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魔王候補になりました。  作者: みぬま
第5章 新たなる魔王の誕生
115/144

100. 在りし日の追憶 ─ソムグリフ⑥─

 竜峰ザークイレムが揺れた。

 寒気が走るほどの強大な気配が急速に近付いてきたと思った次の瞬間には、轟音と共に北側の山が崩れ始めた。

 何が起こっているかなど、一目瞭然だった。


「白神竜……!」


 俺の叫びに、人化した姿で俺の背中側に張り付いていたワーグリナが息を呑む音がした。

 隣に並んでいるルウも、目を見開いて北の山上空を旋回する純白の竜を見ていた。


 見間違いようのない、その姿。

 口調から感じられる柔らかい雰囲気に反して、どことなく恐ろしい内面を持つ白神竜。

 俺は中央大陸で白神竜から感じ取ったその内面の恐ろしさを思い出し、身震いした。


「むっ! あやつら、竜を殺しにきたのか!」


 後ろで様子を窺っていたワーグリナが声を上げる。

 密着している分その体の震えが直に伝わってきて、意味のない事だとはわかりつつも北側から見えないよう、ワーグリナを腕の中に包み込むようにして自分の体で覆い隠す。


「まずいな。いくら俺様でもあれは相手にできないぞ」


 横でルウがちらちらと周囲に視線を配りながら呟く。

 退路を探しているのだろう。

 しかし最早この洞から出る事すら難しそうだった。

 戦いに疎い俺にもわかるわかるくらい、状況は逼迫していた。


 このままではワーグリナの命も危ない。

 何とか彼女だけでも逃がせないものか……。


 そう思った時。


 突如、白神竜が旋回状態から進行方向を変え、こちらに向かってきた。

 反射的に身が竦む。

 咄嗟に俺たちを守る位置にルウが動いたのがわかった。

 けれど。


「懐かしい顔だな……」


 低く響く、耳慣れた声。

 けれど、久しぶりに聞く声……。

 反射的に顔を正面に立つ人物へと向けた瞬間。

 ワーグリナを抱えている左腕に激痛が走った。

 同時に、腕の中でくぐもった悲鳴が上がった。



 何が起こったのか、理解出来なかった。

 腕の中にいるワーグリナが、がくがくと震え始める。

 かと思ったら、唐突に、その体から力が抜けた。

 もたれかかってきたワーグリナを呆然と見下ろす。

 ひと突き。

 たったひと突きの剣が俺の腕を貫通し、正確にワーグリナの心臓を貫いていた。


 それを理解した瞬間、頭の中が真っ白になり、目の前が真っ赤になった。


「フレッグラードォーーーッ!!」


 自分のものとも思えないような怒声。

 自分とは別の生き物のように動く体。

 手が切れるのも厭わずに自分の腕とワーグリナを貫いている剣を素手で掴んで引き抜き、左手でワーグリナをしっかりと抱きかかえたまま、正面に立つフレッグラードに殴り掛かる。


 しかし、これまで戦いとは無縁だった俺がフレッグラードに敵うはずも無く。


 気付いた時にはひっくり返され、洞の天井を仰ぎ見ていた。

 呆然としている間に、大事に抱えていたワーグリナの亡骸を引き剥がされる。

 咄嗟に掴もうと伸ばした手は、フレッグラードに蹴り返されてワーグリナには届かなかった。


 言葉にならないほどの、失望と絶望が襲ってきた。

 今度は頭の中も目の前も真っ暗になる。


「何故だ、フレッグラード! 何故、俺から大切なものを奪う……! 何故、ワーグリナを殺した!! 答えろ、フレッグラード!」


 狭まった視界の中、洞から去ろうとしている背中に向かって叫ぶ。

 叫びながら立ち上がり、奪われたワーグリナを取り戻すべく向かって行こうとするも、ルウに羽交い締めにされて止められた。

 振りほどこうともがくが、ルウの力は強く、びくともしない。


 そうこうしている間にもフレッグラードの背中は洞の外へと消えて行く。

 いつの間にか溢れ出ていた涙が、ぼろぼろと零れ落ちた。


「何故だ、ルウ! 何故、止める! 何故、見過ごすんだ! 許さない……許さないからな、フレッグラード!」


 あんなに救いたかったのに。

 救いたかった相手に、大切なものを奪われた。

 その失望と絶望は深く深く俺の心に突き刺さり、殺意へと変貌していく。


「お前は奪われる苦しみも痛みも知っているのに、何故奪うんだ……! お前がグードジアを追うように、俺もお前を追うからな!! 必ずこの手で殺してやる……!」


 沸き上がってくる衝動に突き動かされるようにして、まるで子供のように叫ぶ。

 しかしフレッグラードが振り返る事はなく……。


「おい、フレッグラード」


 俺の声が涙で詰まった隙に、ルウがフレッグラードに声をかけた。

 視界の中で、俺が呼びかけても歩みを止めなかったフレッグラードが足を止める。


「お前がしたいのは、こんなことなのか?」

「こんなこと……?」


 僅かに怒気を混ぜた声が返される。

 しかしルウは怯む事無く言葉を続けた。


「他人にとって大切な人の命を理由も告げず奪い、連れ去り、そんな犠牲を払った上で仇を討って貰って、お前が可愛い可愛いと言っていたリュシェとやらは喜ぶのか?」


 ルウの問いに、フレッグラードは鋭く冷たい視線を向けてきた。

 洞の入り口の向こうに水色の体表をした竜を二体、左右の手に持った白神竜が現れる。

 手だけではない。口にも何体かの竜が咥えられ、弛緩した竜の体が垂れ下がっていた。

 その光景も相俟って、俺の怒りは一気に冷えて行った。

 あんな化け物に、敵うはずがない……。

 冷静になった思考が、全身を凍り付かせる。


「……リュシェは関係ない。これは、私が私のためにしている事だ」


 そう告げると、今度こそフレッグラードは洞から出て、ワーグリナの亡骸を抱えたまま白神竜の背に乗り込む。

 すぐに白神竜がその翼を羽ばたかせ、暴風を巻き起こしながら飛び立った。

 空の彼方へと消えていく白神竜の姿が見えなくなるまで、俺もルウもその場から動けなかった……。






 どれくらいそうしていたのか。

 不意に、足に何かがしがみついてきた。

 見下ろせばそこには、水色の体表をした小さな竜。

 すぐに隣の水竜夫婦の子竜だと思い至る。

 思い至ると同時に、先程の光景が脳裏に蘇ってきた。


 白神竜の両手に掴まれていた、水色の体表をした2体の竜。

 あれは、もしかして……。


 俺はしゃがみ込んでそっと子竜を抱き上げた。


「さっき連れて行かれた竜の子供か」


 横からルウが子竜を覗き込む。

 しかし子竜は余程恐ろしい目に遭ったのだろう。

 小さく震えて俺の腕にしがみついてくるばかりで、ルウに気付いている様子はない。

 しがみつかれている腕は先程フレッグラードの剣が貫通したはずなのに、いつの間にか服に血の跡を残して傷自体は塞がっていた。

 その事を不思議に思わないのは、ワーグリナから俺が異常な魔力を持っている事と、それによって魔力のみで生命維持が出来るようになっている事を教えて貰ったからだ。

 きっと俺の身の内にある魔力が傷を塞いでくれたのだろう。


 ……ワーグリナ。

 一緒に俺の正体を探ろうと約束したのに、その約束は結局、果たせなかったな……。


「相当怯えてるな。目の前で両親をやられたのか」

「そうかもな……」


 ルウの言葉に俺はただ相槌を打ち、洞の外を見遣った。

 崩れた北側の峰。

 半壊状態のここ、東側の峰。

 各々離れて暮らしているとはいえ数多くの竜が暮らす竜峰ザークイレムの一角が、たった1体の神竜とその連れの人族によって、抵抗らしい抵抗も出来ずにあっさりと崩された。

 ここに留まるのは危険だと、誰の目にも明らかな状況だった。


「これからどうしよう」


 ぽつりと呟いた俺の言葉に、ルウがきょとんとした視線を向けてくる。


「どうしようって、お前、さっきフレッグラードに“お前を追って殺す”って言ってたじゃないか」


 思わぬ返しを受けて、俺は言葉に詰まった。

 あの時は怒りに任せてそう言ったけれど、実際問題、俺がどう頑張った所でフレッグラードを追う事も、ワーグリナの仇を討つ事もできるはずがない。

 そんな力は持ち合わせていないのだから……。


 俺はギリッと歯を食いしばる。


「悔しいけど、俺には無理だ。あんな化け物相手に、勝てるはずが無い」

「まぁなぁ。俺様でもあの白神竜は無理だな。今のフレッグラードも、俺様じゃ勝てないだろうし」


 予想外の言葉に、俺はルウを見遣った。

 ルウは悔しそうにフレッグラードたちが去って行った空を見上げていた。


「どうしてそう思うんだ? ルウは魔王になったんだろう?」


 ついそんな問いを差し向けてみれば、ルウは苦い表情で俺を見下ろしてきた。


「魔王種は、基本的に神位種には勝てないようになっているからな。あいつ……フレッグラードは元々神位種じゃなかったはずだが、どうもさっきの感じだと神位種と同種の気配がした。多分だが、あれだ。神竜と契約をして、神位種に近い存在になったんだろう。そうでなければいくら人化していたとは言え、竜族であるワーグリナをひと突きで殺せるはずがない」


 神位種。

 中央大陸では馴染みの薄い存在だ。

 いわゆる勇者と称される力と魂を持つ者を、そうでない人族と区別する為に作られた種族名。

 魔王種は稀に生まれるけれど、過去アルスト国に神位種が生まれたという記録はなかったはずだ。


 神位種……勇者となる魂を持つ者。

 俺はフレッグラードが勇者たる魂を持つ神位種となったのではと言うルウの言葉を、認めたくない思いで一杯だった。

 “始まりの勇者”の話は子供の寝物語で語られる事が多く、俺も幼い頃は母さんから聞かされていたし、シフェーナにも良く読み聞かせていた。

 その物語の内容は、こんな内容だ。



 天歴が始まるよりも以前、この世界に一人の魔王と一人の勇者がいた。

 魔王はこの世の魔力を全て独占しようとし、魔力が枯渇すると命を失うと言われている精霊や妖精が勇者に魔王を倒して欲しいと願った。

 彼らの願いを聞き届けた勇者はたった一人で、魔王と戦った。


 結果、魔王が放った魔術で東大陸の北半分が焼け野原になり、人族の暮らす南側は勇者がその力で守った。

 しかし激しい戦いの末に強大な魔術を放った魔王と、その力に対抗した勇者は共に力を使い果たし、命を落とした……。



 物語に登場する勇者は、弱き者の為に命を賭して悪しき“始まりの魔王”を打倒したのだ。

 今のフレッグラードには、全く当て嵌まらない……。


「あ……」


 不意に、俺はある事に気付く。


 “始まりの魔王”が欲していたもの。

 グードジアが欲していたもの。

 フレッグラードが欲しているもの。


 全てが、同じものである事に。


「どうした?」

「……いや。とりあえず、今はこの子竜を安全なところに逃がす事だけ考えよう」


 気付きはしたものの、俺にはそれらを上手く結びつける事も、言葉で説明する事も出来なかった。

 なので目先の事に集中する事に決め、意識を切り替える。


「安全なところって言ってもなぁ。竜はそもそも魔力が多く集まるところに住まうものだぞ。となると、この竜峰以上の場所は魔族領にはない──」

「魔力が多くある場所ならいいんだな?」

「?」


 ルウの言葉を遮ると、ルウは首を傾げた。

 魔力ならある。

 自分でも使い道などわからない、使いようの無い魔力が……この身の内に。


「俺はあと何年生きられるかわからない。けれどその間、俺がこの子竜を育てよう。俺が死ぬ頃にはこの子竜も独り立ち出来るくらいになっているだろうし」


 俺が言わんとしている事を察して、ルウは目を見開いた。

 しかしすぐにニヤリと笑う。


「なるほどな! ソムグリフが魔力場の代わりになるって事か。だったら俺様のお勧めの村に案内してやる。あそこならソムグリフの事もその子竜の事も受け入れてくれるだろう」


 そう告げるなりルウは子竜を抱えた俺を担ぎ上げ、濃紺色の翼を広げてすぐさまその場を飛び立った。

 一刻も早くこの場を去った方がいいという思いは他の竜たちも同じだったのだろう。

 方々の洞から次々と竜たちも飛び立って行く。

 色とりどりの竜たちが舞う中、ルウは器用にその合間を縫って飛び、南を目指した。


 俺は空中へ浮かび上がる際の浮遊感に白神竜に掴まれて東大陸に連れてこられた時の恐怖を思い出し、気を失うまいと歯を食いしばった。

 俺が気を失えば、腕に抱えている子竜を高空で取り落とす事になる。

 いくら竜とは言え、こんなに小さい竜では空を飛ぶ事もままならないだろう。

 一方、ルウも俺に配慮して、人族が耐えられる程度の速度で飛んでくれたようだ。

 おかげで俺は気を失う事なく、目的地に到着する事が出来た。




 そうして辿り着いたのは、魔族領でも最南端にある森。

 湖を擁する小さな小さな村。

 そこには種族に関係なく、多種多様な魔族が暮らしていた。


「元々、色んな村のつまはじきものたちが集って作った村なんだけどな。それぞれ訳ありだから種族や各自の事情には踏み込んでこないし、寛容だぞ。俺様も東大陸に来て魔王になるまではここで暮らしてたんだ」


 ルウは近くを通りかかった金髪の獣人に声をかけると、俺と子竜を示して今日からここに加えてくれと、気軽に頼んだ。

 するとすぐにその村人はちょうど空き家がひとつあると、案内してくれた。

 本当に何の事情も聞いてこないのかと驚く俺の前で、親し気に言葉を交わすルウと村人。

 その様子から、本当にルウはかつてここで暮らしていたのだという事がわかる。


「そうだフォル。こいつは俺様の親友、ソムグリフだ!」

「親友? お前に付き合う親友なんて、奇特なやつがいるんだなぁ!」

「何だと? 俺様にだってなぁ、ちゃんと理解者くらいいるんだぞ! なぁ、ソムグリフ!」


 急に話を振られて目を瞬かせる。

 俺から見たら、今ルウの隣にいるフォルの方がよっぽどの理解者のように見えるんだが。

 なので、「ルウが、そう思ってくれてるなら」と無難に応じると、すぐさまフォルが「お前の思い込みじゃないのかぁ?」とからかうような笑みを浮かべてルウに蹴りを入れる。

 すると楽しそうにルウが蹴り返して、フォルが吹き飛ばされた。

 その様子がおかしくて、俺は竜峰での悲劇の事を一瞬忘れ、吹き出して笑ってしまった。



 ルウとフォルがまるで子供がじゃれているかのようなやり取りをしているうちに、一軒の家の前に着く。

 小さな家だが、俺と小さな子竜が暮らすにはちょうどいい大きさだ。


「ここを使ってくれ。村にもちょっとした店はあるが、基本は自給自足だ。森の中に出れば食べられる魔物もいるし、ここは人族領に近いおかげで食べられる野草もある。でもま、困ったら俺に声をかけてくれ。ちなみに、俺の名前はフォル。一応この村の代表者をしている」


 説明を兼ねて名乗りながら差し出されたフォルの手を、俺は固く握った。


「俺はソムグリフ。この子は……」


 と、俺はここでこの子竜の名前を知らない事に気付く。

 小竜は俺の視線に気付いてじっとこちらを見てきた。

 名前。きっとこの子竜にも名前はあったはずだ。

 けれど、この子竜が自分の名前を覚えているかどうかは怪しい。


「親とはぐれた竜か? なら、そいつが気に入る名前が決まったら教えてくれればいい。ただこの村では互いの事情に干渉しない代わりに、互いの名前と顔だけはしっかり覚えるのが規則だ。だから出来るだけ早く決めてくれよ! そうしたら村人へのお披露目を兼ねた歓迎会だ!」

「宴会か!」

「お前は大酒飲みだから呼ばねぇよ!」


 大喜びするルウに釘を刺すと、「それじゃあな!」と、フォルはルウから逃れるように村の中心に建つ大きめの家に入って行った。

 その様子を呆然と見送っていると、


「ま、こんな感じの村だ。みんなと上手くやってくれ。俺様もたまに遊びにくるからな!」


 言うなり、ふわりとルウが浮き上がる。


「どこか行くのか?」


 ワーグリナの棲み処ではずっと一緒にいたからか、反射的にそう問いかけていた。

 するとルウは実に楽しそうな笑顔を浮かべる。


「俺様は戦闘狂だからな! いつかあの白神竜にも勝てるくらい強くなってやるから、期待して待ってろよ!」


 そう言い放つと同時に、高空へと舞い上がって行った。

 ルウの奔放さは相変わらずのようだ。

 俺やフレッグラードは変わってしまったけれど、ルウは変わらないんだな……。






 その後も、時々竜が狩られたという話を耳にした。

 偶然現場を見てしまった魔族たちは一様に怯えた様子で、「金髪の目つきの悪い人族の男が、竜を易々と殺していた」と言っていた。

 フレッグラードの事だろう。

 俺はシスフィエと名付けた水竜と共に名も無き村で暮らす傍ら、時々舞い込んでくるそんな情報に耳を傾けていた。



 ちなみに子竜に付けたシスフィエという名は、子竜が雌だった事もあって、キアシエとシフェーナの名を引用して名付けた。

 ワーグリナの事は今でも全身の血が煮えたぎるほど悔しいし、フレッグラードの事は許せない。

 キアシエやシフェーナ、父さんや母さん、行商仲間や顔見知りだった人たちの事を思うと、グードジアの事も許せない。

 けれど、その思いをどうにか出来るような力は俺にはなかった。


 だからせめて。

 あの時奇跡的に生き残り、身を寄せ合った者として、俺はこの子竜……シスフィエを独り立ちする日まで、この命が続く限り守り育てようと決めた。

 それだけが、今日まで生き残り続けてきた俺に出来る唯一の事のように思えた。



 ふと視線を感じてそちらを見遣れば、目をキラキラと輝かせながらこちらを見てくるシスフィエと目が合った。

 俺は似たようなものを重ねて見てしまう癖でもあるのだろうか。

 シスフィエの金色の瞳を見返し、そこに重なって見える知的好奇心の塊のような地竜に思いを馳せる。


 ワーグリナと共に過ごした時間は1年程度だが、時々キアシエやシフェーナに重なるその姿に、失った家族を想って心を痛める度に気遣ってくれた彼女自身に、俺はどんな気持ちを抱いていたのだろう。

 今となっては判然としないけれど、これだけは言える。

 ワーグリナと過ごした時間は、共に知識を高め合った楽しい時間であり、両親やキアシエ、シフェーナ……家族と過ごしていた頃に感じていたものと同種の、幸せで穏やかな時間だった。



 俺は記憶の中以外で唯一ワーグリナが存在した証しとも言える、俺とワーグリナの血が染み付いた服を手に取った。

 竜はその血にも強い魔力を宿していると言う。

 そのせいか、数日前までは仄かに青い光が宿っていたその血も今はもう魔力を失ってしまったようで、青い光を視認する事は出来なくなっていた。

 その服を、俺は地面を掘って埋めた。

 どんなに魔力を持っていても俺にはそれを使う才能や資質がないから、地道に農具で地面を掘り、手で埋め戻す。


 その様子を少し離れた場所から見ていたシスフィエが、ととと、と小走りで近寄って来た。

 何故服を埋めたのかが気になったのだろう。

 この好奇心の塊は、ワーグリナに通じるものがある。

 だから俺は少しずつ、ワーグリナから貰った知識や彼女の考え方をシスフィエに教えている。

 きっとこの子竜もいずれは好奇心旺盛な、人好きの竜になってくれるだろうと信じて。




- - - - - - - - - -




 気が付けば、俺はベッドから起き上がれないほどに老いていた。

 異常なまでの魔力を持っていようが何だろうが、寿命は変わらないらしい。


 もう長くはないな、と思った日に、親友が家を訪ねてきた。

 人化能力を会得したシスフィエが応対して、俺の部屋にふたり分の声と足音が近付いてくる。


 シスフィエに案内されて部屋に入ってきたルウはいつもの明るい笑顔を浮かべ、片手をあげて「久しぶりだな!」と元気よく挨拶してきた。

 少年時代から変わらないルウ。

 その外見も魔王になって長命になったからか、俺が東大陸に来て再会したあの日から全く変わっていない。


「今日は珍しいもの見つけてきたぞ! 昔ソムグリフの親から貰った果実と良く似ててなぁ」

「……ルウ」


 楽しそうに手元の袋を開けているルウに、俺は驚くほど力ない声で呼びかける。

 ルウはぴたりと動きを止めてこちらを見返してきた。


「ルウ。俺はもうそう長くないだろうから、俺が生きているうちに、ルウに聞いておいて貰いたい事があるんだ」


 ずっと心に刺さり続けているものがある。

 自分ではどうしようもない事なのに、ずっと抜けない棘のようにその存在を主張してくる僅かな痛みと後悔。

 そんなものを一方的にルウに押し付けるのは心苦しいけれど、懺悔だと思って聞いて欲しいと、俺は小さく告げた。

 途端、ルウの表情が真剣さを帯び、俺が横たわるベッドのすぐ横に寄って来た。


「よし! 話せ!」


 妙に気合いが入ったその言葉に、ちょっとだけ笑ってしまう。

 けれどルウが真剣な表情を崩さなかったから、俺も本題に移る事にした。


「俺は、ずっと後悔している事がある。フレッグラードが国王になってしばらくは、幸せな毎日が繰り返されていた。俺は、誰もがその幸せを享受しているものだと思っていた。フレッグラードも、それこそ、グードジアさえも……」


 俺は天井をじっと見つめ、そこに過去の光景を思い浮かべる。

 あの頃の俺は本当に暢気過ぎた。

 アルスト国の人は皆、多少の不幸はあれども一定以上の幸せを全員が感じているものだと思い込んでいた。


「けれど俺がそんな暢気な事を考えている影で、段々とフレッグラードはグードジアの闇に侵されていたんじゃないかって、思う時がある」


 知らぬ間に……いや、俺が気付きもしなかっただけで本当は目に見えて着実に、フレッグラードは壊れていったのではないかと、今になって思う事がある。


「俺は行商人だったから、ずっとフレッグラードの傍にいられた訳じゃない。けれど、もっと……フレッグラードがグードジアに悩まされ始めた頃に、何とかしてその悩みを聞く事が出来ていたなら、結果は違っていたんじゃないかって思うんだ」

「そんなの無理だろ」


 傍らにいるルウから発せられた断定の言葉に、俺は目を見開く。

 視線をルウへと向けると、ルウは口をへの字にして少し不機嫌そうな顔をしていた。


「仮にソムグリフがフレッグラードの異変に気付いて手を差し伸べたとしても、結果は変わらなかったと俺様は思うぞ。フレッグラードがああなった原因は恐らくグードジアにあるんだろうと俺様も思う。だがあのふたりの立場からしたら、関わる事は避けられなかった。何故ならフレッグラードはアルスト国の王で、あいつを壊したグードジアはアルスト国の国教であるリドフェル教の神の代行者だ。関わる事が確定していたのなら、その結果だってそう簡単には変わらなかったはずだ」


 意外にまともな意見が出てきて面食らう。

 そんなこちらの心境に気付いたのだろう。ルウは更に不機嫌そうな顔になった。


「俺様だって何も考えずに生きている訳じゃないぞ。一応こっちに来て、それなりに苦労したからな」


 なるほど。

 そりゃそうか。

 いつも明るく笑っているルウだって、慣れない土地に馴染むのには苦労したんだな…。


「……ま、でも、そういうことだ。ソムグリフが気に病む事はない。俺様だって、中央大陸がそんな事になっているだなんて知りもせずに、のうのうと戦いに明け暮れていたんだからな」


 この言葉に思わずくすりと笑ってしまう。

 そうだった、そうだった。

 ルウは戦闘狂の魔王なんだったっけ。


「そうか……。うん、確かに、気に病んでも仕方がないか」


 ルウの言う通りだ。

 いくら後悔したって過去は何ひとつ変わらない。


 ふぅ、と小さく息を吐くと、すかさずシスフィエが水差しを差し出してくる。

 幼少時から育ててきたこの子竜は、まるで実の子のように俺に懐いて、今ではこうして色々と世話を焼いてくれている。

 俺はしわしわになった手を伸ばして、シスフィエの頭を撫でた。

 差し出された水差しを受け取り、何とか自力で水を飲み下す。

 本当は水なんて飲まなくてもこの身に宿る魔力がどうにかしてくれるんだけど、シスフィエは村の人たちから教えられた通りに俺の面倒を見てくれているようだ。

 なのでその気持ちを大切にしたいと思う。


「ありがとう、シスフィエ」

「ソムグリフ、死んじゃ嫌だ!」


 ぎゅっと、水差しを持つ手を両手で掴んでくるシスフィエ。

 きっと俺がルウにあんな話をしたから不安になったのだろう。


 あぁ、もしシフェーナが生きていたら……。

 いや、もう他人を重ねて見るのはやめよう。

 俺にとっては紛れもなく、シスフィエも俺の娘なのだから。


「なぁ、ルウ。もし俺が死んだら、シスフィエが独り立ちするまで面倒を見てくれないか?」


 そう問いかけると、ルウはきょとんとした顔になった。


「もう充分独り立ち出来るとは思うが、まぁ、様子を見てやるくらいなら、してやってもいいぞ」

「ふふ、確かに」


 言われて気付く。

 俺がシスフィエとこの村で暮らすようになって、およそ25年。

 人化したシスフィエはまだ少女の姿をしているけれど、竜の姿の方はこの家に入らないくらいの大きさにまで成長している。

 独り立ちさせるには充分な頃合いなのだろう。


「ありがとう、ルウ」


 シスフィエを見守ってくれるという言葉に対して礼を言うと、不意にルウが柄にもなく柔らかい笑顔を向けてきた。

 そして、静かにこう告げた。


「俺様も、ずっとソムグリフに礼が言いたかった。魔王種だった事でずっと孤立していた俺様の友達になってくれてありがとう、ソムグリフ」




 その言葉を聞いた数日後。

 俺はソムグリフという名の人生を、終えた。

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