48. 黒との邂逅
その後の道中は特に問題なく、乗り合い馬車は四日半の道程を進んだ。センザまで残すところおよそ半日の距離だ。
そこで一晩過ごして、朝を迎えるなり早速馬車に乗り込んで残り半日の行程を進み始める。
同乗している調査隊以外の面々も初日こそは『飛竜の翼』に夢中だったけれど、その日のうちにハルトがアールグラントの王子であることに気付くなり急激に大人しくなった。
そんなに気を遣わなくていいのにね、とは思うものの、行き摺りとは言え一国の王子に対して気を遣うなと言うのもなかなか酷なので、口には出さない。
ハルトも今後しばらくお世話になるルースたちには気楽に接するように言ったけれど、彼らには特に何も言わなかった。ハルトとしても彼らに気楽に話すよう強要するのは気が引けたのだろう。
一方で私はすっかりアレアに懐かれていた。
元々憧れられていたらしいけれど、今の状態は「懐かれている」と表現するのが正しいだろう。あまりの懐きように、こちらに駆け寄ってくるアレアに犬耳としっぽの幻覚が見えるようになってしまった。
ひとつとは言え年上で、しかも美人さんなのに満面の笑顔で走ってくる姿が可愛く見えるとか……何なの、反則すぎないか、あの可愛い生き物。
それとは全く関係ないんだけど、道中でひとり、これまでと様子が変わった人物がいる。ハルトだ。
この二、三日、気付くとやたら近くにいる。それも、何故か心配げな顔で寄り添ってくるのだ。
一体どうしたんだか……。
そしてその様子をキラキラした目で見るのはやめなさい、アレア。
「今日もべったりねぇ」
がたごとと揺れる馬車の中、半ばからかい口調でフレイラさんに言われてしまう。
その言葉に、傍らにいたハルトは言葉に詰まって黙り込んだ。
「何を気にしてるのかわからないけれど、やり過ぎると鬱陶しいわよ、ハルト」
心配されてるのがわかるから私から強く言うことはできないけれど、フレイラさんの言う通りだ。嫌ではないんだけど、始終傍にいられると落ち着かないのも事実。
というか。
「ハルトは私に対してちょっと過保護じゃない? ハルトがどう考えてるのかは知らないけど、私そんなに柔じゃないよ?」
「……その点に関してはわかってる。そばにいるのは別の理由というか……最近のリクは何だか危なっかしいんだよ。自分が希少種だっていう自覚が薄くなってるだろ。イリエフォードにいた時はもっと警戒心を持ってたのに、ここのところ気が緩んでないか? アールグラントにだって野盗や人攫いはいるんだからな」
うっ、言われてみれば、確かに。ちょっと気が緩んでいるかもしれない。
指摘された通りなので、返す言葉もない。
「まぁまぁ。確かにリクは気が緩んでるけど、悪い傾向じゃないと思うよ。サラを守るために肩肘張らなくてもよくなったからちょっと気が抜けてるだけだよ。今後人族領で暮らすなら、肩の力が抜けてるくらいでちょうどいいんじゃない?」
と、フォローに入ってくれたのはタツキだ。
それでも納得しかねているハルトに、タツキは言葉を付け足す。
「それに二次覚醒して感覚器官が相当鋭くなってるから、気が抜けてたとしても鈍くはないと思うよ」
確かに感覚器官が鋭くなりすぎている分、意図的に遮断して五感を人並みに近づけてるけど、例えば例の黒い神官服たちが現れたとしたら今の状態で気付ける自信はない。
そう考えると全力警戒した方がいい気がしてきた。
うん、そうだ、警戒しておくに越したことはない。
「タツキ、フォローしてくれてありがとう。でも確かに、最近の私は危機感が薄くなってると思う。今から気合いを入れ直すね!」
長期に渡って人族領にいたことで多少鈍ったとは言え、妖鬼の遺伝子に組み込まれた警戒心の強さと危険察知能力は衰えていない。それを証明してみせる!
そんな意気込みで知覚、感覚の遮断を解除する。それだけで一挙に世界が広がったように感じた。知覚できる範囲が広がった証だ。
早速その知覚範囲から怪しげな気配を拾い上げる。
「西の森に人の気配あり。数は五! 森の中を北上してるみたい」
「あーあ……」
張り切る私。対してタツキはじと目でハルトを見遣りながら声をあげた。
あーあって何さ、あーあって。
タツキの視線の先ではハルトが「失敗した……」と呟きながら項垂れている。
「まぁいいか。その人の気配って言うのは、悪意はありそう?」
「まぁいいかって……。悪意はなさそうだけど、感情の起伏が全く感じられないかな。それが不気味」
タツキの物言いに釈然としないものを感じながらも、その問いに応じる。私の答えを聞いてタツキはしばし考え込み、ふとレネに視線を向けた。
「レネさんは星視術師ですよね? この先起こるであろう事象を今すぐ見通すことはできますか?」
「えぇ、対象さえ絞れば。魔術抵抗力が低い方がより鮮明に、より先の時間まで見ることができますけど……」
残りの道中か、もしくはセンザに到着した後か。いずれにせよこの後、何か不都合な出来事が起こるかも知れない。
そのタツキの意図を理解してレネは馬車内の面々を順に見定めていくと、ぴたりとその視線をルースに止めた。
「魔術抵抗力は魔力の絶対量に左右されますから、ここはやはり魔力量が少ないルースが適任でしょうか」
馬車内には『飛竜の翼』ファンの冒険者パーティもいたけれど、彼らを合わせたとしても適任なのがルースらしい。私の見立てでもルースの魔力量は極端に少ない。
ルースもその自覚があるらしく、「しょうがねぇな」と言いながら未来視の星視術を受けることを承諾した。
何せこの未来視の魔術は対象の未来を見通す魔術と言われているのだ。本人の承諾を得ずにこの魔術を使うと人権侵害になりかねない。
……とは言っても、この世界には明確な人権侵害の線引きがないから、術者の良心によるところが大きいんだけど。
レネはその辺をしっかり線引きしているようだ。
「では失礼して……」
レネは一言断りを入れて、集中する。すると古代魔術ほどではないにせよ、膨大な魔力がレネから放出され始める。詠唱を口にしていないので、思念発動するのだろう。
手を組み合わせ魔力を集中させていたレネは、その手を解いて手のひらを上に向けると、じっとルースを見つめた。
やがてレネの顔がさっと青ざめる。
「──このままセンザに向かうのは危険かも知れません。恐らくリクさんが見つけたその五人が、センザを襲撃するようです」
告げられた内容は可能性のひとつとして想定していたとは言え、衝撃的な内容だった。
レネは詳細を語り始める。
「彼らはセンザに大量の魔物を呼び寄せ去っていきます。ルースは町に着いてすぐに彼らを見つけて追いますが、大量の魔物がセンザに押し寄せ町は混乱し、ルースも魔物の数に圧倒されて犯人を追うどころではなくなってしまう……という光景が見えました。これはあくまで起こり得る未来のひとつですが、現時点で最も現実になり得る可能性を持った未来でもあります」
未来視の星視魔術はかなり魔力を消耗するらしい。話す間にもレネの額に次々と汗が浮かび上がってくる。
レネの魔力は枯渇寸前だ。
「それって今からその犯人たちを取り押さえたら回避できる未来なのかしら」
フレイラさんの問いに、レネは表情を硬くした。
「今すぐリクさんが行動を起こせば、あるいは」
そうレネが言葉を発するのとほぼ同時に、森方面から強い魔力を感知する。とても人族の魔力とは思えない魔力量だ。しかし森方面から感じる気配は人族のもの。
じゃあこの魔力の源は一体……と思案しかけて、すぐに気付く。
「精霊使い……!」
閃くと同時に叫び、私は走行中の馬車から飛び出した。
「ちょっ、リク!」
「リクさん!?」
慌てたようにハルトとフレイラさんも馬車から飛び出してきた。
私たちの突飛な行動に、馬車が止まる。しかしこれまでの会話は御者たちにも聞こえてたはずだから、状況はある程度把握できているだろう。
それを気配のみで確認して、私は一切振り返らずに走った。すぐに額の精霊石にタツキが入ってきた感覚に気付く。追うよりも精霊石に戻った方が早いと判断したのだろう。
実際妖鬼ならではの速度で走る私にハルトやフレイラさんは追いつけない。しかし今はハルトたちに身体強化魔術をかける時間も惜しい。
《もしこの先にいるのが精霊使いだとすると、召喚魔術が使えるってことか。レネの情報と一致するね》
《そう。一致したから急いでるの! これだけの魔力量を持つ精霊なら、召喚の代行ができる精霊かもしれない!》
私もタツキから聞いた話だけど、高位精霊は主が自分より下位の精霊や魔獣と契約を交わしている場合、主に代わって召喚魔術を行使して下位のものを喚び出すことができるのだそうだ。
つまり、高位精霊と契約を交わしている精霊使いが下位精霊や魔獣とも契約を交わしていると、自らの魔力のみならず高位精霊の魔力をも使用して召喚魔術を行使できてしまうのだ。
さらに言えば、そんな精霊使いが契約を交わしている魔獣が眷族を持つタイプの魔獣だった場合は最悪だ。一刻も早く手を打たなければならない。
なぜなら、眷族を持つ魔獣は己の魔力が続く限り際限なく眷族の魔物を呼び寄せることができ、加えて新たに眷族を生み出すことすら可能だからだ。
精霊使いが高位精霊を召喚し、高位精霊とともに魔力が尽きるまで魔獣を召喚。召喚された魔獣も己の魔力を使い眷属を呼び寄せたらどうなるか。
考えただけでぞっとする。
だからこそ、私は全速力で目的地に向かった。ハルトやフレイラさんをかなり引き離してしまっているけれど、タツキがいるから大丈夫だろうと高をくくる。
しかし距離がありすぎた。
走っているあいだにも魔物の気配は続々と増えている。この調子で増え続けると、魔物の数が災害級と言われる規模になりかねない。
「タツキ! どうにかならない!?」
あまりこういう頼り方はしたくなかったけど、そんなことも言ってられない。
《一番手っ取り早いのはリクが古代魔術で片付けることだけどそれは避けたいだろうし、僕がどうにかするにしても森ひとつくらい消し飛ばしちゃいそうだから……ひとつ提案》
物騒な前振りを経て、タツキは自らの考えを披露する。
《リクならこの距離からでも魔力の横取りができると思うんだけど、試してみない? 根こそぎ魔力を奪って召喚の維持ができなくなれば、既に召喚されてる魔獣も消えると思うんだよね》
「で、できるかな」
《大丈夫、やればできる!》
何なの、その熱血系のノリは!
私は笑いそうになりながらもタツキの提案に乗ってみることにした。走りながら、前方から感じる強力な魔力を自分の方へ引き寄せるイメージで操る。
すると、自分のものではない魔力がすんなりと引き寄せられてくるのがわかった。引き寄せられた魔力は一度私の体内を巡り、その性質を私特有のものへと変換されて、そのまま腕輪に流れていく。
どうやら魔力を過剰に内包すると勝手に魔石化の魔法陣が働くらしい。
この魔法陣、思ってた以上に高性能だわ。今度じっくり研究させて貰おう。
やがて前方から強い魔力の持ち主がこちらに向かってくる気配が感じ取れた。かなり近い。
私は一度立ち止まり、自らに身体強化魔術を次々と施す。その間にタツキが精霊石から姿を現し、前方に結界を張った。待ち受ける側としての準備は万端だ。
そしてこちらの準備が整うのとほぼ同時に、音を立てて前方の低木が揺れた。次いでその影から黒い何かが飛び出す。
黒狼だ。
現れた中型の黒狼はタツキの結界に阻まれて派手に弾き飛ばされた。さらにその一匹を皮切りに、続々と黒狼が姿を現す。現れた黒狼は大きさこそまちまちだったけど、大型が半数近くを占めていた。
この群れがもしセンザに向かっていたらと考えると……恐ろしい。
「さて、どうしようか?」
「どうするもこうするも、ここで殲滅するしかないでしょ」
「だよね」
タツキの問いに答えつつ素早く魔剣を引き抜くと、魔力を込めながら風属性を付与した。
その私の隣ではタツキがさっそく黒狼の群れに向かって魔術を放つ。放たれた魔術は土属性で、石礫が弾丸のように打ち出された。
あ、それいいかも。
私は攻撃系魔術が苦手だけど小石を作り出すことはできる。そして投擲技術にも自信があった。
それらを活用して魔術で生成した尖った石を投げつければ中距離攻撃になるし、牽制にもなるんじゃないだろうか。
今度機会があったらやってみよう。
ともあれ、今は目の前の敵を殲滅しなければ。
私はタツキが対処している右側ではなく、左側に集まってきた黒狼に突撃した。
小型や中型は次々とその首を落とし、大型黒狼は弱点の額をひと突きして絶命させていく。タツキの討伐ペースには及ばないながらも、持ち前の素早さと小回りのよさで結構なペースで黒狼を片付けていく。
そうこうしている内に、ハルトとフレイラさんも追いついた。状況を見てすぐさま参戦してくれる。
二人の勇者が加わると、あっという間に黒狼の群れは全滅した。
すると不意に、前方に感じられる強い魔力の主の周囲に気配が増えた。
累々と地面を埋め尽くす黒狼の向こう。そちらに視線を向ける。
そこには五人の黒い神官服と、青白い色合いの人に近い姿をした精霊がいた。
事前に察知した通り、彼らからは一切の感情が感じられない。ただ冷静にじっとこちらを見ている。
「覚醒神位種二人、二次覚醒魔王種一人、高位精霊一人。撤退する」
精霊を引き連れた少年と思しき小柄な神官服の人物が、声変わり前の幼い声でそう告げる。
後ろに控えていた男女の剣士らしき二人と槍を持った男一人、魔術師らしき木の杖を持った女性一人が精霊使いの言葉に頷くと、すぐさま魔術師らしき女性が何かしらの魔術を発動させた。
聞き覚えのない魔術。その口にした音も、知らない言語のようだった。
魔術師らしき女性の魔術が完成すると、辺りが光に包まれる。
声を上げる暇もない。
私たちが驚き固まっている間に辺りを包んでいた光は消え、黒い神官服たちは姿を消していた……。




