34. 巣穴探索
巨大紫蟻掃討作戦当日。
私はいつも通り冒険者ギルドへと向かっていた。
完璧だ。誰にもバレていない。
腹拵えに出店で野菜と肉の串焼きを購入し、食べながら移動する。
美味しいなぁ。でも食べ切れるかなぁ。
などと思いながら、結局は完食して上機嫌で歩いて行く。
しかし。
私は顔を前に向けたまま、ちらり、と背後へ視線を送る。
おかしい、完璧だったはずなのにどこでバレたんだろうか。
気配でわかる。
少し後ろを、よく知る気配が隠れもせずについてきている。
うぅむ、ここで撒いてもどうせギルドに行けばかちあうよなぁ。
と言うか、これは別にバレたんじゃないのかも。あっちも目的地が同じなのかもしれない。何せ向こうも休息日には冒険者ギルドで討伐依頼をこなしてるし。
でも今日って、あっちも休息日だったかなぁ?
……まぁ、気にしていても仕方がないか。
とりあえずいつも通り、冒険者ギルドに入る。
休息日が同じ日になっても一緒に依頼をこなしたこともないし、このまま別行動をしていれば問題ないはず。
私は受付横を通り過ぎ、奥の応接室に向かった。
これもたまにあることだ。ギルドマスターからの指名依頼を受けたのは今回が初めてだけど、指名依頼自体を受けるのは何も今回が初めてではない。
少し遅れてよく知る気配もギルドに入ってきた。
後ろ姿くらいは見られるかも知れないけど、まだまだ問題ない。私は陛下の心労を一分一秒でも減らすべく、今はただいつも通り振る舞えばいい。
うんうん。
──なんて思っていた私が馬鹿でした。
唐突に手を掴まれ、軽く引っ張られた。たたらを踏みながら振り返ると、目の前には不機嫌顔が。よく知っている気配の正体、ハルトだ。
ギルドの外では掃討作戦について一切口にしてないからバレるはずがないのに、完全にバレている気がしてしまうのはなぜ。
「何か隠してないか?」
何の前振りもなく問いかけられる。その異様な雰囲気に、周囲の人々からも注目され始めた。
私はどう答えたものかと必死に考えつつ、視線が泳がないように心がける。前に視線が泳いだだけで隠しごとをしていると看破されたことがあるからだ。
「何も隠してないけど」
隠していると思うから後ろめたいのだ。
そう、私は隠しているのではない。ただ単に、意味もなく紫蟻掃討作戦のことを口に出していないだけ!
そう自分に暗示をかける。
「ふぅん? じゃあ今日リクが受ける依頼を一緒に受けても大丈夫だよな?」
ひやり。
不機嫌顔が一転して笑顔に変わったものの、全く穏やかではない気配を感じる。
「何で? いつも別々に受けてるでしょ」
「それはこっちにも目的があったからな。でも今日は特に目的もないから、手伝うよ」
ひぇぇっ! これ、やっぱりバレてるんじゃないの!?
ハルトの有無を言わさぬ口調につい黙り込んでしまう。
ていうか、これ以上ボロを出さずに言いくるめるなんて高等技術は私にはないよ!
何故バレたし! 読心術か? 読心術なのか!?
その時、戦慄とともに完全なる敗北を喫した私の背後──応接室の方からオーグさんがやってくる気配がした。
助けて、オーグさん……。
「殿下。本日リク殿は指名依頼が入っております。ですので、リク殿を解放して頂けませんか?」
「リクは保護対象ですから、私が護衛として同行します」
割と冷静なオーグさんの声音に、しかしハルトは動じない。
「何も殿下が御自ら護衛されなくてもいいではありませんか」
「私は末席ながら王族ですので、私自身も我が国の法の体現者であるべきと考えています。ゆえに、国の保護対象を私が直接護衛することは大いに意味のあることと考えていますので、お気遣いなく」
すっかり身長の伸びたハルトと背後にいる長身のオーグさんとのあいだに、目に見えない火花が散っているように錯覚する。
やめて! 私の頭上で会話しないでっ!
何か恐いから!!
「オーグ、我々に勝ち目はありませんよ」
と、オーグさんの背後から女性の和やかな声が聞こえた。メティさんだ。
そちらをちらりと見ると、メティさんはいつもの邪気のない笑顔で自分の背後を示した。
そこにいたのは、イリエフォード騎士団の副団長のひとり、ラルドさん。私に向かって必死に手を合わせて謝っている。
その様子からハルトに今回の件がバレた経緯を察して、ため息をついた。
騎士団とギルドは、定期的にイリエフォード周辺の魔物などの状況を確認し合って街の安全を確保している。
そしてときどき、騎士団が動けないタイミングで魔物に活発な動きが確認されたりすると、騎士団からギルド側に突発的な討伐依頼を出すことがある。
今回も恐らくラルドさんが騎士団からギルドに何らかの依頼を持ち込んだ際、私がどのような指名依頼を受けたのかギルド内の噂を通して知って、ハルトに報告したようだ。
まぁね、掃討作戦についてはギルド内だったらそこそこ話題に上がるし、私が六日前に応接室に呼ばれたのを見ていた人も沢山いたから、私が掃討作戦に参加すると予測した人も大勢いるだろう。
さらに言うなら、作戦に参加する参加者に対して箝口令が敷かれていたわけでもなく。
そうだね、そりゃバレるよね。
「同行して構いませんね?」
「……はい」
ハルトの有無を言わせぬ問いにオーグさんもがくりと項垂れ、敗北宣言をした。
こうして、陛下の心労軽減作戦は失敗に終わったのだ。
一同は三台の馬車に分乗して現地を目指していた。突如参加を宣言したハルトと、その護衛につくことになったラルドさんが馬に乗って並走している。
馬車の中ではパーティの再編成でオーグさんが唸っていた。
ちなみに、私以外のランク6はオーグさんとメティさんだ。
二人は元々従兄妹でコンビを組んでいた凄腕冒険者で、たまたまイリエフォードに居着いたところを前ギルドマスターと親しくなり、今日に至るらしい。
そんなギルドマスター本人と秘書様が出張ってきている。それだけ本気の掃討作戦なのだ。
ギルドマスター不在のギルドの方は、本部から派遣されている人材が何とかしてくれるらしい。
随分と自由だな、この組織。
「ハルト殿下のあの様子だと、リク殿のパーティにハルト殿下を入れざるを得ないな。となるとラルド殿もそちらになるだろう」
「でしたら、こちらには補助や回復は不要ですので、オーグさんたちの方を増強して下さい」
元々私は自力で補助と回復が可能だし、ハルトと共闘したことがないからその能力の全容はわからないけれど、神聖魔術をマスターしていると噂されているハルトが同行者なら益々サポートは不要になるだろう。
ラルドさんも腕前は確かなので、補助や回復は私が適度に使えば何とでもなるだろうし。
「そうだな……ではいっそ、もう1パーティ増やそう。巣穴が途中で枝分かれする可能性もあるからな」
ひとつ頷くなり決断して、オーグさんは周囲を見回した。
「今回は掃討作戦だが、あまりにも巣が深い場合は途中で撤退する。下手に深くまで潜って全滅したら目も当てられないからな。とりあえず時間を決めて、進みながら巣穴の地図を作成していく。時間は……そうだな、五の鐘までに赤熊の巣に戻れるよう行動しよう。連絡班は五の鐘の時刻が近付いたら、各掃討班へ通達するように」
説明しながらさらさらと紙に参加者の名前を書き、その横に1もしくは2、連、警と書き足して2つのパーティとその他の役割に振りわけていく。私とハルトとラルドさんは無印だ。
ちなみに、五の鐘とは地球時間感覚としては大体十六時のこと。
この世界では地球時間感覚で言う所の四時間置きに街では鐘が鳴らされる。
一の鐘は夜中の零時。みんなが寝静まる時間だ。
二の鐘は朝の四時。商店の仕入れなどをする人々が起きる時間。
三の鐘は朝の八時。ほとんどの人がこの時間から仕事を開始する。
四の鐘は昼の十二時。昼食の時間だ。
五の鐘は夕方の十六時。ほとんどの人が仕事を切り上げ始めるのがこの時間。
六の鐘は夜の二十時。家族団らんの時間である。
まぁ騎士やお役所仕事を含む一部の職業はこの限りではないんだけどね……。
この世界の人たちは大体この鐘に合わせて生活しているのだ。
「……よし、こんなもんだな。各自自分の役割をよく把握しておくように。頼んだぞ」
『はいっ!』
どうやら役割分担が決まったようだ。
オーグさんの呼びかけに、馬車内にいた面々が気合いのこもった声で応じた。
イリエフォードの北の森に到着すると、全員が馬車から降りる。
ハルトやラルドさんも馬から降り、巣穴に潜らないサポート役の冒険者に馬を預ける。そして当たり前のようにこちらにやってきた。
ですよねー。
「さて、それでは巨大紫蟻の掃討作戦を開始する! パーティ分けは先ほど知らせた通りだ。今回の作戦には勇者であるハルト殿下も参加して下さっている! みんなも殿下に負けぬよう、しかし自らと仲間の命を優先して臨むように! 危険だと感じたらすぐに引き返し、ほかのパーティへの連絡を怠らないようにしろよ!」
オーグさんの号令に、参加者からは「おぉー!!」と歓声が上がる。士気は十分なようだ。さっそく掃討班が赤熊の巣へと向かう。
馬車と馬の番に五人残して、他の面々も巣穴周辺の警戒と各パーティの連絡役としてついてきた。
赤熊の巣は『はぐれ山』が見えると同時に視認できた。
大きな穴だ。あのサイズなら確かに、オーグさんの二倍の体長でも立ったまま入れる。
そのサイズの赤熊を食料にしてしまったかも知れない巨大紫蟻……恐ろしい子!
そんなことを考えているうちに、オーグさん率いる先頭のパーティが慎重に赤熊の巣に入っていった。続いてメティさんのパーティが。
私たちもそれに続く。
赤熊の巣の中は薄暗かった。すぐにサポートメンバーからカンテラが渡される。
カンテラと言っても火は使っておらず、中には明かりを取るには十分な光を放つ石が入っている。正真正銘の魔法道具だ。いつぞやのイミテーションの明かり取りではなく、本物の明かり取り用の魔法道具。
おかげで周囲がよく見えるようになった。
先に巣に入ったオーグさんパーティは赤熊の巣から巨大紫蟻の巣に通じる穴を見つけたらしく、カンテラを丸を描くように振った。メティさんのパーティと私たちも慎重にそちらに向かう。
すると、オーグさんが示した先に、直径三メートルくらいの穴が空いていた。覗いてみたけれど、深いのか単純に暗いのか、床が見えない。
かと言っていきなり穴の中に降りる訳にもいかないので、予備のカンテラをロープで吊って穴から下ろしていった。
じわりじわりと明かりが穴の底を照らし出す。が、どうやらこの穴の下には紫蟻はいないようだった。
思わず一同が顔を見合わせる。
「俺が先に下りよう」
そう提案したのはオーグさん。
「ギルドマスター、あなたは立場を考えるべきです。ここは私が」
敢えて役職で呼びかけつつ従兄の提案を却下すると、メティさんがすぐさまサポートメンバーに長くて丈夫なロープを持ってこさせた。
カンテラを下ろした時に使ったロープの長さから、穴の深さは大体4mくらいある。話に聞いていた赤熊の体長よりも少し深いくらい。
一応梯子も用意していたけれど、さすがにその深さに到達できる長さはないのでロープで下りることにしたようだ。
その様子を横目に、私はざっと穴の下の気配を探る。
うーん……全く何の気配もしないなぁ。
「この周辺には何もいないみたいですよ」
私は周囲にそう伝えると、ひょいっと穴から飛び下りた。すぐにハルトも続く。
他の面々はさすがに飛び降りられる高さではなかったようで、急いでロープを使って下りてきた。
しかし何だろう、不気味だなぁ。この感じ。
「ちょっとお二人とも! あまり無茶はしないで下さいよ!」
真っ先に下りてきたオーグさんが困り顔で怒ってくる。
けれど、私もハルトも別のことが気掛かりでそれどころではない。
「おかしいよね」
「そうだな」
何の気配もない。それなりに感覚が鋭いつもりだけど、前後に伸びる穴からは小さな音どころか微かな気配すら感じない。敢えて言うなら、一方からもう一方へ、風が流れているくらいだ。
まぁその風もちょっと特殊なんだけども。
「オーグさん、ここは本当に紫蟻の巣なんでしょうか。何か、ちょっと違う気がします」
ちらりちらりと、風の中に蒼く輝く光が混じっている。この場にいる面子で体外に魔力が漏れ出ている人などいないのに。
「え? まぁ確かに、紫蟻の巣の割には静かだけど……」
「紫蟻の姿は赤熊が見られなくなったあと何度か確認されています。恐らくその時点ではこの穴は紫蟻の巣だったのでしょう。しかし確かに、現状のこの巣の様子は紫蟻の巣とは思えませんね……。これだけの人数の侵入者がいるのに、一匹も姿を現さないなんて」
首を傾げるオーグさんに対して、メティさんは日頃の笑顔を消して真剣な表情で状況を分析する。その視線の鋭さから、かつて凄腕冒険者と呼ばれていたことがよくわかる。
メティさんは油断なく小さな異変も見逃さないように周囲を見回していた。
私はしばしそんなメティさんを眺めてから、ちらりとハルトを見遣った。
この不気味さの原因は何なのか、そして全員の安全を確保しつつそれを確かめるにはどうしたらいいのか。私の中ではひとつの結論が出ていた。
でも、言っても通らないかもなぁ。
とりあえず言うだけ言ってみるか。
「たぶん、強い魔力を持つ生物が風上側にいるんだと思います。流れてくる空気にまで魔力が混ざっているくらいですから、魔力が体外に漏れ出るほどの膨大な魔力量を持つ何かがいるのでしょう」
私の言葉に、この場にいる全員が注目した。
「巨大紫蟻がどれほど強い魔物なのか私にはわかりませんが、紫蟻の気配がない原因として考えられるのはこの流れてくる魔力に恐れをなして巣を去ったか、もしくはこの風上にいる何者かにすでに片付けられているかだと思います。若しくは、私の想像とは異なる別の要因があるのかも知れません」
みんなが息を飲むのがわかる。
唯一、ハルトだけが真剣な眼差しで私を見ていた。きっとこのあと私が何を言い出すのか予測できているのだろう。
「私が風上の様子を見てきます。念のため、皆さんは赤熊の巣の方で待機してもらえませんか?」
恐らくこれが現時点での最善策だ。
魔力が漏れ出るほどの存在がこの奥にいるとわかっている状況で、自力で魔術から身を守る手段を持たない人たちを連れて行くのは危険だ。であれば、魔術から身を守る手段を持ち合わせている私が適任だろう。
身体強化の付与魔術を使えばある程度の不測の事態にも対処できるし、逃げ足にも妖鬼ならではの自信がある。だからこそ、私が単独で行くのが最善だ……と、思うんだけど。
「俺も行く」
「……分かった」
まぁ、そうなりますよね……。
本当はハルトにも安全圏にいてもらった方がいいんだけど、私が反対したところでその意志を覆すことはできないだろう。ここに来る前のやり取りでも完敗だったし。
オーグさんたちは私の提案に乗るかどうか悩んでいるようだ。立場的にハルトが行くのに自分たちが残ると言うのも……あ、いや。そんなの心配するまでもないのか。
ハルトは王子であると同時に勇者なのだ。神殿の定める勇者像を思うに、むしろここは勇者に任せるべきと考えるのかもしれない。
結局、オーグさんたちも渋々ながら私の提案を受け入れた。ラルドさんも同様だ。
神位種であるハルトと魔王種である私。今ここにいる面々の中で最も戦闘能力に長けているのは私とハルトだ。
「それでは、行ってきます」
場の意見がまとまったので、さっそく私とハルトは風上に向かって歩き出した。
先頭を歩くのはハルトだ。
これは私がハルトを追い抜いてもすぐまた追い抜かれるという不毛な攻防を繰り返した結果、どうしても前に出る役目を譲って貰えなかったので、私が折れた。
仕方がないので少しでも安全を確保するために、自分とハルトに身体強化魔術をかけておこう。
そう思っていつも通り思念発動すると、ハルトが驚いた顔で振り返った。
「イムから聞いてはいたけど、リクの使う付与魔術は本当に効果が強いんだな」
「ふふふ、驚いたかね。でもこのままだと体の耐久力の方が強化についていけないから、念のため結界魔術も併用しておくね」
結界魔術も散々使ってきたおかげで思念発動できる。一瞬金色の光が私とハルトの体を覆って、そのまま消えていった。
「色んな魔術が使えるんだなぁ」
ハルトが感心したような声を上げる。
それはこっちの台詞なんだけどなぁ。
「いやいや、ハルトの方が色々できるでしょう。私は妖鬼のくせに攻撃魔術が壊滅的だからね。これは結構手痛いよ。でもハルトが使う神聖魔術ってわりと何でもできるじゃない? 治癒、治療、結界、攻撃……唯一付与がないくらいで、ほかは全部神聖魔術に含まれてるじゃん。正直羨ましいよ」
そう、神聖魔術はそこに属する魔術の種類が豊富なのだ。それを使いこなしてしているのだから、ハルトは魔術面でも相当有能だということだ。
「浄化魔術は私も使いたくて結構練習したんだよ。あれ便利だよねぇ」
おっと。魔術の話題になるとつい口数が増えてしまうけれど、今はお喋りに興じられる状況じゃなかった。
ハルトも苦笑している。私は慌てて口を閉ざした。
その後は必要最低限の会話に留め、紫蟻の巣を進んでいく。
幸いここまで分かれ道はなかったので戻る時に道に迷うことはないだろう。
順調に前進していくと、不意に前方にひとつの気配が現れた。
「黒狼だな。珍しいな、単体か……?」
つぶやきながら、ハルトが剣を引き抜く。白銀の刀身が、闇に紛れながら前方から飛びかかってきた中型黒狼を一振りで仕留めた。
本当に一瞬。瞬きする暇もないほどの刹那に黒狼は真っ二つになる。
私じゃあんな鮮やかに仕留められないな。そもそも持ってる刃物がアルトンでもらった短剣タイプの魔剣のみだから、真っ二つにするにはリーチも足りない。
長剣かぁ……やっぱり王道って良いなぁ。
「思った以上に身体強化が強力だな。ぎりぎりコントロールできたってところか」
ハルトはそんなことをぶつぶつと呟いている。
あぁ、そういう問題もあったよね。つい癖で身体能力だけを全体的に強化してしまったけど、コントロールし切れないことも考えると知覚と感覚も強化もしておいた方がいいのかな。
「あー、ちょっと待ってね。知覚強化と感覚強化……」
思念発動するには対応する魔術の詠唱を思い出すのが手っ取り早い。詠唱を思い出しながら思念発動で知覚強化と感覚強化の効果を付与する。
いつも通り、強化が為されると同時に体が熱を帯びた。よしよし、さっきよりも知覚と感覚が鋭くなった気がする。より鮮明に空気中の魔力の光と広範囲の気配を感知できるようになった。
そのおかげで、気付いてしまった。
「ハルト。この奥にいるのって、結構危険な相手なんじゃ……」
思わずそう問いかけたが、ハルトは首を傾げた。
あ、そっか。人族と魔族には基礎能力に差があるから、知覚と感覚の地力は私の方が上なのか……!
「あー、ご存知かもしれませんが、魔族は感覚器官が人族より鋭くて。この先にいる何者かの気配が今の強化のおかげで感知できたんだけども」
「あぁ、そういうことか。で、どれだけ危なそうなんだ? 危ないんだったらむしろここで対処しておいた方がいいのかも知れない」
ここで対処する必要性について言及するのは、イリエフォード領主としての考えなのだろう。
確かにね、この気配がイリエフォードを……ひいてはアールグラントを脅かすのであれば、ここで対処した方がいいと思う。
けれど、私としてはできれば回避したいという気持ちもあった。何せここまでの嫌な予感を覚えたのは、あの時以来だ。
「……ハルトは、お父さんを助けてくれた時に黒い神官服たちとは会ってるよね?」
「あぁ……って、まさか、この先にいるのって」
驚き混じりの表情を浮かべるハルトに、私は首を振って否定する。
「あいつらじゃないよ。人の気配じゃないもの。でも、あいつらに近いくらいには、嫌な気配がする」
私の言葉にハルトは黙り込んでしまった。
そのまましばらく考え込み、「だとしたら」と切り出す。
「人ではなく、あの黒い神官服レベルの強力な気配だと言うなら──恐らく、この奥にいるのは竜だ」
……はい?
私はハルトが口にした名称に、思わず耳を疑った。




