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魔王候補になりました。  作者: みぬま
第2章 人生の転機
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35. 黒竜

「竜だとしたら、放置できないな」


 ハルトはずんずんと先へ進みながら、改めて耳を疑いたくなるような言葉を発した。

 ……え? もしかして、会いに行くつもりですか??


「放置できないって……相手は竜かも知れないんだよね? 大丈夫なの? それとも私が竜に会ったことがないから知らないだけで、この世界の竜は脅威じゃないの?」


 私の中では前世の小説やゲームの影響か、竜、龍、ドラゴンと言ったらもう強敵中の強敵だと言う認識なんですけどね。何なら世界最強種族とかだと思うんですけどね。

 そんな種族にどんな事情であれ、自ら会いに行こうとするなんてちょっと理解できない。


「いや、この世界でも竜は脅威になり得る存在だ」


 戸惑いを乗せた私の問いに、ハルトは真顔で応じた。

 私の頭の中が「?」で埋め尽くされていく。


「んん? じゃあ何でそんな当然のように会いに行こうとしてるの? あっ、もしかしてこの世界の竜は友好的だとか!?」


 そういうパターンもあるよね! 優しい竜と触れ合う物語に出てくるような、温和な感じなのかもしれない。


「そうだな……個体差もあるけど、基本的にはあまり友好的な種族じゃないな。竜は基本的に排他的だし、そもそも繁殖期と子育て中以外は他種族どころか同族とも別行動してるくらいだし」


 表情こそ真剣そのものだけど、ハルトの口調からはまるで緊張感が感じられない。前進する足が止まる気配もない。

 えぇ? 何なの、この余裕は。


「何でそんなに平然としてるの……」

「ん? いや、別に平然としてるつもりはないんだけど……まぁ竜ならある程度会話もできるだろうし、どのみちここに竜が棲みついてるなら放置もできないからなぁ」


 あぁ、こういうのって何て言うんだっけ。確か、暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐にかすがい……だったっけ?

 どうも私が何を言ったところでハルトの意志を曲げることはできないようだ。かと言って、このまま一人で行かせるわけにもいかない。


 ……よし、こうなったら私も腹を括るか。

 女は度胸! ついていってやろうじゃないか!



 そんな調子で更に奥へと進んで行くと、やがて通路の向こうに明るい空間が見え始めた。どうやら明るくなっている空間は今歩いている通路よりも広い場所のようだ。

 さすがにハルトも相手の気配を感知できたようで、「やっぱり竜だな」と断定した。だからと言って「引き返す」という選択肢は相変わらずなさそうだけど。


 本当に大丈夫かね、これ。

 腹を括ったはずなのに、何となく不安が拭い切れない。


 不意に、ハルトが立ち止まった。明かりのある広い空間まであと一歩という位置だ。

 つられて立ち止まると、視界に黒い塊が映り込んだ。


「若そうだなぁ……話は通じるか?」


 ぽつりとハルトが呟く。その視線の先では黒い塊──黒い竜が、広い空間の中央に鎮座していた。

 で、でかい……! 立ち上がったら頭から地面まで五メートルはあるんじゃないだろうか。

 それだけの巨体が居座っていても広いと感じられる規模の空間が、目の前に広がっている。

 こんな空洞を内部に抱えてて、よく山が崩れないな……。


 そんな不安を抱きながら、改めて視線を黒い竜に向け直した。


 初めて竜を見るけど、黒い竜は西洋の竜に似た姿をしている。

 巨大なトカゲを彷彿とさせる体格。顔は厳めしく、口からは鋭い牙を、頭からは二本の黒い角を生やし、側頭部からは黒曜石のような柱状の石が数本、左右対称に伸びている。

 あれは恐らく魔石だろう。魔石は魔力を凝縮して結晶化すると宝石のような形で具現化する。

 そんな魔石が生えている竜の皮膚はいかにも固そうな漆黒の鱗で覆われていて、背中には濃紺の皮膜を備えた大きな翼があり、地面に突き立つ鋭い鉤爪はギラリと光っている。


 こわぁぁっ……。

 黒牛魔もかなり大きいけれど、不思議と恐怖を覚えたことはなかった。

 一方で、この竜は本当に恐い。その存在を認識するだけで震えがくる。


 どうやら体内に収まり切らない魔力が体外に溢れているようで、空気中の魔力濃度がものすごく高い。

 あそこに竜さえいなければ、「蒼い光が降り注いでて綺麗〜」なんて感想を抱いたんだろうけど……この状況ではとてもそんな気分になれない。むしろ体外に漏れ出るほどの魔力が常に供給されているという事実に、より恐ろしさが増してくる。


「ここで迷ってても仕方ないか。向こうもこっちに気付いてるみたいだし、行こう」


 そう決断するなり、すたすたとハルトが広い空間の方へと踏み込んで行った。

 あわわ、怖がっている場合じゃない。陛下の心労を減らすためにも、絶対にハルトを無事帰還させなければ……!


「何をしにきた、人族の子と魔族の子よ」


 慌ててハルトを追ってドームに入ると、黒い竜が地響きを思わせる重低音で語りかけてきた。その視線はまっすぐに私たちを見下ろしている。とんでもない威圧感だ。

 しかしハルトは怯まずに歩を進めると、黒い竜の手前で立ち止まった。


「俺の名はハルト。ハルト=イール=アールグラントだ。少々尋ねたいことがある。以前この場所に竜は棲んでいなかったはずだが、いつ頃からここに棲みついているんだ?」


 名乗りながら問いかけると、黒い竜はすうっと目を細めてハルトを見た。

 それからふむ、と小さく声を漏らす。


「神位種か……。我が名はブライ。見ての通り黒竜だ。ここには今年の春から棲みついている」

「春からか。なるほど。しかしなぜこの場所を選んだんだ?」

「山の大きさがちょうどよかったからだ」


 黒い竜・ブライの簡潔な返答にハルトは唸った。

 一方で、私はちょっと拍子抜けした気分になっていた。


 山の大きさがちょうどよかったって……そういう理由で住処を決めるなんて、竜って結構アバウトな生き物なんだなぁ。「魔力溜まりがある」とか、もっといかにもな理由があるんだと思ってたよ。


「申し訳ないが、ここに近い場所に俺が治めている街がある。竜が棲む山が近すぎるとその強大な魔力の影響で作物が育たなくなったり動植物が異常をきたすこともある。仮にあなたが人族に友好的な竜なのだとしても、場所が悪い。他の山をあたってくれないだろか」


 そんな影響が出るのか。

 確かにブライの放出している魔力量は半端ない量だ。これが環境に何らかの影響を与えると言われたら納得できてしまう。


 納得すると同時に、ハルトが竜のもとに向かうのを躊躇わなかった理由も理解できた。イリエフォードの領主として、竜にここに棲まわれては困ると伝える必要があったのだ。

 それと、イリエフォードに戻って対策を練ったところで、ハルトが出向くことに変わりはないのだということも理解する。万が一交渉が決裂した場合、竜に対処できそうな人間はハルト以外にいないもんね。

 だったらこのまま交渉に向かった方がいいと判断したのだろう。うむ、ようやく合点がいった。


 しかし。


「それは聞けぬ。我は天空を制する自由な種族。我にその意を通したければ、力を示せ」


 ハルトの提案に対するブライの返答は否だった。どうやら戦って力を示さなければブライはこの山から退いてくれないらしい。

 その返答を聞いて、さすがのハルトも少々げんなりした顔になる。


「……まぁ、そうなるんだろうなぁ」


 悩む余地もない。このままここに住まわれてもイリエフォードの人々の生活に悪影響が出てしまうし、となればあちらの望み通り力を示して早々に退去して頂くしかないだろう。

 どうにも嫌な予感は消えてくれないんだけど……場所も大人数を引き連れて来れる場所じゃないし、戦力的にも私とハルトで十分なのかもしれない。やるしかないか。


「リク、これ預かってて」


 ハルトがカンテラを差し出してきた。その顔つきから、全力で立ち向かおうという意気が読み取れる。

 ブライもやる気満々の様子でその巨体を立ち上がらせ、大きく翼を広げた。

 そして──



 耳を(つんざく)くような咆哮が、空洞内に響き渡った。



 ハルトが剣を引き抜きながらブライへと駆けていく。

 ブライはハルトを踏み潰そうと前へと踏み込むが、身体強化済みのハルトがあっさりと回避。回避すると同時に、ハルトは思い切り地を蹴って跳躍した。強化済みとは言え、軽々とブライの頭部の高さに到達する。

 さすが勇者。地力が違う。


 ブライはハルトを叩き落とそうと腕を振るも、ここでハルトが人間離れした動きを見せた。攻撃性を省いた風属性魔術を思念発動し、自らに向かって放ったのだ。

 吹き付けた風を利用してブライの攻撃を躱し、さらに斜め下方から風を起こして体勢を整えつつ改めてブライに肉薄する。


 何あれ、ほとんど空中移動じゃん! 羨ましいっ!


 回避に成功したハルトはそのまま剣を水平に振るった。その瞬間、ハルトの剣が光を帯びて伸びる。

 光の半分は魔力のようだけど、もう半分は何か違う力のようだ。その何かと魔力が絡み合って、剣に付与されている。


 光は剣の軌道に沿って空を薙ぎ、反射的に仰け反ったブライの左の角を切り飛ばした。


「グオォォオオオッ!!」


 角にも痛覚があるらしく、ブライが絶叫する。空気がビリビリと震えた。

 痛みに暴れるブライを避けて、ハルトが壁際の地面に着地する。


 ……っとぉ、危ない危ない。あまりに見事な立ち回りだからつい見入ってしまった。私も戦わないと!


 暴れるブライの尾がものすごい勢いで迫ってきたので慌てて回避しつつ、預かったカンテラをベルトの金具に留める。

 ブライの動きを見る限り私の方が素早いから、攻撃を回避することに関しては問題ないんだけど──ちょとだけデジャヴだな、これ。私、黒牛魔の時も相手が巨体で暴れ回って手が出せなくなったんだよなぁ……。

 さて、どう戦ったものか。


 そんなことを考えながらブライの動きを注視していると、血走った目がこちらを向いた。

 おっと、これはタゲられたかも。


 私はすぐさま魔剣を引き抜き魔力を込め、構えをとった。それに構うことなくブライがその太い腕を振り下ろしてくる。

 一瞬右へ避けようとしたものの、どうにも嫌な予感しかしない。右側へ誘い込もうとしているのかも。


 私は思い切って、正面方向にダッシュした。

 ブライの一番の死角であり、今のブライの姿勢からすると確実に次の手が打ち難いのがブライの腹部付近だ。

 まさか懐に飛び込まれると思っていなかっただろうブライが、一瞬私を見失った。しかし私も懐に飛び込んで次にどう行動するか考えてなかった。阿呆だ。


 どうしようか、と迷ったのは一瞬。とりあえず一番危険が少ないであろう、振り下ろされた腕の下を通って背後に回る。

 尾を伝ってその背中を駆け上がると、私の存在に気付いたブライが振り返った。次の瞬間には、周辺の蒼い光が急速にブライに集まり始める。


 私は本能的にブライが魔術を使おうとしていることを悟った。

 チリ、と空気が焼け始めて熱を帯びる。火属性攻撃魔術のようだ。


 条件反射で結界魔術を展開。形状は身体を覆うタイプではなく、自らの周辺をカバーするドーム型のタイプを選択する。そこに水属性を付与した。

 攻撃魔術の適性は低いけど、付与としてなら強力な属性付与を実行できるのが私の強みだ。これでどれだけ軽減できるかわからないけれど、やらないよりはマシだろう。


「ガァアアア!」


 魔力を十分に集め、ブライが雄叫びとともに魔術を放った。火炎放射器のように強烈な炎が吹き付けてくる。

 私は魔力を注ぎ足して結界を維持しながら、ブライの背中から振り落とされないように足を踏ん張った。


 これは……結構厳しい戦いになるのかも。

 竜の弱点も黒牛魔と同じく角っぽいんだけど、角に到達する前に気付かれて対処されてしまうから決定打にはなり得ない。

 次はどう行動すべきか迷っているうちに炎が途切れた。それと同時にブライは大きく身震いして私を振り落とす。さらに宙に投げ出された私に身を捻りながらの鉤爪攻撃を放ってきた。


 これまで戦ってきたような魔物や魔族とは段違いの強さ。

 その実感にぞっとしながらドーム型の結界を解除し、すぐさま固さ重視の盾の結界を展開。ガツンという衝撃とともに、結界にブライの爪が食い込んだ。ギリギリ食い止めたけど、そのまま結界ごと薙ぎ払われる。


「くぅっ……!」


 歯を食いしばって衝撃に耐え、空中で体勢を立て直す。何とか無事に着地した時には、隙を見計らっていたハルトがブライの背後から跳躍し、もうひとつの角を狙っていた。

 しかしハルトの動きを読んでいたブライが尾を振り上げ、ハルトの動きを阻害する。ハルトもさすがにブライからの一撃をもらうときついのだろう。攻撃の手を止め、風属性魔術で回避した。


 力が拮抗している。


 こちらは角を一本落としたものの、その後手が出せていない。

 一方でブライも、こちらの行動を阻害することはできても一撃も攻撃を通せていない。

 ここまでの激しい攻防を経て、私たちは完全に膠着状態に陥った。


 一体どう動けばいいのか──。


 そう思った時。

 不意に、大量の気配が生まれた。


 方角は天井側。ブライから目を離すのは嫌だったけれど、確認しないわけにもいかない。私は気配がする方へと目を向けた。

 そして、見てしまった。


 天井付近にある穴から、大きな紫色の蟻が大量に湧き出してくる光景を。


 うわっ、あれが巨大紫蟻か!

 残念ながら彼らは黒竜から漏れ出す魔力から逃げ出したわけでも、黒竜に一掃されたわけでもなかったようだ。まさかの共存パターンかとも思ったが──それもちょっと違った。


「グガアァアアア!」


 ブライが一声吠えると紫蟻たちは立ち止まる。そして次の瞬間、壁を蹴って空中へと身を躍らせた。落下先は私とハルトのいる地点だ。


 ううわっ、気持ち悪い!

 しかし今のでわかった。どうやら紫蟻たちはブライの手下かそれに近い何かになっているようだ。そうでなければこの状況の説明がつかない。


 形勢は一気に傾いた。私もハルトも紫蟻に行動を阻害され、ブライに手が出せなくなる。一方でブライは紫蟻を巻き込もうが気にせず攻撃を加えてくる。

 紫蟻はさほど強くないからブライの攻撃を回避する方に集中していても対処できるけど、何せ数が多い。


「リク! 大丈夫か!?」

「大丈夫!」


 ハルトの声は遠い。上からはまだまだ紫蟻が降ってくる。

 ……降って、くる?


 ああ、そっか。紫蟻たちは上の穴から湧いてくるんだから、あの穴を塞いじゃえばいいんだ。


 私は魔剣に火属性を付与して周囲の蟻を蹴散らしつつ、ブライの死角に潜り込むルートを探った。

 ブライもどちらかと言えばハルトの方を警戒しているようで、私の方にはあまり注意を払っていない。私も自分よりハルトの方が強いとは思うけど、これは明らかなブライの油断。

 このチャンスを逃さないよう周囲を見回し、ブライの死角へと続く紫蟻の少ない道を見極める。


 あそこだ!


 改めてドーム型の結界を展開し、結界に反射特性を付与する。この反射特性付き結界は弾くたびに魔力が持っていかれるからぐずぐずもしていられない。

 私は紫蟻たちが結界に弾かれてはひっくり返るのを無視して、向かうべき方向を見据えた。そのままブライの注意を引かないよう素早く移動し、思い切り地面を蹴って壁の半ばに取り付く。あとはロッククライミングの要領で天井付近の穴へと向かった。

 この空間はドーム型だから壁は途中から垂直どころかオーバーハング状態で恐いけど、自分の身体強化魔術の力を信じて、握力と脚力だけで必死に移動する。


 そうしてようやくひとつめの穴に到達した。穴からは相変わらず途切れることなく紫蟻が飛び出してきている。私の姿を見失っていた紫蟻たちも私が穴付近まできていることに気付くと、壁を歩いてこちらに向かってきた。

 しかしまだ私の反射特性付き結界は有効だ。今のうちに穴を塞いでしまおう。


 これ以上紫蟻が増えないように、穴の入り口を塞ぐ形で結界を構築。人や物に纏わせるタイプではなくその場に留まるタイプで、物体を通さないように設定する。

 結界が完成すると、さっそく穴から出ようとした紫蟻が結界に阻まれた。そこへ次々と後続が押し寄せ、紫蟻が団子状態でぎゅうぎゅう詰めになっていく。

 うぅ、気持ち悪い。


 見た目の気持ち悪さはともあれ、とりあえず目的は達成した。

 私は別の穴を塞ぐべく視線を巡らせ……ばっちりと目が合ってしまった。

 誰とって? もちろん、ブライとですよ。


 こちらに気付いたブライがカッと口を開く。どうやら気付かぬ内にブレス攻撃の予備動作を終えていたらしい。光線のようなものが迫ってくる。


 横っ──だめだ、下だ!


 決断するなりすぐさま壁を蹴って下方へと回避。直後、私がいた場所にブライの放った光線ブレスが到達する。


 爆音。そして爆風。


 背後から吹き付ける強烈な風に煽られながら、着弾点にいた紫蟻が炭になってバラバラと落ちていく光景にぞっとする。あんなの当たったら死んじゃうじゃん!

 落下しながら視線をブライへと向けると、ブライがものすごい勢いでこちらに突進してくる姿が見えた。ひぃっ!


 私は着地するなり壁沿いを走った。ブライも体を捻りながら追ってくる。

 これはなかなかの恐ろしさだ。地面にいる限りブライが追ってくる。ブライから逃れるにはもう一度壁に登るしかなさそうだ。


 私は改めて跳躍して壁の半ばに取り付くと壁を蹴ってさらに上方へと逃れる。ブライが腕を振りかぶったけれど、わずかに届かない。


 ふとブライの後方を見ると、ハルトはまだ紫蟻に纏わりつかれていた。私が地面から離れている分、紫蟻がハルトに殺到している。

 あれでは身動きが取れないだろう。援護は期待できなそうだ。

 そう判断し、すぐさまブライに視線を戻す。すると、ブライが大きく翼を広げていた。


 しまった、と思った。

 相手は竜だ、当然飛べるはず──と身構えたが、ブライはすぐに翼を畳んだ。


「……?」


 何で飛ばないんだろう?

 疑問に思っていると、ブライは数歩後ずさった。そこから勢いをつけて、突進を再開する。

 向かう先は、私が取り付いている壁の直下。


 ドォン! と重苦しい音を立て、体当たりされた壁が悲鳴をあげた。ひびが走り、一部が崩落する。

 私も危うく壁から手が離れそうになって、必死にしがみついた。


 壁を歩いてこちらに向かってきていた紫蟻たちが地面へと落下していく。それらを踏み潰しながら、ブライは再度後ろに下がった。また体当たりをする気だ。

 こんなのを何度も繰り返されたら私も落下を免れないだろう。それ以前に、繰り返される衝撃に壁が耐え切れずに崩壊する恐れがある。

 壁が崩れれば当然、この『はぐれ山』自体にもダメージが出るだろう。結果、生き埋めなんてことになったら……!


 よ、よし、決めた。次にブライが体当たりしたら思いきり壁を蹴ってブライの背後に降りよう。

 それから一旦ハルトと合流して、体勢を整え直そう。


 眼下ではちょうどブライが壁に向かって走り出すところだった。

 巨体に似合わぬ速度で、再度ブライが壁に体当たりを仕掛ける。今だ!


 私は思いきり壁を蹴った。背後から轟音が追いかけてくる。

 空中で体の向きを変えてブライの様子をうかがうと、体当たりされた壁の一部が崩落していた。崩れた岩盤とともに土煙がブライに降り掛かる。しかしその中にあっても、ブライの視線は私から逸れることはない。

 本当に恐いっ!


 恐怖を押し殺して空中で一回転し、そのまま着地──と思ったら、地面は紫蟻の大群で埋め尽くされていた。

 うえぇ、これ、体勢を崩さずに着地できる気がしないんだけど!

 しかし今更落下が止められわけもなく。


 地上では素早く動ける妖鬼も空中では成す術もない。さらに追い討ちをかけるべく、こちらに向き直ったブライが突進を開始する姿をばっちりと視界に捉えてしまう。

 あぁ、絶体絶命とはこのことか!


 ブライがその巨体からは想像もつかない速度で駆けてくる。

 一方私は何とか着地したものの、予想通り紫蟻を踏みつけてバランスを崩してしまった。慌てて体勢を立て直すも、すでにブライが間近に迫っていて──反射的に、頭を庇う構えを取った。


 その時。


「リク!」


 ハルトの声が聞こえた。近い。

 その認識と同時に、横から何かがぶつかってきたような衝撃。直後、さらなる衝撃が襲いかかる。

 でも思っていたほど痛くない。何だろう。まるで、何かに包まれているような……。


「……うぅっ」


 耳元でうめき声がした。まさか、と思う。

 それを確かめるために顔を上げる。


 目の前に、ハルトの顔があった。


 ハルトは私を抱え込んでブライの動線上から助けてくれたようだ。しかしハルト自身はブライの体当たりを避けきれず、少し掠めたらしい。その表情は苦痛に歪み、額には玉のような汗が噴き出していた。


「ハルト!」


 怪我の具合を見ようと思ったけれど、視界の端で壁に体当たりをしたブライがこちらに向き直るのが見えた。


 ぞっとした。

 私が回避に成功していれば、ハルトは怪我を負うことなくブライに対処できただろう。けれど私を庇ったせいで負傷して、この先巡ってきたであろう勝機を逃してしまった。

 このままでは私もハルトもブライに勝てないし、逃げ切れもしない。


 絶望で目の前が真っ暗になった。

 しかしそれも一瞬のこと。私はすぐさま意識を切り替える。


 ──だとしても。

 何が何でも、ハルトだけは無事に帰還させないと……!


 それは、使命感からくる意識。

 私は意を決するとともにブライを睨みつけた。


 その瞬間。精霊石に違和感を覚える。

 この感覚はタツキが精霊石を出入りする時の感覚だ。幸運なことに、このタイミングで別行動中だったタツキが戻ってきたようだ。


《ちょっと……これは、どういう状況?》


 久しぶりに聞く声に、喜びと安堵で目が潤む。

 次の瞬間には精霊石を介してタツキが姿を現した。なぜか満身創痍の様相ではあったけれど、その表情には余裕がうかがえる。


「タツキ! ハルトが!!」

「あー……うん、わかった。とりあえずあの黒竜を大人しくさせればいいのかな」


 さっと周囲を見回して状況を把握するなり、タツキはブライと相対する。そして、再び突進を開始したブライに手のひらを向け──


(ほど)けろ!」


 そう叫んだ瞬間、ブライの両足が塵のようになって消えた。分解の能力を使ったようだ。

 足を失ったブライが転倒し、周囲に溢れていた紫蟻の大群も塵となって消え去る。

 分解の能力は抵抗されると失敗しやすいのだけど、ブライも紫蟻も不意を突かれて抵抗できなかったようだ。さすがタツキ。相変わらずのチートっぷり。そして容赦がない。


 そのタツキがボロボロなのは気になるけれど、ハルトの怪我の具合も気になる。ブライの方はタツキが何とかしてくれそうだったので、私はハルトに肩を貸して壁際に移動した。


「ちょっとハルト、大丈夫?」


 ハルトを壁に寄り掛からせて顔を覗き込むと、先程より多少痛みが和らいだのだろう。少し緩んだ表情でこちらを見返してきた。


「悪い、読みが甘かったみたいだ。まさか紫蟻を手なずけてるなんて……。俺の独断で危ない目に遭わせたな。ごめん」


 表情が緩んだのは一瞬。すぐに申し訳なさそうに瞳が伏せられる。

 けれど申し訳ないと言うのであれば、それは私も同じだ。


「謝らないでよ。私が足手まといなのがいけないんだから。それよりも、怪我の具合は?」

「大丈夫。今自分で回復魔術使ってるから、じきに治る」

「そう……よかった」


 ほっとして力が抜ける。

 あぁ……もう、もう本当に、生きた心地がしなかった。やっぱりあの嫌な予感は当たってたんだなぁ。


「終わったよー。二人とも、大丈夫?」


 ぐったりと座り込んでいるとタツキが声をかけてきた。振り返れば、ブライはタツキの背後で地面に突っ伏したまま、静かにこちらを見ている。

 まだ生きてるみたいだけど……タツキが終わったって言うんだから、何かしらの決着がついたのだろう。


「二人ともお疲れだね。少し休んでから戻ろうか。あっち(・・・)は僕が話をつけておくから、しばらく休んでていいよ」


 タツキはブライを示しつつにこりと微笑むと、ブライの方へと戻っていく。それを見送りながら、私とハルトはタツキの言葉に甘えて少し休憩することにした。

 私はハルトの隣で壁に背を預け、緊張と恐怖で固くなった心身を解すべく、深く深く息を吐き出した。

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