47. 出立
天気はやや曇り。
この日、私たちはいよいよ魔族領へ向けて出発する。
先日の黒牛魔と大型黒狼の件は少々問題になった。私たちの行動がと言うよりも、そのような事案が発生したこと自体が。
何せ王都にほど近い地点にそれだけの脅威が迫っていたのだ。たまたま私たちが互いの力量を知るために討伐依頼を受託したからよかったものの、もし他の冒険者が黒牛魔一体の討伐依頼だと思いこんで依頼を受託していたら大惨事になっていたかも知れない。
だからこそ、王都のみならず地方の都市や町にも早急に警戒態勢を取るように指示が出された。竜にせよ魔物にせよ、最近異常行動が目立つ。国内にいる冒険者たちにもギルドを通じて警戒が呼びかけられた。
これが現状で考えうる最大限の対応策だった。
一方で私たち調査隊は一刻も早く竜が襲来した原因を探って、可能であれば解決しなければならない。
魔物への対処は騎士たちや冒険者たちでも対処できるけれど、竜に関しては専門の武装や戦闘技術が必要となるためそうはいかない。せめて竜の件だけでも早期に解決したいというのが、国の上層部の考えだ。私もそう思う。
そんなわけで、私もハルトも出発の日に向けて手持ちの仕事を片付けるべく奮闘を始めていた。
ハルトは陛下の補佐として今回の竜襲撃事件に関する情報集約と調査隊の行程等の提案や修正案を出す役割を担っていたので、特に引継ぎが大変そうだった。
結局ハルトと一緒に仕事をしていたノイス王太子殿下に一旦預け、ノイス王太子殿下から官僚へと役割を振り分けることになったようだ。
困ったように微笑みながらも対応できてしまうノイス殿下を賞賛したい。ノイス殿下が未来の王様だと思うと、アールグラントの将来は明るい気がする。
一方私には魔術師団の方の仕事と言うか、急ぎ提出すべき成果があった。ハルトの補佐官という立場は婚約と同時に解任されてしまったけれど、魔術師団の研究員としての役割は残っているのだ。
研究途中のものはアールレインに残ったサラへと引継ぎ、すでに完成している成果は何とか出発前に報告書にまとめて提出した。この成果は竜討伐にもきっと役に立つであろうものなので、出発前にどうしても提出しておきたかったのだ。
今回提出した成果。
それは、魔力を集める魔法陣だ。
竜は強力な古代魔術を使う。しかしその古代魔術を防ぐ手立てが今のところ人族側にはない。
ならば、古代魔術を使わせない手段が必要だと考えたのだ。
そこで、周辺に過剰供給されている魔力を集める魔法陣を考案した。
仕組みはサラたちが私のために作ってくれた腕輪に組み込まれている魔法陣に近い。しかし私が考えた魔法陣は持たせる機能を最小限に抑えたため、かなり簡略化されている。
目指したのは「誰にでも描ける魔法陣」。
魔石を必要とせず、スクロールに描いて少量の魔力を込めれば使える魔法陣を、火竜の知識も動員して作り上げたのだ。
ただしこの魔法陣は人族や魔族も対象になってしまうと悪用されるかも知れないので、対象は竜に限定されている。術式を相当簡略化したので、対象を竜に絞るための式を解読して書き換えるのは困難なはずだ。
それに、仮に解読できて書き換えられても単純に術式のバランスが崩れて発動しなくなるよう細工もしているので、ほぼ悪用されることはない……はず。
ついつい提出直前になって見た目にこだわったせいで一枚描き上げるのに三日もかかってしまったけれど、原本はサラに渡して量産するようにお願いしてある。
ついでにサラには私の魔力で生成された魔石をどっさり渡しておいた。サラならきっと有効に活用してくれるだろう。
そうこうしているうちに、あっという間に出発の日がやってきた。
各々準備を整えて、現在は乗り合い馬車の停留所にいる。ここで第五調査隊の冒険者パーティと落ち合う約束になっているのだ。
私とハルト、タツキ、フレイラさんはそれぞれ適当に会話をしつつ、待ち人が現れるのを待つ。
「お待たせして申し訳ございません」
ほどなくしてそう言いながら現れたのは、第五調査隊の面々だった。
先頭を歩いて来るのは大柄な男性。旅装束を着ていてもわかるくらいよく鍛えられた肉体。筋骨隆々というのはこのことかと思うような体格だ。
その後ろからは青年がひとりと女性がふたりついてきていた。
青年と女性のひとりは軽装ながら身を守る鎧を身につけている。もうひとりの女性はゆったりとしたローブに、背中に流れる長い布を頭に被っている。何となく占い師っぽい格好だ。
「今回この第五調査隊の隊長に任命されました、ルースと申します。ご存知のことと思いますが、この第五調査隊は全員冒険者ギルド所属で礼儀作法に疎いものでして。非礼がありましたら申し訳ございません」
と、先頭にいた大柄な男性……ルースさんが頭を下げる。
確かに王族を相手にするにはちょっと作法に問題はある。けれど、そんな事を気にする人間はこちら側にはいなかった。何せ全員、前世は平民ですからね。
「第一調査隊隊長のハルトだ。礼儀作法云々は気にせず、単なる旅仲間として接するようにお願いしたい。敬語や敬称も取り払ってもらって結構だ」
そう言ってハルトが手を差し出すと、一瞬躊躇してからルースさんはその手を取り、ニッと笑った。
「そう言って貰えると助かる。正直敬語を喋っていると舌を噛みそうになるんでね。じゃあ早速だが、メンバーを紹介するな」
一挙に口調も姿勢も崩してルースさんは背後の仲間を手のひらで示しながら紹介し始める。
「こいつが槍使いのウォル」
と、最初に青年を示すと、青年はぺこりとお辞儀した。精悍な顔つきの、なかなかの好青年だ。
続いて弓を背負った女性を示す。こちらは好奇心旺盛そうな顔つきの美人さんだ。
「こいつが弓使いのアレア」
「よろしくお願いします!」
アレアさんが満面の笑みを浮かべながら挨拶すると、ルースさんは最後に、例の占い師のような服装の女性を示した。
「で、こいつが星視術師のレネ」
紹介された女性、レネはにこりと微笑みお辞儀する。清楚で神秘的な感じの、やはりこちらも美人さんだった。
しかしそんな感想を抱いている私の傍らでは。
「ほ、星視術師!?」
フレイラさんが唐突に声をあげていた。ハルトも何やら驚いている。
どうやら星視術師という名称に反応したらしい。
えーと、星視術師、星視術師……。
私は必死に己と火竜の記憶から『星視術師』という単語の意味を掘り起こす。
確か、魔術行使能力に優れた者の中でも一握りだけが到達できる、未来視と過去視を操る魔術師のこと……だった、はず。つまり大変希少な魔術師だ。
そんな希少な魔術師が貴族や国に抱えられることなく冒険者をしていることに、ハルトやフレイラさんは驚いたのだろう。
「レネの一族は主を持たないことを許された、賢者の傍流だ」
「あぁ、なるほど」
ハルトもフレイラさんもルースさんの説明で納得する。
この世界には賢者が二人存在する。そして彼らはその名に恥じぬ膨大な知識と多彩な魔術を操る存在だと言われている。
それほどの力を持つ賢者を独占すると国々の力関係が大きく崩れ世界に混乱を齎すと言われており、そのため賢者と賢者に連なる血族は主を持たなくていいことになっている。
というよりもむしろ彼らは主を持ってはいけないし、王侯貴族にしても彼らを配下に加えようとする行為はご法度なのだ。
そんな希少な魔術師が目の前に……!
と思ったけれどそんな私の心情などお見通しなハルトに視線で制される。
そうですね、今は希少魔術についてあれこれお話を聞くような場面ではないですね。
「ではこちらのメンバーを紹介する。彼女はオルテナ帝国に派遣されている神位種のフレイラだ。今回の調査に関連して、オルテナ帝国とフレイラ本人の厚意で調査隊に協力して貰えることになった」
ハルトはまず、フレイラさんを紹介した。続いてタツキを示す。
「そしてこちらがタツキ。この王都を単身で風竜から守ったわが国の『守護聖』だ。そしてこちらがリク。イリエフォードを火竜から守った、同じくわが国の『守護聖』だ」
タツキに続いて私を紹介してくれたので、私はお辞儀をする。すると。
「やっぱりそうですよね! ハルト殿下のご婚約者の、リク様ですよね!?」
アレアさんが目をキラキラさせながら私とハルトを交互に見つつ身を乗り出してきた。
多分ハルトは周囲に変に気を遣われるのを苦手とする私のことを考えて、敢えて婚約者として紹介しないでくれたんだと思うけど、そうはっきりと問われたら頷く他ない。
「そうだけど……」
「あの、私、ずっと『騎士様』のファンだったんですけど、お二人のご婚約のお話を聞いてすごく憧れてたんです! だって王位継承権を放棄しながらも国を支え続けている勇者ハルト様と、アールグラント王国で保護されている魔王種のリク様のロマンスなんですもの。こうして直接お会いできるなんて……感激で胸が一杯です!」
きゃあっ、言っちゃった! と頬を染めるアレアさんに、私もハルトも思わず顔を見合わせる。
えぇと……これは、どう対処したらいいんだろう?
「おい、アレア。さすがに失礼だろう……っと、ちょうど乗り合い馬車がきたな」
困惑しているうちに、乗り合い馬車が到着したらしい。
今回の調査は国を挙げての調査ではあるものの出陣式のようなものは行わないので、到着した乗り合い馬車にさっさと乗り込む。
さっきのアレアさんの発言に関しては……うん、一回忘れとこうか。
この乗り合い馬車はそこそこ大きめだけど、今日は私たち調査隊八人に加えて若者で構成された冒険者パーティ五人も乗り込んでいて結構ぎゅうぎゅうだ。
なのでタツキには精霊石の中に入っていてもらう。
タツキも「そろそろリクの魔石が大変なことになってるだろうから、片付けてくる」と言ってすんなり精霊石の中に戻っていった。
そう言えばずっと放置してるけど、どれくらいの数の魔石ができ上がってるんだろうか……。
「あの……もしかして、『飛竜の翼』の方ですか?」
ガタン、と一揺れしてから乗り合い馬車が走り出すと間もなく、同乗していた冒険者パーティがルースさんたちに声をかけた。
私はアールレインの冒険者に疎いから『飛龍の翼』の知名度がどれほどのものなのか知らなかったけど、ルースさんたちはかなり有名なパーティのようだ。
その後もずっと話しかけられている彼らを横目に見ながら、乗り合い馬車が幌馬車だから側面の景色が見えなくて残念だなぁ……などと、私は暢気なことを考えていた。
ちなみにこの馬車は王都アールレインを出発後、五日かけて北東にある町、センザを目指す。道中に宿場町などがないため、夜になると野宿になる。
野宿中は御者たちが眠って乗客たちが交代で見張りをすることになっており、当然と言うか何と言うか、その分運賃は安く設定されている。
ここに護衛が付いていたりすると運賃が1.5倍から2倍に跳ね上がるんだよね。
本来そこをケチる必要はなかったんだけど、最短日数で魔族領に辿り着くにはこの乗り合い馬車を利用するのが最善だったのだ。
馬車での移動は順調に進み、一日目の夜がやってきた。日が沈む少し前に馬車は岩場で停車し、近くの森で御者と一部冒険者が薪を拾い始める。
一部冒険者というのは、同乗していた冒険者たちだ。彼らは憧れのパーティ『飛竜の翼』の面々のためにその役を買って出ていた。それだけ『飛竜の翼』を尊敬しているということだろう。
「ハルトたちも薪、必要?」
一応問いかけるとハルトもフレイラさんも首を横に振った。
「魔術で何とかなるだろ」
「そうね。もしよければ今回は私に任せてくれないかしら」
とフレイラさんが請け負って、荷物から日持ちする食材と小型の鍋を取り出す。続いて土属性魔術で竃を作り、その上に鍋を置いて水で満たすと火を起こした。
そこに慣れた手つきで食材と調味料を投入してスープを完成させ、固いパンを切り分けて干し肉を挟み込み、それにも調味料をふりかける。
何だかいい匂いがしてきた。
その匂いに釣られたのか、タツキも姿を現す。
「美味しそうな匂い」
相変わらずの食に対する執着心を見せるタツキ。
ブレないなぁ。
「フレイラさんは旅慣れしてるの?」
見事な手際で食事を用意するフレイラさんに感心の声を向けると、フレイラさんは「まぁね」と、ちょっと得意げな顔になる。
「オルテナ帝国は人使いが荒くて、常に国内のあちこちに派遣されてたのよ。神託を受ける前もこっちの親が行商人だったから旅暮らしだったし、定住したことがないから旅をしている方が落ち着くくらいなの」
「へぇ。ちなみにその行商人の親御さんは?」
「さぁ? まだ行商してるんじゃないかしら」
あっさりした返答。淡白というか、気にしたことがないと言わんばかりの様子だ。
まぁその心境はわかるけどね。妖鬼も十歳になると親元を離れるのが当たり前だから、私も似たような感覚を持っている。
今でこそ会おうと思えば会える場所にお父さんもサラもいるけれど、離れていたらそれはそれで、それぞれ生きていればいいやという感覚がある。
「親元に帰ろうとか思ったことはないのか?」
横からひょいと顔を出すハルト。
恐らくこの三人の中で一番「家族は長きに渡って支え合うもの」という認識を持っているのはハルトだろう。
「思わないわよ。うちは兄弟がとにかく多くて、養子に出されたりもしてたから。その中で養子に出されたり嫁に出されたりしなかった私は運がよかったわね。まぁ勇者なんて柄にもないことをする羽目にはなったけれど。はい、できたわよ」
と、話しながら夕食の支度を整えたフレイラさんは、すぐ横で今か今かと待ち構えていたタツキにスープとパンを渡す。タツキは「ありがとう! いただきますっ!」と歓喜の声をあげて、手頃な岩に腰掛けて食べ始めた。
心底美味しそうに頬張るタツキを見て、フレイラさんが微笑む。
おお、いい顔。
やっぱり自分が作ったものを美味しく食べて貰えるのは嬉しいんだろうなぁ。
「はい、リクさんもハルトもどうぞ」
「わぁ、いただきます」
「ありがとう」
私とハルトも差し出されたスープとパンを受け取る。しかし私にはちょっと量が多いかな……。
そんなことを考えていると、すかさずタツキが寄ってきた。その手にはもうパンもスープもない。
「リク、食べ切れないなら頂戴!」
「そうだね、じゃあ半分あげる」
と、手に持ったパンを半分に割っているとフレイラさんが不思議そうな表情を浮かべた。
「そんなに多いってほどじゃないと思うんだけど」
「まぁそうなんだけど……。そもそも妖鬼は基本的に食事を摂らない種族だから、ちょっと食べただけですぐお腹が一杯になっちゃうんだよね。だから量的にあまり食べられなくて」
これは本当に残念なことだ。目が食べたくても胃袋が受け付けないジレンマ。
フレイラさんには申し訳ないけれど、私は受け取ったスープとパンを半分タツキに譲る。
これでもギリギリ食べれるかどうかってところかな……。
そうこうしているうちに、他の馬車仲間たちも夕食を食べ始めた。
ハルトはいつの間にかウォルに捕まって、あれこれ話を振られていた。年齢が近いこともあるだろうけど、やはりハルトが名の知れた勇者だからかウォルは目をキラキラさせながら話しかけている。
一方でルースとレネは落ち着いた雰囲気で食事を摂りながら、テンションが上がり過ぎているウォルを時々窘めている。
そんな様子を眺めていると、アレアがやってきた。
アレアは私のひとつ年上だそうで、その人懐っこい性格で馬車の中でちょこちょこ話しかけられている内にすっかり打ち解けたのだ。
「リク様それしか食べないの?」
「食べないというか、これが普通なんだけどね。むしろタツキが異常だから」
と、私は先ほどフレイラさんにしたのと同じような説明をアレアにもする。
妖鬼や精霊が食事を不要とすることは思っていた以上に知られていないらしい。
それをアレアは興味深そうに聞いてた。
「羨ましいなぁ。私なんてすぐお腹が空いて食べちゃうから、油断するとあっという間に太って大変なの」
あるよね、あるある。
前世ではよく同じような悩みに苦しんでたなぁ。
「リク様は、好物とかあるの?」
「好物? あまり考えたことないなぁ。嫌いなものもそんなにないし」
敢えて好物を挙げるなら黒牛魔のお肉を簡単味付けで焼くだけの串焼きとかかなぁ、なんて答えると、アレアがそこに何々というフルーツも一緒に焼いて食べると美味しいよ〜、とか、あの街のこの屋台がオススメだよとか、いろいろなお勧めを教えてくれた。
年上だけど、なんだろう、この人。すごく可愛い。
つい姉心のようなものが芽生えてうんうんと頷いているうちに、楽しい食事の時間は過ぎ去っていった。




