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魔王候補になりました。  作者: みぬま
第5章 新たなる魔王の誕生
122/144

105. 在りし日の追憶 ─ゴルムア②─

 戦争が始まった。


 ベルネクスは「長年我が国を苦しめ続けている魔族を殲滅する」と宣ったが、この決断をするのにローネリーの一件が影響しているのは明白だ。

 皇帝として公私を分けてきたベルネクスが、初めて公私の境界を越えた。

 俺のところに……ゴルムアのところにやってきて自分の味方になってくれるかどうか問いかけてきた時のベルネクスは、その境界を越えるべきか否かで迷っていたようだ。

 俺がオルテナ帝国にやってきて二十年以上経つが、これまでベルネクスが決断に迷う姿など見た事がなかった。

 皇帝としての立場を優先してきたベルネクスが迷いながらも公私の境界を越えて決断するほど、彼自身も娘を殺された事を悔やんでいたという事だろう。




 オルテナ帝国が魔族領との国境へと進軍すると、すぐさまギニラック帝国側も反応し、魔族の部隊を展開した。

 ギニラック帝国の動きを見るに、オルテナ帝国が攻め入ってくるのは目論み通りだったのだろうと感じる。

 その事から予測できるのは、ギニラック帝国……魔王レグルス=ギニラックは、この戦争を引き起こすためにローネリーを殺したのではないかという事。

 敢えて国の主たるベルネクスや時期国主であるマイスではなく多くの者たちから愛されていた皇女を殺す事で、容易に戦争を誘発させられると考えたのではないだろうか。


 魔王レグルスがそのような考えに至る理由はいくつか思い当たる。

 まずひとつ目に、オルテナ帝国が魔族嫌いの国であるのと同様に、ギニラック帝国も人族嫌いの国である可能性が高い事だ。実際ギニラック帝国は人族との友好を一切結んでいない。

 ふたつ目に、オルテナ帝国とギニラック帝国は、長年いがみ合ってきた仲だという事だ。

 ギニラック帝国は魔王が治める国としては最も人族領に近い。それも、オルテナ帝国が一番近い場所にある位置関係だ。

 魔族嫌いのオルテナ帝国は当然のようにギニラック帝国を良く思っていなかっただろうし、ギニラック帝国側もオルテナ帝国を良く思っていなかったはず。


 そしてこのふたつの予測が大当たりだった場合、レグルスはこう考えただろう。

 魔族に対して攻撃的だった歴代皇帝に比べて、新しいオルテナ帝国の皇帝は弱腰だと。

 それに、俺も理由はよくわからないが、ローネリーの死を隠匿してまで神殿から派遣して貰った神位種はもうこの国にはいないらしい。新しい神位種が派遣されてくる予定もないそうだ。

 つまり、今ならオルテナ帝国には魔王に対抗できる勇者もいない。

 ……俺は基本的にこの塔から出ていないから、俺がこの国にいる事を知る者は恐らくレグルス側にはいないはずだ。

 故に、レグルスは今現在のオルテナ帝国を侮り、戦争を仕掛けるように仕向けてきたのだと考えられる。




 戦争が始まると、俺──正確にはゴルムアも、早々に前線へと送り込まれた。

 しかし魔族を殺すように洗脳魔術が施されているはずのゴルムアが、ギニラック帝国の魔族たちを目の前にしながら何故か周囲のオルテナ帝国兵を惨殺。

 そして突如、魔族領を南下し始めた。

 これには俺も驚いた。

 ゴルムアは一体何をしようとしているのだろうか。



 南下する間に目に付いた魔族の集落を軒並み壊滅させつつ、ただひたすらに南下を続ける。

 するとやがて、魔族領内でありながら鬱蒼とした森が見えてきた。

 ぞっとした。

 まさか、ゴルムアが向かおうとしているのは……!


 やめろ、やめてくれ!


 俺はいつかのように、必死にゴルムアへと呼びかけた。

 しかしゴルムアは無心で南下を続ける。

 いつの間にか俺の体は神位種として相当な力を手に入れていたらしく、あっという間に森に到達した。


 止まってくれ! この先には、フォルニード村が……!


 俺は悲鳴を上げたい気持ちに駆られながら、何度もゴルムアに呼びかけた。

 しかしそのことごとくが無視される。……いや、今のゴルムアには本当に俺の意志など届いていないのかも知れない。



 森に分け入り、迷わずフォルニード村の方へと向かうゴルムア。

 そうして辿り着いたフォルニード村は、“研究所”に攫われる以前に目にした様子とは明らかに異なっていた。

 一度壊滅したところを復興している途中のような……そんな様子だった。


 そんな村の中にゴルムアが飛び込んだ。

 真っ先に目についた赤毛の獣人に体当たりをかける。

 一瞬目が合い、赤毛の獣人が赤目の魔王種である事には気付いたが、今のゴルムアの相手ではなかったようだ。

 赤目の魔王種は勢い良く吹き飛ばされた。

 すぐさま目の前に人族と思われる人々が現れ、逃げ惑うフォルニード村の村民たちとの間に立ちはだかる。

 血の気が引く思いをしている俺とは裏腹に、ゴルムアは迷わず彼らを手にかけた。

 するとすぐ傍に巨大な黒竜が現れる。

 いつの間にこんな近くに、こんな巨体が迫ってきていたのか。

 しかしゴルムアはその存在を無視して逃げ惑う村民たちに矛先を向けた。


 俺にはゴルムアが一体何をしたいのか、さっぱりわからなかった。

 けれど、これ以上は見ていられない。

 何とか体の主導権を奪えないものかと試行錯誤するも、虚しいくらい手応えがない。

 襲い来る絶望と焦り。


 あぁ、この感覚、久しぶりだな……。

 何をしても無駄だと知って、全てを諦めてしまいたくなるような感覚。

 でもここで諦めたら、“素材集め”の時のように望まぬ事に手を染めながらも傍観しているような、後悔してもしきれない日々に戻ってしまう。

 二度とあんな思いをしないためにも、諦めるわけにはいかない……!


 金目魔王種や何故かフォルニード村にいた神位種をあしらいながら逃げ惑う村民たちに襲いかかろうとしているゴルムアを、何とか止めようと思い付く限りの事を試みる。

 何度うまくいかなくても、どんなに挫折感を味わおうとも、その都度自らを鼓舞して別の方法を考え試行錯誤を続ける。




 不意に、ゴルムアの動きが止まった。

 異様な気配を感知した時には既に、目の前に黒衣を纏った白神種の青年が立ちはだかっていた。

 側方からも同様に不穏な気配がして見遣れば、同じく黒衣を身に付けた白神種の少女がこちらを睨みつけていた。


 下手に動くなと本能が叫ぶ。しかしゴルムアは構わず正面の白神種の青年に飛びかかった。

 一方青年は動揺する事なく、僅かに身を引くような動作を取る。

 次の瞬間には、視界が回って天地がひっくり返っていた。

 受け身も取れずに地面に背中を強か打ち付けて、息が詰まる。

 すぐに白神種の少女が駆け寄り、手にした杖を俺の頭にぴたりと突きつけてきた。

 杖の先端に取り付けられた宝玉が仄かに光り始める。


 俺は不思議と恐怖を覚えなかった。けれどゴルムアは違ったようだ。

 杖を振り払って跳ね起きると、全速力でその場から離れ始める。

 青年と少女も後を追ってきたけれど何とか撒く事に成功。もう追いかけてこない事を確認すると、ゴルムアはあからさまに安堵の息を吐いた。

 早鐘のように鳴り響く心音が、静かな空間の中でやけに大きく聞こえた……。






 ゴルムアが何を考えているのか、さっぱりわからない。

 本格的に人格が壊れてからは察する事もできなくなっていた。

 ただ、そんな状態でもゴルムアの中でローネリーの存在が途轍もなく大きい割合を占めているのは確かだと思う。

 失った悲しみと奪われた怒りが、今でも色褪せずに心を支配しているのではないだろうか。

 何となくだけど、そんな気がする。


 一方俺は、ベルネクスの事が心配だった。

 ゴルムアの助力をあてにしてギニラック帝国に戦争を仕掛けたのだろうに、肝心のゴルムアが味方を殺して逃亡してしまったから、ベルネクスを取り巻く状況は確実に厳しくなっている事だろう……。

 恐らくベルネクスにとって唯一頼れる相手がゴルムアだったはずだ。それなのにそのゴルムアに裏切られてしまった形になる。

 信頼していた相手に裏切られて、絶望してはいないだろうか。


 そんな風にベルネクスの事を考えているうちに、自嘲したくなった。

 俺はオルテナ帝国が抱える“研究所”に家族を殺され、自分をこんな風に壊されてしまった事でオルテナ帝国を恨んでいてもいいはずなのに。

 なのに、今はその国の主たるベルネクスの心配をしているだなんて。



 ふと、ゴルムアが南方へと顔を振り向けた。

 そのまま身を隠していた魔族の集落跡から飛び出すようにして、ゴルムアは再びフォルニード村に向かって走り出す。


 また村を襲うつもりか……!?


 俺は必死にゴルムアに止まるよう呼びかけながら、自らの意志を強く持ち、ゴルムアの意志を呑み込むような気持ちで体の所有権奪還に集中する。

 もう既に、あらゆる手は尽くしてきた。

 その中で唯一、ゴルムアから微かに反応があったこの方法を繰り返す他ない。


 そうこうしているうちに森に入り、フォルニード村が見えてきた。

 途端に、フォルニード村側から強大な魔力の気配が膨れ上がった。

 前回村に来た時には感じなかった気配。

 ゴルムアも僅かながら警戒を強めて突き進み、その勢いのままに村に張られている結界に体当たりした。

 とても生身の人間が引き起こしたものとは思えない轟音。

 それを二度、三度と繰り返しているうちに、強大な魔力の持ち主らしき人物が姿を現した。

 ゴルムアは結界を破る事に集中しているのか、その事には気付いていないようだ。


 俺はゴルムアと視覚を共有している状態だから気配でしか探りようがないのがもどかしかったが、その魔族から感じ取れる気配は明らかに異質。

 魔力の性質からして魔族である事は確かだろう。

 強大な魔力を持つ魔族。

 それは則ち、魔王種である事を示している。


 それにしても桁外れの魔力量だ。

 ゴルムアが結界に体当たりをしている轟音で声が聞き取れないが、強大な魔力を持つ魔王種が何故かうまく感知できない気配の主とやり取りをしている。

 その間に、更に気配が増えた。

 何となく覚えている。以前フォルニード村を襲った時に立ち塞がった、金目魔王種と神位種の気配だ。

 続いて魔力操作の気配がして、あちら側で何らかの魔術が行使されたのを感じ取った瞬間。


 バリッと、何かが割れたような音がした。

 すぐ近くから聞こえたから、恐らく結界に割れ目が出来たのだろうと予想する。

 それでも一心不乱にゴルムアは体当たりを続け……不意に、結界が消失した。

 ゴルムアが勢い余って転倒し、地面を転がった。


「リク、しっかり!」

「わかってる!」


 起き上がるより先に、男性と女性の声が聞こえた。

 ゴルムアが声の方へ顔を向け、ようやく俺は強大な魔力の主を目にした。


 陽光を柔らかく反射する白銀の髪。

 こめかみから伸びる漆黒の角。

 それらから、強大な魔力を持つ女性が妖鬼である事を察する。

 しかしそれより何より、俺の目を……意識を引いたのは、その瞳の色だった。


 目を瞠るほどの、美しい紫色の瞳。


 脳裏に豪快に笑う親友の顔が過った。

 一方で、ゴルムアが歓喜の感情を抱いたのを感じ取る。

 俺とは別の意味でルウを想起したのだろう。


 ゴルムアは楽しみは後に取っておこうとでも言うかのように紫目の魔王種の攻撃を回避し、その背後にいる神位種の少女に向かって行く。

 ゴルムアの体当たりを受けた少女はギリギリ回避したものの完全には避け切れず、痛みで表情を歪める。

 しかしすぐに淡緑色の光が少女を包み、ゴルムアの注意が少女から逸れた。

 視線の先では、どことなく紫目の魔王種の女性に似た顔立ちをしている漆黒の髪と瞳を持つ青年が、こちらをきつく睨んでいる。


 ぞっとした。

 あの人物に牙を剥いてはいけないと、本能が叫ぶ。

 ゴルムアも若干尻込みしたように感じた。


 すぐさま側方に気配が迫っているのを感じ取って、ゴルムアが反応した。

 紫目の魔王種が向かってくるところだった。

 息つく暇もない連撃に、ゴルムアも無傷ではいられず。

 合間に金目魔王種の魔術も襲いかかってくるが、ゴルムアは意外と冷静に魔術で対抗する。


 その後も激しい攻防が続き、結局ゴルムアが最初に片付ける事に決めたのは紫目の魔王種。

 僅かな隙を突いて体当たりで吹き飛ばした。

 続いてすぐ近くにいた神位種を負傷させる事に成功。

 しかし止めを刺す前に例の黒髪の青年が割って入ってきた。

 そして……。




 気付けばゴルムアは……俺の体は、左肩から先を失っていた。

 突如大幅に力を増した金目魔王種が何らかの魔術を放ってきたのは認識できたけれど、あまりに早い魔術の発動に対処が遅れてしまったのだ。

 ……いや、もっと早く気付いていたとしても対処するのは難しかっただろう。

 そう思ってしまうくらい、一瞬の出来事だった。


 そんな状況の中、ゴルムアは全身から殺気と威圧を放ちながら、誰もいない空間に視線を向けていた。

 荒い息を整えながら、視線の先に向かって声を発する。


「何故……」


 久々に聞いたゴルムアの声はローネリーを失って泣き叫び続けたせいですっかり変質しており、ガサガサと乾いて掠れた声になっていた。


 この時、俺にはゴルムアが何を言おうとしているのか全くわからなかった。

 なので言葉の続きを待つ。

 人格が壊れてからその思考を理解する事ができなくなってしまったゴルムアが今何を考えているのか、知りたいと思った。

 しかし続いて発せられた言葉に、俺は心臓が凍り付くような感覚に陥る事となる。


「何故だ、ルウ。何故、止める。何故、見過ごす。許さん……許さんからな、フレッグラード……。何故、奪う。何故、殺す。何故、何故、何故……!」


 その言葉には、覚えがある。

 俺ではない。

 ソムグリフの──。



 突然、弾かれたようにゴルムアが走り出した。

 その事で我に返り、俺はすぐに周囲へと意識を向ける。

 ゴルムアがちらちらと後方を確認している視界の中に、いつか見た白神種の少女と青年が追いかけてきている姿が映った。

 前回は逃げ切れたのに、今回はうまく逃げられない。

 片腕を失っている事で体のバランスが変わり、いつものように走れないからだ。


 やがて白神種の少女に追いつかれ、頭部に激しい衝撃が走った。


 あぁ、嫌な記憶が蘇る。

 これはあの時と一緒だ。

 俺が“研究所”に連れて行かれたあの時と同じ。



 そのまま、俺とゴルムアは意識を手放した……。




- - - - - - - - - -




『ソムグリフ。あたしの声、聞こえてる? もし聞こえているなら、ちょっとだけあたしの話を聞いて頂戴ねぇ。マスターは、フレッグラード様は後悔していたの。何をとは言わないけど、あなたならきっと、少し考えればわかるよねぇ?』


 少女の声が、頭の中で反響する。

 何を言われているのか理解できずにいるうちに、少女の声は言葉を続けた。


『けれど今更その事を反省しても手遅れなのはフレッグラード様もわかっていたし、今はもう、今のあなたと同じ様に壊れて、何もかも忘れてしまったの。残っているのは、グードジアに対する憎悪だけ』


 フレッグラードが、ゴルムアのように壊れてしまった……?

 言われた言葉を反芻する。

 しかしまどろみに沈みかけている時のように頭が働かず、理解しきる前に次の言葉が聞こえてきた。


『……フレッグラード様はもう元には戻れない。けれどソムグリフ。あなたは違うでしょう? 壊れた人格の裏に、ちゃんと自我が残ってるんでしょう? それとなく監視させて貰ってたから、知ってるんだからね。だから、あたしがちょこっとだけ壊れたところを“改変”してみるから、表に出られそうなら出てきてねぇ。フレッグラード様みたいに、後悔したままにならないように』



 その言葉を最後に、少女の声は消えていった。




- - - - - - - - - -




 夢でも見ていたかのような感覚だった。

 けれど目覚めても、少女の声だけはやけにはっきりと覚えていた。

 フレッグラードが後悔していた……?

 フレッグラードも壊れてしまった……?

 その言葉が、いつまでも脳裏にこびりついていた。


 俺は微かに痛む頭に手を当て、ゆっくりと体を起こす。

 周囲を見回してみると、どうやらここは大きな岩がいくつか地面に突き立っている場所のようだ。

 あの声の主を捜してみたけれど、姿も見えなければ人の気配もなかった。

 僅かに違和感を覚えて自分の左腕を見遣れば、フォルニード村での戦いで失ったはずの左腕が何故か元通りに生えていて……。


 と、そこまで認識した所で目を見開く。

 あまりに久しぶりの感覚で、一瞬理解できなかった。

 けれど、自らの手を握り込んでみたり開いてみたりしていると、じわじわと実感が湧いてくる。


「体の主導権が……」


 無意識中に、ガサガサの声が漏れる。

 それほどの驚きだった。


『フレッグラード様みたいに、後悔したままにならないように』


 不意に、少女の声が脳裏を過る。

 その言葉に突き動かされるようにして、俺は岩の上に一息に飛び乗った。

 眼下を見渡せば灰色の大地が広がり、やや離れているもののオルテナ帝国と魔族領との国境壁が見える。

 そして、国境壁付近をよく見れば、人が密集して隊を成しているような様子が見えた。

 恐らく現在位置は魔族領側の、オルテナ帝国との国境近く。それも関所にそれなりに近い場所のようだ。


 俺はすぐさま岩から飛び降りて、人が集まっている場所へと向かう。

 そう時間をかけずに辿り着いた先ではオルテナ帝国の兵たちが出陣に備えて訓示を受けていて、訓示が終わり次第足並みを揃えて出陣するような状況だった。

 が、俺の姿を見咎めた兵が数名、悲鳴をあげて隊を乱す。その混乱はすぐさま周囲へと伝播し始めた。


 どうやら合流するのは得策ではなさそうだ……。

 俺は進行方向を変え、足を止めずに北上を続ける事にした。

 視線の先にはまだ遠いながらもギニラック帝国の王城が見えている。

 このまま真っ直ぐ向かえばいい。


 すると後方から盛大な歓声があがり、大勢の気配が俺に追従するかのように動き出した。

 脇目で確認すると、オルテナ帝国の兵たちが隊毎に固まって動き始めていた。

 既に距離が開いているから何を言っているのか聞き取るのは容易ではないが、「続けぇー!」という声が方々から上がっているのだけは何とか聞き取れる。

 まさか、俺に続け、という事だろうか。


 走りながら正面に向き直り、俺はぐっと口を引き結んだ。

 いくらオルテナ帝国の兵ひとりひとりの能力が他の国の兵に比べて高いとは言え、無数の魔族を相手にするには些か不安がある。

 ならば、俺は彼らがひとりでも多く生き残れるように、全力を尽くそう。

 魔族と戦うのは今でも気乗りしないし、これまで戦いは全てゴルムアに任せていたからどこまで戦えるかわからないけれど、魔王レグルス=ギニラックに関して言えばローネリーの件もある。

 オルテナ帝国側から戦を起こさせるためにローネリーを殺したレグルスを許せないのは、何もゴルムアやベルネクスだけではない。俺も同じ思いだ。

 だから、今は戦おう。

 そう、決意した。




 目に付くギニラック帝国所属の魔族たちを次々と剣で薙ぎ払い、ただひたすらに魔王レグルス=ギニラックを探しながら走る。

 あまりにも相手の数が多いから討ち漏らした魔族もいるだろうが、それはオルテナ帝国の兵たちでも対処出来るだろうと捨て置いて、出来るだけ数多くの魔族を屠っていく。

 手こずる相手は稀に現れるが手こずるだけで強敵というほどでもなく、俺は着実にギニラック帝国へと迫っていた。

 遠くに見えていた王城が、今はもう大分近くに見える。


 あと少し……!

 そう思った時、背後から悲鳴と怒号が巻き起こった。

 同時に膨らむ、無数の魔族の気配。

 振り返るまでもない。何らかの形で気配を消して伏せられていたギニラック帝国側の魔族が、一斉にその姿を現したのだ。


 奇襲を受けて数を減らされたオルテナ帝国兵は、それでも何とか持ち堪えていた。体制を立て直し、個々に襲いかかってくる魔族を相手に善戦している。

 一瞬戻るべきか迷ったけれど、このまま北上して、先にレグルスを何とかしてしまった方がいいような気がした。

 そう思って更に足を踏み出した瞬間。



 自分の内側(・・・・・)に、違和感を覚えた。

 そして体の奥底から染み出すように不快な何かが全身を蝕み始める。

 自分の意識がその何かの力で表層から押し込められ、内側へと沈み込んでいくような感覚。


 あぁ。目覚めてしまったのか。

 そう思った。

 気付いた時にはもう、体の主導権がゴルムアに奪い返されてしまっていた。

 どんなに手足を動かそうとしてもぴくりとも動かず。

 俺は、目の前が真っ暗になるような錯覚に陥った。



 目覚めたゴルムアは目に付く魔族を片っ端から片付けながら、またもや南下を始めた。

 何故そんなにも南方……恐らくフォルニード村に執着するのか、俺にはわからない。

 ただ、今のゴルムアを動かしているのはローネリーを失った怒りや悲しみだけではなく、ワーグリナを殺された時にソムグリフが抱いた憎悪と疑問の記憶も混ざってきているのではないかという事だけは、おぼろげながらも感じ取っていた……。






 案の定、ゴルムアが向かったのはフォルニード村だった。

 するとまるで見計らっていたかのように、ゴルムアがフォルニード村付近に到着するのと時を同じくして、紫目の魔王種と赤目の魔王種が姿を現す。

 今、何も無い空間から現れたように見えたけど……錯覚か?


 そんな事を考えている間に紫目の魔王種がこちらに魔術を放ち、展開された結界がゴルムアの行く手を阻む。

 しかしゴルムアも怯まずに結界に体当たりした。

 前回と異なって、今回は一度の体当たりで結界に亀裂が入る。

 ゴルムアは数歩後ずさり、勢いを付けて再度結界に体当たりをかけた。

 そうして結界を打ち破った時には、向こうには金目魔王種と神位種の少女も加わっていた。

 よく見れば村側の結界近くに、例の黒髪の青年もいる。


 魔王種が三人に神位種が一人。更に得体の知れない青年もいる。明らかに不利だった。

 なのにゴルムアは引かなかった。

 前回のように戦える事を喜ぶでもなく、ただ作業をこなすように淡々と仕掛けていく。

 今回も前回同様、激しい攻防になったのは言うまでもない。


 ルウが「魔王種は、基本的に神位種には勝てないようになっている」と言っていた通り、自分が神位種であるが故にか魔王種相手なら負ける気がしないのに、神位種の少女の攻撃は一撃一撃が重く、戦い慣れているゴルムアですらその鋭い攻撃を防ぎ切る事は出来ない。

 しかし神位種の少女を先に何とか片付けようとゴルムアが動こうとすると、必ず紫目の魔王種が妨害に入ってくる。戦況を見極めて、前面で戦う赤目の魔王種や神位種の少女の援護を適切に行っているのがわかる。

 そう考えると、魔王種の中で最も手強いのはやはり、紫目の魔王種だった。

 魔王種故だからなのか、とんでもない胆力。そして、妖鬼とは思えない身体能力。


 紫目の魔王種はゴルムアが赤目の魔王種に向かって繰り出した拳を腕ごと蹴り上げ、魔剣と思われる短剣を折れ曲がったゴルムアの腕目がけて振り下ろした。

 信じられないほどあっさりと刃が腕の肉を切り裂いていく。

 途中骨に達して止まりそうになったが、赤目の魔王種が手を貸す事で腕はあっさりと切り落とされてしまった。

 当然のように、痛みが全身を駆け巡る。

 それは、意識だけの俺にも感じ取れた。


「ぐあぁぁぁぁぁあああっ!!」


 痛みのあまり、ゴルムアが絶叫した。

 その時には紫目の魔王種と赤目の魔王種は退避していたが、神位種の少女は退避できなかったようで間近で硬直してしまう。

 ゴルムアは激しい痛みに怒りを覚えながら、視線を硬直している神位種へと差し向けた。

 金目の魔王種や紫目の魔王種が神位種の少女を助けようと動くも、ゴルムアはそれらをことごとくいなしてしまう。

 俺としても、ゴルムアさえ村を襲わなければ敵対しなかったであろう彼らに危害を加えたい訳ではない。

 何とかもう一度体の主導権を取り戻せないかと、必死に体を取り戻した時の感覚を思い出そうと思考し……。




「おいおい、ゴルムア。お前、俺様の嫁候補を手にかけるつもりか?」




 唐突に。

 空から声が降ってきた。


 いや、降ってきたのは声だけではなかった。

 巨大な塊が頭上から一直線に落ちてきた。

 ゴルムアが素早く横へと逃れる。


 重苦しい音を立てて地面に落ちてきたその塊が、ゆっくりと立ち上がった。


 目に飛び込んで来たのは、目が醒めるような鮮やかな朝焼け色の髪。

 その背中に生えている、限りなく黒に近い紺色の翼。

 目を瞠るほど美しい紫色の瞳



 ……あぁ。

 やっぱり俺がどうしようもなくなって助けを求めたい時に手を差し伸べてくれるのは、お前なんだな。


 心底そう思い、まだ何も解決していないのに安心感に満たされる。


「無敵の魔王、ルウ=アロメス様の登場だぁ! どうだフレイラ! 惚れ直したか!?」


 ルウは大きく仰け反り、翼を大仰に広げて大音声で名乗る。

 ゴルムアが痛みを思い出して蹲る中、ルウは紫目の魔王種と言葉を交わして豪快に笑うと、不意にこちらに向き直った。


「久しぶりだなぁ、ゴルムア。あぁ、もう記憶がないんだっけか? そんなんでよく生きてたなぁ」

「ぐっ……ル、ウ……ルウ? 何故……何故だ」


 ルウが声を掛けてきた途端、ゴルムアの中で小さな変化が起こった。

 「何故」と繰り返しながらも、ルウに対して親しみのようなものを抱いているのがわかる。

 そんなゴルムアに対してルウは、柔らかい表情で微笑みかけてきた。


「お前は疲れ果ててるんだな、ゴルムア。もう、何故なんて考える必要はない。俺様が眠らせてやる。そうしたらお前もようやく、家族に会えるだろう」


 ルウの言葉に、ゴルムアが動きを止めた。

 息すらも止めて、目を見開く。

 同時に、これまで分離していたゴルムアと俺の意識が、ゆっくりとひとつに戻って行くような感覚に陥った。


「俺様はなぁ、全力で生き抜いて死んで行くのが理想だと思うし生きてる奴は全員そうあるべきだと思うから、こうしてお前の命を絶つのは不本意なんだけどな」


 そう言いながら、ルウは一歩一歩こちらへと近付いてくる。

 ルウが近付くに連れ、俺の意識とゴルムアの意識が更に融合していくように感じた。

 そしてようやく、ゴルムアが何を考えていたのかを知る事ができた。



 ゴルムアがフォルニード村に拘った理由。

 それは、無意識の内に探していたのだ。

 探していたのは両親ではない。

 ゴルムアが探していたのは、ルウだ。

 ゴルムアはコールの時にルウから言われた「何かあればコールの力になってやる! 他の魔王と戦う事になったら、一緒に戦ってやるぞ!」という言葉をどこかで覚えていて、レグルスと戦うにあたってルウの力を借りようと考えた。

 ……正確には漠然と、フォルニード村に行けばレグルスを倒せるという思い込みのようなものがあったようだ。


 けれど実際フォルニード村に来たら、ソムグリフの記憶が強く蘇った。ソムグリフの記憶の中でも特に強烈だった、フレッグラードへの憎悪の記憶が。

 その憎悪の記憶に引っ張られるようにして、洗脳魔術によって植え付けられた魔族に対する殺戮衝動が膨れ上がってきたのだ。



 あぁ、これでようやく繋がった。

 そうか。ゴルムアも結局最後に頼れるのはルウなんだって、本能で感じ取っていたんだな。

 だからルウが眠らせてくれると……終わらせてくれると言ってくれて、安心して自我を手放した。

 段々とゴルムアであったはずの意識が俺の中に染み込んでくる。

 ようやく俺も、何も出来ない、見ている事しか出来ない苦しみから解放される。


 心残りがないかと問われればベルネクスの事が気掛かりではあるけれど、オルテナ帝国に戻ればきっと俺はまた洗脳魔術を受ける事になるのだろう。

 ゴルムアも、どこかでそれを拒んでいるようだった。

 ここで終わる事を、望んでいるように感じた。


「ルウ……フレッグラードは……」


 絶大なる安心感の中にいるせいか、つい零すように、最後の確認とばかりに言葉を投げかける。

 するとルウは眼前で立ち止まり、その紫色の瞳を細めて心底嫌そうな表情を浮かべた。


「あぁ? 俺様は、もうあんな奴知らん! 今頃自分がぶっ壊れて、そのうちこの世界もぶっ壊すんだろうよ」


 ルウは投げやりに右手をぷらぷらと振って、俺の問いに応じる。

 どうやらフレッグラードはルウから相当嫌われてしまっているようだ。

 それに、どうやらルウもフレッグラードが壊れてしまった事を知っているらしい。

 まぁルウの口から聞かずとも、あの少女の声が言った言葉に嘘があったとは思っていないけどな。

 それくらい、あの少女の声が伝えてきた言葉は、俺の胸に突き刺さってきたんだ……。



 それ以上、語る言葉はなかった。

 俺はただただルウを見上げ、その時を待つ。


 そして。


 ルウはぷらぷらと振っていたその手を、一息に俺の胸部に突き刺した。

 不思議と痛みは感じなかった。

 痛みの代わりに、ようやく望みが叶った時のような満たされた感覚になる。

 やっとこの苦しみから解放されるのだと思うと、死を目前にしながら喜びすら感じた。


 縋るようにルウの腕を掴んだ俺を片手で支えると、ルウは小さな声で「お疲れさん」と耳元で囁く。

 だから俺も、ちゃんと声になったかはわからないけれど、「ありがとう」と返した。

 自然と涙が目尻から流れ落ちていき、その感覚を最後に、俺の意識は完全に途切れた……。

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