103. 在りし日の追憶 ─コール─
「コール! 起きなさい、コール! もうっ、支度しないと本当に置いて行くわよ!!」
バサッと掛けていた布団を引き剥がされて、一気に全身を包み込んできた冷気で目を醒ます。
一瞬何が起こったのかわからずにぼんやりしていると、体の上にどさどさっと何かが放り投げられた。
「いい? すぐに着替えてこないと、朝食抜きだからね!」
そう言い置いて、女性……母親が部屋から去って行った。
長い夢を見ていた俺は、今の状況を思い出すのにしばし時間を要した。
長い夢。
それは俺が、ソムグリフと呼ばれていた頃の記憶。
今の状況。
今の俺の名前はコールで、ソムグリフは前世の記憶。
今の俺は行商人向けの宿に宿泊中で、ソムグリフの記憶を夢の中で追想していた所で今世の母親に起こされ、支度しないと置いて行くと言われた、といった所だろうか。
すぐに着替えないと朝食抜き。
何故なら俺は行商人一家の一員だからだ。
時間通り出発しないと目的地に辿り着く時間も遅くなり、当然護衛費用も嵩む。
視線を、ぼんやりと見上げていた天井から自分の体の上に放られた物へと移す。
そこには俺の旅装が乗っていた。
まだ幼い子供の服。
あれ、俺は今何歳だったかな。
記憶がごっちゃになりすぎて、寝起きの頭では今世の記憶の方が曖昧になってしまっている。
そんな事を考えながらのそのそと起き上がり、のそのそと服を着替えた。
これはもう朝食抜きかも知れない。
そう思いながら夢から醒めたばかりで低く感じる視界と短い手足に四苦八苦しながら、階下の食堂へと向かった。
食堂には両親と兄の他に共に行商をしている親戚が5名ほどいて、既に朝食を食べ始めていた。
俺は急いで空いている席に座り、手を組んで小さく頭を下げながら「日々の恵みに感謝します」と定型句を口にした。
そこからは大急ぎで大人たちに置いて行かれないように食べ物を口に放り込む。
長い距離を移動するから、何も食べないのは危険だ。
行商人向けの宿だけあって、出される食事の内容は理想的。
なので、出された分だけしっかりと食べる。
何とか食事を終えて家族と共に宿を出ると、そこには既に護衛で雇った人たちが待っていた。
すぐに両親が彼らと今日の行程について話し合いを始め、その間に兄と親戚たちが荷馬車の用意をする。
話し合いを終えた両親と兄、俺の4人と親戚で2台の荷馬車に分乗して、護衛の人たちは各自馬に乗って並走する形で出発した。
いつもの光景だ。
今出発したのはモルト砦に併設されている宿場町。
ここから三日かけて関所に向かい、関所を越えるとそこは魔族領だ。
俺たちの目的地は魔族領最南端にある、フォルニード村。
フォルニード村は関所を越えておよそ二日の距離にある。
フォルニード村。
俺にとってそこはとても懐かしく、思い出深い場所でもある。
いや、俺ではないか。ソムグリフにとって、だな。
ソムグリフはかつて名前のなかったその村で過ごし、一生を終えたのだ。
村の名前の由来を聞けば、人を集めて村を作ったのはニードという名の鬼人族で、村としての体制を整えたのはフォルと言う名の獣人だったので、そのふたりの名を使ってフォルニード村になったらしい。
どうやらフォルは偉人としてフォルニード村にその名を残したようだ。
ちょっとだけ誇らしい。
そんなフォルニード村への道中でどこが一番危険かと言えば、当然魔族領に入ってからフォルニード村に辿り着くまでの道のりだ。
フォルニード村周辺は人族領に近い影響で、魔族領特有の白灰色の危険な植物ではなく緑の森に囲まれている。
植物による怪我の心配がない反面、見通しの悪い森の中は魔物が身を隠しやすく、いくら警戒していても魔物に襲われる可能性が高い。
「コール、やけにぼんやりしてるけど寝不足か?」
不意に御者をしている年の離れた兄に声をかけられて、俺は自分が考えに沈んでいた事に気付いて慌てて首を振る。
「違うよ。ただ、魔族領側の森が不安だなって思ってただけ」
反射的にそう口にしてしまってから、しまったと思って両手で口を塞ぐ。しかし時既に遅し。
並走していた護衛の人が、ちらりとこちらを見てきた。幸い怒っていないのか睨まれずに済んだけれど、迂闊な事を言って彼らの機嫌を損ねる訳にはいかない。
「何、大丈夫さ。俺たちは何度もフォルニード村との往復をしているし、今回護衛を引き受けてくれたみんなもこれまで何度もお世話になっていて、その腕前は俺たちもよく知っている。コールも何度か見てきて知っているだろう? だから何の心配もないさ」
と、頭をぐりぐりと撫でてきたのは父親だ。
小太りで温和な父は、柔らかい声音で俺を諭すように言いながらも不安を取り除こうとしてくれている。
なので大人しく「うん」とだけ答えておいた。
護衛の人も父の言葉に満足したのか、改めて前方へと向き直った。
そうして関所に辿り着き、いよいよ魔族領に入る。
鬱蒼と生い茂る草や木で視界が一気に狭まる。
方々から魔物が戯れに遠吠えをしてみたり、唸り声をあげたりして、俺たちが恐がる様を楽しんでいるようにすら思えた。
そんな中を、慎重に進んでいく。
何故こんな危険を冒してまでフォルニード村に行くのかと問われれば、フォルニード村の特産品を仕入れる事、同時にフォルニード村の人々を相手に商売をする事が、危険を冒すに値するほど価値のある事だからだ。
フォルニード村で作られる木製の細工物や草木を使った染め物は、アールグラントでも人気の商品だ。
そういったフォルニード村の特産品を仕入れる一方で、アールグラント側からは金属製の生活用品をフォルニード村に届ける。
魔族領が金属資源に乏しい事と、金属加工技術がフォルニード村に伝わっていないが故に、生活必需品の金属製品がよく売れる。
このルートを命懸けで行き来する商人こそ少ないものの、アールグラント側にとってもフォルニード村側にとっても、双方を行き来する行商人の存在は重宝されていた。
故に、国王からの依頼でフォルニード村に赴く際は、報酬とは別に護衛費用を国が負担してくれたりもする。
それくらい、アールグラントにとってフォルニード村の細工物や染め物はなくてはならない物となっているのだ。
時折魔物に襲われながらも何とか切り抜け、俺たちは無事フォルニード村に到着した。
ここまで気を張りつめ続けていたせいか、全員が一気に肩の力を抜いて安堵の息を吐く。
「おや、ルニエさん。お久しぶりですね」
村に入るとすぐ近くにいたフォルニード村で雑貨店を営んでいる鬼人族に遭遇した。
白い角を持った中年の鬼人族の女性は、メガネをくいと持ち上げて父に声をかけてきた。
「これはラーンさん、お久しぶりです。今回も沢山商品をお持ちしましたよ」
父も鬼人族の女性・ラーンさんに応じると、早速ラーンさんの店に商談をするために招かれた。
護衛の人たちには三日後にこの村を出発するまで各々自由に過ごしてもらう。
一方俺や兄は父の商談に同行し、その仕事振りを学ぶ事になっている。
親戚もそれぞれ他の商談に向かうために別行動だ。
この日も俺はいつも通り、父について行くつもりでいた。
けれど。
「よーう! 久しぶりだなぁ、ラーウル!」
「あっ、また来たな! 戦闘狂!」
そんなやり取りが聞こえてきて、無意識の内に振り返っていた。
最初に聞こえた声に聞き覚えがある。
続いて返された“戦闘狂”という呼称にも覚えが。
そうして振り返った先。
そこでは、つい先日見た長い長い夢の中に度々登場した親しみを覚える人物が獣人の少年を相手に、これまた夢の中でもよく目にしていた笑顔を向けていた。
限りなく黒に近い紺色の翼を持ち、朝焼け色の髪を揺らし、目を瞠るほど美しい紫色の瞳を持つ、魔王種。
「……っ!!」
あまりの懐かしさに、声が詰まった。
同時に、本当に魔王は長生きなのだと、変なところに感心してしまった。
「コール? 置いて行かれるぞ」
急に立ち止まった俺に、兄が声をかけてくる。
しかし俺はその場に縫い止められてしまったかのように、全く動けなくなってしまっていた。
「コール?」
再度声をかけながら兄が俺の肩に手を置い瞬間、呪縛が解かれたように俺は兄を振り仰いだ。
「ごめん、兄さん! ちょっと用事ができた!」
「は?」
目を丸くしている兄をその場に残し、俺は走り出す。
向かう先は、懐かしい無邪気な笑顔を浮かべている魔王の許。
俺が走り寄っている事に気付いた魔王は、獣人の少年をからかうのをやめてこちらに視線を向けてくる。
「ルウ!」
俺は声の限り全力でその名を叫び、“戦闘狂”と呼ばれていた魔王・ルウ=アロメスに飛びついた。
当然のように、ルウは何故俺がルウに飛びついたのかなど知る由もなく。
俺は怪訝そうな顔をしているルウを獣人の少年から拝借して、村の中心部にある広場に引っ張って行った。
そして自分の前世について、ルウに話して聞かせた。
自分の前世はソムグリフと言う名で、今の俺にはソムグリフの記憶があり、ルウの事を覚えていたのだと。
「はぁ〜、ちょっと信じられないが、話を聞いている限りだと確かにソムグリフの記憶があるみたいだな」
半信半疑の様子で、ルウがじろじろと俺の頭からつま先までを不躾に見てくる。
そんな視線を甘んじて受けつつ黙ってルウが信じてくれるのを待っていると、やがてルウがニヤリと笑んだ。
「ま、そうは言ってももうお前はソムグリフとは別人だろ? 相変わらず異常な魔力は持ってるみたいだけどな。その魔力がなかったらいくらソムグリフの記憶があってもお前の話を信じられなかっただろうが、魔力の性質もほぼ同じだし、どうやらお前は本当にソムグリフの生まれ変わりみたいだなぁ」
「ルウ……もし信じてくれたのなら教えて欲しい事があるんだ」
どうやら信じて貰えたようだ。
なので早速俺は身を乗り出して、ずっと記憶の中で引っかかり続けていた事をルウに問いかけた。
「ソムグリフの記憶には、どうしても消えない心残りがふたつあるんだ。まずひとつがシスフィエがあの後どうなったのか。そしてもうひとつが、フレッグラードはどうなったのか……」
俺の問いに、ルウは複雑な表情を浮かべる。
そして「お前、本当にソムグリフの記憶があるんだな」と呟き、しばし黙考した後、改めて口を開く。
「まずシスフィエだが、あいつは今、賢者の相方をしてるぞ。たまに様子を見に行くが、毎日楽しそうにしている。でもそろそろ寿命が近いな。眠ったまま、なかなか目を覚まさない事が増えてきたらしい」
寿命。
そればかりはどうしようもないだろう。
だけどシスフィエが毎日楽しそうにしている事、天寿を全う出来そうな事を知れて俺は自分の表情が緩むのを感じた。
ワーグリナの事を思えば、幸せな人生……竜生を歩めたのだろうと想像して。
「んで、フレッグラードな。あいつはまだ健在みたいだな。中央大陸に本拠地を構えてリドフェル教を再興して、各地で孤児を救済しながら活動を続けている。1500年くらい前から竜を狩る数は大幅に減ったが、代わりに魔族の希少種を狙うようになったみたいだ。それも自分はあまり表に出ずに、自分が育てた孤児に戦わせているみたいだな。まぁ、その孤児っていうのも滅茶苦茶強いんだけどなー。機会があったら力比べくらいはしてみたいが、俺様としてはフレッグラードに関わるのは極力避けたいところだな」
肩を竦めてそう言い放つルウ。
確か前世の時に聞いたっけ。
フレッグラードは神竜と契約した事によって、神位種に近い存在になったと。
それ故に、神位種に勝つのが難しいらしい魔王種であるルウは、自分はフレッグラードに勝てないだろうと言っていた。
「……なぁ、お前、今の名前なんつったっけ?」
「へっ? あぁ、今の名前はコールだよ」
唐突に名前を聞かれて答えると、ルウはまた複雑そうな表情を浮かべた。
「コール。お前、今自分がどういう存在なのかを自分で理解しているのか?」
そう問われて、俺は首を傾げざるを得なかった。
どういう存在って……。
「前世と同じく、今世も行商人の息子、だけど?」
自分でわかる範囲で答えるならこれに尽きるだろう。
けれどルウは苦虫でも噛み潰したかのような顔になった。
「そうか、自覚がないんだな。まぁいずれ知る事になるだろうから教えといてやろう。お前、神位種だぞ」
ルウの言葉に、俺は我が耳を疑い、目を見開いたまま固まった。
今、ルウは何て言った……?
そんなこちらの反応を見ながら、ふぅ、とルウはため息を吐いた。
「今世は俺様の天敵だなぁ、コール。頼むから、俺様を倒そうとか考えないでくれよ。多分俺様が負けるから」
あーあ、と何故かがっかりした様子でルウは再度ため息を吐いた。
一体何がルウをがっかりさせているのかわからないが、俺がルウを倒そうなんて考えるはずがない。
「ルウ。俺はもうソムグリフではないけれど、でもルウの事は友達だと思ってるよ。だからルウをどうにかしようだなんて考えてないから、その辺は安心してよ」
思っている事をそのまま伝えると、ルウはぱっと表情を輝かせた。
こういうところ、全く変わってないなと思う。
「そうか!? そうか! なら俺様も何かあればコールの力になってやる! 他の魔王と戦う事になったら、一緒に戦ってやるぞ!」
バシバシと背中を叩いてくるルウの力は尋常じゃなかったけれど、それに耐えられているのは自分が本当に神位種だからなのかも知れないなと思った。
多分、普通の人族の子供だったら骨折どろこか命すら危うい力加減のはずだ。
俺は苦笑しながらルウの手から逃れて、「力が強過ぎて痛い!」と抗議した。
こうして今世でも俺は、魔王ルウ=アロメスと友人関係を結ぶ事ができた。
その後は平和なものだった。
ルウは滅多にフォルニード村に姿を現さないけれど、やはりかつて自分が暮らした土地故に愛着があるのか、時折フォルニード村で遭遇した。
ルウとここで再会したあの日から3年。
俺は9歳になり、しかし神位種としての力を振るう必要性がないおかげか誰からも神位種である事に気付かれないまま、神殿から神託が下されると言われている10歳を目前にしていた。
平和な日々は、そんな時に音を立てて崩れ去った。
いつも通りフォルニード村に向かう途中。
いつもとは違う嫌な予感と、不穏な気配が空気を張りつめさせていた。
それは魔物たちも敏感に感じ取っているようで、毎回こちらを脅かすように遠吠えをしたり唸り声をあげていたのに、今日に限っては静寂だけが森を支配していた。
その様子を不気味に思うのは、感覚器官が優れているわけではない人族でも同じで。
「何だか、いつもとは違うな」
兄が、小さくそう零した時だった。
俺たちは突風で地面に叩き落とされ、まるで巨大な岩に上から押し潰されているかのような強烈な圧力がかけられた。
肺の中の空気も全て押し出されて声も上げられず、体中が軋む音を上げ、耐え難い痛みに襲われる。
呼吸もできなくなって、徐々に意識が混濁し始めた。
そんな中唐突に、隣にいたはずの兄の姿が消えた。
同時に視界に広がったのは、地面を染める赤、赤、赤。
何が起こったのか理解するより先に、それの正体に気付いて俺は身震いした。
地面を染める赤いものの正体……血だ。
その事に気付くとすぐに、兄がどうなってしまったのかがわかってしまった。
潰れたのだ。この異常なほどの、空気圧によって。
赤く染まった地面には人型の窪みと、かつて人であったものの潰れた残骸が張り付いていた。
反射的に吐き気を覚えた俺の脳裏に、前世でワーグリナが語ってくれた魔術の知識が蘇る。
『風の魔術は、正確には大気を操る魔術でもある。風を起こすだけではなく、空気を圧縮してぶつけたりもできるのだよ。これが結構な威力でな。結界魔術などの抵抗する術を持たない脆弱な人族では、簡単に潰されてしまうだろう』
あの言葉通り、抵抗する術を持たない兄は潰れたのだ。
そしてきっと、父も母も、親戚の皆も、護衛の人たちも。
不運な事に、今回の護衛の人たちの中に結界魔術が使える人はいなかったはずだ。
生き残ったのはきっと、神位種であるが故にいまだに耐え続けている俺だけ。
その事に気付くなり、かつて抱いた事がある激しい怒りと同等の怒りがふつふつと沸き上がってきた。
まるでワーグリナを殺された時のような、抑える事が出来ないほどの強烈な怒り。
理不尽だ。
何故俺たちがこんな目に遭わなきゃいけないんだ……!
怒りに任せて上から押しつぶそうとしてくる空気圧に抵抗し、両手で地面を押し返す。
同時に、自らに結界魔術を施した。
これまで魔術を使った事はないが、どうやら今世では適性があったらしく、ワーグリナから得た知識のおかげで自然と扱えた。
戦える。
そう思ったのに。
ガンッ! と、何かで頭を殴られた。
結界魔術が砕け散るほどの強烈な一撃。
抗いようのない闇が襲い来る。
そのまま、俺の意識は暗転した……。
- - - - - - - - - -
ふと、意識が浮上する。
同時に耐え難い痛みに顔をしかめる。
頭がガンガンと何かで叩かれ続けているような感覚。
一体何が起こっているのだろうと辺りを見回そうとするも、どうしても目が開かない。
辛うじて反応する指先を動かすと、人の気配が近付いてきた。
「おい、意識が戻ってるぞ。洗脳が甘いんじゃないか?」
「そんなはずないんだけどな……。まぁ、神位種だからもっと強めにやっておくか。おい! 洗脳魔術の準備をしろ!」
そんなやり取りが聞こえてくる。
洗脳……? どういう事なんだ?
視覚が使えない中、聴覚と自らの感覚のみで状況を整理しようとするも、あまりの頭痛に考えがまとまらない。
そうこうしているうちに周囲がざわめきだして、魔力操作の気配と共に何やら詠唱らしきものが聞こえてきた。
けれど多人数で異なる詠唱をしているせいか、何を言っているのか全くわからなかった。
何もわからないうちに、意識がぼんやりとしてくる。
手足の感覚が遠のき、思考も鈍化していくのがわかった。
「かかりが浅いな。もう一度やっておこう」
先程の声がそう告げると、再び多重音声の詠唱が始まった。
それを二度、三度と繰り返され──
気付いた時には、俺は見覚えのない城を目の前にしていた。
ぼんやりと、四角く切り出した岩石を積み上げたような造りの、しかしそれが王城であるとわかるような形状の城を見上げる。
見知らぬ人に連れられ、俺はそのまま城の中へと入った。
そうして向かった先にいたのは、いかにも王様と言った風格の壮年の男性だった。
その人が何か言っている。
よく聞き取れない。
なのに、俺の体は勝手に動き、その人の隣にいる兵士に飛びかかった。
一撃で兵士が絶命する。
一瞬にして目が覚めたような気がした。
けれどいくら俺が目覚めた気になっても、体はもう別人の物のようだった。
俺の意志に反して、周囲の人の命を次々と奪っていく。
思うように動かないどころか、望まない事ばかりする俺の体。
一体誰が俺の体を操っているんだと戦慄したけれど、俺の神位種としての感知能力が残酷にもその答えを導き出してくれた。
今俺の体を操っている者。
それは、俺自身だ。
自分でも信じられない事だけど、洗脳魔術とやらをかけられすぎた結果、俺の人格が分離したのだろう。
これまでの状況を鑑みてこの答えに辿り着いたのはやはり、ワーグリナから聞いた話を思い出したからだった。
人格が分離する話はワーグリナから聞いた覚えがある。
一説では、自我を保つための防衛本能が働いた結果起こる現象なのだと。
俺は恐らく、洗脳魔術によって自我が壊される事を恐れ、本能的に人格を分離させたのだろう。
俺の持つ知識を総動員してこの状況に至った理由を考えてみたものの、それ以外の理由が思い付かなかった。
そうして分離したもうひとりの俺の人格は、見事壊されてしまったのだろう。
あちらの俺にはもう、前世の記憶どころか家族がいた事も、自分がどんな人間だったのかもわからなくなっているようだ。
ただひたすらに殺戮衝動に駆られているのが、こちらにまで伝わってくる。
「魔族だけを襲うのではなかったのか!?」
国王らしき人が喚く。
けれど答える者はいない。
俺をここまで連れてきた者たちは全員、既に俺の手によって殺されてしまったからだ。
恐怖故にか、言葉にならない何かを耳障りに思うほど喚き続けている国王を、俺は無造作に惨殺した。
途端、表に出ていた人格が満足したのか、すっと鳴りを潜めた。
俺は「今だ!」と思い、体の支配権を奪取する。
意識が明瞭になり、体が自分の思うように動く事を確認すると、生き残っていた国王の側近らしき人物へと視線を向けた。
「ひぃっ!」と引き攣った声を上げて腰を抜かすその人物に一歩近付き、問い質す。
「何故俺がこんな目に遭わなければいけないんだ! 何をさせるために、俺をここに連れてきた!? 答えろ!」
俺の様子が先程とは違う事に気付いたのだろう、周囲で怯えていた兵士たちが勝機と見て一斉にこちらに剣を向けてくる。
俺はそんな彼らに一瞥をくれてやると、無意識のうちに威圧を放っていた。
兵士たちは一斉に剣を取り落とし、這々の体で逃げ出して行く。
その後ろ姿を見送ると、改めて正面の男に視線を戻した。
しかし男は既に気を失って、床に倒れ込んでいた。
使えない……。
そう思って、思わず舌打ちをした時。
「お前は今日までずっと洗脳魔術を施されていたはずだが、今は正気に戻っているみたいだな? ならばちょうどいい。私が状況を説明してやろう」
玉座の横、まるで気配を殺していたかのように存在感の薄かった青年が、一歩前に出てきた。
先程までとは比べ物にならない強烈な存在感を放ち、不敵な笑みを浮かべながら明瞭な声音で続ける。
「いいか? お前は今日からオルテナ帝国の皇帝の弟になるんだ。今日から新たな皇帝となる、この私の弟に」
その言葉に、俺は顔をしかめざるを得なかった。
しかし構わず青年……新たな皇帝を名乗る男は宣う。
「私の名はベルネクス。ベルネクス=ギズレイ=オルテナ。お前は今日からゴルムアと名乗るがいい。ゴルムア=デリズ=オルテナ、と」
意味がわからない。
言われた言葉を必死に理解しようとするものの、状況の変化の激しさにすっかり取り残されてしまったかのように、俺はその場から一歩も動けなくなった。
一方、返事をしない事を受け入れたものと見做したらしい新皇帝を名乗る青年・ベルネクスは、微笑みを深くする。
その笑みに不穏なものを感じずにはいられず、俺は顔に出さないように気をつけながらも「今すぐこの場から逃げ出したい」と、心の底から思った。