13−2. 情報屋の結論
前話の、情報屋・ハインツ視点です。
それは、何の変哲もない日のことだった。
二日前にはこのアールグラント王国の王太子ハルト様の十歳の誕生日があって、国中がお祭り騒ぎだった。
まだ国民へのお披露目こそされていないものの、城に出入りしている商人たちが口々にハルト殿下が如何に優秀であるかを喧伝していた。
そのせいか、次の国王になるであろうハルト殿下の人気は鰻上りだ。
俺が掴んでいる情報でも、ハルト殿下はとんでもなく優秀だ。
剣術の腕は師に追いつかんばかりの勢いで伸び、魔術も風属性と土属性の魔術が得意で、神聖魔術に至っては教皇を除くどの聖職者よりも高いレベルで行使できる、と。
んで、僅か十歳にして既に国王陛下について、少しずつ政務を学んでいるらしい。
性格は温厚。努力家。身分に関係なく分け隔てなく接する、王族らしからぬ気さくな人物。
魂還りで両陛下には似なかったが幼いながらも整った精悍な顔立ちで、且つ平時はその性格ゆえか親しみを感じられる、とか。
城勤めの使用人たちからの人気も高い。
御年十歳にしては作り話みたいな優秀さと、できすぎている人物像だ。
だが俺は子供らしからぬ子供をもう一人知っている。ヨウトだ。
あいつを見ていると、嘘みたいな王太子様にまつわる噂もあながち外れていないんじゃねぇかと思えてしまう。
お祭りムードが去って落ち着きを取り戻した城下街を眺め、そんなことを呑気に考えつつ、この日も俺はいつも通り酒場で情報を売っていた。
今日は少しばかり込み入った案件の客が続いて、客が途切れた頃には夜中になっていた。こういうことは滅多にないが、滅多にないだけでないわけではない。
ここの酒場の場合、店主が激マズだけど栄養たっぷりだと豪語する飲み物を持ってきたら、そろそろ店仕舞いだという合図だ。
俺は差し出されたそれをしばし険しい顔で睨み、意を決して喉に流し込んだ。
まっず! 信じらんないくらい苦くて青臭くて匂いがまとわりついてきてもう言葉じゃ表現できねぇくらいまずいっ!
何とか飲み干してテーブルに突っ伏すと、マスターが水を持ってきた。
気遣うくらいなら最初からあんなモン出すなよな……とも思うが、そもそもあの激マズも気遣いで出してくれてることを知ってるから、無下にもできず。
有り難く水を飲み、今日一日の代金を渡すとふらりと立ち上がり、帰途についた。
外に出ると当然のように真っ暗だった。
明かりがついているのはどこも酒場ばかりで、道端には酔いつぶれた男どもが寝ている。幸い今は夏だからその辺で寝ていても死にやしないだろう。
俺は久々の遅い帰宅に疲れを覚えて、だるさを隠しもせずに歩いていた。路地裏に入り、角を幾つか曲がれば自宅だ。
ちょっと入り組んでいる場所に家を持ったのは、情報屋の仕事もそれなりに危険だからだ。いざとなったら路地裏の迷路で時間稼ぎもできるし、自宅に作ってある抜け道から逃げ出すこともできる。
正に俺にとっての砦だ。
いつも通りの道。いつもと違うのは、時間帯が遅いということくらい。
それ以外は本当に、何の変哲も無い日だったんだ。
この時までは。
後方からもの凄い速さで走る足音が近づいてきた。
こんな時間に元気なことだな。
そう思いながら、緩慢な動きで背後を振り返った。
目に映ったのは、こちらに向かって全速力と思われる速さで走ってくる、小さな影。
いやいや、何だあの尋常じゃない速さは。付与魔術でも使ってるのか? っていうかあのマントは……まさか。
ふと、その小さな影の主と目が合った。
琥珀色の瞳。ここ二年ですっかり見慣れた、あいつの目だ。
この時俺がどんな顔をしていたかなんてわからない。が、あいつは……ヨウトは、俺に気付くなり焦ったような顔になった。
このままだと激突する。俺もそう思ったし、ヨウトもそう思ったのだろう。
しかし疲れのせいか、俺は全く反応できず。
一方でヨウトは思い切り地面を蹴って飛び上がった。まるで巨大なバネでも足の裏に仕込んでいるのかのような跳躍力。
ヨウトは俺の頭上を飛び越え、屋根に届かん高さに到達するとくるりと宙で一回転。そのまま俺の背後に着地する。スタン、と着地した小気味いい音が背後から聞こえた。
な……なんだ、ありゃ。いくら付与魔術を使ってるっつっても、あんなに跳べるもんなのか……?
「ヨウト……?」
知らず知らずのうちに漏れた俺の声は、自分でもびっくりするくらい間が抜けていた。
背後に降り立ったヨウトを振り返ると、ちょうどヨウトも立ち上がりながらこちらを振り返ったところだった。
「こんばんは、情報屋の。仕事帰りか?」
苦笑しながら問うてくるヨウトは、いつもの涼しい顔だった。あんなに全力疾走していたのに、顔色ひとつ変えちゃいない。
俺は言葉を失いかけていたが、何とか頭を働かせて声を絞り出す。
今仕事帰りなのかって聞かれたよな。よし、とりあえずそれに答えておこう。
それと、子供がこんな時間に外を徘徊してることを叱ってやらんとな。それと……あーっと、そう、さっきの跳躍力が凄かったって言っとこう。
「あぁ、仕事帰りだ。お前はこんな時間に何やってるんだ? てかすげぇ運動神経だな」
うわっ、混乱しすぎて考えてたのと違う感じになった!
落ち着け、俺!
こちらの動揺に気付いているのかどうかは分からないが、ヨウトはちょっと困った顔で笑った。
「それはどうも。申し訳ないんだけど、今は説明している時間がないんだ。でもこのタイミングであんたに会えてよかったよ。ここを離れる前に、挨拶しておきたかったんだ」
……は? 何だって?
「ここを離れる……? どういうこった?」
唐突な発言に、思考が停止した。そのせいでいつも自分に言い聞かせている「詮索は御法度だ」という思考も働かなかった。
内心の自分の動揺っぷりに、誰よりも俺自身が驚いていた。しかしヨウトはお構いなしに話を続ける。
「それはまた次の機会にでも話すよ。今はここから離れるけど、いつかこれまでの礼をしに戻ってくるから、その時にでも……」
今はここを離れる。
でもいつかまた戻ってくる。
その言葉が脳に届く。
「とにかく、これまでいろいろと助けてくれてありがとう。おかげで期限内に準備を整えることができた」
いつものように行儀よく頭を下げて礼を言うヨウトの姿を見て、俺は漸く落ち着きを取り戻した。
すぐさま思考する。
ヨウトはここを離れる。
こことは王都のことを指しているのだろう。でも離れるのは一時的なもので、いつかはまた戻ってくるつもりでいるらしい。
何故王都を離れようとしているのか。
それは今は話せないようだ。でも戻ってきた時には話してくれるようなことを言っている。
そして今はとにかく急いでいるようだ。急いで王都の外に出ようとしている。
だったら俺は、それを教えてくれたヨウトにどう応じるべきだろうか。
たぶんヨウトは自分が王都を離れることを親や周囲には話していないのだろう。だから急いでいる。見つかるのはマズいからだ。
なら、俺にも手助けできることがある。
……ま、もうここまで関わってきたんだ。
関わるなら、とことんまでだ。
俺はヨウトの腕を掴んだ。
ヨウトは突然のことにぎょっとした顔になるが、構わずその腕を引く。
「事情はよくわからねぇが、状況はわかった。お前はここを離れる。それも大急ぎで、だ。だったらいい抜け道を知ってる。ついてこい」
そういうことだ。事情はわからないが、状況は把握できた。
だったら、使わせてやろうじゃないか。俺のとっておきの、王都外に通じる抜け道を。
路地をさらに幾つか曲がると一軒の、何の変哲もない建物に到着する。俺の家だ。
迷路のような路地裏の、周囲と何ら変わらない、目立たない家。俺にとっては最高の砦だ。
「俺の家だ」
そう告げて、俺はヨウトの腕を掴んだまま扉の鍵を開け、自宅に入る。
入ってすぐにあったテーブルの上のカンテラに火を入れると、それを持って別室に移動した。
移動した先は、台所だ。
「ここだ」
俺は足下の床に敷いたマットを指差した。
が、ヨウトは何を言われているのか理解出来ないと言わんばかりの顔で見返してくる。
まぁそうだろう。何も説明してないからな。
俺はヨウトの腕を放し、床からマットを退け、その下にあった床から生えているロープを両手で掴んで引っ張った。これが結構重い。
重たげな音を立てて床板が持ち上がり、次に横方向へスライドさせる。動かした床の下から、真っ暗な縦穴が姿を現した。その側面には下へと降りるための梯子が掛けてある。
「ここを通れば街の外に出られるぜ。情報屋なんてやってるといつ危険な目に遭うかわかったもんじゃないからな。だからこうして家の中にも壁の外まで逃げられる抜け道を作ってあんだよ。ここを降り切ったら、他の道は気にせず北方向を目指せ。T字路に出たら左方向を選べば、城壁の外にある古井戸に出られる」
俺はつい自慢げに説明する。
何せこの家を含め、この抜け道も俺にとっては自慢の種だ。
「いいのか? こんな大事な抜け道、俺に教えちゃってさ」
ヨウトが真剣な顔でこちらを見てくる。
何だ、その顔は。遠慮すんなよ。そんな気持ちを込めて俺はヨウトの背中を叩いた。
思いのほか力が乗っちまったようだ。ヨウトに睨まれたが、気にしない。なんせヨウトが悪い。水臭いことを言うのが悪いんだからな。
久々に遅くまで仕事をしていたせいか些かテンションがおかしくなっていた俺は、普段だったら絶対本人には言わないようなことを口走る。
「ヨウト。俺はお前のことを気に入ってんのさ。何をするつもりかは知らねぇが、お前が考えなしに行動するとは思えねぇ。だったら理由なんて分からなくったって、手を貸したくなるってもんだ」
そう伝えると、ヨウトは首を傾げた。
「そういうもんかね」
お、まだ疑うか。
「そういうもんさ」
ニッと笑って返すと、ヨウトも口許を緩めた。
漸く信用してくれたようだ。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そう言い合って、何だか可笑しくなって笑い合った。
相変わらずヨウトは「ありがとう」って言うんだな。
こいつは対価を払っていようが何だろうが必ず礼を言う。最初こそ直感で気に入ったんだが、こういう律儀なところがさらに気に入った要因のひとつなんだろうな、と自己分析する。
ひとしきり笑ったあと、ヨウトは早速梯子に足をかけた。
おっと、そうだ。そろそろ付き合いも長くなってきたしな。名前くらい名乗っておくか。
「ハインツだ」
と、何の前振れもなく名乗る。唐突すぎたのか、ヨウトが間抜けなほどきょとんとした顔になった。珍しくもちょっと面白い顔だ。
「俺の名前だよ。ハインツ」
俺が改めて名乗り直すと、「あぁ。何だ、急に言うから何かと思った」と、ヨウトは口をへの字にして肩を竦めた。
しかしさっきのきょとん顔を思い出してしまって吹き出し笑いを始めると、ヨウトは不満気な様子でこちらをしばし眺めてきた……が、不意に悪そうな笑みを浮かべた。
お、こんな顔もするんだな。
てか何企んでんだ、こいつ。恐っ!
「では、名乗りには名乗りでお返ししましょう」
悪い笑顔のままヨウトは口調を変え、梯子から離れた。
続いて、恐らく俺のような一般人は一生目にする機会などなかったであろう優雅な仕草で一礼する。
そして、爆弾発言をした。
「私の名はハルトと申します。是非、改めてお見知り置きを」
なん……だと……!?
一瞬にして、俺の頭の中は真っ白になった。
にこりと微笑むその顔は一般人とはかけ離れた優美さで、その立ち居振る舞いも気品に溢れている。
瞳に宿るのは常に見せていた意志の強さ。
僅か十歳の少年ながら、その姿からは王族としての風格すら感じられた。
これまでヨウトからは隠しきれない育ちの良さが漏れ出ていたが、そんなものの比ではない。これは一度もヨウトが俺に見せてこなかった、こいつの本来の姿なのだ。
……いや、“ヨウト”じゃないのか。
こいつは……この人は、アールグラント王国王位継承権第一位“ハルト殿下”だ……!!
その時俺は自分がどんな反応を返していたのか全く覚えていない。
ただ、目の前で貴人然とした微笑を浮かべていたハルト殿下はその表情を崩して、悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべた。
それもすぐに元の貴き者の微笑みに戻る。そしてハルト殿下はこう言い放った。
「それでは、ハインツさん。抜け道は有り難く使わせて頂きます。それとさっき申し上げた通り、今回受けたご恩も含めてこれまでに受けたご恩はいつか必ず返しに戻って参りますね。あと、もしかしたら私を探して誰かしら尋ねてくるかもしれませんが、知らぬ存ぜぬを通して下さい。恩人にご迷惑をおかけするのは本意ではありませんので。では、失礼します」
ハルト殿下は再度優雅に一礼して梯子に手足を掛けると、抜け道の闇の中へと姿を消した。
俺は暫くハルト殿下が消えていった抜け道の闇を眺めていた。
明かりが届かない深さに到達して手元が見え難くなったのか、不意に小さな光が現れた。恐らくハルト殿下が魔術で光玉を作ったのだろう。確か神聖魔術にそんな魔術があったはずだ。
その光もすぐに見えなくなる。ハルト殿下が横穴方向へ移動し始めたのだ。
それを見送るなり呪縛から解かれたように体の力が抜け、俺は床に座り込んで項垂れた。
ちょっと考えればわかることだった。
顔は国王陛下やお妃様には似ていないが、黒髪に琥珀色の瞳は国王陛下と同じだ。
そして年齢。ヨウトの年齢がハルト殿下の年齢と近いことには気付いていた。だからヨウトはハルト殿下の従者、もしくは騎士候補になるんじゃないかと思い込んでいた。
俺は、ヨウトがハルト殿下その人であるとは微塵も考えていなかったのだ。
そりゃそうだ。普通まだ十やそこらの、しかも王位継承権第一位の王子が供も連れずにひとりでふらふらと城下街にやってくるなんて、誰が思うだろうか。
だがこれでようやく繋がった。
“ヨウト”が何故最初にあんな依頼を出したのか。
“ハルト殿下”は自分の能力が同年代の子供と比べて異質であると気付いて、それが神位種の特徴に一致すると知って、本当に自分が神位種なのか探ろうとしたんだろう。
そして恐らくその時にはもう、自分が神位種であると判明したらアールグラントという国自体から離れる覚悟を決めていた。
ハルト殿下はその地位も名誉も何もかもを捨ててまで、勇者になることから逃れる道を選んだのだ。
王太子という立場でありながら出奔したらもう国にはいられない。
生まれた瞬間からその身に課せられていた王族の義務と責任を払いのけ、さらには勇者としての義務と責任をも拒絶して、逃げ出すのだ。当たり前のように、失うものも大きい。
それこそ何もかもを手放して、その身ひとつで生きていけるだけの力を手に入れねばならなかった。
だから冒険者ギルドで依頼をこなしていたのだろう。
だから周辺国の情報を聞きたがったのだろう。
来たるべきその時に備えて。
そして恐らく今日、もしくは昨日、神殿から直々に神託が告げられたのだ。
一刻も早くこの国を去らねばならなかったのはそのせいだと思われる。
それほどまでに頑なに、あの小さな王太子様は勇者になることを拒んでいたのか。
そりゃあそうか。勇者なんて危険極まりない運命を自分の意志とは関係なく背負わされるんだからな。
ただでさえ王族の、しかも次期国王としての義務と責任を背負っていたのに、そこにさらに神位種の義務と責任まで背負わせるとは……神様とやらは何て残酷なことをしやがるんだろうか。
いくらハルト殿下が子供らしからぬ思考の持ち主でも……いや、むしろそうであるからこそ、耐えられるはずがない。俺だったらそのどちらかの義務と責任だけでも逃げ出したくなる。
そこまで考えて、ふと気付く。
恐らく、ハルト殿下は神位種でなければこんな行動を起こさなかったはずだ。それは行動を起こしたタイミングから察することができる。
つまり、神位種でさえなければ将来国王となることを受け入れていたのだろう。
にも関わらず自分が神位種であると知って、一体どれほど悩み、考えて、確固たる意志で勇者となる道を拒絶し、これまで積み重ねてきたものを手放したのだろう……と。
やるせねぇなぁ……。
でもそうか、そうだったのか。
俺は、一人で勝手に納得した。
ヨウトがハルト殿下だったのか。
なら、あのできすぎなハルト殿下の噂も全部が全部虚飾ってわけでもないんだろう。
この国では多くの人々がハルト殿下の治世に夢を見始めていた。俺も例外じゃない。
実際ヨウトがハルト殿下だったんだから、期待の持てる未来もあったんだろうと思う。
でも一方でこうも思う。
ハルト殿下はヨウトだったんだから、きっと大人しく玉座に収まっちゃいないだろう、と。
あの王子は自分の足で歩き、自分の目で確かめて決断し、自ら行動を起こす人間だ。
そんな性格だったからこそ、ハルト殿下は自分が望まぬ役割を拒絶するために、玉座も何もかもを手放す決断をした。それは疑いようもなく、ハルト殿下が自分自身のために決めたことだろう。
傍から見れば自己中心的な決断に見えるだろうが、やはりその行動力には目を瞠るものがある。
もしハルト殿下が神位種でなかったなら、その行動力と決断力でこの国を新しい方向に導いていったのかも知れないな。
ま、今更そんなことを考えてもしょうがないんだが。
しかしあれだ、きっと明日は城やこの城下街は大騒ぎだろうなぁ。
中には王族の義務と責任を放棄したハルト殿下を罵る人間も出てくるかもしれない。
だが俺は本人と関わりがあったせいか、外の世界へと飛出していったハルト殿下を思うと実に“らしい”としか思えず、腹も立たなかった。
むしろ、こう思う。
どうか自由に生きてくれ。
存分に、思うがままに生きてくれよ、我が小さき友よ。
……なんてな。
らしくねぇな。やっぱ今日は働き過ぎて疲れてんだな。
早いとこ、眠っちまおう。