エピローグ 〜小さな伝承〜
天歴2530年、ひとつの大国が中央大陸に誕生した。
その名も、アルスト・アロメス国。
世界最強の魔王と言われていた魔王ルウ=アロメスが建国し、武を尊ぶ風潮の強い国として立ち上がったその国は、やがてひとりの女性によって大きな変革を遂げる事となる。
その女性に関しては一説によると人族であったと伝えられているが、その他の情報はどの文献にも残されていない。
しかし、自由を謳歌し、戦いに明け暮れていた魔王にして国王でもあったルウ=アロメスが、突如真面目に国を整え出したのは彼女の影響だと伝えられている。
やがて女性が寿命を迎えて眠りにつくと、その数年後、当時この世界最古の魔王でもあったルウ=アロメスも静かにその人生の幕を閉じた。
魔王ルウ=アロメス亡き後は彼の配下であった青年魔族が子のいなかったルウの後を引き継ぎ、今も尚、アルスト・アロメス国の発展へ向かう勢いは留まる所を知らない。
アルスト・アロメス国が誕生するより前に建国された国ではあるが、同時期に頭角を現した国がある。
それが東大陸の多種族国家、フォルニード王国。
魔王のひとりにして国王でもあるマナ=フォルニードはそれはそれは美しい国王であり、しかし美しいだけではなく、決断力と決断後の行動力に優れた王でもあった。
彼女の傍らには常に、赤毛の魔王が寄り添っていたという。
傍から見たら相思相愛のこのふたりの魔王が婚姻を結んだのは、建国百年を迎えた時の事だった。
ふたりは長命を得た魔王であるが故に長い年月を共に支え合いながら、国を立派に作り上げた。
交易で大成したこの国ではどの種族も分け隔てなく暮らせる環境が整っており、フォルニード王国を訪れた人々はそこに暮らす人々の多様性に驚ろかされるそうだ。
更に東大陸には、同時期に三つの国が誕生している。
元々はオルテナ帝国という国があった地には、西側にアルトン共和国という国が。東側にグラード国という国が建国された。
アルトン共和国はオルテナ帝国で唯一、“聖護の魔王”によって戦禍から守られた城塞都市アルトンを中心として発展した国だ。
一方グラード国はイフィラ教の本拠地でもあるエルーン聖国の支援を受けた、白神種が集まる小さな国。
どちらも穏やかな国で、厳しい環境にありながらも農業や商業を中心に発展している。
もうひとつの国は、元騎士国ランスロイド跡地に作られた、ランスロイド王国。
国が滅びるほどの戦禍を逃れ、生き延びた元騎士国ランスロイド国民たちの国だ。
初代国主には戦禍から復興する際に指導者としてエルーン聖国から派遣されていた王子が就任し、国の基盤を作り、善政を敷いた。
国土にある山から豊富な金属が産出される事から、武器や防具、生活用の金属製品を特産品として取り扱い、見事復興を遂げ、更なる繁栄を重ねている。
◆ ◇ ◆
「シグリルさん!」
依頼されている各国の情報を資料としてまとめる作業をしていると、窓外からまだ声変わりをしていない少年の声が聞こえてきた。
手元から顔を上げて見遣れば、快活な笑顔を浮かべた獣人の少年と気弱そうな人族の少女が、こちらに向かって手を振っていた。
「こんにちは」
私はにこりと微笑んで挨拶の言葉を口にする。
すると獣人の少年と人族の少女も「こんにちは」と返してくれた。
そしてそのまま窓辺まで駆け寄ってくる。
「シグリルさん、今忙しい?」
おどおどと少女が上目遣いで私を見てくる。
忙しいかと聞かれたらまぁ、忙しいのかも知れない。
けれどまだたくさんの時間が残されている私からしたら、そんなに急がずとも依頼されている作業はいずれ終わるだろう、という楽観的な感覚がある。
今まとめている資料も特に期限は決められていないし、依頼者が生きている内に渡せればいいだろう。
「忙しくないよ。私に何かご用?」
問いかけると少年と少女は互いに顔を見合せ、少年は満面の笑みで、少女は控えめながらもそうとわかるくらいの笑顔を浮かべた。
「今日もあのお話が聞きたいんだ!」
「あのお話?」
そう言われても、たくさんの物語を語ってきた私には少年が言う物語が何なのか特定する事ができず。
首を傾げていると、少女が頬を上気させながら声を上げた。
「あのね、魔王様のお話が聞きたいの!」
「えぇと……どの魔王様のお話かな」
魔王に関する物語も複数語ってきている。
更に彼らが求める物語を絞り込もうとすると、ふたりは声を揃えて「“居眠りの魔王様”!」と言った。
私は一度目を見開いて、けれどすぐにおかしくて笑ってしまった。
どうしてそんな呼び名がついてしまったのだろうかと考えた所で、ひとつの原因に思い当たった。
原因の一端、それは自らの夫であるレスティにある。
レスティは私に隠れて“聖護の魔王様”の物語に憧れる少年少女たちに、「“聖護の魔王”はある時期を境に昼寝ばかりするようになった」とおもしろおかしく話して聞かせているのだ。
それでも“聖護の魔王様”人気は衰えるどころか、むしろ親しみを持たれるようになったのだけど。
一体レスティはリク様をどういう風に伝えたいのだろうか。
後でしっかり問いつめておかなくちゃ、と心に留めておく。
「それは、“聖護の魔王様”の事?」
気を取り直して確認すると、少年と少女は「あっ……!」と声を上げて気まずそうに視線を泳がせた。
「そう、その……“聖護の魔王様”のお話」
気まずそうにしながらも、肯定の言葉を返してくる少年。
少女も少年の隣でこくこくと頷いている。
きっと彼らは私が“聖護の魔王”を直接知る人間である事を知っているから、“居眠りの魔王様”と言った自分たちの言葉を失言だと思ったのだろう。
でもきっとリク様なら、“聖護の魔王”よりも“居眠りの魔王”の方が喜びそうな気がする。
何せリク様が持つ数ある異名の中で最も好んでいた異名が、他の耳触りの良い異名ではなく“番犬”だったのだから。
そんなリク様は、“居眠りの魔王”という異名が付く原因ともなった中央大陸での戦いの後、別人のような姿でフォルニード村に戻ってきた。
私やレスティがフォルニード村を訪ねて行った時には一日の大半を寝て過ごしていて、顔つきや髪色、瞳の色などは私が良く知るリク様と変わりなかったけれど、その姿はまるで違う種族になったかのようだった。
あまりの姿の変わりように、それほどまでに厳しい戦いをくぐり抜けてきたのだと思うと、私も他のみんなと同様に胸が痛んだ。
しかし同時に、別の感想も抱いた。
神々しい。
まるでこの世の生き物ではないかのような神秘的な美しさに、言葉に出来ない感動が私の胸を打った。
かつて漆黒だった角は根元は漆黒のまま、その先は紫、先端に向かうに連れて純白の魔石へと変化していた。
元々色白だった肌は更に白く、けれど不思議と冷たさを覚えない透明感。
手の甲には鱗が数枚張り付いており、リク様のすぐ横で丸くなって眠っている小さな純白の竜と同じ色合いをしていた。
その純白の竜に関しても、レスティに言われるまでその竜がかつて黒神竜だったブライである事に、私は気付けなかった。
何故リク様と黒神竜のブライがこのような姿になっているのかハルト様に話を聞いた所、中央大陸での戦いはやはり、語り尽くせないほどつらく厳しいものであったらしい。
最後の最後で大災害を引き起こしかねない事態が起こり、リク様と黒神竜のブライが命を懸けてそれを止めるべく行動した。結局最後は魔王ルウ=アロメスの尽力で危機を脱したのだとか。
しかしリク様と黒神竜のブライは体の大半を失い、方法は言えないそうだけど、体を作り変えなければその場から動く事も出来ない状態になっていたのだそうだ。
その結果、今のこの姿になったのだという。
ふたりがほとんど眠ったままなのも、体を作り変えた際の負担が影響しているのだろうと言っていた。
「世界最強の魔王ルウ=アロメスよりも、実は“聖護の魔王様”の方が強かったって本当?」
昔の記憶を掘り起こしていると、不意に少年が問いかけてきた。
私は意識を現実に引き戻しながら一瞬だけ悩み、けれどすぐに、確かめようのない答えを求めるのはやめた。
「さぁ、どうだったのかなぁ。おふたりは割と仲が良かったから喧嘩をするような事もなかったはずだし、私にはちょっとわからないかな」
「「えーっ!」」
少年と少女が声を揃えて残念そうな表情を浮かべる。
私はそんなふたりを微笑ましく思いながら見つめると、「それで、“聖護の魔王様”のどのお話が聞きたいの?」と問いかけた。
するとふたりは再び顔を見合せ、視線で互いの思考を探り合うように見つめ合う。
沈黙することしばし。
やがて結論が出たのか小さく頷き合うと、改めて私の方へと向き直った。
そして。
「「城塞都市アルトンの戦いのお話!」」
見事に声を重ね、ふたりは期待に満ちた瞳を輝かせた。