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4.異世界に行ってきました



 見事に魔王……いや邪神の封印に成功した勇者、正さん一行。

 彼らは盛大なパレードと共に凱旋し、国王直々に(ねぎら)いの言葉を与えられた。

 勇者達を為に功績を讃える式典が開かれ、王都は大いに沸いた。

 更に勇者の正さんと仲間達には、王様から恩賞が授けられたのだ。


 まずは5人全員に勲章と名誉と報奨金が。

 最後の戦いで右足のアキレス腱を駄目にされたマッスル伍長には、本人の希望を叶える形で宮廷画家としての新たな道が示された。

 剣士ドルフィン・ソガノには王家に代々伝わる宝剣と共に領地が与えられ、最強の剣士集団を育てるに至る。

 竜使いエドモンド・アスタリスクは勲章と報奨金は受け取ったものの用意された地位には辞退の意思を示し、竜と共に旅を続ける自由な道を選んだ。

 そして、正さんと王女マイアは――……


「――陛下、いえお父様……わたくしにお願いがございます」

 

 与えられた名誉。

 父王の手で整えられた未来を前に、王女は毅然とした顔で願い出る。

 己の唯一の願いと、胸に抱いて。

 今まで一度も父王に反抗したことのなかった、従順な王女。

 彼女は己の意思を貫き通す強さを旅の中で手に入れていた。

 最早、父王など恐れるに足りず。

 王女ははっきりと誰の耳にも届くように凛とした声で告げた。

「わたくしは今までお父様の取り決めに逆らったことなど一度もございません」

「そうだったかな、姫よ」

「ええ、そうなのです。その上で申し上げさせていただきますわ」

「何を申すと、姫よ」

「お父様、どうかわたくしの嫁ぎ先はわたくし自身に定めさせて下さいませ」

「……姫よ、そなたは己が嫁ぎ先を自身で決めたいと?」

「はい」

「いずれか、嫁ぎたい相手でもおるというのか」

「はい、お父様」

 王女の声に耳を澄まし、皆はことの成行きに固唾を呑んだ。

 神に仕える巫女でもある、清楚で清廉な王女マイア。

 誰もが認める美少女でもある彼女。

 密かに王女に憧れていた者は多い。

 知謀を尽し、政略を重ね、彼女を娶らんと目論んでいた者も。

 だが周囲の思惑を振りきり、王女は自ら嫁ぎたい相手がいるという。

 彼女いない歴=年齢と同等のモテない男子(自称)である正さんもまた、実は王女マイアに憧れていた一人だ。

 最初はゲームに出てくるお姫様みたいだとか思っていたのだが。

 旅を重ねる間に、彼女の優しさや強さ、献身的な支えを受ける内にうっかり心を射抜かれていたらしい。簡単な男である。

 これはアレだ、「こんな可愛い女の子が、俺の為に……!?」という相手の義務と真心を履き違えた思いこみ激しい系の男子によくある勘違いというヤツだ――と、悲しいことに女性に言い寄られた経験のない正さんは己の簡単に傾いた気持ちを自制し、心に秘めてきたのだが。

 自制してはいても、一度傾いた心は正さんの把握していないところで結構盛大に転がりまくっていたらしい。

 思った以上に王女マイアの「好きな人がいます❤」発言に衝撃を受けた。そして衝撃を受けたことに更に衝撃を感じ、動揺する。

 正さんは、自分の砕け散ったハートを抱えて心の中で泣いた。

 その「好きな人❤」とやらが自分である可能性は皆無だろうと思えただけに、血の涙がどぱっと溢れそうだ。

 誰だ……誰がマイアの思い人❤なんだ!

 ドルフィンか、ドルフィンなのか!?

 正さんの心が嫉妬で荒れ狂う。

 嫉妬の目でぎらっと睨みつけられたドルフィンは完全に濡れ衣である。

 ただドルフィンは顔が良い。すこぶる、良い。

 正さんも自覚はないが人魚☆なお父さんの血を引いている分、それなりに整ってはいるのだが……ドルフィンはランクが違った。

 旅の間も勇者の名声目当てに正さんをちやほやする為に集った女衆が、正さんの隣に並ぶドルフィンを見た瞬間に全てそちらに流れるほど、ドルフィンはモテモテ(死語)男子だ。

 だから正さんも、マイア王女に「好きな相手❣」がいると聞いて真っ先にドルフィンである可能性を疑ったのだが……

 しかし彼の嫉妬がどれだけ的外れなものか、次の瞬間に知らしめられた。

 人々の注目を集める、マイア自身の言葉によって。


「お許しいただけるのでしたら、わたくしは勇者ミクラオサ……オサ様に嫁ぎたいと思うのです」


 正さんの思考が停止した。






 



 そして気がついたら結婚式だった。



 正気に戻ったのは夫婦の誓いを宣誓した瞬間である。

 突然のマイア王女から求婚宣言を受けてより、時間にして半年程が経過していただろうか。

 結婚式の最中にハッと正気を取り戻した正さん。

 勿論のこと、内心は混乱の渦である。 


 ――あれ!? 何があった!!?


 正さんの記憶は、丸々飛んで……は、いなかった。

 冷静になって頭の中を整頓してみると、確かに記憶はある。

 しかし最初に恐慌状態に陥ってより、混乱と戸惑いと唖然茫然する展開の連続過ぎて、どうやら精神的にセルフで状態異常を起こしていたようだ。

 祝福する仲間や、王様や、貴族たち。

 そして大歓声を上げる王都の人々。

 数えきれない群衆の歓声に手を上げて応えながら……王国を上げての婚礼の中。

 正さんは何故こうなったのかを必死に考えている。

 人々に見えない背中は、冷汗でだらだらである。

 隣で幸せそうに微笑むマイア王女にニコッと微笑み返しながらも、正さんは正気の吹っ飛んでいた間の己を頑張って思い返した。


 あの王女様の、嫁ぎたい宣言の後。

 マイアは正さんにその思いを告げてきた。

 無我夢中と、どこか思いつめた様子で。

 いいや、焦った様子で。

 彼女は……いや彼女だけでなく仲間達は、正さんが使命を果たした暁には地球への帰還を望んでいることを知っている。

 だからこそ彼女は、今を置いて自分の思いを打ち明けることなど出来ないと追い詰められたのか。

 背の伸びた正さんを真っ直ぐに見上げる王女の目は、熱く潤んだ上目遣いで。

 どこまでもお供します、これから後の人生もずっと近くでお供させて下さいと健気に告げる、その様子。

 正さんをお慕いしているのですと思いの籠った潤む声。

 王女は、正さんと一緒にいられるのなら地球までも付いていくとまで言い切った。

 

 彼女いない歴=年齢。

 女性に口説かれた経験、皆無。

 ここまで女性に慕われることなど、想定すらもしたことがない。


 正さんは頭がパーになっていながらも、割とあっさり陥落した。



 ~ その頃、昭君 ~


「あ、昭君……っやった! やったよ、ね!」

「うん、やっと倒せたね。しぶといボスだった」

「わあ……これで王様の洗脳が解けるんだね」

「主人公の呪いも解けて三段変形できるようになる……かな。おつかれ、小夜。手伝ってくれて助かった」

「っ!! ううん、そんな……昭君のお手伝いが出来て、良かった!」

「あ、ちょっとしたイベントムービーがあるみたいだ」

「……昭君、私が手をぎゅっとしても、スルーしちゃうの……?」

「ん? 小夜、何か言った?」

「ううん、なんでもない……」

「ああ、そうだ。冷蔵庫にあと2つチョコプリンがあるんだよね。片方は正兄さんのなんだけど……小夜、食べる?」

「うん、食べる!」



 ~ 再び、正さん ~


 内心で「昭、ごめん……」なんて帰れないことを弟達や、両親や、友人達に詫びながらも。

 自分を情熱的に慕ってくれる、憧れの女性。

 それを置いてお家に帰るーと振り切れる程、正さんは割切り上手ではなかった。

 茫然としながらもマイア王女の為に王国残留を決めたのは正さん自身である。

 それは正気を取り戻しても、変わることのない決意となった。


「昭……本当に、ごめん。心配してるだろうけど…………俺、この世界で生きていくから」


 結婚式を祝う歓声を聞きながら。

 正さんの頬を一筋の涙が伝ったのだけれど……

 それに気付けたのは、隣にいたマイア王女だけだった。



 

 王女の降嫁により、正さんは相応しい身分と地位を与えられることとなった。

 元より神の意を受け、魔王を倒した勇者だ。

 王国に残留するとなれば、相応の地位を与えられるのは当然である。

 マイアを妻にすることで血筋には王家の血が入る。

 正さんは公爵位を授けられ、王国の剣として軍部での地位が与えられた。

 政治は全くの門外漢なので、ある意味では当然である。

 王統はマイアの従兄に当たる青年が継ぐこととなり、親戚づきあいも含めて新たな王と正さんは友好を深めた。

 元々正さんは生来の明るさも幸いして、人好きのする性格だ。

 新王とはあっという間に仲良くなり、親友と互いを呼び合うまでになったのだが……


 平和とは、いつまでも続かないモノなのである。


 

 

 





 それから、40年が経った。


 正さんは異世界で、62歳の誕生日を迎えようとしていた。

 とはいっても、正さんは未だ30代に見える程の若々しさを保っていたのだが……年齢を感じさせる部分など皆無に近い。

 肉体の衰えも知らぬ様子で、相も変わらず見事な筋肉を誇っている。

 先年長く連れ添った妻……元王女マイアに先立たれてはいるが、医療技術の発達に乏しいこの世界では仕方のないことと正さんも無念ながらに納得はしていた。

 悔いのない人生を送ったとマイア自身が微笑んで逝ったことで、正さんの胸の痛みも軽度で済んでいる。

 ただ時々……無性に寂しくなることだけは、どうにもならなかったが。


 妻の死とともに気力の衰えを感じた正さんは、王国に与えられた地位を辞して領地に引っ込んだ。

 マイア王女との間に設けた子供たちの子供たち、つまりは孫の面倒を見ながら、のんびりと余生を過ごそう。

 そう思って、いたのだが……


 日課となった日向ぼっこ。

 此方の世界でニワトリに相当する家畜鳥にぱらぱらと餌をやりながら、犬に顔中舐められて笑い転げる孫達を見守る。

 ――良い。この生活、すごく良い!

 求めていた日常は此処にあった。

 正さんはそう思い噛み締めて、日々を過ごしていたのだが。


 いきなりどーんっと音がして、住んでいる城が揺れた。

 ついでに油断していた正さんはひっくり返った。

 鳥の餌を頭から被り、髪の毛は餌塗れだ。

 顔面やら後頭部やらを家禽にかかかかかか……っと突かれまくりながら、正さんは何事かと周囲をきょろきょろ見回した。

 そこに駆けつけてきたのは、正さんの長男で。

「父上―っ!」

「あ、お、おおう!? 何事!」

「敵襲です!!」

「なんですとーっ!!?」

 正さんは驚愕した。

 その頭は、相変わらず家禽の群れにががががが……っと突かれまくっていた。


 正さんの与えられた領地は、王都に程近い。

 つまり敵国からすぐに攻められるような立地ではない。

 だというのに、敵の襲撃とはこれ如何に?


「どこの馬鹿だよ家に襲撃って!? 1・2・3で兵が出ました~って新手の手品師か! おひねりやるから帰ってもらえ!」

「国王の軍勢です、父上!」

「は!? 国王って……俺、なんかやったっけ!?」

「父上にかけられた嫌疑は反逆罪……国王は父上が王位の簒奪を目論んでいると」

「そんなん欲しがったことないよね、俺!?」

「濡れ衣です、父上。諸侯もそれを御存知の筈ですが……現法では、国王に逆らうのも難しい。反抗した瞬間、反逆を事実とされてしまう」

「え……ってか本気で俺、狙われてんの? 俺が何やった……!」

「父上……嫉妬とは恐ろしい物。有りもしない疑いを事実と捻じ曲げようとするのですから」

「あれ? 息子、お前なんか知ってる?」

「むしろ父上が御存知ないことの方が恐ろしいのですが……知ってましたか? 現王は本来、武の道を望んでいらしたそうですが、素養がないことを理由に断念せざるを得なかったそうです」

「えー……陛下って体鍛えてるようには見えない、むしろ17歳の時の俺を思うと親近感の湧く体型してたよな」

「ですから、嫉妬です。断念せざるを得なかった武を極めるという道……人は時に己の果たせなかった理想を体現したかのような相手に、想像を絶する憎しみを向けるもの」

「なんで俺!? むしろ俺より強い相手なんて他にいるだろうに」

「それは……父上が筋肉をこれ見よがしに」

「してないだろ! してないよね!?」

「冗談はさておき、理由として他に2つばかり心当たりが」

「2つもあんのかよ!」


「理由の1つは、母上のことです。父上」

「え……」


 正さんは思い出した。

 自分の妻がこの王国では聖女(マドンナ)的な存在であったことを。

 当然ながら、彼女に憧れた野郎は多いのだが……まさか。


「先王は元々、実子である母上と現王陛下の婚姻を進め、王位をお譲りになる予定だったとか……つまり父上が現れる以前、母上にとって現王は最有力の婚約者候補であったそうです」

「思っていたより具体的な話だった! え、ってことはマイアが俺を望んでくれなかったら……?」

「……母上と現王陛下が婚姻を結んでいらした可能性は高いかと」

「なんてこったい!」

 げに恐ろしきは男の嫉妬、その執念。

 マイアが生きている内はさも好人物かのように振舞っていたのだが……マイアが亡くなって、タガが外れたのだろうか。

 測り知ることのない現王の心内を思い、正さんの顔が引きつる。

「それだけではありません」

「あ、まだあるんだったか?」

「はい。これは本当に濡れ衣というか……嫉妬に外ならないのですが」

「やめて。その前振り止めて……なんだか怖くなるから」

「先王陛下は実子である母上との婚姻相手に王位を譲ろうとなさっていた素振りが、かつてはあった……というのは先程の話にも少し窺えるかと思うのですが」

「まだ何かあるのか……?」

「疑心暗鬼です、父上」

「何に対して、だよ」

「父上は救世の勇者……その名声は留まるところを知らず、今の世界があるのは父上のお陰と未だに根強い人望と群衆からの支持があります」

「実は俺、ほとんど何もしてないけどな」

「父上がどう思っているかは関係ありません。人々が何を思っているか……です。現王は自身よりも名声を得ており、正当な血統に連なる妻を娶り、より支持を集めている父上に王位を奪われるのではないかと疑っておいでなのです」

「言いがかりじゃん! ものの見事に言いがかりじゃん!?」

「ですが、父上がその気になれば実現しないとも限らない」

「そんなつもりは皆無なんだけど……」

「現王にはそれが信じられないのでしょう。長年をかけて積りにつもった疑いが、今になって芽を出した……そう思うべきです」

「というかソレって他の貴族達も共通の見解なの? 俺が何にも知らないのに息子のお前が事情通過ぎて怖いんだけど」

「父上は……天然ですから」

「未だかつてない濡れ衣がきたーっ!!? 俺のどこが天然だぁ、おい!!」

「天然というか……貴族社会の中で、決定的に空気を読む力に足りてないというか」

「そりゃ……俺、元々は小市民だもんよ。生まれも育ちもよろしい生粋のお貴族様達の暗黙のルールやらサインやら理解不能なのも仕方ないだろ」

「確かにスタートラインで父上は不利に立っていますが……ご自身の努力が足りなかった自覚はおありですよね?」

「…………さーて、それでどうするよ。国王の軍勢が来てんだろ?」

「父上……」

 正さんの身柄引き渡しを要求する、国王の軍勢。

 嫌疑をかけながらも正当性がないことを理解しているのか。

 正さんの城を囲みながら、すぐに強引な手段に出ることはなさそうな気配だ。

 むしろ民衆の人気を集める「勇者」を相手に包囲網を敷いただけで人民にしてみれば噴飯ものである。

 国王側の本音としては、正さんの同意を得ての連行……否、同行という体裁を整えたいところ。

 だが行ったが最後、もう正さんに帰ってくる道はあるまい。

 どうしたものか、と正さんは途方に暮れた。

 ここで自分達の側から手を出すのは愚策らしい。

 自分よりも頭の回る息子が、ふっと明後日の方向を見ながら正さんの肩に手をかける。

「父上、実は……物事を穏便に推し進める手段が、一つだけ残されております」

「え? まじで?」

「ええ……。私の妻は他国の公爵令嬢、弟や妹達の縁組先もそれぞれ国王が無視できない良家と縁づいています。そして私の息子が婚約した相手は国内最有力貴族と謳われる宰相閣下の御令嬢です」

「いや、それは知ってるけど。縁談の時、書類整えたの俺だし」

「そうですね、父上は御存知です。ですから……国王の嫉妬と羨望を一身に集める父上さえいなくなれば、容易に父上の子である私達や孫達に国王も手を出せなくなることはご理解いただけますね?」

「え? 息子よ、何が言いたい……」

「ですから、父上……名残惜しくはありますが」

「いや、わざとらしく寂しそうな顔して泣き真似とかしなくて良いから。何が言いたいのか、簡潔に」

「元より現王陛下は先王に後継として目される程に優秀で聡明な方。体力的にはもやしで頼りないことこの上ありませんが、目先の感情に囚われてさえいなければちゃんと考えることのできる方です」

「いや、もやしの下り要ったか?」

「ですから、そう……父上さえいなければ、現王陛下もちゃんとお考えを改めて下さると思うのですよね」

「うん、何が言いたいのかな? 自分の考えはちゃんとはっきり口に出すようにって俺言い聞かせて育てたはずなんだけどなー?」

「ええ、ですので。父上。


――どうぞ、本来の世界にお帰り下さい。父上 」


「…………え?」

「永のお別れです」

「えっ」

「どうぞ、父上……御達者でー!」

「えーっ!!」


 次の瞬間。

 正さんは息子の手によって背中から突き落とされた。


 時に場所は城壁の向こうに列成す国王の軍勢を見下ろす、主塔の上。

 居城で最も高い位置から、正さんは突き落とされた訳だが。

 ハンカチを振って見下ろしてくる息子に、突き落とされた父の顔が引きつる。

 まさか息子に殺されるとは……そう思ったのだが。

 息子が中空に向かって何やら合図めいた仕草を送った、その時。

 正さんを中心にして、光が爆発した。


 広がるのは白い翼。

 まるで正さんを包み込むように、覆い隠すように。

 光の中に顕現したのは丸っこいフォルムの……この世界で最も偉大な姿。

 鳥神レッグフォールが、己の勇者の為に顕現した。

 ちなみに息子とはグルだった。


『――我が勇者が争いの元となるとは。人間とは愚かなもの……しかし愚かさ故に、神の介入を必要とするのだろう』


 偉大な神鳥を前に、世界の人々が平伏する。

 神の介入があると、どこかで予感めいたものがあったのか。

 正さんを足に掴んで睥睨する神の姿に、包囲網を敷いていた兵士達はがたがたと震えるのみ。

 ただ神の慈悲を(こいねが)い、聖句を唱えて祈りを捧げる。

 終始ばっさーばっさーと飛び続ける鳥神の両脚に掴まれて宙ぶらりん状態の正さん。

 彼は状況の推移に頭が付いていかず、遠い眼差しでぼんやりと空の彼方を眺めて空笑いを浮かべていた。

「……なんぞこれ」

 それが、この世界における彼の最後の言葉になろうとは。


 神は愚昧な人々を一瞥すると……相変わらずハンカチを振って見送る正ファミリーの皆々様を背に、この世界から消えた。




 ★ 正さんの帰還 ★


 はっと気が付いた時、正さんは光の中にいた。

 彼を中心とする様に、ぱあっと世界が輝いている。

 なんぞこれ。

 やがて徐々に光は終息し……。


 目に映った光景は、懐かしいどこか。


「あれ……ここ、どこだったっけ」

 声に出して、気付く。

 自分の声なのに自分の声じゃないみたいだ。

 どこが違うのか……声には失ってしまったはずの若々しい響きがあった。

 手を見てみる。

 肌が若い。

 袖をめくる。

 古傷がない。

「……これは」

 意識して記憶を探りながら周囲を改めて見てみる。

 そうして、気付いた。

「ここは…………家、だ」

 次の瞬間、正さんは狭い廊下を駆けだした。

 足下に立て掛けてあった、高校の学生鞄を蹴っ飛ばし、中身を廊下に散乱させても気にせずに。

 記憶を辿って向かった先は……洗面所の、鏡の前。


 そこには見慣れた筈の自分の顔が、数十年分若返って正さんを見返していた。


 ――ああ、帰ってきたのか。

 自分の若い顔を眺めて、そう悟る。

 まるで夢だったかのように、一瞬で。

 自分は此方の世界に戻ってきたのか、と。

 

 だけど夢だったはずがない。

 この身に確かな証拠が残っている。

 そう、筋肉という証拠が……!

  

 正さんの身体は、いつか神に願った通り18歳の細マッチョそのままだった。


 気持まで若返る。

 若いということに、うずうずする。

 向こうの世界に未練は不思議となかった。

 色々とやり残したこともあったはず。

 だけどあの世界で、自分はとうに隠居の身だった。

 子供達のことは気がかりだが……皆は良い大人だし、長男の言葉を信じるのであれば自分がいない方が世界は上手く回るのだろう。

 

 ああ、自分は全てのしがらみを失くして、自由になったのか。


 戻ってきたのか、捨ててきたのか。

 一瞬だけどわからなくなる。

 だけどもうあの世界には戻れない。

 それだけが確かだ。

 喪失感は確かにあったけれど……隠居していたことで、気がかりは減っているように思う。

 子供達は正さんよりもある意味でしっかり者だ。

 自分がいない方が良いと判断したのなら、自分がいなくてもそれなりに上手くやるのだろう。

 そう思うと、自分が若いという実感に胸の奥から謎の感動がこみ上げる。

 ああ、自分は自由だ……再びそう思った。


 だけど次いで、胸の奥に焦燥感がわき上がる。

 そうだ、ここが自分の家ならば……


 脳裏に思い浮かんだのは。

 もう随分と長いこと思い出さなくなっていた、一つの名前。


 ――あきら。


 実の弟の、忘れた筈の顔が思い出された。

 自分が消え去る場面を見てしまい、どれだけ動揺しているだろう。

 心配しているのだろう。

 最後が最後だっただけに、あちらの世界では随分と長く気がかりになっていた。

 それもいつしか幸せな生活の中でふっ切っていたのだが……

 若返り、家に帰ってきた。

 そのことで不安と焦燥が大きな塊になって押し寄せてくる。

 

 向こうの世界で40年を過ごした。

 だったら此方の世界では、75分の時間が経っている。

 ああ、1時間以上経っているじゃないか。

 どれだけ大騒ぎに…………あれ、なってない?

 今更の心配事が顔を出し、改めて騒ぎになっているだろう生家の中を見回すが……そう言えば家の中はいつも通りに静かだ。

 とても長男の失踪で騒ぎになっているようには思えない。

 正さんは首を傾げた。

 よくよく耳を澄ましてみると、家の2階から何やら話し声が聞こえる気がする。

 正さんは不思議に思う自分を宥めながら、そっと声の聞こえる場所へと足を向けた。


 辿り着いた場所は。

 正さんの記憶が確かなら、兄弟の遊び部屋(プレイルーム)で。

 そういえば昭はよくこの部屋で、TVゲームに興じていたはずだ。

 正さんは何だか心臓が飛び跳ねるのを感じた。

 緊張からか、不安からか、謎の感情からなのか。

 何やら鼓動が過激にドキドキ踊っている。

 正さんがそ~っと扉を開けてみると、そこには……


「あ、やだ、昭君……っ」

「ちょっと我慢して、小夜」

「このモンスター、気持ち悪いよぅ! 王様、盾にされちゃってるよ、どうしよう!?」

「王様って攻撃して良いのかな?」

「あ、王様のHPゲージが表示されて……攻撃しちゃダメ、昭君!」

「王様が死んでもゲームオーバーにならないと良いけど」

「だから攻撃しちゃダメだよぅ!」


 扉の向こうに広がる光景を認識した瞬間。

 正さんは扉を全開にする勢いで、部屋の中に向けて崩れ落ちた。

 膝つき、項垂れるその姿。漂う空気は哀愁だろうか。

 派手な音付きでのリアクションだったため、アナログブラウン管TVさんの画面に集中していた小学生2人が振り返る。

 そこには先程消えて……そして存在を忘れていた兄の姿。


 あ、と。

 少年少女は気まずそうな表情を浮かべた。

 向けられる視線に気付いて顔を上げた正さんは、流石に兄を放置でTVゲームに励んでいたことに気まずいのか、と思ったのだが。

 その予想は大外れで。

 

 実弟である昭君が、ごめんと気まずそうに呟いた。


「ごめん、兄さん。もう今日は兄さんが帰ってこないモノと思って……兄さんの分のプリン、2つとも食べちゃった」

「ごめんってそっちかよぉぉおっ!!」


 自分の存在って……兄の身に纏う哀愁が、更に大きく膨らんだ。

 正直、プリンとかそんな瑣末事、とっくの昔に忘れてたんですけど……。

 もう泣きそうなほど、打ちのめされたブロークンハート。

 引け目を感じてしまったのか、小学生女子の小夜ちゃんがおずおずと声をかける。

「ごめんなさい、正おにいちゃん。おにいちゃんのプリン、小夜が食べちゃったの……半分、残ってるけど食べる?」

「いや、いやいや……流石に小学生の女の子からプリン半分取り上げるとか。それやったら俺、変態じゃね?」

「鬼だね」

「昭、お前が言うなっ!?」

 ああ、このノリ……

 うんうん、そうそう。

 そういえば俺の弟ってこんな性格だったっけー……


 40年という長い時間の果て。

 うっかり過去の幻想の中に忘れ果てていた現実。

 自分の弟という奴がどんな生き物だったのか。

 それをまざまざと実感と共に思い出し……懐かしくも悲しい現実と、忘れた筈なのに体が勝手に反応する弟への対応に、正さんは今度こそ正しく「自分、帰って来たんだなぁ」と実感を深めるのであった。



 こうして、正さんの45年に及ぶ冒険は終わった。

 終わってみれば振り返るにも夢の様な時間だった。

 愛と苦難と苦労の連続で。

 だけど得難い宝物と、名残の様にかけがえのない成果が残った。

 後にも夢ではなかったのかと、何度も思う。

 だけどそう思う度に正さんはあの冒険の証拠を見て、自分の冒険は夢ではなかったと思うのだ。


 そう、鏡に映る自分の細マッチョボディを見直して。


 平均よりもやし寄り。

 そんな自分が一晩で細マッチョに。

 身長も結構伸びていた。

 こんな風にあっという間に体が変貌したことが、何よりの冒険の証拠だろう。


 もうあの世界には戻れない。

 未練がなくはないが……後ろ髪は不思議と引かれない。

 やり残すことなく、生き抜いたという実感があった。


 後は、此方の世界だ。

 自分本来の人生を、今度こそ真っ直ぐに歩んで貫き通そう。

 正さんは自分にそう言い聞かせ、遠い昔に失った筈の……家族との日々を大事に過ごすことを心に決めた。

 それが一度は捨ててしまった家族への、何よりの償いと信じて。




次回、正さんのその後。

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