108. 魔王リク=セアラフィラ=レイグラント
目覚めた瞬間、まだ寝ぼけていた私は自分が一体誰なのかも分からず、ぼんやりと天井を見上げていた。
ソムグリフのようであり、コールのようであり。
けれど目覚めて間も無く部屋に駆け込んで来たタツキとムツキの姿を確認して、夢で見ていた膨大な記憶の中に埋もれてしまっていた自分自身の記憶が、ゆっくりと明瞭になってくる。
そうだ、私はソムグリフでもコールでもない。リクだ。
リク=セアラフィラ=レイグラント。
その事を認識した時、更なる来訪者が部屋に駆け込んで来た。
「リク!?」
セタを抱えて、何故か顔面蒼白になりながら駆け込んで来たのはハルトだった。
まだはっきりとしていなかった意識が、更に明瞭になる。
どうしてここに、ハルトとセタがいるのだろう。
確かここはフォルニード村で、ハルトとセタはアールグラント城にいたはずじゃ……。
そんな疑問を抱いている間に、マナとセン、少し遅れてフレイラさんも駆け込んで来た。
3人は室内を見渡して、部屋の入り口で立ち止まる。
それからマナが「リク、目覚めたの?」と問いかけ、タツキが頷く事で応じると、マナの後ろにいたセンが脱力して座り込んだ。
フレイラさんも優しい眼差しでこちらを見ている。
ベッド横の椅子の上では、サラも嬉しそうに微笑んでいて……。
あぁ、みんながいる。
その事を認識してようやく、全身の感覚が戻ってきたように感じた。
ゆっくりとベッドから身を起こすと、ずっと会いたくて仕方がなかったハルトとセタを抱きしめる。
私より高いハルトやセタの体温を感じて、幸福感に身を浸し──
《魔王レグルス=ギニラックが、城塞都市アルトンに危害を加えている。》
不意に念話による言葉が脳内に響いた。
この念話の気配は……。
反射的に千里眼を発動して急ぎ城塞都市アルトンの様子を確認する。
さっと血の気が引いた。
今のところレスティの古代魔術結界によってアルトンは守られているけれど、無数の魔族とそれを率いる魔王レグルスから断続的に結界に負荷がかけられ続けている。
例え竜であっても、あの状態で結界を維持するのは相当な負担となっているはずだ。
「魔王レグルスが、城塞都市アルトンに危害を加えているんだよね?」
確認するようにそう問いかけると、室内の空気が緊張した。
ハルトとセタから離れてひとりひとりの顔を確認すると、驚きや迷いの表情が浮かんでいる。
その表情こそが、私の疑問への答えだ。
今目覚めたばかりだし、もっとハルトやセタと一緒にいたいと切実に思うし、みんなにソムグリフやコールの記憶に関して話をしたかったけど……。
でも今は、城塞都市アルトンの方が一刻を争う事態に陥っている。
リッジさんたちとの約束もあるけど、それ以上に私自身がアルトンを失いたくないと思っているのだから、優先順位なんて決まってる!
私は内心で自らを鼓舞しながら、ハルトとセタを真っ直ぐ見上げた。
「ごめんね、ハルト。セタ。私、ちょっと行ってくる」
どこにとは言わなかった。
けれどハルトは察してくれたようで、仕方無さそうに微笑んだ。
セタはよくわかっていなそうだけど、にこりと微笑んで手を振ってくれた。
「気をつけて」
「おかーさ、いってらっさい」
ふたりの言葉を受けて更に気合いを入れていると、周囲から驚愕の視線が集まってきた。
何をそんなに驚いているのか。
そう思いながらも安心させるように微笑みを浮かべ、
「みんなも心配かけてごめんね! 多分すぐ戻ってくるから!」
そう告げて、窓を開け放った。
慌てたようにタツキとムツキが後を追ってくる。
私は構わず転移魔術を構築。
目標地点は城塞都市アルトン、そこに張られた結界の上……!
一瞬視界が真っ暗になり、そこを抜けた瞬間、眼前に魔王レグルス率いるギニラック軍に囲まれている、城塞都市アルトンの姿が広がった。
僅かに遅れて背後にタツキとムツキの気配が現れる。
「リク、結界の維持は僕に任せて」
「うん、よろしくね。タツキ」
背後からかけられた言葉に振り返って応じると、タツキは力強く頷いてすぐさま結界を構築する。
淡緑色の光の膜が、レスティの結界に重なるように広がって行く。
それを確認すると、私は自らに身体強化魔術を施した。
ムツキも同様に自らに何らかの魔術……恐らく身体強化魔術をかけ、私に先駆けて結界から飛び降りて行く。
私もムツキに続いて結界から飛び降りた。
着地した先では既に、ムツキが周囲の魔族を蹴散らし始めていた。
強い強い!
あれ、私の出番ないんじゃないの!?
割と本気でそう思ったけれど、
「ちょっと数が多すぎる。けど、ここで大規模な魔術を使うと結界の外が焼け野原になっちゃうかな」
なんて、ムツキが不穏な事をぽつりと呟いたので、慌てて「周りを焼け野原にしちゃうような攻撃魔術は禁止ね!」と伝えてから私も周囲の魔族を片付けにかかった。
ムツキの天然爆弾っぷりは転生しても変わらなかったんだね!?
そんな事を考えながらも次々と向かい来る魔族を体術のみで蹴散らしていく。
咄嗟の事とは言え、魔剣を持ってこなかった自分を呪いたい。
けれど私もイリエフォードにいた頃に騎士たちに混ざって体術訓練を受けていたし、魔王ゾイ=エンや白豹のゾル、そしてコール……正しくはゴルムアと言った、優れた体術使いたちの記憶がある。
体術を使った戦いに必要そうな知識と、記憶から得られる感覚を引き出して自らの体で再現していくうちに、段々と上手く戦えるようになってきている……気がする!
襲い来る魔族の中に時折、手強い相手が現れる。恐らく魔王レグルス直属の配下だろう。
少し離れた場所ではムツキが、以前私が千里眼で見た妖鬼の女性を相手に派手に戦っていた。
魔術を駆使する妖鬼に対して、ムツキは次々と魔術そのものを破壊していく。
そして魔術破壊の合間に強烈な打撃や蹴り、契約精霊による撹乱を挟み、隙を見て対象を絞った攻撃魔術を行使している。
ムツキのあの魔術を無効化する能力も謎だ。
分解や吸収とは異なり、正に“破壊”と表現するのが相応しい能力。
ムツキが能力を使う度に、相手の魔術が砕け、崩壊して行く。
私もそれなりに魔力操作や魔力そのものを感知する能力に自信があるけれど、あの能力がどのような作用によって齎されているのかがさっぱりわからない。
ムツキは気が遠くなるほど長い年月を生きてきたから、私では到底考えもつかない魔力の仕組みや法則や術式を熟知していて、それを応用しているのかも知れない。
なんて考えている余裕がある事に、自分で驚く。
ゴルムアを取り込んだ事で、自分の能力が飛躍的に伸びたのが感覚としてわかる。
実際、身体強化魔術なんて使わなくても、この辺りにいる魔族を相手にするのに支障はなかった。
けれど、いつレグルスと衝突するかわからない以上、万全の状態でいるべきだと判断したのだ。
私は目の前に躍り出てきた獣種の魔族に対して、手刀を地に叩き付けるようにして振り下ろす。
狙い違わず手刀が獣種の魔族の首を捉え、接触する直前にゴルムアの知識を引っぱり出して、神位種特有の光の剣を瞬間的に再現した。
獣種の魔族の首が、呆気なく胴体から切り離される。
すぐ横から別のレグルスの配下が襲いかかってきたけれど、そちらは回し蹴りで吹き飛ばしておいた。
しかしムツキも言っていた通り、本当に数が多い。多すぎる。
私もムツキもまだ疲れが顔に出ていないけれど、この数を地道に片付けるのは骨だ。
辺り一帯を焼け野原にせずに、レグルスの配下を一掃する手段はないものか──
……あった。
そうだ、あるじゃないか。
私は息つく暇もなく次々と襲いかかってくるレグルスの配下をあしらいながら、すぅっと息を吸い込んだ。
これまで使った事のない系統の魔術だし、あくまで知識としてしか存在しない魔術を思念発動するのは不可能だ。
なので、久しぶりに詠唱をする事にした。
「総ての根源たる力よ、我が声を聴き、応えよ!
其は尊き御方の慈悲により我に与えられし力。
望むは我が道を妨げる者たちの殲滅。
光よ、降り滅ぼせ!
光雨!」
私は詠唱をしながらムツキに駆け寄り、ムツキの腕を引いて妖鬼の女性から距離を取る。
そして恐らくタツキは自力で何とか出来るだろうと踏んで、魔術の完成と同時に自分とムツキを囲うように古代魔術結界を張った。
魔術の完成より一呼吸遅れて、上空が光で満ちる。
近辺にいた魔族たちは不穏さに気付いて身構えているけれど、遠くにいる魔族たちは突然光り出した空に視線を奪われていた。
次の瞬間、まるでバケツをひっくり返したような雨を彷彿とさせる勢いで、細かな純白の光線がアルトン周辺に降り注いだ。
ひとつひとつの光線は小さいけれど、威力は計り知れない。
“光雨”は神聖魔術の中でも最高位の魔術であり、ゴルムアも知識でしか知らなかったものだ。
恐らくハルトでも、適性こそ足りていても魔力不足で使用出来ないであろう魔術。
降り注いだ光線が空を見上げていた魔族たちを次々と貫いて、地面へと吸い込まれるようにして消えて行く。地面には何の影響も与えていない。
仕組みはわからないけれど、神聖魔術は浄化魔術を除いて、基本的に生体にしか影響を及ぼさない魔術であるらしい……というのは、以前エルーン聖国に向かう中で空間魔術の開発をしていた際にハルトから聞いた話だ。
咄嗟にその事を思い出し、火竜とゴルムアの記憶を掘り起こして神聖魔術で広範囲の攻撃魔術がないかを探り、“光雨”に辿り着いた。
周囲にいた魔族たちも光線を防ぎ切れずに次々と倒れ、さっきまでムツキと戦っていた妖鬼の女性も結界魔術を展開したけれど、並の結界魔術では対抗出来ず。
結界が限界を迎えて砕けた次の瞬間には、複数の光線に貫かれて倒れた。
同族を倒さなければならなかったのは心苦しいけれど、あちらが私側に対して敵意を持っていた事を考えれば、同じ妖鬼であろうとも妖鬼の掟に則って倒さなければならない。
妖鬼の掟は“全力で生き延びる事”、そして最悪の状況でも“強き者を生かす事”を優先事項として定めており、この場では私が生き延びる事が妖鬼の掟を守る事になる。
その掟をあの妖鬼の女性が守ろうとしていたかどうかは、もうわからないけれど……。
光りの雨が止み、立っていた魔族のほとんどが光雨によって倒れると、辺りに血の匂いが広がり始めた。
「うわぁ……。神聖魔術って名前の聞こえはいいけど、えげつない魔術もあるんだね」
私の隣で、ムツキが呆れたような声を上げた。
それは、うん。私もそう思う。
『神聖』と言うからには癒しとか護りとかのイメージが強いけど、実際は攻撃魔術も存在していて、しかも威力が一般的な属性による攻撃魔術よりも強い。“光雨”に至っては、古代魔術に並ぶ大量殺戮魔術だ。
だからこそ必要とされる魔力量も膨大で、人族離れしている神位種であろうとも“光雨”を使える者はいないはず。……多分。
私はざっと周囲を見渡し、光雨によって血塗れになってしまった地面の範囲を確認する。
思ったより広範囲だったけれど、それでも生き残っているレグルスの配下もいるようだ。
けれどその数は最早当初の三割程度。
これくらいなら私とムツキで何とか出来るだろう。
「浄化せよ!」
このまま地面に魔族の血が大量に染み込んでしまっては、竜が魔力をだだ漏れにさせながら近隣に暮らしているのと同じくらい、環境に悪影響が出てしまう。
なので応急処置的に、一旦浄化魔術で血塗れた大地を清めておく事にした。
目を開けていられないほどの光が城塞都市アルトン周辺の地面から立ち上り、地面に広がっていた血が浄化される。
一旦元の姿に戻しただけだし、まだまだ戦場であるこの場では気休めくらいにしかならないけど、やらないよりかはましだろう。
私は浄化の光が収まるのを待って、自分たちを包む古代魔術結界を解除しながら再度周囲を見回した。
魔王レグルス=ギニラックらしき姿は見当たらない。
気配も感じ取れないけれど、相手が魔王である事を考えれば気配くらいは消しているかも知れないので油断だけはしないように身構える。
「姉さん、あっちだ」
「え?」
私と同じく周囲を見回していたムツキが、唐突に私の腕を引いて走り出した。
何があっちなのかもわからず、半ば混乱しながらムツキに腕を引かれるがままに走る。
そうしてしばらく走っていくと、遠目に剛鬼特有の巨躯が見えた。
千里眼を発動させてその姿を確認すれば黄金の髪に赤い目をしており、血色の二本角をこめかみの上から生やしている。
間違いない、魔王レグルス=ギニラックだ。
私は驚愕の目をムツキに向けた。
二次覚醒後の魔王種にも感知出来なかったレグルスの存在を捕捉するなんて……!
それが白神種の力なのか、ムツキだからこその能力なのかはわからないけれど、とんでもない感知能力だ。
ムツキが私の手を放し、先行してレグルスを守るべく向かってくる魔族たちの中へと飛び込んで行く。
私もそれに続きながら、ゴルムアの記憶を掘り起こして“神覚の加護”を纏った。
感覚としては、身体の内側から外側へ、力が溢れ出して行くイメージに近いだろうか。
“神覚の加護”を纏った途端、魔王種の最終覚醒に近い万能感が全身を満たした。
やはり私が以前予測した通り、“神覚の加護”は魔王種の最終覚醒と同じものなのだと確信する。
一気に体感時間が引き延ばされ、その中を私はいつもと変わらぬ速さで駆け抜けた。
ムツキの動きは他の魔族たちに比べるとかなり速い。
私はムツキの横を走り抜けながら、レグルスへの道を塞ぐ魔族を次々と蹴散らした。
呆気ないほど簡単に命を奪えてしまう自らの能力に、我が事ながらぞっとする。
けれど今はそんな感情は無視して、アルトンを守る事に全力を注がなければ。
気持ちを切り替えながら真っ直ぐ突き進んで行くと、目前にレグルスの巨躯が現れた。
私は迷わずレグルス目がけて駆け抜ける。
するとレグルスが雄叫びを上げ、同時にその動きが速くなった。
どうやらレグルスは、自分の意志で最終覚醒したようだ。魔王種の最終覚醒を自らの意志で発動させるコツか何かを知っていたのだろう。
でもそんな事は関係ない。
私は一際強く地面を蹴って跳躍した。
超高空に達すると、すぐさま土属性魔術で小さな錐状の岩を形成する。
それを手に取って地表にいるレグルス目がけて投擲しつつ、自らの身体をくるりと回して縦回転しながら落下を始めた。
以前アルトンで暮らしていた頃、大型黒狼を仕留めた時と同じように。
しかし投擲先からレグルスが動いた。
岩の錐の直線的な動きを避けるのは容易い。
そんな事は私もわかっていたし、恐らくレグルスもこれが囮である事に気付いているだろう。
私はそのまま縦回転を維持して、着地の目標地点を半ば強引にねじ曲げた。
そして密かに手の中に作ったもうひとつの岩の錐に風属性を付与して、レグルスの後ろ、状況に追いついていないひとりの魔族目がけて放つ。
他のどの魔族よりもレグルスのすぐ隣に控えていた、悪魔人の男性。私はこの悪魔人がレグルスの最も近しい腹心の配下であると睨んだ。
案の定、レグルスが慌てたように悪魔人の配下を守るべく動く。
例えそれが、私の狙いだとわかっていたとしても。
着地地点に飛び込んで来たレグルスを確認すると、私は次々と風属性による推進力を与えた岩の錐を放ち、全力の踵落としをレグルスの頭部目がけて放った。
岩の錐は全て叩き落とされてしまったけれど、踵落としの方は避ける暇もなく、避ければ背後に庇った腹心が命を落とす。
レグルスは両腕を自らの頭部の前で交差させてガードの姿勢を取った。
これでレグルスの視界はほぼゼロだ。
私は踵落としを放ちながら、両手に光の剣を出現させた。
レグルスはさすが剛鬼なだけあって、全身を包む筋肉質な肉体はそれ自体が鋼の鎧のように固く頑丈で、踵落としでレグルスに与えた衝撃がそのまま私に返ってくる。
その衝撃と痛みを歯を食いしばってやり過ごし、私は両手を振り下ろした。
狙いはレグルスの角。
角を持つ種族は総じて角を失うと大幅に力が削がれ、猛烈な痛みでのたうち回る。
それは竜であろうとも同じ。
当然、私だってそのリスクを背負っている。
光の剣は狙い過たず、レグルスの角を切り落とした。
「ぐがぁぁぁああっ!!」
紅い角が宙を舞い、途端にレグルスが絶叫する。
体感時間が引き延ばされている分、レグルスの痛みも体感的に長く続く事になるだろう。
我ながら残酷な事をするなと思う反面、妖鬼として生まれてきたが故に生き延びるためにどんな手段を取る事も厭わない本能が、これが最善なのだと判断を下している。
私は地面に着地すると、のたうちまわるレグルスに手の平を向けた。
ムツキには悪いけど、レグルスをリドフェル教に渡した結果、リドフェル教が魔力暴走事故を再現してしまう可能性はゼロにしてしまいたい。
成功するかどうかなんて誰にもわからないし、仮に未来視をした所で、どの分岐の先に辿り着くのか予測するのは不可能だ。
ならば、そもそもその行為をさせないために、レグルスにはここで消滅して貰うしかない。
完全な消滅を狙うなら、やはり存在そのものを私が吸収してしまうのが一番だろう。
そう思ったのに。
私の意図に気付いていたのか、私やレグルスよりも動きの遅い通常の時間感覚の世界にいるはずのムツキが、眼前に飛び出してきた。
反射的に手を引っ込めるとムツキはレグルスの胴体に強烈な一撃を加えて、レグルスを気絶させる。
それからこちらを振り返り、口を開いた。
「ご め ん ね 、 ね え さ ん 。 レ グ ル ス は も ら っ て い く よ」
ゆっくりと、ムツキが言葉を放つ。
いや、ゆっくりに聞こえるのは、私が“神覚の加護”……最終覚醒を発動させているからか。
ムツキはそのままレグルスを軽々と抱え上げて身を翻し、我に返った私が手を伸ばすより先に、その姿を掻き消した。
恐らくフォルニード村からこの場に来る時に使用した、私の転移魔術と同種の能力を使ったのだろう。
その場にはもう、ムツキの気配も、レグルスの気配も無くなっていた。
私よりも遅い体感時間の中にありながら、あまりにも鮮やかなムツキの手腕に呆然とする。
伊達に1500年以上も生きていたわけではなかったと言う事か。
何れにせよ、レグルスを取り返そうとした所でもう手遅れだろう。何せムツキの向かった先がどこなのかがわからない。
ならば今は、アルトンを守る方を優先しなければ……!
改めてそう決断すると、やたらと気力を持って行かれる“神覚の加護”もとい最終覚醒を解除して、残っているレグルスの配下たちを片付けにかかる。
当然のように、国主を目の前で奪われた周囲の魔族たちの怒りは凄まじく、個々ではさして恐ろしくもない怒りの気配が乗算されていくかのように膨れ上がっていた。
普通なら身が竦むようなその怒りの威圧も、不思議と今の私には効かない。
自分でも今の自分の能力に恐れを抱くくらいだもの、私自身を凌ぐ恐ろしさを感じなければ何て事はない。
私は真っ先に目の前にいた悪魔人を倒し、司令塔となり得る存在を減らした。
その後も、ギニラック軍の大半はレグルスと同じ剛鬼だったので、妖鬼よりも動きが鈍い剛鬼を仕留めるのはさほど難しくもなく。
素早い動きで撹乱して急所を断つ。これを繰り返すだけで剛鬼は何とかなった。
問題は獣種や獣人種だ。
彼らはそこそこ素早く、集団で連携して襲ってくる。
身体強化魔術を使っている分有利ではあるけれど、数の差を埋めるのは容易ではなかった。
仕方なく、古代魔術を除けば唯一威力に期待が持てる神聖魔術の攻撃魔術を併用する。
魔力には余裕があるけれど、ゴルムアの知識や記憶があっても自分で使い慣れていない魔術を乱戦の中で使うのには躊躇いがある。
幸い今回は単独で戦っているから周りを気にしなくていいので、思い切って使ってみる事にした。
「光よ、走れ!」
まず正面の安全を確保すべく、“光柱閃”という名の付いた神聖魔術を放つ。
これは指定した方向へ一直線に地面から光の柱が立ち上っていく、ハルトが多用している攻撃魔術だ。
この光に触れると、超高温の熱で焼かれる事になる。
ただ動きが直線的なので回避されやすく、牽制に使う事が多そうな印象だ。
思った通り、獣種も獣人種も左右に分かれて避ける。
私はすかさず左方へと身体ごと向きを変え、思い切り威圧を放った。
その場に立ち竦む魔族たちに向かって手の平を向けると、すぐさま分解を試みる。
やや離れた場所にいた魔族を除いては、ほぼ全ての魔族が分解された。当然のように、魔力素となった彼らは私の中へと吸収される。
膨大な記憶や知識が流れてくるけれど、今は不要と判断して無視した。
続いて今の光景を目にして動きを止めている右方の魔族へも同様に、手の平を向けて分解能力を行使。
左方と同じく遠い場所にいた魔族を除いては呆気なく分解され、魔力素となってこちらへと流れてきた。
今回も流れ込んでくる知識や記憶は無視……!
一気に沢山の命を取り込んだ事で僅かに刺すような頭痛を覚えながらも、生き残りをきっちり仕留めて行く。
レグルスの配下は生かしておけない。
例えレグルスにどんな事情があったにせよ、結界こそ張っていたもののレグルス側に何の危害も加えなかった城塞都市アルトンに手を出した時点で、私にとっては敵だ。
そしてそれを諌めずに加担した、この場に残っているレグルスの配下たちも同罪。
生かしておけば、いつまた魔王ゾイ=エンのような者が現れないとも限らない。
ならば徹底的に殲滅する他ないだろう。
どれくらい戦っていただろうか。
レグルスの配下で最後まで生き残っていたのは、悪魔人の女性だった。
何となく、レグルスの腹心の悪魔人の男性と似ている。身内なのかも知れない。
「魔王……」
ぽつりと、女性が呟いた。
虚ろな瞳で私を見ながら、絶望で血の気を失っている。
「違う」
まだ私は魔王にはなっていない。
そう思って返せば、悪魔人の女性は怯えたように身を竦ませ、首を左右に振って一歩後ずさった。
「いいえ、あなたは紛れもなく魔王だわ。例え今はまだ魔王ではなくても、きっと、間違いなく、すぐにでも魔王になる」
私は悪魔人の女性の言葉に口を噤まざるを得なかった。
そうかも知れない。そうなる可能性は高い。
自分でもわかっていた。
きっとここでの戦いの一部始終は、城塞都市アルトンの人たちも目にしていただろう。
あんな一方的な戦いだったのだからきっと、彼らはこう思った事だろう。
私の事を、魔王だと。
かつてこの街に暮らしていた人物が実は魔族で、しかも恐ろしい魔王だったのだと。
その時が来るのが恐い。
リッジさんたちは私が魔族でも変わらない対応をしてくれたけど、アルトンに暮らす人たちは基本的には魔族嫌いだ。
同じように受け入れてくれるとは思えないし、ムツキの力も借りていたとは言え、あの軍勢をほぼひとりで片付けた私を魔王だと思わない人はいないだろう。
私が内心で苦悩していると、目の前で悪魔人の女性が唐突に自害した。
知らず知らずの内に威圧を放っていたらしく、私の威圧に耐え切れなかった彼女は自ら命を絶ってしまったようだ。
それを目にした瞬間、あれこれと考えていたはずの頭が急激に冷えた。
あぁ、この感覚。身に覚えがある。
私が幼い頃、身重のお母さんに楽をさせようと初めて戦った時と同じだ。
仲間を殺されて逃げ去る小鬼の後ろ姿を見て、急激に頭が冷え、何も考えられなくなってしまったのを覚えている。
「リク」
不意に声をかけられて振り返る。
視線の先には、眉尻を下げながら歩み寄ってくるタツキの姿があった。
よく見れば、アルトン周辺にあった無数の魔族の亡骸が消えている。目の前で自害した、悪魔人の女性の亡骸も。
恐らくタツキが分解能力で処理してくれたのだろう。
地面には広域に渡って血の染みだけが残されていた。
「リク。浄化魔術、やって貰ってもいい?」
タツキでも出来るであろう事なのに、何故敢えて私に言うのだろう。
そうは思うものの、思考がうまく回らなくてこくりと頷くと、視界一杯に城塞都市アルトンを収め、浄化魔術を行使する範囲を確認した。
そして大地が元通りになるイメージを頭に思い浮かべながら「浄化せよ」と呟く。
城塞都市アルトンを包み込むように、地面から純白の光が立ち上った。
光が落ち着くと、地面に広がっていた赤黒い染みは綺麗に消えてなくなる。
それを見届け、ふぅっと短く息を吐きながら私は天を仰いだ。
終わった。
ムツキにレグルスを連れて行かれてしまったのは失敗だったけど、とりあえず魔王レグルスの脅威は去った。私は城塞都市アルトンを守れたんだ。
もうそれだけでいいじゃないか。
誰にどう思われようと、魔王だと言われようと、私は私の望みを叶えたのだから。
それに、魔王リク=セアラフィラ=レイグラントだなんて、何だか格好良い響きじゃん。
魔王になると長命になってしまうらしいから、もうハルトと共に同じ時間を刻んで行けなくなってしまったのは寂しいけれど……。
「……クさまー……!」
空を仰ぎ見たまま気持ちの整理をしていると、遠くから声が聞こえてきた。
無言で傍にいてくれたタツキと共に声の方を振り返る。
声の主は、城塞都市アルトンからこちらに向かって走ってきていた。
小柄な女性だ。
見覚えのある、ゆるく三つ編みにした明るい灰色の髪を揺らしながら駆けてくる。
「シグリル……!」
先頭を切って走ってくるシグリルの後ろには水竜のレスティ、更にその後ろには10名ほどの武装した人族が続いていた。
何事かと目を丸くしていると、ようやく私のところに辿り着いたシグリルが目に涙を溢れさせながらも満面の笑顔を浮かべて私に飛びついてきた。
咄嗟に受け止めると、シグリルはぎゅうっと力一杯しがみついてくる。
「リク様! ありがとうございます! ありがとうございます!!」
何度も礼を言ってくるシグリルに首を傾げていると、追いついてきたレスティが苦笑を浮かべた。
心無しか顔色が悪い。
「助かったぞ、リクよ。我の気力ももう限界であった。もしあと半日でも助けにくるのが遅かったら、アルトンはレグルスの手に落ちていたところだ」
思わぬ言葉に目を見開いていると、更に続いて武装した人族たちも追いついてきた。
よく見れば先頭を走ってきていたのは領主様だった。その後ろに続いているのは衛兵さんや冒険者の人たち。
恐らくレスティが気力を使い果たして結界を維持出来なくなった場合に備えて、城門近くで待機していたのだろう。
「リク様! やはり、やはり助けに来て下さったのですね!」
領主様はシグリルにしがみつかれたままの私に近付いてくると、私の手を取って涙ながらにシグリルと同じく繰り返し感謝の言葉を口にする。
段々と場の収集がつかなくなってきて、呆然としているうちに、いつの間にか私の中にあった気の重さや不安が吹き飛ばされていた。
じわじわと冷えていた頭も身体も温かくなってきて涙腺が緩み、視界が滲む。
「間に合って良かった……! みんなが無事で、本当に良かった!」
もうそれ以外の言葉が出てこなかった。
私は領主様の手を握り潰さないように気をつけながら握り返し、もう片方の手でシグリルをしっかりと抱きしめる。
領主様の後ろでは衛兵さんや冒険者の人たちが口々に「さすが番犬!」「何言ってんだ、白銀の流星だろう! 見たか、あの目にも留まらぬ速さを!」「それを言うなら瞬速の狩人だろ! あの大群を瞬殺!」「いやいや、漆黒の牙の腕前も健在だったぞ!」などと口々に黒歴史な異名を話題に上げ始めている。
以前だったら即刻黙らせていたけれど、今は何だかこの温かい空間を壊したくなくて、目を瞑る事にした。
そんな私の内心を察したのか、タツキも表情を緩めて微笑んでいる。
良かった。
先走って悪い方へ悪い方へと考えてしまったけれど、私が思うよりずっと、アルトンの人たちは魔族に対して寛容だったという事なのだろう。
実際アルトンには私を恐がる人もいるだろうけど、全ての人に拒絶されるわけではない事は、この場にいる人たちを見ていたらわかる。
帰ったらブライにお礼を言わないとなぁ。
何せ目覚めて間もなくて何も知らなかった私に、アルトンの危機を念話で教えてくれたのはブライなのだから。
恐らくブライは、レスティの限界が近い事を誰よりも正確に把握していたのだろう。
最初こそ敵対したものの、今となってはブライはなくてはならない存在となった。
だから全てが片付いたら、ブライには素敵な棲み処を探してあげよう。
これまで度々知識を提供してくれたり、助言をしてくれたりしたお礼を、いつか必ずさせて貰おう……。
こうして、ギニラック帝国とオルテナ帝国・騎士国ランスロイド同盟の戦争は終わりを迎えた。
最後こそ出張ったけれど、後日私が眠っていた間の話を聞いて、随分と沢山の魔王が動いたんだなと思った。
魔王タラント=ディートロアには会った事はないけれど、古くから存在している魔王らしい。
今回は的確かつ無慈悲にレグルスに対応し、国主不在のギニラック帝国を制圧。その後、ギニラック帝国を自国の属国にしたようだ。
更に、遅れてアルトンに姿を現した魔王フィオ=ギルテッドも、なかなかの決断力と行動力で立ち回ってくれたようだ。
フィオはアルトンに着くなり「何だぁ、リクに先を越されちゃったようだねぇ」なんて暢気に言っていたけれど、相当急いで来てくれたのがわかる。
フィオの後ろから付いてきていた討伐隊の面々の顔色、あれで本当にレグルスの軍勢とやり合えたのか疑問なくらい悪かったよ?
まぁ結果的にフィオの連れてきた討伐隊がレグルスの軍勢と戦う事はなかったから、何の問題もないんだけども……。