44. 婚約式と波瀾の到来
夏も終わりに差し掛かったこの日、アールグラント城では王太子とその兄王子の婚約式が同時開催された。
準備は整った。
いざ、出陣……!!
私の今の心境を表すならば、正にそんな感じだ。
婚約式は三の鐘が鳴る頃、身内のみで厳かに行われた。
婚約式用の衣装はアールグラントのしきたりに則った、ほぼ露出のない青や水色を基調としたものを身に付けている。ハルトやノイス王太子殿下も同じような色調の衣装を身に纏っていた。
王族側の参列者は勿論王族一家。ただしイサラは子育て中のため不参加だ。
ミラーナ側の参列者はミラーナのご両親と弟さんと妹さんの合わせて四人。私側の参列者はイリエフォードから駆けつけたお父さんとサラ。
タツキは称号授与式典の時にメイドさんたちの恐ろしさに懲りたらしく、アールレインにはいるらしいけれど今回は不参加。
婚約式が始まると陛下が定型句らしい口上を述べ、ノイス王太子殿下とハルトに羊皮紙を渡す。そこには誓約の文言が書かれていて、まずはノイス王太子殿下とハルトがそれぞれ書かれている文言を読み上げ、最後に署名する。それを今度はミラーナや私が受け取り、同じく読み上げて署名をする。
署名した羊皮紙を陛下に渡し、陛下がそれを祭壇に捧げると婚約式は終了だ。
たったこれだけのためにドレスを一着新調するとか……贅沢だわぁ。
婚約式が終わると、一回目の衣装替えだ。
婚約式用の衣装から、国民にお披露目するための衣装へ。
そして四の鐘が鳴る正午頃に王城が国民向けに解放され、国王並びに王妃様たち、ノイス王太子殿下、ミラーナ、ハルト、私は、ハルトが成人の祝賀パーティで来賓を出迎えていた二階のバルコニーに立つ。
視界一杯に広がる、これまで見たことがないくらいの人、人、人!
城の前庭には城下のみならず、国中から駆けつけた人々が詰めかけていた。広大な前庭にも入り切らないくらいの人数だ。
国民に城の前庭を解放すること自体滅多にないそうだけど、王族の婚約式や結婚式といった慶事には解放されるのだとか。
そんな彼らに手を振りながらも緊張で足が震える。貼付けた笑顔が引きつりそう。
そんなこちらの心境に気付いたらしいハルトが自然な動作で腰に手を回してきた。仲良しアピールだ。
これは存分にアピールしておくようにと、陛下やお妃様たちから言われている。ただ微笑んで手を振っているよりもそうして仲睦まじくしている方が、見に来てくれた人々から親しみを覚えて貰えるとか言ってたっけ。
「みんな見に来てるだけなんだから、そんな緊張しなくても……」
「そうは言っても、こんなすごい行事だって知らなかったから覚悟が……!」
こんな会話も声が聞こえていない観衆側から見たら笑顔で会話していて微笑ましく見えるんだろうけど、私、本当に一杯一杯です。
うぅ、逃げ出したい。胃がキリキリしてきた……。
そう思っていたら、隣にいたミラーナも「私もリクと同感です……」と呟いた。見ればミラーナも笑顔を浮かべているものの、少し顔色が悪かった。
ですよね!
「ミラーナ、一緒に耐えようね!」
「はい! 私、リクが一緒で本当によかったです!」
これもこちらの会話など聞こえていない観衆からは王子たちの婚約者同士が仲良く談笑しているように映っているのだろう。
それもこれも、この二ヶ月間みっちり鍛えられた賜物だ。そのつもりがなくても表情を取り繕ってしまう。
そんな私たちを、ノイス王太子殿下は苦笑しながら見守っていた。
ノイス殿下とはあまり話したことないけど、基本的に穏やかだよね。
……とは言っても、例に漏れず一癖あるのも知ってるんだけどね。
そうして時間が過ぎ、何とか国民へのお披露目時間を終えると、今度は夜会に向けた準備が始まる。
合間を縫って体を休めることはできるけれど、全く気が休まらない。
今度は夜会用のドレスに着替えさせられ、夜会が始まるまで控え室でぐったりしていた。
ほどなくして着替えを終えたミラーナも控え室にやってくる。
「ミラーナ……お疲れさまぁ」
「リクもお疲れさまです……」
互いに疲れた声で互いの労を労う。
なんだこれ。
「先程ちらっと覗いてきたけど、夜会の参加者の数がすごいね」
「えぇ。しかも今回は王太子の婚約式に伴う夜会ですので、他国の王族の方も多数駆けつけているそうです。夜会が始まって挨拶にこられたら、全力でお顔とお名前を覚えなければなりません……」
「あぁ……そうだよね。覚えないとだよねぇ」
はぁ〜、と二人同時にため息をついた時。控え室の扉がノックされた。
慌てて二人して姿勢を正し、立場上私よりも上になるミラーナに目配せをする。ミラーナは一瞬きょとんとしかけてから意図を理解して、「どうぞ」とノックした相手に入室の許可を出した。
「二人共、お疲れさまです」
顔を出したのは敬語版ハルトだ。ミラーナがいるからだろう。
王子に生まれたがゆえか、ハルトは場によって振る舞い方を徹底して切り替えている。私も見習わねば。
「お疲れさまです、殿下」
キリッと表情を引き締めて応じると、気合いを入れ過ぎたせいかハルトどころかミラーナにまで吹き出して笑われてしまった。
「休憩しているところ申し訳ないのですが、そろそろ移動して頂いてもよろしいですか? 来賓の方々が揃ったようなので、少々早めに始めるそうです」
ハルトのこの言葉に思わず私とミラーナは顔を見合わせた。アイコンタクトでわかる、同志の思い。
大変だった婚約式に伴う行事も、残すはこの夜会のみ。
私とミラーナは互いに頷き合って椅子から立ち上がった。
夜会会場手前の舞台袖に到着すると、そこにはこれまでの夜会やパーティの時と同様に王族一家が揃っていた。いないのはイサラだけだ。
子育てが一段落したらイサラも来賓側で参加できるようになるだろうけど、今はまだ子供が小さいから難しいようだ。
会場への入場順は陛下とハレナ様、続いてシアルナ様とレイア様、ノイス王太子殿下とミラーナ、そのあとにハルトと私。
ほかの王族弟妹は最後に入場する。
会場に王族一家が揃うと、ざわめいていた会場が一瞬にして静まり返った。陛下が夜会開始の挨拶をするからだ。
陛下は静まり返った会場の端から端まで視線を送った。そして、一呼吸の間を置いて口を開く。
「この度は我が子、王太子ノイスと長男ハルトの婚約披露の場にご足労頂き心より感謝する。本日は各国から王族の皆様も遠路遥々お越し下さり──」
国内の貴族のみが参加するような夜会とは異なり、他国の王族もいることを考慮して丁寧な口上が述べられる。
そうして陛下の挨拶が終わると開会宣言が成され、楽団が音楽を奏で始めた。
ここまでは自分が王族用の入り口から入場したことを除けば、見慣れ始めていた夜会と同じ流れだ。
これまでと異なるのはここからだ。
まず最初に挨拶に訪れたのは他国の王族方だった。
彼らは最初に国王陛下に挨拶をしつつ明日以降に話し合いの場を得る約束を取り付けて、続いてノイス王太子殿下のところへと向かうと祝いの言葉とちょっとした政治的やり取りをする。
そして最後に私とハルトの許にやってくると、祝いの言葉と共にやはり国交に関する話題を交えつつ雑談をする。その相手をするのはもちろん私ではなくハルトだ。私じゃ何の話かさっぱりわからないしね……。
そんなわけでハルトの隣にいること以外に役目を持たない私は、ミラーナに倣ってお祝いの言葉に笑顔でお礼を伝え、話の終わりには「ぜひ夜会を楽しんで下さいませ」と声をかけるだけの簡単なお仕事をこなす。もうこれは仕事を通り越して、いっそ作業と呼んでも差し支えない。
でもそんな定型句に気を悪くする人はいない。むしろ定型句だからこそ失言もないし、他国の王族方も耳慣れた言葉に慣れた様子で返答しているのでお互い楽だ。
そう思って、油断していた時だった。
「この度はご婚約おめでとうございます、ハルト殿下、リク様。私はオルテナ帝国より参りました、オルテナ帝国皇太子のマイス=モスレイ=オルテナと申します。以後、お見知り置きを」
私は「オルテナ帝国」という単語に思わず反応しつつも、ハルトと共にお祝いの言葉に対してお礼の言葉を述べる。マイス皇太子殿下はハルトに早速雑談を振り、そこから国交に関する話題へと転換しながら話しかけ始めた。
私はその隣でそれを聞くとはなしに聞いていた……のだけど、どうにも視線を感じて視線の元を辿る。
そして。
視線の先にいた人物の顔を見て、私は息を飲んだ。
私の反応にハルトも気付いたようだ。
マイス殿下に失礼にならない程度に、一瞬だけ視線を私と同じ方へ向け……二度見した。
こちらに視線を向けていたのは、一人の女性だった。目に優しい萌黄色の髪、猫のように大きくてちょっと吊り目気味の金色の目をしている。
露出の少ないドレスに身を包んでマイス殿下の斜め後ろに控えめに立っているけれど、小柄な体つきに不釣り合いなほどの巨乳……じゃなくて、彼女自身の存在感が半端ない。
そして何より、その顔が。まさかの日本人顔だった。
魂還り。
一瞬にして同じ言葉を思い浮かべたであろうハルトは、しかし私以上の驚きようだった。そしてハルトと同じように彼女も驚愕の表情を浮かべていた。互いに知った顔だったようだ。
私も何となく見たことがある顔だと思って、失礼ながらその女性を凝視してしまう。
さすがにこちらの様子に気付いたマイス殿下は口を噤むと、私たちの視線の先を追う。そして得心したような笑顔で女性に前に出るよう促して、私たちにその女性を紹介する。
「ああ、彼女は我が国に神殿より派遣されている勇者、フレイラ=ソーヴィスです。紹介が遅れまして……」
「もしかして、望月 陽人!?」
紹介されている途中で、フレイラと紹介された女性が目を輝かせて声をあげた。
マイス殿下はその声にびっくりした様子でフレイラさんを振り返る。
しかしこちらはそれどころではなかった。
私は咄嗟に女性の口を塞ぐと、ハルトとマイス殿下を振り返った。
「申し訳ありません、殿下。私、ちょっと人に酔ってしまったみたいで……。フレイラさんもお顔の色が悪いようですし、一緒に夜風に当たってきますわ」
必死にイサラの言葉遣いを思い出しながら苦し紛れの言い訳を並べ立てた。
ここで私が席を外すのはよろしくないだろうけれど、私以上にハルトが席を外す方が厳しいことを思えば、今この状況を切り抜けるにはこうするしかない。
幸い国交が最も少ないオルテナ帝国が各国王族の殿だ。私が抜けるにもギリギリのところだけど、フレイラさんを巻き込めば何とかなるだろうと踏んで、断りを入れるなりフレイラさんを引っ張ってそそくさとバルコニーへ移動する。
「ちょっと、何するんです!」
事情も説明されないまま無理矢理連れてこられたフレイラさんからはさすがに抗議の声が上がった。私はフレイラさんの手を放して振り返ると、その顔をじっと見つめる。
絶対見たことある顔なんだけどなぁ……誰だっけ。
まぁハルトの時もフルネームを聞くまでは思い出せなかったんだから、名前を聞かないことには思い出せそうにもないな。
『フレイラさん、と言いましたか。こちらの世界で前世のフルネームを出すのは控えた方がいいですよ』
私はタツキに倣い、敢えて日本語で話しかけた。
まだこのバルコニーに人が出てくる様子はないけれど、壁に耳あり障子に目あり、だ。警戒するに越したことはない。
一方、日本語で話しかけられたフレイラさんは目を瞠っていた。そしてまじまじと、探るように私を見上げてくる。
「あなたの顔……どこかで見たことがある気がするわ。どこでだったかしら」
フレイラさんの小さな呟き。しかしそれはこちらの台詞です。
このままでは埒が明かないので、私から名乗ることにした。
『私の前世の名前は、瀬田 理玖です。フレイラさんの前世の名前をお聞かせ願えますか? あと、できたら日本語で応じて頂きたいのですが』
私が名乗るとフレイラさんは私のことを思い出したらしく、手をポンと打ち鳴らす。
『瀬田 理玖! 思い出したわ! でもそっちも私のことは思い出せないのね。私の前世の名は五十嵐灯子よ。小学校五年と六年の時に同じクラスだったんだけど』
こちらの要望通り日本語で名乗ってくれた名で、私は必死に脳内検索をかけた。ほどなくして該当者に辿り着く。
五十嵐 灯子さん。ハルトのグループと仲がよかった女子グループの子だ。
小柄な子で、いつも元気一杯でハキハキしていた女の子。見た目にも華やかさがあって、当時の私からしたら近寄り難かったタイプの子だ。
『あー、五十嵐さん! お久しぶり……って言うのは、何か違うか』
う〜ん、こういう場合は何て言えばいいんだろう?
ご愁傷様でした? それは私も同じだしな。
転生おめでとう?? いやいや、おめでとうってこともないしな……。
それにしてもハルトに続き、かつてのクラスメイトがこうして見つかるとは。しかも神位種かぁ。
思わず微妙な顔をすると、五十嵐さん改めフレイラさんは、改めてまじまじと私を見てきた。
『瀬田さんは、前世と比べると何だか随分印象が違うわね。こうして会えたのは嬉しいけれど──そう言えば瀬田さんは今日、陽人と婚約したのよね……』
その言葉にちょっとした負の感情が滲んだのを、私の感覚器官は敏感に察知した。
これは……もしかして……。
『でも不思議。見たところ瀬田さんは魔族な上に魔王種みたいだけど、なぜ神位種である陽人と婚約することになったの?』
こっ……こわっ。
フレイラさんは表情こそ笑顔だけど、伝わっていないとでも思っているのか、あるいは隠すつもりもないのか、敵意がビシバシと伝わってくる。
おぉい、ハルトー! 前世のしがらみは、自分できっちり片をつけて頂戴よぅ。
どれだけの期間五十嵐さんがハルトのことを想っていたのかは知らないけれど、チクチク言うのは勘弁して。
……なんて、まぁ、詮ないことを言ってもしょうがないか。もしかしたら久しぶりに会った王子様なハルトに一目惚れしちゃったパターンかも知れないし。
ここは自ら決断した通り、ハルトは私のものだとしっかり主張しておこう。
よし! と、意気込んだ瞬間、後方から手を引かれた。不意をつかれて咄嗟に踏み留まれず、手を引いた相手の懐に体当たりしてしまう。私に気配を察知させずに現れた人物は言わずもがな。ハルトだ。
ハルトにはヒーローセンサーでも付いているのだろうか。登場のタイミングが絶妙すぎると思います!
そのまま私はハルトに、フレイラさんから隠すようにその腕の中に収められてしまった。
『五十嵐。どういうつもりかは知らないけど、リクに敵意を向けるな』
ハルトの一言に、フレイラさんからのあからさまな敵意が消える。しかしハルトでは感じ取れないくらいの刺さるような視線は消えない。
『敵意を向けたつもりはないわ。ただ、どうして魔王種の瀬田さんが神位種の陽人と婚約することになったのか聞いてただけよ』
『それは、俺からリクに婚約者になって欲しいと申し出たからだ』
『えっ』
フレイラさんが困惑の感情を向けてきた。
この子、基本的に感情を抑えるのが苦手なのかも。わざとにしては伝わってくる感情がストレートすぎる。
そのストレートすぎる感情からフレイラさんがハルトに特別な気持ちを向けているのも伝わってくるから、私としては複雑な気分だ。
『半ば無理だろうと思いながら三年越しでやっと手に入れたんだ、水を差すなよ』
そんな私の複雑な気分を吹き飛ばすような、ハルトの言葉が耳に届く。釘を刺されたフレイラさんは反射的に何かを言いかけ、しかしすぐに諦め混じりのため息を吐き出した。
『……わかったわよ。あ、そうだ。私が今回皇太子殿下に随行してきた理由は殿下から聞いた? 例の竜襲撃の件で魔族領への調査はほぼ確定だろうから、私はオルテナ帝国の代表として調査に参加することになったの。もし陽人……いえ、ハルト殿下が参加するなら、同じパーティになるだろうからよろしくね?』
にこりと微笑むその笑顔は妖艶さを帯びていた。私にはない要素だ。
ちょっと危機感。
一方でハルトは「ふぅん」と気のない相づちを打ち、なぜか私を抱き込む腕に力を込めた。
『俺が参加するならリクも参加することになるだろうから、くれぐれもおかしな行動は起こさないでくれよ』
追加の釘を打ち込むようにフレイラさんを睨むハルト。睨まれたフレイラさんは肩を竦めた。
『それがわからないのよねぇ。瀬田さん──リクさんは、そんなに強いのかしら。火竜を倒してアールグラント王国から「守護聖」の称号を貰ったとは聞いてるけど、信じられないわ』
『なんだ、五十嵐。知らないのか? “冒険者リク”の名はオルテナ帝国でこそ有名だろうに。はっきり言って、今のリクが本気を出したら現存するどの勇者であろうともリクに勝つことはできないと思うぞ』
『……それは言い過ぎ』
さすがに突っ込むと、こちらに視線を向けたハルトが微笑む。
『リクには古代魔術もあるだろ? リクが本気を出せば、本当に勝てないと思うけど』
『古代魔術なんて使ったら都市がひとつくらい消し飛ぶから使わないよ──て、そうか! 古代魔術の制御術式を作れば威力を抑えて使えるんじゃないの!? うわ、思い付いちゃった! できそうな気がする!』
構想が浮かんでテンションが上がる!
私は魔力を操って空中に思い付いた魔術式を転写していく。書いては直し、書いては直し──とやっていると、傍らで見ていたフレイラさんが目を点にしていた。
おっと、つい悪い癖が。
私はそっと空中に描き出していた魔術式を消した。
その後の夜会はフレイラさんが空気を読んで大人しくしてくれたこともあって、恙無く終えることができた。
そしてこの日以降、王城の魔術師団で調べものをしながらハルトの補佐を務める私の後ろを、なぜかフレイラさんがついてくるようになった。
そこに悪い感情は感じられない。むしろツンケンしながらも私を心配している感情が読み取れる。
ツンデレ……?
いやいや、心配される理由がわからないからデレられてる意味がわからないんだけど。
一体なんなんだ……。
* * * * * フレイラ * * * * *
夜会後、私はマイス皇太子殿下に呼び出された。
理由はわかっている。魔族と話をしていたからだ。
オルテナ帝国は度々魔族の脅威に曝されてきた歴史があるから、魔族に対していい感情を持っていない。ゆえにアールグラントの希少種保護法は愚法だと、オルテナ帝国の王侯貴族は影でささめきあっている。
かく言うオルテナ帝国生まれの私も例外ではない。
まぁ瀬田さん──リクさんに敵意を向けた理由は、それだけではないのだけど……。
「あの魔族と何の話をしてたんだ?」
「世間話を」
私はマイス殿下と視線を合わせることなく答える。
どうにも私はこの自国の皇太子様のことが好きになれない。しかし私の気持ちなど無視されて、現状ではこの皇太子殿下の婚約者に据えられている。不本意だし、不満だ。
それはお互い様らしく、マイス殿下も私を婚約者として人に紹介することはない。
しかしこの婚約は破棄できない。王族との婚約とは、そういうものだ。
ふと今日見た、前世でのクラスメイトたちの姿を思い出す。
傍から見てもわかるほど、相手に惚れ込んでいるのはハルトの方だった。リクさんはそんなハルトを受け入れながらも、マイペースを貫いている様子だった。
羨ましい。
前世で、私は望月 陽人のことが好きだった時期がある。期間にして、小学校五年生から中学を卒業するまで。しかし結局気持ちを伝えられないまま、中学校を卒業した。
高校は別の高校になり、風の噂で陽人に美人の彼女ができたと聞いて、諦めた。
その後私は私で彼氏ができたり別れたりしながら大人になって、それなりに幸せな日々を送っていた。
……けれどあの日、唐突に命を落とした。
幸せだった私の人生が、全て吹き飛ばされた。
そして前世の記憶を持ったまま生まれ変わって、私は絶望した。
もうあの日々を取り戻せないのだと思い知って、目の前が真っ暗になった。
神位種として神殿に連れて行かれた時も、覚醒を経て再びオルテナ帝国へ戻った時も、感慨も何もなかった。
ただ、この皇太子様との婚約だけが嫌だった。
そんな日々の中で、今回の再会は大きな変化点となった。
かつて好きだった人が目の前に現れた。しかも同じ神位種。
“勇者ハルト”がまさか“望月 陽人”だとは思いもしなかったけれど、ハルトはかなり名の知れた勇者だ。特に、現在確認されている覚醒済みの神位種の中でも飛び抜けた才能を持っているというのは有名な話。
さらに言えば、ハルトはアールグラント王国の王子様だ。
前世と変わらない格好よさとその地位に相応しい輝かしさで、私は一瞬で恋に落ちた。それと同時に、現実に気がついて愕然とした。
折角今世で初めて大きく心が動かされたのに、この人はもう別の人と今日、婚約したのだと。
王族との婚約はほぼ確実に破棄されない。
私は反射的に陽人の婚約相手を見た。
その人は髪色や目の色などは違うけれど、すぐに自分や陽人と同じく魂還りの前世日本人だとわかる顔立ちをしていた。それも、何となく知っているような顔……。
その後、彼女の前世の名前を聞いて、さらには前世の彼女を思い出して、私は驚きを隠せなかった。
瀬田 理玖。
名前を聞けば思い出せる。けれどとても印象が薄く、目立たない存在だった人物が、今世では陽人の婚約者として現れたのだ。
前世を思い起こすに、時々陽人が声をかけることはあっても瀬田さんから陽人に声をかけるようなことはなく、限りなく接点の薄い人物だったはずだ。
私は嫉妬した。
瀬田さんはこんなにいい目を見ているのに、どうして私はこんなにも不幸なのだ、と。
陽人から愛されて、守られて、何も悩みなどなさそうな顔をして。
「……まぁいい。しかしあの魔族は不愉快だな。それもただの魔族ではなく、魔王種だ。魔王種など、滅んでしまえばいいのに」
思考の海に落ちていた私を現実に引き戻したのは、マイス殿下の声。憎悪に満ちた仄暗い声だった。
はっとして顔を見ると、窓外を睨みつけているマイス殿下の瞳には危うい光が宿っていた。
ぞっとする。
まさか、他国の王子の婚約者に何か仕出かすとは思えないけれど──。
「もういい、下がれ」
「……失礼します」
私が訝しむ視線を向けていることに気付いたマイス殿下は、早々に私を追い払った。逆らわずに殿下に充てがわれている客室を出る。
確信はないけれど嫌な予感がする。かと言って、自国の皇太子に意見できるはずもなく。
不本意だけど、仕方がない。
私はマイス殿下が帰国するまでの間、こっそりリクさんを護衛することにした。




