいるようだ。
それを確認するなり、私は走った。
マナが死んでしまうかもしれない。その恐怖が背後から追いかけてくるようで、私は必死にそれから逃れるようにマナの許へと向かった。




