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魔王候補になりました。  作者: みぬま
第1章 それぞれの再スタート
30/144

22.【ハルト】十歳 魔王ゼイン=ゼルとの死闘

 もうすぐ夏になる。

 夏になれば、俺がアールグラントを出てから丸一年が経過したことになる。

 月日が流れるのはあっという間だな……。



 などと、しみじみ感傷に浸っている場合ではない。



 俺たちは今、全力で魔王ゼイン=ゼルの住まう巨城──ゴート・ギャレスというゴツい名前の城の中を駆け抜けていた。


 この巨城はその名に負けず劣らずゴツい外見とゴツい内装をしている。

 岩を四角く切り出して形を整えずにひたすら積み上げたような造りの壁、廊下に敷かれた絨毯は黒地に金糸の刺繍。壁に飾られている国旗らしきものは赤黒い色を基調としていて、中央には正面を向いて厳めしく牙を剝いた獅子の頭部の意匠が銀糸で表現されている。

 今走り抜けている廊下は幅が広めで天井も高く作られているが、窓が少ないせいで全体的に薄暗い。


 ただでさえ視界が悪い廊下には横道や部屋に通じる扉が頻繁に現れ、いつどこから敵が飛び出してくるかわからない。

 否応なしに緊張を強いられる状況と、過剰なまでに警戒心を煽られる雰囲気。気が滅入ってしまいそうだ。



 どれくらい城内を走っていただろう。

 この城に辿り着くまでの間にゼイン=ゼルの配下のほとんどを片付けてきたおかげか、城内は静まり返っている。

 ちらほら迎撃のために現れる魔族もいるがさほど強くもなく、足止めにもなっていない。


「ハルト! 左だ!」


 ジルの鋭い声に、言われるまでもなく剣を振るった。

 バリスから譲り受けた長剣が、白銀の軌跡を描きながら飛び出してきた獣人の胴を一刀両断する。一撃で絶命した獣人は、飛び出した勢いそのままに壁に激突して床に沈んだ。

 それを確認する間もなく再び走り出す。


 俺は絶命した獣人を横目で振り返り、覚醒を経て手に入れた自らの力に小さく震えた。

 明らかに人族から逸脱した強大な力。

 これから魔王に挑もうという現状では有り難い力だけど、今後この力が吉と出るか凶と出るか。

 あまり考えたくないな……。



 敵を斬り伏せながら呆れるほど長い廊下を進んでいくと、やがて大きな扉に辿り着いた。ここがこの城の主がいる場所であると一目でわかる、立派な彫刻が施された扉。

 ゲームの世界ならまさにラスボスが待ち受けていそうな、城の最奥だ。


 それを裏付けるように、凄まじい気配が扉の向こうから感じられる。

 しかし、扉は閉じられている。

 この扉を開けた瞬間に襲いかかられることも覚悟しなければならない。


「わしが開けましょう」


 前に出たのはバリスだった。

 俺は思わずジルを見遣ると、ジルも渋い顔をしていた。


「いや、俺が……」


 ジルが申し出るのを、バリスは手で制す。

 そして戦いの最中にしか見せない鋭い視線をジルに向けた。


「相手は魔王。魔王に真の意味で相対できるのは勇者のみ。であるならば、ジル殿とハルトは万全の状態でいるべきでしょう。開けた瞬間に何が起こるかわかりませんからな、イム殿はおふたりに結界魔術を」

「はい」


 こういうとき、魔族は人族の感覚とは違う感覚で通じ合う。

 イムはバリスの覚悟をすんなり受け入れて、自らの役目を果たすべく俺とジルに手を向けた。

 普段のイムなら思念発動させている結界魔術を、より確実に実行するために詠唱で構築する。


「総ての根源たる力よ、我が声を聴き、応えよ。

 其は守護するもの。

 望むは彼の勇敢なる者たちの身を守りし強靭なる盾。

 彼らを害する全てから彼らを守るため、顕現せよ!

 結界!!」


 念入りに、より強力に。

 イムの魔力と詠唱に応じて金色の光が俺とジルの体を包み、溶けるように消えていった。

 すると。



「そちらから来ないなら、こちらから行くぞ」



 まるで俺たちの準備が整うのを待っていたかのようなタイミングで、地の底から響くような声が投げかけられた。

 その声を聞いただけで、ぞわりと肌が粟立つ。


「避けろっ!」


 ジルが叫ぶ。

 扉の向こうで膨れ上がる圧倒的な熱量に気付くのがジルより遅れたが、バリスを抱えて扉の前から飛び退るジルに倣って、俺もイムを抱えてジルたちとは逆側へと飛ぶ。

 間髪入れずに、扉を突き破って巨大なレーザー砲のような光線が(ほとばし)った。


 光線は真っ直ぐ廊下を走り、巨城の壁を貫く。

 凄まじい轟音が響いたかと思ったときには巨城の外にある塔がひとつ、足下から崩れ始めていた。


 これが魔王の力なのか……!?

 思わず身震いすると、抱えていたイムが力強く俺の腕を掴んだ。


「身体強化魔術をかけます。僕には構わず、魔王をお願いします」


 言うが早いか、イムが俺に身体強化魔術を行使する。その瞬間、これまで感じたことがないほどの熱が全身を走り抜けていった。

 感じた熱量からこれまでとは比べ物にならないほど強い身体強化魔術を施されたことがわかる。

 つまり今の状況は、それだけ全力で当たらねばならない状況なのだ。

 そのことを再確認して、より一層気が引き締まる。


 俺はすぐさまイムを床に下ろし、悠然と姿を現した巨体を見上げた。


 完全に獣型の、白い獅子。

 四足歩行の状態でも地面から頭頂部まで二メートル半はあるだろうか。

 瞳は紅に染まり、ネコ科特有の瞳孔が縦長に細められている。


「待ち侘びたぞ、神位種。よくもまぁ、俺の配下を次々と殺してくれたもんだな」


 よく見るとその瞳は、砕いた宝石を散りばめたような不思議な虹彩をしている。

 その虹彩が一瞬、鋭く光ったように見えた。


「そりゃこっちの台詞だぜ、魔王ゼイン=ゼルさんよ。ランスロイドの殺された罪もない人々の仇、討たせてもらうぜ」

「ふんっ……そうか、そうだったな。こんな問答は無意味だったか」

「そういうことだ」


 応じたのはジルだ。

 油断なく剣を構え、今にもゼイン=ゼルに切りかかりそうな気迫を放っている。

 その隣にはバリスが反りの入った剣──俺から見たら明らかに刀──を片手にぶら下げて、無造作に立つ。

 あれがバリスが得手とする構えだ。体に余分な力を入れず、相手がどのように動いても柔軟に対応できる構え。


 それに気付いているのだろうか。

 ゼイン=ゼルは扉から全身を現した地点から動こうとしない。


 両者が睨み合い、そのまま膠着状態に突入するかと思われた。

 しかしふと、ゼイン=ゼルが俺の方を見た。

 そして笑った、気がした。


「ほぅん? 随分と幼いがこっちにも神位種がいたか」


 俺は答えずに剣を構え直し、じっとゼイン=ゼルの目を見返した。

 その紅い瞳が眇められる。


「魔王を恐れない、か。幼い勇者さんよ。だが、ここは戦場。死地だ。わかっているのか? この場では生きるには勝つしかなく、勝つには殺すしかないということを」

「……わかってるさ」


 一瞬、なぜそんなことを問われたのかわからなかった。

 しかしすぐに俺の覚悟を確認するための問いだと思い至り、しっかりと頷く。

 するとゼイン=ゼルはくぐもった笑い声を上げ、


「よろしい! ならば、殺し合いを始めようか!!」


 空気を震わす咆哮とともに、戦端が切られた。



 ゼイン=ゼルが目にも留まらぬ速さで肉薄してくる。

 恐らくジルやバリスよりも俺の方が簡単に始末できると判断したのだろう。

 その判断は正しい。


 俺はイムの気配を背後に確認すると、真正面からゼイン=ゼルを迎え撃つことにした。そうしなければ、イムの命がない。

 イムは自分に構わず魔王と戦えと言ったけれど、俺からすれば真っ向から魔王と対峙する以上に仲間を見捨てる覚悟の方ができない。


「光よ、走れ!!」


 神聖魔術の中の攻撃魔術を思念発動すると同時に、言葉にすることで威力の嵩ましをする。

 眩い光の筋が地面から立ち上り、直線的にゼイン=ゼルに向かっていく。しかしそのわかりやすい指向性を読んで、ゼイン=ゼルが素早く横へ避けた。

 避けられることはこちらもわかっていたし、ゼイン=ゼルもこちらの意図に気付いていただろう。


 一瞬の足止め。

 それで充分だった。


 ゼイン=ゼルの背後には、すでにジルの姿があった。

 俺が稼いだ一瞬の間に、イムが遠距離から身体強化魔術をジルとバリスに放っていたのだ。

 距離があったせいか俺ほど強力にはかかっていないようだけど、あのふたりの地力なら充分だろう。


 しかし、さすが獣種と言うべきか。


「うぉぉぉおおおおお!!!」


 ゼイン=ゼルはジルが雄叫びを上げながら放った一撃をしなやかな動きで躱すと、正面からジルを見据えた。

 そして。


「ガァァア!!」


 そのまま流れるような動きで、体当たりを仕掛ける。


 ジルは崩れた体勢を立て直そうとしたが、猛烈な体当たりを繰り出すゼイン=ゼルの動線上から逃れるのは不可能だった。

 すかさずバリスがジルとゼイン=ゼルの間に割って入り、腕のしなりを利用した疾風の如き一撃を放つ。

 斬撃を受けたゼイン=ゼルは頬を負傷するも、怯むことなく突進を続行する。


 このままではバリスが吹っ飛ばされる……!


「壁よ!!」


 俺は反射的にバリスに神聖魔術に属する結界魔術を付与する。

 イムの結界魔術ほど強力ではないが、多少はゼイン=ゼルの体当たりの威力を緩和できるはずだ。


 バキィ! と音を立ててゼイン=ゼルの体当たりを受けた結界に亀裂が入り、ゼイン=ゼルの動きが止まった。

 しかしそれも一瞬のこと。

 結界という障害に構うことなくゼイン=ゼルが押し込むように前進した瞬間、完全に結界が破壊された。

 そのままバリスとジルを押し潰さん勢いで、ゼイン=ゼルが突進する。


 まずい!


「……集い、圧倒的な密度で以てその力を見せよ!

 空圧弾!!」


 焦りで駆け出していた俺の背後から、イムの魔術を放つ声が聞こえた。

 ゼイン=ゼルの側面の気圧が急激に変化し、ぎゅっと空気が凝縮されたのが魔力の流れから感じ取れる。

 次の瞬間には、凝縮された空気の弾がバリスを弾き飛ばしたゼイン=ゼルの脇腹へと射出された。


「ガハァッ……!!」


 圧縮された空気の砲弾の直撃を受け、ゼイン=ゼルは側方の壁に激突した。その巨体に似つかわしい重く鈍い音が辺りに響く。

 すると、ゼイン=ゼルの重みと衝撃に耐えられなかった壁が崩れ、天井までもが崩れ始めた。

 ここにいるのは危険だな……。


「外へ!!」


 威力が削がれていたとは言え、まともにゼイン=ゼルの体当たりを受けたバリスが率先して中庭に続く窓を割り、飛び出していく。

 それに続いて素早くイムが、俺が、そして最後にジルが外へと飛び出した。


 背後ではガラガラと音を立てて巨城の一角が崩れ、気絶したのだろうか、ゼイン=ゼルは降り注ぐ石材の下敷きになって姿が見えなくなっていく。

 しかし油断はできない。なぜなら、ゼイン=ゼルは身体能力特化型の赤目の魔王種だからだ。

 最初に放たれた光線砲もある。

 あの場に留まるのは問題外だが、相手の姿が視界から消えるというのも危険な状況だった。


 せめて気配がわかれば……と思ったが、姿を現したときに感じた圧倒的な気配が、きれいさっぱり消えていた。

 もしゼイン=ゼルが瓦礫の下で絶命していなかった場合、これほどまでに完璧に気配を絶たれてしまうとお手上げだ。どこから不意打ちがくるかわからない。


「上だ!!」


 ジルが叫んだ。ほぼ同時に俺の上に影が落ちる。

 俺は全力で後ろに飛び退りその場から離れた。

 逆にジルはこちらに駆け寄り、地を蹴って剣をすくい上げるように振り抜きつつ、上空に現れたゼイン=ゼルを迎え撃つ。


 次の瞬間、視界に鮮血が舞い散った。


 俺は更に後方へとバックステップしながら、視線を上空に向ける。

 そして。



 ジルの剣がゼイン=ゼルの首筋に突き刺さる瞬間と、


 ジルがゼイン=ゼルに右肩を噛み砕かれる瞬間を、


 目撃した。



 双方の血が混ざり合って降り注ぎ、ジルとゼイン=ゼルが血の雨と共に地面へと落ちてくる。

 しかし、ゼイン=ゼルが落下した重苦しい音は巨城ゴート・ギャレスの凄まじい崩壊音にかき消され──。


 そこまで認識したところで、突如俺は極限まで意識が研ぎ澄まされたような感覚の中に立たされた。


 ゴート・ギャレスの崩壊音のせいで何も聞こえないはずなのに、その轟音の中にジルの雄叫びを聞いた。

 ジルを救おうと走るバリスの裂帛の声が、イムの力強い詠唱が、明瞭に耳に届く。

 舞い上がる砂埃の中でもはっきりと、周囲の状況が把握できる。


 全てがクリアになった世界の中で、俺は自分の意識や感覚が鋭さを増していくのを感じ取り、しかしその理由を考える暇もなく駆け出した。

 ジルを咥えて唸るゼイン=ゼルに向かい、全力で走る。

 その間にも全身から腕を伝い、掌を伝い、剣へと力を集中させていく。


 剣が、純白の光を帯びた。


 視界の中でゼイン=ゼルが頭を振ってジルを振り回し、肩口に剣を突き立てたバリスにジルを叩きつける。

 咄嗟にイムが結界魔術を放つがそれもあっさりと砕かれ、バリスの体がおかしな方向に曲がった。


「ぁぁぁあああああああああ!!!」


 それらを全て視界に収めながら、全力で、体の底から声を出す。

 同時に地を蹴って飛び上がり、剣をゼイン=ゼルに向かって振り下ろした。



 一瞬、こちらを振り向いたゼイン=ゼルと目が合った。

 真っ白だった毛並みは血と砂で汚れていたが、鮮やかな紅い目の鋭さは健在だった。



 剣がゼイン=ゼルの胴に到達して、柔らかい手応えが剣を伝ってやってくる。

 続いて、固い手応えが。


 俺は剣を振り抜くことに意識を集中した。

 純白の光を帯びた剣に、蒼い輝きを纏った魔力が絡みついていく。

 ふたつの光を混ぜて、剣に宿らせる。

 自然と、それが正しい力の使い方なのだと理解できた。


 青白い光を放つ剣がゼイン=ゼルの肉を、骨を断ち切っていく。

 そしてついに剣を振り切り、ゼイン=ゼルの胴を深々と切り裂いた。



「ふっ。見事、だ……」



 鮮血が視界を覆い尽くす中、ゼイン=ゼルの声が聞こえた。

 俺はまともに血を浴び、視界ゼロの中で身動きが取れなくなる。

 ゼイン=ゼルが倒れたのであろう重い音は、ゴート・ギャレスの崩壊音に吸い込まれるようにして消えていった。

 先ほどまで感じていた研ぎ澄まされたような感覚は、いつの間にか消えていた。


 ふと、何かが迫ってくるような気配がした。


 あっ、と思ったときには、鋭い爪が眼前に迫っていた。

 ゼイン=ゼルが倒れた反動で投げ出された前足の爪が、俺に向かって空を薙いで迫っていたのだ。

 俺は反射的にきつく目を閉じ、身構えながらも硬直する。


 しかし、その爪が俺に届くことはなかった。

 しばらく待っても予測していた痛みがこないことを不思議に思ってゆっくり目を開けると、目の前にあったのはゼイン=ゼルの爪ではなく、頼もしい、大きな背中。


「よぅ、ハルト。やったな」


 顔を半分こちらに振り向かせたジルが、いつもの調子でニッと笑う。

 やったな、という言葉が何を示しているのか、俺は一拍遅れて理解した。


 呆然とジルを見上げる。


 しかしジルの目からは急速に光が失われていった。

 よく見れば、ジルの背中から鋭い爪が突き出している。


 さっと血の気が引いた。


「ジル!!」


 咄嗟に敬称をつけることも忘れてその名を叫ぶ。

 いまだ飛び散っているゼイン=ゼルの血飛沫が視界を悪くしているが、それでも状況は理解できた。

 ジルは俺をかばったのだ。


 ゼイン=ゼルの爪が、ジルの屈強な体を貫通していた。致命傷だ。

 位置から見て、少なくとも肺が片方駄目になっているだろう。

 そうでなくても右肩が()げかけ、そこからも大量に出血している。


 俺は絶望に支配されながらジルに駆け寄ると、神聖魔術に属する回復魔術を、全魔力を使うつもりでジルにかけた。

 純白の光を帯びた魔力がジルの体組織を再生させようと働きかける。


 しかし、手遅れだった。


 回復魔術が体組織を再生する速度よりも、ジルの命が零れ落ちていく速度の方が遥かに速い。


「なぁ、ハルト……お前、さぁ……生きて人族領に、帰れたら、さ……」


 ヒューヒューと空気の抜けるような、弱々しい声をジルが発する。

 一分一秒でも長く生きて欲しくて「喋るな」と言いかけたけれど、ジルが助からないことを悟ってしまったせいだろうか。俺は口を噤むことしかできず、ジルの言葉に耳を傾けた。


「一度でいいから……親御さんに、顔、見せてやれよ。絶対、心配してるから、な……?」

「……わかりました。必ず一度、帰ります」


 ジルの言葉に力強く頷くと、ジルは今にもいつもの豪快な笑い声をあげそうな笑顔を浮かべた。

 気付けば背後にイムが立っていて、一緒にジルの言葉を聞いている。


「それと──」


 ジルは更に何かを言いかける。しかし激しく咳き込むとゴボリと血を吐き、そのあとは荒くなった息遣いが徐々に徐々に鎮まっていった。

 やがて微かな息遣いすらも聞こえなくなり──それ以上、ジルが言葉を発することはなかった。


 魂を失ったジルの肢体から力が抜ける。

 俺も疲労感と喪失感から地面に座り込んだ。

 そのままジルの亡骸を見つめていると、不意に視界が広くなったように感じた。

 視線を上げてみれば、青い空が目に飛び込んでくる。


 いつの間にか、ゼイン=ゼルの血の雨も止んでいた。




 どれくらいぼんやりしていたのだろうか。

 肩にぽん、と手が置かれる。

 のろのろと振り返るとそこには寂しげな微笑みを浮かべたイムがいた。


「バリスさんも、戦いの最中にお亡くなりになりました。おふたりを弔ってあげませんか?」


 俺は半ば無意識に頷いた。

 まるで自分の周囲に見えない壁があるかのように、すぐ傍で話すイムの声さえも遠く感じた。






 ジルとバリスの弔いをして、ゼイン=ゼルの遺体も疫病対策でイムが焼き払った。


 この世界に来てから知己の人間が目の前で命を落としたのは初めてのことで、自分が相当なショックを受けていることは自覚していた。

 ましてやふたりは敬愛していた人物だ。

 俺にとってはクレイやシタンに続く師であり、ジルに至っては人生の目標だった。

 その喪失感は自分でもわけがわからないほどで、今の自分の気持ちに理解が追いついていないことだけは理解していた。

 その証拠に、イムがふたりを弔っている間、俺はここが現実なのか夢なのか、自分は立っているのか座っているのか──全ての感覚が遠のいていてよくわからなくなっていた。


 やがて俺が少し正気を取り戻した頃、ジルとバリスは白い骨になっていた。

 この世界でも骨は白いんだなとか、遺骨はどう扱ったらいいんだろうとかぼんやり考えていたら、イムがさっさと地中深くに埋めてしまった。

 なぜ埋めたのか視線で問うと、「人族は違うのかもしれませんが……」と前置きした上で、


「魔族は人族ほど異世界での生まれ変わりを信じてはいません。ほとんどの魔族は死したその地で生まれ変わると考えています。だから、命を落としたその地に骨を埋めるんです。ここは魔族領ですから、それに倣って埋めさせて頂きました」


 なるほど、と思った。

 確かに俺も実際に異世界に転生していなければ……少なくとも前世の俺の感覚からすれば、異世界での生まれ変わりなどフィクションだという認識しかなかっただろう。

 ならば、そんな不確かな思想よりも自分にとって幸福な死後の解釈をするはずだ。

 またこの世界に生まれたいと。慣れ親しんだこの世界で、また暮らしたいと。

 その想いを込めて骨をその地に埋める。

 そうすることでその世界と自分の魂か何かが繋がって、また引き寄せられるのではないかと考えて。



 そう考えたら、前世の俺は一体どうなったんだろうな、と思う。

 誰かがちゃんと埋葬してくれたのだろうか。

 それとも、骨も残らなかったのだろうか。

 だから魂の寄る辺がなくなって、異世界に転生してきてしまったのだろうか──と。


 少し考えたところで詮ないことだと思い、その思考を断ち切った。



 そうして全てが終わった頃には魔王ゼイン=ゼルの威容を誇っていた巨城ゴート・ギャレスも半壊していた。

 俺は血に塗れた自分とイムと、持ち帰るために残しておいたジルとバリスの遺品に浄化魔術をかけ、汚れを落とした。

 それからイムと二人で巨城から離れ、途中でその巨城の成れの果てを振り返り眺めて……ふと思った。


 もしかしたらゼイン=ゼルは自分が負けることをどこかで覚悟していたのかもしれない、と。だから自らの城の中で待った。

 あの魔王の巨躯を思えば城内で暴れたらどうなるかなど、火を見るより明らかだ。城を無傷で残そうと思うのであれば、最初から城の外で待ち構えていただろう。

 もしかしたらゼイン=ゼルは、あの城と運命をともにするつもりでいたのかもしれない。


 これも、考えても詮ないことだ。

 でも戦いの前のあの問い。

 俺に問いかけてきたのかと思っていたけど、もしかしたらあの問いは自らに問いかけていたのかもしれないな、と思ったのだ。


 ゼイン=ゼルが逃げも隠れもせず、潔く城の最奥で待ち構えていたことが思い出される。

 鋭い紅い瞳には最後まで強い意志が宿っていた。

 一国を担う王でありながら……いや、一国の王であるからこそ、国の最期は自らの最期だと言わんばかりの態度だった。


 魔族領の国とは魔王を頂点とし、配下を民とした集団を指すと、以前バリスが言っていた。

 自らの配下を多く失ったことは即ち、自らの民を失ったということ。

 民なき王は王ではなくなる。だからこそ、ゼイン=ゼルは国の最後の砦で待ち受けていたのだ。最後の所有物である、自らの城で。



 不意に、ジルとゼイン=ゼルのやり取りが思い出された。

 自らの配下が殺されたことを言及したゼイン=ゼルに対し、ジルもランスロイドで犠牲になった民のことを挙げた、あのやり取りを。


 ジルの言葉を聞いて、ゼイン=ゼルは言った。「こんな問答は無意味だ」と。

 ジルもそれに同意していた。

 そんなふたりの思考に思いを馳せる。


 始まりが何だったのかは関係ない。互いに失ったものがあり、互いが討つべき仇となった。

 それが厳然たる事実だった。

 そのことを互いに言い合っても無意味なのだと。自らの言葉がただ返ってくるだけなのだと、あのふたりは言っていたのだろう。

 いくら何を言ったところで、ここまで来てしまえば最後は力で全てが決まる。

 その結果、勝てば自らの正義が証明され、負ければ自らの意志とともに命を失う。それが、この世界での決着のつけ方なのだと。



 たった一日のことなのに様々な出来事が思い出され、そのひとつひとつに自分なりの答えが見い出せるようになると、痛感することがある。

 それは、この世界で生きていく上で必要な覚悟に対し、自分があまりにも未熟であるという事実だ。


 この世界では自分だけじゃなく、誰かや何かを守るために、証明するために、時には助けるために命を賭けなければならないときがある。そしてそこに、戦う理由や抗う理由が存在する。

 もちろん、前世の世界でもそういう感覚の持ち主はどこかにいたかもしれない。

 けれど前世の俺にはなかった感覚だ。そしてその延長にいる今の自分にも、不足している感覚だった。


 前世ではそれなりに大人になったつもりでいたけれど、この世界では何も通用しないんだなと、改めて思う。

 力も、考え方も、覚悟も、何もかも。



 途方に暮れて深いため息を吐き出すと、隣を歩いていたイムがくすっと笑った。

 なぜ笑われたのだろう?

 不思議に思ってイムを見上げると、イムはちょっと気まずそうに視線を反らした。


「何かおかしかったですか?」

「いいえ、その……うちの娘のセアも、たまにそういうため息をついていたなぁと思い出してしまって」


 その返答に、俺は力なく笑った。

 そして答える。


「きっとセアさんも、自分の無力さに打ちのめされていたのでしょうね。だって、あまりにも……」


 前世と比べてこの世界が、過酷すぎて。

 至らない自分に、やるせなさを感じて。


「え? ハルトくんは今、無力さを感じているのですか?」

「……えぇ」

「そうですか……。ですが、ハルトくん。例え自分で自分が無力であると感じているのだとしても、君はもっと自信を持って下さい」


 ずい、とイムが真面目顔を近づけてきた。

 反射的に仰け反ると、不意にその表情が優しい微笑みに変わる。


「君は勇者なんです。人族領に仇成していた魔王ゼイン=ゼルを倒した、紛うことなき勇者。だからどんなに辛くても、人族領に入ったら胸を張っていて下さい。誰もが君を勇者ジルとともに戦い、勇者ジルが成し得なかったことを成した勇者として見るでしょう」


 思いがけない言葉に、俺は思わず顔を顰めてしまった。

 けれどイムの微笑みは揺らがない。


「君がジルさんを尊敬していたのは僕も見ていたからよく知っています。そのジルさんのためにも、君は背中を丸めていてはいけません。……どうしても辛かったらいつでも僕が話を聞きますから、どうか、彼らの死を乗り越えて強くなって下さい」


 続けられた言葉に違和感を覚える。

 一体なにが引っかかったのか、しばし思考を巡らせるとすぐに答えに行き着いた。


「イムさん、それって……」


 俺が違和感の正体を口にする前に、ぽんぽん、と頭を撫でられる。


「さぁ、凱旋ですよ、ハルトくん! ジルさんやバリスさんとの約束通り、僕がお供します。どーんと構えて帰りましょう! ね、勇者様」


 茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべて、いつかと同じようにイムはその細い腕で力こぶを作るポーズを取った。

 一瞬呆気にとられたけれど何だかその姿がおかしくて、釣られるようにして笑ってしまった。


 そうだな、ジルとの約束だ。俺は一度、人族領──アールグラントに帰ろう。

 そして父や家族に無断で家出したことを謝って、ジルのことを報告して、エルーン聖国やランスロイドにも連絡をつけてもらって……あとは、下される罰をしっかり受け止めよう。


 その前にギルテッド王国のフィオにも挨拶に行かないと。

 あぁ、やることが一杯だ。


「ありがとう、イムさん。では、まずはギルテッド王国に行きましょう」


 すべきことを定めると、ようやく気分が晴れてきた。

 俺とイムはさっそくギルテッド王国に向かい、フィオにバリスの訃報とその遺品を届ける。

 そして、そのまま人族領目指して南下した。


 目的地は我が故郷。アールグラント王国……!

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