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魔王候補になりました。  作者: みぬま
第5章 新たなる魔王の誕生
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104. 在りし日の追憶 ─ゴルムア①─

 俺がゴルムアと呼ばれるようになってからも、定期的に魔術師たちが現れては洗脳を施していった。

 その度にもうひとつの人格が表へと出て暴れた挙げ句に人を殺してしまうので、俺は城の敷地内にある塔の上、そこに特別に作られた牢部屋に鎖で両手足を拘束され、幽閉された。

 塔の上に閉じ込めた理由は恐らく、出来るだけ危険なものを遠ざけたいという心理から来ているのだろう。

 しかし俺を幽閉するように進言したのはベルネクスの周囲の人間だったようで、皇帝であるはずのベルネクスは定期的に俺に会いに来て、数年後、子供が生まれてからは時々息子や娘も連れてくるようになった。



 正直なところ、ベルネクスの息子・マイスは小物だなと感じた。

 これまで見てきた国王という存在がフレッグラードやベルネクスだからだろうが、彼らに比べると……比べるべくもなく小物だ。

 俺を恐がって、終始父親の後ろに隠れている。


 一方の皇女ローネリーは度胸のある娘だった。

 父親よりも前に出て、俺の鼻先まで来たくらいだ。

 自分の祖父を惨殺した人間なのだと聞かされているだろうに、怯える気配もない。


「ねぇお父様。この方はお父様の弟君、つまりはわたくしのおじ様ですよね? ずっと気になっていたのですが、何故このような形で囚われているのですか?」


 ローネリーが問うと、ベルネクスは苦笑を返した。


「ローネリー。おじ様は危険な存在だ。自由にさせておくと、ローネリーもお爺様みたくバラバラにされてしまうかも知れないぞ」


 ごもっともだ。

 俺もこうして拘束されていた方が安心する。

 もうひとりの俺がいつ目覚めてもおかしくないと思うとぞっとする。


 しかしローネリーは納得出来ない様子で「えぇー?」と不満げな声を上げた。

 そんな妹姫に対して、皇太子であるマイスは「ローネリー、早くこっちに戻ってこい!」と手招きしている。

 妹思いなのはわかるが、やはり小物感が拭えない。

 慎重なのだと思えば長所とも取れるが……このオルテナ帝国という国が求める皇帝がベルネクスのような狡猾で肝の座った人物なのだとしたら、マイスは確実に不適合者だ。


 そんな事をぼんやり考えていると、ふっとベルネクスが笑みを浮かべた。


「ゴルムア、お前今、我が息子を見下していただろう?」


 図星だ。

 けれど未だ意識がぼんやりしているのをいい事に、俺は反応を返さなかった。

 一方でマイスは顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけてきた。

 全然恐くないけどな。


「マイス、私もゴルムアと同じ気持ちだ。お前は小心者過ぎる。もっと志を大きくもち、尊大だと思われるくらい図太くなれ」


 どうやらベルネクスは俺を出汁にして息子を焚き付けようとしているようだ。

 ベルネクスに心でも読まれたのかと思ったけれど、素知らぬ振りを続ける。


「そうですよ、お兄様! お兄様はちょっと気が小さ過ぎます。おじ様の顔は怒ってるみたいでちょっと怖いですけど、何もしてこないではないですか!」

「ローネリー。お前はもう少し大人しくなれ。嫁の貰い手がつかなくなりそうだ」


 父親に賛同して声を上げたローネリーを、ベルネクスが諌める。

 ベルネクスは恐らく、息子と娘の中身が逆だったら良かったのにとでも思っているんだろうな。

 余裕の表情を崩しはしないけれど、今にも深いため息を漏らしそうな、疲れた目をしている。


 そんな疲れを隠して、ベルネクスがこちらに向き直った。


「さて、ゴルムア。お前には久しぶりにひと仕事して貰おうと思っている。近々、魔族の村に“素材集め”のために人材を派遣する予定だ。お前はいつも通り邪魔な魔族を片付けるだけでいい。好きなだけ暴れてこい」


 傍から見たら涼やかにすら見える薄い笑みなのに、俺の目には心底楽しそうに酷薄な笑みを浮かべているように見える。

 本当にこの男は不気味で理解し難い。

 ただ、冷酷な一面がある事だけは間違いないだろう。

 何故なら彼が口にした“素材集め”の“素材”とは、この国が密かに抱えている人体実験を行う施設……“研究所”で、人体実験の犠牲になる魔族の事を指しているのだから。


 人体実験……そんな事をするような人間はきっと、自分にとって利にならない命を軽んじているのだろうと思う。

 実際ベルネクスは魔族嫌いの国の王だからか、魔族の事を人体実験に使う道具としてしか認識していないように見える。

 魔族に友人がいる身としては、到底許せる事ではない。

 けれど、今の俺にはどうする事も出来なかった。

 洗脳が繰り返される度に俺の体の主導権は残忍な性格の俺の方へと大きく傾いて行き、今やこうして思考している側の俺には体を動かす権限は無いと言っても過言ではない。

 体を動かす力を持たない俺はいつの間にか、思考する事だけを許された意識だけの存在へと成り果てていた。

 意識だけの存在に一体何が出来るというのだろうか。



 しかし思考する時間がたっぷりあるが故に、気付けた事もある。

 ベルネクスから“研究所”について話を聞いたのはつい最近の事だ。

 俺に洗脳魔術を施すためにやってくる魔術師たちが来訪する直前、ベルネクスが語って聞かせてくれた。

 その結果、ようやく俺の中で燻っていた疑問のひとつに答えが出た。


 かつてフォルニード村に向かう途中の俺たち一家を襲ったのは“研究所”に所属している魔術師と俺と同じく洗脳を施されていた魔族であり、襲った理由は俺を“研究所”で行われる人体実験の素材にするためだったのだと。

 何故俺が神位種だと“研究所”のやつらに勘付かれていたのかはわからないけれど、まだ神位種として覚醒していなかった俺は魔族からの攻撃に耐えるだけの結界魔術を扱えていなかったのだ。

 だからあんなにもあっさりと、“研究所”の手に落ちてしまった。


 いずれにせよ、俺の運命は必ずここに辿り着く流れになっていたのだろうと思う。

 なまじ前世の記憶があるせいで、どこか達観したような気分でそんな事を考えていた。


 同時に、ベルネクスに関してひとつ認識を改めた。

 それまでは俺を利用しようとするだけの利己的な人間だと思っていたけれど、どうもちょっと違うようだ。

 恐らくベルネクスは、彼が皇帝を名乗るようになったあの日の出来事もあってか、残忍な性格の俺の中にもうひとつの人格が存在している事に気付いているのだろう。

 だからわざわざ教えてくれたのだ。

 俺の家族を襲ったのはかつてベルネクスの父親が管理し、現在はベルネクス自身が管理している“研究所”の者たちであると。

 何故教えてくれたのかまではわからないけれど、黙っていればいい事を敢えて口にしたベルネクス。

 その裏にある意図に気付けたら、もしかしたら俺は、ベルネクスという人間を理解出来るのかも知れない。


 この国に来てそこそこの年数が経過した。

 いまだに近寄り難さや信用の置けなさはあるものの、少しずつこの国を統べる孤高の皇帝に情が湧き始めているのかも知れないな……。

 そう思って、意識の中のみで苦笑した。






 その後も、俺は度々魔族狩りに駆り出された。

 出向いた先に魔王種がいても神位種である俺が負ける事はなく、もうひとりの俺が嬉々として魔族を狩り続ける。

 時には同行者共々、向かった先の魔族の集落を壊滅させたりもした。


 殺戮衝動を抑えられないもうひとりの自分が作り上げる、目を塞ぎたくなるような惨状。

 その光景を、俺はただ見ている事しかできなかった。

 歯がゆい。もどかしい。

 けれど、どうする事もできない。


 そんな状況が幾度となく繰り返され……やがて俺は全てを諦めた。

 何も出来ない事で無力感に苛まれ、例え別人格とは言えあの残虐な行いをしているのも自分なのだと気付いた途端に自己嫌悪に陥り、ただただ苦しいだけの毎日がやってきた。

 そして、そんな毎日に耐え切れず、考える事を放棄したのだ。

 今はもう表に出ている方の自分に全てを委ね、こちらの自分は意識を半分眠らせているような状態になっていた。



 そんな時だった。



 狩り場の近くに強烈な気配が現れた。

 もうひとりの俺は大喜びでその気配の方へと向かって行った。

 今度は何を見つけたんだと半ば投げやりな気分で様子を見ていたけれど、辿り着いた先に佇む気配の主の姿が視界に入るなり、意識が一気に覚醒した。


 最初に目に入ったのは、目が醒めるような鮮やかな朝焼け色の髪。

 次いで、その背中に生えている限りなく黒に近い紺色の翼が意識に入り込んでくる。

 近付くにつれてはっきりとわかり始める翼魔人特有の大きな体格。こちらを振り向いた時にようやく確認出来た、美しい紫色の瞳。


 やめろ、やめてくれ!


 俺は初めて、もうひとりの俺に必死に訴えかけた。

 けれどもうひとりの俺には伝わらないのか、嬉々として相手に飛びかかって行く。


 こちらを振り向いた相手……ルウは、驚いたように目を見開いていた。

 その口が微かに「コール、か?」と動く。

 しかし敵意とは異なる、ただひたすら殺したいだけの衝動そのままに向かって行く俺に、ルウは戸惑いながらも戦闘態勢に入る。


 そうだ、ルウ。

 殺してくれ。

 俺を、殺してくれ……!


 歓喜にも似た感情が湧き上がってくる。

 今まで死には絶望や悲しみしかなかったのに、今はただただ輝かしい希望のように思えた。


「コール!!」


 強く名を呼ばれ、より一層こちら側の俺の意識が明瞭になった。

 あぁ、思い出すなぁ。ルウ。

 ソムグリフの時はよく無邪気に名前を呼んでくれていたっけ。


「コール! どうしたんだ、俺様がわからないのか!?」

「あははははは!!」


 俺の攻撃を回避しながら呼びかけを続けてくれているルウに対して、表側の俺は心底楽しそうに笑い声を上げた。


「コールは寝てるからお前の呼びかけには応えないぞ、魔王ルウ!」


 初めて、表側の俺が言葉を発した。

 俺は寝ていない、ちゃんと起きている。

 そもそも寝てるだなんて物言いをするからには、恐らく表側の俺はこちら側の俺が目覚めている事に気付いているんじゃないだろうか。

 気付いていて、敢えて無視しているとしか思えない。


「コールは寝てる? どういう事だ? お前はコールじゃないのか?」


 ルウの問いに、表側の俺はニヤリと笑んだ。

 あぁ、表側の俺の意図が読めたぞ。

 友人に対する手心無しで、ただ純粋に、全力でルウと戦ってみたいんだな。

 どうやら表側の俺は、ルウに負けず劣らずの戦闘狂だったらしい。

 これまでの手応えのない狩りに飽きて、手応えのありそうなルウを前にして気分が高揚しているようだ。


「俺はゴルムア。オルテナ帝国の皇帝ベルネクスの弟、ゴルムア=デリズ=オルテナだ!」


 叫ぶように名乗り、再度表側の俺……ゴルムアが腰に佩いた剣を抜き放ちながらルウに飛びかかる。

 ルウは器用に回避しながら、眉間に皺を寄せていた。

 考え事をしながらゴルムアの相手をするとは、さすがだ。


 しかし何やら決意した表情になると、思い切りこちらに向かって手を突き出した。

 次の瞬間には、ゴルムアの振るった剣にルウの腕が切り落とされる。

 あれだけ余裕だったはずのルウが負傷した事で、俺の中に絶望と焦燥が広がった。

 一方で、ルウは面白く無さそうな顔で切り落とされたはずの腕をさすっていた。



 そう。

 いつの間にか切り落とされた腕が元通りになっていた。



 これにはゴルムアも意表を突かれたようで、視界が地面に向く。

 地面には、切り落としたはずのルウの腕はなく……。


「やっぱり神位種相手じゃうまくいかないな」


 そんなルウのつぶやきが聞こえるのと同時に、頭部に衝撃が走った。

 ルウの攻撃を受けたのだろうと思う。

 あまりの衝撃に、ゴルムアの意識が沈んだ。

 俺は大急ぎでゴルムアから体の主導権を奪還する。

 体の感覚を取り戻すと、すぐさまルウがいた方へと視線を向け──


 しかし既に、そこにルウの姿はなかった。






 その後ルウと遭遇する事はなかった。

 表側の人格……ゴルムアは、その後の繰り返される洗脳魔術によって、完全に壊れた。

 殺戮衝動だけで動いているような感覚。

 しかしそれでもふたりだけ、ゴルムアの前に立っても害されない存在がいる。

 それが、ベルネクスとローネリーだった。


 マイスを含む他の人間が相手だと暴れて手がつけられなくなるけれど、このふたりが現れると不思議とゴルムアの感情が穏やかになるような気がした。



「ねえ、おじ様。今日はわたくし、おじ様に冠を作ってきたの」


 自慢げにローネリーが差し出したのは花を編んで作った花冠だった。

 ゴルムアは大人しく差し出された花冠を戴く。

 ふわりと花が放つ優しい香りが鼻腔をくすぐった。

 ローネリーは満足げに頷くと、「おじ様、よくお似合いよ! わたくしの見立ては完璧だわ!」と自画自賛して微笑む。


 ゴルムアの心がじわりと暖かくなるのが感じ取れた。

 俺から見たらローネリーは前世の記憶のせいで娘のような感覚で見てしまうけれど、ゴルムアは一体どんな気持ちを抱いているのだろう。

 少なくとも、ローネリーを大切に思っているのだけは確かだ。


 ゴルムアは言葉こそ発しないけれど、ローネリーと過ごす時間は和やかな空気に満ちていた。

 それを壊すかのように、部屋の扉がノックされる。

 気配でわかる。マイスだ。


「ローネリー。そんな殺人鬼の近くにいないで、一緒にお菓子を食べないか?」


 マイスはゴルムアを忌避する気持ちを隠そうともせずに、扉の向こうからそう告げた。

 昔に比べれば大分ましになったけれど、どうしても拭えない小物感。

 ローネリーは兄の物言いが気に食わなかったのか、頬を膨らませた。


「おじ様を悪く言うお兄様なんて嫌いです! お菓子はひとりでお食べ下さい!」


 早口で捲し立てるローネリーの剣幕に、マイスはすごすごと引き下がった。

 怒っているローネリーを宥めるのは骨だ。

 それをよく理解しているからこそ、早々に退散したようだ。


「おじ様、お兄様の事は気にしないでね。お兄様はちょっと臆病なの」


 そう言って微笑むとローネリーは仕方無さそうにため息をついて、「嫌いだなんて言われてお兄様がショックを受けているかも知れないから、お兄様のところに行ってくる」と告げて去って行った。


 それが、俺が見たローネリーの最後の姿だった。






 ローネリーが死んだ。

 魔族に殺された。


 ローネリーを殺した魔族はオルテナ帝国が長年水面下で敵対してきた魔王レグルス=ギニラックが治めるギニラック帝国の魔族であり、認識阻害魔術を駆使して巧妙に城に潜り込み、ローネリーの侍女を補佐する立場にまで上り詰めた人物だったらしい。

 ローネリーからの信頼も厚く、ローネリーはすっかりその魔族に心を許していたそうだ。

 更に言えば、ベルネクス含む周囲の人間も誰ひとりとしてその魔族を疑っていなかったようだ。

 今更言っても詮無い事だが、俺がその魔族に会う機会さえあれば人族に扮している魔族を看破出来たのではないか……という気がしなくもない。

 認識阻害魔術がどれほど強力かつ巧妙なものだったのかにも因るだろうが……。


 そうして信用を得て、その魔族はローネリーが油断さえしていればいつでも手を出せる状況を作り出し、ローネリーとその従者、護衛兵を惨殺した。

 敢えてこれまで手を出さなかったのは、レグルス側からの合図か何かを待っていた可能性が高い。

 結果的に事態に気付いた城内の兵たちが駆けつけてその魔族は倒されたが……ローネリーは助からなかった。



 ローネリーの死に関しては情報統制が為され、城勤めの者たちにも箝口令が敷かれた。

 何故だろうと思っていたら、どうやら神殿からオルテナ帝国に勇者が派遣されてくる事が決まったからのようだ。


 これまでは、あからさまに魔族と敵対する意志をむき出しにしてきたこの国に勇者を派遣する事を神殿側が渋っていたらしい。

 オルテナ帝国としては魔族を嫌っているからこそ、魔族や魔王に対抗できる力を持つ勇者を渇望していたのに、だ。

 どうやら俺がこの国に迎え入れられた理由はそこにあるようだった。

 先代皇帝は“研究所”に神位種である俺がいる事を知って、現皇帝であるベルネクスの弟として迎え入れる事でオルテナ帝国にも勇者がいる状況を作り出そうと考えたようだ。

 まぁ、その頃には既に俺は洗脳魔術のせいでまともな判断が出来なくなっていたから、表立って俺が神位種であるとは触れ回らなかったようだけど。


 しかし神殿が勇者の派遣を渋る状況も、ベルネクスの代になって魔族に対する対応を変える事で変化した。

 ベルネクスは魔族の入国こそ受け入れなかったものの、先代皇帝の頃に魔族領とオルテナ帝国の国境付近で定期的に行っていた魔族狩りを取りやめ、徹底的に魔族と関わらず、表立って魔族と敵対しない事で神殿側のこの国に対する認識を変えたようだった。

 そして最近になってようやく、神殿が半信半疑ながらもオルテナ帝国生まれの神位種を派遣する事を決定したようだ。



 ローネリーが殺されたのは、そんな矢先の出来事だった。

 もし皇女が魔族に殺された事で再び反魔族感情が高まり、それが神殿に伝わって不信感を与え、最終的に勇者が派遣されてこない事態になっては困る。

 ベルネクスはそう判断したのだろう。


 マイスはローネリーの事を可愛がっていたから、父親のこの判断には珍しく反抗した。

 けれどマイスがベルネクスに勝てるはずもなく。

 そのせいだろうか。

 後日神殿から派遣されてきた神位種の少女をマイスの婚約者に、との決定を受けても、マイスは神位種の少女に対して一切心を開こうとしないと、ベルネクスが嘆いていた。




 そんな風に周囲の状況を見れているのは、どうやら俺だけのようだ。

 ゴルムアは毎日のように慟哭し、既に枯れてしまったローネリーの花冠を壊さぬように搔き抱いていた。

 俺も悲しくないと言ったら嘘になるが、ゴルムアの悲しみ方は異常だった。

 ベルネクスはそんなゴルムアの様子に困惑しながらも、「我が娘のために泣いてくれるか。ありがとう」と、いつになく優しい声音で語りかけてきた。

 その時の、何かを決意したようなベルネクスの強い瞳が忘れられない。




 その後ぱたりと、“素材集め”に駆り出される事はなくなった。

 しかしゴルムアの涙が枯れ、すっかり人相が変わってしまった頃から、ベルネクスは時折同じ質問をしてくるようになった。


「ゴルムア。もし私が魔族と争う事になった時、お前は私の味方になってくれるか?」


 どこか弱気になっているようにも見えるベルネクス。

 ゴルムアはゆっくりとした動作で首肯する。

 その反応を見て、ベルネクスはほっとしたように笑った。

 いや、そのように見えるのは恐らく、俺やゴルムアがこれまでベルネクスと関わってきた年月の間に、ベルネクスという人間がどのような人間であるのかをある程度理解してきたからだろう。


 ベルネクスは皇帝として振る舞っている様子からは想像がつかないが、実は家族思いの男だ。

 出会った当初こそ、眼前で父親を惨殺されても涙のひとつも見せずに微笑んでいるような冷酷な性格が前面に出ていたけれど、子供が生まれて成長するにつれ、段々と冷たく刺すような印象の性格が丸くなってきたように感じる。

 一方で責任感の強さ故に、家族よりも国王としての立場を優先してしまう性質を持っている。

 皇帝としての威厳と周囲を惑わせない明確な意志を持ち、向かうべき先を迷わず指し示す事ができるのは彼の生まれついた才能だが、その反面、心を許せる相手がいなかった。

 兄弟も持たないベルネクスが本音を明かせるような相手は、皇帝になるまで存在しなかった。


 そこで現れたのが、俺……俺たち(・・・)だった。

 最初は俺たちを力を得るための道具として見ていたはずだ。

 だけど、仮初めとは言え弟として俺たちと向き合っている内に情が湧いたのだろう。

 いつしかベルネクスは表情には出さないものの、その言葉の端々に本音を覗かせるようになった。


 今もきっと、何か大きな決断をしようとしているのだろう。

 けれど、その判断を下すべきかどうか、迷っているようにも見える。


 (コール)としては魔族と争うのは避けたい。

 けれど、もうひとりの俺(ゴルムア)としては、ベルネクスの願いに応えたい気持ちがあるようだ。

 人格はほとんど壊れているけれど、ゴルムアの中にもベルネクスに対する情のようなものがあるのかも知れない。

 いずれにせよ、体の主導権は相変わらずゴルムアの方にあった。

 俺はゴルムアが意識を弱らせてくれないと表に出られない。

 なのでゴルムアが頷くなら、俺に反論する事などできるはずもなく……。






 そして、運命の日が訪れた。


 ベルネクスが迷っていた決断。

 ベルネクスはその迷いを断ち切って決断を下し、下準備を終え、ついに宣言した。

 オルテナ帝国はギニラック帝国に対し、宣戦布告する、と。

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