23.【ハルト】十一歳 帰途
気付けば季節は夏を越え、秋になっていた。
夏を越えた……つまり俺はまた一つ年を重ねたということだ。
魔族領を旅をしている間に、いつの間にか十一歳になっていた。
なかなか人族領に辿り着けずにいるのは仕方のないことだった。とにかく魔族領は広大なのだ。
まずギルテッド王国はゼル帝国の西、徒歩で半月の距離だ。そこから更にフォルニード村に向かうと、徒歩で三ヶ月近くかかる。
自分が年を重ねたことに気付かなかったのにもちゃんと理由がある。魔族領は人族領に比べて季節感がないのだ。
夏も少し暖かくなったかなと思う程度だったし、秋だからと言って色とりどりの落ち葉が降り積ることもなく。季節の移ろいがあまりよくわからなくて、月日の経過に鈍感になるんだよな……。
そうして長い道のりを経て、ようやくフォルニード村に着こうかというところまで来たのだが……この日は珍しく雨が降った。
この大陸は山ではよく雨が降るが、平地や森で長時間の雨が降るのは珍しい。
俺とイムは雨が降る中を小走りで駆け抜け、魔族領南部の森にあるフォルニード村に到着した。
ギリギリまでアールグラントに戻るより先にランスロイドに向かい、ジルの訃報を知らせた方がいいのか悩んだけど、どうしてもジルとの約束が頭から離れなかったのでアールグラントに戻る方を優先した。
これが国交問題にならなきゃいいけど……。
もし問題になったら父上に迷惑がかかるよなぁ。
いや、でもよく考えたらジルはランスロイドに派遣されていただけで派遣元は聖国エルーンだから、むしろエルーンに近いアールグラントを選んだのは正解かもしれないな?
俺がぐるぐる悩み始めると、後頭部をこつんと小突かれた。
「こら。またひとりで考え込んでるな、ハルト」
「あぁ、ごめん。でもこれはイムに相談するような内容じゃないからなぁ……」
振り返るとイムが口をへの字にして眉間に皺を寄せていた。
イムとは道中で互いに敬語と敬称をやめようと取り決めたので、だいぶ気楽に話せるようになった。
正直なところ、敬語で話ていると気疲れする。
イムと話をしているときに不意にハインツのことを思い出して、ハインツとやり取りしてたくらいの口調が一番楽なんだよなぁと思ったのをきっかけに、イムに提案してみたのだ。
するとイムは、俺が敬語で話すから敢えて敬語で対応していたのだと言う。実際は自分の子供とそう年の変わらない俺相手に敬語で話すのには違和感があったらしく、諸手を上げて賛成してくれた。
もっと早く提案しておけばよかった。
ふたりで今後についてあれこれ話し合いながら、雨宿りも兼ねてひとつの商店に入る。
俺はこの一年の旅でかなり装備品がぼろぼろになっていたし、イムも長いこと旅暮らしをしていたので服が痛んでいて、せめて外套だけでも新調しようという話になったのだ。
「それで、僕はこのまま人族領に入っても大丈夫なのかな? 一部の人族って妖鬼に対して結構攻撃的だったりするから……」
「それは大丈夫。アールグラントは希少種の保護を法で定めてるから。まぁ、裏では人身売買とか取り締まり切れてないところもあるから、絶対に安全とは言えないけど。でも、そもそも普通の人族だったらイムの逃げ足に追いつけるはずがないし、不得手とは言えあの威力の攻撃魔術を使われたら対抗できないよ。俺も気をつけておくし、問題ないはず」
「そっか。じゃあ認識阻害魔術は使わないでおこう。強化や幻術は得意だけど、認識阻害魔術はそこまで得意じゃなくてね」
同じ干渉系のはずなんだけど、何故か上手く使えないんだよね……とぼやきながら、イムの視線は彷徨い続けている。
どの外套にするか決めかねているようだ。
「この緑のとか似合いそうだけど」
と、俺は濃い緑の外套を示した。
髪色は白銀だから何色でも合わせやすそうだけど、薄青から緑へのグラデーションになっている瞳と黒い角が色合わせを難しくしている。
でも濃いめの色なら黒い角との調和も取れるし、瞳の色合いと普段のイムの柔らかい物腰を考えると緑が合いそうだと思った。
イムは俺が示した外套を手に取ると、軽く羽織って近くにあった鏡を覗いた。
「うん、いいね。僕はこれにするよ。ありがとう、ハルト」
「いえいえ。俺はこっちでいいや」
俺は落ち着いた色合いの青い外套を手に取った。
以前から愛用していたフード付きマントはすでにぼろぼろで、この一年で身長も伸びたので合わなくなっていたのだ。
俺は国を飛び出す前にギルドで稼いでおいたお金を取り出した。
旅に出て使う間もなくジルと出会って、その後の費用は全てジルが持ってくれていたおかげで丸々残っていたのだ。
イムも妖鬼独自の稼ぎ方があるらしく、そこそこの手持ちがあるようだった。
聞けば妖鬼には得意の幻術を活かして人の心を癒すという、少々特殊な仕事があるのだそうだ。カウンセラーみたいな仕事だな。イムは穏やかな性格だから、適職だと思う。
そのほかにも、回復魔術が得意な妖鬼であれば怪我人の治療なども行っているそうだ。その際は金銭ではなく物品で報酬を受け取り、後々必要なときに換金して貨幣を手に入れているらしい。
イム曰く、それらの仕事は「遥か昔から続く、妖鬼を生かすための鬼人族の温情」なのだとか。
無事外套を購入して外を覗くと、雨は少し小降りになっていた。
しかし空はどこまでも続く灰色の雲に覆われていて、まだまだ雨が止む気配はない。フォルニード村からアールグラントの関所に向かうには森の中を通り抜けるほかなく、雨の森は視界が悪くなることを考えると、今日はこのまま村に一泊してしまった方がよさそうだ。
そんなことを考えていると。
「あ……セアの、お父さん」
店に入って来た青い髪の少女が呟いた。
反射的にそちらを見ると、金色の目をした翼人がイムを見上げていた。
金色の目の魔族──ってことは、この子は魔王種か……!!
よく見ると魔王ゼイン=ゼルと同様に、この子の瞳も砕いた宝石を散りばめたような不思議な輝きを宿している。
「おや、君は……以前、セアと話をしていた翼人の子だね」
「うん。今日は、セアは一緒じゃないの?」
少女は小首を傾げながら周囲を見回して、目的の人物がいないことを確認すると残念そうに肩を落とした。
「ごめんね、僕たち親子はバラバラになってしまったんだ。セアに何か用があったのかい?」
「そう、だったんだ……。特に用事はないんだけど、あのときはあまり話せなかったから。今度会えたら、ゆっくりお話したいなと思ってて……」
「そっかぁ。じゃあもしどこかでセアに会えたら、きみのことを伝えておくよ。名前を聞いてもいいかな?」
事情を知って俯いた少女に、イムは優しい微笑みを向けながら問いかけた。
少女は少し表情を明るくして「ボクの名前は、マナ」と名乗った。
おぉ、生で“ボク”って言う女の子に遭遇したぞ。本当にいるんだなぁ……。
「あ、でもセアはボクの名前を知らないから、フォルニード村の金目の魔王種だって言ったほうがわかるかも」
「そっか、わかった。じゃあもしセアに会えたら、きみのことを伝えておくよ。きっときみのことを知ったらすぐにでも会いにくるんじゃないかな。セアは自分が魔王種だってこと、ちょっと気にしてたからね。同じ魔王種の子とならきっと友達になりたいと思うはずだよ」
イムがそう言うと、マナと名乗った金目の魔王種の少女は嬉しそうに微笑んだ。
光が零れ落ちるような、眩い微笑みだった。
マナと別れてフォルニード村の宿に一泊する。
イムが人族の風習とかをあれこれ聞いてきたけど、俺がこの一年魔族領にいて差を感じるほど魔族と人族の風習に違いがあるようには思わなかったので、気にしなくていいんじゃないか、とだけ伝えておいた。
ただひとつ。大きく違うと感じたのは、相手の覚悟を認める潔さだ。
情に走ってしまいがちな人族とは違い、魔族は相手が覚悟を決めたらその意思を尊重して一切手出しをしない。その結果、相手が命を落とすことになろうとも、だ。
そう考えると、今世の瀬田も魔族的な感覚を持っているのかもしれないな。
俺たちがイムを助ける直前、瀬田は迷うことなく父親を置いて妹を連れて逃げた。
そのことを思うと、今世の俺と瀬田のあいだには相容れないほど大きな感覚のずれがあるのかもしれない。
だからと言って、会ってみたい気持ちが変わることはないけれど。
◆ ◇ ◆
フォルニード村を発って二日後。
道中で魔物に遭遇することもなく、順調に関所に到着しようとしていた。
周りの迷惑を顧みず国を出てきた身としては、今から故国に戻るのだと思うだけでものすごく緊張する。
国に戻ってからの身の振り方について考え始めると結論が出ないまま思考が堂々巡りして、頭の中身ががぐるぐる掻き回されているような感覚になる。
そんなわけで目下の願いは、どうか知り合いが関所にいませんように! といったところ。覚悟が必要な場面は城に着くまでやってこないよう、全力で祈る。
祈りつつ、これがフラグになりませんように、とも祈っておく。避けたいことほど現実になりやすいからな……。
バクバクと早鐘を打つ心臓と戦いながら、何とか関所の前に立った。
すぅ、はぁ、と三回大きく深呼吸する。
「すごい緊張してるね」
恐らく先ほどまでは俺以上に緊張していたイムが、隣で苦笑していた。
「いや、だって、家出した身だし……」
「だとしても、関所を通ってすぐに家に着くわけじゃないんだろう? 今からそんなに緊張してたら身が持たないよ」
「あー……」
そうか、すっかり忘れてた。
俺、イムには家出したことだけ伝えて自分の身分については明かしてなかったんだっけ。
「それなんだけど──」
と、イムに説明しようとした瞬間。
「ハ……ハルト殿下!?」
聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
すぐさま声の主に思い当たり、頭を抱えたくなる。
どうやら先ほどの祈りが本当にフラグになってしまったようだ。
そろりと声の方を見遣ると、関所の前には予想通りクレイがいた。
背後には10名ほどのアールグラントの騎士を従えている。
「…………殿下?」
隣でイムが表情を硬くした。
もっと早くに話しておけばよかったと、いまさら後悔しても遅い。
俺はがくりと項垂れると、「そう、そうなんだよ……」とイムに応じてから大きく息を吸い、肺の空気がなくなるまで吐き出した。
よし、覚悟を決めよう。
俺は表情を引き締めながら視線を上げ、改めてクレイに向き直る。
そして再度、今度は言葉を発するために息を吸い込んだ。
「お久しぶりです、クレイ師匠。不肖の弟子ハルト、ただいま帰還いたしました」
クレイは俺に「殿下」と呼びかけてきたけど、そう呼ばれるような立場は一年前、多くの人の期待を裏切るという最悪の形で手放したものだ。
今の俺はただのハルト。
もし何かしら名乗れる立場が残っているとしたら、目の前で驚きを隠せずにいるクレイの弟子という立場くらいだろう。
俺が深々と頭を下げると、慌てたような気配と傍に走り寄ってくる足音が聞こえた。
足音から判断するに、クレイだけではなく、クレイが従えていた10名の騎士と、関所の衛兵も1名周囲に集まってきたようだ。
隣でイムが硬直している。
「どうか頭をお上げください、殿下。あぁ、でもよかった。危うく行き違いになるところでした」
「行き違い?」
クレイの言に思わず顔を上げて首を傾げると、クレイは小さく頷いた。
「我々はこの一年、陛下のご意向に沿ってハルト殿下の捜索をしていたのですが、先日、交易商がフォルニード村に出向いた際に情報を得まして。その情報というのが、一年ほど前にフォルニード村に立ち寄った人物がハルト殿下の肖像画によく似ているというものでしたので……」
「まさか、師匠は魔族領に捜索隊としてやって来たのですか!?」
思わず驚きがそのまま口を突いて出ていく。
するとクレイのみならず、周囲の騎士たちの表情が曇った。
「殿下。私のような者にそのような言葉遣いは無用です。どうか以前と同じようにお話しください」
固い表情、固い口調。
礼節を重んじるクレイらしい言葉に俺は早々に降参することにした。
何せクレイは頑固者だ。ここで押し問答したところで結論は変わらないし、話も進まない。
「……わかった。本当に、クレイたちはこれから魔族領を捜索するつもりだったのか?」
「その通りです。我々はこれからフォルニード村で改めて情報収集をしたのち、人族に友好的な魔王様方にハルト殿下捜索の協力依頼を出しつつ、その道中でも殿下の捜索をする予定でした」
なんて無謀な……!
思わず額に手を当て天を仰ぐ。
一言に魔族領と言ってもその領域が広大であることはわかっているだろうに、その広大な土地からたったひとりの人間を捜し出そうとは……途方もないことだ。
しかもこんな集団で移動していたら、一部存在する好戦的な魔族の格好の的だ。
クレイたちの力を疑うわけではないけれど、一年間とは言え実際に魔族領を旅した身としては、無茶だとしか言いようがなかった。
……いや、恐らくそんなことは父もクレイもわかっていたのだろう。
それでも決行せざるを得なかった。
それだけ、俺を捜し出すことに必死になってくれていたのだ。
ありがとう、フラグの神様!
俺としては避けたかった流れだけど、ここでクレイたちと行き逢わなかったら大変なことになっていた。
俺は思わずフラグの神様に感謝した。
その後、俺はクレイたちにイムを紹介し、イムにクレイ含むアールグラントの騎士たちを紹介した。
イムはガチガチに緊張していたけれど、クレイたちはイムが希少種の妖鬼だとわかるとすぐさまイムの手を取り「ようこそ、アールグラントへ! よくご無事でここまでこられました。歓迎します!」と、真摯な態度で歓迎の意を表したおかげで肩の力が抜けたらしい。
そのまま一行は関所を通り、恐縮するクレイたちを説き伏せて野営を交えながら馬で近くのモルト砦まで南下、モルト砦からは馬車に揺られて王都アールレインを目指した。
護衛はもちろん、クレイを筆頭としたアールグラントの騎士たちだ。
クレイも今でこそ後続の指南役をしているが、かつては天才騎士と呼ばれていた男だ。その天才振りが健在であることは、彼の身のこなしに隙がないことからも察せられる。
そんな男が率いる隊が護衛なら、何の心配もないだろう。
道中では、イムには俺の身分やジルと出会った経緯を、クレイには城を出てからの簡単な経緯を説明した。
俺の身分を聞くや否やイムは納得顔で「道理でお若いのに礼儀正しかったわけですね……」と、クレイの手前敬語で呟いていた。
一方クレイは話を聞いているあいだ、あまり表情に出さないものの、普段の彼を知る者が見ればわかるほど喜怒哀楽の嵐だった。
人攫いの盗賊に遭遇した話を聞くなりすぐさま討伐隊を派遣しなければと息巻き、そこで勇者ジルに救われた話をすればさすがランスロイドの勇者様、と感心し。
俺が勇者ジルに憧れて旅に連れていってもらったと言えばご立派ですと誉めそやし、勇者ジルが魔王フィオに協力を仰ぎ、フィオのかつての仲間であるバリスを紹介されて三人旅になったと言えば歴戦の戦士バリスは人族領でも有名です! と興奮し。
その後悲劇の現場に立ち会ってイムと出会った話になればイムの手を取ってそれはさぞお辛かったでしょうと涙ぐみ、魔王ゼイン=ゼルと戦い、勇者ジルと獣人戦士のバリスが命を落としたものの、何とか倒した話をすれば神妙な顔で黙り込み……。
実際は冷静に見える反応ではあったけれど、普段の彼を知る俺から見たら過剰反応に見えてしまうほど、クレイは心の内を態度に表していた。
「勇者ジルと戦士バリスの件は世界の大きな損失となるでしょう……。しかし我々としては、ハルト殿下が無事に戻られ、イム殿もこうして殿下と共に我が国を訪ねてくださったことを、喜ばしく思います。本当に、よくぞ無事お戻りくださいました」
全てを話し終える頃には、アールレインが馬車の窓から見え始めていた。
俺は王太子の義務と責任、さらには神位種として神殿へ行くべき義務も放棄した身だ。王に直接会える立場ではないので、城に着いてからの事情説明をクレイに依頼した。
依頼されたクレイは「誰よりも陛下こそがハルト殿下にお会いになりたいはずです」と言いながらも、事情説明については引き受けてくれた。
そうして太陽が天頂から傾き始めた頃、俺たちはアールグラント王国の首都アールレインに到着した。




