86. フォルニード村へ
よくよく考えてみれば、星視術の千里眼を使えばフォルニード村の様子を見るくらいなら出来るんだっけ……とも思ったけれど、千里眼にはそこそこの魔力量と、もの凄い集中力が必要なので今回は使わない事にした。
そちらに魔力を浪費したり集中力と時間を割くくらいなら、すぐにでもフォルニード村に向かった方が有意義だ。
「サラ。ハルトも城に残るけど日中はセタの傍にいられないから、セタの事よろしくね?」
「うん、任せて!」
私は陛下とハルトから許可を貰って、当初の予定通りサラにセタを任せる事にした。
サラもこの夏で15歳になった。この世界では成人と認定される年齢だし、そもそも妖鬼は10歳で独り立ちする種族だ。問題ないだろう。
何よりサラはしっかりしているし、これまで甥っ子を可愛がっている様子を見てきたから安心して任せられる。甥っ子が生まれるよって報告した時は反応に困っていたサラだけど、いざ生まれたらもの凄い可愛がり様だったのだ。
ちなみにお父さんもいざ孫が生まれたら、最初こそどう接したらいいのかわからない様子だったけれど、陛下や王妃様方がセタをあやしている姿を見て段々と接し方がわかってきたようだ。今ではすっかり孫を猫可愛がりしている。
なので私はサラだけでなく、こっそりお父さんの事も……更に言えば陛下やハレナ様、シアルナ様、レイア様の事も頼りにしていたりするのだ。
私は抱きかかえていたセタをサラに託した。セタは状況をあまりちゃんと理解出来ていない様子で、私とサラの顔を交互に見ている。
あぁ、可愛い。離れ難い。
「あっ、そうだ!」
いい事思い付いた!
私はベルトで固定した魔剣の柄に、革紐で括り付けていたタリスマンを外す。
そのタリスマンは金細工で縁取られた大きな雫型の赤い石のブローチ。私が城塞都市アルトンを去る時に、リッジさんたちから貰った物だ。
古代魔術を扱えるようになった今なら、このタリスマンに刻まれている古代魔術文字が持つ意味が分かる。
あの時リッジさんは安全祈願みたいなものだと言っていたけれど、近からず遠からず。タリスマンには、“我が愛し子を守る盾となれ。我が愛し子の命となれ。例え砕けようとも、我に代わり、我が愛し子を守り続けよ。”と書かれていた。
一緒に刻まれている魔法陣は古代魔術の結界を簡易的に発動させる物だ。膨大な魔力を要さない代わりに、ごく短い時間だけ、通常より狭い範囲に結界が展開されるように組まれている。
恐らくこれは、遥か昔、古代魔術が竜族だけの物ではなかった頃に作られた物だろう。
このタリスマンがこの文言通りに自らの子を案じて作られた物なのか、子供ではなく大切な誰かを案じて作られた物なのかはわからない。けれど、優しい思いが込められているのがわかる。
私はそのタリスマンを、セタに……と思ったけれどブローチの針が危険であるとこに気がついて、サラに渡した。
「これって……」
「セタやみんなを守るのに使って。そのタリスマンに魔力を込めればちょっとの間だけ、古代魔術の結界が発動するから」
「わかった!」
サラは力強く頷くと、ぎゅっとブローチを握る手に力を込めた。それからじっと私を見て、何とも頼もしい笑顔を浮かべる。
「安心してね、お姉ちゃん。セタは絶対に私が守るからね! でもお姉ちゃんがいないと私もセタも寂しいから、早く帰ってきてね」
美しく成長しても、私にとって可愛い妹は可愛い妹のままだ。
私は健気なサラの言葉に、思わず愛息子ごと愛しい妹を抱きしめた。「お姉ちゃんは変わらないね」と、腕の中でサラが笑う。
いい子、ほんっとうにいい子!
私はぐりぐりとサラに頬擦りして、心の底から湧き上がってきた言葉を零した。
「サラ、大好き……!」
「私も、お姉ちゃん大好き!」
もうっ、妹が可愛過ぎて困る!
息子とも妹とも離れ難かったけれど、自らに対して心を鬼にして別れた。
セタも最後はしばらく私と会えない事をうっすらと察知したらしく、今にも泣き出しそうな顔をしていた。けれどぐっと堪える様子が、かつてのサラを彷彿とさせた。
幼い頃のサラと言いセタと言い、あんなに小さいのにどうやって我慢する事を覚えたのだろう。本当ならもっと我が侭を言ったっていいのに。
──あぁ、もしかしたら環境が……私が、そうさせてしまっているのかも知れないな。サラが幼かった頃も今も私は落ち着きがなくて、我が侭を言い難い空気にしてしまっている可能性が高い。
サラは聡い子だったし、セタも親ばかと言われそうだけど、賢い子だと思う。きっと我が侭を言い出せず、飲み込む事を知らず知らずのうちに覚えてしまったのかも……。
私はそんなふたりの姿を思い浮かべ、一刻も早く事態を収めて戻ってこなければと、決意を新たにした。
帰ってきたら絶対、迷惑がられようが何だろうが、あの子たちの我が侭を聞きまくってやる……!
固い決意を胸に私は今、城下街の外に広がる草原に立っている。視線の先にはグラル山地。向かうのはその更に先だ。
見送りにはハルトとお父さんが来ていた。
「ここから走ってフォルニード村に行くの?」
お父さんは陛下から提案された馬での移動を断った経緯から、移動手段が気になっている様子だ。
乗り合い馬車でセンザを経由して移動するとフォルニード村まで半月近くかかる。仮に馬などを使わずにグラル山地を抜けて港町ティリ、もしくはモルト砦を目指すにしても、掛かる時間に大差はない。
「グラル山地を抜けて北を目指すのは俺もやった事あるけど、休憩を挟みつつスクロールで脚力強化して、子供の足で大体1日半くらいだったな」
ここで娘の心配をしない辺りが魔族だなぁ、とでも思っているのだろう。お父さんの隣ではハルトが複雑な表情を浮かべながら、かつて自らが辿った旅路を思い出しているようだ。
その様子からふたりとも普通に走って行くと思っているようなので、
「えぇと……とりあえず移動については、魔術で転移するから一瞬で行けるよ?」
私は申し訳ない気持ちになりながらそっと会話に割って入った。案の定、私の言葉を聞いてふたりはきょとんとした表情になる。
種証しをすると……ってほどでもないけれど、私はこの二年、ただ育児をしていただけではなかったという事だ。
セタが眠っている間にこっそりイフィラ神から貰った亜空間接続に関する知識を基にして、空間魔術の研究を再開していた。ただし私室での研究だから、手をつけたのは実践抜きの術式の組み立てだけなんだけど。
イフィラ神の知識を基に術式を組むと古代魔術レベルの魔力が必要になるから報告したりはしなかったけれど、亜空間接続に関する知識と転送魔法陣を組んだ知識を活かせば安全に人体の転送も可能な事が判明した。実験こそしていないけれど、成功率は相当高いはずだ。
何せ神様から貰った知識がベースにあるし、私は自力で亜空間接続が可能だから万が一失敗して転送用の亜空間に取り残されたとしても、無事に亜空間から脱出出来る保証もある。
「ちょっと大規模な魔術を使うから、二人共離れててね」
「ちょ、ちょっと待って! 魔術で転移? 転移って何?」
お父さんが混乱気味に問いかけてくる。
何って言われてもね……。
「一瞬で目的地に辿り着ける魔術だよ」
としか説明しようがない。
ぽかんと口を開けて固まるお父さんの横では、ハルトがまた何か開発したのか、と言わんばかりの顔で苦笑っていた。
「まぁ、リクが大丈夫だって言うなら大丈夫だとは思うけど、くれぐれも気をつけて。あと……」
ハルトは私に近付くとそっと抱きしめてきた。
「絶対、無事に戻ってきてくれよ。正直一緒に行けなくて心配だし、不安なんだからな」
「うん。絶対無事戻るよ。何なら指切りでもする?」
私が問いかけると、ハルトは私を解放しながら「指切りか。懐かしいな」と笑った。笑いながらも右手の小指を差し出してくる。私もハルトの小指に自分の小指を絡めると、上下にぶんぶんと振りながら例の歌を日本語で歌った。
あまりに私が元気よく歌ったせいか、ハルトは笑いを堪えるばかりで一緒に歌ってくれなかった。それが不満で最後『指切った!』と締めると同時に、絡ませた小指を思い切り振って離す。
その様子を傍から見ていたお父さんは不思議そうに小首を傾げた。
「何、今の? 何かの詠唱?」
日本語のまま歌ったからお父さんからしたら未知の呪文のように聞こえたのだろう。
その様子がちょっと可笑しくて、私もハルトも吹き出して笑ってしまった。
「そう、詠唱みたいなものだよ。約束を破ったら、針を千本飲んでもらうからねっていう、約束を守って貰うための魔法の詠唱」
「魔術じゃなくて、魔法なんだ?」
興味深そうにお父さんは身を乗り出してきた。
この世界で“魔法”は一定の法則に沿って組み立てられ、必要量の魔力を与えさえすれば、技術や才能がなくともその能力を発揮するものに対して使われる言葉だ。
例えば魔法陣や魔法道具。これを魔術陣や魔術道具と呼ばないのは、魔法陣や魔法道具に組み込まれた魔法陣が一定の法則に沿って組み立てられたものであり、魔力さえ扱えれば技術や才能が無くともその法則に則って効果を発揮するものだからだ。
対して“魔術”は魔力のみならず、術者本人の技術や才能をも必要とするものを指す。
お父さんとしては詠唱を経ているのに魔法と呼んだ事が不思議でしょうがないのだろう。
何せ詠唱は“魔法”ではなく、“魔術”に分類されるものだからだ。
「誰にでも出来る事だからね。言霊っていう魔力も込もっている事だし、魔法って呼ぶのが無難かな」
「コトダマ……? 何だか色んな魔法があるんだね。戻ってきたら、僕にも教えて欲しいな。今やリクの方が僕よりも魔術や魔法に詳しいからね」
にっこりと、例の天使スマイルを浮かべて手を差し出してきたお父さんに、私は手を取る振りをしてそのまま飛びついた。
陛下にセタにサラにハルト。色んな人とハグしてきたのに、ここに来て実の父親と握手で済ませるのは何だかしっくりこなかった。
お父さんは辛うじて私を受け止めると、優しく抱きしめてくれた。
「絶対帰ってくるから、アールグラントを守ってね、お父さん」
「うん、任せといて。僕にとってもアールグラントは特別だからね」
互いに顔を見合わせ、微笑み合う。
見た目にはそんなに変わらないけれど、お父さんも段々と年を重ねているのがわかる。若く見える期間こそ長いけれど、妖鬼の寿命は人族とそう変わりないのだ。
少し笑い皺が深くなったお父さんから離れると、今度こそ私はふたりに遠く離れるように伝えて、魔術の構築を開始した。
空間魔術は詠唱や思念発動には向かない。何故ならその術式があまりにも複雑で、詠唱だと半日以上かかるだろうし、思念発動するにもイメージを造り上げるのが困難だからだ。
結果的に、魔法陣を描いて発動させるのが確実だ。
なので私は古代魔術同様、魔力操作で空中に魔法陣を描き出す。
魔王ゾイ=エンとの戦いの後から、この作業にかかる時間が大幅に減った。あっという間に巨大な魔法陣が構築されて、魔術を発動するべく形状を変えて行く。
そうして金色に輝く魔法陣が私を包み込むようにして集束すると、目の前の景色が歪み……私の体を、亜空間へと運び込んだ。
ほんの一瞬だけ違和感を覚える空間を通り過ぎると、一気に視界が開けた。亜空間を抜けたのだ。
星視術を応用して周囲に人や物がない場所を探知する術式を組み込んでおいたけれど、無事ただの平地に降り立てたようだ。
一応目的地はフォルニード村と関所の間、私とタツキで更地を作った辺りを目標にしたんだけど……。
きょろきょろと辺りを見回して現在地がどこなのかを確認する。
正面には森の入り口があり、背後を振り返れば遠くに関所と、遠目でも判別できるほど大きな慰霊碑が見える。周囲一帯は更地のようだ。片側の地面が抉れ気味である事から、かつて私とタツキで分解を行って更地にした場所で間違いない事が確認できた。無事、魔法陣で組み立てた通りの目的地に辿り着けたようだ。
という事は、ここからフォルニード村まではすぐのはず。
私は改めて森を見上げ、感知能力を全開にした。特におかしな気配はない。おかしな気配がない事がむしろ異様だ。マナがあれだけ切迫していた様子だったのに、物音ひとつしない。
ここは慎重に自分に身体強化魔術をかけ、サラの腕輪を外す。いつ敵が現れても対処出来るよう、準備を整えてから森へと足を踏み入れた。
周囲を警戒しながら森を素早く移動する。しかし魔物の気配すらしない。それはそれで不気味だ。静か過ぎて、走っている自分の足音や時折草木が揺れる音がやけに大きく聞こえる。
一度立ち止まって千里眼でフォルニード村の様子を探った方がいいだろうか……。
あまりの静けさと状況の不明さに段々不安が募ってきて、私は走る足を止めた。
その時。
「リク!」
唐突に、向かう先から声をかけられた。突然の事だったので一瞬心臓が止まりそうになる。
けれどすぐに声の主が木々の間から姿を現して、一気に脱力した。
「タツキぃ……吃驚させないでよ、もう……」
気が抜けて地面にへたり込むと、慌てたようにタツキが駆け寄ってきた。
「吃驚したのは僕の方だよ。どうしてここに?」
「マナがフォルニード村はもう駄目とか念話を送ってきたから……」
「あぁ、なるほど」
タツキは得心がいった様子で頷くと、視線をフォルニード村の方へ向けた。
「どうやら例の、オルテナ帝国のゴルムアって狂人がきてたみたいだけど、僕がブライに呼ばれてフォルニード村に着いた時にはもういなかったよ。その……睦月たちが、追い払ってくれたみたい」
「睦月たちが!?」
まさかここでリドフェル教の使徒である睦月の名が出るとは思わず、声がうわずってしまった。
タツキは再度頷き、「もういないけどね」と付け足す。
「どうして睦月たちが……?」
「さぁ、僕にもよくわからないんだけど……ただ、睦月と、睦月と一緒にいたサギリって子が去り際に“ゴルムアは自分たちの得物だから”って言ってたよ」
「睦月たちの得物?」
それってつまり、ゴルムアは膨大な魔力を持っているってこと?
私の記憶が確かなら、リドフェル教が過去誘拐した人族って……。
嫌な事を考えてしまった。
まさかとは思うけど、この予想が正しければ、ゴルムアが驚異的な能力を持っている理由にも説明がついてしまう。
「そうだ、フレイラさんに聞いたらわかるかも! タツキ、マナたちは無事?」
「マナとセンはかなり危険な状態だったけど、ギリギリ僕が間に合ったから一命は取り留めたよ。でも本当にギリギリだった。あとちょっと遅かったら助からなかったかも知れない。だから今は絶対安静で休ませてる」
タツキの言葉に、私は肩の力を抜いた。かなり危なかったと言われても、タツキが対処して、タツキが一命を取り留めたと言うからにはきっと助かるはずだ。
私は気を取り直して、他のふたりについても聞いてみる事にした。
「フレイラさんとブライは?」
問いかけると、タツキは渋い表情で深いため息を吐く。
おや、何かあったのかな?
タツキが落ち着いているから、フレイラさんの命に関わるような事があったわけではなさそうだけど……。
「フレイラさんは……まぁ、大丈夫かな。ブライが頑張って盾になってくれたらしいんだけど、自分から飛び出していっちゃったみたいで、魔力が枯渇して眠ってる。怪我もしてたけど、マナたちほど酷くはなかったよ」
呆れた声音でそう説明するタツキの表情は、それでもどこか穏やかだった。
フレイラさんの無事が確認できて安心したのは私だけではなく、タツキも同じだったはずだ。
「ブライはちょっと前から覚醒が始まっちゃって、今は湖のほとりにいる」
「覚醒!?」
神竜の覚醒!?
でもさっきからこの森には特別な異変はない。膨大な魔力が溢れ出しているわけでもないのに、ブライは現在進行形で覚醒中なの……?
そんな私の疑問が顔に出ていたのだろうか。タツキは表情を緩めると誤摩化し笑いのような笑みを浮かべた。
「いや、ちょっと再構成でいじり過ぎちゃった影響でとんでもない量の魔力が溢れてきたから、結界で囲ってきたんだ。あまり大きな気配を醸すと、ほら、あの戦闘狂が来ちゃうから」
「あぁ……なるほど」
戦闘狂、魔王ルウ=アロメスね。確かにあの魔王なら神竜覚醒の気配を察知して意気揚揚とやってきそうな気がする。
……でもそう考えると、ゴルムアが魔族領を南下しながら魔族の集落を襲っていた間、ルウはゴルムアに喧嘩を吹っかけなかったのだろうかという疑問も湧いてくる。
「とりあえずフォルニード村に行こう。ここは安全とは言えないから」
そう言って、タツキは手を引いて私を立ち上がらせると、そのままフォルニード村に向かって歩き出した。
私はタツキに手を引かれるがままに足を動かす。歩きながら森の様子に意識を向けてみたけれど、やはり魔物の気配ひとつ、そこにはなかった……。