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魔王候補になりました。  作者: みぬま
第5章 新たなる魔王の誕生
125/144

 107-2. 想いの行き先

* * * * * フレイラ * * * * *


 オルテナ帝国が滅んだ。

 苦手で大嫌いだったマイス皇子も、恐ろしげな印象の皇帝陛下も、笑顔の裏で黒い事を考えている帝国の中枢を担っていた人たちもみんな炎に呑まれて絶命したと聞いた時、何故か全身から力が抜け落ちた。


 それだけではない。

 オルテナ帝国のほとんどの村や街も魔王レグルスの手によって蹂躙されたらしく、今世の私の家族が生きている可能性も、限りなくゼロになった。

 十歳を迎える少し前、神位種である私を迎えに来たエルーン聖国の神殿の人たちにあっさり私を引き渡した家族とはずっと連絡を取る事もなかったから、何となく、家族に不幸があっても実感は湧かないんだろうなと思っていた……のに。

 なのに、どうしてなのか。

 その知らせを耳にした時、まるで足下の地面が突如消えてしまったような、大きな不安に襲われた。




 私はショックの余り、呆然と立ち尽くしていた。

 知らせを持ってきてくれたのはタツキくんだ。

 けれど私が立ち尽くしている間にタツキくんはいなくなっていて、すぐ傍にはじっとこちらを見ているブライがいた。

 タツキくんが度々ブライを私の護衛につけてくれていたおかげか、何となく今、ブライが私を心配してくれている事がわかる。

 大丈夫だと伝えようとしたけれど、口を開いた瞬間に、まるでそれがスイッチだったかのように自分の意志に反して涙がぼろぼろと零れ始めてしまった。

 止めようと思っても止まらない。

 まさか自分がこんなにも今世の家族や故郷であるオルテナ帝国に思い入れがあっただなんて、思いもしなかった。


 涙はしばらく止まらなかった。

 その間、ブライは黙って傍にいてくれた。




 その後タツキくんとは何度かすれ違ったけれど、私に対してどう対応したらいいのかわからない様子で、当たり障りのない短い会話を交わすと居た堪れなくなるのか、そそくさとどこかに行ってしまうようになった。


 ちくりと胸が痛む。

 もっと話をしたいのに、話を聞いてくれるだけでもいいのに、タツキくんは逃げるようにどこかへ行ってしまう。

 その事がどうしようもなく悲しくて、話せない事が寂しいと思うようになって──。




 オルテナ帝国が滅亡して半月が経過しようとしていた。

 タツキくんは相変わらずで、私の傍らにはずっとブライがついていてくれている。


「……主はリクの様子を見に行っている」


 ぽつりと、ブライが呟いた。

 思わずブライの顔を見ると、目を細めて私を見ていた。


「主は常人より心の機微に敏感ではあるが、どう対処したらいいのかまではわからないのだろう。ここは思い切ってそなたの方から行ってみたらどうだ?」


 今は手乗りサイズになっているから姿こそ小さいけれど、竜独特の威圧的な外見からは想像もできないような優しい声音。

 その優しさにすら涙腺が緩む。

 私の涙腺は壊れてしまったのかも知れない。


 私は涙が落ち着くのを待ってから、唐突に涙を零し始めた私を静かに見守ってくれていたブライにお礼を言って、自室を出た。




 ブライの言葉に背中を押されて自室から出た私は、本部のエントランスホールにやって来た。

 けれど、ここまで来たもののタツキくんに何て言えばいいのか考えていなかった事に気付いて、立ち尽くす。

 私は一体タツキくんに何を求めているのだろう?

 それに、いきなり押しかけられたら迷惑なんじゃないかしら……。


 床に視線を落としてそんな事をぐるぐると考えていると、不意に気配がして顔を上げた。

 正面に、階段から降り切った所で立ち止まっているタツキくんがいた。

 タツキくんは相変わらず困ったように眉尻を下げて、それでも私にかける言葉を探しているのか、必死な様子で考え込んでしまった。

 いつもなら悩んだ挙句に当たり障りのない言葉をかけて立ち去ってしまうのに、今日はやけに深く考え込んでいるようだ。

 長い沈黙が下りる。


 結局先に沈黙に耐えられなくなったのは、あまり気が長くない私の方だった。

 必死に私のために言葉を探してくれている事が嬉しい反面、言葉が出てこないなら行動で示してくれてもいいのにと思ってしまった。

 自分でも不機嫌な表情を浮かべてしまった事がわかる。

 だからそれを隠す意味も含めて、ブライに言われた通りこちらから行動を起こす事にした。


 私はタツキくんに駆け寄ってそのまま体当たりするように飛びついた。

 タツキくんの背中に回した腕でぎゅうっと抱きしめると、タツキくんから困惑したような気配が伝わってくる。

 タツキくんは優しいから、決して突き放すような事はしないだろうと思っていた。

 けれどタツキくんが必要以上に傍まで歩み寄ってくれない事も、ちゃんとわかっていた。

 わかっていたからこそ今まではタツキくんの立場を考えて仕方がないと諦めていられたけれど、精神的に参っていたこの時の私は、タツキくんへの配慮が一切出来なくなっていたようだ。


「慰めてよ……!」


 言葉が脳を通さずに零れ出て行く。

 すると半ばパニックになっているような声音で「僕はどうしたらいいの?」と問いかけられた。


 優しい声。

 安心する声。

 その声に引き寄せられるように顔を上げて、すっかり身長が伸びたタツキくんの顔を見上げる。

 視線の先では澄んだ漆黒の瞳がまっすぐ私を見ていた。

 タツキくんの瞳に私だけが映り込んでいる事に気付くと、じんわりと胸が熱くなる。

 いつの間にこんなにタツキくんの事を好きになっていたのだろう。

 抑え切れない衝動のまま、私は望みを口にした。


「ぎゅってして」


 タツキくんの気持ちも確認せずにそんな要求をしてみたものの、声が掠れてしまってうまく伝わらなかったようだ。

 首を傾げながら「え?」と問い返されれば、途端に我に返って恥ずかしさで全身が熱くなる。

 けれど同時に、こちらの想いを聞き逃された事を不満に思ってしまう。

 本当に私は自分勝手だ。

 でも今は遠慮している場合ではない、押すべき時だと思った。

 ここで引いたら、二度と自分の気持ちをタツキくんに伝える機会はこないような気がする。

 なので照れ隠しにタツキくんの胸に頭突きするように頭を押し付け、改めて望みを伝えた。


「ぎゅってして! あと、私がいいって言うまで、傍にいて……!」


 押すべき時だと思いながらも拒否されるのが恐くて、タツキくんの顔を見ずに言い放つ。

 一瞬の静寂。

 駄目か……と思った瞬間、タツキくんの心拍数が跳ね上がったのがわかった。

 密着している分、その鼓動がすぐ近くで聞こえる。

 しばし逡巡している様子だったけれど、壊れ物に触れるようにそっとタツキくんの手が私の背中に触れた。

 ただそれだけの事で、嬉しくて涙が出た。

 無意識にタツキくんに抱きついている腕に更に力を込めてしまったけれど、それに応えるようにタツキくんも力強く抱きしめ返してくれた。


「私、タツキくんの事が好きなの……」


 涙混じりの声で小さく呟けば、タツキくんも「僕も」と、耳元で囁いてくれる。

 そのたった一言で、私の胸は一杯になってしまった。


 感極まっていると、不意にタツキくんの腕から解放される。

 途端に不安が襲ってきて反射的にタツキくんを見上げれば、タツキくんは見た事もないくらい柔らかい、慈しむような笑顔を浮かべていた。少し照れも入っているようで、やや頬が赤い。

 思わず見入っていると、


「こんな人目のあるところでする事じゃなかったね」


 こそっと小さな声で言われてようやく、人の視線がある事に気がついた。

 当然だ。だってここは、この村の中枢を担っている場所なのだから。

 恐る恐る周囲に視線を巡らせてみれば、気まずそうに視線を反らしながら来客対応をしている受付嬢と、ひとりの来訪者の姿が目に入った。

 これを幸いと呼ぶべきかはわからないけれど、他に人はいない。

 そして彼らも見ていない振りをしてくれている。


 これを幸いと……呼べるわけがない!


 顔から火が出るかと思った。

 咄嗟にタツキくんの腕を掴むとそのまま本部から飛び出して、ラーウルさんの家で間借りしている自室へと駆け込む。

 半ば強引にタツキくんを部屋に押し込み、自分も部屋に入って後ろ手に扉を閉めた。

 疲れを覚えるはずがない程度の距離しか走っていないのに息があがってしまって、扉に背を預けたままずるずると床に座り込む。

 それから改めて部屋を見渡せば、先程まで部屋にいたはずのブライの姿がなかった。

 きっとお気に入りの湖の畔に行ってしまったのだろう。

 部屋の中にいるのは私と、苦笑を浮かべているタツキくんだけだった。


「ごっ、ごごごめんなさいっ! 無理に引っ張ってきちゃったけど、腕とか痛めなかった!?」


 咄嗟に気になったのはそこだった。

 タツキくんに駆け寄り、ここまで引っ張ってきた方の腕にそっと触れる。

 我ながら強引過ぎたかも知れない。

 引かれていないか不安になっておずおずとタツキくんを見上げると、目が合うと同時にぐいっと引き寄せられ、あっと言う間に私はタツキくんの腕の中に収まっていた。

 日頃の遠慮がちなタツキくんからは考えられないような行動だ。

 突飛な行動で困らせてしまったかと思ったけれど、今はむしろ私の方がタツキくんの予想外の行動にどぎまぎしてしまう。


「心配しなくても、そんなにやわじゃないから大丈夫だよ」


 早鐘を打つ自分の鼓動でより一層落ち着きを失っていると、タツキくんはそんな私の内心を見透かしたかのようにゆっくりと優しく、一定のリズムで背中を叩いてくれた。

 まるで子供をあやすかのような仕草。

 そんなタツキくんの動作に意識を傾けてみれば、不思議と心拍数も落ち着いてきた。


 過去、リクさんやセンくんに対して偉そうに恋愛について語っていたけれど、結局私も自分の事となると冷静になるのは難しい。

 けれどタツキくんの声、表情、仕草はいつも穏やかで、そんなタツキくんの傍にいると、冷静とは呼べずとも落ち着きを取り戻す事が出来た。



 私が自分のタツキくんに抱いているこの気持ちに気付いたのはいつだったか。

 きっかけが魔王ゾイ=エンとの戦いに向けてセンザに向かう途中、森の中で話をした事なのは確かだ。

 あの時私はタツキくんの事を、頼りがいがある人だなと思った。

 その後は自然と、あれこれと悩んだり迷ったりする度にタツキくんに相談する事が増えていった。

 タツキくんはいつでも真剣に私の立場に立って考え、真摯に意見を出してくれて……。


 気付いた時には、タツキくんに恋心を抱くようになっていた。

 けれど同時に、タツキくんがこの世界と関わるのを最小限に留めようと、全てに対して……一番近いように見えるリクさんに対してすら、一歩引いている事に気付いてしまった。

 だから私はタツキくんの意志を尊重して、この気持ちは伝えずにいようと決めた。

 受け入れられる事はないと思っていたし、タツキくんは優しいから断るにしてもいつまでも気にさせてしまいそうな気がしたからだ。


 けれど。

 関わりが薄い今世の家族やいい思い出のない故郷であっても失ってみればその存在は余りにも大きく、精神的にひとりでは立っていられないほどの喪失感を味わって、私は咄嗟にタツキくんに縋り付きたくなった。

 タツキくんを困らせるとか、そういうタツキくん側の事なんて考えられなくなっていて……。

 結果的にタツキくんを困らせてしまったとは思うけれど、タツキくんは私の気持ちに応えてくれた。

 それがただただ嬉しくて、今は伝えてみて良かったと思う。



 ちらりとタツキくんの顔を見上げれば、優しさを湛えた瞳にぶつかる。

 なんて幸せなんだろう。

 タツキくんも幸せそうで、タツキくんが幸せそうにしているのは私の気持ちと同じ気持ちをタツキくんも私に抱いてくれているからで……。

 そう思ったら更に幸せな気持ちが大きくなって、じわりと涙が滲み出てしまう。

 タツキくんは少し驚いたような顔になったけれど、すぐに目を細めて微笑んでくれた。

 その目にも薄っすら涙が浮かぶ。


「……タツキくんは、どうして私の気持ちを受け入れてくれる気になったの?」


 不意に気になって問いかける。

 タツキくんがこの世界どころかリクさん含む全ての人に対しても深く関わらないようにしていた事は、きっと私だけではなく、それこそリクさんだって気付いていたはずだ。

 そんなタツキくんがこの世界の住人である私の想いを受け入れてくれた事が不思議だった。

 そんな疑問を乗せた視線を向けると、タツキくんは気まずそうに目を反らす。

 一方で私を抱きしめている腕に込められた力が僅かに強くなった。


「これは、本当に自分本位な事でフレイラさんには申し訳ないんだけど……」


 そう前置きして、ぽつりぽつりとタツキくんは自分が抱えていた気持ちを話し始めた。

 タツキくんがこの世界にいるのは魔力暴走事故の原因を特定するためである事。

 恐らく魔力暴走事故の原因は中央大陸にあって、そう時間をかけずに原因の特定に至るであろう事。

 そこまで語ったところで、タツキくんは一旦口を閉ざした。

 その後も何かを言いかけては言葉を引っ込めるというような動作を繰り返していたけれど、私は次の言葉を根気よく待った。

 そしてようやく言葉として発せられた内容に、愕然とする。


「魔力暴走事故の原因が特定できたら、僕はこの世界での役目を終える事になる。そうなった時……役目を終えた時、僕がこの世界に留まっていられるかどうかはわからないんだ。もしかしたらイフィラ神のいる世界に、戻らなきゃいけなくなるかも知れない」


 目の前が真っ暗になったように感じた。

 折角想いが通じたのに、もしかしたら近々、二度と会えない場所にタツキくんが行ってしまうかも知れないだなんて。

 知らず知らずのうちに、タツキくんの服を掴む手に力が入る。

 手放したくない、離れたくないという気持ちに促されて、私は力一杯タツキくんにしがみついた。

 するとタツキくんも強く抱きしめ返してくれた。

 そして静かに、穏やかな声で話の続きを語り始める。


「でもね、フレイラさん。僕は本当は、ルウが羨ましかったんだ。堂々とフレイラさんに好意を伝えて、全力でぶつかっていけるルウが羨ましくて仕方がなかった。だからフレイラさんが僕を好きだと言ってくれた時、嬉しくて嬉しくて、自分の気持ちを押し殺す事なんて出来なくて……」


 そっと私の肩を押して身を離すと、タツキくんは真っ直ぐ私の目を見て、言葉を続けた。


「僕もずっとフレイラさんの事が好きだった。リクとハルトみたいに寄り添って、隣を歩いていけたらいいのにって思ってた。でも同時に、この望みは叶わないんだって、自分に言い聞かせてもいたんだ。きっと想いを通じ合わせる事はないんだろうと思ってたし、仮に想いが通じてもいつまで一緒にいられるかわからなかったから。だけどフレイラさんが気持ちを伝えてくれて、僕はこの望みを諦めなくてもいいんだって、他の誰でもないフレイラさんが言ってくれたように思えて嬉しかったんだ」

「そんなの、いいに決まってるじゃない! 私の隣にいてよ。ずっと傍にいて……!」


 必死に訴えると、タツキくんは嬉しそうに微笑んだ。

 そして「それはさっき言ってた、“いいって言うまで傍にいて”っていう言葉の、正式な期間が“ずっと”って事でいいのかな?」と問いかけてくる。

 当然だ。

 私は「当たり前でしょ!」と答えながら頷いた。



 その後は部屋に備え付けられている机を挟んで向かい合い、しばらく他愛のない話をして過ごした。

 話をしているうちに日が傾き始めたので、室内に置かれている光玉に魔力を送って明かりを点ける。

 すると話をしている合間合間に何やら考え込んでいたタツキくんが、ようやく考えがまとまったのか切り出してきた。


「とりあえず僕はイフィラ神に、魔力暴走事故の原因特定後もこの世界に留まれないか聞いてみるよ。多分あのお人好しの神様なら即決で聞き入れてくれると思うけど、僕としてはイフィラ神も放って置けなくて。イフィラ神は寂しい癖にひとりでいいって言うし、何かあっても誰にも頼らないから、僕を含めて眷属はみんな心配してるんだよね。

 全く、あの神様は僕たちを何のための眷属だと思ってるんだか……。だから何とか説得して、僕がイフィラ神のいる世界とこの世界をある程度自由に行き来出来るようにして貰おうと思うんだ」


 神様が寂しがりやだなんて、意外だ。

 でもタツキくんが放って置けないと思うほど、イフィラ神はひとりにしておけない性質の神様なのだろう。

 私の勝手な想像だけど、神様って万能で、超越者で、およそ人間らしい精神構造をしているとは思えないような存在だと思ってた。

 けれど思い起こしてみれば、エルーン聖国の神殿でイフィラ神の代行者であるティーラ様に会った時、ティーラ様も「神は皆孤独な存在」「イフィラ神は意志ある生き物との関わりが深く、他の神に比べて情も深い」と言っていた。


 タツキくんやティーラ様の話を聞いていると、イフィラ神は人に近い神様なんだなと何となく思う。

 ちょっとだけ親しみを覚えて、「イフィラ神はどんな神様なの?」と問いかけてみた。

 するとタツキくんは、タツキくんの話をする時のブライとよく似た表情を浮かべて「僕の最高の主だよ」と言った。

 聞きたかったのはそういう事じゃないんだけど、ちょっとだけ、羨ましいなと思った。




 その翌日、騎士国ランスロイドに攻め入ったレグルスから逃れてくるであろうランスロイド国民を救済すべく、ハルトとマナ、センが魔族領とランスロイドとの間にある関所へと向かった。


 それから更に数日が過ぎた頃、私は何気なくタツキくんに前世で子供がいた事について話をした。

 セタを見ていたら前世の子……美雨(みう)の事を思い出して、タツキくんに話しておこうかなと思い立って、何の前振りもなく口にしててしまった。

 どうやらタツキくんは前世の私に子供がいた事に薄ら気付いていた様子で、けれど少し衝撃を受けたような表情で黙って話を聞いてくれた。



 タツキくんは優しい。

 私の話を聞いてくれるだけじゃなくて、悩みを真剣に考えてくれるだけじゃなくて。

 私が望む事を、いつでも柔らかく受け止めてくれるからだ。

 不安になれば抱きしめてくれて、想いを同じくしている事を実感させてくれる。

 それだけでも幸せだと感じる事は出来る。


 けれどタツキくんは、手を繋いだり抱きしめたりはしてくれるけれど、それ以上の接触は避けているように思えた。

 まだタツキくんには、何かしら負い目があるのだろうか。

 物足りないだなんて思っているのは、私だけなのだろうか……。

 そうは思うけれど私は充分我が侭を聞いて貰っているから、タツキくんが望んでくれるまでは、私も今以上の事を望む気持ちはそっと沈めておく事にした。






 戦況は更に進み、騎士国ランスロイドがレグルスに滅ぼされ、レグルスは更に南下してアールグラントにまで攻め入ろうとしていた。

 けれど魔族領側でも動きがあり、レグルスが治めるギニラック帝国が魔王タラントの手に落ちた。

 するとレグルスは新たな根城として城塞都市アルトンに目をつけたようで、アルトンに攻撃の手を加えた。

 そんなレグルスの行為を今度は魔王フィオが非難し、討伐隊を結成。

 めまぐるしく変わって行く状況に、フォルニード村でも穏やかな日常を送る村人たちとは裏腹に、ラーウルさんを始めとするフォルニード同盟の上層部の人たちには絶えず緊張が走っていた。

 私もいつでも戦えるようにと、ブライが好んでよく寝床にしている湖畔で剣の訓練を欠かさないようにしている。

 この日もブライの横で剣を素振りをしていた。


「ねぇ、ブライ。アルトンは大丈夫かしら」


 城塞都市アルトンにレグルスが攻め入ろうとしている知らせを聞いてから、私は気が気ではなかった。

 直接アルトンに立ち寄った事は数えるほどしかないけれど、私はアルトンからアールグラントに救援を求めに来たリッジさんたちと面識がある。

 彼らの願いを叶えるべくアールグラントの魔術師団に所存していたシグリルと水竜のレスティがアルトンにいる事は知っているけれど、人伝で話を聞く以外にアルトンの状況を把握しようがない私としては落ち着かない。


「わからんな。水竜レスティの結界はそう簡単には破られないだろうが、魔王フィオの率いている討伐隊がどれほどの実力を持っているのか、どれだけ早く駆けつけられるのか。更に言えば、水竜レスティがいつまで気力を保っていられるのか、全てが未知数だ」


 ずばりと気休めを交えない率直な意見を返されて、私は一抹の不安を覚えた。


「私たちが出向かなくてもいいのかしら……」


 私の呟きが聞こえなかったのか、ブライは沈黙する。

 ……いや、聞こえなかったはずがない。

 何せブライは竜だ。

 全てに於いて他の生物を圧倒する能力を持っている竜の聴覚が、そんなに鈍いはずがない。


「せめて私だけでもアルトンに行けば、少しは状況が変わると思う?」

「相手の数が数だからな。無駄死にするだけだろう」


 今度は答えが返ってきた。

 何となく不審に思ってブライに視線を合わせようとすると、ついと目を反らされてしまう。


「……私たちが助けに行かない事に、何か理由があるのね?」


 そう問い質せば、ブライは再び沈黙した。

 隠すつもりはないようだけど、話すつもりもない、か。

 どうやって聞き出そうかと思案しながら、私は剣の素振りを再開する。

 すると、村の方からタツキくんがやってきた。気配に気付いた私とブライがそちらを振り向く。


「休憩か? 主よ」

「うん。休憩がてら、気分転換に散歩でもしようと思って」


 タツキくんがブライの問いに答えると、ブライは私の方に視線を向けてきた。

 布で汗を拭っていた私は、唐突に向けられたブライの視線に思わずたじろいだ。


「……主よ。戦況がどうなっているか教えて貰えないだろうか」


 不意にブライはタツキくんの方へ向き直ってそんな事を問いかけた。

 どうやら私の疑問への答えを、タツキくんの口から引き出そうと考えたようだ。

 その事から、私たちがアルトンを助けに向かわないのはタツキくんの考えなのだと理解する。

 ブライの主はタツキくんだもの、ブライはタツキくんの意志に反する事はしないだろうし、タツキくんの抱える事情を自己判断で口にしなかっただけなのだろう。


「正直芳しくないと思う。現状としては今から僕らがアルトンに向かうより、今日明日にもギルテッド王国を出発するフィオの結成した討伐隊がアルトンに着く方が早そうだから、今は討伐隊に賭けるのが最善で最速なんじゃないかな」


 ブライの問いに答えながらも、タツキくんは何か考え込む様子で視線を落とした。

 タツキくんにはきっと、私では思い至らないような考えがあるのだろうと思う。

 けれど。


「タツキくんは、アルトンを助けたくないの?」


 聞かずにはいられなかった。

 私の問いに、タツキくんが動きを止める。

 逡巡するかのようにその瞳が揺れ、沈黙が下りた。

 そのまましばらく待ってみたけれど結局答えは貰えそうにもなくて、私は改めてブライに向き直った。


「どうしても話してくれないの?」

「駄目だな。主が話さないのであれば、我も話さぬ」


 どうやら私が考えた通り、ブライが話さないのはタツキくんの出した結論に従っているからのようだ。

 それなら仕方がないかと諦めた時。


「だが、主がアルトンを見捨てたいわけではない事は理解して欲しい」

「……わかってるわよ、そんな事」


 私がタツキくんをそんな薄情者だと思っているはずがないじゃない。

 思わぬブライの言葉に眉をひそめながらも、私は気を取り直してタツキくんの腕を引いた。


「タツキくん、散歩に付き合うわ!」


 そう言ってタツキくんの腕をぐいぐい引きながら歩き出すと、タツキくんも仕方なさそうについてくる。

 歩き出した私たちの後ろで、ブライが喉を鳴らして笑った。

 横目で振り返ると、タツキくんとブライは何やら互いに頷き合っている。

 主従関係とは言え、そこにある何人たりとも立ち入れない強い信頼と絆が目に見えるようで、何だか羨ましいなと思った。


 あぁ、そう言えば最近も似たような事を思ってたっけ。

 確か、タツキくんがタツキくんの主であるイフィラ神について話していた時にも羨ましいと思ったんだった。

 主従関係か……。

 何となく上下関係がはっきりしているせいかいい印象はないし、私には縁のなかったものだけど、そう悪いものでもないのかも知れない。

 



 タツキくんの休憩時間が終わって別れると、私は再び湖に戻るべく歩き出した。

 途中で息子と戯れているハルトに声をかけ、仕事の休憩中に歓談しているマナとセンにも手を振って、自分が湖方面に向かう事をそれとなく伝えておく。

 そうして湖の近くまで戻った時。


 村の方から異様な気配が膨れ上がってきた。

 反射的に体を反転して、村の方へと駆け戻る。

 村の広場まで戻ったところで本部に駆け込んで行くハルトの姿が見えて、それに続くようにマナとセンも本部へと駆け込んで行き──。




 気配の正体は、ようやく目を覚ましたリクさんのものだった。

 リクさんは目覚めたばかりなのに現在の戦況を把握していて、まだ目覚めて間もないのにしっかりした足取りで窓から飛び出して行ってしまった。

 リクさんを追ってタツキくんとムツキくんも窓から飛び出して行った。


 そんな三人を見送ると、室内に静寂が訪れる。

 あっという間の事で、私は状況を把握するのに少し時間がかかってしまったけれど……。


「ふっ」


 誰よりもリクさんの事を心配しているであろうハルトが、吹き出して笑った。

 その横ではサラちゃんも、おかしそうに肩を揺らして笑っている。


「全く。久しぶりに目覚めたと思ったらすぐに飛び出して行くなんて、リクらしいな」

「ですね」


 ふたりがそんな様子だからか、セタもふたりにつられるようにして笑う。


「そうだね。確かにリクらしいかも」

「リクさん、思い立ったら即行動って感じだもんな」


 マナやセンも苦笑しながら納得顔だ。

 確かに、今世のリクさんはあまりじっとしていない印象がある。

 自分が守ると決めたら全力で守りに行く。

 けれど私の中ではまだ、今のリクさんとは印象が異なる前世の瀬田(せた) 理玖(りく)さんの記憶が残っていて、その差がうまく埋められなくて不思議な気分だった。


 ふと、前世のリクさんの姿を思い起こす。

 教室の片隅で、仲のいい友達を見送って、静かに本を読んでいる姿。

 誰かと喧嘩して憤懣やるかたない友人を、静かな声で宥めている姿。

 よく友人たちから頼られ、落ち着いた様子で対応していた前世のリクさん。

 対して、今世では行動力の塊のようなリクさん。


 ふと、私も口許に笑みを浮かべた。

 やっぱり前世は前世。今世は今世なのだと、リクさんの事を考えながら確信する。

 まだ自分に対しても、リクさんに対しても、ハルトに対しても、前世と今世のギャップを感じてしまうし、無意識に混同してしまうけれど。



 認めよう。

 私は今世の家族と故郷を失って悲しかった。

 それは私がこの世界に生まれ、育ち、ここまで生きてきたからこそ抱いた思いなのだ。

 タツキくんを想う気持ちだって同じ。


 その事に気付けたのだから、私はもう大丈夫だ。

 もう二度と後悔しないように、もう二度と失ってからその大切さに気付くなんて事のないように、しっかりこの人生を歩んで行こう。

 できれば、タツキくんの隣で。

 最期の時まで。

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