1.【リク】誕生〜幼児期 前世を思い出す。
この世界に私が産み落とされたのは、天歴2506年。春のこと。
最初に目に飛び込んできたのは、一組の男女。
湖面を思わせる薄青と鮮やかな緑が織り成す美しい虹彩の瞳。白銀の髪。色白な肌。整った顔立ち。こめかみの上に黒い角が左右対称に生えている。
私の両親だ。直感的にそう思った。
両親は大層喜んだ。ふたりにとって私は念願の子供だったのだ。
しかし私の瞳を見た途端、喜びが嘆きに変わった。
言葉がわからない私には両親が何を言ってるのかはわからなかったけど、その嘆きようはまるでこの世の終わりのよう。
生まれたその日に過酷な運命が確定したかのような……。
そんな風に冷静に状況を観察している思考とは裏腹に、体の方はきゃっきゃと声を上げて両親へと手を伸ばす。
父は伸ばされた私の手を取ると、何やら祈りだした。母もそれに追従する。
二人は長く強く祈りを捧げ──
次の瞬間、光が生まれる。
光の中から現れたのは黒髪、黒目の少年。
その姿を見た瞬間、私の目から勝手に涙があふれ出た。
理由はわからない。けれど私は少年を見た瞬間こう思ったのだ。
会いたかった。
やっと会えた、と。
◆ ◇ ◆
一歳になった。
私は黒髪の少年に手を引かれ、やや覚束ない足取りで一歩一歩踏みしめるように歩いている。
この一年でいくつかわかったことがある。
まず、私の名前がセアラフィラだということ。愛称はセアだ。
今私の手を引いている少年の名前はタツキ。タツキは私の両親の強い祈りとその強力な魔力によって生み出された、私の守護精霊だ。
ちなみに私の種族は魔族。その中の鬼人系統に属する希少種の妖鬼だ。
妖鬼は育つと強力な魔力と多彩な魔術を操るようになる種族で、その力を一部の魔族に狙われ、その力のみならず希少性故に人族からも狙われている……と、以前父が語っていた。
そんなことを幼児に話しても普通は通じないだろうに。
でも私は理解していた。何なら、何故だかわからないけれど希少だと言われると欲しくなる心理も身に染みるように理解できた。
人間、希少とか限定って言葉に弱いよね。わかるわかる。
いずれにせよ、私はまだ自分の口で言葉を発することはできないけれど相手が言う言葉はちゃんと理解できるし、聞いた話を記憶することも、聞いた話について思考することもできた。
だから父と母が、私が紫目の魔王種であることで今後被るであろう苦難について口にしていたのも知っている。
紫目の魔王種。
それは魔族の中に、妖鬼以上に少ない数しか存在しない種のことだ。
魔族に限るが、紫目、金目、赤目で生まれた魔族は例外なく魔王種である。数としては何千万といる魔族の中に、多くて二十人程度。その名の通り、魔王に至る器を持つ者が魔王種。
ただ、全員が魔王になるわけじゃないらしいけれど。
その魔王種も難儀な運命を背負っている。
やはり魔王種も妖鬼と同じくその強大な力を一部の魔族に狙われ、人族からは人族と敵対しやすく戦争の火種になりかねない魔王が増えるのを阻止しようとする動きが強いため、命を狙われることもあるらしい。妖鬼以上に命の危険度が高い。
何とも厄介な話だ。しかしこれでようやく、私が初めて目を開いた時に両親が嘆いていた理由がわかった。
ただでさえ過酷な妖鬼の逃亡しながらの生活。そこに輪をかけた苦難が待ち受けている魔王種。
だから、私を……自分たちの娘を守って欲しいと願った。
後々知ることになるのだけれど、本来妖鬼の召喚関連魔術の才能は無に等しい。それを覆すほどの強い強い祈り。
その結果、タツキが私の守護精霊として顕現した。
精霊は通常自然から発生するものだけど、守護精霊は強い想いからごく稀に生まれる精霊だ。両親は見事、タツキを生み出すことに成功したのだ。
希少な妖鬼。
それ以上に数少ない魔王種。
稀にしか生まれない守護精霊。
チートだ。
チートの予感がする……!
……ん? チート??
何だっけ、それ。
まぁ、いいか。
ふと視線を前へ向けると、両親が鬼人族の集落から物資を仕入れて戻ってきた。魔族に狙われていると言っても全ての魔族に狙われているわけではないし、中でも鬼人族は同系統の種族なのでその限りではないらしい。
「リク、お父さんとお母さんが帰ってきたよ」
と、タツキが声を掛けてきた。
タツキは私のことをリクと呼ぶ。私の名前はセアラフィラなのに。
両親も同様の疑問を持っていたようで、以前タツキに問いかけたことがある。何故私のことをリクと呼ぶのか、と。
するとタツキはしまった、と言わんばかりに口元を押さえて苦い顔をした。そして、こう答えた。
「リクという呼称は、セアの僕との契約名なんだ。契約名は個人の名前じゃなくて、魂に刻まれている名前が使われる。だから僕はその認識に縛られていて、セアのことをリクという名で認識しちゃってるんだよね」
「魂に刻まれている名……真名のことかな?」
父の問いにタツキが頷く。
「僕も個人名はユハルドだよ。真名がタツキ。多分リクも僕のことはユハルドじゃなくてタツキとして認識してるんじゃないかな」
精霊とその契約者の間にはそんな法則があるらしい。なるほど、確かに私は目の前の守護精霊のことをユハルドではなくタツキだと思っている。
結局、私の呼び名はセアでもリクでもそれが自分の名だと私が認識して反応を示しているから、どちらで呼んでもいいということになった。私としても、どちらの名前で呼ばれても自分の名を呼ばれているのだと自然と理解していたので、気にしないことにした。
◆ ◇ ◆
三歳になった。
まだ滑舌は悪いけれど、両親やタツキと会話するのに困らない程度には喋りも上達した。すると両親は私に魔術を教え始めた。
妖鬼は魔術のエキスパートだ。精霊を使役したり魔獣を召喚したりするような召喚に関する魔術は適性が低くて扱えないけれど、それを除く魔術ならほぼ一通り適正があり、訓練次第で使えるようになるらしい。
すごいチートですね。
あー……チート。これもようやくどういう意味なのかがわかった。というのも、少し前から少し変わった夢を見るようになったからだ。
その夢は、今の私とは違う黒髪黒目の私が電車という箱型の乗り物に乗って会社というやはり箱型の建物に行って仕事をする夢だったり、今の両親とは異なる両親や弟や妹とご飯を食べていたり、仏壇という祭壇のようなものに向かってタツキに何かを語りかけていたり……と、様々だ。
そして目が覚める度、膨大な記憶と知識、感情……様々なものが私の中に流れ込んで、溶けた。
そんなことが一ヶ月ほど続いて、私は夢に見たもの、夢から覚めて得たものが何なのかを理解した。
あれは私の記憶。
それも、前世の。
なぜ突然前世の記憶が蘇ったのか。
その理由はわからないけれど、前世を思い出したことで前世最期の記憶も鮮明に蘇った。
嫌な予感がして、目を覚ましたのを覚えている。地震が来る直前に唐突に目が覚めてしまうような、第六感のような何かが働いたんだと思う。
漠然とした不安。
その時、家の外で何かが激しく光った。カーテンの隙間から漏れた光すら、目を焼くような閃光。
幸い直視を免れた私の目に、それは映った。
蒼い輝きを帯びた風。
風など目に見えるものではないのに、私はそれを風だと思った。
次の瞬間、とてつもない衝撃。遅れて、耳をつんざく爆音。激痛。
その記憶を最後に、全てが暗転した。
多分その時、前世の私は絶命したのだろう。
一体何が原因でそうなったのかはわからない。どうして命を落とさなければならなかったのかも。
だけど、私は生まれ変わった。この世界で、セアラフィラとして。
まるで小説や漫画のような荒唐無稽な話だ。でもこの三年、私は私としてこの世界で生きてきた。どちらかと言えば前世の方が夢なんじゃないかという感覚すらある。
けれど今……いや、生まれた瞬間から私は年齢に見合わない思考をしていたし、生まれてから今日までの記憶も結構しっかりと覚えている。現時点では前世で得たなけなしの知識もあり、前世の記憶も本物である、と主張している。
だから私はどちらも現実であると受け入れた。
前世の瀬田 理玖。
今世のセアラフィラ。
どちらも自分である、と。
前世の記憶を認めた結果、ひとつ納得できたこともあった。
それは生まれて間もない時のこと。守護精霊として現れたタツキを見て、涙があふれた理由。やっと会えたと思った理由。
それは、タツキが前世の私の双子の弟、瀬田 龍生だったからだ。
前世の龍生は生まれて間もなく息絶えてしまった子だ。もともと龍生は未熟児で私より体が小さく、心臓が弱かったそうだ。何とか生まれ出ることはできたものの、自力で生命活動を維持することができず……一声も泣かないまま命を落とした。
前世の私はよく仏壇で手を合わせ、龍生にその日あったことを報告していたのを覚えている。
その頃から会いたかった最も近しい存在。見た瞬間、そうとわかるほど前世の私によく似た顔。それ以上に、体の奥底から彼が龍生だという確信が涌き上がり、揺らがなかった。
その龍生が、今世では私の守護精霊として傍にいてくれる。それがただひたすら嬉しかった。
だから涙が流れた。やっと会えた、と思ったのだ。
でもまだタツキには、前世の記憶が戻ったことを伝えていない。タツキに私の……瀬田 理玖の記憶があるかわからないからだ。生まれてすぐに死んでしまって、死後のタツキの魂がどこに在ったのか、私には知る術がない。
でも今世では傍にいる。前世の私によく似た地味で素朴な顔で、笑いかけてくれる。
それで十分だと思った。だから何も言う必要はない。ただ、今度こそ、本当の姉弟になろうと思った。
見た目は精霊であるタツキの方が年上に見えるれど、私と同じ日、私よりも少し後に生み出された精霊だ。私の弟、でいいだろう。
そう考えるとつい笑みが零れてしまう。すると傍らにいたタツキが首を傾げた。
「どうしたの? リク。何か楽しいことでも思い出したの?」
問われてつい「ふふふ」と声を上げてしまう。
楽しいこと。そう、楽しくて嬉しいことを考えていた。
だから満面に笑みを浮かべたまま、ぎゅっとタツキの腕に抱きついた。
「タツキはわたしのおとうとだから、わたしがまもってあげるからね!」
やや舌足らずな声で言いながらタツキの顔を見上げると、タツキは少し驚いた表情を浮かべる。けれどすぐにそれは苦笑いに変わる。
「何言ってるの。僕はリクの守護精霊なんだから、リクが僕を守るんじゃなくて、僕がリクを守るんだよ」
そんなことを言いながら頭をなでてくれる。その優しい手の温もりに、私はちょっとだけ涙した。
きっと前世でも普通に成長していたら、こんな風に優しい子に成長していたんだろうなぁ……なんて思いながら。