109. 戦争終結
戦争が終わった。
魔王レグルスはムツキに連れて行かれてしまったけれど、レグルスとその配下であるギニラック軍を壊滅させた事で城塞都市アルトンを守り切る事は出来た。
シグリルたちと無事再会出来た事を喜び合った後、私はアルトンには寄らずにタツキを連れてフォルニード村に帰る事にした。
領主様は是非寄って行って欲しいと言っていたけれど、やはりどこかでまだ拒絶される可能性がある事が恐かったのだ。
更に言えば、長い事眠っていて起き抜けに全力で戦った上、魔力もそこそこ消耗して疲労がピークに達しており、正直なところすぐにでも帰って眠りたかった。
なので後日改めて訪れる事を約束し、後の事はシグリルたちにお願いしてフォルニード村に帰還させて貰った。
フォルニード村に戻るとアルトンに向かう際に見送ってくれたみんなが、私を出迎えるために村の広場で待っていてくれた。
「ただいま〜」
私は気力が限界ギリギリの状態で、ふらふらとみんなの方へと歩いて行く。
するとそんな私を見かねたハルトがセタをサラに託して駆け寄ってくると、ひょいと私を抱え上げた。
久々のお姫様抱っこだ。
「ちょっ……!」
「お帰り、リク」
抱え上げられた瞬間は拒否しそうになったけれど、優しい声と眩しい笑顔を向けられて口を噤む。
みんなが……セタまでもが見ている前で恥ずかしいっ!とは思ったものの、長い事離れていたせいか、結局はハルトに甘えたい気持ちの方が勝ってしまった。
下ろして貰おうとしていた気勢はあっという間に削がれて、私は大人しくハルトに抱き上げられたまま、部屋まで連れて行って貰う事にした。
運ばれている間、ハルトが私を気遣って慎重に運んでくれているのがわかって、ついハルトの顔をじっと見てしまう。
そんな私の視線に気付いたハルトが、目を細めて微笑んだ。心臓がきゅっとなる。
私はえいっと、甘えたさついでにハルトの胸に頭を預けた。温かい。ハルトの傍にいると、安心する……。
疲れのせいもあるだろうけど、久しぶりに大きな安心感に包まれて気が抜けたのか、猛烈な睡魔に襲われる。
私は意識を塗りつぶして行くような眠気に逆らわず、ゆっくりと目を閉じ──
急激に意識が浮上して、目を覚ます。
まだぼんやりしながら身じろぎしようとするも、ひとり用の狭いベッドが更に狭いように感じて隣を見遣った。
すぐ隣ではセタが寝息を立てていて、セタを挟んだ向こう側ではハルトがこちら側に身体を向けて眠っている。
そりゃ狭いわけだ。
むしろハルト、よく向こう側に落ちずに寝ていられるなぁ……などと感心していると、ハルトがぱちりと目を開けた。
いまいち焦点が合わないながらもこちらに視線を向けてくると、
「リク……まだ、朝じゃないぞ……」
どうやら寝ぼけているようだ。
ハルトはそう呟くなり、再び目を閉じて穏やかな寝息を立て始める。
ハルトも疲れているのかも知れない。
視線を窓の方へ向ければ、まだ太陽が上り始めたばかりなのか、薄暗い森の様子が見えた。
ハルトが寝言で言ってた通り、起きるにはまだ少し早そうだ。
まだ起きなくていいのだと思った途端に、改めて眠りの世界へ誘われていく。
清浄な朝。
家族の寝息が聞こえる、穏やかな時間。
こんな幸せな時間が、ずっと続けばいいのに。
そんな日々を迎えるためにも、一刻も早くムツキを……リドフェル教を止めないと。
そう思いながら、私は再び眠りに落ちた。
それから程なくして、私はハルトに揺り起こされた。
目を開ければ窓外はすっかり明るくなっていて、人々が活動しているざわめきが耳に届く。
「おはよう、リク」
「おあよーございまっ。おかーさ」
「おはよう、ハルト。セタ」
既にベッドから出て身支度を整えているハルトに抱きかかえられて、セタがにこにこと笑っている。
あぁ、可愛い。どうしてこんなにもうちの子は可愛いんだろう!
私は半身を起こして軽く伸びをしつつベッドから下りると、ハルトからセタを受け取った。
腕に乗る重みが愛おしい。
きゅっとつかまってくる仕草も愛おしい。
たまらずセタの額に自分の額をくっつけてぐりぐりして、更に頬をくっつけてその柔らかさを堪能していると、ハルトが苦笑した。
「わかるわかる。やりたくなるよな、それ」
「本当にもうっ、どうしてセタはこんなに可愛いんだろう! 困るっ!」
子供特有の高めの声で嬉しそうに笑い声をあげるセタを愛でる、愛でる、愛でまくる!
離れていた分も取り返したい気持ちで一杯だ。
そうしていると、ハルトがセタごと私を包み込むようにして抱きしめてきた。
こつんと音を立ててハルトの額が私の額にくっつく。
「まったく、リクは無茶しすぎだ。やっと目を覚ましたと思ったらすぐに飛び出して行くし。セタが可愛いと思うならもう少し自重してくれ」
ごもっとも。いや、もう本当にごもっとも……! 反論の余地がない。
なので素直に「ごめんなさい」と謝っておく。
するとハルトは私の肩に頭を預けて、更に強く抱きしめてきた。
「あーもうっ。身分も何もかも捨てて、どこか遠くでリクとセタと三人で静かに暮らしたいなぁ」
唐突に耳元で捨て鉢気味な言葉を吐き出したハルトに、思わず私は吹き出して笑ってしまった。
「そんな無責任な事、出来ない癖に」
「う……」
ハルトが苦悩するのもわからないでもない。
ただの平民に生まれていたら。
神位種でも魔王種でもなく、ただの人族や魔族として生まれていたら。
強大な力に脅かされる事はあるかも知れないけれど、立場によって縛られ続けることもなかったのにと思う気持ちは何となくわかる。
けれどきっと、そうであった場合。私とハルトはこの世界で再会する事はなかっただろう。
この特殊な立ち位置だったからこそ、私とハルトはこの世界で互いの存在に気付けた。
私とハルトだけの話じゃない。
これまで出会った人たちみんなが、この人生でなければ出会えなかったであろう人たちばかりなのだ。
ハルトもそれがわかっているからこそ、自分が生まれた時から背負っている立場を捨てずに今までやってきたのだろう。
……あ、いや、一度は捨ててるのか。でも今は戻って責任を果たそうとしているからセーフだよね?
でもその件だってハルトが人生の指針としているジルとの出会いのきっかけになったわけだし、今世の私の存在にハルトが気付いたのもその件のお陰だと思うと、大事な出来事だったんだなと思う。
「おとーさ、どこかいたい?」
私とハルトとの間に挟まれているセタが、心配そうな顔でハルトを見ている。
ハルトは顔を上げると少し情けない笑顔を浮かべてセタの髪を撫でた。
「心配してくれてありがとう、セタ」
ハルトはそう告げると、私たちを抱きしめていた腕を解く。
そのまま視線を窓外に向けると、「そろそろ行くか」と小さなため息と共に呟き、私とセタに手を振って部屋を出て行った。
恐らく向かう先は階下にある会議室だろう。
フォルニード同盟はゴルムアの存在や戦争そのものから自分たちの身を守るために作られた組織だ。
私の予想では、フォルニード同盟の今後についての話し合いと、アールグラント側の意向や支援に関する話題が上るのではないかと……思っていたのだけど。
夜になり、疲れた顔で戻ってきたハルトに何気なく今日はどんな話し合いをしたのか確認してみたところ、どうやら私の予想は外れていたようだ。
ハルトから聞いた話を要約すると。
昨日のうちに人族領側は人族領側で、魔族領側は魔族領側で、今回の戦争の後始末について緊急の話し合いを行ったらしい。
そうして出された結論を、互いに擦り合せたいと考えたようだ。
しかし人族の国と魔族の国の間には、友好関係にあっても念話でやり取り出来るような仕組みが作られていなかった。そこで白羽の矢が立ったのが、フォルニード村……フォルニード同盟だ。
フォルニード同盟にはフォルニード村にハルトがいる事やこれまでの復興支援の関係でアールグラント王国と、同じくマナがいる事や復興支援の関係でギルテッド王国と念話でやり取り出来るように環境が整えられている。
双方から請われる形で、フォルニード同盟は人族領側と魔族領側の中継……橋渡しをする事となった。
そしてその結果、夜が明ける前にひとつのおおまかな指針が決定した。
今回の戦争では戦争をしていた3国全てが壊滅してしまったので、支配者不在となった領土についてはオルテナ帝国とランスロイドの領土は人族領側で、ギニラック帝国は魔族側で管理する方針になった。
双方共に戦争が起きる前と変わらぬ関係を続けたいと考えた結果、どちらかが一方に進出するような結論は避けた形だ。
ちなみに、フォルニード同盟はランスロイドから受け入れた人族についてのみ、責任を負う事になっている。
正直フォルニード村も復興途中で物資に乏しく、結局のところ復興を支援しているギルテッド王国やアールグラント王国の力を借りなければならない状態だ。
いずれにせよまだまだ詳細を詰める必要があるので、ハルトはアールグラント王国の代表者として、その辺の折り合いをつける役目を担う事になったようだ。
ハルトたちの詳細を詰めて行く会議は数日にも及び、その間にアールグラント王国から、オルテナ帝国と騎士国ランスロイドの復興はエルーン聖国が担うという知らせが舞い込んで来た。
魔族領側の元ギニラック帝国に関しては彼の国を制圧した魔王タラントが元ギニラック帝国を属国にする事であっさり解決したけれど、人属領側のオルテナ帝国と騎士国ランスロイドの国主不在問題は深刻だった。
復興をさせるにも指導者が必要で、しかしオルテナ帝国も騎士国ランスロイドも王族は全員戦争で命を落としている。
かと言って生き残った各亡国の権力者に任せるにも、「国が滅亡する要因ともなった戦争に賛同していたような人物に、復興の指揮を任せてもいいのか?」という疑問符が付いてしまう。
結果的に復興の指導者として名乗りを上げたのが、聖国エルーンだった。
宗教国であるためか、彼の国の王族は気性が穏やかで平和思考。更に人々の心を癒す事に長け、勇者を排出する神殿を抱えている事に誇りを持っている……らしい。
ハルトから聞いた話だと、聖国エルーンの王族は神殿の影に隠れて目立たないけれど、国を維持するために宗教を利用する狡猾さもあり、けれどやはりお国柄なのか人格者が多いのだとか。
現在聖国エルーンの王族には五人の王子がいて既に全員が成人しており、外交などで政務にも携わっているから問題なく采配を振れるんじゃないか、との事。
ちなみに復興の際のリーダーとして選出された第3王子と第4王子にはそれぞれ、どこの国にも所属せずに神殿で暮らしている神位種がひとりずつ付けられるらしい。
神位種って現時点で一体何人いるんだろうね?
それでもって、そんな驚異的な戦力を秘匿している神殿も何を考えているのかわからないから恐い。
魔王種ならきっと、全員が全員そう思っている事だろう。
そうして人族領側では慌ただしく元オルテナ帝国領と元騎士国ランスロイド領の復興へ向けた準備が始まったものの、早速ひとつの大きな障害が立ち塞がった。
それはギニラック軍の魔族を含む、今回の戦争で命を落とした人々の亡骸だ。
先遣隊がそれぞれ各地を見て回った結果、両国には無数の亡骸が放置されていたそうだ。
そのまま放置すれば疫病が発生しかねないし、血の染み込んだ大地の浄化も急務である事が判明した。
故に、浄化魔術の使い手には元オルテナ帝国領と元騎士国ランスロイド領での浄化作業に手を貸して貰いたい、という旨の要請が神殿から出された。
浄化魔術の使い手。
フォルニード村では私、ハルト、フレイラさんがそれに当たる。
タツキやブライも使えるだろうけど、あのふたりはその能力を明らかにしていないのでこのまま秘匿して、フォルニード村の守りについて貰う事にした。
聖国エルーンが敢えてフォルニード村にこの通達を出したのは恐らくハルトとフレイラさんの事をあてにしての事だろうけど、ハルトはアールグラント王国の代表者としてこの場にいるので、実質動けるのは私とフレイラさんになる。
私はまだ神殿に神聖魔術が使える事はバレていないだろうから、フレイラさんだけが出る事になるのだろうか……と思っていたら。
「リクが大規模な神聖魔術を使える事は、既に神殿側にバレてるみたいだよ」
タツキがため息を吐きながらそう言ってきたのは、通達を受け取った翌日。
フレイラさんが「私が行くから、リクさんはこのまま神聖魔術が使える事を黙っておきましょう」と提案してくれた時だった。
「そうなの?」
フレイラさんが訝しむように首を傾げると、タツキは再度ため息を吐く。
「リクはアルトンの目の前で大規模に神聖魔術を使ったからね。まさかこんな流れになるなんて予想外だったし、これは僕も失念してた事なんだけど、アルトンにも神殿関係者が常駐してるから、隠しようがないよね」
「あー……」
私は天を仰いだ。
確かに国教と呼べるほどではなくとも、オルテナ帝国には各街にイフィラ教団の教会があると聞いた事がある。
アルトンで暮らしていた時は興味がなかったから知りもしなかったけど、あれだけ大きな都市なら教会のひとつやふたつあってもおかしくないか。
くぅっ、またもやハルトやセタと離れなければいけないだなんて……!
「もしどうしてもリクが行きたくないようなら、ティーラに交渉してみようか?」
タツキが私の心情を察してそんな事を言ってくれたけど、私は首を左右に振った。
「フレイラさんだって行くんだもの、私も行くよ。こうなったらドバーンと一挙に浄化して、早いところ戻ってくるよ! 私が戻ってくるまでの間、リドフェル教の拠点探しはタツキに任せた!」
そう、今はもうひとつ並行して重要な案件を抱えているのだ。
亡くなった人たちには申し訳ないけれど、早いところ終わらせて、一刻も早くリドフェル教の本拠地探しに乗り出さないと!
「わかったよ。中央大陸中央部が特に怪しいんだよね?」
「うん。中央部にはかつてアルスト王国の首都があったから。魔力暴走事故が起きた場所でもあるから、何か大規模な魔術を使うのに適した場所なのかも知れないと思って」
「了解」
ハルトがフォルニード村の今後について話し合っていたこの数日の間に、私は会議に参加していないタツキとフレイラさん、そしてブライにソムグリフとコールの記憶について話した。
本当はハルトにも話しておきたかったけれど仕方がない。
結果、全員一致でムツキたちリドフェル教の本拠地は中央大陸にあると判断したのだ。
中央大陸を探ると言っても、直接赴くわけではなく、千里眼を駆使する事にしている。
何せリドフェル教の本拠地を探り、集められた膨大な魔力を使わせないよう阻止するとなると、敵に回るのはムツキたちなのだ。
ひとりで出向くには危険すぎる。
本当は魔王ルウ=アロメスにも協力して貰いたかったんだけど、念話を送ったら「今手が放せなくてな! 気が向いたら手伝いに行ってやる!」と言われてしまったから、魔王ルウの協力は期待出来ない。
かつての友人に関わるような件なのにあの軽い対応。
本当、あの魔王は自由人過ぎる。
聖国エルーンから要請を受けた半月後。
私とフレイラさんはフォルニード村を後にした。
私もフレイラさんも縁がある元オルテナ帝国領での浄化作業を依頼され、指令本部となる教会が置かれている城塞都市アルトンへ向かう。
どの道アルトンには後日行くような事を言っていたし、ちょうどいい。
ちなみに要請から半月も置いていたのは、神殿から「現地の遺体の処理を先行して行っているので、そちらの処理が終わる頃に連絡する」と言われ、実際招集の連絡を受けたのが要請を受けた半月後……昨夜の事だったからだ。
セタの事をハルトとサラにお願いして、私はフレイラさんを連れて転移魔術を使った。
一瞬にして城塞都市アルトンの目前まで移動した事にフレイラさんは驚いていたけれど、ほぼ無傷で残っているアルトンを見上げてどこかほっとした表情を浮かべている。
城門に到着するとすかさず衛兵さんたちが敬礼してくれたので、ちょっと懐かしくなって私も敬礼を返すと笑われてしまった。
あれ? 今回はどや顔にならないように気をつけてたのに、何で笑われたんだろう?
「この街を去られた頃とお変わりないようで、ほっと致しました。すぐに領主様を呼んで参りますのでこちらでお待ち下さい」
首を捻っていると落ち着いた物腰の初老の衛兵さんが一歩前に出て、私とフレイラさんを詰め所に併設されている応接室へ案内してくれた。
どうやらこの応接室は貴人用の応接室のようで、調度品が整っており、とても詰め所に併設されているとは思えないような空間だ。
室内を観察し終えると、私は勧められた椅子に座りながら案内してくれた衛兵さんの顔をまじまじと見る。
何か見た事あるんだよね、この顔。
いつだっけ。
どの時だっけ。
そう考え込んでいた時。
唐突にピンときた。
「もしかして、怪しい四人組を捕まえた時に引取りに来てくれた衛兵さんですか!?」
「えぇ。覚えていて頂けて光栄です」
大当たり! 道理で笑われてしまったわけだ。
しかしあの頃と比べると随分とお年を召した印象を受ける。
私自身は幼い子供だったのが大人になっただけだけど、年数の経過を考えればあの頃中年だったこの衛兵さんが初老に差し掛かっていても何もおかしくはないのか……。
何だか思わぬところで時の流れを感じてしまった。
その後、出されたお茶を飲みつつフレイラさんとアルトンについてあれこれ雑談をして過ごしていると、ほどなくして領主様が到着。領主様も交えてしばらく歓談してから詰め所を出た。
領主様からの提案で、元オルテナ帝国領での浄化作業をする間、私とフレイラさんは領主様の邸でお世話になる事になった。
前触れも出さないで来たにも関わらず、快く迎えてくれる領主様には感謝の念が絶えない。
ここでお世話になった事は必ずハルトやアールグラント国王に伝えると言ったら、恐縮されてしまった。
「とんでもない! 今回アルトンが誰ひとりとして失われる事なく無事乗り切れたのは偏にリク様の活躍と、シグリル殿とレスティ殿を派遣して下さったアールグラント王国のご助力があってこそ。この程度ではその御礼にもなりません。もし我が邸で何か困り事があったら、何なりと仰って下さい。それと……」
と、領主様は私の隣に静かに座っているフレイラさんに視線を向ける。
「勇者フレイラ様。我々は貴女がこの国の勇者としてこの国に派遣されていた間、幾度となく危険な魔族を退けて頂きました。そのご恩、今でも忘れてはおりません。此度のお役目も大変なご負担がかかるものと思いますが、どうか我が邸では存分に寛いでいって下さい」
ふくよかな体格もあってか、柔和な微笑みを浮かべる領主様はちょっとした癒し系だ。
その癒し効果にやられたのか、やや固い表情だったフレイラさんの表情が緩み「お心遣い、感謝致します」と応じていた。
領主様の邸では領主様が口にしていた通り、これでもかというくらい寛がせて貰った。
出された料理も懐かしい味だ。
アルトンで暮らしていた頃は時々領主様の邸に呼ばれて一緒にお食事させて貰ったりもしてたけど、敢えてその頃の食べたものを選んで出してくれているように感じる。
フレイラさんも満面の笑顔で、言葉に出さなくても味を堪能して食べているのがわかる。
食事の席にはかつての私の教え子でもある領主様のお子さんたちもいて、彼らもすっかり成長していたけれど今でも私の事を先生と呼んでくれた。
そして、私がこの街から出た後に独学であれを勉強した、これを勉強した、これはこう思うけど先生はどう思う?とか、色々聞いてくれてちょっと嬉しかった。
年齢的には2、3歳くらいしか違わないんだけど、あれこれ聞いてくる姿が何だか幼く見えて、ちょっとだけ、アルトンで暮らしていた頃の感覚が蘇ってきたような気がする。
食事を終えると私とフレイラさんは指令本部となっている教会に向かった。
どこの浄化作業をするのかは、教会で指示を貰う事になっているのだ。
教会に向かう途中では予想通り、「久しぶりねぇ」と気軽に声をかけてくれる人もいれば、そそくさと逃げるようにその場を去る人もいた。
逃げるように去って行く人を見る度にフレイラさんがちょっと不機嫌そうな顔になったけど、
「リクさんが何も言わないなら、私も何も言わないわ」
とだけ呟いて、私の斜め後ろを歩きながら周囲を警戒してくれた。
もし悪意を向けられたとしても私が負傷するような事はないと思うんだけど、フレイラさんのこの気遣いが嬉しくて、つい口許が緩んでしまったのは内緒だ。
何やかんやでアルトンに来てから嬉しい事が続くなぁと思っていたら、しっかりとその分の嬉しくない事もやってくるもので。
「フレイラ様は北部のこの辺りの村を、リク様には、首都ルデストンでの浄化作業をお願いしたいと思っております」
教会に到着して浄化作業をする場所を確認すると、とんでもない事を言われてしまった。
えぇっ、フレイラさんの向かうところって、とてもじゃないけど日帰りで往復できるような場所じゃないよね!?
「そこまでは馬車を使うんですか?」
思わず問いかければ、あっさりと「馬車ではなく、馬で向かって頂きます」と返されてしまった。
えぇー……。
「同行者はいるのですか?」
ひとり旅にはならないだろうと踏んで、同行者の確認を行うと、
「おひとりで向かって頂きます。神殿からは、勇者様はおひとりでも魔王に対抗出来るように教育を施しているから問題ないと言われておりますので」
「はぁ〜!?」
あまりの言い草に思わず本音が出てしまった。
どうせあれでしょ、ゲオルグさんでしょ、そんなこと言ってんの! ちょっとイラッと来たから神殿にクレームつけてやる!
そう意気込んでいたら。
「大丈夫よ、リクさん。確かにリクさんと比べたら私は弱いから心配に思うのかも知れないけど、一人旅ができないほど弱くもないのよ」
フレイラさんに腕を引かれて、宥めるように背中を優しく叩かれる。
フレイラさんはそんな風に言うけれど、私は決してフレイラさんが弱いだなんて思っていない。むしろ強い人だと思っている。
けれどそれはそれ、これはこれ。心配なものは心配だ。
私は口をへの字に曲げて眉間を揉みほぐしながら、何とかフレイラさんに同行できないものかと考える。
……そうだ。
「わかった。私、ルデストンの浄化を速攻で終わらせてフレイラさんに合流するから!」
「リク様はルデストンの浄化が終わり次第この辺りの浄化を……」
すかさず地図を示されて、ちょっと頭に来た。
私はずいっと教団員さんに迫ると、
「人員は全体で何人いますか? 各人員の能力については把握していらっしゃいますか? 浄化作業の区分はどうなっていますか? 各区分に対する人員の配分はどうやって決めましたか? その妥当性も含めて、今すぐ! 私が納得できる形で提示して頂けませんか!」
早口で捲し立てた。
あまりの剣幕に教団員さんたちが「ひぃっ」と引き攣った声をあげて後ずさる。
協力するのに吝かではないけれど、人員の最低限の安全確保なんて常識中の常識だ。
もし計画に不備があったらとことん突いてやる!
再び鼻息を荒くしている私を、しかし今度ばかりはフレイラさんも笑いを堪えるばかりで止めたりはしなかった。
結果、大慌てで全人員の能力の把握を行い(人数は把握していたけれど、各自の能力は全く把握していなかったらしい)、地図上で作業区分を提示して(これはそれなりにやってあった)、余りにもお粗末な人員の配分を披露されて、私は教団員さんたちに喝を入れた。
まず能力の把握が出来ていなかった時点で配分に関しては完全に破綻していた。
スタートからミスっているのだから、当然それを前提として組まれた計画もミスを踏襲していて、まともな計画になっているわけもなく。
私が教団員さんたちに修正案を出させては不備を指摘して突き返す、というような事を繰り返している間に、浄化作業で招集を受けた他の人たちも徐々に集まってきた。
杜撰な計画に駄目出しをしている私と、涙目で修正案を提示し続けている教団員さんたちの姿を見て、彼らは静かに講堂の椅子に座り、時々私の援護をしてくれる。
そうしてようやく私が妥協しながらも「これなら安全は確保されるだろう」とOKを出すと、教団員さんたちは歓声を上げた。
抱き合って健闘を称え合う人たちまで現れる始末。
いや、そもそもね?
予めちゃんとした計画を立てておいてくれれば、こんな事しなくても良かったんだからね?
そう突っ込みを入れたい気持ちをぐっと抑えて、私は両手を打ち鳴らし、教団員さんたちに今決定した計画を集まった浄化作業を行う面々へと説明するように促した。
「リクさん、スパルタねぇ〜」
教会から城門へ向かう途中、フレイラさんが苦笑しながら言ってきた。
「だって元の計画だと効率重視でひとりで行動しなくちゃいけないから、何かあった時どうにもならないでしょ? ふたり以上で組むのは常識でしょ?」
「まぁ、そうなんだけど」
そんな事を話している間に城門に到着する。
ここからは別行動だ。
私は自分が妖鬼であり、睡眠や食事を不要とする事。同時に魔王種であり、移動は自力で何とでもなる事。更に言えば魔力量も相当量あるので、単独でも問題ない事を伝えた。
結果、全会一致で私は単独行動で対処する方針になった。
まぁ彼らは私がここでレグルスの軍勢とやらかした光景を見ていたのだし、特に異論はなかったようだ。
一方フレイラさんは浄化魔術が使える教団員の男性と女性ひとりずつ、合計三人で行動する。
フレイラさんに同行する教団員の女性も当初はひとりで行動する予定だった事を知り、計画が変更されて複数人で行動をする方針に変わった事、更には行動を共にする同行者のひとりが神位種であるフレイラさんだと聞いて大喜びしていた。
フレイラさんは城門で教団員の男女と合流すると、馬に乗り込んで颯爽と出発する。
それに続くように他のメンバーも次々と城門から出発して行った。
そんな彼らを見送ると、私は早速転移魔術を……。
「リク様」
使おうと思ったところで声をかけられた。
振り返ればそこには、シグリルとレスティがいた。
そうだ、そう言えばこのふたりももう、ここにいる理由がないんだっけ。
「シグリル。レスティ。ごめんね、そう言えばまだこの先のふたりの事、何も聞いてきてなかった!」
素直に謝ればシグリルは緩く首を左右に振った。
「いえ、大丈夫です。もう少し状況が落ち着いてきたら一度アールグラントに戻って、指示を仰ごうかと思ってます。今はただ、リク様を見送りに来ただけなんです」
そう言ってシグリルは柔らかく目を細めた。
そして改めて「お気をつけて行ってらっしゃいませ」と言って送り出してくれる。
何故わざわざふたりが見送りに出てきてくれたのか、ちょっと気になるけれど……。
今は早急に浄化作業に取りかからなければならなかったので、私は一旦その引っかかりを忘れる事にして、シグリルとレスティに見送られながら転移魔術で首都ルデストンへと向かった。