120. 最後の引き金と災禍の末路
はっきりと言い切った私の言葉に、白神竜は絶句した。
けれどその事で少し、冷静さを取り戻したのだろう。
「……魔王種とは言え、たかが魔族の分際で、神竜に勝てると思っているのですか?」
敬語に戻った白神竜が、小馬鹿にしたような口調で問いかけてくる。
私はじっと白神竜の瞳を見つめたまま、静かに言葉を返す。
「逆に聞きたいんだけど、この状況で、あなたは自分が勝てると思っているの?」
力を大幅に削がれ、味方もなくひとりの白神竜。
一方で心強い仲間がいる私。
こちら側には神竜のブライだっているし、誰の目から見ても白神竜の方が不利な状況だ。
そんな状況の中にあっても、白神竜は自信を失わない。
その根拠の見えない白神竜の自信が、何とも不気味だった。
不気味。
そう、この白神竜は常に不気味であり続ける。
目的も不明。
綺麗な声と姿を持っているにもかかわらず、それとは裏腹に底知れぬ恐ろしさを滲ませている雰囲気。
何を考えているかわからない言動。
主と定めたはずのフレッグラードを呑み込み、彼の竜は一体どこを目指しているのだろうか。
「この私が、負けるはずがないのです。何故なら私にはテュストリアがついている。世界最強の剣士にして世界最高峰の魔術師、この世界で最も強き力を持っていた勇者テュストリア=アルストが! そのテュストリアには、この世界最古の神竜である私がついている。負けるはずがない……!」
そう叫ぶ白神竜の目は、ここではないどこかを見ているようだった。
あぁ。
ここにも長い年月を経て壊れてしまった存在がいたのか。
グードジアと言い、フレッグラードと言い、白神竜と言い。
長く生きるという事は何と厄介な事なのだろう。
「──テュストリア?」
小さくタツキが呟いた声が聞こえてきた。
そうだよね、普通その名前が示すのが誰なのか、知る人はいないはず。
何故なら彼の名は、歴史の上から抹消されてしまったのだから。
けれどグードジアの記憶がある私にはわかる。
その名が、誰の名であるのかが。
「白神竜。あなたの言うテュストリア=アルストは、アルスト王国初代国王にして、“始まりの勇者”のテュストリアの事?」
私の問いに、ハルトたちが息を呑んだ。
“始まりの勇者”の名も“始まりの魔王”の名も、知る者はいないはずだ。
何故なら、彼らが誰にもその名を明かさなかったからだ。
ただひとり、グードジアを除いては。
何故グードジアがその名を知っているのかと言えば、テュストリアが自らグードジアに対して、自分が“始まりの勇者”である事を明かしたからだ。
何故テュストリアは自らの事をグードジアに明かしたのか、その理由はわからない。
グードジアもさほど興味がなかったのか、何故自分にその事を話してきたのか理由を問いかけたりはしなかった。
ただ、その事を告げた翌日、テュストリアはアルスト国から姿を消した。
そして二度とアルスト国に戻ってくる事はなかった。
私はグードジアの記憶を掘り起こしながら、白神竜の答えを待った。
当の白神竜は目を細め、喉で笑う。
「他に誰がいると言うのです」
やはりか。
これで何故フレッグラードが神位種ではないのに“神覚の加護”のようなものを使えたのか、仮説が立てられる。
フレッグラードが神位種に近い力を発揮した理由として有力なのは、“始まりの勇者”の子孫である事……つまり、血筋だ。
“始まりの勇者”と“始まりの魔王”が現れるより以前のこの世界には、神位種も魔王種も存在しなかった。
つまり彼らは、この世界にとっての神位種と魔王種の試作品のような存在だったはずだ。
ならば、今となっては受け継がれるはずのない神位種としての能力が、何らかの形で遺伝していてもおかしくはない。
あくまで仮説だけど、仮に神位種の遺伝があり、神竜との契約で眠っていた神位種としての能力が先祖返りのような形で目覚めたのだとしたら納得出来る。
そんな事を考えていると、私の思考を断ち切るかのように、白神竜が仄暗い感情を湛えた瞳でぽつりと呟く。
「テュストリアは常に私と共にある……。もう二度と、失わない」
ぞくりと肌が粟立った。とんでもない執着心だ。
白神竜の目には眼前のものではない別の何かが映り込んでいるようで、どこか虚ろだ。
その様子から、もしかしたら白神竜は、神位種としての力を秘めていたフレッグラードをテュストリアだと思い込んでいたのでは、という考えが脳裏を過った。
フレッグラードと契約を交わした時にはちゃんとテュストリアとは別人であると判別していたけれど、テュストリアに執着する余り段々と混同し始めて、やがて同一人物だと認識し始めた可能性がある。
そう思い込んでしまうほどテュストリアに執着している原因に関しても、思い当たる節がある。
「もしかしてあなたは、テュストリアと召喚竜の契約をしていた……?」
私の問いに、白神竜はきつく私を睨みつけてきた。もの凄い威圧感だ。
けれど負ける気がしない。
私は動じる事なくその視線を真っ直ぐ見返した。
「召喚竜? 違う。私とテュストリアは、互いに互いを守護する契約をしたのです。私はテュストリアの守護竜であると同時に、テュストリアが私の守護者となった。この約束は、決して違えてはならない……」
じわりと、白神竜の声が低くなると同時に、嫌な気配が広がった。
暗い闇のような感情が白神竜から漏れ出てくる。
ともすれば目に見えてしまいそうなほどのその強い感情に、この場にいる全員が白神竜から距離を取った。
身体強化魔術で感知能力を引き上げられているハルトは、通常であればここまで強烈な感情をはっきりと感知し得ないからだろうか。青ざめた顔をしながら私の前に駆け寄ってくると、私と白神竜の間に立ち塞がった。
「なのに何故、何故いなくなったのです、テュストリア。私はもういらなくなったのですか? でも私はずっと、あなたを守り続けたかった。私のただひとりの友人。ただひとりの理解者──」
ぶつぶつと、独り言のように言葉を落とし始める白神竜からは、どんどん黒い感情が染み出してきていた。
その気配のせいだろうか。シスイが喚び出した魔獣たちが怖気付いて、シスイの背後に隠れるようにして消えて行く。
サギリは白神竜の様子を窺い、ちらりとシスイとクランタリスに視線を送って何やら頷き合った。
「だからあなたがいなくなってからもずっと、あなたが大切にしていた国を、共に守り続けようと言ってくれたアルスト国を、ひとりで守り続けていたのに。国を守れなかったから、あなたはいなくなってしまったのですか? 国が消えてしまったから、あなたは戻ってきたのですか?」
タツキとブライが白神竜の背後で隙を狙っている。
けれど白神竜は支離滅裂な独白をしながらも一切隙を見せず、僅かでも動こうものならその鋭い視線を動いた者へと振り向けていた。
まるで自分の手の中に命に代えてでも守るべき宝物を抱えているかのような、強い警戒心。
「もう二度と失わない……。例えあなたが私を守らずとも、私はあなたを守る。例えひとりでも、アルスト国の仇を討つ……!」
白神竜が言い終わるか否かというところで、サギリが動いた。
半ば叫ぶように言切った白神竜が、大口を開けてサギリへと襲いかかる。
「クランタリス! まずは破壊からお願いねぇ!」
「はいよー!」
サギリが大鎌を構えると同時に、白神竜がバランスを崩した。
裏庭全体が隆起し、陥没し、地割れを起こし始める。
サギリは地形が変わるのもものともせずに、白神竜へと肉薄した。
バランスを崩した白神竜が晒している腹部に、鎌を突き立て……しかし白神竜の強靭な体に阻まれて弾き返されてしまう。
「魔法陣の破棄を優先した。足元に気をつけろ」
サギリの援護に向かおうとすると、まるでそれを引き止めるかのようなタイミングで、いつの間にか隣に来ていたシスイから警告された。
なるほど、この地形変動は裏庭に描かれていたらしき魔法陣を壊すためのものだったのか。
状況が状況だっただけに魔法陣の確認はしていなかったけれど、これだけ滅茶苦茶に地面を壊してしまえば魔法陣も使い物にならなくなった事だろう。
私はシスイに了承の意を伝えるべく頷きを返し、ハルトとシスイの手を取って転移魔術を構築した。
一瞬にして空中に転移すると足場となる結界を張り、着地する。
すぐに空中へと逃れていたタツキとブライも合流した。
「リク、無事でよかった……って言いたいところだけど、無事じゃなかったみたいだね」
タツキの言に、ハルトやブライの視線が私の頭部に向く。
自分の目ではまだ確認できていないけれど、私の角はもう、妖鬼特有の黒い角とは違うものになっているはずだ。
「大丈夫。結構危うかったけど、ムツキとサギリが助けてくれたから」
「ムツキは……」
既に察している様子ながらもハルトが言いかけて、けれど最後まで口にはせずに黙り込んだ。
私は寂しさを含めた笑みをハルトに向ける事で応じると、改めて白神竜を見遣る。
「とにかく今は白神竜を止める事を最優先に。万が一、他の大陸に向かわれたらたまらないからね」
神竜ほどの力があれば、翼などなくとも魔術なり何なりで飛翔する事は可能だろう。
それに、白神竜の翼も徐々に再生しつつある。
相手が何を考えているかわからない以上、何としてでもこの大陸の外に出す訳にはいかない。
あんな危険な生物をこの大陸の外に出したらどんな事になるか、想像するだけでぞっとする。
「リク! “光雨”、使ってもらえるぅ?」
地上からサギリが声を張り上げてきた。
見遣ればサギリはクランタリスとファルジークと共に白神竜の注意を引き付け、撹乱していた。
高位精霊2体が白神竜の頭部付近を飛び回って攻撃を加えている中、サギリは上手い事白神竜の懐に潜り込んだようだ。
白神竜は力ある高位精霊たちを無視できず、煩わしそうにしていたけれど、サギリの声で意識をそちらに向けた。
すぐにサギリを排除しようと動くも、サギリは白神竜の死角へと逃げ込んで更に白神竜の意識を自らへと引きつける。
「ついでに、黒神竜もブレスを使ってくれないか」
隣からシスイがブライに声をかけた。
シスイの隣にはシーヴァルがいて、主の意を汲んで空中に巨大な水の膜を形成し始める。
なるほど、光雨と光線ブレスを同時に白神竜に叩き込むつもりなのか。
けれどどんなに狙いを定めても回避されては意味がない。
「うまく行くの?」
「イザヨイとサギリを信じろ」
私の問いに、シスイは眉間に皺を寄せながらそう答えた。
そんなシスイの表情を目にした途端、白神竜の口内で感じたあの不安が再々度蘇り、まるで死を覚悟しているようなムツキとサギリの様子が思い出される。
「ねぇ、まさかサギリも──」
「いいから、頼む!」
自らの迷いを振り切るように、シスイが叫んだ。
長い年月を共に過ごしてきたシスイがその覚悟を受け入れているのなら、私がとやかく言う隙などないのだろう。
私もムツキとサギリ、そしてシスイの覚悟を受け入れて、“光雨”を思念発動させるべく魔力操作を始める。
白神竜の力の一部を取込んだからか、荒れ狂うような魔力の奔流が私を取り巻いた。
案の定、力が強過ぎて制御が難しい!
油断すると体の内側から溢れ出ようとする膨大な魔力に意識を呑み込まれそうになる。
これまで魔力操作の訓練をしてきた自分を、今ほど賞賛したくなった事はない。
もし魔力操作に慣れていなかったら、魔力の暴走を止めに来たはずの私が自らの魔力を制御しきれずに暴走させていたに違いない。
それくらい、サギリが改変能力で私に付加してくれた白神竜の力は強大なものだった。
必死に力の制御をしながら魔力操作をする私の傍らでは、ブライが光線ブレスを放つべく、大きく首を引いている。
そんな私たちの動きに気付いた白神竜が目を見開き、魔術を放とうと魔力操作を始める。
しかしすぐに集めた魔力が砕け散った。
「あぁっ、忌々しいっ!」
白神竜は自らの腹部を睨みつけた。
自らの内部に入り込んだムツキが白神竜に魔力を使わせないよう邪魔をしている事に、白神竜も気付いているようだ。
「クランタリス!」
「はぁい!」
地上からサギリの声があがり、クランタリスが力を解放する。
同時に白神竜の足元の地面が陥没し、周囲の固い地面が覆い被さるようにサギリごと白神竜を包み込んだ。
すると次の瞬間。
「ギィアァァァ!!」
サギリと白神竜が取込まれた岩山の内側から、白神竜のものと思われる悲鳴が上がる。
何が起こっているのかは見えないけれど、何となく、サギリが白神竜に改変能力を行使したのではないかと予測する。
「やめっ、やめろぉぉぉっ!」
必死な声には最早あの美しい響きはなく、もがいているのか岩山のあちらこちらが内側からの衝撃でボロボロと崩れ始めた。
時間がない。
「主!」
「リク、黒神竜! 頼む!」
シーヴァルの合図にすかさずシスイが頷いて、私とブライに声をかけてきた。
これが決まればきっと、白神竜もひとたまりもないだろう。
けれど同時に、白神竜の体内に入り込んでいるムツキと、白神竜の足止めをしているサギリが巻き添えになる。
確実に、命を落とす事になる。
それでも。
私はブライと軽く視線を合わせると、ほぼ同時に力を放つ。
「光よ降り注げ!」
「ガァァッ!」
白神竜の力の一端を得て威力を増した光雨とブライが全力で放った光線ブレスが、シーヴァルが作り上げた巨大な水のレンズに向かって降り注ぐ。
細かな光の線は水のレンズによって集約され、巨大な光の槍となって岩山へと突き刺さった。
その瞬間、光が迸った。
視界が真っ白に染まり、あまりの眩しさに全員が目を覆う。
一拍遅れてやってきた衝撃波が全身を叩き、大地と大気を揺るがす轟音が響いた。
更に遅れて猛烈な熱風が襲いかかる。
熱風に吹き飛ばされそうになった時、ハルトが私を守るように覆い被さってきた。
更にその向こう側では、タツキが多重結界を構築している。
しかしその結界もすぐに破られ、足場にしていた結界も衝撃に耐えられずに砕け散る。
「ハルト……!」
今尚続く熱を帯びた暴風の音にかき消されながらも私はハルトの名を呼び、離れまいとしっかりとしがみついた。
足場を失った私とハルトは熱風に煽られ、吹き飛ばされながら地面へと落下し始める……。
地面へと落ちて行く途中、私は咄嗟に懐からあるものを取り出した。
紅玉のタリスマン。古代魔術結界の魔法陣が刻まれた、魔術道具。
竜の特性を得ている私は多少の怪我で済むだろうけど、神位種とは言え人族であるハルトが落下の衝撃に耐えられるかわからない。
冷静な判断が出来ていればタリスマンに縋るより自力でハルトを守る手段を取っていたのだろうけど、この時の私は真っ先に不安と焦燥感に駆られて正常な判断力を失っていた。
故に、私は祈るような気持ちで紅玉のタリスマンをハルトに押し付け、思い切り魔力を流した──。
地面に落ちたらしき衝撃がやってくる。
そこそこの高度から落下した割に衝撃が小さかったのは、タリスマンの結界が上手く働いてくれたからだろうか。
手の中のタリスマンの感触を確かめると、本来ひとつの石だったものが小さく砕けていた。
どうやら落下の衝撃か過剰な魔力を流した影響で壊れてしまったようだ。
手の中の感触から意識を離して薄く目を開けてみたものの、未だ終息していない光が全てを純白の世界に呑み込んだままだった。
薄っすら気配は感知できるものの、これではすぐ傍にいるハルト以外のみんなが無事か確認することもままならない。
タツキの名を呼ぼうとしたけれど、突如熱風に混じって間断なく衝撃波のようなものが襲いかかってきた。
衝撃波に押されて地面を転がされながら、私は必死にハルトにしがみつく。
その際に手の中にあった砕けたタリスマンが地面に零れ落ちて行ったけれど、そんな事は気にしていられなかった。
今この手を放してしまったら全てがこの光に呑まれて、二度とハルトを取り戻す事が出来なくなりそうで恐かった。
そうしてハルトにしがみついていると、唐突に熱風と衝撃波が止み、世界が無音になる。
そっと目を開けてみたけれど、周囲の景色は真っ白なまま。
というか……何だろう?
あんなに殺伐とした場所にいたはずなのに、今はとても温かくて安心する場所にいるような気分になる。
「そうか……この世界は、病んでいたのだな」
聞いた事のない声が耳に届く。
声の方を見遣れば、純白の世界に溶け込んでしまいそうなほど真っ白な髪を背中に流し、真っ白な装束を身に付けた人が立っていた。
──いや、人ではない。
気配が、この世界で感じ取ってきたどの気配とも異なり、明らかに異質。
けれど包み込むような優しい気配が周囲を満たしている。
不意に、その人がこちらを振り返った。
真っ先に目についたのは紅の瞳。
その容姿は繊細な芸術品のよう。
「……もしかして、イフィラ神?」
私の口から、咄嗟に思い付いた名が零れ落ちた。
するとその人は柔らかく微笑み、
「ふふ。さすが、ユハルドの姉君。動揺を見せないとは、肝が座っている」
それだけ呟いて再び正面に向き直った。
「私はあまりこの世界に干渉できない。ただこの一時だけ、ユハルドの魂を通してこの世界の未来を託せる者に語りかけている」
この世界の未来を託せる者?
「その問いには答えられない。が、それはもしかしたらそなたの事かも知れぬし、そなたの伴侶の事かも知れぬ」
……あぁ、なるほど。
こちらが考えている事は筒抜けって事なのか……。
「ふっ……懐かしいな。ユハルドと初めて会った時の事を思い出す。ユハルドもそなたと同じような反応だった」
「元双子ですからね」
肩を揺らすイフィラ神にすかさず返すと、イフィラ神は視線だけをこちらに振り向けて目を細める。
「そうだな。そなたたちの結びつきは、私の力を以てしても解けなかった。だが、今はその事に感謝している。そうであったからこそ私はユハルドと出会えたのだし、この世界を救う手だてを見出す事が出来たのだから」
話をしている間に、周囲を満たしている光が収まり始めた。
光と共に、純白のイフィラ神の姿が徐々に漆黒のタツキの姿へと変わっていく。
「私が手を貸せるのはたったこれだけだ。不甲斐ない神で申し訳ないが、どうか、この世界を頼む。代わりと言ってはなんだが、この消えかけている魂たちは私が預かろう。いつか必ず、命の循環の中へ戻してみせる──」
風が吹き抜けるように、イフィラ神の気配が通り過ぎていく。
光が完全に収まると目の前にはタツキの後ろ姿があるだけで、イフィラ神の姿も気配も、この場には欠片も残っていなかった。
最後にイフィラ神が預かると言っていた消えかけている魂たちとは、一体誰の魂だったのだろう?
ムツキの? それともサギリの? もしくは、辛うじてナギやフレッグラードの魂の欠片が残っていたのかも知れない。
何れにしても、二度と魂の循環に戻れなかったはずの誰かの魂がイフィラ神の手で救い上げられた事だけは理解出来た。
不意に、ふらりとタツキの体が揺れた。
倒れそうになったタツキを、慌てて立ち上がって支える。
顔色が真っ青だ。
地面に横たわって気を失っているハルトの隣にタツキを寝かせると、タツキがうっすらと目を開けた。
「大丈夫?」
問いかけると、タツキはきょろきょろと周囲に視線を巡らせる。
「イフィラ神は、応えてくれた……?」
それは、どういう事だろう。
先程イフィラ神が現れたのは、タツキがイフィラ神に呼びかけたから助けに来てくれたという事だろうか。
「多分ね。イフィラ神が私たちを守ってくれたんだよ」
そう答えると、タツキは柔らかく微笑んで「そう。よかった」と呟いて、ゆっくりと目を閉じる。
そのまま寝息を立て始めた事から、休眠しなければならないほどタツキが消耗している状態である事を理解する。
そりゃそうか。だって神様の依り代になったって事だもんね。
イフィラ神はタツキより遥かに上位の存在だから、タツキの消耗のほどは計り知れない。
私は眠っているふたりをその場に残して立ち上がり、白神竜がいた場所へと視線を移した。
視線の先では岩山が崩れ、焼けこげた地面が晒されている。
「リク、気をつけろ! まだ生きてる!」
上空からシスイの声が響いてきた。
しかし言われるまでもなく、私の感知能力はその存在をしっかり捉えていた。
同時に、生きてはいるけれど虫の息である事も感知している。
「もう一度、先ほどの方法で攻撃を加えてみるか?」
シスイと共にゆっくりと私の横に降り立ったブライが問いかけてくる。
それを実現するにはシスイにも協力して貰わないとだけど、それ以前にタツキが消耗して眠りについている今、再びあの熱風と衝撃を往なすのは困難だ。
私は否という意志を込めて首を左右に振った。
その時。
「も……すこ、し、だっ……たのに……」
微かに聞こえてきた声に、私もブライもシスイも、声の方へと向き直る。
胴体に大穴を空け、辛うじて生きているだけの白神竜が、ゆっくりと手を天へと伸ばす。
「もう、少しで……アルストの、国の仇……討てた……」
弱々しく伸ばされた手の先から、魔力が流れ出す。
嫌な予感。
私はブライに視線を向け、ブライも私に視線を向けてきた。
すぐさまシスイにも視線を送ると、シスイが僅かに首肯する。
それぞれが同じ予感を覚えた事を確認し合うと、すぐさま行動を起こした。
私は古代魔術の攻撃魔術を制御無しで構築、同時に古代魔術結界も構築する。
一瞬にして魔法陣が完成し、白神竜に向けて放つ。
傍らではブライも古代魔術を構築、私よりやや遅れて、私が展開した古代魔術結界の内側に向けて発動させた。
しかし。
私たちの魔術が白神竜に到達するより早く、嫌な予感が的中する。
「諦め……ない……!」
掠れた白神竜の声と共に青い魔力の光が辺りに溢れ、暴力的なまでに吹き荒れる。
そして。
上空に巨大な魔法陣が一瞬にして描き出された。
その魔法陣を目にして、私は身震いした。
術式の基礎部分を一目見ただけでわかってしまった。
あれは、ムツキたちが作り出したと言っていた魔法陣だ……!
何故白神竜があの魔法陣を把握しているのか……と思ったけれど、もしかしたら白神竜はナギに意識を乗っ取られていても、コールとゴルムアのように、主体となっているナギの記憶を共有していたのかもしれない。
いずれにせよ、あの魔法陣は確実に失敗する魔法陣だ。
しかもその規模は、中央大陸の一部を別の世界に飛ばす程度では済まない規模。
何せグードジア本人の魔力量とグードジアが用意していた魔石の魔力量を合わせても、片角を失い、満身創痍の白神竜が持つ魔力量には届かない。
更に言えば白神竜は、これまでフレッグラードを筆頭としたリドフェル教が竜や希少種を狩って集めてきた魔力を、何らかの方法で引き出しているようだった。
展開された魔法陣に流されている魔力量は、明らかに白神竜の魔力量を大幅に越えている。
複雑すぎる術式のおかげで発動に時間がかかっているものの、もしこの魔法陣が完全に起動したら、この世界が、更に言えば干渉を受けるであろう別の世界が、どうなってしまうのか想像もつかない。
ただ間違いないのは、大惨事が巻き起こり、また多くの命が奪われる結果になるであろう事だけ。
「止めないと!」
私は魔法陣へと手を伸ばし、展開されている魔法陣への干渉を行う。
魔力操作で術式を書き換え、魔力の流れる道を寸断して発動そのものを阻止すべく動いた。
しかし術式が複雑なせいで下手に手を加えると逆効果になりかねず、書き換えるにも時間がかかってしまう。
とてもじゃないけど、追いつかない!
「我に任せよ」
焦燥感に襲われながら必死に魔法陣への干渉を行っていると、横に並んでいたブライがずいっと前に出て大きく口を開けた。
すると、魔法陣に流れている魔力がブライの口へと引き寄せられ、吸い込まれ始める。
一体何を、とブライの方へ視線を動かした時。
視界の端に、辛うじて無事な上半身を起こし、こちらに向けて光線ブレスを放つべく口を開けている白神竜の姿が映る。
反射的に結界を展開しようとしたけれど、白神竜の異変に気付いてぴたりと動きを止めた。
確かに白神竜は上半身を起こして、口を開けてこちらを向いている。
けれど、その体は煤けていて、所々深い切り傷があった。
恐らく私とブライが放った古代魔術の攻撃魔術で負傷したのだろう。
ただ、白神竜の異変はそれだけではなかった。
真っ直ぐこちらに向けられている双眸。
その瞳からは、完全に光が失われていた。
つまり。
白神竜は、こちらに顔を向けたまま、既に絶命していた……。