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魔王候補になりました。  作者: みぬま
第6章 始まりが終わるとき
135/144

115. 最期に望みを叶えた男 ─グードジア─

 帰りたい。

 何故俺がこんな目に遭わなければいけないんだ。


 帰りたい。

 何故俺がこんな場所に縛り付けられなければいけないんだ。




 帰りたい。






 帰りたい。








 帰りたい……。








 あぁ。

 どうせ帰れないのであればせめてこんな記憶なんて持たずに、まっさらな状態で生まれたかった。

 どうして前世の記憶なんて持っていたんだ。

 この記憶さえなければ俺がこんなに苦しむ事もなかったのに。

 きっとこんなに死を切望せずにいられたのだろうに。



 神よ。恨みます。


 なんて酷い仕打ちをしてくれたんだ。

 どうしてそれが俺だったんだ。



 恨みます。



 例え望み通り死ぬ事が出来たとしても、








 絶対に、許さない。











 目が醒めると、いつもと代わり映えしない天井が視界に飛び込んで来た。

 またあの悪夢かとため息を吐き、重く沈んだ気持ちを切り替えるように癖の強い髪を掻きむしって一息に起き上がる。


「グードジア様。お目覚めですか」


 側仕えの女の声が扉の向こうから聞こえてきた。

 あぁ、今日もまた面白くもないただただ面倒な一日が始まる。

 そう思うだけで再びため息が出る。


「今起きました。支度の手伝いは結構ですから、食事の用意をお願いします」


 声と言葉を取り繕って告げると、俺はさっさと身支度を整えた。

 自分の身分がこの無駄に形式張っている神殿に於いて最高位にある事はわかっているので、表向きに関しては取り繕う必要がある。素のままでは何かと都合が悪い。

 好きで手に入れた立場ではないけれど、生まれて此の方ずっとこの神殿の中でしか生きてこなかった俺がこの世界で生きていくには、これまで通りこの神殿で、この立場を守り続ける他ない。

 だから周囲から望まれている人物像を、表向き再現し続けなければならない。

 ならばいっその事、この世界で生きるための仮面を作ってしまえと思った。

 その結果、外面ばかりがよくて内面がどろどろな、今の俺が出来上がった。

 俺の本性を知る者は教皇くらいだろう。


 あぁ、面倒くさい。

 こんな面倒な毎日を、面白くもない毎日を、あと何年繰り返せばいいんですかね、リドフェル神様。

 もう飽きました。




 そんな退屈な日々は嫌でも繰り返しやってきては去り、またやってきては去って行く。


 そんなある日。

 この神殿が置かれている国、アルスト国の王が亡くなった。

 まぁ、数十年に一度は必ず巡ってくる事だ。

 初代国王であるテュストリア=アルストを除く全てのこの国の国王の死を見送ってきた身としては、定期的にやってくる一種の行事のような感覚になっていた。




 過去に経験した歴代国王の葬礼と同じように、今代国王の葬礼をこなす。

 俺の役割は少ないが最も重要な役割だ。

 国教であるリドフェル教が崇めるリドフェル神の代行者として、亡き国王の魂をリドフェル神が司る再生の道へと導く……という名目のごく短い儀式を行う。

 実際のところ、この儀式には全く意味はない。

 何故ならリドフェル神はこの世界だけの神ではなく、数多くの世界を見守る立場にある神であり、ましてや生命を司る神はイフィラ神の方だ。

 俺がどんな儀式をしようとも、魂とやらはリドフェル神の許へ向かうのではなく、イフィラ神の許へと辿り着く。


 下らない。本当に下らない。

 けれどこれが俺の役割だから、沈痛な表情を作って、真面目腐った声で儀式を行った。

 儀式が終わると見守っていた人々から感謝の言葉を受け、退屈を噛み殺しながら「惜しい御仁を亡くし、リドフェル神もきっと悲しんでいる事でしょう」と繰り返した。

 実際のところ、管理している数多の世界の中の、国王とは言えたったひとりの人間のためにリドフェル神が悲しむ事はないだろう。

 何故ならあの神様は生死観が完全に崩壊していて、気まぐれで目についた魂に声をかけ、思いつきのように眷属を作っているのだから。

 実際眷属にされた俺だからわかる。

 あの神様に、命の尊さなんて理解出来るはずがないと。




 葬礼の翌日、俺は新たな国王と顔合わせをする事となった。

 通常俺と直接顔を合わせる事が出来るのは教皇や教団幹部、そして国王くらいだ。あぁ、あとは側仕えなどの世話人もか。

 遠目に見られる事や、葬礼の時のように儀礼の流れで関わる者もいるだろうけど、俺が記憶すればいい顔と名前は当代の教皇と国王だけ。

 今日新たな国王と顔を合わせるのも、そういった流れがあるからだ。

 まずは互いの顔を名を把握する。

 すべき事は、それだけだった。



 対面した新国王は吃驚するくらい若かった。

 聞けばまだ年も18。若者も若者だ。

 とは言っても、この世界では既に成人だから、誰もが敬意を持って新国王に接している。

 俺もそんな周囲に倣って、表面上は敬う姿勢を見せておく。


「はじめまして、国王陛下。私はリドフェル教で神の代行者を務めさせて頂いております、グードジアと申します」


 恭しく頭を下げ、改めて顔を上げて正面を向けば、そこには柔らかい陽射しのような容姿に似つかわしくないほど鋭い雰囲気を纏った青年の姿。

 ぱっと見た感じの印象ではどこにでもいる貴族の若様のようなのに、今目の前にいる青年は既に、国王と呼ぶに相応しい威厳のようなものを滲ませている。


「グードジア殿。この度新たにこのアルスト国の国王となる、フレッグラードだ。今後ともよろしく頼む」


 俺もだけど、国王もフルネームでは名乗らない。

 国王と神の代行者に限る事だが、特定の家名に縛られず、広く国民を守護する者という立場を取る事になるため、名乗る場合はあくまで個人名のみを名乗るのがこの国の通例だった。

 ……まぁ、このアルスト国という国や、リドフェル教という宗教には縛られるんだけどな。


 そう心の中で毒づきながらも、顔だけは笑顔を維持したまま新国王と握手を交わした。

 用件はこれで終了。

 終わった終わった。

 表面は取り繕いながらもそんな心持ちで退室すると、間もなく「グードジア殿!」と背後から呼び止められた。

 振り返れば新国王・フレッグラードが後を追ってきていた。

 面倒に思いながらもここは我慢だと自らに言い聞かせ、足を止める。

 間もなく追いついてきたフレッグラードは俺の前で立ち止まり、先程の鋭い雰囲気が嘘のように柔らかい微笑みを浮かべた。


「先程は公式の場だったから言い出せなかったんだが、今度改めて、公務などではなく、もう少し寛げる場で会う事は出来ないだろうか。国政についてまだまだ勉強中の身でありながら父の急逝で急遽王になったが故に、私はとても未熟な王だ。一方でグードジア殿は長い年月を生き、とても博識な御方だと聞き及んでいる。そこで、もしグードジア殿がよければなのだが、私が立場などのしがらみを取り払った正直な意見を欲した時、貴殿の知恵を貸して貰いたいんだ。私とグードジア殿の間には主従や立場の上下は存在しない。だからこそ何のしがらみもなく対話する事が出来るグードジア殿の、率直な意見を聞かせて欲しいと思っている」


 急に何を言い出すかと思ったら。

 俺は驚きながらも、どう応じたものか返答に苦しんだ。

 立場を考えた返答であるならば「喜んで」だろう。

 だが俺自身としては「面倒くさい」というのが正直なところだ。

 さて、どうしたものか……。


 ちらりと改めてフレッグラードに視線を向ける。

 フレッグラードは期待に満ちた様子で、俺の答えを待っている。

 うーん……。


「そうですね……私などの意見でよろしければ、喜んで」


 まぁ、正直面倒ではあるものの、少し退屈していた面もなきにしもあらず。

 一体いつまで続くのか、どこまで本気なのかはわからないけれど、ここは引き受けておこうと判断した。

 するとフレッグラードは心の底から嬉しそうな顔で「ありがとう!」と礼を言ってきた。

 うわ、眩しい。無邪気ってのはいいもんだな。

 けれど、何か……何と言うか。

 これまで老獪な国王や教皇を相手にしてきたからだろうか。

 若いフレッグラードの真っ直ぐな反応は新鮮だった。

 だからこそこの時俺は、フレッグラードに興味を惹かれたのかも知れない。




 フレッグラードのあの発言は冗談でも何でもなく本気だったようで、顔合わせ以降、定期的に王城への誘いを受けるようになった。

 始めの数年間は当たり障りなく、けれど俺なりの率直な意見を伝えるようなやり取りを繰り返していたけれど、そうしている内にいつの間にか、フレッグラードは俺にとって最も親しみを覚える存在となっていた。

 こんな風に気が置けない相手と出会うのは前世以来だ。

 友人。

 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 気付いた時には俺はフレッグラードと話をするのが何より楽しく、フレッグラードの真面目な癖にどこか抜けている人柄が面白く、すっかり心を許してしまっていた。



 だから話した。

 自分が前世の記憶を持っている事を。

 前世ではこの世界ではない、別の世界で生きていた事を。


 こちらの世界で生まれ変わる際に偶然……本当にこれは奇跡的なまでに偶然、リドフェル神に遭遇して拾い上げられ、リドフェル神の気まぐれで俺は眷属になった事。

 俺も神の眷属だなんてそうそうなれるもんじゃないと思って、面白半分で眷属になる事を受け入れてしまった事。

 今はその事を後悔している事。


 前世で暮らしていた世界に帰りたいと思っている事。

 仮に……と言うかほぼ確実に帰れないだろうと諦めているけれど、ならばせめて、命の終わりが見えない神の眷属というものからは解放されたいと願っている事。

 人並みに年を重ね、寿命を迎えて、前世の世界に戻る事を切望するこの人生を静かに終わらせたい事。

 けれど神の眷属であるが故に、命を落とす事自体が困難である事。

 もし自死を実現させようとしても、膨大な魔力を集め、自らにありったけの魔術を浴びせかけるくらいしか方法が無い事……。



 フレッグラードと話をしていると、自分が自覚していなかった思いにも気付く。

 自分が切望しているものが何であり、何に対して絶望し、絶望の結果、どこを目指そうとしているのか。

 それが鮮明になって、何故か涙が零れた。

 そんな俺をフレッグラードは安易に慰めず、静かに話を聞いてくれた。

 フレッグラードの優しさが、嬉しかった。有り難かった。

 俺はたったひとりの素晴らしい友人と出会えた事で、この世界に生まれて初めて、この世界に生まれて良かったと思った。






 けれど。

 いつものようにフレッグラードに呼ばれて城へ向かった際に、出会ってしまったのだ。

 見た事もないくらい美しく、愛らしい女性に。


 その女性を目にした瞬間、あれだけ忌み嫌っていたこの世界が突然鮮やかに色付いたように感じた。

 あまりの眩しさに目眩がする。

 実際日々の疲れが溜まっていたのか目眩を起こし、俺はその場で倒れてしまった。

 次に目を覚ました時には見慣れない天井の部屋にいて、心配そうな顔でフレッグラードと先程の美しい女性が並んで俺の顔を覗き込んでいた。


「大丈夫か、グードジア」


 フレッグラードが俺の体調を気遣って問いかけてくる。

 けれど俺の目はフレッグラードの隣、美しい顔に不安を乗せたような表情をしている女性に奪われてしまう。

 あぁ、何だこれ。

 心臓が締め付けられる。なのに目が回りそうなほど激しく鼓動を打っている。


「ああ、そうか。グードジアとリュシェは会うのは初めてだったな。グードジア、こちらは私の妻のリュシェだ。リュシェ、こちらはリドフェル神の代行者で私の友人のグードジアだ」


 俺の視線に気付いて慌てたようにフレッグラードが女性を俺に、俺を女性にそれぞれ紹介する。


 妻。

 その一言で、俺は更なる目眩を覚えた。

 言い知れない絶望を感じて、先程までの高揚するような胸の高鳴りとは異なる、心臓が冷え込むような痛みを覚える。

 そこに至ってようやく、俺は自分の状態を把握した。


 馬鹿だ。馬鹿すぎる。

 どうやら俺はフレッグラードの妻だというこの女性に、一目惚れしてしまったようだ。


 あってはならない。今すぐ忘れるんだ。

 大切な友人の伴侶に想いを寄せるだなんて、許されない。




 それからの日々は地獄のようだった。

 忘れようとしても忘れられず、友人への罪悪感も募っていく。

 怪しまれないよう、俺はフレッグラードからの誘いを断る回数を徐々に増やた。

 その結果、フレッグラードが「忙しいなら仕方がない」「くれぐれも体を壊さないように」と俺を気遣う手紙を送ってくるようになった。

 フレッグラードの優しさが、更に俺を苛む。

 同時に、こんな出来た人間に敵うはずが無いだろう、あんなに仲睦まじいふたりの間に俺が入り込めるはずもないだろうという自嘲の気持ちも芽生えてきて……。




 諦めたい気持ちと諦められない気持ち、その両方に散々打ちのめされて、俺はひとつの決断をした。

 この時には既に、俺はどこか壊れていたのだろう。

 けれど決意は揺らがなかった。


 計画を早めよう。

 フレッグラードと話をしている中で見つけ出した自らの望み。

 前世の世界に帰る事は完全に諦めている。

 だから俺に残されている望みはたったひとつだ。

 そう、それは自らの死。


 こんなに苦しいのなら、結局苦しむのなら、もう充分生きたのだから終わってもいいだろう。

 そんな投げやりな気持ちだった。



 そうと決まればすべき事はひとつだ。

 膨大な魔力を……魔力の結晶である魔石を集める事。

 言うには易いが実行に移すのはそう簡単な事ではない。

 魔石は高価で、流通量も多くはない。

 しかも俺の立場で手に入れるには少々難しい面があった。

 リドフェル教の顔でもある俺が、高価な魔石を集めて贅を尽くしているだなんて噂でも流されようものなら、リドフェル教の存続に関わるかも知れないからだ。


 なので最初は教皇に魔石の研究をしたいと持ちかけ、あらゆるルートを通して秘密裏に集めさせた。

 世の中には様々な魔石がある。魔石は作成した者の魔力が凝縮したものだから、色や形、凝縮された魔力量の差で大きさも様々だ。

 その違いを探り、より純度の高い魔石を開発したいと言えば教皇は二つ返事で引き受けてくれた。

 恐らく、もし本当に純度の高い魔石が開発出来れば将来的に教団の資金源になるとでも思っているのだろう。

 いずれにせよ、俺の思惑通り魔石が集まり始めた。けれど集まる速度は遅い。

 やはり高価である事と、流通量が少ない事が原因だった。


 しかし流通量に関しては、この大陸で集めさせているから少ないのだ。

 もっと他の大陸にも手を広げれば……。

 そう思った時、俺の脳裏にフレッグラードの姿が浮かんだ。

 立場を気にせず率直な意見を聞かせて欲しいと、初めて会ったあの日に言われたな、と思い出す。

 人知れず俺は口の端を上げ、不敵に笑んでいた。




「久しぶりだな、グードジア。体調はもういいのか?」


 前回の誘いを断った際に体調不良を理由にしていたからか、フレッグラードは開口一番で俺の体調を心配してくれた。

 けれど俺にその言葉は響かず、俺は俺で新たな仮面を被り、フレッグラードに向き合う。

 目的を達成するために、手段など選んでいられなかった。


「ああ、もう大丈夫だ。心配かけたな」


 以前フレッグラードと友人関係だった時の自分を思い出しながら繕って応じる。

 フレッグラードは疑問に思った様子も無く、ほっとした表情を浮かべた。

 その後しばらくはフレッグラードとは世間話を交わして、俺はタイミングを見計らって本題を切り出した。


「そう言えばフレッグラード。この国の流通について、ひとつ意見があるんだが」

「流通? 言ってみてくれ」


 フレッグラードは真剣な顔つきで話の先を促す。

 俺は深刻な表情を装って、苦々しい口調を作って告げた。


「フレッグラードは以前話した、俺が人並みの人生を送りたいと願っているという話を覚えているか?」

「ああ……」


 話題が話題だけに、フレッグラードの表情は暗く沈んだ。

 俺が人並みの人生を送ろうとするなら、選ぶ道はひとつしか無い事はフレッグラードも知っている。

 本当にお人好しだな、この国王は。


「まだ今ではないが、いずれその道を選ぼうと思った時のために、実は少しずつ魔石を集めているんだ」

「……そうだったのか」


 沈痛な様子で、辛うじて相づちを打つフレッグラード。

 その苦しげな表情に、僅かながらに愉悦を覚えてしまう。

 そうだ、お前も苦しめ。

 俺がこんなにも苦しんでいるのだから、フレッグラードだけではなく、この世界に生きる全ての者が俺と同じくらい苦痛を味わえばいい。

 そんな仄暗い思いが芽生える。


「だが、この大陸での魔石の流通量はあまりにも少ない。そこで、他の大陸から魔石を仕入れる事はできないのだろうかと思ったんだ」

「……」


 フレッグラードは言葉も発さずに、険しい表情でテーブルに視線を落とした。

 けれどすぐに顔を上げ、険しい表情のままひたりと俺を見据える。

 強い意志を湛えた瞳に気圧されて、俺は息を詰めた。


「グードジア。それは出来ない」

「……何故?」

「この国が何故今まで他国から攻め込まれずに済んでいるのか、グードジアは知らないのか?」


 やや責めるような口調でフレッグラードが問いかけてきた。


 何故この国が他国に攻め込まれずにいられたか、だって?

 知ってるさ。

 アルスト国がある中央大陸には、アルスト国以外に国が存在しない。

 同時に、海路が開かれていないから他の大陸から攻め入られる事もなかった。

 それくらい、知っている。

 だから嫌なんだろう?

 他の大陸と交流を持つ事が。他国の人間をこの国に招き入れる事が。


 うっかり仮面が剥がれて薄く笑んだ俺を見て、フレッグラードはぐっと歯を食いしばった。

 俺が他の大陸と交流を持つ事がどういう事なのかわかっていながらこの発言をしたのだと、フレッグラードも理解したようだ。

 さすが親友。

 言葉などなくとも理解してくれるとは素晴らしい。


「フレッグラードの懸念はもっともだ。だが、本当に海路を開く事でこの国が他の大陸から攻め入られると思っているのか? そんな可能性は、実はとても低いんじゃないか?」

「……それは、わかっている。わかっているが、我が国は代々他国と関わらない事で平和を維持してきた。それでも問題なくやってこれた。敢えて今、今ある安定した状態を崩す必要はない」


 もっともらしい事を言えば、フレッグラードの苦悶の表情も更に深まる。

 その表情を見ているだけで、優越感が湧き起こってくる。

 出来た人物だと思っていたけれど、案外そうでもなかったんじゃないか?

 こんなにも停滞している国の状況を憂うどころか良しとする考えのフレッグラードよりも、俺の方が国王に向いているんじゃないか?

 そんな気持ちが頭をもたげてきた。


「閉鎖的な国に、未来はない」

「……苦言として、受け取っておこう」


 そのやり取りを最後に、俺は席を立った。

 フレッグラードは椅子に座ったまま、身じろぎひとつしない。

 そんなフレッグラードの姿が敗者の姿に見えて、俺の心を躍らせる。


 あぁ、楽しい。面白い。

 無能ならば早いところそこから消えてくれないかなぁ。

 ……そうだ。

 フレッグラードさえいなければ、この国も、リュシェも、俺の物になるんだ。

 そうか。

 フレッグラードさえいなければ……。



 そこまで考えたところで、はた、と我に返る。

 今、俺は何を考えた?

 思い出した瞬間、寒気が走ってぐしゃぐしゃと自らの髪を掻きむしった。

 馬鹿か、俺は。

 大事な友人を貶めて、何が楽しいんだ。


 ああ、一体いつの間に俺はこんな風になってしまったのだろう。

 戻りたい。

 楽しかったあの頃に。

 リュシェと出会ってしまう前の、この人生で最も充実していた日々に───






「何を考えている、グードジア……!」


 耳朶を打つ強い声で、俺は目を覚ます。

 いや、目は覚めていた。

 違う、目は開いていたけれど、意識は眠っていたのかも知れない。

 最早俺は、自分でも自分がよくわからなくなっていた。


 俺は教会の大広間で教皇を始めとした教会幹部を相手に今後の行動計画について提案をしているところだった。

 教皇を唆し、他の大陸へ進出する算段を立て、信者を集め、手始めに割と距離の近い西大陸に乗り出すつもりで計画を立てていたのだ。

 目的は魔石集め。

 そのためならば、手段を選んではいられない。


 そんな場所に、国王であるフレッグラードが近衛兵を連れて乗り込んで来た。

 俺はさっと室内の面々に視線を走らせる。

 フレッグラードがこうして乗り込んで来たと言う事は、内通者がいたと言う事だ。

 当然、厳しい目で見遣るも、誰も目は反らさなかった。

 けれど、顔色が悪くなっている人間が数名目に付いた。

 あいつらか。後で処分しなければ。


 俺は顔色が悪くなった教会幹部たちの顔をしっかり頭に叩き込むと、フレッグラードの方へと向き直る。

 内部の人間なら処分するのは簡単だ。

 今は国王様の方を先にどうにかした方が良さそうだと判断した。


「フレッグラード……俺は言ったよな? 閉鎖的な国に未来はないと。なのにお前は動かなかった。このままでは遅かれ早かれ、この国は滅ぶ。だから俺がこの国を解放してやるよ。この国の未来を、更に先の時代へと繋げてやる」


 この場には教皇以外の幹部もいたけれど、最早そちらに配慮して口調などを取り繕おうという気持ちは湧いてこなかった。

 俺はまるで舞台役者のような大仰な動作で両手を広げ、対フレッグラード用の仮面を被り、表面を取り繕った大層な志を朗々と語った。



 違う。こんなのは本心ではない。

 いや、これこそが俺の本心だ。


 違う。俺が望んでいるのはそんなものではない。


 違う。これこそが、俺が切望していることじゃないか。



 違う。



 違う。




 違う、違う、違う……!!




 ……一体何が違うんだ?

 どれが俺の本当の心なんだ?

 あぁ、もう、どうでもいい。何もかもがどうでもいい……。




 せめぎあう思考の渦に呑まれかける。

 あらゆる思考が入り乱れて、最後には最も楽な、全てを諦める方向へと意識が向いた。

 もう、何も考えたくない。

 ただ楽になりたい。

 それだけが、今の俺にとって唯一無二の希望となっていた。


「……この国の王は、私だ!」


 考える事を放棄している俺の頭を横から殴りつけるように、フレッグラードの怒声が響いた。

 基本的に穏やかで冷静、大声など上げているところを見た事もなければ聞いた事もないフレッグラードの怒りの叫び。

 これにはこの場にいた全員が首を竦めた。

 俺もあまりの迫力に息を呑んだ。

 それほどまでに、フレッグラードは怒っている。


 誰が怒らせた?

 俺だ。

 何故怒らせた?

 それは俺が、フレッグラードが望まぬ方向へこの国を動かそうとしているからだ。


「……大量の魔石を集めるにはこの大陸では手狭だ。だからこそ、他の大陸にも手を広げるべきだ。というのは、あくまでも俺の都合ではある。しかし結果的にこの国は潤うだろう。この国の繁栄のためならば、俺は戦争をも厭わない覚悟だ」


 俺は極力動揺を表に出さないように気をつけながら、はっきりと自らの意見を口にした。

 自らの意見。

 本当にそうだろうか?

 あぁ、またこの自問自答に陥るのか。

 ならばもう考えるのはここで終わりだ。考えるだけ無駄だ。

 何故なら俺はもう、自分の考えなど自分でもよくわからなくなっているのだから。


「グードジア……お前の意見については私も真剣に考えた。まだ答えには辿り着けていないが、今も真剣に考えている。しかしお前は私の答えを待たぬまま、自分勝手にこの国を混乱に陥れようとしている」


 聞いた事も無いような、地を這うようなフレッグラードの低い声。

 どうやら俺は、フレッグラードの中で燃えていた怒りに更なる火種を与えてしまったようだ。


「確かに私はお前に率直な意見を聞かせて欲しいと願ったが、いくらリドフェル神の代行者と言えど、国そのものを動かそうなどというのはその役割から逸脱した行為だ! この国の繁栄のためなら戦も厭わないだと? 何故交易の手を広げようという話の中で、戦争を覚悟する必要があるんだ? その思想は一体どこから来た。お前の願望から来ているんじゃないのか? ……私は、戦争など無意味だと思っている。お前は折角平和に暮らせているこの国に戦争を持ち込んで、この国を滅ぼすつもりか!?」


 フレッグラードの怒りで燃えている瞳が、失望の色を濃くする。

 その事に気付くなり俺の中で、決して壊れてはいけなかった……壊してはいけなかった最後の砦が砕け散った。


 あぁ、そうか。

 俺は今、大事な友人を失ったのか。


 そう思って沈み始める気持ちがある一方で、


 これでフレッグラードに依存する心に区切りを付けて、思う存分自らの願望を叶えるべく動けるというものだ。


 と、歓喜する気持ちが浮上する。

 沈んで行くフレッグラードという友人への気持ちと、急激に浮かび上がってくるフレッグラードという敵への対抗心。

 どちらが勝つかと言われたら、当然後者だった。

 自分の中で何かが振り切れる。

 自分の口から笑い声が漏れ出し、抑えようとしても止まらない。


「ふっ、ふふふ……はははははっ!」


 突如笑い出した俺に周囲はぎょっとした顔をしていたが、俺が笑いを収め、すっと抜け落ちるように表情を消すと、今度は恐ろしい物でも見たかのように怯えた顔に変わる。


「帰れ、フレッグラード。ここは神殿だ。それも、神殿の中枢部だ。例えお前がこの国の王であろうとも、神殿は国の支配下には無い。これ以上ここに留まるようなら、神殿内での法に則り、お前を投獄しなければならなくなる」


 俺の言葉にフレッグラードは悔しげに表情を歪め、「帰るぞ」と近衛兵に声をかけると、俺には一瞥もくれずに去って行った。

 その姿を見送り、俺は勝利の余韻に浸る。


 勝った。フレッグラードに勝った。

 俺がこの国を手に入れるのも時間の問題だ。

 この国を手に入れさえすれば、リュシェも俺の物になる。

 そうだ、俺が一刻も早くこの国と共にリュシェを手に入れるためにも、フレッグラードにはその立場から早いところ退いて貰おう。

 どうするのが手っ取り早いだろうか?


 考えるまでもない。

 フレッグラードの無能を喧伝し、信用を失墜させればいい。

 簡単だ。

 何故ならフレッグラードは、誰の目から見ても愚王に他ならないからだ。


 にやりと、無意識の内に口許に嫌らしい笑みが浮かぶ。

 けれど俺自身にはその自覚などなく、一刻も早く自らの望みを叶えるべく、この場に集まった面々に次の指示を与えた。

 当然の事ながら、裏切り者たちにはここで退場して貰う。

 せいぜい苦しんで苦しんで、この世界を恨みながら干涸びて死ぬがいい。






 フレッグラードの悪評を流すのは簡単だった。

 何せリドフェル教はアルスト国の国教。

 特にこの首都テデリンには熱心な信者が多い。

 俺が「神は憂いている。この国が閉鎖的であるが故に、衰退の一途を辿っている事を嘆いておられる」と言えば、それだけで事足りたのだ。

 後はそれを聞いた信者たちが勝手に動く。


 あっという間に信者たちは城を取り囲んでフレッグラードを責め立て始めた。

 その光景を教会の窓から見下ろしていると、愉快で愉快でしょうがない。

 今頃城内ではフレッグラードがあの整った顔を苦悶で歪めているかと思うと、それだけで気分が良かった。




 しかし、予想外の事が起こった。


 「急報!」と叫びながら男が街中を駆け抜けて行く。

 男が通り過ぎた後には何やら紙が散乱しており、街の人々はその紙を拾い上げては悲鳴に近い声を上げていた。

 教会の窓から何事かと思いながら様子を窺っていると、教皇から急ぎの連絡が入った。

 その内容を耳にした時、目の前が真っ暗になった。


 “王妃リュシェの急逝”



 嘘だ。

 嘘だ、嘘だ、嘘だ……!


 信じられないという思いが思考を埋め尽くして行く。


 何故だ。

 何故だ、何故だ、何故だ!?


 湧き上がる疑問に思考がついていかない。


 けれど不意に。

 意識の底に沈み込んでいた自分が、ゆっくりと浮上してきた。

 浮上してきたそいつは、暗い顔をして淡々と告げる。


「お前が殺したんだよ。お前が、自ら愛する者を殺したんだ。大切な友人を裏切って苦しめ、愛した者のみならず友人までをも失って。ようやく手に入れたこの世界での居場所を、お前は自ら粉々に砕き、捨てたんだ。全部お前のせいだ。全部。全部全部全部、お前が壊したんだ」


 心臓が握りつぶされたかと思った。

 俺は絶叫してうずくまり、周囲に集まった人々になど目もくれず、意味を成さない言葉を声の限り叫び続けた。











 その後の事は、あまりよく覚えていない。




 気付いた時には俺は祭壇の間にいた。

 黙々と床や壁、柱、天井に独自の術式を組み込んだ魔法陣を描いていく。

 部屋の壁際や入り口付近の6箇所に気絶させた贄を置き、自らは部屋の中心部に立つ。

 手元には、今日まで集め続けてきた魔石の山。

 きっとこれだけでは足りないだろう。

 わかっている。

 この魔術は、失敗する。


 でも。

 それでも。


 俺の命を消すには、充分だろうと思った。

 魔法陣に書いた術式は、敢えて失敗するように、失敗はするけれどその反動は最大限術者である俺に戻ってくるように、計算して組み込んである。

 今の俺に出来る精一杯。



 あぁ、どうして。

 どうして俺は何ひとつ望むものを手に入れられなかったのだろう。


 後悔に苛まれながら、魔力を魔法陣へと流し始める。



 あぁ、どうして。

 どうして俺はこの世界に生まれてきてしまったのだろう。



 どうして。



 どうして。



 次々と押し寄せる波のように、後悔の念が俺の魂を削り取り、打ち砕いて行く。




 ……ごめんな、フレッグラード。

 お前の大事な人を、俺は殺してしまった。

 そして今度はお前を巻き添えにして、お前の愛したこの国そのものをも巻き添えにして、俺は俺に残された最後の願いを叶える。


 俺を恨め。

 俺は口に出して謝らないし、許しも請わないから、存分に俺を恨め。




 だから神よ。俺はあなたを恨みます。


 なんて酷い仕打ちをしてくれたんだ。

 どうして俺ばかりがこんな思いをしなきゃいけないんだ。



 恨みます。



 例え望み通り死ぬ事が出来たとしても、絶対に許さない。

 俺にこんな結末を選ばせた運命を、その運命に導いた神を、世界を、俺は決して許さない……!







「こんな、望みが何ひとつ叶わない世界なら、苦しみと絶望しか与えてくれない世界だというのなら、俺と共に滅んでしまえばいい!」


 魔法陣が一際強く輝いた。

 術式に沿って魔術が展開され、発動する。

 青黒い光が、一瞬にして全てを呑み込んだ。

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