45. 本当の心
後半が甘々展開です。
苦手な方はご注意下さい。
婚約式から十日が経過した。
この期間は滅多に揃うことのない東大陸の各国代表者たちが、国レベルのやり取りを行う期間だ。アールグラントの国王陛下も各国代表との会談を次々とこなし、時には一堂に会しての会議も行っていた。その議題は国交に関する事柄のみならず、例の竜襲撃事件についても含まれていた。
そうして各国代表が会談や会議を行っている一方で、ハルトやノイス王太子殿下も奔走していた。
陛下が会議で身動きが取れないあいだの政務を代行するだけでなく、竜襲撃事件に関する情報の整理や調査計画の立案および修正案を官僚たちと共に詰めている。
ミラーナは未来の王妃に相応しく、各国代表の随伴者の女性たちを招いたお茶会などをアールグラントのお妃様たちや王女たちと共に開催している。
私はそっちはからっきしなので書類の整理を手伝ったり、竜の知識を求められればそれに応じたりしながら、古代魔術を制御する術式を組むべく、魔術師団の書庫にも通い詰めている。
その間、相変わらずフレイラさんは私にぴったりくっついてきていた。理由を聞いても答えてくれず、ただひたすら行動を共にしてくる。
「リクさんは、ミラーナ様のようにお茶会には出ないの?」
「お茶会に出ても私は何の役にも立たないし、こっちの仕事の方が向いてるから」
「でもこれからはそういうのもできないと駄目なんじゃないの?」
「うっ……一応、ここしばらく厳しめに鍛えられたからできなくはないとは思うけど」
積極的に話しかけてくるフレイラさんにも慣れてきた。
彼女の切り込みは鋭い。鋭すぎて度々言い淀むことになるものの、フレイラさんは別に私を馬鹿にしているのではなく、純粋な疑問として問いかけてきているので気分を害することはない。
ハルトから何度かフレイラさんにつきまとわないよう注意しようかと言われたけれど、フレイラさんに悪意があるわけじゃないから放置の方向でお願いしておいた。
その時のハルトがまだ何か言いたげだったのが気になったけど、ハルトも忙しい身だ。探しにきた文官に呼ばれて仕事に戻っていった。
「そう言えばリクさんは妖鬼よね? 魔術師団に所属してるって聞いてるけど、やっぱり得手は魔術なの?」
次なる質問はそれですか。
なかなか痛いところを突いてきなさる。
「得手……ねぇ。戦うなら、どちらかと言うと近接物理攻撃派かなぁ」
「えっ、何で!? 妖鬼なのに?」
「何ででしょうねぇ。私も魔術で派手に活躍できたらよかったんだけど、そっちの才能はなかったみたいなんだよね。妖鬼は魔術のエキスパートのはずなのに、本当謎だわー。っていうか、悔しいわぁ」
「ふっ」
お、フレイラさんが笑った。思わずといった感じだったけど、ようやく素の笑顔を見ることができた。
やっぱり可愛い子が笑うと場が明るくなる感じがするね。思わずつられて微笑んでしまう。
するとフレイラさんは意外そうな表情を浮かべた。
「瀬田さん──じゃない、リクさんは、話してみると案外お喋りだしよく笑うのね。前はそんな印象なかったけれど」
「それはこっちの世界でもう十六年も生きてるし……私が前世の記憶を思い出したのは三歳の時なんだけど、その頃にはこっちの両親の影響を受けて多少性格もでき始めてたからね」
そうでなかったら今頃、前世のように大人しく引きこもってひっそりと暮らしていたに違いない。
いや、妖鬼に生まれた時点でひっそり暮らすのは無理か。そう考えると、生まれた時点で前世の記憶があった場合の自分の姿が全く想像できないな……。
まぁそれは置いといて。
「私からしたらハルトやフレイラさんだって前の印象と違うよ。ハルトはもっと周りに気を遣う人だと思ってたけど今は時々周りの迷惑度外視で好き勝手してる時があるし、フレイラさんはもっと毎日が楽しそうで元気一杯に動き回ってる印象だったけど、今は前ほど楽しくなさそうな顔をしてる。折角可愛いのに、そんなつまらなそうな顔してたらもったいないよ?」
言いながら、つい癖でよしよしとフレイラさんの頭を撫でてしまう。頭の位置がサラに近いから、つい。
するとフレイラさんはちょっとだけむっとした表情を浮かべた。本当に感情が表に出やすいなぁ、この子。
「ちょっと、私の身長が低いからって馬鹿にしてる!?」
「えぇっ!? 馬鹿になんてしてないよ。可愛いなぁとは思ってるけども」
「そういうのが馬鹿にしてるってことじゃないの!」
「そんなつもりはないんだけど」
このやり取りももう何度目になるのやら。
そうやって怒っているフレイラさんも可愛らしいんだけどなぁ。可愛いは正義ですよ、フレイラさん。
なんてことを考えながら、微笑ましくフレイラさんを眺めていた時だった。
「フレイラ。ここにいたのか」
前方から、温度の低い声が投げかけられた。その瞬間、さっきまでの喜怒哀楽の激しさが嘘のようにフレイラさんの表情から感情の一切が抜け落ちた。それと同時に、現れた人物に対して警戒する気配を纏う。
不思議に思って声の主を見遣る。
何となく気配と声でわかってはいたけれど、そこにいたのはオルテナ帝国の皇太子、マイス殿下だった。
顔には笑みを浮かべているけれど、私の察知能力を誤摩化すには至らない。その体の内からは微かに苛立ちと敵意が滲み出ている。
オルテナ帝国は私にとって心の故郷のようなものだけど、だからこそあの国の人々に宿る魔族への根強い嫌悪感も知っている。当然、魔族である私もよく思われていないのは理解しているし、実際マイス殿下もフレイラさんも隠し切れないその感情が見え隠れしていた。
しかし今目の前にいるマイス殿下からは、隠そうとしている時よりも強い嫌悪感と敵意が感知できる。
一応、それとなく警戒しておいた方がいいのかな……。
「リク様も一緒でしたか。長らくお世話になっておりましたが、私は本日でお暇させていただきます。フレイラは残りますので、どうぞ仲良くしてやって下さい」
にこりと微笑むその顔の胡散臭さったらない。きっと、わざとなんだろうな。
そうは思うものの、それを顔に出すのはよくないだろう。
私は自然を装って微笑んでみせた。
「この度は遠路遥々ご足労頂いてありがとうございました。次の機会がありましたら是非、ゆっくり観光を楽しんでいって下さい」
無難な返答はこんなところだろうか。
マイス殿下は相変わらず不穏な心情を滲み出しつつ「えぇ、その時は是非とも」と笑顔で応じてくる。
さすが将来国を背負う人物。私が魔王種で二次覚醒していなかったらその不穏さに気付くことはなかったであろう完璧な対応だ。
恐い恐い。人間って本当に恐い生き物だわぁ。
「それではこれにて失礼します。フレイラ、くれぐれもご迷惑をかけることのないようにな」
「はい……」
マイス皇太子殿下に念を押すように言われたフレイラさんは、平坦な声で応じるだけ。道中を気遣う言葉をかけることもなく、去っていく自国の皇太子を見送った。
私はそれを横目に眺めつつ、警戒を解いたフレイラさんに気付いたことを言ってみる。
「もしかしてフレイラさん、マイス皇太子殿下が私に何かやらかすんじゃないかと思ってずっとついてきてたの?」
「えっ!?」
問いかけた瞬間、フレイラさんはバッと飛び退いてこちらを向いた。その顔には「図星」と書かれている。
「な、ななな、何でよっ、何で私がそんなこと……!」
「いや、マイス殿下は私に対して嫌悪感があったみたいだし、フレイラさんはマイス殿下を警戒してたから、そうなのかなと思っただけ」
「そんなことがわかるの!?」
自白したね? フレイラさん。
フレイラさんの素直さに、思わず苦笑してしまう。
「わかりますとも。二次覚醒した魔王種を舐めちゃだめだよ、フレイラさん。元々人族より魔族の方が感覚器官が優れているし、魔王種が二次覚醒するとさらに強く細かく感知できるようになるからね。そのつもりがなくても、できるだけ遮断するようにしていても、一定以上の強さの感情はわかっちゃうんだよ。不快だったらごめんね」
「ふ、不快っていうか……」
謝るとフレイラさんは気まずそうな顔になった。
「さっき程度の感情が伝わるなら、私の気持ちだってリクさんはわかってるってことでしょ? 自分でもあからさまだったってわかるもの。不快なのはリクさんの方じゃないの?」
言わんとしているのは、フレイラさんのハルトに対する気持ちのことだろう。
私はしばし考える。
不快……不快、だったかな。
自分の好きな人が、他の人からも好かれる。
……うーん?
「フレイラさんのは、不快じゃなかったよ。でもごめんね。ハルトはもう私のものだから譲れないんだ」
「なっ……! そんなこと、わかってるわよ! むしろリクさんよりハルトの方のすごい拒否っぷりなんだから、どうにかなろうなんて……思わないわよ」
最後はもごもごと小声になるフレイラさん。一瞬だけ、暗い表情になる。
けれどすぐにまたこちらに向き直って、今度は目を輝かせながら迫ってきた。
「でもまた意外な一面だわ。リクさんでも独占欲とか持ってたのね」
「えぇっ、何それ。それじゃまるで私がハルトのことを好きじゃないみたいじゃない」
「だってそう見えるんだもの。ハルトを譲りたくないなんて言うくらいなら、もっと二人のあいだに入り込む隙なんてないってアピールした方がいいわよ。じゃないとすぐまた横槍が入るわよ!」
おぉ、何だ何だ。急に協力的になったな、フレイラさん。
しかし私にそんなスキルはないよ!
「傍から見てるとハルトばかりがリクさんを好きなようにしか見えないわ。リクさんもハルトが好きなら私に嫉妬するとか、もっとリアクションしないとハルトも不安に思うんじゃないの? 駄目よ、相手に不安を抱かせちゃ」
「えぇー……」
そんなこと言われましても、私には今の状態でいっぱいいっぱいなんですけど。
「えぇー、じゃないの。いい? 照れ隠しで素っ気なくしてたら、浮気されてハイ終了! なんてこともあり得るんだからね? それで相手になんで浮気したのか問い詰めれば、自分のことを好きじゃないんだと思ってたって言われるのがオチなんだから」
なんと実感のこもったお話! え、もしかして実話?
思わず私は前のめりになってフレイラさんの話を聞いていた。
中庭の東屋に移動しつつ、フレイラ先生は懇懇と語る。
曰く、好きなら態度で示すべし。
曰く、照れや羞恥心に負けずに行動せよ。
曰く、素直になれ。
どれもありふれたアドバイスながら、ごもっとだと思った。
止めとばかりに、相手から自分が同じ対応をされた時のことを想像してみるように、と言われてはっとした。
確かに私はちょっと素っ気なかったかも知れない。ハルトは気にした風でもないけど、ハルトがちょくちょく愛情表現してくれているのに対して私はちょっと冷めていると取られかねない態度だったと反省する。
まぁ半分はハルトが悪いんだけど。
免疫がないと言ってるのにそれを面白がるようにちょっかいを出してくるから、敢えて無反応を貫いてやめさせようとしていた面もある。
だけどそれでは駄目なのだと、フレイラさんの言葉で思い知る。
そもそも私がフレイラさんの気持ちを知りながらも平然としていられるのは、ハルトがしっかり私に気持ちを伝え続けてくれているからなのだと、今更ながらに気付かされた。
「……私、ちょっと考えを改める」
「そうね、それがいいと思うわ」
そんな会話をしているうちに、五の鐘が鳴った。随分長いこと話し込んでいたようだ。
日が傾きかけて、空がうっすら赤みを帯び始めている。ハルトはまだ仕事中だろうか。
でも何だか、何と言うか──今、すごくハルトの顔が見たい。
私は勢いよく椅子から立ち上がった。
「ちょっと会いに行ってみる」
「その意気よ!」
本来なら応援してくれるはずのない立場のフレイラさんの声援を受けて、私は東屋をあとにした。
ハルトのいそうな場所を思い浮かべる。
人が多く、構造物としても巨大な王城では、私の感覚器官を活用したところで特定の人物を見つけ出すのは難しいだろうと判断して、自分の足で探すことにしたのだ。
そうして私が最初に目指したのは執務室。王城で仕事をしているなら執務棟に設けられたハルト専用の執務室にいるはずだ。
しかしハルトに充てがわれた執務室を尋ねると、室内に残っていた補佐官からハルトはつい先ほど今日の仕事を終えて執務室を出たと聞かされた。行き違いになったようだ。
今日の仕事を終えたということは会議室などにもいないだろうと判断して、今度は訓練場に向かう。
基本的には事務仕事や会議で忙しそうにしているハルトだけど、時間が空くと訓練場で体を動かしていることがあるのだ。しかしそこにもハルトはいなかった。
となるとあとはハルトの私室くらいしか思い付かないので、ハルトの私室に向かって歩き出す。
歩きながら、ハルトから聞いたある話を思い出した。ハルトが私に婚約を申し込みに来た時の話を。
ハルトは今の私と同じように私がいそうな場所を順に探し歩いたと言っていた。
最終的に私を見つけた私室付近に来るまでに巡った場所は、魔術師団の研究棟と図書室。
しかしその場に私はおらず、探し出すのに手間取っているうちに気持ちを伝えるという決意が揺らぎ、それどころか悪い考えが膨らんできて、足取りが重くなっていたと言っていた。
あの時ハルトが青い顔をしていたのはそのせいだったのだと、その話を聞いて初めて知った。
そうまでして気持ちを伝えようとしてくれて、そこまで私のことを想ってくれていたのだと思うと、きゅっと胸が締め付けられる。前世も含めてそんな風に想われたこともなければ、こんな気持ちになるのも初めてだ。
私にはこの気持ちも感覚も、どう扱ったらいいのかわからない。けれど、自分でもどうすることもできないくらい強く突き動かす力を持つこの気持ちが、とても大切に思えた。こんな強い衝動は手に余るのに、困るのに、決して手放したくないと思うのだ。
そんなことを考えているうちに、ハルトの私室前に辿り着いた。
しかし扉の前に立っても室内に人がいる気配を感じられず、ノックしようと持ち上げた手をゆっくりと下ろした。
ここにもいない。もう、思い当たる場所がない……。
そう思うと何だか寂しくなって、俯いてしまう。
ちょっと会えなかっただけなのに寂しいだなんて、大げさだなぁ……と自分で自分に茶々を入れる。けれど気が紛れることはなかった。
ああ、会いたいなぁ……。
私はとぼとぼと歩いて自室に向かった。
自室……これは婚約式の準備に伴って王城内に用意された私の部屋だ。王家の人々の私室に近い場所にあるので、道中はとても静かだった。
ハルトの私室がある階から一階層下りるべく、階段に向かう。
階段も静かなものだ。踊り場で足を止めて立派な窓から外を見ると、眼下に広がる城下街が茜色に染まっていた。そこに美しさよりも哀愁を感じてしまう辺り、いかに自分が落ち込んでいるかがわかる。
こんなことではいけないな。今日会えなかったから何だと言うのか。
別に遠く離れた場所にいるわけじゃない。むしろ同じ建物の中にいるのはわかっているのだし、すぐには無理でも会おうと思えば会えるじゃないか。
そう思い直して、改めて階段を下り始めた。
階段を下りきり、顔を上げて自室の方向に伸びる廊下をまっすぐ見遣り──足を止めた。
視線の先に、ハルトがいた。
本当にタイミングがいいんだか、悪いんだか。
「リク。見つかってよかった、探してたんだ」
「私もハルトを探してたから、行き違いになっちゃったんだね。ごめん」
素直に、素直に。
心の中でそう唱え続ける。
「いや、だったら俺もあちこち探し回るべきじゃなかったな。こっちこそごめん。俺に何か用事?」
素直に、素直に。それでもって照れや羞恥心に負けずに態度で示さねば。
私は先生の教えを思い出して、ハルトに歩み寄るとその背中に手を回してぎゅっと抱きしめた。これまで何度そうしたくても恥ずかしさや照れ臭さが邪魔してできなかったことが、すんなりとできた。
先生! 私、羞恥心に勝ちましたよ!
「えっと……用事は特にないんだけど。ただ、会いたいなぁと思ったから探してたの」
「──そっか」
突然抱きつかれて硬直していたハルトが、私の言葉を聞いて優しく抱きしめ返してくれた。
その暖かさにほっと息を吐く。
安心する。ずっとここにいたいなぁ……。
そんなことを考えていると、自然と体の内側から温かくなってくる。
「俺も急ぎの用事があったわけじゃないんだ。ただリクと話がしたくて探してた」
そっと肩を押されて正面から向き合う。
ハルトは婚約を受け入れたあの時によく似た眩しい笑顔を浮かべていた。
「もしよかったら少し話さないか? 最近ずっとフレイラにリクを取られてたから、リクが足りなくて」
後半の言葉をわざとらしく不満げに言うハルトに、つい笑ってしまう。
「私が足りないってどういうこと?」
「疲れた心を癒す成分が足りないってこと。俺には必須栄養素です」
「じゃあ、私もハルトが足りてなかったのかも」
さっきまでの落ち込みが嘘のよう。ハルトと話をしているだけで寂しく思っていた気持ちが満たされ、幸せな気分になってくる。これまで恥じらって上手く言えなかった言葉も、自然と口から出ているのがわかる。
吹っ切れた状態とは違う。そう、それこそ思っていることが素直な言葉として出てくる感覚だ。
ハルトは私の返答に嬉しそうに笑った。その笑顔すらも何だかくすぐったい。
どうしようもなく甘えたくなって、ハルトの肩に頭を預けた。
「今日は何だかいつもと違うな」
「うん、まぁ……フレイラさんから色々アドバイスをいただきまして」
「フレイラが?」
意外そうな顔をしながらハルトは自室へと歩き出す。私もそれに続いた。
「アドバイスって、何をアドバイスして貰ったんだ?」
「私が知らない、恋愛のあれこれを」
「へぇ」
私が明確に答えずにいると、ハルトも無理に聞き出そうとはしなかった。
そんな他愛のない会話をしているうちにハルトの私室に辿り着き、そのまま室内へ。
王城の王族用の部屋は執務室こそないものの入ってすぐは応接室になっていて、その奥が私室になっている。ハルトは私をエスコートしながら応接室を抜けて私室に入り、ソファーに座るよう促してきた。
私はソファーに座りながら、つい部屋を見回してしまった。
ハルトの私室はやはりと言うか何と言うか、殺風景だった。必要最低限の物しか置かれていない。さらに言うなら普段はイリエフォードにいるせいか、ハルトの身辺には執事どころか身の回りの世話をする人間すらいなかった。
城に到着した際に陛下から世話人をつけるか確認されたけど、断ったのだそうだ。理由を聞いたらこう言っていた。
「神位種の神託が下りる前の話なんだけど……いざというとき城を抜け出しやすくするために、人の気配が気になって落ち着かないとか眠れないとかいろいろ言って、身辺に世話人を置かないようにしてたんだ。そうしたらそれに慣れちゃって、常に周りに人がいる状況がどうにも落ち着かなくて。だから本当は誉められたことじゃないけど、城に戻って以降も俺には世話人をつけないでもらってるんだよ。陛下が聞いてきたのも、ただの確認だと思う」
とのこと。
まぁそれは確かにね。四六時中誰かが付き従っていたら気が休まらないだろう。
私も人に世話をされるのは苦手だからわかる気がする。
その後ハルトは一度部屋を出て、軽食と飲み物を持ってくるようにメイドさんに指示を出していた。ほどなくしてメイドさんが数人やってきてテーブルの上に軽食と飲み物を置くと、ハルトの指示で退室していった。
それを見送りつつ、他愛のない話を続ける。
そうして話をしているうちに気づけば外は暗くなり、控えめにドアノッカーの音が響いた。どうやら夕食をどうするかメイドさんが尋ねにきたようだ。
ハルトは空になった軽食の皿を下げさせると、夕食は不要だと伝えて再度メイドさんを下がらせた。
「あ、リクは夕食必要だったか? つい一緒に断っちゃったけど」
「え、いいよ。さっきの軽食でお腹一杯だもの」
「ならよかった」
ハルトは向かい側のソファーに座ろうとし……しかし思い直したように私の隣に座った。
いつもは私が逃げ腰だから気を遣ってくれていたけれど、今日はハルトも積極的に距離を詰めてきている気がする。物理的にも、心理的にも。
「そう言えば今日で各国の来賓が全員帰国したんだけど、竜襲撃事件の話し合いの結果を陛下から聞いてきたんだ」
思い出したようにハルトが切り出す。
それは大事な話だね。是非どうなったか聞いておかないと。
「聞けば被害があったのはアールグラント以南の国だったらしい。ほとんどアールグラントで仕留めたけど、セレン共和国やヤシュタート同盟国でも竜が一体ずつ襲来したそうだ。オルテナ帝国や騎士国ランスロイド、聖国エルーンは無事だったみたいだな」
「へぇ……何か、意図的なものを感じるね」
私の呟きに、ハルトも重々しく頷いた。
「ああ。俺もそう思うし、各国の代表たちも同意見だったようだ。おかげで調査に関しては概ね合意が引き出せた。ただし、オルテナ帝国は今のところ自国に被害がないからか勇者フレイラを調査団に派遣するのみ。騎士国ランスロイドも実害を被っていないこと、勇者ジル亡きあとエルーンから新たな勇者を派遣されていないこと、そして自国の防衛のために人手を割けないことから、調査費用の一部負担のみを申し出てきた」
それは仕方がないかな、とも思う。
実際に被害がないのであれば脅威度も低く感じるだろうし、自国の防衛だって大切なことだ。
「聖国エルーンも資金と物資の援助が中心で、人手は割いてくれなかったな。ただ、セレン共和国とヤシュタート同盟国は精鋭を100名ずつ、早急に派遣すると約束してくれたそうだ。魔族領の調査に大人数で行くのは危険だし、ここは対等にということで、アールグラントからも100名が調査団として選抜されることになった」
三国から100人ずつか……多いと考えるべきか、少ないと考えるべきか。
何せ魔族領を歩き回るのに大人数で移動していては目立つし、好戦的な魔族に襲われかねない。かと言って、少人数に分けて散らしたところで広大な魔族領を調査するのにも限界があるだろう。調査抜きで考えても、魔族領南部や中部はともかく、北部ともなると相当な手練れでないと踏み込むことすら難しいだろうし。
「で、アールグラントから出す調査団に俺やリク、タツキも含まれることになった。あくまで選定段階の話で、本人の承諾を得てから確定するんだけどな」
まぁ、そうなるだろうね。
私は頷いて先を促す。
「陛下は不本意みたいだけど、状況的にこの国で魔族領の深部まで到達し得る力を持つ俺とリクとタツキを身内贔屓で出し惜しむことはできない。その代わりと言ってはなんだけど、最大戦力を投入する分、イムやサラに関しては国の守備という名目で調査団員の候補から外すことができたと言っていた」
おお、陛下ナイス!
「私は構わないよ。そもそもハルトに話した時点では自分で行くつもりでいたし、お父さんとサラを調査団から外してくれただけでも陛下には感謝したいくらい」
「そっか。じゃあそう伝えとくよ……てことで、仕事の話はおしまい」
ハルトは話をそこで打ち切ると真面目顔を一変、にこりと微笑みかけてきた。
な、何だ何だ?
つい釣られて曖昧に微笑み返す。すると。
「リク。実は俺、明日は休みを貰えたんだ」
唐突に言われて困惑する。
「えーと、よ、よかったね? あ、どこか行きたいところがあるとか。付き合おうか?」
どう返せばいいのかわからず早口で問うと、ちょっと困った顔をされてしまった。
「それもいいんだけど……」
いいんだけど? 何だろう。
小首を傾げながら続く言葉を待つも、ハルトは何とも言えない複雑な表情で私を見つめてきた。かと思ったら不意に腕を引かれ、あっという間にハルトの腕の中に収められてしまう。
「え、えっと……?」
戸惑いの声を上げると、さらに強く抱きしめられた。
私はどうしたらいいのかわからず、落ち着きを失ったままハルトが何か言ってくれるのを待つことしかできない。しかしいくら待てどもハルトは無言のまま。
縋るように抱きしめられて困惑しつつ、ハルトの背中に手を添えて目の前の胸に耳を押し当てた。
びっくりするほど速い鼓動が聞こえてくる。つい頬が緩んで「ふふ」と笑い声が漏れてしまった。
その心音の速さから、自分の好きな相手に自分も好かれていることがはっきりと伝わってきて嬉しい。かく言う私の心臓もうるさいぐらいバクバクと音を立てている。
ハルトの腕の中にいるとそれすらも心地よくて、私は困惑していたことなどすっかり忘れ、そっと瞳を閉じた。




