28.【リク】九歳 再会
アルトンを出発しておよそ二ヶ月。季節は少しずつ秋へと移行し、それに伴ってアールグラントでは残暑の季節を迎えたようだ。
暑い。残暑とは言え茹だるように暑い。
気候変動に乏しい魔族領で育ち、最近まで涼しい気候のアルトンで過ごしていた身には堪える暑さだ。
そんな暑さに耐えながら辿り着いたイリエフォードの街は、首都アールレインに匹敵する立派な都市だった。
街を囲う壁を通過し、賑わう大通りを抜け、馬車に揺られることしばし。道の先に立派な館が姿を現した。
その館も街を囲うものよりやや低めの壁に囲われている。
私とタツキとサラは揃って口を半開きにして、馬車の窓からその建物を見上げていた。その間にイズンさんが門番とやり取りをして入城手続きを済ませる。するとすぐに連絡員らしき人が馬に乗り込み、壁の奥へと馬を走らせていった。
「では参りましょうか」
よほど私たちが惚けた顔をしていたのだろう。イズンさんが苦笑しながら御者席に戻り、馬車を進める。
そうして門をくぐると、見事な庭園が視界一杯に広がった。よく手入れされた花や木、薔薇のアーチもある。
その中にちらほら東屋があり、貴族らしき人々が歓談している姿が見えた。
馬車はそんな庭園の中央に伸びる道をゆっくりと進んでいく。その先にあるのは白亜の壁、青い屋根を持つ大きな館だ。
アールレインの城も凄いけど、この館も負けず劣らず凄い。もう館というよりお城と呼んでいい気がする。
「あ、認識阻害魔術は解除して頂いていいですか?」
不意にイズンさんに声をかけられ、それもそうかと頷いて認識阻害魔術を解除する。
道中で聞いた話だと、アールグラントは希少種の保護を法律で定めているので安全なのだそうだ。ただ、ここに着くまでは確実に安全とは言えなかったので引き続き認識阻害魔術をかけていた。
それももう必要なくなったということだろう。
そう得心しつつ何気なく館の入り口に目を向ける。するとちょうどそのタイミングで、館の中から数人の人影が現れた。
私の視力でかろうじて顔が判別できる距離。陽光の下、見慣れた眩い色に目が引き寄せられ──
「お父さん……!!」
思わず声を上げると「どこどこ!?」と、タツキとサラも私の視線の先、御者側の窓から館の方を見る。しかしまだ距離が遠く、二人の視力では顔の判別まではできないようで揃って首を傾げた。
そうしているうちに館との距離が近づいていき、ようやく二人の目にも館の前にいる人物の姿が見えてきたのだろう。みるみる表情が明るくなっていく。
「本当だ、イムだ!」
「お父さん!!」
二人は私を押しのけて窓に張り付いた。並んでいる二人の姿が微笑ましくて、同時に父の無事が確認できた喜びで自然と口許が緩む。
あぁ、それにサラの反応も嬉しいなぁ。
アルトンでお父さんが無事だっていう知らせを貰ったとき反応が薄かったから、もしかしてお父さんのこと忘れちゃったのかなとか不安に思ってたけど、ちゃんと覚えてたんだなぁ。
アルトンに残りたいって言われたときも、お父さんに関する記憶が残っていないのかもとか心配してたんだけど……この反応を見る限り、そうでもなかったようだ。
小さいながらも色々と考えているサラのことだから、きっと何か別の理由があってアルトンに残りたがったんだろう。
そんなことを考えていると、不意に馬車が止まった。館に到着したようだ。
窓に張り付いていた二人がすぐさま席から降りて、イズンさんが扉を開けるなり外へと飛び出して行った。
私も嬉しい気持ちはあるけれど、ちょっとあの二人ははしゃぎすぎじゃなかろうか。
外からはわんわんと泣くサラの声と、懐かしい父の声。そして父の無事を喜ぶタツキの声が聞こえてきた。
扉の前でその光景を見ていたイズンさんが苦笑しながら手を差し伸べてくる。馬車から降りるのに手を貸してくれようとしているのだと理解して、イズンさんの手を借り地面へと降り立った。
そして館の方へと視線を向けると、そこにはサラに飛びつかれて尻餅をついている父のほかに、五人の人物が立っていた。
見るからに執事然としたロマンスグレーのダンディな男性、一目で武人だとわかる厳めしい装備に身を包んだ筋肉質の男性、細身で無精髭が似合いそうなゆるい雰囲気の男性、いかにも身分が高そうなカイゼル髭の男性。
そして。
私より少し年上くらいの、黒髪に琥珀色の瞳をした少年。
見覚えがある。以前フォルニード村にいた、勇者の連れの少年だ。
……いや、実際は違かったのか。この少年も、勇者なのか。
私は一目でこの少年がハルト殿下だとわかった。何せ、顔が日本人顔だ。
そしてフォルニード村で見かけた時にも感じた、どこかで見たことがある気がする顔。
思わず不躾に眺めていると、ハルト殿下と目が合った。にこりと微笑まれて、釣られて微笑み返す。
えぇっと……この後どうしたらいいでしょうか。
サラにしがみつかれて身動きが取れない父を見るに、今私が頼れるのはイズンさんだけだ。ちらり、とイズンさんに視線を向けると、イズンさんは相変わらず苦笑しながら私の隣に並んだ。
「ハルト殿下、イズン=スレイト=テレーズ、ただいま戻りました」
「あぁ、お疲れさま。道中は大変だった?」
「いえ。ランスロイドで一度黒牛魔に遭遇しましたが、それ以外は特に問題ございませんでした」
「黒牛魔!?」
思わずといった様子で、カイゼル髭さんが声をあげた。
「よく生還できましたな」
「えぇ。リク様とタツキ様とサラ様が対処して下さったので」
イズンさんがそう答えると、その場にいた一同が驚きを露にした視線で私、タツキ、サラへと視線を向けた。
「サラも?」
父の視線がこちらを向いた。
私はしっかりと頷く。
「角を落としたのは私ですが、首を落としたのはサラです」
周りが明らかに偉い人ばかりっぽかったので、敬語で答えておく。
全員の視線がサラに集まった。
「お父さん、私、ちゃんと戦えたよ! 今度はちゃんと、お父さんも守れるよ!」
サラの健気な言葉に、感極まった父はぎゅっとサラを抱きしめた。
わかるわかる、私もサラの健気さに何度感動させられてきたことか。
うんうん、と微笑ましい気持ちで頷いていると、真正面にいたハルト殿下がぷっと吹き出した。
えぇっ、今なにか笑うところありましたかね?
「……さて、募る話もあるだろうが、先ずは館内へ。そこで自己紹介から始めようか」
こほん、とわざとらしい咳払いをひとつ。そう言ってこの場を仕切ったのは、恐らくこの場で一番身分が高いであろうハルト殿下。
いかにも身分が高そうなカイゼル髭さんを含む大人たちも素直にその言葉に従って館の中へと入っていく。
「セア」
次々と館へと消えていく後ろ姿を目で追っていると、サラを抱き上げた父が手を差し出していた。
何だろう? と首を傾げると父は私の手を取り、そのまま大きな手で包み込む。
懐かしい感覚だ。小さい頃はよくこうして父や母、タツキに手を引いて貰ってたっけ。
サラが生まれてからは私がサラの面倒を見たがって、いつの間にかこうして手を繋ぐこともなくなってたけど……。
「ふふ。お父さん、生きててくれてありがとうね」
私の手を引いて館へと歩き出す父を見上げると、自然とそんな言葉が零れた。
すると、ぽんぽんと、久しぶりに頭を撫でられる。口許が緩みっぱなしでいると、サラも手を伸ばしてきてぽんぽんと頭を撫でてくれた。
ほんとにもう、この天使めっ。これ以上私をメロメロにしてどうするつもりだ。
館に入ってすぐは広いエントランスになっていた。
正面には大きな扉があって、その左右に、扉を縁取るように曲線を描く階段がある。
一行は執事さんを先頭にして左側の階段を上り、上り切ってすぐの扉から来客をもてなすための部屋と思われる一室に入った。
ハルト殿下が上座に座り、その斜め後ろに執事さんと武人さん、壁際に細身さんが立つ。ハルト殿下以外で席に着いたのはカイゼル髭さんのみで、イズンさんは扉の横に直立した。
そんな中、私たちは父に促されて下座側に座った。
しかし洗練された空気を纏う人が多いからか場違い感が半端ない。なんだか緊張してきた……!
「先ずは自己紹介をしよう。私はアールグラント王国の王族の末席、ハルト=イール=アールグラントだ。そして後ろに控えているのがクレイ」
紹介されて執事さんが優雅にお辞儀する。
「シタン」
今度は武人さんが鷹揚に頭を下げた。
「ハインツ」
細身さんが軽く会釈する。
「そしてこちらに同席して貰っているのが、現在このイリエフォードの領主を務めているターブル殿」
カイゼル髭さんが目礼する。
「あとはご存知だろう。護衛として同行していたのが騎士のイズン。そしてあなた方の父上であるイムサフィート」
私は一人一人に視線を向け、最後にハルト殿下に視線を向け直して頷いておいた。
「では、今度はそちらの自己紹介をお願いできるかな」
「あっ、はいっ!」
と、言われましてもね! まず自分はセアとリク、どちらの名を名乗るべきなんだろうか。
一瞬だけ思考を巡らせて、すぐに今世の名前はセアだからそっちでいいかと結論を出す。
さっそく席を立ち、まずは礼儀正しくお辞儀をした。
「私はセアラフィラと申します。そして父の隣にいるのが妹のサラフェティナ。こちらは私の守護精霊のタツキです」
名前を呼ばれたサラはよくわかっていない顔だったけれど、タツキは名前を呼ばれると私に倣ってお辞儀をする。
よしよし、礼儀って大事だからね。よくやった、タツキ。
しかしハルト殿下はちょっと困った顔になった。
「セアラフィラ殿。もう一つの名前を伺ってもいいだろうか」
「もう一つの名前、ですか?」
反射的に問い返すと、ハルト殿下が頷く。
「確か、冒険者としては別の名を名乗っていただろう?」
あぁ、なるほど。そっちで名乗って欲しかったのか。
でも何でだろう? あれかな、ハルト殿下は私が同じ日本人の転生者ってわかってるみたいだから、その確認かな。
……ん? そういえば、何でハルト殿下は私が日本人の転生者だって知ってるんだろう?
「……冒険者としては、リク、と名乗っておりました」
わからないことを考えていても仕方がない。とりあえず先に問いに答えてしまおう。
そう思って名乗ると。
「あなたは、瀬田 理玖と言う名では?」
ハルト殿下の発した音に、息が詰まった。タツキも驚きつつ、瞬時に警戒し始める。
それは私も同じだ。同じ日本人の転生者ということが何らかの形で判明しているのだとしても、前世のフルネームを知っているとなると警戒したくもなる。
「……そういうあなたは誰ですか、ハルト殿下」
つい問いかける声が低くなった。
シタン氏とターブル氏が無礼を聞き咎めて僅かに動いたが、それをハルト殿下が手で制する。
「わからないか」
「見たことのある顔だなとは思ってましたけど、思い出せません」
私とハルト殿下のやり取りに父やクレイさん、ハインツさんが不思議そうな顔になる。
そりゃそうだ。特に父にしてみれば、私とハルト殿下が今世で一度も接触していないことは知っているだろうし。
『ふたりとも、話すなら日本語で話したら? 聞かれて困る話じゃないなら別にいいけどさ』
割って入って来たのはタツキだ。使われた言語は懐かしの日本語。
確かに、タツキの言う通りだ。
私は気持ちを落ち着けるように深く息を吐き出すと、改めてハルト殿下を見遣る。
『じゃあ、改めて。あなたは誰ですか、ハルトさん』
改めて問いかけると、ハルト殿下はちょっと残念そうな顔で微笑んだ。
『思い出して貰えないなら仕方ないな。俺は望月 陽人。小学校三年から六年までクラスメイトだったんだけど、忘れられちゃったか』
もちづき はると?
小学校のクラスメイト……。
あぁっ! 思い出した!!
反射的に席から立ち上がる。反動で座っていた椅子が後ろに倒れて大きな音を立てたがそれどころじゃない。
『望月くん!?』
『思い出した?』
問われてこくこくと頷くと、望月くんは嬉しそうに微笑んだ。
いやいや、ごめんごめん。本当に素で忘れてたよ!
でも望月 陽人と言えば、名前を聞けば思い出せるくらいには目立つ人物だった。
なるほどねぇ。なるほど、なるほど。言われてみればそうだわ、この顔はクラスメイトだった頃の望月くんの顔そのものだわ。
『はぁー……なるほどぉ、それで私のフルネームがわかったんだね。望月くんも魂還りだけど、私も魂還りだし。あぁ、びっくりした』
『そういえばいたねぇ、そんな子』
タツキもどうやら知っていたらしい。
しかし今度は望月くんの方が訝しげな顔になる。
『瀬田はわかったけど、そっちの、タツキくん? のことは、知らないんだよなぁ。でも顔が瀬田にそっくりなのと日本人みたいな名前だったから、同じ日本人の転生者だと思ったんだけど』
至極当然な言葉にタツキは苦笑を浮かべた。
『んーまぁ、知らないだろうね。だって僕は、前世では生まれてすぐに命を落としてるからね』
タツキの言葉に「えっ!?」と声を上げる望月くん。しかしそろそろ周囲の目を無視するのも限界に近づいてきた。みんながみんな、私たちの会話が理解できなくて顔を見合わせている。
それに気付いて望月くんはちょっと気まずげに咳払いを一つ。
「あー……とりあえず、イム。無事娘さんたちが見つかってよかったな。今日はこのまま親子水入らずで過ごすといいだろう。みんなも立ち会いご苦労様。今日は一旦解散しよう。私も父上にイムの家族が見つかったことを報告しなければいけないからな」
誤摩化せているような、誤摩化せていないような……うん、誤摩化せてないな。でもみんな王子の言うことだからかその言葉に従うほかないようだった。
それぞれが望月くんに退室の挨拶をしてから部屋を出ていく。最後に残ったのは望月くんと私たち親子だった。
「えぇと……さっき何を話していたのかはわからなかったけど、ハルトとセアとタツキはまだ話すことがありそうだね?」
みんなが去ったあと、空気を読んだ父が問いかけてきた。
思わず望月くんと顔を見合わせる。
「う〜ん、まぁ、まだ話の途中ではあるけど……」
「じゃあ気が済むまで話しなよ。僕はサラと中庭にいるから」
そう言って父はサラを抱き上げる。
「悪いな」
「僕はセアやタツキやサラが無事で、こうして再会できたからそれで十分だよ。でもハルトはずっとセアとタツキに聞きたいことがあったんだろう? だったら聞きたいことは全部聞いて、すっきりしちゃいなよ」
じゃあね、と言って父は私とタツキと望月くんの頭に軽く手を乗せてから部屋を出ていった。
なんか、望月くんとお父さん、妙に親しげだなぁ。やっぱり一緒に魔王を倒したから仲間の絆みたいなものがあるのかな。
「──よし、じゃあもう少しだけ俺の疑問解消に付き合って貰っていいか? まぁ、イムの娘が瀬田だったこととタツキくんが同じ転生者だってことが確認できただけで、ほとんど疑問は解消されてるんだけどさ」
ふー、と力を抜くように長く息をつくと、望月くんは私たちに近い下座の席に座った。
「いいの? 王子様が下座に座って」
「いいんだよ、俺は王族と言っても名ばかりだからな」
「ふぅん?」
そういうものなのだろうか。よくわからないや。
「……で、言いたくなければ無理にとは言わないけど、タツキくんの話の続きを聞いてもいいか? 生まれてすぐに命を落としたって、どういうことだ?」
問われた私とタツキは顔を見合わせ、タツキが頷いて自ら説明する。
本当は前世では私の双子の弟として生まれたけれど、生まれてすぐに体が弱くて命を落としたこと。その後ずっと現世に留まり続けていたため、前世の私の周辺の情報だったら把握していることなども。
「何だか不思議な話だなぁ。それってさ、前の世界でタツキくんは瀬田の守護霊みたいなものだったってことだろ? だから一緒にこの世界に転生してきちゃったんかな」
「うーん、僕がリクと一緒にこの世界に転生してきた理由は知ってるんだけど……ごめんね。今はまだ詳しいことは話せないんだ」
タツキの言葉に私と望月くんは頷きかけた。しかし同時に動きを止める。
そして。
「「えっ!?」」
ふたり同時にタツキに詰め寄ると、タツキは慌てて言い繕った。
「あぁっと、そうだなぁ、ちょっとだけ話すと、僕の魂はリクの魂との繋がりが強過ぎるから、神様でも切り離せなかったって聞いたかな。だから一緒にこっちにきたんだよ」
タツキからもたらされた更なる情報に、私と同じく望月くんもこの転生には何か理由なり何なりがあるのではと思ったようだ。
それにしても神様って……神様って……。
壮大すぎてかえって脱力してしまい、私は椅子の背もたれに寄り掛かった。
「それ、誰に聞いたの?」
「うーん、まだ内緒。でもそうだな、リクが魔王種として二次覚醒したら教えてあげる」
二次覚醒したら?
ってことは……
「それって六年以上先じゃん!」
「二次覚醒? 何だそれ」
「二次覚醒って言うのは──」
その後もあれこれと話題を変えながら、夜になるまで私たちは語り合った。
結局タツキは教えてくれなかったけど、どうも私たちがこの世界に転生してきたのには何らかの事情があって、タツキはその詳細を知っている様子。
ただどんなに問いかけてものらりくらりと躱されるから、簡単には教えてもらえないのだろう。となれば二次覚醒するのを待って聞き出すしかない。その時がきたらキッチリ聞き出してやる!
そして望月くんはどうやら魔王種の二次覚醒について知らないようだった。
そもそも神位種と魔王種とでは覚醒のタイミングや回数が違うようで、神位種は覚醒は一度のみ。覚醒後に徐々に力が伸びて行くのが神位種の特徴らしい。
さすが勇者。勇者として目覚めてからレベル上げが始まるんですね。
一方で魔王種は一次覚醒、二次覚醒、と覚醒を経て飛躍的に力が伸びる。努力次第で覚醒以外でも能力は伸ばせるんだろうけど、たぶん神位種とは能力の成長のしかたが根本的に違うんだろうな……。
「しかし望月くんは大変だね、まさか王子様に生まれ変わっちゃうなんて」
「それを言ったら瀬田も大変だろ? イムから聞いたけど、妖鬼は常に気を抜けない生活を送っているらしいじゃないか」
他人事のように言うと、そっくりそのまま返すと言わんばかりに問われる。
確かに魔族領ではそうだったんだけど……。
「うーん……今はそうでもないかな」
「アルトンで暮らすようになってからは全然緊張感なかったもんね」
言い淀むとすかさずタツキが笑いを堪えながら暴露する。
仰る通り、私には気の抜けない生活は合わなかったようで、一カ所に留まり始めたらすっかり警戒心が抜けてしまっていた。
「そんなにオルテナ帝国は居心地がよかったのか」
望月くんは興味深そうに聞いている。
そうだよね。この世界にはテレビも写真もないから、直接現地に行かないとそこがどんな国でどんな生活しているかとかわからないもんね。
「オルテナ帝国は冬は雪で閉ざされちゃうけど、夏は涼しくて過ごしやすいよ。特に私たちが暮らしてた城塞都市アルトンは気のいい人が多くてお勧め! 望月くんも機会があったら是非行ってみて」
つい力説すると、望月くんはくすくすと笑い出した。
「そうそう、俺のことはハルトって呼んでくれ。こっちじゃ『望月』は通じないからな」
「そっか。じゃあ私もリクでいいよ。あ、セアの方が呼びやすかったらそっちでもいいよ。ハルト殿下」
「殿下は不要だ。呼び捨てで構わない。タツキくんも」
「お互いにね」
話がまとまると、望月くん──ハルトは、私とタツキにイズンさんが持っていた物と同じっぽい青いプレートを渡してきた。しかし詳しく聞いてみると、このプレートはイズンさんの物とはちょっと違うらしい。
何が違うのかと思ったらプレートの一部に嵌め込まれている琥珀色の石を示し、その石が付いたプレートを持っている場合はハルトの配下であると同時にハルトの友人扱いになるのだそうだ。
今のところこのプレートを持っているのは父と情報屋のハインツさんだけなのだとか。
なぜそんなものを? と問いかければ、このプレートはハルトが今後立ち回る上で信頼の置ける友人を身近に置き、彼らと腹を割って話し合えるようにするために必要なものなのだとか。
これを持っている人間がハルトを呼び捨てにしたり敬語を使わなかったりしても咎められることのないように、半年もの時間をかけて準備してきたらしい。
何やら色々と大変だったのね。そうまでしてハルトが何をしたいのかはわからないけど、プレートはありがたく頂いておくことにした。
その夜は天国にいるような心地だった。充てがわれた客室のベッドが最高の寝心地だったのだ。
さすが領主の住まう館!
この日は父がサラの面倒を見てくれたので、タツキも大喜びでベッドにダイブしていた。
翌朝父に聞いてみたら、結局サラもふかふかベッドの誘惑に負けて早々に眠ってしまったらしい。
眠る習慣がいまだにない父に、私とタツキとサラが三人掛かりで睡眠というものの大切さを力説したのは言うまでもない。




