21-2. 城塞都市アルトンの女たち
* * * * * ラセット * * * * *
その日、旦那がかわいらしい子供たちを連れて帰ってきた。
一体何事かと思ったけれど、旦那曰く、わけあって一晩彼女たちを預かることになったのだとか。
子供ばかりが三人。親の姿はない。
確かに本人たちを前に聞くのが憚られるような、何らかの理由がありそうだと思った。
私が了承して頷くと、旦那は彼女たちを私に紹介してくれた。
一番上のお姉さんがリクちゃん、”守護精霊”で弟のタツキくん、妹のサラちゃん。
紹介されるなりリクちゃんは、にこりと微笑んで「今日はお世話になります」と礼儀正しく頭を下げた。
横にいたタツキくんも、ちょっとだけ不思議そうにしていたサラちゃんも、リクちゃんに倣って頭を下げる。
なんていい子たちなんでしょう!
どんな事情であれ、子供好きな私としては大歓迎だった。
けれど、上機嫌で食事の支度をしていたら旦那がそっとやってきて、彼女たちの境遇について話してくれた。
彼女たちは両親を亡くし、住む場所もなくして街の外で泣いていたのだと言う。
偵察任務中だった旦那たちは帰還する途中で彼女たちを保護し、そのままアルトンに戻って上司の指示を仰いだのだそうだ。
結果的に任務はほぼ完遂していたから残りの巡回路分は免除され、任務にあたっていた兵士を代表して旦那がリクちゃんたちの面倒を引き受けることになったらしい。
道中でいろいろと話を聞いた旦那はリクちゃんが自力で生活を立て直そうと考えていることを知り、本人の希望もあって、冒険者ギルドに寄ってリクちゃんの冒険者登録に付き添ってきたらしい。
ちらっと見ると、確かにリクちゃんの首からは銅色の冒険者カードが下げられていた。
まだあんなに小さいのに、しっかりした考えを持って家族を守ろうとしているその姿に、私は泣きそうになってしまった。
私は腕を振るって料理を作り上げた。
それを次々と食卓に並べていくと、リクちゃんとタツキくんの目がキラキラと輝き出す。
サラちゃんはちょっと不思議そうにしていたけれど、匂いを嗅ぐとおかずに手を伸ばしかけ、途中でリクちゃんにたしなめられて手を引っ込めた。
リクちゃんもしっかりしているけれど、サラちゃんもよくお姉ちゃんの言うことを聞いている。
本当にいい子たちだなぁと、しみじみ思ってしまう。
「さぁ、召し上がれ!」
食卓が埋まるなり、私はこの子たちの反応が楽しみで浮き浮きしながら食事を勧めた。
「いただきます!」
「い、いただきます!」
「? いたあきあすっ」
リクちゃんが手の平を合わせると、それに倣ってタツキくんが、それを見てサラちゃんも同じように手を合わせた。
初めてみる仕草だけど、リクちゃんたちの故郷の風習なのかもしれないので特に気にせずに彼女たちの動向を窺う。
隣では旦那も同じように彼女たちの様子を見ていた。
タツキくんは誰よりも先におかずに手を出そうとした。
それに気付いてリクちゃんが、「タツキ、フォーク、フォーク!」と、横に置いてあったフォークをタツキくんに持たせる。
タツキくんを真似て手を出しかけていたサラちゃんもそれを見て自分の手元をきょろきょろと見てフォークを探し始めた。
「サラはまだフォークは使えないでしょう? ほら、食べさせてあげるから。……と、あれ? アーバルさんとラセットさんは食べないんですか? あっ、タツキ、待って! 家主さんたちがまだ手をつけてないんだから、ちょっと待って!」
どこまでしっかりしてるんだろう。
気にせず食べてくれていいのに。
私はくすくすと笑いながら隣の旦那に視線を向ける。
旦那も困ったような顔で苦笑していた。
「それじゃあ私たちも。日々の恵みに感謝します」
「日々の恵みに感謝します」
私たちの食事始めの作法は手を組み、小さく礼をしてから食べる。
二人揃ってそれをやると、向かい側でリクちゃんとタツキくんがじっとこちらを見ていた。
同じく見ていたらしいサラちゃんが私たちを真似て手を組み、小さく礼をしながら「かんさしますっ」と言った。
かっ、かわいいっ……!!
私はすっかりこの三人を気に入ってしまった。
みんなとても美味しそうに食べてくれている。リクちゃんとタツキくんに至っては実際口に出して「美味しい」と、本当に幸せそうな顔で言ってくれた。
サラちゃんはリクちゃんが食べやすいように小さめに切りわけたものをちょっとずつ食べていたけれど、途中リクちゃんが少し目を離した隙に頬一杯に食べ物を詰め込んでモゴモゴしていて、慌てたリクちゃんが「飲み込んじゃ駄目だよ、ちゃんと噛んで! ちょっとずつね!」と、何とか頬の中身が無なくなるまで面倒を見ていた。
それを見ていて、私もちょっと勉強する。
そうね、小さい子は口も小さいし、あまり大きなものはそのまま食べられないわよね。
私も子供ができたら小さく切り分けて、できるだけ目を離さずに面倒を見てあげないと……!
あぁ、子供欲しいなぁ……。
翌朝、目を覚ましたリクちゃんたちはしっかり朝の挨拶をすると、またもやリクちゃんが昨夜の食事のときと同じくこの世の幸せを詰め込んだような表情を浮かべ、ベッドの寝心地を大絶賛してくれた。
なんて可愛いんでしょう!
私は反射的にリクちゃんに駆け寄ってぎゅっと抱きしめた。
「だったらもう、うちの子になっちゃえばいいじゃない〜。リクちゃんたちが喜んでくれるなら、このだだっ広い家の掃除も無駄にたくさんある布団を干すのも、私頑張れるわっ!」
本当に、本心からそう思う。
と同時に、勝手にこんなに大きな家を購入していた旦那への嫌味も忘れない。
「ラセットさん。お気持ちは嬉しいのですが、我が家の家訓に“十歳までに自立せよ”というものがあります。私はもう八歳ですし、きっと両親も私の自立に関しては安心してイフィラ神の許へと旅立ったことでしょう。ですから、私は両親の期待に応えなければなりません。しっかり自立して弟妹を養い、妹を立派に育てて、ゆくゆくはサラも立派に自立できるようにするつもりです。……ですが、どうしても甘えたくなったときはラセットさんに会いにきますから、そのときはまた美味しいご飯を食べさせてもらってもいいですか?」
またまた可愛い事を言ってくれる。
そんなの大歓迎に決まってる!
「リクちゃん……! いいわよ、いつでも遊びにきてね!」
私はいつ彼女たちが遊びにきても、優しく、温かく迎え入れようと心に誓った。
この日の夕方。
旦那が必死に笑いをかみ殺したような顔で仕事から帰宅した。
聞けば、どうやらリクちゃんが冒険者ギルドで依頼を受ける前だというのに、早くも異名を手に入れたという話が余程面白いらしかった。
一体どういうこと?
「それが、今日は急遽休むことになった門番のロンドの代わりに門番してたんだけどさ、門番の館舎に行ったらすぐに冒険者のリッジがあいつと同じくらいの体格の男を担いできたんだよ。何事かと思ったらその男がギルド職員に手を出して乱闘騒ぎになったらしいんだけど、何と、たまたま居合わせたリクちゃんが、何とっ……」
旦那は思い出し笑いでその先が言えなくなってしまう。
えぇ、凄く気になるんだけどっ!
「何と? 何なのよっ」
「ふふっ、そう、何と、だな、状況を察したリクちゃんが飛び蹴りでその男を気絶させたらしくて。で、軽々とその男を持ち上げて、城門の外に捨ててくるって言ったらしいんだ……ふっふふふ」
「まぁ!」
なんて素晴らしいんでしょう!
ひとりの女性の敵は全ての女性の敵!
リクちゃんは正義の味方だったのね!
……それにしても、今、大男を軽々と持ち上げたって言った…?
まさか、ね。
「それで、どういう異名が、どうしてついたのかしら?」
「あぁ、それが、被害に遭った女性職員に“今後また女の敵が現れたら私が成敗します”って言いながら宥めて、その職員を休ませるためにお姫様抱っこして、近寄ろうとするギルドの男どもを視線だけで牽制して……って、もう、下手な男よりか男らし過ぎる経緯があって、ついた異名が“番犬”だってさ」
「番犬! えぇっ、もっと可愛くて勇ましい異名じゃないとリクちゃんがかわいそうだわっ!」
例えば……例えば?
あら? 思い付かないわ??
「ふふっ。でもな、その異名は男どもの間で通ってる異名なんだよ。ギルドの女性職員と女性冒険者たちからは、影で“騎士様”って呼ばれ始めたらしい」
「まぁ! 素敵!! そうね、優しさと勇ましさと礼儀正しさがリクちゃんらしいわ!」
“騎士様”!
オルテナ帝国は仮想敵国が騎士国ランスロイドだから、「騎士」という職業はこの国には存在しない。
けれどオルテナ帝国の女性たちのあいだではアールグラントの騎士は勇猛かつ紳士的だという話が割と有名で、勇敢で優しいとか、強くて紳士的とか、そういう人に対して憧れを込めてこっそり“騎士様”と呼ぶのはよくあることだった。
まさかリクちゃんがその仲間入りをするとは思わなかったけれど、素敵な異名であることには違いない。
今度リクちゃんが来たら“騎士様”って呼んでもいいか、聞いてみようかしら?
後日、リクちゃんたちが露天で買ったらしい串焼きを持って遊びに来た。
早速リクちゃんに「“騎士様”って呼んでもいい?」って聞いたらタツキくんが笑い出し、釣られてサラちゃんも笑い出し、当のリクちゃんには羞恥に耐える表情で視線を反らしながら「か、勘弁して下さい……」と拒否されてしまった。
素敵な異名なのに、残念だわ。
* * * * * ララミィ * * * * *
私はギルド職員になってから三年目の、まだまだ新人に近い立場にいる。
しかし日々の仕事は何とかこなせているし、丁寧に対応していれば冒険者の皆さんも気分よく応じてくれていた。
とても順調だ。
私はこの仕事にやりがいを感じていた。
時々酒場の方で喧嘩はあったけれど必ず良心的な冒険者さんが治めてくれていたし、恐い目に遭うことなどなく、平和な日々を過ごしていた。
それがあの日、音を立てて崩れた。
私はあの日の恐怖から、未だに立ち直れずにいる。
突然腕を掴まれ、受付から引っぱり出されそうになったあの時の恐怖が忘れられない。
男の人が恐い。
それは男性の数が多い冒険者ギルドの受付としては致命的な感情だった。
しばらくは上司のルヴィアさんも気遣って様子を見てくれていたけれど、ついに今日、受付に戻るかほかの配置につくか問われた。
正直、今の状態ではとても受付に戻れそうにもなかった。
他の冒険者さんたちが親切なのはあの日にも実感したことだけど、そう思う気持ちとは裏腹に恐怖は消えてくれなかった。
だから、ルヴィアさんにもし受付に戻れない場合はどうなるのか聞いてみた。
すると、給金は下がるけれど裏方の仕事なら空きがあるからそちらに回すこともできる、とだけ言われた。
それが嫌なら、ギルドを辞めるしかない。
そういうことだろう。
本心としては受付を辞めたくない。
こんなにやりがいのある仕事がほかにあるとは思えない。
けれど、男の人が恐い。
その思考のループから抜け出せず、苦しくなる。
私は一体どうしたらいいのだろう?
「こんにちはー」
最近聞き慣れてきた少女の声がギルド内に響いた。
「よぅ、リク。今日も討伐依頼か?」
「そうですよ。きっちり稼いで今日もおいしいご飯を食べて、ふかふかのベッドで眠るんですよ!」
「何だそりゃあ」
「みなさんはちょっと、贅沢に慣れ過ぎてませんかね。すごく大事なんですよ、おいしいご飯とふかふかのベッド! 最強の幸せコンボですよ!!」
少女の力説にギルド内に和やかな笑いが溢れた。
「しあわせーの、こんぼですよ!」
少女の妹が姉を真似て言えば、それに癒された普段は乱暴に話す男性たちが「そうかそうか、幸せなのはいいよなぁ」なんて猫なで声で応じる。
その反応に少女がむすっとした顔になった。
「何でサラが言うと納得で、私が言うと納得してもらえないんですかね。まぁ、いいですよ。さて、今日はどの依頼を受けましょうか」
「あっ、おい、その56番は俺んだからな!」
「47番は俺のだぜ!」
「62番は—……」
「あぁ、はいはい、大丈夫、大丈夫ですよ。全部私が片付けて差し上げますからね。えぇと56番と47番と……あれ、討伐依頼は二つまででしたっけ」
ぎゃーっ! と、狙っていた依頼番号を口にされた男性たちの悲鳴があがり、慌てて少女に依頼を取らないように懇願し始める。
少女は「どうしましょうかねぇ〜」「あ、じゃんけんで私に勝ったらお譲りしますよ」とか返しているけれど、「お前の動体視力相手に勝てる気がしねぇ!」という悲鳴がさらにあがるばかりだ。
そんなやりとりを耳にして、思わず私は笑ってしまった。
あの少女……リクさんがいると、何だか妙に安心する。“騎士様”がギルド内にいれば、男の人も恐くない。
私は意を決して、受付の奥にある補助員の席から受付側に顔を出した。それに気付いた冒険者たちがざわめいたけれど、私を気遣って騒ぎ立てずにいてくれた。
まだ男の人は恐いけれど、本当に優しい人たちなのだと再確認する。
私は震えてしまいそうな声で、「リクさん」と、少女に声をかけた。すでにこちらに気付いていたであろうリクさんは、私の呼びかけに笑顔を浮かべて駆け寄ってきてくれた。
「こんにちは、ララミィさんっ。私の受付して貰えませんか? えぇと、56番と47番の……」
「っぎゃぁー! やめて頼む後生だから!!」
「……冗談ですよ、もう。冷静に考えてみて下さいよ。56番と47番はランク違いで私には受託できませんからね。すみません、ララミィさん。今日は35番と43番でお願いします」
そう言いながら冒険者カードを差し出してきた。
毎日確実に討伐依頼を二つずつこなすリクさんは、この街に来てわずかひと月でランクアップしている。
と言っても低ランクのものをコツコツと積み重ねているので、まだランク2だけれど。
あの見事な飛び蹴りを披露したリクさんの身体能力ならランク4くらいの実力はあるだろう、というのがリッジさん含むギルドの常連とギルド職員の見解だ。
しかし特例は作れない。そしてリクさんも気にせずにコツコツと仕事をこなしてくれている。
このまま順調にいけば、半年後にはリクさんもランク4に到達できるだろう。
私は受付に座っている後輩に視線を向ける。
私がリクさんの受付をしていいか確認しようとすると、後輩は嬉しそうな顔で頷いてくれた。
本当に、私は恵まれた職場にいる。
「では、お預かりしますね。35番、南のネイブの森の緑小鬼退治。緑小鬼を5匹討伐でランク2。43番、灰猪の毛皮を5匹分収集、皮は加工せずに納品。こちらもランク2。以上、問題なく受託可能です。こちらの2件でよろしかったですか?」
「はい、お願いします」
「承りました。では受託処理をいたしますので、少々お待ち下さい」
私はリクさんから冒険者カードを預かり、バックヤードで受託処理を行う。
この処理はすぐに済むので、そう待たせずに受付に戻った。
するとリクさんが他の冒険者たちに囲まれていた。
「あのですね、そうやって雁首揃えて迫るから怖がられるんですからね? もう少し温かく様子を見てあげて下さいよ。みなさんだってララミィさんに受付に戻って欲しいんでしょう?」
「もちろん!」
「いいですか、心の傷っていうのは治すのに時間がかかるものなんです。焦ってショック療法なんてやっても傷がさらに広がるだけですよ。特に今回みたいな場合は──あっ、ララミィさんっ!」
慌てて散っていく冒険者の皆さんと、慌てて受付側に向き直るリクさん。
……ばっちり聞こえてしまいました。
何ともいたたまれない気分になりつつも、でもほかの冒険者さんたちがどんな姿勢で私を見守ってくれているのかがわかって、何だか泣きそうになった。
嬉しくて、有り難くて。
私はリクさんに冒険者カードを返し、ちらちらと振り返りながらギルドを出るリクさんに手を振ると、すぐさまルヴィアさんの許へと向かった。
ルヴィアさんはバックヤードの奥で書類仕事をしていた。
急に現れた私に驚いた顔をしたけれど、すぐにいつもの優しい微笑みを浮かべると、
「決心がつきましたか?」
と、問いかけてきた。
まるで何もかもお見通しだと言わんばかりに。
「はいっ! 私、受付に戻りたいです。明日にでも……いえ、すぐにでも!!」
何も恐れることはない。
私には、“騎士様”という心強い味方もいるのだから。




