36. 保たれた日常
* * * * * リク * * * * *
私はぼんやりと、タツキとブライのやり取りを眺めていた。
少し離れているせいか、それとも疲れのせいなのか。二人の会話は私の耳でも聞き取れない。それでもタツキが何かを問いかけると、ブライがどこか観念したような様子で応じているのはわかった。
しばらくそんなやり取りが続いている。
「タツキは、強いんだな……」
ぽつり、とハルトが呟いた。
私から見たらハルトも十分強いんだけど、確かにタツキの強さは異常だ。
異常な程強いんだけど……でも、今日は何だかボロボロだ。明らかに何者かと争って傷を負った様子なんだけど、傷自体はすでに治癒魔術で治したようだ。
あのタツキがあれだけの手傷を負うなんて、相手はどれだけ強いんだか。
あぁ、それにしても。急激に眠くなってきたなぁ……。
タツキが来てくれて安心したからかな。
それとも、タツキとブライの話す声が心地いいからかな。
ああ、違うか……。
今日は、ちょっと……魔力を使い過ぎたのかも──。
* * * * * ハルト * * * * *
ぼんやりとタツキとブライの様子を眺めていると、隣から安らかな寝息が聞こえ始めた。リクの方を見遣れば、見事に寝入ってしまっている。
俺は思わず声を殺して笑った。
ブライとの戦いでリクが相当量の魔力を消耗していることには気付いていた。だから魔力切れ寸前で眠気に襲われたのだろうことは理解できる。
だけど、無力化されているとは言えまだ目の前には黒竜がいるのに、気を抜いて眠ってしまうとは。
大物だなぁ。
そんなことを考えながらも笑いを納め、ふぅ、と息を吐き出す。
同時に、深く反省する。
リクには悪いことをしたと思う。
リクが竜の気配を察知して進むのを躊躇っていることに気付いていたのに、竜が街の近くに棲みついた場合に被るであろう災害を考えると放置できなくて、自らの力を過信して推し進めた結果がこれだ。
結局ブライの脅威に最も晒されてしまったのは、竜の存在を避けたがっていたリクだ。
あの時──リクがブライの体当たりを回避できなかった時、全身の血の気が引く思いだった。
冷静に考えてみれば別の手段でもリクを助けることはできたのに、咄嗟に走り出していた。
自分でもびっくりするくらい我武者らに走ってたな。
いずれにせよ、リクが無事で良かった。心底そう思う。
もう二度とこんなことにならないように、しっかりと自分の力量を把握しておかなければ。
それと、リクの第六感が頼りになることが今回の件でよくわかったから、今後リクと行動する時はリクの判断を仰ぐようにしよう。そしてその意見を尊重しよう。
不特定多数の困っている人を助ける以前にまずは周りの人間を守れるように、撤退することも視野に入れられるようにならなければ。
俺はもっと、周りを頼るべきなんだと痛感した。
本当は危険な討伐依頼を周囲に黙って受託していたリクに怒っていたはずなんだけど……最終的に怒られるべきは俺の方だな。
帰ったらイムに謝らないと……。
しばらくすると、こてん、とリクの頭が肩に乗ってきた。熟睡状態に入っているようだ。
基本的に睡眠不要な妖鬼が、熟睡している。これは珍しい光景なんじゃないだろうか。
…………いやいや、不躾に観察するのは失礼だろう。
そうは思うものの、どうしても肩から伝わってくる少し低めの体温を意識してしまう。一度は逸らした視線が勝手に戻ろうとするのを、掌で目を覆うことで阻止する。
……この意思の弱さをどうにかできないだろうか。
自分自身に呆れながら、温もりを感じる方とは逆側の地面に視線を落とす。
そのままじっとしていると、不思議と戦闘後の緊張感が薄れて落ち着いてくる。
この状況で落ち着くとか思ってる時点で、俺もリクのことは言えないか。
それほどまでにタツキの存在がくれる安心感が大きいのか、それとも──。
などと思考を巡らせていると、タツキとブライの方で動きがあった。
長いこと何事か話し合っていたが、ブライが瞳を閉じて頷く動作をするとタツキが右手をブライへと向けた。
途端、恐ろしいほどの力の渦が発生し、タツキの右手へと集まり始める。
力の元はブライ。
ブライの体は瞬く間に黒い霧になり、タツキの右手へと吸い込まれていく。
何が起こっているのか。それを理解できたのは、タツキの能力について事前に聞いていたからだ。タツキの能力について聞いていなければ、何が起こっているのか全く理解できなかっただろう。
ブライはタツキの手によって、その存在を分解されている。
分解されたブライは純粋な魔力素へと変換され、タツキに吸収されているのだ。
俺は知らず知らずの内に、その光景に見入っていた。
タツキの、圧倒的強者としてのその姿に……。
* * * * * タツキ * * * * *
黒竜ブライと話し合いは僕が想定する中で最も望ましい形で決着し、ブライからの合意も得ることができた。なので早速その場で契約を交わす。
本来であれば精霊は契約を交わす主体になり得ないのだけど、その辺はイフィラ神の加護のおかげか問題なく契約主になれた。
契約を済ますと次はブライを分解し、この世界に存在する全てを構成している魔力素へと変換する。そうして分解したブライを一旦亜空間に収納して、そこで再構成しつつ改変を加えていく。
多少苦しいかもしれないけど、何とか耐えて欲しいところだ。この改変を何度も繰り返して、ブライをある高みへと押し上げるのが目的なのだから。
さて……ブライはどこまで頑張ってくれるだろうか。できることなら最後まで耐え切って、その時がきたらしっかり役目を果たしてくれたらいいんだけど……。
そう祈りながら、一段落したのでリクとハルトの方へと振り返った。するとリクはハルトに寄り掛かって眠ってしまっていた。ぱっと見ただけでリクの魔力が枯渇しかけていることがわかる。
一体どんな魔力の使い方をしたらリクの魔力が枯渇寸前なんて状況になるんだか。
一方で、ハルトは信じられないものを見たような顔で僕を見ていた。
まぁ、そうなるか。ハルトは僕の能力を見るのは初めてだっけ。
でも有り難いことに、その表情に恐怖はなかった。ただただ驚いている様子だ。
だからつい笑ってしまった。
「ハルト、すごい間抜け顔になってるよ」
言ってやると、当のハルトは詰めていた息をゆっくり吐き出す。
「いや……本当にすごいな、タツキ。それだけ強いのに、何でそんなにボロボロなんだよ」
「ああ、これね……。僕程度の力を持っていても、世界にはまだまだ上がいるってことだよ。今回は魔王ルウ=アロメスと遭遇しちゃってね。あの戦闘狂、リクと同じ紫目の魔王種なんだけど滅茶苦茶強いんだよ。隙をついて何とか精霊石に帰還したんだけど、こっちはこっちで危なかったみたいだね」
魔王ルウ=アロメスと遭遇したのは本当に災難だった。そのせいで自分も生き延びることに必死だったけど、リクもハルトもこんなに追いつめられていたのに、黒い神官服たちがリクの前に現れた時のような悪寒はなかった。
僕はリクの守護精霊なのに、守護対象のピンチに気付けなかったなんて……。
「タツキが戻ってきてくれたおかげで助かったよ。俺ももっと力を付けないと、この先危ういかもな……」
少なからずショックを受けている僕の心情に反して、ハルトからは礼を言われてしまった。でもそのおかげで少し気持ちを持ち直すことができた。
後半についてはハルトが自覚している通り、狭いこの空間で自由に動けなかったであろう黒竜を相手に手こずっているようでは、今後さらなる強者がハルトの前に立ちはだかった時に危うい目に遭うこともあるだろうなと思った。
見たところハルトはほかの勇者に比べたら潜在能力が高いようだし、このまま神位種として順調に力が伸びていけば問題ないとは思うけど……どうもハルトは早々に力を得たいようだ。
それを言葉の端々から読み取ったところで、僕では何も解決策が思い付かないんだけども。
つい反応に困って黙りこくっていると、ハルトは苦い笑みを浮かべた。
「そんなこと言われても困るよな。今のは忘れてくれ。それはそうと、そろそろここから出るか。ギルドのメンバーたちも心配してるだろうし──」
会話を打ち切って立ち上がろうとしたハルトは、自らの肩に寄り掛かって眠るリクの存在を思い出して迷う素振りを見せる。それからちらりとこちらを見てきので、僕は肩を竦めた。
「リクが小さい頃なら僕でも運べたけど、今はもう無理だよ」
そう、僕はこの世界に生まれてからずっと同じ姿──見た目12歳程度の姿なのだ。なので、現在はリクの方が身長が高い。
抱え上げるにしても背負うにしても、体格差があるので運べない。
「……そうか。わかった」
ふぅ、とハルトはため息をついて、リクを起こさないようにそっと抱き上げた。お姫様抱っこだ。
さすが一国の王子。その姿がやたらと様になっている。
リク、目が覚めたらびっくりするだろうなぁ。
そんなことを考えながら僕はハルトに少し休むことを伝えて、リクの額にある精霊石へ引っ込んだ。
あぁ、今日は疲れたなぁ……。
* * * * * リク * * * * *
ゆらゆら揺れる。
心地のいい揺れ。
まるで水の中を漂っているかのような感覚。
この感覚は、何となく懐かしい。
あの時、『私』はひとりではなかった。
ひとつの小さな海の中、『私』ともうひとり。
けれど、世界に産み落とされてしばらくすると、『私』はひとりになっていた。
ひとりに、なってしまった。
そのことを、『私』はぼんやりと覚えていた。
母の胎内にいた時、自分がひとりではなかったことを。
その傍にいたはずの存在が、産み落とされて間もなく傍からいなくなってしまったことを。
それから『私』はずっと考えながら生きていた。
もしあの子が生きていたら、どんな風に育っていただろう。
あの子なら、こんな時どうしていただろう。
何故、あの子ではなく『私』が生きているんだろう。
毎日仏壇に手を合わせ、あの子に話しかけてみたりもした。
意味のないことだとわかっていても、その存在を想えば話をしてみたくて仕方がなくなってしまうのだ。
会いたいな、と思った。
もっとちゃんと一緒に過ごしたかった。
色んなことを話したかったよ、龍生……。
◆ ◇ ◆
意識がゆっくりと浮上する。
何だか懐かしい夢を見たな、と思った。
前世の私の夢だ。
私の夢なのに、『自分とは違う誰か』の夢を見ているようでもあった。
……いや、実際に半分くらいは自分ではない誰かの夢と言えるだろう。
前世の私と今世の私では性格とか行動パターンとか結構違うし。名残はあるけれど、どことなく一致しない部分も少なくない。
それは恐らく今世の私が前世の記憶を取り戻したのが三歳の時で、それまでは『瀬田 理玖』ではなく、『セアラフィラ』として育ったからなんだろうな、と思う。
自分でも随分はっちゃけた性格になったもんだって思うもんね。前世はもっとこう、暗いと言うか、頻繁に思い詰めていた気がする……。
そんな思考を挟んでようやく覚醒した私は、重たい瞼を押し上げた。
ややぼやけた視界がほどなくして明瞭になり──
「ぅわっ!」
飛び込んできた光景に驚いて声を上げると、見上げる位置にあるハルトの顔がこちらを向いた。
「目が覚めたか。体調は悪くないか?」
「へっ!? あ、あぁ、うん、大丈夫大丈夫。だから下ろして貰っていいですか」
ひえぇぇっ! まさかの、まさかのお姫様抱っことか!
恥ずかしすぎるっ……!!
「本当に? 魔力が枯渇しかけてたみたいだけど、歩けるか?」
「大丈夫大丈夫! 眠れたから大分魔力も戻ってきたし!」
これは本当だ。
黒竜のブライほどではないにせよ、魔力の絶対量が多い種族は呼吸するだけでも魔力が回復する反則的な能力を持ってるからね。
その後も心配してくるハルトに如何に自分が元気であるかを主張して、何とか地面に下ろして貰った。
胸をなでおろしつつ周囲を見回せば、どうやら今は紫蟻の巣を通って赤熊の巣に戻る途中らしい。しばらく歩くと上方に赤熊の巣に続く大穴が現れた。
「あっ! 戻って来たぞー!!」
と、穴の淵から下の様子を見ていた冒険者が声を上げた。すぐに穴の淵からオーグさんとメティさんが顔を出す。
「よくご無事で! 何やら地響きや揺れがありましたが、一体何があったのですか?」
オーグさんに問われて私とハルトは顔を見合わせた。どこまで正直に話すべきか、ハルトも少し悩んでいる様子だ。
しかし視線をオーグさんに向け直すと、正直に話すことにしたようだ。
「詳細は後日報告しますが、この奥に竜がいました。紫蟻は竜の手下になっていたようで、確認できた紫蟻に関しては竜と共に討伐済みです。ただ、まだ紫蟻の生き残りがいるかも知れませんので、このまま紫蟻の掃討作戦を続行しませんか?」
ついでとばかりにそんな提案をするハルト。
さっきまで黒竜と戦って、治癒したとは言え負傷もしてたのに……元気だなぁ。
結局この日はハルトの提案通り、紫蟻の掃討作戦が決行された。
結果的には生き残っていた紫蟻は20匹程度で、ほかには赤熊の巣から紫蟻の巣に落下した黒狼などの魔物がちらほらいたくらい。特に手こずることもなく、無事に当初の予定通り掃討作戦は終了したのだった。
ギルドからまっすぐイリエフォードの館に戻ると、私とハルトは父からお叱りを受けることとなった。どちらも無茶をし過ぎだと、穏やかで優しい父にしてはきつめに叱られる。
はい、反省しています。
ハルトもしっかり頭を下げて、父に謝罪していた。
最終的には父が私とハルトの頭を乱暴に撫で、「今後は周りに相談するように」と念を押しつつ許してくれた。
滅多に怒らない父が怒ったのだ。それだけ心配をかけたのだと思うと申し訳なく思うのと同時に、ありがたいとも思う。
だからこそしっかり反省して、今後は特殊な案件を引き受ける場合には、ちゃんと父やハルトに相談するようにしようと決意した。
その翌日。
この日、私は魔術師団の研究室に籠っていた。
魔術師団の研究員になったと言っても、ここで研究されているのは既存魔術の理論の再構築による詠唱短縮や魔法道具の研究開発が主だ。しかしそれも大分やり尽くしている感がある。
むしろ思念発動ができる身としては、詠唱を短縮するよりも思念発動ができるように訓練した方が有意義だと思ってしまうので、詠唱短縮に関してはノータッチだ。
故に、私の役目と言えば意見を求められたら答えるくらいで、通常は魔法道具の研究開発の方に力を注いでいる。
……なんて言えば聞こえはいいんだけど、完全に趣味の世界なので好き勝手に本を読み漁っていることの方が多い。勿論賃金を頂いているので、相応の成果も上げてるけども。
例えば攻撃魔術が複数同時発動するスクロールの開発とか。魔法陣を特定の配置で重ねあわせると、重ねあわせた魔法陣の効果が同時に発動することがわかったのだ。これだけで向こう数年間の賃金に相当する成果だ。
他の魔術師たちもこの法則を学び取ろうと独自にスクロールを作ってみたり、私に教えを請いに来たりしている。
ふふふ……まぁ私は魔法陣マニアですから、これくらいはね!
そんなわけで、根を詰めて新たな研究開発をする必要がない立場にいるので、今はブライと遭遇した時から気になっていた物を自力で作成できないものかと本を読み漁っているところだ。
気になっていた物。それは、魔石だ。
魔力だけなら私もそこそこあるので、もしかしたら自力でも作れるんじゃないかと思ったのだ。
魔石は小さい物でもそこに内包されている魔力は膨大だ。故に希少価値が高く、高価な魔術師用の魔術の媒体……例えば杖や指輪などに取り付けて、そのまま魔力を増幅するアイテムとして使われることが多い。
その割に、魔石に魔法陣を組み込んだタリスマンや魔法道具といった物はこの世界に存在していなかった。
私の感覚では、魔石は絶対タリスマンや魔法道具として利用した方がいいと思うんだけどなぁ。
まぁでも、高価な魔石に魔法陣を組み込もうとして万が一失敗したら……と思うと手が出せない気持ちもわからないでもない。
仮にできたとしても、魔石の価値にタリスマンや魔法道具としての付加価値まで付くとなると価格がとんでもなく釣り上がるのは請け合いだし、なかなか実現しないのかも知れない。
だからと言って、過去に誰も思い付かなかったとは思えないんだけど……まさか、ねぇ。
そんなわけで、先々の目標として魔石を使用したタリスマンや魔法道具の開発を考えつつ、事前準備として魔石の自力生成ができないか調べるために、魔石に関する本を研究室の上等な椅子に身を預けながら読み耽っている。
しかし結構な冊数読んでみたけど、今のところ魔石に魔法陣を組み込もうとした記述は見つけられず。
まさかのまさかで、本当に誰も思い付かなかったとか?
新しい魔術の開発と言い、魔石の有効利用法と言い、何故この世界の魔術師たちは新たな分野に手を出そうとしないんだろうか。
うぅむ、と唸っていると、研究室の扉がノックされた。
「開いてますよー」
私は本に栞を挟み込んで、仕事用の机の上に置いた。
気配でわかってはいるけれど、扉から姿を現した相手を視認する。サラだ。
「お姉ちゃん、仕事中ごめんね。この魔法陣なんだけど、あと一歩で発動させられそうなのにどうしてもうまく行かないの。意見を聞いてもいい?」
と、入室してきたサラがスクロールを室内にある大きめの机の上に広げた。
私はさっそく椅子から立ち上がってそのスクロールを覗き込んでみる。そして、目を見開いた。
うわぁ……さすがサラ。
やっぱうちの妹、天才だわ。
目の前に広げられた魔法陣は、私がこれまでに見たこともないような複雑な魔法陣だった。
魔法陣の図式を見るに、付与魔術の中でも使用できる人が少ない知覚と感覚を強化する付与魔術を、ひとつのスクロールで発動させるのが目的のようだ。
「こんな複雑な魔法陣を組もうとするなんて……。うーん、そうだなぁ。直すならこの短縮回路の経路をこっちに変えて、逆に変更先の回路をそっちに引き直して整えて、ここの魔術式を回路の変更に合わせて修正すればいいんじゃないかな」
「あぁっ、なるほどー! そっか、そうすればより簡略化できるし、術式の単純化にもなるね。ありがとう、お姉ちゃんっ!」
サラは満面の笑顔で礼を言うと大急ぎでメモを取り、実にやる気に満ちた表情で退室していった。
いやはや。もしかして、もしかしなくても、サラも魔法陣の魅力に取り付かれちゃったのかな?
ふふふ、姉妹揃って同じ趣味って、ちょっといいよね。
もう攻撃魔術では敵わないからサラを守る役目は失ったけれど、こうして頼られるのも嬉しいもんだなぁ。
今度お勧めの魔法陣関連書籍を教えてあげようっと。
私は本の続きを読むべく、意気揚々と仕事机へと向かおうとし──
「……リクの魔法陣マニアっぷりも、随分板についてきたね」
半ば呆れた声がして、次の瞬間には目の前にタツキが現れる。
「自覚してるし、むしろ褒め言葉ですがなにか」
「いや、いいんだけどさ。今は魔石に関して調べてるんでしょ? その知識を持ってる相手を知ってるんだけど、話してみる?」
「えっ!」
思いがけない提案に、咄嗟に前のめりになる。
タツキはくすくす笑うとすいっと宙に手を差し出した。その手のひらから黒い霧のようなものが湧き出す。
そして──ちょこん、と。
小さな黒い塊が現れた。
小さな、黒い塊。ブライだ。
「えっ!?」
驚きのあまりさらに身を乗り出し、瞳を全開にして目の前の生物を凝視する。
姿こそブライそのものだけど、サイズが子猫サイズだ。
「あの時、僕とブライの間で契約を交わしたんだ。で、現在ブライは僕の再構成の力で存在そのものを再構成中」
ほあぁっ、チートはやることが違うね!
私とハルトの二人掛かりで苦戦して、それどころかピンチにまで追いやられたブライを配下にするなんて。
しかも竜を再構成って……!
「リクと言ったか。主の姉君だそうだな」
驚きの連続で口を半開きにしていると、ちまっとサイズのブライがその姿に似つかわしくない、老練さを醸し出しす口調で語りかけてきた。
ちまっとサイズのブライが。
ちまっとサイズの竜が、ですよ!!
「うっわ、かっわ……!」
思わず身を震わせながら意味は通じるだろうけど言葉としては成立していない感想を漏らすと、タツキが心底おかしそうに笑った。
一方、ブライは私の反応に少し引き気味だ。
「リクよ……我はこれでも竜なのだが」
「それはわかってる。でも、ミニサイズなんですよ。可愛いに決まってるでしょうがっ!」
ブライは意味がわからない、と言わんばかりの表情になる。
相手は竜だけど、昨日に比べると何となく感情の流れも判別し易い気がする。
「まぁまぁ。で、魔石については魔石を作れる黒竜に聞いてみなよ。ブライにはこれから僕の調べものを手伝って貰うつもりだし、リクとは仲良くなって貰いたいんだ」
はい、と手の上に乗せているブライを差し出してくるタツキ。
私はブライを受け取りながら、肩を竦めた。
「昨日出会ったばかりのブライには調べものの内容を話せるのに、私には教えてくれないの?」
「ごめんね。でも昨日のブライに単独で勝てるくらいじゃないと、話したところで連れて行けないから。それだけ危険な場所で、危険と隣り合わせのことを調べてるからね」
そう言えば昨日、精霊石から現れたタツキはボロボロだったなと思い出す。
目が覚めたあとに魔王ルウ=アロメスと遭遇したとは聞いてたけど、タツキすら苦戦する相手がいるような場所に行くのなら確実に今の私では足手纏いだ。
自分が足手纏いであると昨日痛感したばかりだからこそ、ここは引き下がるしかない。
「そっか……それじゃあ、ブライ。お互い昨日のことは水に流して、魔石について教えて貰ってもいい?」
「了解した。主からの命令だ、何でも聞いてみるがいい。わかる範囲で答えよう」
気前良くブライは請け合ってくれた。
よし、気持ちを切り替えて、今は自分にできることをしよう。
差し当たっては、自力で魔石の生成する研究をしよう!
──と、気合いを入れた日から数日後。
ハルトが『はぐれ山』での出来事をまとめた報告書を国とギルドに提出した。
そのさらに数日後、ハルトがどのように報告したのかは不明だけど、国王からハルトのみならず私やタツキにも直筆の感謝状と報奨が届けられた。加えてギルド側からも感謝状と、通常では考えられない額の報酬が支払われた。
おかげで貯蓄が一挙に倍増したんだけど、あまり大金が手元にあるのも恐いのでタツキに預かって貰うことにした。
どうやらタツキはあらゆるものを収納する別空間に接続できるらしく……容量には限界があるらしいけど、竜であるブライ本体を丸々収めても余りある巨大空間に物を放り込んでおくことができるらしい。
相変わらずのチート能力。ここまでくると、羨ましさよりも清々しさを感じてしまう。
とは言っても、本来その別空間は分解能力を行使した際に魔力素に変換した対象を収めておく保管場所のようなものだとかで、タツキ自身もどういう理屈でその空間に接続しているのか理解していないらしい。感覚的に分解能力を介さずにその空間に接続しているんだとか。
そんなんで別空間への接続を成功させるとか、さっぱり意味がわからないんだけど。
まぁ、そんな理解不能な話は置いといて。
今回の件をきっかけに、想定外の感謝状やら報奨とは別のところで、私にとっては悪夢のような出来事が起こっていた。
悪夢。
それは、時間の経過とともにようやく消えようとしていたあの異名たちが復活したことだ。
『白銀の流星』『瞬速の狩人』『漆黒の牙』
やっと、やっと聞かなくなったと思ったのに!
どうやらもうこの異名たちを消すことは不可能なようだ。
ようやくその事実を悟った私は、時には諦め、受け入れることも大切なのだと学んだ。
そうね。もうあれらの異名も私の一部ってことなんだよね……。
ふふ……本当に、勇ましい異名だこと。
…………泣きたい。




