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魔王候補になりました。  作者: みぬま
第6章 始まりが終わるとき
142/144

122. 去った者、残された者

 魔石の雨と共に、ルウが地面に降り立った。

 ちらりと視線を白神竜に向けて眉間に皺を寄せると、そのままこちらに向かってくる。


「神竜が全身魔石化するほどの魔力量が、あの魔法陣に込められていたのか。もしその状態だったら、俺様でもどうにもならなかったな……」


 ルウは彼らしからぬ真面目な声音で、苦い表情を浮かべながらやってくると、完全に魔石化したブライの前で立ち止まった。

 じっとブライの顔を見上げて、小さくため息を吐く。


「おい、タツキ。こいつを助ける手立てはあるんだろ?」


 ルウの問いかけにつられるようにしてタツキへと視線を向けると、青い顔をしたタツキがゆっくりと体を起こしているところだった。

 激しい疲労感からいまだ脱する事ができていない様子のタツキは、目を凝らすようにしてルウを見ると大きく一呼吸し、思いの外しっかりした口調でルウに言葉を投げかけた。


「ルウ。一部でもいいから、ブライの魔石化を解除できる? っていうかできるよね、君の“巻き戻し”能力なら」


 巻き戻し能力?

 今度はルウの方へと視線を向けると、ルウがじっとブライを見上げながら「やるならあの辺だな」と呟いて手をかざした。

 ルウの手の平が向いているのは、最後に魔石化したブライの頭部。

 微かに赤い光がルウの手に宿ったかと思った瞬間、ブライの頭部の魔石化が突如解除された。

 解除という言い方が正しいのかはわからない。

 けれど魔石が溶け、(ほど)けた魔力の塊がまるで液体のようにどろりと地面に落ちながら再度魔石化する様子が、私の目に映った。

 恐らく魔石化した魔力を一旦ただの魔力の状態に戻してブライから剥がし、剥がれた魔力を再度魔石化させたのだろう。


 それにしても、巻き戻し能力かぁ。

 そう言われてみれば、ルウのこの能力も違う形だけど見た事があったな、と思う。

 以前ルウはハルトに……更に言えばゴルムアにも、腕を切り落とされた事がある。

 けれどその腕は切り落とされた直後に、まるで何事もなかったかのように元通りの状態に戻っていた。

 あの時もその“巻き戻し能力”を使っていたのだろう。


 そんな過去の出来事と今目の前で見たブライの魔石化を解除した様子から察するに、状態、もしくは時間を巻き戻すのがルウの持つ巻き戻し能力の正体のようだ。

 そう考えると益々ルウの無敵具合がわかってげんなりする。

 最初からルウが手伝ってくれていたら、もっと安全に事は済んでいたはずなのに……と、恨みがましい気持ちになってしまっても仕方がないだろう。


 じっとりした目でルウを見遣っていると、私の視線に気付いたルウがばつが悪そうな表情を浮かべて頬を掻いた。

 ルウらしくなく殊勝な様子を見せている。


「……フレッグラードは、白神竜に呑まれて命を落としたよ」


 最終的には助けに来てくれたのだからあまり責めても可哀想かと思い、とりあえずそれだけは伝えておく。

 するとルウは一度目を見開き、眉間に皺を寄せながら視線を地面に落とした。


 その傍らでは、シスイに支えて貰いながらタツキがブライの前まで移動していた。

 タツキは真っ直ぐブライを見上げると、その能力を行使し始める。

 分解・再構成の能力だ。

 胴体の魔石はそのままに、ブライの頭部のみが分解されていく。


「リク……」


 何やら考え込んでしまったルウと、再構成能力を行使するタツキの姿を視界に収めていると、横合いから声をかけられた。

 しかし私の首から下は魔石化してしまって動かないので振り返る事も出来ず、横目で声の主の方を見る。

 “立ち尽くしている”という表現を当て嵌めるのにぴったりな様子で、ハルトが今にも泣き出しそうな表情を浮かべながら私を見ていた。


「なんて顔してるの」


 思わず笑ってしまう。

 体の表面は魔石化しているけれど、体の内部まではまだ魔石化していないおかげで、こうして会話も出来る。

 けれど体は動かせない。

 それが傍から見たらどれだけ痛ましく見えるのかを想像して、私は笑みを収めた。

 笑ってる場合じゃないか。これから私、どうしたらいいんだろう。

 そんな気持ちが、じわりと湧き出てくる。


 急に現実を直視して不安に襲われる。

 するとふらつく足取りながらも真っ直ぐ私のところにやってきたハルトが、ふわりと私を抱きしめた。

 魔石化した体では感触もなにもわからないけれど、頬に触れるハルトの温もりだけは伝わってくる。


「よかった……生きててくれて、よかった」


 声と肩を震わせてハルトが耳元で囁く。

 体を動かせない事に絶望しかけていた私とは違い、生きている事、その一点のみが何よりも嬉しいのだと、その言葉が、声が、ハルトから感じ取れる感情全てが伝えてくる。

 そんな風に思ってくれている事が嬉しくて、涙が出た。

 あぁ。私、まだ生きてる。

 生きていられるんだ、と思って。


 でも体が動かないのも事実だ。

 どうしたものかと思っていると、タツキが私の傍まで歩いてきた。

 そして、全く想像もしなかったような事を口にする。


「リク。リクが覚悟を決めてくれれば、僕の再構成能力で体を再構成する事も出来るよ」


 その言葉に反応して、私もハルトもタツキに注目した。

 タツキの手の平の上には、拳大の黒い霧状の何かが乗っている。

 恐らくそれは、ブライを構成していた魔力素だろう。僅かにブライの気配が感じられる。

 もしかしたらそこに、ブライの魂があるのかも知れない。


 タツキは私とハルトの視線を受けて、真剣な面持ちで白神竜の方を見遣った。


「ブライとリクの魔石化した体は分解すると取込んだ魔力までもが分解されて、再びあの膨大な魔力が、今度は器も何もない状態で溢れ出る事になってしまう。だから、ふたりの本来の体を再構成して再生させるのは不可能なんだ。けど、ふたりの体として再構成するのにちょうどいい素材ならあそこにある。白神竜の体なら、神竜であるブライと神竜の力の一端を持つリクにとっては、今この場に於いて最も適合する素材になるはず」


 私はタツキの言葉になるほど、と頷く。

 しかしタツキの表情は険しい。


「ただ、元来の体が持つ魔力素からしたら異物になるからどんな拒絶反応が出るかわからないし、これまで通りに力を使えるかもわからない。下手をしたらどこかしらの部位が上手く機能しなくて動かせないかも知れないし、最悪の場合生命活動に支障が出る可能性だってある。それでも可能性に賭けるなら、リスクも大きいけどこの方法しかないと思う。……どうする? リク」


 リスクを全て提示した上で、選択を迫られる。

 けれど私に迷いはなかった。

 可能性があるなら、それに賭けたい。

 またハルトやセタを抱きしめる事が出来る可能性があるのなら──


「リスクがあっても構わないから、お願い。タツキ」


 私が即座に出した答えに、ハルトも反対はしなかった。

 改めて私をぎゅっと抱きしめると一歩離れて、タツキへと向き直る。

 私の返答を受け、ハルトの意図を汲んで、タツキはひとつ頷いた。

 そして右手を白神竜の亡骸へと向ける。


「ブライは過去に再構成を受けてるから覚悟出来てると思うけど、リクも覚悟しておいてね。ブライが言うには、かなりの苦痛を伴うらしいから」

「わかった」


 私はしっかりと頷き、覚悟を決める。

 かなりの苦痛なら、これまで何度も乗り越えてきた。

 魔王種の一次覚醒、二次覚醒。

 サギリから受けた改変。

 あれらを上回る苦痛である可能性もあるけれど、それでも……!











 ◆ ◇ ◆


 意識が混濁している。

 これまでに取込んで来た様々な記憶たちが、私というひとつの意志を翻弄している。

 しかしその記憶たちも徐々に去っていき、私だけが取り残された。


 途端に、ふわふわと体が宙に浮かんでいるような感覚に気付く。

 ここはどこだろう?

 その疑問と共に、意識が浮上する。


「全く、ユハルドは無茶をする」


 聞き覚えのある声に、ゆっくりと瞼を押し上げる。

 真っ白な世界の中で、紅の双眸が二組、私を見下ろしていた。


「ひとつの世界に一度ならず二度、三度と干渉するのはよからぬ事とは思ったが、魔力暴走事故に関しては私のみならず他の神々にも責任がある。ここは是非とも力添えして貰おうか、リドフェル。そもそもそなたがあの男を気まぐれで眷属にしておきながら、放置した事が原因でもあるのだからな」

「ふむ……まぁ、そう言われてしまっては返す言葉もない。では私の力を以て、イフィラの眷属の力不足を補うとしよう」


 イフィラ神よりも低い声がそう応じるのと同時に、意識が再び混濁し始める。


「しかしこの娘、神でも眷属でもないにも関わらず神々の世で意識を保つとは、ただ者ではないな?」

「ふふふ。何せこの娘は、あの世界の──」


 楽しげに笑うイフィラ神の声を最後に、私の意識は、途切れた。


 ◆ ◇ ◆











 小鳥のさえずりが聞こえる。

 瞼に落ちる木漏れ日に誘われて目を開けたものの、緑の隙間から降る陽光が眩しくて再びきつく目を閉じた。


「お母様、目が覚めましたか」


 傍らから聞こえてきたしっかりした口調の、けれどまだ幼さを残した声に吃驚して、ぱっちりと目が覚めた。

 声の方へと視線を向けると、白銀の髪を木漏れ日で輝かせながら柔らかく微笑む琥珀色の瞳と目があう。

 年の頃は十歳くらいの少年だ。

 少年は手にしていた本から目を離し、私の顔を覗き込んでいた。


「あれ? ここは……?」


 記憶が混乱している。

 手っ取り早く答えを貰おうと問いかけると、呆れたようなため息が聞こえてくる。


「また夢でも見ていたのですね。ここはアールグラント城の中庭です。お父様が戻るまで、もう少し眠っていても大丈夫ですよ?」


 アールグラント城の中庭……。

 言われてみれば、周囲の景色は正にアールグラント城の中庭だ。

 落ち着いた緑が多く、添える程度に美しい花が配されている。


「えぇと……今は何年?」


 それでも自分の状況がまだ把握し切れない。

 なので更に問いを重ねると、慣れた様子で少年は「天歴2535年です。ちなみに僕は今十歳で、もうすぐやってくる誕生日を迎えたら十一歳になります」とすらすらと答える。

 そうか、あれからもうそんなに経っているのか。


 段々と自分の状況を思い出してきて、私は自らの手足を見遣る。

 透き通るように白い肌。

 元々妖鬼は肌の色が白かったから違和感はないけれど、今の私の肌の白さはどことなく常人離れした雰囲気がある。

 手の甲には竜の鱗が数枚並び、自分の種族が何なのかわからなくなりそうだ。

 けれど、ちゃんと私の意思通りに動く体。

 この体を得て、もう八年近い年月が経過していた。






 タツキが私とブライの体を再構成してくれた後、中央大陸から東大陸に戻る際にはシスイが尽力してくれた。

 やはりシスイは独自の空間転移魔術が使えるらしく、一瞬にして東大陸の、フォルニード村南部に広がる開けた場所に戻る事が出来た。

 まだ体に慣れておらず、まともに体を動かせない私はハルトに、手乗りサイズの白神竜のような姿になったブライはタツキに抱えられての帰還となった。


 ちゃっかり便乗して一緒に東大陸に戻ってきたルウは、ずっと思案顔だったのを一転させて笑みを見せ、突如「俺様は配下を連れて中央大陸に戻って、国を作るぞ!」と言い始めた。

 何がルウにそう思わせたのかはわからなかったけれど、ついでとばかりに「妃としてフレイラを連れて行こう」と嬉々としてフォルニード村に向かおうとした。

 そんなルウに、突然タツキが戦いを申し込んだ。

 途端に戦闘狂のルウは表情を輝かせ、今自分が何をしにどこへ行こうとしたのかなんて忘れ去った様子で、タツキの挑戦を受け入れた。


 そして、戦いの行方は。

 いやもう本当に、吃驚するくらい圧倒的に、完膚なきまでにタツキがルウを叩きのめした。

 どちらかと言えば肉弾戦を好むルウに対してタツキは神の眷属としての能力を中心に、魔術を無効化するルウが相手なので魔術抜きで機転を利かせながら戦っていた。

 その際に見た事もないような能力を使っていたので、恐らく眷属になってから手に入れた力なのだろうと推測している。


 何れにせよ、この世界で最強だろうと思っていたルウがああもあっさりと倒されて、私のみならずその場にいた全員が空いた口が塞がらない状態になったのは言うまでもない。

 半ば一方的な戦いだったとは言え互いの力がぶつかり合った際の轟音が辺りに響いていたので、騒ぎを聞きつけたマナやセンと共にフレイラさんが様子を見にきた。

 するとタツキはフレイラさんを背中に隠しながら堂々とルウに「フレイラさんは僕のだから、連れて行かせないよ」と宣言したのだ。


 いやぁ、格好良かった。

 可愛いばかりだと思っていたタツキの勇ましい姿に、思わず涙が出そうになった。

 一体いつの間にそういう関係になったのか気にはなったけれど、その時のタツキを見るフレイラさんがまた嬉しそうで可愛らしくて、何と言うか、あれですよ。おめでとう! って感じですよ。


 結局ルウは「そうか! そういう事なら仕方ないな!」と、散々叩きのめされた事など恨みにも思っていないような爽快な笑顔を残して、配下だけを連れて中央大陸に戻って行った。

 その際ルウの配下のひとりがタツキに「よくもルウ様を!」とつっかかっていったけれどタツキはさらりとあしらって「僕に構ってる間に置いて行かれるよ、メリオン」と返していた。

 どうやら知り合いだったらしい。

 思わぬタツキの交友関係の広さにちょっと吃驚した。




 ルウたちを見送ると、今度はシスイが別れを告げてきた。

 今後どうするのかと問いかけると、


「北大陸に、生け贄にされる事をただ受け入れている白神種がたくさんいる。僕は彼らに唯々諾々と生け贄になる道を選ぶ必要はない事を教えて、外の世界で暮らせるようにしてやりたいと思う」


 と、迷いなく答えてきた。

 その傍らにはシーヴァルだけでなく、ファルジークやクランタリスの姿もあった。

 どうやら彼らはシスイについていくつもりのようだ。


「それを実現するには、救出してきた白神種たちを保護する場所が必要になるんじゃないか?」


 ハルトが疑問を向けると、シスイは言葉に詰まる。

 それは理解しているけれど、一刻も早く行動を起こさねば生け贄にされる白神種が増える一方なのだという焦りがあるのだろう。

 そんなシスイをじっと見ていたハルトが、ひとつ提案を口にした。


「イフィラ教の神殿を頼ってみたらどうだ? イフィラ教の神殿では白神種を保護しているし、現時点でエルーン聖国は旧オルテナ帝国領と旧騎士国ランスロイド領を主導で復興させてはいるものの、手に余っている面もあるだろう。小さな村ひとつ分でも管理してくれる人物が現れたら、喜んで場所を提供してくれると思う」


 この言葉に、しかしシスイはいい反応を見せなかった。

 何故ならば。


「僕は仮とは言え、リドフェル教を名乗ってきた異教徒だ。そう簡単にイフィラ教の者から受け入れられるとは思えない」


 そう、ここがネックだった。

 しかしこの問題を簡単に解決する方法がある。

 私はタツキに視線を送った。

 タツキも小さく笑って頷く。


「なら、僕が同行しよう。イフィラ教の神の代行者・ティーラとはたまにやり取りしているし、僕自身がイフィラ神の眷族だからね。シスイが信用出来る人間だって証明さえすれば、ティーラならきっと力を貸してくれると思うよ」


 タツキが請け負うと、シスイは驚きに目を見開いてタツキを振り返った。

 共に戦った時間はとても短く、タツキとシスイの間には交流もほとんどなかったから、どうしてタツキがそこまでしてくれるのかと問いたいのだろう。

 一方タツキはシスイを安心させるように微笑みを浮かべた。


「長年、弟がお世話になったからね。それに、白神竜との戦いでも君とシーヴァルがいなかったら、あの光線ブレスを回避する事も、決定的な一撃を与える事も出来なかった。君は僕らの恩人でもあるんだよ。だから僕に出来る事なら手伝わせて貰うよ」


 タツキの言葉に、シスイは僅かに俯き、小さく「ありがとう」と呟いた。

 そして数日後、タツキはシスイを連れてイフィラ教の神殿へと向かった。

 私の転移魔術をタツキにも教えたので、一瞬で神殿に到着したはずだ。

 けれどどうやらティーラさんから足止めされたらしく、戻ってきたのは5日後の事だった。


 聞けば、魔力暴走事故の原因を突き止めるばかりでなく、新たに起こりかけていた魔力の暴走を止めた事を大層感謝されたそうだ。

 タツキとしては今回の暴走を止めたのは自分じゃないからと、歓待されるのを辞退したらしいんだけど、シスイの件もあって、穏便に事を運ぶために最後は歓待を受ける事にしたそうだ。


 結果、シスイは旧オルテナ帝国領・城塞都市アルトンの北東方面にある地域一帯をエルーン聖国から貸与された。

 位置付けとしては、領主のようなものだ。

 元々寒い北大陸出身のシスイやこれから救出されてくるであろう白神種たちの事を思えば、最も北大陸に気候が近い旧オルテナ帝国領北部が貸与する地として妥当だろうという判断になったらしい。

 既に冬が近付いている時期ではあったけれど、復興が進んでいる城塞都市アルトンの近場ともあって、人手さえ確保できれば簡易的に住む場所くらいは冬を迎える前に作れるだろうとの事だった。


 この人手の確保に関しても、ティーラさんが手配してくれるそうだ。

 どうやらティーラさんは北大陸で生まれ、銀髪に赤紫色の瞳を持っていたが故に、生け贄にもならない出来損ないの白神種だと言われて迫害を受けていたのだとか。

 そんな過去があるからか、シスイが北大陸の白神種を救済すると聞いて全力で支援すると約束してくれたらしい。

 思わぬ味方を得て、顔には出さないものの、シスイも喜んでいたそうだ。


 そのシスイは、神殿を出るなり精霊たちと共に北大陸に向かったらしい。

 シスイ不在の間にティーラさんが手配した職人たちが住まいを作り、不足がある場合はシスイが救出してくる白神種たちを一時的にイフィラ教の神殿で保護するという事で話がまとまったそうだ。

 イフィラ教のトップからの支援が約束されて、シスイも安心して北大陸に向かえたに違いない。




 ちなみに。

 私もブライも体に慣れるまでに一年近い時間がかかった。

 結果的に新しい体には特に不具合もなく、何とかこれまで通りの生活を送れるようになったのだけど、八年経った今でも頻繁に眠くなってしまう。


 そうして襲ってくる眠気に抗わず、座ったまま昼寝をしている事が多いせいだろうか。最近私には傍から聞いたら不名誉な、けれど何となくお気に入りの新しい異名が付けられつつあった。


 それが、“居眠りの魔王”。


 何だかいいよね。変に格好つけた異名より、“番犬”や“居眠りの魔王”の方が個人的には断然好きだ。

 その事をハルトに言ったら苦笑され、セタに言ったら「お母様は変です」と言われてしまったのだけど。






「お待たせ」


 八年前から今日までの事を思い出していると、耳に心地いい声が聞こえて意識を現実に引き戻す。

 視線を上げれば執務棟側からこちらに向かってくるハルトの姿。

 相応に年を重ね、その身のこなしにも磨きがかかっている。


「陛下から許可を貰ってきた。これでようやく、お役御免だ」


 言いながら、ハルトは自分の事をぼんやりと見上げている私をひょいと抱え上げた。

 寝起きのせいか、抵抗する気力もない。


「そうですか……。では、今日で一旦お別れですね」


 私の傍らの地面に座っていた少年……セタが手にしていた本を閉じるとすっと立ち上がった。

 そして深々と頭を下げてくる。


「今日まで僕のためにこの城に留まって下さってありがとうございます。お父様とお母様の傍で過ごした日々は、本当に幸せでした」


 そう告げてくるセタに、私は首を傾げた。

 するとハルトが小さく吹き出す。


「何だ、リクはまた寝ぼけているのか」

「そうなんです。さっきまでよく眠ってましたから、そのせいでしょうか」


 父子が揃って笑い声を上げる中、私だけが話について行けない。

 どういう事?


「リクは、魔王になった事で長命になっただろう? その長命の状態から脱する手掛かりを探しに、以前タツキから聞いた他の大陸の伝承をもっと突き詰めて集めてみようって話になってたんだよ。とりあえずセタが安心して独り立ちさせられる年になるのを待つのと、ノイスが国王になって国が落ち着くまでの間という約束で、俺とリクはアールグラントに留まっていたんだ。思い出したか?」

「そんな約束……」


 したっけ?

 と言おうとした瞬間、急激に意識が明瞭になった。

 そうだ、確かにそういう話をしていた。

 最後までセタを連れて行くか置いて行くかで悩んだ末に、セタが妖鬼で言うところの独り立ちする年齢になるのを待って、ついてくるか残るかはセタ自身に選ばせようと決めて、まずは国王陛下に許可を貰いにいったんだっけ。

 けれどセタが10歳になるより早く……5年前に国王陛下が病で倒れて、そのまま亡くなってしまったのだ。

 その後ノイス殿下が即位して、ハルトも国が安定するまでは国に残る事にして……。


 そうか、そうだった。


「……思い出したか?」


 再度問われて頷くと、ハルトは苦笑いを浮かべた。

 それからセタの方へと向き直って、真剣な眼差しを向ける。


「セタは本当にここに残るという事でいいんだな?」

「はい。今の僕ではお父様やお母様の足手纏いになるでしょう。けれど時間をかければかけるほど、お母様が時間の流れに取り残されてしまう。なので僕は、今はイムお爺様やノイス陛下の許でしっかり学び、鍛えて、いつかきっとお父様たちに負けないくらい強くなって追いかけて行きますから」


 眩しい笑顔を浮かべてそう言切るセタが頼もしい。

 ハルトも頼もしそうにセタを見て、セタの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 負けじと私も手を伸ばしてセタの頭を撫でる。

 セタはくすぐったそうに両親の手を受け入れながら、何かに気付いたように「あっ」と声を上げて改めて私とハルトを見上げてきた。


「でもたまには帰ってきて下さいね。僕がどれだけ成長したのかお父様とお母様に見てもらえないと、張り合いないですから!」


 ちょっと寂しそうに、けれど照れくささも混じった様子でセタが言い切る。

 うぅっ、なんて出来た子!

 感極まっていると、ハルトが私を下ろしてくれた。

 私はそのままぎゅっとセタを抱きしめ、


「絶対帰ってくるからね!」


 そう答えた。

 するとセタは小さく首を傾げる。


「何だか、僕が小さい頃にも同じようなやり取りをした事がある気がします」


 その言葉に私とハルトは顔を見合せて、セタが言う同じようなやり取りをした場面に同時に思い当たって笑った。

 確かに、中央大陸に向かう時にセタと交わしたやり取りと同じだ。


 そんな懐かしい思い出を振り返りながら、セタに見送られて私とハルトはアールグラント城を出た。

 セタと共に見送りに出てくれたのはお父さんとミアさん、杖をついたクレイさん、それを支えるシタンさん、現在の王太子付き騎士団団長を務めているイズンさん、その補佐を務めているラルドさん、今ではこの国の情報管理官筆頭を務めているハインツさんだ。

 ふと上階のバルコニーを見上げれば、ミラーナが生まれて間もない小さな娘を抱き上げて、こちらに手を振っていた。

 私も手を振り返し、ハルトと共に歩き出す。


「まずはどこに行こうか」

「あっ、私南大陸に行きたい! タツキが言うには南大陸は精霊族が多く住む場所でね、妖精とか精霊人とかいるんだって」

「じゃあ南回りで行くか」

「やった!」


 私は両手を上げて喜び、ハルトは苦笑しながら手を差し出してきた。

 その手を取って、ふたり揃って城下街と外とを繋ぐ城門を抜ける。


 眼前には、一本の道。

 ここを南下して、アールグラント王国南部にある港湾都市アクラフォレスに向かう。

 アクラフォレスからは船で移動してヤシュタート同盟国に入り、そこからミールオラ群島を経由して南大陸に上陸するのだ。


 私は南大陸やミールオラ群島どころか、アクラフォレスに行くのも、ヤシュタート同盟国に行くのも初めてだから心が躍る。

 スキップでもしたくなるような軽快な気分でアールグラント王国の首都・アールレインの外へと足を踏み出すと、不意にムツキの顔を思い出した。



 そう言えば。

 ムツキは前世でスキップが出来ない子だったけど、今世ではできたのかな。

 聞きそびれちゃったな。

 そんな事を考えながら、私はハルトの手を引いて南へと歩き始めた。

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