114. 旧神殿
ムツキを先頭に歩き出して暫くすると、不意に景色が歪んだ。
かつて発生した魔力暴走事故の影響で大地が枯れてしまっているこの大陸は、どこまで行っても茶色く荒廃した景色が広がるばかり。それ故に、歪む前後で景色が大きく変わったようには感じなかった。
けれど確実に、さっきまでいた大陸南東部とは違う場所に立っている事がわかる。
何故なら、前方に大きく抉れた地面が見えたからだ。
「ここは……大陸の中央部?」
眼前に広がる抉れた地面には水が溜まっていた。水位は深さに対して3割あるかないか。
湖と化している水溜りの中央に、黒い塔が顔を覗かせている。
その光景を眺めながら、私はソムグリフの記憶を引っ張り出していた。
見覚えがある。
ここは、魔力暴走事故直後にソムグリフが目を覚ました場所。ソムグリフが白神竜と初めて対面した場所だ。
あの時は降りしきる雨のせいで視界が悪く、抉れた地面の淵しか見えていなかったけれど、間違いない。
アルスト王国の首都の跡地だ。
「そう。ここにはかつてアルスト王国の首都テデリンがあった場所だよ。そこのクレーターの中心が、旧神殿」
そう告げると、ムツキは迷わず抉れた地面……クレーターの中へと飛び込んだ。
ナギやファルジークもそれに続く。
ムツキたちを信じてここまでついて来たんだ。私にも迷いはない。
私は淵に足をかけてクレーターの深さを確認した。こうして淵から見下ろすとかなり深い。
ムツキたちを信じる事に迷いはないけれど、あまりの深さにちょっとだけ躊躇してしまう。
別に高所恐怖症とかではないんだけど、ただ単純に、下りたらもう二度と戻ってこられないような、言葉にし難い不安が飛び込む事を躊躇わせる。
正体の掴めない不安を抱いて動きを止めていると、不意に背後から手を引かれ、後ろに倒れかけた所を軽々と抱き上げられた。
不安に気を取られ過ぎて反応できなかった自分に吃驚しながら、視線を上げる。
お姫様抱っこをされた事で、視界一杯にハルトの顔が映った。
ハルトは私と目が合うと、
「大丈夫だ。行こう」
と、私の心の内を察したのか、安心させるような微笑みを向けてくれる。
それだけで私の中に広がっていた不安はあっさりと吹き飛ばされた。
同時に弱気になっている自分に気付かされて、私は自らの両頬を思い切り叩く。じんとした痛みが皮膚の表面から染み込むようにして広がった。
私は自分の判断でムツキたちを信じてついてきたけれど、ハルトたちは私の判断を信じてここまで来てるんだから、私が弱気になってどうする!
そう自らに活を入れると、ちょっと驚いた表情を浮かべているハルトに強気の笑みを向ける。
「うん。大丈夫! 行こう!」
ハルトの言葉を繰り返すように口にして両手で拳を作ると、ハルトだけでなく、タツキやブライからも笑い声が上がった。
さぁ、気合いも入れ直したし、早くムツキたちを追わないと!
早速私はハルトの腕から抜け出して自力でクレーターを降りようと……したけれど、何故かハルトが放してくれず。結局ハルトに抱き上げられたまま、クレーターを下りる事になってしまった。
「ひゃーっ、お熱いねぇ!」
ハルトが器用に風属性魔術を駆使してクレーターを下りきると、先に湖の淵まで下りていたナギがからかいの声を上げる。
何だか一気に緊張感が霧散したんだけど……。
大丈夫なの? こんなに気が緩んでて。
「ここから水の中を移動するけど、姉さんたちは自力で何とか出来る?」
すっかり緊張感のなくなってしまったこちらに向けて、まるでナギの発言などなかったかのように淡々とムツキが問いかけてきた。
本当にムツキはマイペースだなぁ。
「私は大丈夫だけど、ハルトは大丈夫?」
私はハルトの腕から下ろして貰いながら、ハルトに問いかけた。
妖鬼は生命維持そのものが魔力によって成されているので、水の中で呼吸が出来なくても命を落とす事はない。
私も“水の中は息が出来なくて苦しい”という前世の記憶のせいで苦手意識があるくらいで、特別対策を取らなくても水中での活動に支障はない。
恐らくブライも同じだろうし、タツキも色々と規格外だから問題ないだろう。
そうなると、気掛かりなのはハルトだ。
ハルトは神位種とは言え、人族だ。水中で長時間行動するのは難しいだろう。
思い付く方法としては、結界を張って、風属性魔術で結界内部を空気で満たす……くらいだろうか。
それでも空気の入れ替えをしないと酸素が減るから危ないのかな……。
「水中か……。ちなみにムツキはどうするつもりなんだ?」
「風属性魔術を自分の周囲で発動させ続けて、常に水上から空気を取り込み続ける、かな」
「それはまた……相当な魔力量がないと厳しいな」
ハルトは困り果てた様子で嘆息した。
ムツキが言う方法が一番良さそうだけど、確かに常に魔術を発動させ続けるには相当な魔力量が必要になる。
となると、若干調整が難しいけれど私が制御術式を交えて風属性の古代魔術を使って代行するか、もしくは元々風属性魔術が得意なハルトに魔石で魔力を補充しながら自力で魔術を維持して貰うか、そのどちらかになりそうだ。
「そういう事なら、我がその魔術を代行してやろう。主よ、万が一我が魔術を維持出来なくなった場合はすぐにハルトに結界を張って貰えないだろうか」
「うん、わかった。よろしくね」
悩んだ末に私が挙手するより早く、ブライが請け合う。
そして万全を期すためにタツキにいざと言う時の対処を依頼すると、タツキも快くブライの提案を承諾した。
そんなこちらの様子を見ていたムツキは小さく笑みを浮かべ、「じゃあ行こうか」と、目の前の水溜りの中へと足を踏み出す。
ここまでの道中と同じくムツキの後ろをナギとファルジークが、その更に後ろを私たちが続く。
水中に入ると同時にムツキが風属性の魔術を発動させ、自らの体を覆うように水上から引き入れた空気を纏った。
ハルトにも、ブライが同様の魔術を施してくれる。
ちょっとだけ羨ましく思いながら、私は私で自己暗示をかけ始める。
私にとっては水も空気と同じ。だから苦しくない。苦しくない。
水中だからどうしても水の抵抗がある分動きが鈍くなるけど、全員が全員常人離れしているからか、地上を歩く速度と比べてもさほど歩速が落ちている様子もなく。
水の中の視界も良好だ。
魚などの生物は一切おらず、水中植物もまるで見当たらない。足下も砂ではなく岩石なので足場の安定感は抜群で、砂が舞う事もない。
そうして思いの外広い水中をひたすら歩き続けていると、向かう先に黒い影が見え始めた。
恐らくあれが旧神殿なのだろう。結構巨大な建物だ。
近付くにつれて、かつて威容を誇ったであろうその姿が鮮明に見えてくる。
イフィラ神の神殿に匹敵するような立派な建造物は全体的に黒っぽい素材を壁材にしているようで、目に眩しいイフィラ神の白亜の神殿と比べると重苦しい印象を受ける。
やや傾いてはいるものの、中央大陸全体の大地を枯らした魔力暴走事故の中心地とは思えないほど、傷ひとつなく綺麗に残されていた。
「ここが?」
私が問いかけるとムツキは一度振り返って頷き、そのまま開け放たれたままになっている入り口へと歩を進める。
本当にマイペースだなぁ……。
ムツキの後をみんなしてぞろぞろとついて行く。
そうして旧神殿内部に入ると、重厚な雰囲気のエントランスホールが広がっていた。
不思議な事に、入り口の扉が開かれていたにも関わらず建物の内部には水が一切入り込んでおらず、旧神殿内は空気で満たされている状態になっていた。
ここまでくればもう、ハルトもムツキも風属性魔術で空気を確保しなくても大丈夫そうだ。
ムツキは発動させ続けていた風属性魔術を解除すると、慣れた様子で正面の幅の広い階段を上り、エントランスホールからも見える2階部分の大きな扉の前に立つ。
その扉も入り口同様、開かれていた。
「この先の部屋でグードジアは欠陥のある魔法陣を発動させて、魔力を暴走させたんだと思う」
私たちを室内に誘うようにムツキは扉の脇に立ち、こちらに視線を向けてくる。
私は思わずタツキと顔を見合わせた。
恐らく今、私とタツキは鏡合わせのように良く似た顔に同じような表情を浮かべている事だろう。
困惑。
ムツキを信じていないわけではないけれど、何故かこの誘いに乗ってはいけないような気がする。
けれど、グードジアが何故突如膨大な魔力を扱おうとし、魔力を暴走させたのかは知りたい。
そんな葛藤の中、クレーターに降りる時に感じた、あの正体不明の不安が蘇ってきた。
この先に、私が感じている不安の原因があるように思える。
行くべきか。
行かざるべきか。
「我は主と共にここで待機しよう。リク、後ろは気にせず行ってくるがいい。ハルトはリクと共に行け」
と、私に次いで感知能力が高いブライがそう提案してきた。
きっとブライも私と同じく「この誘いには乗ってはいけない」という感覚があるのだと思う。故に、主であるタツキの意志も確認せずに半ば決定事項のように告げてたのだろう。
私はブライを見上げ、その目をじっと見つめる。
ブライも頭を低くして私に視線を合わせる。
私が思う存分ムツキたちを信用できるように、疑う方はブライが担ってくれているのだと、ブライの目を見て理解した。
疑う方は自分の方でしっかり疑って備えておくから安心して行ってこいと、ブライの目が言っているような気がする。
直接ブライの口から言われた訳じゃないのに、何だか嬉しくて微笑むと、ブライも目を細めて薄らと笑んだ。
「ちょっとそこ、ふたりの間だけで納得しないで欲しいんだけど……」
やや不満げな表情と声音でタツキが割って入ってきたけれど、すぐにタツキもいつもの優しい笑顔を浮かべた。
「でも僕も賛成。僕はここで待ってるから、ふたりは行ってきて。リク、もし可能だったら魔力暴走事故の情報を少しでも拾い上げてきて欲しい。ハルト、リクの事を頼んだよ」
「もちろん!」
「任せておけ」
タツキの言葉に私とハルトはそれぞれ頷いて、改めてムツキの方を振り返る。
ムツキもナギもファルジークも、こちらの会話を聞いていただろうに気にした様子もなく待っていてくれた。
よし。
覚悟を決めてここまで来たんだし、背後の心配もないんだから、もう不安なんて忘れてしまおう。
私は意を決して、階段を上り始めた。
ハルトもすぐに私の隣に並んで、階段を上りきった先、開かれた扉の向こうへと踏み込んで行く。
室内に入ると、薄暗さで足下に転がっていた何かにつまずいてしまった。
自力でバランスを取るより早く、ハルトが支えてくれる。
そのまま視線を床に落として、何につまずいたのかを確認して……。
「ぅわっ!」
私もハルトも反射的に飛び退いた。
足元に転がっていたのは、人骨だった。
よく見れば室内の至る所に人の物と思われる骨が転がっている。
何この、邪悪な儀式の跡地みたいな部屋はっ!
「姉さん、部屋一杯に描かれた魔法陣を見て何か気付かない?」
いやぁ、正直あまり正視したい光景じゃないんですけどね……!
しかしムツキが問いかけてきた内容も気になる。
恐る恐る顔を上げてムツキが言うように室内の魔法陣全体を見てみると、何かが意識の端にひっかかった。
規則的に配置されている人骨。
床や壁、柱に至るまで描かれている消えかけの線。
中心部の祭壇に置かれた大きな器。
その横に、室内で最も損傷が酷いひとり分の人骨。
中心部にある人の骨が身に付けている、色褪せてしまっている服装に、見覚えがあった。
「グードジア……?」
ソムグリフが直接まみえる事のなかった人物。
けれど一度だけ、フレッグラードが姿絵を見せてくれた事があった。
フレッグラードは絵を描くのが趣味だった。
忙しい仕事の合間に少しずつ描いて、数こそ少ないけれど、親しい人たちの姿絵をよく描いていた。
ソムグリフが最後に見せて貰ったのはフレッグラード自身を含む家族の肖像画だったけれど、その前に仕上げた絵こそが、グードジアの姿絵だったのだ。
「そう。あの中央のがグードジア。他に気付いた事はない?」
「他に?」
私は改めて室内を見回す。
そうしている内にいつの間にか、私の目には室内に転がる骨さえもひとつの魔法陣の一部のように見え始めていた。
そう、この線の流れ、骨の位置、その下に描かれた小さなひとつひとつの魔法陣。その小さな魔法陣が中央の大きな魔法陣に接続されて、何かひとつの魔術を完成させようとしているように見える。
一体どんな魔術を?
そう考えた時、辛うじて読み取れる術式から導き出せたのは、ひとつのとある魔術だけだった。
「もう少し時間をかけてじっくり術式を確認しないと断言はできないけど、この魔法陣は空間魔術を使おうとして作られたものなんじゃないかな」
「……やっぱりそうか」
その呟きを残して、ムツキの気配が離れた。
次の瞬間、大きな音を立てて、背後の扉が閉じられた。
案の定か……!
「おいっ、ムツキ!」
すぐにハルトが閉じられた扉に駆け寄って呼びかける。
けれど、向こう側からは全く反応がなかった。
扉を閉めると外に音が漏れにくくなる部屋なのかも知れない。
そもそもこんな魔法陣を扱っているのだから、もしかしたらこの部屋には相当高度な結界魔術が施されているのかも。
私は床、天井、壁、柱に至るまでじっくりと魔法陣に組み込まれている術式や図を確認していく。
そうしてひとつひとつ確認して繋ぎ合わせていく内に、ある事に気がついた。
これは……。
「ハルト、多分大丈夫だからちょっとこっちに付き合って」
私は魔法陣から目を離さずにハルトを呼ぶ。
すぐにハルトが隣に戻ってきてくれたので、視線をハルトの方へと移した。
「一体……」
ハルトはそこに続くであろう「何をするつもりなんだ」という言葉を、私と目を合わせるなり呑み込んだようだった。
私はただただ自分の覚悟が伝わるように真っ直ぐにハルトを見て、ハルトが口を噤むのを確認すると魔石の入っているポーチを押し付けながら告げた。
「今からグードジアを取込むから、もし私が倒れたらしばらく様子を見て。しばらくしても私が全く目覚めそうになかったら、タツキに念話で連絡を取って欲しいの」